【ゆっくり解説】 管仲 覇者を作り上げたレジェンド宰相【春秋戦国 斉】

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  • čas přidán 13. 08. 2021
  • 斉を当時の列国最強国にし、春秋時代最初の覇者桓公を作り上げた伝説的宰相、管仲を紹介します。
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Komentáře • 282

  • @001lonestar7
    @001lonestar7 Před 2 lety +45

    「先ず民を富ますにあり」はすべての時代で正論だと思う。無理せず減税できた国家は長く続く。現代の為政者にも肝に銘じて欲しい。

    • @rokuemu114
      @rokuemu114 Před 2 lety

      財務省「せやろか」

    • @001lonestar7
      @001lonestar7 Před 2 lety +8

      @@rokuemu114 さん
      康熙帝「やってみなはれ」

    • @PORTABLE1217
      @PORTABLE1217 Před 2 lety +6

      2600年も前に示された正解を未だに見つけられない東大卒官僚(笑)

  • @user-lz6cs6ik1x
    @user-lz6cs6ik1x Před 2 lety +42

    キター、管鮑の交!
    管仲は突出した宰相だが、その管仲を推挙して自分より上位者とした鮑叔牙の漢は無限にデカい。

  • @pharosnearco1713
    @pharosnearco1713 Před 2 lety +15

    春秋戦国誌だったかな管仲の言葉に「政治力とは 例えば猛獣を捻じ伏せる事ではなく、檻に追い込む技術のことに他ならない」というのが書いてあった。これは現代でも通ずると感じた。

  • @user-gu8qe8jd7i
    @user-gu8qe8jd7i Před 2 lety +54

    管仲作といわれる『管子』は法家思想の漢籍として明治書院の漢文大系にあります。有名な『衣食足りて礼節知る』も勿論載っています。

  • @quercuscrispula3484
    @quercuscrispula3484 Před 2 lety +13

    失敗し続けたから、人間が力を発揮するにはある程度の余裕がないといけないということが骨身に染みて解っていたのですよ。

  • @maruhourou1480
    @maruhourou1480 Před 2 lety +18

    接待で浪費したり佞臣に入れ込んだりの
    強い「チヤホヤされたい願望」があったからこそ
    領土の譲り渡しや管仲の助命・抜擢みたいな太っ腹系行為への提言も
    すんなり受け入れることが出来たのかも知れませんね、桓公さんは。

  • @ppakify
    @ppakify Před 2 lety +13

    管鮑の交わりは作り話が入っているかもしれないとしてもやはり無二の友情ですね

  • @user-jj1ix2ic7p
    @user-jj1ix2ic7p Před 2 lety +9

    衣食足りて礼節を知る、まさにいま話題のホームレス批判の件と繋がる気がします。
    現在の状況だけでその人間を判断してはいけないのです。

  • @cdwalfredo
    @cdwalfredo Před 2 lety +69

    陳舜臣の「小説十八史略」での管仲と鮑叔牙のやり取りが好き。
    鮑叔牙が自身の理想の政治を行う為に管仲を立てて裏方に徹し管仲はそれに納得している。
    鮑叔牙が臨終の際に枕元にいる管仲に謝意を表す。
    良い友情だなぁ~と思った名シーンだった

    • @rokuemu114
      @rokuemu114 Před 2 lety +5

      陳舜臣は近現代史があれ

  • @user-ui4pc1el2j
    @user-ui4pc1el2j Před 2 lety +23

    最近論語を学ぶ中、管仲の話が出てきてもイマイチ分からなかったのですが、今回の動画で理解が深まったように思えます。
    とても勉強になりました、ありがとうございました!

    • @pharosnearco1713
      @pharosnearco1713 Před 2 lety +2

      孔子は周の世代・慣習復活を重要視しているように見えます。だかどの国にも用いられなかった。すでに時代遅れの思想だと考えてます。勉強するのは意味無いかと。アメリカの哲学者もインディアンの口喧嘩と評してます。

    • @user-ui4pc1el2j
      @user-ui4pc1el2j Před 2 lety +8

      ご意見ありがとうございます。当時においても時代遅れの思想ですか、そういった見方もあるんですね…『インディアンの口喧嘩』というのも初めて聞きました、教えて頂きありがとうございます。意味が無いと断ずる事が出来るほど知らないので、学んでいきたいと思います!

  • @rerepopo663
    @rerepopo663 Před 2 lety +51

    どの国でもそうだけど後の時代の役職とかその辺の在り方の、目標になる人物ってホント
    凄いよね。
    ゼロから歩みを進む者の失敗は後の時代の後を追う者の失敗とは訳が違うし、それでも折れずに
    自分を貫ける管仲はほんと怪物。

