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今じゃTAXIもプリウスですから時代を感じます。
セドリックもクラウンも少なくなりました。タクシーと言えば重ステ、ベンコラマニュアル、手巻きウインドウだったんですが…時代を感じます。
こんにちは。貴重な動画をありがとうございます。僕の実家(京都市内の北の方です)にあるタクシー会社のタクシーに乗った時にそこの会社さんが910ブルーバードからクルーに入れ替えられたのでたまたま乗った運転手さんに「クルーはどうですか?」とお聞きしたところ「クルーはラクですね~。小回り効くし」と仰ってましたので「910ブルーバードはどうでしたか?」とお聞きしたところ「あれは全然ダメでした。走らへんしボディー小さい割に小回りが全然効かないんです。」とボヤいてらっしゃいました。それと別のタクシーに乗った時は910ブルーバードのオートマだったので「やはりタクシーでもオートマはラクですか?」とお聞きしたら「ラクですね~。ちなみにうちの会社は日産からタクシー用のオートマチックのテストをさせてほしい。と言われてオートマチックの車両を導入したんです。」と仰ってました。もう30年以上前の話ですが…。長々とすみませんでした。
910は運転手の間でも敬遠する人が多かったですよ。ノークラ(AT車、今は死語)の営業車は羨ましかったですね。当時は日の丸自動車位しか保有していなかったと思います。京都といえば個人タクシーはほとんどが黄緑色、カタツムリの行灯が何故か上から潰した様な寸詰まりなのを思い出しました☺️。
@@3s59n 様ご丁寧に返信ありがとうございます。僕も前回の返信を打っている時に「ノークラ」の文字が頭によぎりました。大昔、京都の架空の病院を舞台にしたドラマで、タクシー運転手さんが病気で左足を切断されて仕事が続けられないと思っていたら「会社がノークラの車両を導入してくれるから、仕事続けられるわ!!」というシーンがあったのを思い出しました。京都の個人タクシーの行灯、確かにそんな形でしたが今はその行灯を付けている個人タクシーを見かけなくなりました。それとタクシーとは関係ないのですがLPガス車って馬力が無いと聞いた事がありますがどうなんでしょうか?僕の従兄弟が教習所に通っている時に教習車がローレルのセダンでしたがLPガス車やったから馬力無いから坂道走らへん。とボヤいてました。またまた長々とすみませんでした。ありがとうございました。
@@user-bx4kc7sq6m ノークラというと歳がバレるという…😂。そんなドラマがあったんですね❗️。LPG車はガソリン車と比べると力無いですよ。坂道をエアコンかけて登るのはつらいつらい。都内では50プレジデントや150系マジェスタ(3リッター車)がLPGに改造されていましたが、こちらもご多分にもれず非力だったそうです。
親の130クラウン(スーパーチャージャー付)を借りて、付き合っていた彼女を迎えに行きつつ登校していた当時高三のマセガキんちょがここにいます。車は学校近くの工事休止中の造成地に止めていた。昭和末期です。
130クラウンのスーパーチャージャーって恐ろしくガソリン食わなかったですか❓。そうゆー自分もY30ターボブロアムでしたw。高校も卒業近くは車で行った事あります。男子校だったので彼女はおりまへん🥺。
@@3s59nさん 燃費悪かったですね。ハイオク仕様でしたし。愛車のNSR250Rの方がまだマシと思いました。Y30は先輩が乗っていました。サンダーでサスぶった切るのを手伝ったりしていましたね(笑)。
@@takana4381 ハイオクであの燃費だと現代では死ねますw。Y30は430と並び、中古で安かったですからね。屋根は切ってないですよ、自分。
910ブルーバードのタクシーは懐かしいですね。札幌のタクシー事業者は時代が平成になるとコラムシフトからフロアシフトへと置き換え、更にはオートマ化へと一気に突き進みました。910ブルーバードで狭いならばコロナは更に狭かったですね。そしていつまで作ってるんだろ⁇とも思いました。
910とコロナは狭いんですよ。そして疲れる😓。小型レーンですぐに乗せられる、位しかメリットが無くあまり乗りたくない車でしたね。しかもずっと製造されていたという😂。
地方では道路も狭いので長年に亘って重宝されましたね。
@@user-sl7zf5xu8hそうですね。熱海あたりは最後まで910が残っていたかと思います☺️。
コロナのタクシーも福岡市内では20世紀末まで残っていたかと思います。
Y31セドリックは見かけてもドアミラー車だけ。
