ツバメはツバメとして生きている

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  • čas přidán 25. 07. 2024
  • 【映像作家の日記】
    東京でのイベントが終わり、この夏が終われば、今やっていることはすべて終わりにする。
    映像作家として活動しているが、そのすべてが赤字で終わっている。
    映像から収入を得られることはない。
    上映会をやればやるほど赤字になり、撮影すればするほど貯金がなくなる。
    以前はそれでもなんとか生きていけたが、今はそんな状況ではない。
    私はただの失業者。
    もうお金がないので、赤字でやり続けることは出来ない。
    コロナが明けて、状況は好転するかと思ったが、その逆だった。
    やはり、テレビの仕事を失った時点で私は終了していた。
    いつかこうなることは分かっていた。
    私に仕事がなく収入がないということは、この社会で必要とされていないこと。仕事がなければ生きていけないのは当たり前のこと。
    私に夢や希望や強い意志があったとしても、失業者である私には、もう撮影を続けることは出来ない。
    この一年は仕事を探し続けたが、結局はすべて門前払い。
    この病気ではこの体では、誰も仕事を与えてくれない。
    私が生きてきたテレビ業界にも私の居場所などあるはずがない。
    もう終わる以外に選択肢はない。
    いや、終わるというと自分の意思のようだが、私の気持ちとは正反対に終わることしか選べないのだ。追い詰められてその道しか残ってはいない。
    とりあえず、カンパは皆様にお返ししたい。どのような形になるかは分からないが、上映会を辞めるのであればお返しするべきだと思う。
    では、終わったあと、どうするのか。
    実は何も考えていない。もう道などないのだから。
    最後に東京で金峯山寺と奈良県のイベントのお手伝いが出来ることが唯一の救いかもしれない。
    私の作品上映会ではないのだけれど、最後に短い時間でも私の映像詩が東京のスクリーンで上映されることが、良い思い出になる。
    東京公演では登壇することなく裏方スタッフを精一杯努める。
    やはり私はテレビカメラマン、テレビ業界以外の世界では生きてはいけない。そのテレビ業界に居場所がないのであれば、生きる場所がないということ。
    作品上映会は5年続けて来たが、私の映像詩をしっかりと観たいと思って来場下さっているお客様はどれほどいるのだろうか。
    何も心配することなく、撮影を続けて生きていくことを望んで頑張って来たが、天か神か運命か、悪魔か貧乏神か死神か、それは何かは分からないが、私に撮影を続けて生きていくことを許してはくれなかった、そう受け止めている。たったひとつの大切なものも取り上げられてしまった。
    なぜ私は10年前に余命宣告通りに死ななかったのか、それは死なずに苦しめとの神の意思だったのか。
    人生の最後にこんなにも長い苦しみが待っていたとは、なんという残酷な運命だったのか。
    今も辛い、しんどい、生きることが苦しい。

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