  • @mantarouhagakure3911
    @mantarouhagakure3911 Před 2 lety +37

    管仲大好きな人物なので取り上げてくれて嬉しかったです!一代で覇者の国にしたのに、その死後から内乱内乱&内乱が続く斉というのが歴史の重さを感じますね。

  • @user-ef3nc4uw8d
    @user-ef3nc4uw8d Před 2 lety +11

    結果を重視する姿勢が好き

  • @tfujisaki72jp
    @tfujisaki72jp Před 2 lety +13

    理想論でなく、現実的視点で政治を行い、成功させているすごい人物ですよね。

    • @youyah7440
      @youyah7440 Před rokem +2

      戦国時代に儒学が国の方針として受け入れられなかったのは理想ばかりで戦乱の世の中には全く話にならないことばかり言ってばかりだし 33:41

  • @user-zz4tq5rh2p
    @user-zz4tq5rh2p Před 2 lety +18

    ところで覇者の前身である小伯及び会盟というのは桓公以前の頃は私的なものだったが、桓公の時代になると公的な要素が強まっていく。
    この時代は中華こそが世界のすべてだったため、どちらかと言うと国連安保理やNATOのようなものがイメージとして近いと佐藤信弥氏は解説している。

  • @air5042
    @air5042 Před 2 lety +16

    宮城谷昌光先生が管仲について指摘していた事で、彼は無税国家を考えていたというくだりがあったと記憶しています。
    この時代に単なる理想論ではなく、結果としてここまで民と国家に空前の繁栄をもたらした事は凄いと改めて思いますね。

  • @user-lu1fg8me4p
    @user-lu1fg8me4p Před 2 lety +130

    孔子って有名だけど正直分類としては「自分の売り込みに必死なマナー講師」の域を出ない感じがするんだよな

    • @tokoton01
      @tokoton01 Před 2 lety +36

      こんなに上手い表現はじめてみました。

    • @user-kr9ul6xv5s
      @user-kr9ul6xv5s Před 2 lety +7

      巨漢というのもポイント

    • @MsSyage
      @MsSyage Před 2 lety +22

      晏嬰「理想は高いんだけど現実が見えてない。利にうるさい斉の国民性や、緊張が続かない景公の性格に彼の思想とその政策は合わないのに、それで理想の国家になんてなるわけがない」

    • @user-cz3cm1ht8m
      @user-cz3cm1ht8m Před 2 lety +7

      毛沢東「よっしゃ批林批孔運動でぶっ潰すぞ」

    • @user-oz8le2sy6h
      @user-oz8le2sy6h Před rokem +2

      最高🎉

  • @user-do2xm4oc9n
    @user-do2xm4oc9n Před 2 lety +27

    財テク宰相管仲と清貧宰相晏嬰をまとめて管晏列伝に編んだ司馬遷。まあ姜斉はこの二人に尽きるからねぇ。

  • @user-xl5bt4ol9l
    @user-xl5bt4ol9l Před 2 lety +5

    鮑叔牙が大好きです。誰だって自分が上になりたいのが普通だと思うのですが、なかなか言えないですよ。斉一国を治めるのなら自分の補佐でも事足りるが覇者になるには管仲の力が要るなんて。人を見る目、大局を見極める冷静さ、友人を立てて信頼する心意気。何もかもが素晴らしすぎて感動します。鮑叔牙なくして管仲の活躍はないのです。男のなかの漢、器のスケールが半端ないです。

  • @doradora562
    @doradora562 Před 2 lety +11

    いつも楽しみにしてます!管仲の動画ありがとうございます!!

  • @user-kd5dd6xe5p
    @user-kd5dd6xe5p Před 2 lety +9

    三国志のゲームで、やたらに能力が高いレジェンド武将の中に菅仲もいましたね。どんな人かは知らなかったので、興味深いです。

  • @REKI-AKAHOSI
    @REKI-AKAHOSI Před 2 lety +66

    曹操に「人間のクズだけど有能」と言わしめた管仲さん好き

    • @001lonestar7
      @001lonestar7 Před 2 lety +15

      流石「能力さえあればOK」と言った曹操。

    • @user-vf1xu2jp4d
      @user-vf1xu2jp4d Před 2 lety +3

      赤星レキさん、出典を教えて頂けないでしょうか?

    • @REKI-AKAHOSI
      @REKI-AKAHOSI Před 2 lety +14

      @@user-vf1xu2jp4d 求賢令だかなんだかの実施時に陳平と並んで人格クズだけど有能な人物として挙げられてた

    • @user-qx4hc5tr2g
      @user-qx4hc5tr2g Před 2 lety +12

      おまいうの極み

    • @user-vf1xu2jp4d
      @user-vf1xu2jp4d Před 2 lety +5

      @@REKI-AKAHOSI 有難うございます。

  • @user-sd3hm8lj5f
    @user-sd3hm8lj5f Před 2 lety +9

    国を富ませ人民の生活を安寧せしめた。政治とはかくあるべきということを体現している😌 日本の政治家は管仲の業績を見習うべきだ。
     衣食足りて礼節を知る…。正にその通りだ!

