【ゆっくり解説】昭和時代の「変わった仕事」~13選 令和ではありえない

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  • čas přidán 22. 08. 2024

Komentáře • 129

  • @user-be3px9uu3s
    @user-be3px9uu3s Před rokem +7

    昭和生まれなので、貸本はよく借りました。

    • @user-yu4tc5ex5q
      @user-yu4tc5ex5q Před rokem +2

      風呂屋の前の貸本屋は儲かったらしいですw

  • @user-bw4rd8gq2v
    @user-bw4rd8gq2v Před rokem +13

    ちっちゃい頃紙芝居は何回か見た。
    傘の修理屋さんは実際修理に出した記憶有り。

  • @ibukino-sashimogusa
    @ibukino-sashimogusa Před rokem +8

    タイプライターもワープロも全ての漢字が揃っていた訳でもなかったから、ゴム印が子供の積み木のように沢山ありました。漢字が無いと文書の言いまわしを変えたり、ワープロなら文字を外字で登録したりそれなりに大変でした。
    字が上手な人が重宝されていましたし、街の印刷屋さんや看板屋さんに頼みに行ったり、印刷物を取りに行ったりしてました。
    当時は毎日残業してて、土曜日は半ドンで午後から会社の草野球チームの練習で、日曜日は遠征して他社のチームと試合したりと、今から考えるとよくやっていたと思うよ!

  • @user-qm9fq7dl9y
    @user-qm9fq7dl9y Před rokem +27

    今の時代こそ、修理系の職業が必要だと思う。

  • @tubure_manju
    @tubure_manju Před rokem +4

    紙芝居のオッチャン好きだった…
    毎日楽しみにしてて、私達子供と一緒に集まった大人にも見ていって!と声かけされてたフレンドリーな爺さんだったけど、
    その爺さんは戦後直ぐから紙芝居やってたらしく、戦後の皆貧乏時代はタダ見しようとすると棒を振り回して怒ってたらしい。
    ソースは昭和23年生まれの父。
    その紙芝居のオッチャンが観覧料がわりに売ってた酢昆布と水飴、二度と食べられないけど本当に美味しくて好きだった。

  • @user-sz4hn8sm6f
    @user-sz4hn8sm6f Před rokem +6

    講談は結構面白いし、たまにテレビでも見られます!

  • @greenwings1653
    @greenwings1653 Před rokem +4

    打検士と言う仕事もあまり聞かなくなりましたが、とても大切な仕事でしたね。

  • @user-pt6gc8ge5g
    @user-pt6gc8ge5g Před rokem +6

    紙芝居屋とか私が幼い頃、まだ若干いらして聞き終わると型抜きのラムネ菓子を買ってたなぁ。

  • @abbtk14
    @abbtk14 Před rokem +11

    学生の頃のイベントで活弁付き時代劇モノクロ無声映画を観た事がありますが、チンドン屋の曲などと組み合わされ朗々とした名調子で想像以上に傑作でした。どこかに動画が残っていて欲しいです…。

  • @chisato-y
    @chisato-y Před rokem +2

    貸本屋あったなあ。よく中学校の近くにあって、学校帰りに寄ってたな。一冊一週間で50円だった。友達同士で交換して読んで返して、また借りて…。昭和と平成のはざまくらいの時代。

  • @yamiyonokarasu
    @yamiyonokarasu Před rokem +8

    小学生の頃、屋台のラーメン屋がチャルメラを吹きながら回ってた😚🍜
    親がよく買って食べてた記憶があります。
    美味かったな〜😌
    車でのラーメン屋、竿竹屋、わらび餅も10年位前までよく見かけてたけど最近めっきり見なくなったなぁ…
    なんか寂しい…

    • @user-sj5fi4jz6o
      @user-sj5fi4jz6o Před rokem +2

      屋台のラーメン屋はある場所に止めて営業しているのはいます。それよりちり紙交換がいない。

  • @user-eh2bw8mt9n
    @user-eh2bw8mt9n Před rokem +2

    バキュームカーはこちら熊本県ではまだたまに見かける。昨日も2台見かけました。汲取式トイレはまだ近所の公園等に多少残っています。

  • @user-ch9hj9py6b
    @user-ch9hj9py6b Před rokem +5

    まだ子どもの頃、母親に連れられて女湯に入っていたら、さらしを巻いたオッチャンがやってきて隣の婆サンの背中を流しはじめた。母があれは三助さんで、細長い流し札を番台で買うと(確か100円だった)背中を流してくれるんだよ教えてくれ、いつかやってもらいたいなと思っているうちにいつの間にかなくなって、三助のオッチャンは廃業するまで裏のボイラーで釜焚きをしていた。時代がもう銭湯を必要としないから、独立することなくボイラーマンとして勤め上げたんだろうなぁ。

