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「はい、津波来るから逃げなさい」しっかり指示できるこんな上司はホントに素晴らしいと思った
津波くる。電気止めて。避難。
最初の地震の強さで津波が来ると判断して皆を安全なところへ避難させた撮影者の人を自分は尊敬します。
本日新潟にて被災し、近隣小学校へ家族で避難した者です。
あの日小学4年生だった私は、地震で今にも崩れそうな建物を見ながら大人たちに守られていました。まさかあのあと津波が来るなんて頭は、小学生の私にはありませんでした。校庭に避難したあと親が迎えにきてくれて、一旦家に帰り車で避難しました。しかし、避難途中で車がすごい渋滞。またガソリンが少なくなってたので、ガソスタに行くことになりました。戻って右に曲がった瞬間、津波が来てました。マンホールからは水が溢れ出し、父は無我夢中でハンドルを切り、何とか逃げ切りました。逃げた先には、歩いて逃げた人、なんとかギリギリで逃げれた人、いろんな方がいました。焚き火をしてみなさん暖まってるのを車から見ることしかできませんでした。その数日後学校に避難しました。食料などは、ヘリコプターがきたら体育館に行って、もらえるというような感じでした。先生方が配ってくれるのですが、子ども優先でということで、当時小学生だったので取りに行きました。数日間学校で過ごしたのち、親戚が迎えに来てくれて、その流れで大崎市に一旦引っ越しし、友達の安否もわからないまま転校しました。本当に悲惨でした。なんの判断もできない当時の私を救ってくれた大人たちには感謝してます。しかし、救われなかった多くの子ども、大人、動物、たくさんの命が無くなりました。震災から10年が経とうとしてる今、被災地ではもう震災を経験してないこどもたちがいるということを考えると、このことを後世に伝えていかなければと思います。本当に1人1人の意識が、命を守ると思います。みなさん、逃げる時はできるだけ車で逃げてほしくないです。時と場合にはよりますが、渋滞で津波に巻き込まれて、車から遺体でみつかった方々がたくさんいるのです。助かった命も、、まさかあんな津波がくるなんて、誰が想像していたでしょうか。一瞬でなにもかも、無くなるのです。大切な人の命を守るために、できること。考えたら色々あると思います。災害マニュアルだけが正しいとも言えません。避難指定場所も、そこが津波の避難指定場所なのかなど確認してください。私は今年で20歳になります。今年はコロナなどで大変な年になってしまいましたが、まだまだ楽しみたいこともあります。幸せになりたいです。些細なことですが…みなさん、どうか生きてください。長々読んでくださり、ありがとうございます。
「止めてくれー!」「おさまってくれー!」
男性のなく声がとても悲しくて「収まってくれ!!収まってくれ!!」と叫ぶ声が心に突き刺さりました。
さいとう製菓さんへ
『逃げよう!』ではなく『逃げなさい』
「逃げろ!」 「津波くる!」 「電気止めて、逃げて、避難!」非常時に端的にわかりやすく指示を出してるの本当凄い
大人の方が本気でなく声を聞いて
逃げろ!と言っていた会社、たまたまその日の朝礼で非常用品を持ち出す係を決めていたらしい。実際に災いが起こるとなると持ち出す余裕がなかったみたいだけど、ほんとにしっかりしてる会社だと思う。
この方の「逃げなさい」で生死が別れたと思うと、本当に怖い…。
最初に出てくる避難指示を出してる人は銘菓「かもめの玉子」の社長さんだった気がします。
こういう上司がいる所で働きたい。たとえ、避難して結果津波が来なくてもその人を責めずにみんな無事で良かったって思えるように。大丈夫だろうとか油断しないでまずは動く、大事ですね。
10年以上過ぎた今、この動画を見たが涙が出る
私は当時福島の小学生でした。
最初の映像は社長さんかね
本当にこの映像を見ると苦しくて涙が止まりませんでした。あまりに残酷で一瞬にして何もかも奪ってしまったこの災害🥲1分前と1分後で世界が変わってしまう脅威にただただ胸が締めつけられます。東北の方々がこの災害の中たくさん亡くなられ本当に心からお祈り申し上げます。そして今も生きて生きて精一杯生きてくださる皆さんを心からお一人お一人のこれからの人生をお祈り申し上げます。今も生きてくださってありがとうございます。