  • @user-qz3go1ft3p
    @user-qz3go1ft3p Před 2 lety +9

    投稿頻度高くて嬉しい😂
    人が休みは仕事のワイ
    深夜にじっくり見まする。

  • @user-br5ln8wu5w
    @user-br5ln8wu5w Před 2 lety +9

    曹沫の件、「桓公ビビりすぎじゃない?」と思ってたらそんな説があるのね、確かに魯公が直々に脅して来たら刺客一人よりはずっと効果的よね
    ただ和約を守ったことで諸侯が付き従うようになった、てのはどうしても「諸侯に付け入る隙を与えて逆の結果にならんの?」って疑問がどうしても消えないんだよなぁ
    春秋時代は後の時代より礼節が重要視されてたんかねぇ、もしくは当時の斉の権勢が強すぎたのか

    • @MsSyage
      @MsSyage Před 2 lety +4

      それまでの斉というか桓公は欲が前面に出過ぎてて、非礼の国を討伐するといっては小国滅ぼして版図に加えるって形で国力と国土を増大させてきてたからね。その中には斉の友好国もいたわけで、周辺国からすると「斉が言ってることもわかるけどあいつら実は征伐の口実にいちゃもんつけてるだけの乱暴者じゃないの?」という目で見られてたのよ。桓公も敵対者には暗殺者送りまくったりしてたし。
      それが桓公のライバルだった公子糾を庇護し斉に逆らい続けた魯に対して、脅されて結んだ約でも守る姿勢を見せたことで、少なくとも斉は約束は守る国らしいという評価を得る事に成功した。総合すれば「桓公は敵対者には容赦ないけど、傘下に入るときにちゃんと盟約を結べばそれは守ってもらえる」と諸侯はみたわけで、それまでの悪行がむしろ諸侯に舐められない牽制になった感じだね

  • @NT-iv9os
    @NT-iv9os Před 2 lety +18

    苗字と字で呼ばれている事・主君に絶大な信頼を受けた事・名宰相として国を発展させるのに際し、経済政策に重きを置いた事・死後国が衰退していった事など、管仲と諸葛孔明には似た点がとても多いなと感じました!

  • @user-yr3bt1zu8q
    @user-yr3bt1zu8q Před 2 lety +12

    桓公と劉禅の評価を見ると・・・劉禅が不憫で仕方ありません。

  • @tawasikamenoko4442
    @tawasikamenoko4442 Před 2 lety +11

    斉の後継者争いで、両陣営に分かれた管仲と鮑叔牙。勝った方が命乞いと推挙をする、二人の高等戦略だったという説もありますね(笑)。桓公の遺体が放置されて、棺桶の外まで虫がぞろぞろと這い出てきた逸話は、中国史の中でも印象に残るホラーな場面かも。

  • @doradora562
    @doradora562 Před 2 lety +7

    いつも楽しみにしてます!管仲の動画ありがとうございます!(*≧∀≦*)

  • @tostom3701
    @tostom3701 Před 2 lety +26

    天才宰相諸葛亮さんは使えた君主が良かったんだなあと…

    • @MsSyage
      @MsSyage Před 2 lety +1

      劉備は苦労人だからね

  • @user-xi4rp3jh9f
    @user-xi4rp3jh9f Před 2 lety +8

    古典の故事は既に知っているのに何度も読み返したくなる名作の宝庫

  • @naomoro610
    @naomoro610 Před 2 lety +4

    秦の春秋戦国時代で暗君無しな所がすごいですね。

  • @user-ix2st8cy4c
    @user-ix2st8cy4c Před 2 lety +4

    面白かったです。
    桓公の顛末が残念でした。40年も名宰相のとなりにいて何も学ばなかったのは悪い意味ですごいな…

  • @user-kunihiro2023
    @user-kunihiro2023 Před 2 lety +2

    ありがとうございます!

    • @c-history
      @c-history  Před 2 lety +1

      ありがとうございます!
      ご支援誠に大感謝でございます!!

  • @user-ct1zg6bh8n
    @user-ct1zg6bh8n Před 2 lety +23

    忠義が建前の儒教としては主君を乗り換えたことは批判の対象なのだろうが、人民の富裕が国家の元と考えた先進的な人。
    この時代の斉の人民は幸福だったろうな。品行なんて功績に比べたら二の次。
    あと、なんとなく藤堂高虎を思い出した。

    • @user-vf1xu2jp4d
      @user-vf1xu2jp4d Před 2 lety +3

      儒教と今の日本のマスコミ、通じるものがありますな…

    • @user-bm8ci1vy5f
      @user-bm8ci1vy5f Před 2 lety +1

      現代でいう『世論』に近いものなのかもしれませんね。
      三国志でも名士からの評判=儒教的な面で見た評価は何処でもついて回る感じですし。

    • @doryuji
      @doryuji Před 2 lety +3

      「衣食足りて礼節を知る」の話であったように、人民を富ますことによって礼節を備えた人が増えて国に秩序がもたらされたなら管仲1人の人間性の話なんて大した問題ではないよなぁ。

  • @user-fo5pg2id7f
    @user-fo5pg2id7f Před 2 lety +7

    管仲 大好

  • @user-fh4wh7gx7s
    @user-fh4wh7gx7s Před 2 lety +4

    金文に歴史が書いてあるの不思議だわね
    今もなんか鉄板とかに2021年のことを刻んだ方がいいのかしら

  • @basilbasilicum
    @basilbasilicum Před 2 lety +6

    以前民王というコメディドラマで管鮑の交わりの故事がネタとして登場していました。その頃は中国史に興味がなかったのでなんか知らないけどアワビは美味しいよね!とか呑気なものでしたが詳しく知れて嬉しいです。古今、管仲のような合理的思考は普遍だと思いました。