  • @user-kd4vu8qd7u
    @user-kd4vu8qd7u Před rokem +5

    ポン菓子屋も来てたな。

    • @user-sj5fi4jz6o
      @user-sj5fi4jz6o Před rokem

      児童公園に機械と小型プロパンを台車に積んで押してきたおじいさんがいた。米と砂糖渡したら50円で作ってくれた思い出。歩いていて事故に遭い来なくなった。

  • @user-lv4sr4fu8j
    @user-lv4sr4fu8j Před rokem +4

    風鈴屋は、映画『深夜食堂』で、多部未華子さんが、風鈴屋から風鈴買うシーン買う印象に残っている!俺が、学生時代まで見たのが、靴磨きとかあった!やすきよの漫才でも、靴磨きのネタがあったのを覚えている!俺は、見たことないけど、スナックや居酒屋に、流しという職業があって、ギターを片手に、お客さまのリクエストに応えてお歌って、お金をもらったとかあった!『夢おい酒』の渥美二郎さんも、元流しって聞いた事があるけど…ちり紙交換も懐かしいよな!

  • @kitaroo999
    @kitaroo999 Před rokem +4

    以前うちでロレックス専門の修理屋をでしてた
    あと国鉄時代の駅員が使ってた懐中時計をうちで独占販売してた。

  • @ahcyunng
    @ahcyunng Před rokem +3

    バキュームカーはさすがに都会じゃ見なくなったなぁ。
    だがウチが昔水洗になっても最初は「浄化槽」だった。

    • @user-sj5fi4jz6o
      @user-sj5fi4jz6o Před rokem

      今は地方都市の街中も下水道工事が進んでいます。

  • @user-hd8kz6ss9h
    @user-hd8kz6ss9h Před rokem +3

    うちの地元まだ汲み取り式の家あるわー

  • @shinobuito9482
    @shinobuito9482 Před rokem +1

    子供の頃見かけた物売り、焼き芋、ラーメン、豆腐屋、八百屋、竿竹屋、富山の薬売り、ちり紙交換?くらいかな。
    今では灯油売り、焼き芋しか見かけなくなった。
    ちり紙交換は一時古紙の買取額が暴落したのを機に見なくなった。
    20キロ位の古紙を出してもポケットティッシュ1個しかもらえなかったのは懐かしい思い出。

  • @hiz2668
    @hiz2668 Před rokem +2

    今はGEO・TSUTAYAとか、レンタルコミックしてますね。

  • @user-kq2me8ut4d
    @user-kq2me8ut4d Před rokem +4

    「こち亀」の両さんもオモチャ修理とかしてましたね
    物売りの声で覚えてるのは「きんぎょ~ェきんぎょ~」とか「さーおだけ~」とかかな

    • @user-sj5fi4jz6o
      @user-sj5fi4jz6o Před rokem

      両さん、安いからね。平均30円。高くて100円。最初にこれは少し高いよといってくれる親切。主婦の鍋の穴ふさぎ30円。超良心的。まあ副業禁止だけど。

  • @Legendary_mapo_tofu
    @Legendary_mapo_tofu Před rokem +5

    子供の頃、猛スピードで走り去っていく竿竹屋の存在が謎で仕方が無かったですね
    たまたま自分が住んでいたところは売り場ではなかったと今は思っていますが

    • @mizutansan594
      @mizutansan594 Před rokem

      あれは何かの用事で走る時にせっかくだからと音声を流しているだけですよ。『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』という本にあります。実際に呼び止めてみると物干し竿を持っていないなんて事もあるようです。

  • @user-dg4yf9ne2j
    @user-dg4yf9ne2j Před rokem +2

    ガミラスのドメルさんは自分でタイプライターを打っていましたね。骨董品を重んじる人だと思いました。そういえばポン菓子屋いなくなりましたね。お米と砂糖を持っていった記憶があります。

