第162回「無我とは?」2021/6/17【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師

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  • čas přidán 15. 06. 2021
  • 本日の管長日記は、「無我とは?」です。
    最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
    本日もよろしくお願いいたします。
     
    ■管長日記「無我とは?」
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    無我ということは、仏教の教えの中でも中核であります。
    よく「無我夢中」などと言ったりします。
    無我夢中で働いていたなどと日常でも使っています。
    無我夢中とは『広辞苑』では、「我を忘れるほど、ある物事に熱中すること」と説明されています。
    では、無我とはどういうことかというと、
    『広辞苑』には、
    「我意のないこと。無心なこと。私心のないこと。」
    「我を忘れてすること。」
    それから仏教語として「我の存在を否定すること。無常・苦と共に仏教の根本思想の一つ。我は人間存在や事物の根底にある永遠不変の実体的存在(アートマン)。」という説明がございます。
    『広辞苑』に、「無常」「苦」とともに仏教の根本思想とありますように、諸行無常、諸法無我、一切皆苦ということは、仏教の根本の教えなのであります。
    もう少し仏教語として無我の意味を考察してまいりたいと思います。
    岩波の『仏教辞典』には、
    「最初期の韻文経典(とくに『スッタニパータ』など)に,無我はさかんに説かれ,その大多数の資料によれば,<無我>は執着(しゅうじゃく)ことに我執(がしゅう)の否定ないし超越を意味し,そのような無我を実践し続けてはじめて,清浄(しょうじょう)で平安なニルヴァーナ(nirva,涅槃(ねはん))の理想が達せられるという」
    と解説されています。
    「我」については、「原語の<アートマン>はドイツ語のAtem(動詞形atmen)と同じく、もと気息、呼吸の息を意味し、生気・本体・霊魂・自我などを表す。インドの諸哲学が個人をさらに掘り下げて、常住・単一・主宰のアートマン(我)を最重視し、それをめぐって展開するのに対して、仏教はそのような<我>は否定し、我・自我そのものを諸要素の集合と扱う」と説明されています。
    「我」とは、「常一主宰」という説明がなされています。
    「常」は、常にあり、変わることがないという意味であります。
    「一」はそれ自体でなりたつものという意味であります。
    「主宰」というのは、常に主宰となるものであって、他からの支配や影響を受けないという意味であります。
    そこで、我執とは、自分がいつまでもあり続けると思い込むことであり、自分は一人で生きていると思い込むことであり、なにもかも自分の思い通りになると思い込んでいることを表しています。
    これが迷い苦しみの原因なのであります。
    自分がいつまでもあり続けて欲しいと願って、昔から不老不死の薬を求めたりしてきました。
    秦の始皇帝が、不老不死の薬を求めて徐福を遣わしたという話は有名であります。
    しかしそんなものは見つかりません。
    今の時代でもそうであります。
    秦の始皇帝を笑うことはできません。
    なんとなれば、アンチエイジングなどいって、いつまでも若く保とうと努力しているのであります。
    自分は一人で生きているのだ、自分の思うようになるのだと思い込むことも多くありましょう。.
    これが仏教で説く「我」なのであります。
    逆に無我というのは、いつまでも永遠に生きていることはない、やがて老い病になり死を迎えるはかなくもろいものだ、一人では生きられない、多くの人や物にささえられているのだ、自分の思うがままにはいかないのだという物の見方のことなのであります。
    これを諸法無我と申します。
    仏教では諸行無常と諸法無我と、涅槃寂静の三つを三法印と申しまして、もっとも大切な教えとしています。
    諸行無常とは、「つくられるものは移りゆく」ということです。
    私達自身が、毎日毎日、いや刻々と一瞬一瞬に変わっていっているのです。
    今日と同じ明日が来るとは限りません。
    今日は今日限りなのです。そう思うと、今日の一日を大事にしなければいけないという自覚になります。
    諸法無我というのは、「この世にあるものひとりあらず」という真理です。
    自分だけで存在しているのではないのです。
    まず両親のおかげで今の命があります。
    今日までどれだけ多くの方々のお世話になってきた、計り知れません。
    「箱根山 籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋作る人」というように、今この建物にいるにしても、どだけ多くの人がその建設に関わっているか、計り知れないほどなのであります。
    自分が一人でいるように思っても、決してそんなことはなく、たくさんの方々のお蔭で、多くのものの関わり合い、組み合わせになかに生かされているのであります。
    涅槃寂静のことを「己れなき者にやすらいあり」とも申します。
    私達は刻々に移り変わっているし、おおくの人や物に生かされているのです。
    そうであれば、大事な自分の命というものを、自分だけのものとするのではなく、みんなのために尽くそうという気持ちになるものです。
    そういう実践行が出てきて、はじめて無我なのであり、真の安らぎなのであります。
    最近読んでいる『ブッダが見つけた四つの真実』というチベットのお坊さんが書かれた本には、三法印に「一切皆苦」を加えて、四法印として、四つの真実がとかれています。
    この本には、この四つの真実を分かりやすく、
    「組み合わせによって成り立つすべてのものは無常である。
    すべての感情は苦である。
    すべてのものは本質的は存在しない。
    涅槃とは概念を超越したものである。」
    と説かれています。
    このような四つの真理に目覚めて、我に対する執着を離れるのです。
    なかなか、この「我」に対する執着を離れる事は難しいので、せめて森信三先生が説かれたように、「「我を捨てよ!」とか「無我になれ!」などというよりも、むしろ相手の気持ちになり、相手の立場を察するように」というところから、日々実践を心がけたいものであります。
    横田南嶺
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