  • @qoamb410
    @qoamb410 Před 2 lety +1

    動画面白かったです。「帝者は師と与(とも)に処(お)り、王者は友と与に処り、覇者は臣と与に処り、亡国は役(えき)と与に処る。」皇帝となる人は師と、王となる人は友と、覇者となる人は家臣と生活するが、国を滅ぼす人物は召使いと生活するとの燕の昭王の話しを思い出しました。君主が真に賢者を大切にしなければ、ろくでもない人物しか来ないという意味かと思いますが、まさにそういった逸話ですね。管仲が気の毒ですね。長文すみません。(笑)

  • @chip1259
    @chip1259 Před 2 lety +11

    晏嬰「桓公が凡庸😲❗じゃあ景公はどうなるんだ...」

    • @user-ej7rh6ht2l
      @user-ej7rh6ht2l Před 2 lety +4

      凡庸な君主だからその臣下が目立てる訳で…………。このチャンネル動画では漢王朝の創始者高祖劉邦ですらコテンパンですし。

    • @MsSyage
      @MsSyage Před 2 lety

      @@user-ej7rh6ht2l 景公に関しては大抵の歴史書で暗君扱いよ。劉禅登場までは非暴君系暗君の代表といえば斉の景公と言われてたレベル。まあ晏嬰が宰相の間は第二の黄金期と言われる繁栄してたのに、その死後一気に急落したからね。ただ、晏嬰自身は「大器でも覇気もないし教えたこともすぐ忘れる仕方のない人だが、人の言うことを素直に聞くし性質は善良だから悪い君主ではない、一生かけて教えていくさ」みたいなこと言ってるので、案外晏嬰からみるとそこまで悪い君主でもなかったっぽい。景公も晏嬰危篤の報に接するや慟哭しながら馬車を自ら走らせるほど晏嬰を慕ってたしね。その意味ではいい絆をもった君臣でもあったんだろうね。

    • @user-yp3bx1in1k
      @user-yp3bx1in1k Před 2 lety

      能力的には無能ではなかったけど、人を見下したり、猜疑心が強かったりで人を用いることができない君主もいますしね。
      良い君主だったどうかという判定は難しいです。

  • @KOUMORIish
    @KOUMORIish Před 2 lety +6

    ゲームアサシンクリードオリジンにプトレマイオスを「周囲に流され易く影響を受けやすい」と評するシーンがあったが、斉桓公もそうだったのかな?後年の孫権や唐玄宗や徳川綱吉等も前半だけなら賢君っぽいが晩年汚したのは、有能な家臣・側近がいてそのやり方を学んで上手くいったがそれらが少なくなって奸臣が増えてそれらに影響されるパターンかな?

  • @user-sb8mn9di3b
    @user-sb8mn9di3b Před 2 lety +15

    実利実益を優先し現実を見据え合理的に物事を進めていく。現在の政治にも繋がりますね。
    実の無い空理空論を弄び他者の足を引っ張ることだけに主眼を置いた詭弁の輩にはもっと学んで欲しいと思わずにはいられません

  • @sutesute2790
    @sutesute2790 Před 2 lety +6

    斉の宰相繋がりで晏嬰も頼むで

  • @user-ou5co6gs9t
    @user-ou5co6gs9t Před rokem +2

    倉廩 満ちて礼節を知り 衣食足りて 栄辱を知る
    これは現在でも政治とは何たるかを表している言葉である。
    国民にとって最も重要な事は日々の生活であり、即ち経済だ。
    それを分かっていない政治家が多過ぎる。

  • @tyourea
    @tyourea Před 2 lety +5

    徳を求める政治も大事だが堅実さを求める政治も大事。管仲は、政治家らしい政治家ですね。綺麗事では、国は、治まらない。国家安泰は、合理的でないとね。
    それと鳥人間が斬首されそうな時は、助命しますね。

  • @user-ik9xn3dy6w
    @user-ik9xn3dy6w Před 2 lety +5

    管仲の死後に当時放浪生活中の重耳が斉に仕官を望んでいたんだが登用されていたら斉はどうなっていたことやら
    (結局重耳は晋に帰参し晋の文侯として偉大なる二大覇者の一人なったけど)

  • @user-xl7kb8hk6f
    @user-xl7kb8hk6f Před 2 lety +5

    この前、済南にある、鮑叔牙のお墓に行ってきました。済南の街中に高いところにあるので、比較的行きやすいです。地元の人に一応手入れされているような感じでしたが、人も殆どいなく、あまり地元でも有名ではないようでした。^ ^

  • @user-ej7rh6ht2l
    @user-ej7rh6ht2l Před 2 lety +4

    何かの話で始め桓公は後継を鮑叔牙にしようとしたら管仲が品行方正な彼では自身の後任に耐えれないと反対している。管仲死後、桓公は鮑叔牙を宰相にしたがやはり真面目な性格が祟って激務に堪えきれず過労死してしまいその後例の奸臣3人衆を側近くに据えたと記憶しています。

  • @user-kn5op9zk7k
    @user-kn5op9zk7k Před 2 lety +13

    孔明「自分を管仲になぞらえていたら、
       本当に諫言を素直に聞けるのだけが取り柄で、
       佞臣を近づける、阿なにがし様を支えるハメになったでござる」