  • @garisan7476
    @garisan7476 Před rokem +5

    今ではほとんどいなくなったんじゃないでしょうか?
    昭和と言えば「路上靴磨き」40年代幼少期に商店街路上とかで見た記憶有ります。

    • @user-sj5fi4jz6o
      @user-sj5fi4jz6o Před rokem +1

      駅前にいましたね。かかととかの修理も承っていたよ。

  • @user-ip6dl2ni3j
    @user-ip6dl2ni3j Před rokem +5

    驚き 桃の木 山椒の木
    ブリキにタヌキに洗濯機❗️

    言いたいだけ

  • @gurovus1gurovus146
    @gurovus1gurovus146 Před rokem +3

    この動画も紙芝居屋みたいな物

  • @user-os8ig2hd9u
    @user-os8ig2hd9u Před rokem +3

    貸本屋はコミックレンタル、漫喫として生き残ってるよね。

  • @takun75
    @takun75 Před rokem +3

    最後のワープロは懐かしい
    実家にあったな

  • @kamimiso9
    @kamimiso9 Před rokem +2

    活弁士が解説する映画(サイレント映画)に対して、現在の映画である音声付きのものは「トーキー映画」と呼ばれてましたね。
    そのトーキー映画ヘの変革期を題材にしたTVドラマに、NHK連続テレビ小説「ロマンス」がありました。
    あの「おしん」の後番組であり、キャストも榎木孝明、辰巳琢郎、樋口可南子、岸田今日子、中条静夫、岡田真澄などの豪華なラインアップで揃えておりました。
    当時の私は小学生で、連続ドラマ初の歌詞付きopテーマ(ちなみに男女デュオで男性のほうは主役の榎木が歌った)に送られて登校してました。なので細かな内容まではあまり憶えてないのですが、所々に「トーキー」というセリフがあったことだけはよく憶えています。
    時代背景が昭和ではなく明治末期から大正初期なのですが、タイトル通り、映画に情熱を傾ける男たちのロマンを感じられる良作だと思います😌

  • @Tetla0407
    @Tetla0407 Před rokem +3

    講談師はまだおるで。
    玉田玉秀斎さんとか。

  • @kentac6743
    @kentac6743 Před rokem +4

    SDGsだなんだってクソデカ看板出すなら、一旦昔はどうしてたか考え直した方がいいな。

  • @user-ip6dl2ni3j
    @user-ip6dl2ni3j Před rokem +2

    汚穢屋で思い出す。東京の中央線は都内の汚穢を都下以西の畑へ運ぶ『汚穢列車』だったそうだ。

  • @mikiomori1613
    @mikiomori1613 Před rokem +7

    昭和40年代前半ですが、ベトナム戦争で戦死した米兵の内蔵を取り出して中に綿を詰めるアルバイトがありました。
    当時は、高卒初任給が3万円くらいの時代でしたが、1体で2万円と破格のバイト代でした。まだ、高校生でしたので応募はしませんでしたが、屠殺業の人なら稼げた仕事だったのではないでしょうか。

    • @user-qn1js2dn1g
      @user-qn1js2dn1g Před rokem

      まあ、こう言うコメント覧では、問題ないと思いますが、とさつぎょう、という言葉は、使ってはいけません。

  • @hayatokanekon6339
    @hayatokanekon6339 Před rokem +4

    商売ではないが自分が小学生の頃(昭和50年代)に遠足で長瀞の石畳に行った時、傷痿軍人が募金活動していた。今考えればあれはインチキだったのかも。(軍帽かぶって白い浴衣着て三角巾で腕吊って軍靴にゲートル巻いてた)

    • @user-xb2ep4gz4k
      @user-xb2ep4gz4k Před rokem

      軍人さん燃やしちゃ駄目だよ
      傷痿軍人だよ😅

    • @hayatokanekon6339
      @hayatokanekon6339 Před rokem +1

      @@user-xb2ep4gz4k すいません訂正しておきます。

    • @user-xb2ep4gz4k
      @user-xb2ep4gz4k Před rokem +2

      @@hayatokanekon6339
      私も子供の頃みましたね
      半分インチキでしょうね

  • @user-kd2zr3ij1y
    @user-kd2zr3ij1y Před rokem +2

    昔は汲み取り車が普通だったけど、臭いは結構なもんだったな。水洗世代の姪っ子が初めてあのニオイを嗅いだ時「くさいー!」と大号泣したのを思い出した笑

    • @user-middlemountmirror
      @user-middlemountmirror Před rokem +1

      ウチは場所が悪く(手掘りが必要)7年前にやっと水洗化
      夏もクサいが意外に冬もニオって、ニオイが2階に上がって来た😵

    • @shinobuito9482
      @shinobuito9482 Před rokem

      子供の頃の自宅がボットン便所だった。
      月に一度汲み取りやさんがやってくるとワクワクしたものでした。
      作業中に「奥さーん、水流してー」って言われたら風呂の残り湯を便槽へバケツで投入するのがキマリでしたね。

