19860914 全日本RR第11戦鈴鹿 250cc

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  • čas přidán 29. 09. 2017
  • 1986年9月14日に開催された、全日本ロードレース第11戦鈴鹿日本GP。
    いよいよ最終戦。250ccは、WGPからランキング1位のラバード選手、2位のポンス選手、4位のマンク選手、元カワサキのチャンピオンー、コーク・バリントン選手も参戦。
    国内のランキング争いでは、ヤマハの長谷川選手と片山選手の一騎打ちに。
    レースは、ラバード選手の完勝。ホンダの清水選手も転倒さえなければ表彰台が見えてましたね。
    全日本選手権チャンプ争いのヤマハの二人は、長谷川選手が奥村選手と接触、片山選手が年間チャンピオンとなりました。この三人全員YZRでした。
    始動性の悪かったYZR250を即がけできるラバード選手を見て、全日本の三人もスタートよければもっと違った展開あったかなと想像したものです。86YZR250の赤ゼッケン№2、9、98どれもかっこよいと思うのは、磐田党だからだけとは思いません。

Komentáře • 27

  • @user-rf3fq6eq1v
    @user-rf3fq6eq1v Před rokem +2

    この頃が一番面白かったなぁ
    強い外国勢に挑む日本勢って感じで…
    鈴鹿のレースはほとんど見に行ってた
    サンデーも!

    • @50yamahasukider51
      @50yamahasukider51  Před rokem

      生で見られていたのは、本当にうらやましいですね。あのころは、TVからだけでも熱気は伝わってきました。

  • @user-ee4qk7ht9k
    @user-ee4qk7ht9k Před 4 lety +9

    この年、清水はムラっ気があって転倒がおおかったが、完走したレースは全て優勝🏆
    そして翌年は圧倒的な強さで全日本チャンピオンを獲得した。
    蛇足だが、始動性の悪いYZR250だがラバードのマシンのみ実はYPVSが装着されてなかったらしい。
    86年は色んな意味でエポックメイキングな年だった。
    スペンサーの不振。
    ケニーが監督として500CCクラスに参戦開始。
    平のグランプリ初優勝。
    清水の台頭。
    スーパースプリントで突如現れた本間。
    時代の転換期だった。

    • @50yamahasukider51
      @50yamahasukider51  Před 4 lety

      確かに時代の変わり目だったのかもしれませんね。YPVSの話ですが、興味あります。どなたか排気系得意な方がいらっしゃれば、機序教えてもらえるとありがたいです。

  • @black-knight_03
    @black-knight_03 Před 2 lety +3

    サムネイルでラバードが02番?01番は誰?ってなった。まさかのバリントンでこの時点でまだ現役やったんやってなりました。しかもホンダ。

    • @50yamahasukider51
      @50yamahasukider51  Před 2 lety +1

      バリントンがNSRというのが違和感たっぷりでしたね。

  • @s33sat
    @s33sat Před 3 lety +3

    WGPのシーズン終了後日本に世界のトップライダー来てたよなぁ まだWGPが日本開催なかったしまだ押しがけ時代だね。

  • @anglerfishyukarin2386
    @anglerfishyukarin2386 Před 3 měsíci +1

    太陽の男、カルロスラバード
    ほとんどノーマルのTZでNSRを追いかけた85シーズンを経て、ついにワークスYZRを手に入れた86は突き抜けていた

    • @50yamahasukider51
      @50yamahasukider51  Před 3 měsíci

      1985年の悔しさをはらしましたね。たらればですが、86YZR250&NSRで両者の対決を見たいです。
      1985年に先行開発のV2TZで走ったこともあったような記憶がありますが、資料が手元にないのが残念。どこかに動画あれば見たいです。

  • @koucyannman
    @koucyannman Před 4 lety +9

    250が一番かっこよく見えたのはなんでなんだろ

  • @hutaro00yanagi
    @hutaro00yanagi Před 4 lety +2

    エントリー台数がすごい。このくらいの時代の500は10台前後でお寒い状況だったのに250は盛況だった

  • @ehatovcat7037
    @ehatovcat7037 Před 4 lety +2

    改めて今見るとGPトップライダーはコーナー侵入時
    どんな状況でも本当に失速感が無いよなあ。
    そこでのコンマ2、3秒の差の一周の和が日本人ライダーとの差だったのだろう。

  • @---nw2sd
    @---nw2sd Před rokem

    マンクの笑顔は今でも覚えてます
    シトポンス ラバード バリントン 豪華ですね

    • @50yamahasukider51
      @50yamahasukider51  Před rokem

      そうそうたるメンツが、日本の国内レースに出てくれる。時代ですね。

  • @19581025masako
    @19581025masako Před 4 lety +4

    この年のラバードは速かった。始動性の悪さなんて何のその。スタートから独走も珍しくなかった。如何に始動性が悪かったかは、ウィマーと平選手が
    苦しんだ事実が物語っている。願わくばこの時のラバードと85年のスペンサーの対決を見て見たかった。

    • @user-ee4qk7ht9k
      @user-ee4qk7ht9k Před 4 lety +1

      実はラバードのマシンのみエンジンにYPVSが装着されてなかったらしいです。
      押し掛けでパワーバルブが全閉だとすると、圧縮比が高過ぎたのかもですね。

  • @50yamahasukider51
    @50yamahasukider51  Před rokem

    勘違いして「子供向け動画」に設定していたらしく、コメントが消えてしまいました。これまでコメントしていただいた皆様、申し訳ありません。

  • @user-jh9ru6bh8z
    @user-jh9ru6bh8z Před rokem +2

    今でも思うのは、同爆で始動性最悪だがクソ速いyzr250に清水が乗ってたらどうだったか……

  • @user-ir8nf4tm2o
    @user-ir8nf4tm2o Před rokem +1

    この年のYZR250の始動性の悪さと加速の速さは普通では無かった。ピットで見ていたがゼッケン2と98がスタート直後エンジンが掛からず、取り残された2台が無人のコースで押し掛けを続け、ヤマハ終わったと思ったがストレートでごぼう抜き、ワンツーで勝った事があった。YZRと平選手は押し掛け廃止と全日本筑波でレース前のフリー走行要請で世界GP、全日本両方を変えました。現役の頃は押し掛け廃止は残念に思った。

    • @50yamahasukider51
      @50yamahasukider51  Před rokem +1

      押し掛け廃止は、安全性を考えればその通りなのですが、ある意味レースの一部でしたからね。現役の方の意見がいただけてありがたいです。

  • @user-wi6hb2tj2q
    @user-wi6hb2tj2q Před měsícem +1

    ベネズエラの星😂✌️🏍️💨💨💨

    • @50yamahasukider51
      @50yamahasukider51  Před měsícem

      正に!陽気さの中に勝負師の顔が印象的です。

  • @hirokmt
    @hirokmt Před rokem

    シケインの転倒したあとマシン蹴っ飛ばして長谷川選手がヤマハをクビになったレース。

  • @user-cj3zb4ok7v
    @user-cj3zb4ok7v Před 5 lety +1

    gpライダーには一度も勝てなかったよなぁ