  • @user-qb7ui4hb4o
    @user-qb7ui4hb4o Před 2 lety +2

    中国は奥が深
    今の日本は…日本がはってんしてるならいいか
    中国すごい道徳尊敬してます、ありがとうございます

  • @un5606
    @un5606 Před 2 lety +10

    董仲舒より伊尹より呂尚より荀彧より王佐の才がある王佐を超えたキングメーカー管仲

  • @user-xb3ts6vw8f
    @user-xb3ts6vw8f Před 2 lety +16

    やはり、管仲の才能を見抜き支えた鮑叔牙が素晴らしい(*’ω’ノノ゙☆パチパチ(*’ω’ノノ゙☆パチパチ

  • @user-kr7nm3gh2l
    @user-kr7nm3gh2l Před 2 lety +1

    Thanks!

    • @c-history
      @c-history  Před 2 lety

      ありがとうございます!
      ご厚意をいただけて、すごく嬉しいです!!

  • @user-sw8cx6zh2r
    @user-sw8cx6zh2r Před 2 lety +3

    楽毅の特集もやってほしい!

  • @user-hi3eh7iq7m
    @user-hi3eh7iq7m Před 2 lety +5

    管仲を斉に送る時に、管仲を送ったら斉でおもくもちいられるからころした方が良いと提言した魯の施伯は見る目があると思う。

  • @user-ic1yo3yw3k
    @user-ic1yo3yw3k Před rokem +3

    往時は覇者と呼ばれた人の名声が後世臣下にぜんぶ持ってかれて可哀想やなー、とか途中まで同情しかかってたけど終末辺りエピソードがガチの暗君で後世の評価に大納得。

  • @user-pl7gn2hc7r
    @user-pl7gn2hc7r Před 2 lety +3

    桓公って劉禅みたいな奴だな、周りの臣下次第で白にも黒にもなる

  • @user-wb3qi2ew6l
    @user-wb3qi2ew6l Před 2 lety +13

    管仲が支えた桓公と、晏嬰が支えた景公。どちらも碌な君主ではなかったが、まだ景公のほうが人間味が感じられる。

    • @user-kt9mq1ki8y
      @user-kt9mq1ki8y Před 2 lety +11

      晏嬰が没した際、景公が晏嬰の遺体にすがって泣いた。
      近臣が「非礼でございます」と言ったが
      景公は「昔、夫子(晏嬰)に従って公阜に遊んだ時、一日に三度わしを責めた。今誰がわたしを責めようか」と言い、泣き続けた。
      景公は暗君として史書に描かれますが
      このエピソードからは景公の人間味が伺えます。

    • @user-wb3qi2ew6l
      @user-wb3qi2ew6l Před 2 lety +6

      景公が呑み仲間を探していて、晏嬰と司馬穣苴には断られ、最後に梁丘拠と呑むわけなんだが、いちいち彼らの屋敷を訪れて誘っている所が笑えるし。ただこれは晏子春秋のお話だから、ホントかどうかはわからない。

    • @MsSyage
      @MsSyage Před 2 lety +6

      @@user-kt9mq1ki8y 晏嬰は晏嬰で、景公をどうしようもないけど憎めない主君といって一生かけて教えていくと思い定めてたみたいだし、この主従にはちゃんとした絆があるのが見えるからね。景公が後世暗君扱いされてるのを泉下で晏嬰が憤慨してたりするかもしれないw

  • @user-tx5ge2nw7t
    @user-tx5ge2nw7t Před 2 lety +5

    ひさしぶりの春秋戦国時代だ!

  • @toumasa4323
    @toumasa4323 Před 2 lety +5

    宰はもともと料理人。
    因みに料理を意味する語は「菜」で、料理の語は葬儀などを「処理」するという意味みたいですね、だから口語で使うと人頃シの意味になるんだとか、ならないんだとか(・・)

  • @宴は終わったが
    @宴は終わったが Před 2 lety +6

    動画拝見しました。内政もさりながら外交についてもかなりすごいと思います。
    ヨーロッパであればもっと有名な人物となったかもしれませんね。

  • @thor0610102
    @thor0610102 Před 2 lety +6

    管仲の動画、ありがとうございます。
    動画を見ていて「管仲と鮑叔牙のような政治家達は今の時代にも必要だろうな」と思いました。
    有能な政治家も1人ではできることも限られているし、独裁は腐敗するのも早いですからね。

  • @user-vc6ps5tg1d
    @user-vc6ps5tg1d Před 2 lety +3

    「管仲が三貴を処して逝かなかったのは手落ち」みたいな主張を見たことがあるなあ……

  • @user-kg3tr3ms8c
    @user-kg3tr3ms8c Před 2 lety +6

    遂に天下の名宰相管夷吾、有り難う!!
    管仲・晏嬰ともに「民を先にす」という政治を行い、姜氏斉の繁栄期をもたらした。
    現代にも通ずる、実に理に適った政治であったと言えるのでは?
    あと、主さんの「宰」についての解説は、実にスバラシイ!!👍