  • @user-yu4tc5ex5q
    @user-yu4tc5ex5q Před rokem +2

    チンドン屋、石油ショック前後に見た記憶があります

  • @user-gt5fr7eo6q
    @user-gt5fr7eo6q Před rokem +3

    昔は夜行列車とか長距離列車に乗ってると駅に着くと駅弁売りが弁当やお茶、お摘みとかを木箱を首から下げて売りに来てた買いたい時は窓を開けて弁当とか買ってた。弁当売りの上手い人は列車が出発するまでに完売してましたね暗算も早いから不思議とお釣りの受け渡しが間に合ってたのには驚いた

  • @prc148mbitr
    @prc148mbitr Před rokem +2

    昭和47年の北海道生まれなんですが、学生の頃まで馬具屋さんっていましたね。学生カバン修理してもらったことがあります。

    • @mizutansan594
      @mizutansan594 Před rokem +1

      若い頃旭川の方に1件あって見に行きましたがどう使うのか分からない立派な物が沢山ありました。とりあえず愛犬用に首輪を買って帰りました。

  • @user-sz4hn8sm6f
    @user-sz4hn8sm6f Před rokem +3

    講談師は今もいますよ

  • @user-no6bw4io2s
    @user-no6bw4io2s Před rokem +2

    今、西武園ゆうえんちに、昭和初期頃を再現したアトラクションの中に、紙芝居屋さんも居るようです。
    あと、私が通った専門学校の選択科目に、和文タイプ科があり、主に秘書を目指す生徒が履修してましたが、卒業した翌年くらいからワープロが登場したので、選ばなくて良かったと思いました☺️

  • @user-np2iy9ej9f
    @user-np2iy9ej9f Před 6 měsíci

    個人的にはワラビ餅屋さんが好きでした(笑)

  • @ChocoKohne
    @ChocoKohne Před rokem +8

    独特のカホリを振りまいて存在を誇示していたバキュームカーもめっきり見かけなくなったな
    言われてみるとバキュームカーが集結していた基地も無くなっている・・・

    • @yuzuki45510
      @yuzuki45510 Před rokem +2

      田舎では浄化槽に糞尿集めてるのでそれの処理に今もバキュームカーが活躍してますね。

    • @user-bw4rd8gq2v
      @user-bw4rd8gq2v Před rokem +1

      今のバキュームカーは形が変わっている。
      工事現場等で簡易トイレが有るけど、箱トラみたいな車で汲み取りに来る。
      昔みたいなバキュームカーは、糞尿よりも飲食店のグリストラップの清掃業者が多い。

    • @hayatokanekon6339
      @hayatokanekon6339 Před rokem +2

      確か条例でバキュームカーの見た目が悪いのと、停車していると近隣からの苦情があるとの事でタンクの周りとホースをトラック荷台にカーゴを付けてその中に収納して後ろをシャッターにして汲み取り時以外は開けないようにしたらしいです。

    • @mizutansan594
      @mizutansan594 Před rokem +1

      田舎は下水道を通すのも骨だから……。うちの方も計画はあるみたいなんだけど実現するのかなあ。財源が心配。

  • @masterataru5956
    @masterataru5956 Před rokem +1

    よく「あたり前田のクラッカー」と出てくるけど、前田のクラッカーはもう食べられないのかな~?
    食べたという遙か遠い記憶があって、すごく美味しかった気がするのだが。もう一回食べてみたい。
    藤田まことが白木みのるさんと「てなもんやさんどがさ」をしていた時代だと思うのだけれど。
    「豆腐売り」というのはあった。買った記憶がある。自転車の荷台に木の箱があって中には水に浸した豆腐が入ってた。調理用のボールを持って買いに行くやつ。チャルメラみたいなラッパを吹いてて「と~ふ~」と聞こえてた気がする。
    あと、薪や炭を使った風呂釜では煙突があって、煙突掃除屋さんっていたと思う。小型のオート三輪で来てた。
    初期のサザエさんの漫画を見ると、「納豆売り」というのがあったらしい。

