「お血脈」五代目 三遊亭 圓楽【落語】

Sdílet
Vložit
  • čas přidán 10. 09. 2024
  • 「お血脈」
    善光寺はお血脈の御印というのを一分で売り出した。額にこの御印を押してもらえば大罪を犯した者も極楽往生できるけっこうな代物。罪深き者、罪もない老若男女もこの御印を押してもらいに続々と善光寺に押し寄せた。御印の効果は抜群で御印を受けた者は極楽浄土へと行ってしまい地獄は開店休業。三途の川の正塚の婆さん、懸衣の爺さんの収入はなく鬼の金棒は供出させられて売っ払っらわれ赤鬼は高価な虎の皮のパンツははけずよれよれの越中ふんどしで我慢、やせ細った青鬼はさらに青くなった。
    五代目 三遊亭 圓楽
    1933年1月3日東京生まれ
    六代目三遊亭圓生に入門
    上野鈴本演芸場で落語を見て「戦争ですべてを奪われ暗い顔をした人々にこうやって笑いを起こさせることができる落語はすごい」と落語家になることを決意した。落語家になって数年経っても「噺は上手いが圓生の真似だ」と言われ圓楽自身も悩みストレスで一時は体重が48kgになったり自殺未遂をしかけるほどだった。しかし母親から「お前は名人だよ」と言葉をかけられ自分にはこんなに気遣ってくれる人がいるのだという思いで、なんとかスランプを脱出。後にそれをネタにして若き日の自己のキャッチフレーズを「名人圓楽」とするが師匠などから「若手の分際で名人とは生意気だ」と怒られキャッチフレーズを「星の王子さま」に変更した。一時期は事実上テレビ専業の「落語家タレント」であった一方でレギュラーは多くバラエティ、ドラマと何でもこなした。「落語界・寄席でタブーとされることを全部やってやる」「寄席の価値観の逆をやる」という戦略をとり瞬く間にスターとなった。例えば「キザ」という価値観は寄席では排除されるものだが圓楽はあえてキザであり続けた
    7代目立川談志、3代目古今亭志ん朝、5代目春風亭柳朝(柳朝休業後は8代目橘家圓蔵)とともに「東京落語四天王」と呼ばれた
    Music:BGMer bgmer.net
    #落語 #お血脈 #圓楽

Komentáře •