  • @michyyoshi4877
    @michyyoshi4877 Před 2 lety +17

    優れた経済政策、人間関係づくりのうまさ、
    強い上昇志向・金・権力欲…
    個人的には田中角栄と重なります

  • @user-vy4pw3vf6j
    @user-vy4pw3vf6j Před 2 lety +4

    久しぶりの春秋

  • @saw196
    @saw196 Před 2 lety +5

    あんなに(斉と)一緒だったのに
    夕暮れはもう違う(末期)色

  • @coldexp7189
    @coldexp7189 Před 2 lety +12

    それにしても、斉の桓公。
    暗君の代表格とされる、蜀の後主・劉禅とどっこいの素質じゃない?
    人の言う事に唯々諾々と従うので、優れた人物がサポートしてくれる間は国を保ったり隆盛したりするけど、その人物がいなくなった後の後継の選択眼は本人には無いという……
    斉桓公自身が管仲が亡くなった後に割と早くに亡くなった事と当時最強国だったお陰で、国が滅亡するまでには行かなかったけど……。

    • @tostom3701
      @tostom3701 Před 2 lety +5

      劉禅「美人で満ちた後宮王に俺はなる!」
      董允「ダメです」
      劉禅「ごめん。言ってみただけ…」
      カニバル公とはレベルが違う

    • @MsSyage
      @MsSyage Před 2 lety

      劉禅との違いは覇気のあるなしかな。管仲のいうことに従ってた形の桓公だけど、そも覇者になることは桓公の望みだったっぽいのよね。いわゆる戦略目標を決定するのは桓公で、管仲はそれに至る戦術全般を委任された形。
      劉禅や、晏嬰の補佐受けてたのに暗君呼ばわりされる景公は、そうした戦略目標の決定なんかも家臣任せにしてた。その辺が暗君呼ばわりされるか否かの違いなんだろうね

  • @user-ml9lk1zg6t
    @user-ml9lk1zg6t Před 2 lety +17

    管仲を用いた、その一点だけで桓公は名君ですよ。

    • @user-vf1xu2jp4d
      @user-vf1xu2jp4d Před 2 lety +4

      管仲は老いた、と最後の助言を守らなかったのが桓公の唯一の汚点。

  • @user-jd1ye1ip6b
    @user-jd1ye1ip6b Před 2 lety +4

    ついに来た管仲!!
    ということはいよいよ楽毅も近い...?

  • @user-tl3yo3nw7w
    @user-tl3yo3nw7w Před 2 lety +7

    こういう居なくなったら勢力が衰退する名臣って多いよなぁ。今川の雪斎しかり朝倉宗滴しかり。というかこの時代に民の事や経済を中心とした政策を打ち出すとか凄い人物だな。

    • @coldexp7189
      @coldexp7189 Před 2 lety +2

      まあ、自勢力の後継が盆暗で自滅した場合と、敵対勢力の方が力を付けてきて、後継も頑張ったけど太刀打ちできなくなって衰退した場合とでは違う気がするけど……

    • @yuten1992
      @yuten1992 Před 2 lety +2

      結局、時代時代に応じて国力の源泉が何であるかを管仲や名宰相たちがリアリズムで見抜いていたってことだろうと。古代・中世の為政者は、自分の欲得に走るか、理想主義に走るかが多かったんで。その点、個人の視点で機会主義に陥っちゃうリアリストとは違うかも。

    • @user-vf1xu2jp4d
      @user-vf1xu2jp4d Před 2 lety +1

      日本人の優れた為政者や商人の考え方は管子の考え方に近いと思います。

    • @MsSyage
      @MsSyage Před 2 lety +1

      近代までの名臣って基本的に個人の才覚に依存してる場合が多いからね。ただ、そんな突出した才能持ちなんてそうほいほいいるもんではないからその人がいなくなるとあっという間にボロボロになる
      その意味では紀元前に人ではなく法によって政治のシステムを構築した商鞅は偉人だと思うよ。西欧で同種の国家のシステム化が行われたのってプロイセンの登場以降だもの。

  • @user-gp4uy4ng7l
    @user-gp4uy4ng7l Před 2 lety +5

    もし、桓公が斉一国で満足するだけなら〜とあったけど、鮑叔牙でも諌めきれなかったのではないでしょうかね?
    管仲の手腕が凄かった、キングメーカーと呼ぶに相応しいと思います。
    以下、おふざけパート
    鮑叔牙「あなたが斉一国で満足されるなら、補佐は私だけで十分です。しかし、諸侯に覇を唱えるなら、管仲を用いるべきです。」
    桓公「何を言っておる?余は痔ではないぞ。切れ痔でもなければイボ痔でもない。因みに便秘でもない。」
    鮑叔牙「それは、「浣腸」や!!」

  • @user-gx7cr2rh4b
    @user-gx7cr2rh4b Před 2 lety +5

    管仲と鮑叔牙の仲の良さが最早おしどり夫婦のそれで尊さ天元突破や。もしかして桓公コントロールの手腕も当時の鮑叔が自分にしてくれた事を参考にしてたのだとしたら尊死しちゃう…

  • @fal1259
    @fal1259 Před 2 lety +2

    今の時代にも必要な政治家だなぁ。

  • @user-xo3zd1gg5s
    @user-xo3zd1gg5s Před 2 lety +3

    この管仲に自らを例えた、後世の諸葛孔明は、この事実を知っていたのでしょうか。知っていたらば、例えなかったかも知れませんよねえ。
    現代だからこそ伝わってきているこの内容だとしたらば、その桓公に劉備を重ねて考えているのですよね(笑)
    管鮑の交わりが、水魚の交わりに更新されただけな感じがあります。