  • @nabe9215
    @nabe9215 Před rokem +2

    嘉門達夫のあったらこわいセレナーデに、透明のバキュームカーという唄があったのを思い出した。

  • @user-fz6gm3lt9i
    @user-fz6gm3lt9i Před 8 měsíci

    小さい頃修理屋ありましたがいつの頃消えた❣️

  • @user-un4uy7hr6c
    @user-un4uy7hr6c Před rokem +1

    講談師はテレビで見た事はあるが
    廃れのかな
    でも、迫力のある講談は話だけで引き込まれる

  • @shinobuito9482
    @shinobuito9482 Před rokem

    免許取るときに世話になった「代書屋」も見なくなりましたね。
    昔は、代書屋で活字タイプで打ってもらったラミネート式免許証だった。(昭和60年ころ)
    それが時代とともにワープロ文字に変わり、今の様なプラスチック製の免許証になった。

  • @user-np9og9sw9h
    @user-np9og9sw9h Před rokem +4

    今の時代では金融商品や資産運用はブラックなのが多いからなぁ。でもちょっと大きな金額を預けに行くと銀行で色々と勧められるな。

  • @user-os8ig2hd9u
    @user-os8ig2hd9u Před rokem +1

    車でだけど焼き芋、わらび餅はまだ来るな~

  • @HARU-iq2ur
    @HARU-iq2ur Před rokem +1

    今でも田舎の方だと水洗じゃないトイレは普通にあったりするな。
    わらび餅を売り歩いてる人は、子供の頃はまだいた。結構食べてた覚えがある。
    今のサラリーマンは、頑張っても給料が上がらないってのは世知辛いが事実かも。やる気が出るわけない。

  • @jiro2376
    @jiro2376 Před rokem +3

    三助見習い😳

  • @user-yh7ib5oi9t
    @user-yh7ib5oi9t Před rokem +2

    汚穢屋て裸足のゲンであった。

  • @user-wy9lv9tv9p
    @user-wy9lv9tv9p Před rokem +2

    ワープロことワードプロセッサは、元々パーソナルコンピュータの文章作成機能だけを取り出したものだよね。
    また、同級生は洋傘屋だが、今も傘修理業者と提携しており、店鋪購入した傘を修理してくれます。
    あと余談ですが、父方の実家でやっていた経師 (キョウジ) 屋も今や絶滅危惧種の職業ですよね。

    • @takapin8814
      @takapin8814 Před rokem +6

      順番が逆ですね。
      パソコンの日本語化はワープロの発売よりずっと後です。
      発売当初のワープロはそれだけで大型ブラウン管テレビ位の大きさがありました。もちろんパソコンの一部に納まるわけありません。技術革新でワープロがソフト化されパソコンに吸収されてたのですよ。

    • @sakaejumo6757
      @sakaejumo6757 Před rokem +2

      @@takapin8814 一般の人がワープロ専用機を見かけたり購入できるようになったのがパソコンと基本部分を共通化したりしてコスト削減されてからでしょうから知らないのも仕方ないかも、最初の日本語ワープロなんか当時の価格で500万円を越えていて現在の価格でいうと1千万円くらい?でしたから業界人とかじゃないと縁がない製品でしたね。
      追記 うろ覚えだったので確認しましたが日本初のワープロ専用機は1978年に東芝が発売したJW-10という日本語ワードプロセッサで当時の価格で630万円もする製品でサイズも小型のオフコンみたいなテーブルにモニタとシステム装置が一体化したような製品で「かな漢字変換」と「学習機能」も備わっていたそうです。(変換精度は後のパソコン用の一太郎とかワープロ専用機のオアシスシリーズとかとは比較にならないでしょうけど)
      パソコンだと1981年くらいからFM-8、PC-88など漢字ROM搭載(搭載可能)機が登場して簡易ワープロソフトみたいなものが登場しますが1983年の松、JS-WORD(一太郎の前身)と16bitパソコンの組み合わせが出始めたのがパソコンによる本格的な日本語ワープロソフトの始まりではないでしょうか。

    • @user-wy9lv9tv9p
      @user-wy9lv9tv9p Před rokem

      @@takapin8814
      お言葉を返させていただきますが、順番は逆ではありません。
      何故なら、パーソナルコンピュータが無ければ、ワードプロセッサの変換機能等は誕生しなかった訳ですから。
      確かに機能全体での日本語化は遅いかも知れませんが。
      実際、私の学生時代はパーソナルコンピュータを起動させてから、文章作成を選択するものでした。そのため、漢字変換機能にも限界があり、外字機能を駆使しての漢字作成した思い出が。
      今一度、パーソナルコンピュータとワードプロセッサの変遷について、確認していただいた方がよろしいかと思いますよ。