6:19
「はい、津波来るから逃げなさい」しっかり指示できるこんな上司はホントに素晴らしいと思った
津波くる。電気止めて。避難。
最初の地震の強さで津波が来ると判断して皆を安全なところへ避難させた撮影者の人を自分は尊敬します。
本日新潟にて被災し、近隣小学校へ家族で避難した者です。
あの日小学4年生だった私は、地震で今にも崩れそうな建物を見ながら大人たちに守られていました。まさかあのあと津波が来るなんて頭は、小学生の私にはありませんでした。校庭に避難したあと親が迎えにきてくれて、一旦家に帰り車で避難しました。しかし、避難途中で車がすごい渋滞。またガソリンが少なくなってたので、ガソスタに行くことになりました。戻って右に曲がった瞬間、津波が来てました。マンホールからは水が溢れ出し、父は無我夢中でハンドルを切り、何とか逃げ切りました。逃げた先には、歩いて逃げた人、なんとかギリギリで逃げれた人、いろんな方がいました。焚き火をしてみなさん暖まってるのを車から見ることしかできませんでした。その数日後学校に避難しました。食料などは、ヘリコプターがきたら体育館に行って、もらえるというような感じでした。先生方が配ってくれるのですが、子ども優先でということで、当時小学生だったので取りに行きました。数日間学校で過ごしたのち、親戚が迎えに来てくれて、その流れで大崎市に一旦引っ越しし、友達の安否もわからないまま転校しました。本当に悲惨でした。なんの判断もできない当時の私を救ってくれた大人たちには感謝してます。しかし、救われなかった多くの子ども、大人、動物、たくさんの命が無くなりました。震災から10年が経とうとしてる今、被災地ではもう震災を経験してないこどもたちがいるということを考えると、このことを後世に伝えていかなければと思います。本当に1人1人の意識が、命を守ると思います。みなさん、逃げる時はできるだけ車で逃げてほしくないです。時と場合にはよりますが、渋滞で津波に巻き込まれて、車から遺体でみつかった方々がたくさんいるのです。助かった命も、、まさかあんな津波がくるなんて、誰が想像していたでしょうか。一瞬でなにもかも、無くなるのです。大切な人の命を守るために、できること。考えたら色々あると思います。災害マニュアルだけが正しいとも言えません。避難指定場所も、そこが津波の避難指定場所なのかなど確認してください。私は今年で20歳になります。今年はコロナなどで大変な年になってしまいましたが、まだまだ楽しみたいこともあります。幸せになりたいです。些細なことですが…みなさん、どうか生きてください。長々読んでくださり、ありがとうございます。
「止めてくれー!」「おさまってくれー!」
男性のなく声がとても悲しくて「収まってくれ!!収まってくれ!!」と叫ぶ声が心に突き刺さりました。
さいとう製菓さんへ
『逃げよう!』ではなく『逃げなさい』
「逃げろ!」 「津波くる!」 「電気止めて、逃げて、避難!」非常時に端的にわかりやすく指示を出してるの本当凄い
大人の方が本気でなく声を聞いて
逃げろ!と言っていた会社、たまたまその日の朝礼で非常用品を持ち出す係を決めていたらしい。実際に災いが起こるとなると持ち出す余裕がなかったみたいだけど、ほんとにしっかりしてる会社だと思う。
この方の「逃げなさい」で生死が別れたと思うと、本当に怖い…。
最初に出てくる避難指示を出してる人は銘菓「かもめの玉子」の社長さんだった気がします。
こういう上司がいる所で働きたい。たとえ、避難して結果津波が来なくてもその人を責めずにみんな無事で良かったって思えるように。大丈夫だろうとか油断しないでまずは動く、大事ですね。
10年以上過ぎた今、この動画を見たが涙が出る
私は当時福島の小学生でした。
最初の映像は社長さんかね
本当にこの映像を見ると苦しくて涙が止まりませんでした。あまりに残酷で一瞬にして何もかも奪ってしまったこの災害🥲1分前と1分後で世界が変わってしまう脅威にただただ胸が締めつけられます。東北の方々がこの災害の中たくさん亡くなられ本当に心からお祈り申し上げます。そして今も生きて生きて精一杯生きてくださる皆さんを心からお一人お一人のこれからの人生をお祈り申し上げます。今も生きてくださってありがとうございます。
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