  • @coldexp7189
    @coldexp7189 Před 2 lety +5

    お、後世で色々と有能宰相の例に挙げられるレジェンド来たな。

  • @mera3012
    @mera3012 Před 2 lety +2

    あのNHKに出演して「おねえさん!」の台詞が有名な喋る黄色い猫

  • @user-mg4fu5wq2o
    @user-mg4fu5wq2o Před 2 lety +9

    桓公「(後任は)何とでもなるはずだ!」
    菅仲「易牙だと!?」
    鳴らない言葉をもう一度描いて♪
    易牙「やっちゃいなよ、そんな偽者(の太子)なんか」
    開方・豎刁「これからが地獄だぞ!」
    ーあざやかな桓公 新たな斉界の始まりー
    桓 公 の ハ サ ウェ イ

    • @c-history
      @c-history  Před 2 lety +3

      これは興行収入20億のオーラ

  • @user-zz4tq5rh2p
    @user-zz4tq5rh2p Před 2 lety +8

    管仲隰朋従、於桓公而孤竹。
    春往冬反、迷惑失道。
    管仲曰、老馬之智可用也。
    乃放老馬而随之、遂得道。
    行山中無水。
    隰朋曰、蟻冬居山之陽、夏居山之陰。
    蟻壌一寸而仭有水。乃掘地、遂得水。
    以管仲之聖而隰朋之智、至其所不知、不難師於老馬与蟻。
    今人不知以其愚心而師聖人之智、不亦過乎。
    要約:人並み外れて聡明な管仲や頭のよさで知られる隰朋でさえ、自分が分からぬ時には、老馬や蟻を先生として学ぼうとした。ところが近頃では、自分が愚でありながら聡明な人の智恵に学ぼうとしないのだから、失敗する、しないどころの話ではない。
    by韓非子「説林」

    • @user-vf1xu2jp4d
      @user-vf1xu2jp4d Před 2 lety +3

      歴史を学ぶ事は知識
      歴史から学ぶ事は知恵

  • @user-lw5sd7lb4u
    @user-lw5sd7lb4u Před 2 lety +3

    斉の桓公が後継者を定めぬまま没すると、子供達は互いに争い最終的に宋に亡命した太子の昭こと考公が即位するまで混乱が続いた。
    その後の斉は覇者としての地位を失い国力は衰え、更に田氏の簒奪が起きると管仲の子孫は魯や楚等に亡命した。
    楚に亡命した子孫は陰太夫の役職を楚王から任じられ、自ら苗字を管から陰に変更した。
    その子孫は荊州の新野に住むようになり、漢世祖光武帝劉秀の皇后である陰麗華(陰光烈皇后)や執金吾で太傅の陰識(陰麗華の兄)や和帝劉肇の陰皇后等が出た。
    その他の子孫には、三国時代に青州に住むも魏の皇帝からの招聘を断り続け、高潔な志を保ちつつ在野で亡くなった管寧が知られている。

  • @user-sl8fs5fp1k
    @user-sl8fs5fp1k Před 2 lety +7

    後土御門帝「気の毒な最期よ」
    そして田斉に乗っ取られるのであった

  • @user-oi5dt9tt8d
    @user-oi5dt9tt8d Před 2 lety +2

    鮑叔牙の意見を容れて管仲を採用した辺りは桓公は度量が広かったと言えようが、その後は魯から奪った地を渋々返還する等管仲のフォローがなければ危なっかしい行動も目立った。このように管仲あっての桓公と言うのは分かるが、鮑叔牙がいなければ管仲が採用されることはなかったから、当然大活躍はなかっただろう。そういう意味では、桓公が覇者になれたのは間接的には鮑叔牙の功績と言えるだろう。

  • @hirosat5269
    @hirosat5269 Před 2 lety +4

    桓公の死体が腐ったのは、「殯(もがり)」の可能性が微レ存

  • @hwainkim6101
    @hwainkim6101 Před 2 lety +7

    名が同じ「夷吾」なのに晋の恵公との名声の差よ

  • @takashi-aoki
    @takashi-aoki Před 2 lety +2

    女の子がやたらやってる目の下のぽっこりは2000年前からブームだったのか。

  • @panda688
    @panda688 Před 2 lety +6

    「衣食足りて礼節を知る 倉廩満ちて栄辱を知る」は人間の原理だと思っていたのだけれど、存外そうでもないんだよな。

    • @user-vf1xu2jp4d
      @user-vf1xu2jp4d Před 2 lety +4

      その言葉だけだと足りないですよね。
      ただ、管子では君主や役人、軍人、商人、職人にもその立場に応じた言葉を残されています。
      人民を甘やかすだけの言葉ではないのが分かりますよ。

  • @GoromakiG
    @GoromakiG Před 2 lety +4

    桓公がそこそこ有能だったり、自己主張が強かったら管仲もここまで活躍できなかっただろうな。
    有能な部下を信頼し、任せられるだけで君主としては十分。
    うちの2代目社長に見習ってもらいたい。