  • @gon5800
    @gon5800 Před rokem +1

    包丁研ぎ屋?さんがいましたね。はさみとかも扱ってくれて、研がれた直後は切れすぎて怖いと母が言ってました(*'▽')
    自分はチンドン屋さんのあとをくっついて回るのが好きでしたw
    周りの若い子がチンドン屋って何ですか?って聞いてくるくらいに廃れてきてるのが残念です・・・

  • @kinsan-pdk
    @kinsan-pdk Před rokem +4

    大学の同期の実家が「傘屋さん」でした。

    • @kinsan-pdk
      @kinsan-pdk Před rokem +1

      実家の隣が「時計屋さん」でした。
      実家の向いが「和菓子屋さん」でした。
      実家の隣の隣が「バー」でした。
              これは流石に「場ー違い」💧

    • @kinsan-pdk
      @kinsan-pdk Před rokem +2

      実家は、
      かわいいかわいい「魚屋さん」でした。
      魚屋も八百屋もみませんね。

  • @user-xb5vv8eq4b
    @user-xb5vv8eq4b Před 8 měsíci

    いとし・こいし師匠の漫才には金魚売りやたけのこ売りなんてのがしょっちゅう登場した。

  • @HIGHDEN65
    @HIGHDEN65 Před rokem

    わらび餅売りの屋台は、福岡市の天神でまだ見かけます。
    和文タイプは学生会の役員室にありましたが、使う人によって速度が大幅に違い、結局打つのが早い私が一気に文章を清書してました。
    書記でもないのに。

  • @user-ks7xj6eu1z
    @user-ks7xj6eu1z Před rokem +5

    バナナの叩き売り、

  • @ti8201
    @ti8201 Před rokem +3

    もはや昭和時代っていうと大正と同じような扱いで悲しい

  • @kinsan-pdk
    @kinsan-pdk Před rokem +5

    バキュームカーすら最近は見ないです。

    • @user-sj5fi4jz6o
      @user-sj5fi4jz6o Před rokem +1

      見たら鼻つまんで走り抜ける。風下に走り抜けスーハーしたらもろにアンモニアの臭い吸い込む。

  • @megane-tetugaku
    @megane-tetugaku Před rokem +1

    10年程前に傘の修理屋が市内に有った、地方の小都市だけど平成中頃まで有った。
    小さい路地にあり、目につく所に看板が立ってた。

  • @shinobu211
    @shinobu211 Před rokem

    終章、サラリーマン考、のんびりサラリーマン。植木等すーだら節がらみの画像、ちょっと期待しました(笑) そー言えば昭和日本映画取り上げてましたっけ? 探してみますね(^^♪

  • @user-lu8vr1nr4x
    @user-lu8vr1nr4x Před rokem +1

    修理より使い捨てっていう変化はバブル期の流行りを引きずってるもんだと思う。
    同じタイミングで人間は完全に機能を失っても交換せずに修理し続ける事にしたしね。
    これらは一時的なものに戻さないと。

  • @hayatokanekon6339
    @hayatokanekon6339 Před rokem +2

    家の近くに来ていた紙芝居屋さんは先に駄菓子を買わないと紙芝居は見せてもくれなかった。ただ見しようとする子がいたら追い出していた。自分もどんなのか見ようとしたら紙芝居の親父から怒鳴られて追い返された。
    「嫌な紙芝居屋だなぁ」と思っていたら、いつのまにか来なくなってた。😅

    • @user-yu4tc5ex5q
      @user-yu4tc5ex5q Před rokem +3

      優しい紙芝居屋さんは、只見の子供は見えにくい後ろの方だったら黙認だったらしいです。もちろん一杯お菓子買う子供は真っ正面だったとの事

    • @user-du1jb9pz8m
      @user-du1jb9pz8m Před rokem +1

      それと似たようなストーリーを静岡県の原作者のさくらももこの『ちびまる子ちゃん』のTV📺️アニメで放映してたような?記憶があったような?❣️気がしたけど⁉️

    • @hayatokanekon6339
      @hayatokanekon6339 Před rokem +1

      @@user-du1jb9pz8m そうだったんですね。ちびまる子ちゃんは見ていなかったので知りませんでした。何処にもそのような紙芝居屋さんはいたとゆう事ですね😉