最終型ですね❗️☺️。
今じゃTAXIもプリウスですから時代を感じます。
セドリックもクラウンも少なくなりました。タクシーと言えば重ステ、ベンコラマニュアル、手巻きウインドウだったんですが…時代を感じます。
こんにちは。
貴重な動画をありがとうございます。
僕の実家(京都市内の北の方です)にあるタクシー会社のタクシーに乗った時にそこの会社さんが910ブルーバードからクルーに入れ替えられたのでたまたま乗った運転手さんに「クルーはどうですか?」とお聞きしたところ「クルーはラクですね~。小回り効くし」と仰ってましたので「910ブルーバードはどうでしたか?」とお聞きしたところ「あれは全然ダメでした。走らへんしボディー小さい割に小回りが全然効かないんです。」とボヤいてらっしゃいました。
それと別のタクシーに乗った時は910ブルーバードのオートマだったので「やはりタクシーでもオートマはラクですか?」とお聞きしたら「ラクですね~。ちなみにうちの会社は日産からタクシー用のオートマチックのテストをさせてほしい。と言われてオートマチックの車両を導入したんです。」と仰ってました。
もう30年以上前の話ですが…。
長々とすみませんでした。
910は運転手の間でも敬遠する人が多かったですよ。ノークラ(AT車、今は死語)の営業車は羨ましかったですね。当時は日の丸自動車位しか保有していなかったと思います。
京都といえば個人タクシーはほとんどが黄緑色、カタツムリの行灯が何故か上から潰した様な寸詰まりなのを思い出しました☺️。
@@3s59n 様
ご丁寧に返信ありがとうございます。
僕も前回の返信を打っている時に「ノークラ」の文字が頭によぎりました。
大昔、京都の架空の病院を舞台にしたドラマで、タクシー運転手さんが病気で左足を切断されて仕事が続けられないと思っていたら「会社がノークラの車両を導入してくれるから、仕事続けられるわ!!」というシーンがあったのを思い出しました。
京都の個人タクシーの行灯、確かにそんな形でしたが今はその行灯を付けている個人タクシーを見かけなくなりました。
それとタクシーとは関係ないのですがLPガス車って馬力が無いと聞いた事がありますがどうなんでしょうか?
僕の従兄弟が教習所に通っている時に教習車がローレルのセダンでしたがLPガス車やったから馬力無いから坂道走らへん。とボヤいてました。
またまた長々とすみませんでした。
ありがとうございました。
@@user-bx4kc7sq6m ノークラというと歳がバレるという…😂。
そんなドラマがあったんですね❗️。
LPG車はガソリン車と比べると力無いですよ。坂道をエアコンかけて登るのはつらいつらい。都内では50プレジデントや150系マジェスタ(3リッター車)がLPGに改造されていましたが、こちらもご多分にもれず非力だったそうです。
親の130クラウン(スーパーチャージャー付)を借りて、付き合っていた彼女を迎えに行きつつ登校していた当時高三のマセガキんちょがここにいます。車は学校近くの工事休止中の造成地に止めていた。昭和末期です。
130クラウンのスーパーチャージャーって恐ろしくガソリン食わなかったですか❓。そうゆー自分もY30ターボブロアムでしたw。高校も卒業近くは車で行った事あります。男子校だったので彼女はおりまへん🥺。
@@3s59nさん 燃費悪かったですね。ハイオク仕様でしたし。愛車のNSR250Rの方がまだマシと思いました。Y30は先輩が乗っていました。サンダーでサスぶった切るのを手伝ったりしていましたね(笑)。
@@takana4381 ハイオクであの燃費だと現代では死ねますw。Y30は430と並び、中古で安かったですからね。屋根は切ってないですよ、自分。
910ブルーバードのタクシーは懐かしいですね。札幌のタクシー事業者は時代が平成になるとコラムシフトからフロアシフトへと置き換え、更にはオートマ化へと一気に突き進みました。
910ブルーバードで狭いならばコロナは更に狭かったですね。そしていつまで作ってるんだろ⁇とも思いました。
910とコロナは狭いんですよ。そして疲れる😓。小型レーンですぐに乗せられる、位しかメリットが無くあまり乗りたくない車でしたね。しかもずっと製造されていたという😂。
地方では道路も狭いので長年に亘って重宝されましたね。
@@user-sl7zf5xu8hそうですね。熱海あたりは最後まで910が残っていたかと思います☺️。
コロナのタクシーも福岡市内では20世紀末まで残っていたかと思います。
Y31セドリックは見かけてもドアミラー車だけ。
最終型ですね❗️☺️。