  • @yo-sea-private
    @yo-sea-private Před 2 lety +3

    管鮑の交わり、裏読みすぎかも知れませんが、管仲が矢面に立ちつつ、鮑叔牙が相当に管仲の発言、行動に関わっていたのかなーって思ってます。

  • @rerepopo663
    @rerepopo663 Před 2 lety +17

    トリィは全ガンダムシリーズを通して見ても、アスランが個人的に作った
    謎の超性能ロボットだと思う。

  • @user-tk1ii4mi3h
    @user-tk1ii4mi3h Před rokem +1

    まさに名宰相

  • @user-hj1rp5my5p
    @user-hj1rp5my5p Před 2 lety +5

    36:20
    宰の字が料理人を意味すると知らなかったです。
    もしかしなくても伊尹からきてるって事ですよね?

    • @user-hg1fk7dd4q
      @user-hg1fk7dd4q Před 2 lety

      そういえばあの人も料理人でしたね

    • @user-cj6ts3pq3u
      @user-cj6ts3pq3u Před 2 lety +1

      小刀の象形文字とされますね
      商などは神権政治にて、儀式には当然生贄なども使ったでしょう
      家畜などならおそらくですが最後にはみんなで平らげたはず
      なのでそうした家畜を切り分ける役(切り分けナイフ)が重要となるわけです
      というわけで 宰が「取り仕切る(役)」という意味を帯びたとされますね
      例えば今でも米国ではサンクスギビングデイでは大統領自らが七面鳥を切り分けています

  • @shigeoido7784
    @shigeoido7784 Před 2 lety +3

    管仲は何をもって自制したか?金もいらぬ、名誉もいらぬ、地位もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そんな人でなきゃ真の政治はできないとの先人の言葉。仕える人を牧し政治を楽しむ。人が欲してやまぬものをくれてやるのが実にうまいなあ。誉めすぎかな。

    • @user-vf1xu2jp4d
      @user-vf1xu2jp4d Před 2 lety

      儒教を選んだ中国人よりも、日本人の方が知ってか知らずか、管仲の考え方に近いと思います。
      管仲に共感されている貴方も、管仲の様な生き方が出来ている人だと思います。

    • @shigeoido7784
      @shigeoido7784 Před 2 lety +1

      米倉の天井まで積み、はじめて落ち着き祖先礼拝ができる。空腹をおぼえず、寒さを防ぐ衣服に困らずして、人を思いやり礼節を知る。筆を持ち働かず命令し収奪し、仁義礼節を説く。管仲はこのふたつの礼節の違いにどんな思いをしたか想像できるなあ。

    • @user-vf1xu2jp4d
      @user-vf1xu2jp4d Před 2 lety

      @@shigeoido7784 形骸化してしまっているかもしれませんが、日本の生活保護も同じだと思います。(勿論、改善が必要だと思います)
      自立支援の為の制度として、管子に通じるものがあると思います。

  • @user-gi5nm3pw6v
    @user-gi5nm3pw6v Před 2 lety +8

    一番好きな宰相だ!

  • @takahiroseto4028
    @takahiroseto4028 Před 2 lety +1

    さて、ビール呑みながら中国史を楽しむ時間がやってきました!

  • @Dust_of_Mount_Taishan
    @Dust_of_Mount_Taishan Před 2 lety +10

    覇者の概念は現代でいう覇権国家に近いんだろうか?
    あと人間として終わってるような偉人は中華史でも珍しくないからな…
    ボロクソ言われてもまぁ…ね。

    • @user-vf1xu2jp4d
      @user-vf1xu2jp4d Před 2 lety +2

      ボロクソ言ってたのは儒家ですよ。
      孔子の聖人君子を説くために、覇者という(桓公が)偉業を成し遂げた故人をボロクソ言って評判を下げただけです。
      ボロクソの内容だって今聞けば『え?何が問題なの?』ってレベルです。

  • @intelljp
    @intelljp Před 2 lety +3

    管仲は、周穆王の子孫で、一応、大夫階級です。ただ、父親の代で没落して貧乏だった。

  • @user-br1wx3ds8h
    @user-br1wx3ds8h Před 2 lety +6

    国境の件とか、管仲の常識外の提案をしっかり採用する桓公の評価はもう少し高くてもいいと思う

  • @user-en2zr7yl9e
    @user-en2zr7yl9e Před 2 lety +2

    有能さが溢れ出した傑物って感じですね。
    今の日本に登場してもらいたい❗

  • @affa1134
    @affa1134 Před 2 lety +7

    管仲・楽毅は諸葛孔明が自らをなぞらえたことで、ずっと脳裏に焼き付いていた名前だった。とてつもない宰相だったんだなぁ。

    • @user-vf1xu2jp4d
      @user-vf1xu2jp4d Před 2 lety +2

      能力の高さもさることながら、臣下として死ぬまで主君を立てる忠臣であったことをなぞらえたのでしょうね。

  • @user-pf1ii4mg1q
    @user-pf1ii4mg1q Před 2 lety +6

    孔明「管仲パイセン流石ッス。でも馬鹿をコントロールするのもホント楽じゃないっすよねぇ〜」