  • @zinwakoo8244
    @zinwakoo8244 Před rokem +1

    貸本はTSUTAYAが漫画レンタルやっているな

  • @norikosato7823
    @norikosato7823 Před rokem +1

    婦人子供服を縫う洋裁師と言う職業はまだ生き残っていますか?私の母は昭和5年生まれの洋裁師で、若いころには何日も徹夜して父(1部上場企業の平社員)より高収入だった時も少なくなかったようです。昭和30年代には母に服を縫ってもらいに来る人も多く、洋裁を習いに来る若い女性もいました。しかし昭和40年代に入ったころからだったと思いますが、既製服が出回るようになり、母の仕事の中心は寸法直しになりました。そして昭和40年代後半にはかなり仕事が減り、母の収入源は主にパートの仕事となり、親戚の結婚式に出るときなどに自分と私の服を縫うぐらいになってしまっていました。今でも紳士服はオーダーメイドが高級品と考えられているようですが、婦人服に関しては、オーダーメイドより高級ブランドの方が上のように見られていますよね。寂しいです。

  • @user-ws3wd7dl5q
    @user-ws3wd7dl5q Před rokem

    今でもね、新宿西口のしょんべ...じゃなかった思い出横丁の飲み屋に朝方入ると、仕事終わりのピンク看板のおじさんのヤバい裏話が聞けますよ。
    朝から一生懸命チャリや船の話してて、あぁ頑張らなきゃ堕ちていくのは簡単だと思った初夏の新宿からお送りしました。

  • @sentarou6969
    @sentarou6969 Před rokem

    かつては印刷、出版業界に不可欠な職業が写植オペレーターでした。技術の高いフリーで年商3000万超えの人もいたけど、パソコンが普及したからもういないだろうなあ。

  • @TSUKIAKARI002
    @TSUKIAKARI002 Před rokem +2

    サラリーマンは不滅なのか………

  • @user-yc6pf3tg3c
    @user-yc6pf3tg3c Před rokem

    貸本屋は川崎にまだあるぞ。
    紙芝居屋はタダじゃ見せない。買わない子は見れなかった

  • @user-kp4vh7ht6r
    @user-kp4vh7ht6r Před rokem +1

    とんかつ専門店「かつや」で売っている弁当、その名も「かつ弁」・・「一天俄かにかき曇り・・」なんてしゃべってくれないけどww

  • @user-pz9mh3jr6w
    @user-pz9mh3jr6w Před rokem +1

    貸本屋は蔦屋が今やってるかと。

  • @73thunderroad
    @73thunderroad Před rokem

    和文タイプライター、運転免状の書き換えで試験場行くと受付に鎮座してて
    おばちゃんが申請書の作成?でガチャガチャやってたっけ、珍しくてみてたら
    ”はい、次の方”って短時間で追い出されてしまった。令和の今では見れない光景!

  • @user-xb2xq3wo7m
    @user-xb2xq3wo7m Před rokem +1

    子供の頃、早朝に納豆売りが自転車で回っていた。結婚前にカミさんは和文タイプライターの夜間教室へ、俺は写植の教材で勉強しったけ。

    • @shinobuito9482
      @shinobuito9482 Před rokem

      うちの方は豆腐屋が自転車で夕方廻ってきてたんだけど、たしか藁納豆も売ってたなぁ。

    • @user-xb2xq3wo7m
      @user-xb2xq3wo7m Před rokem +1

      @@shinobuito9482 物売りの声もラッパも聞かなくなりましたね。

    • @shinobuito9482
      @shinobuito9482 Před rokem

      @@user-xb2xq3wo7m さん。
      うちの地元では、灯油を売りに来るタンクローリーが「80日間世界一周」のオルゴールを流しながら巡回してるくらいですな。

  • @user-je2lk8qn5h
    @user-je2lk8qn5h Před rokem

    ⑪小学校で毎月貯金の大切さを教えて、お小遣いを集めてた銀行からの集金人が居ましたね。
    その他に近所にノコギリの刃を研ぐ、目立て師という職人さんが居ましたね。

  • @anewreturner1
    @anewreturner1 Před rokem

    汚穢屋という呼び名があったのは知らなかったですねえ。子供の頃ウンコ屋さんと呼んでいました。きっと今思い出すと徴兵検査で甲種合格だったんだろうと思えるガタイのいいおじさんがリヤカーに樽を満載して運んできて天秤棒に2つぶら下げて各家庭の汲み取り業をやっていました。それから日本語タイプライターというのがあったのは知りませんでした。どうやって必要な漢字の活字の場所を記憶していたのか大したものです。

  • @user-vn1go8ox3s
    @user-vn1go8ox3s Před rokem +1

    真マジンガーで、兜甲児の母親が女将を務める温泉旅館くろがね屋で、その舎弟が三助を。

  • @user-gi1qb6vt8t
    @user-gi1qb6vt8t Před rokem

    戦中・戦後の名横綱・羽黒山が、両国の銭湯で三助をしていたのは相撲ファンの間で有名。その筋骨逞しい姿を親方に見込まれてスカウトされた。
    汚穢屋という単語は初めて知った。
    そう言えば、子供の頃は傘の骨がゆがんだりはずれたりしたら、修理に出していたなあ(…と、遠い眼をする五十路男(^^; )

  • @user-cd2fw4st1n
    @user-cd2fw4st1n Před 5 měsíci

    紙芝居屋さんかぁ。こづかいも貰えてなかったしお菓子を買われへんから後ろのほうで目立たんように観てました。毎日行けるヤツらはオッサンがだすナゾナゾの答えをオッサンが話し終える前に次々に叫びだすからオマケをもろたコトもなかったし

  • @秋月瑞穂
    @秋月瑞穂 Před rokem

    ひいじいちゃんがポン煎餅を街角で売ってたと聞いた。

  • @gurovus1gurovus146
    @gurovus1gurovus146 Před rokem

    活弁士といえば、山崎バニラさん。

  • @user-du1jb9pz8m
    @user-du1jb9pz8m Před rokem

    2番目に出てきた⚖️みたいな桶の仕事はバキュームとはちょっと違うけど?それと似たような物が?TV📺️朝日の『ポツンと一軒家』の番組でそれと似たような道具が出てきたょ❣️何でも🚰汲みにも岩手県の山中にも🏡ので使用してたみたいょ👍️🎶所ジョージの司会進行ので❣️😪💤💤🎵👍️

  • @user-tb1re6wn8p
    @user-tb1re6wn8p Před 11 měsíci

    無くなった商売 ロバの
    パン屋さん サラリーマンは昔 月給取り と言われていましたよ。

  • @user-qs1sk6hx5v
    @user-qs1sk6hx5v Před rokem

    そういえば、昔わたしが子供の
    頃に街のど真ん中に釣り堀がありましたね。
    建物の中に水槽があり、高さが大人の腰ぐらいで直径は何れくらいかは忘れましたが結構大きかったように思います。この水槽のなかの魚を専用の、貸し出しの釣り竿で釣る遊びです。
    料金は時間あたり、いくら の計算だったはずです。
    釣った魚は基本的には持って帰れません。
    と言うか、来ているお客さんは
    魚籠や、クラーボックスなどを持っていた記憶が無いのでそのツモリが端からなかったんでしょう。正直、暇を潰すだけの場所だったのかもしれません。(^_^;)

  • @user-qq5sk3xv4g
    @user-qq5sk3xv4g Před rokem +1

    見なければ、全て綺麗です。(笑)身無けれ場。って意見も(笑)台には、電気とコンピュータしか無いです。裏の悪党も見える。(笑)

  • @southfield-os7sk
    @southfield-os7sk Před rokem

    ガキの頃、セスナ機が店のCMを拡声器で流しながら飛んでたな。
    あれって、1回のフライトで幾らくらいかかったんだろう。

  • @ooutsuke1560
    @ooutsuke1560 Před rokem +4

    水戸黄門の再放送並みのほぼ同じネタの再利用
    最初に紙芝居をやると言ってた奴が舌の根も乾かぬうちに紙芝居について基本的な事を聞く支離滅裂
    話の構成がヘタ

    • @maiza01
      @maiza01 Před rokem +3

      どうどう。
      まあ落ち着きなさい。

  • @user-uo3jf2wc2d
    @user-uo3jf2wc2d Před rokem

    サンドイッチマン、京橋や新世界、西成とかに居るよ

  • @user-me1xk5go8s
    @user-me1xk5go8s Před rokem

    詐欺師になって
    奥さんに殺された
    活弁師がいたような…

  • @user-wb7pn3rt9b
    @user-wb7pn3rt9b Před rokem +2

    よく考えりゃ誰でも解るんだが、収入が低い職業は消滅しただけのことだ

  • @namuyanregistration2636
    @namuyanregistration2636 Před rokem +1

    おっちゃんおばちゃんホイホイ

  • @user-my3sq7so7o
    @user-my3sq7so7o Před rokem +2

    三助は、まだいるぜ
    にゃんこスターのスーパー3助

  • @orz4444
    @orz4444 Před rokem +4

    活版印刷と活字拾いとか、あとアニメのセル彩色。