般若心経解説『お節介訳般若心経』

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  • čas přidán 12. 09. 2024
  • 本文を7つに区切るオリジナルな解説。
    空とは『無限の可能性』。
    無とは『確定性や絶対性それ自体が無い』ということ。
    高知県の日高村にある修験道の僧侶が、できるかぎり解り易く般若心経を解説しています。
    ※(訂正)1:25:15からの図のDの箇所が「Bに対して、大きな視点から~」となってますが、正しくは「Bに対して、小さな視点から~」です。
    護国寺のサイトです→gokokuji.site/h...

Komentáře • 73

  • @user-mh2vx3dj5v
    @user-mh2vx3dj5v Před 2 lety +2

    今までで一番心に落ちた解説でした。最高 人にも教えてあげたい。

    • @谷泰智
      @谷泰智  Před 2 lety +1

      とても光栄です!
      ご自身の営みの場で活かしていただけたら、大変有難いです。

  • @user-zn3ho8nd7y
    @user-zn3ho8nd7y Před 2 lety

    ありがとうございます

  • @kinop-kinop
    @kinop-kinop Před 2 lety +1

    突然、般若心経を学びたくなってここに辿り着きました。初めて般若心経の解説を聞きました。わかりやすく穏やかで自然な語り口で心地よく拝聴しました。丁寧なご解説をありがとうございました。また復習します。

    • @谷泰智
      @谷泰智  Před 2 lety

      ご丁寧にコメント有難うございます!
      ご自身の生活の中で何かしら活かしていただけたら幸いです。

  • @ParaGate999
    @ParaGate999 Před 5 lety +6

    素晴らしいプレゼンテーションです!
    どのスライドもよく工夫されていて、素直に拝聴できました。
    素人には難解な仏教用語も胡麻化さずに説明して頂いて助かりました。
    かつ何より、ご自身の言葉で語っていらっしゃるので心に届きました。

    • @谷泰智
      @谷泰智  Před 5 lety +1

      コメント有難うございます。そう言っていただけると言い方は変ですが僕も何か報われた感じがします。
      この動画が一つの仏縁となって、そちらでの身近な様々な仏教に触れていただけたら幸いです。
      有難うございます^_^

  • @hikotto
    @hikotto Před 3 lety +1

    ありがとうございます。心経を覚えたくていろいろ勉強をしていますがとても分かりやすかったです。いろんな解釈があるのでしょうが、自分にはこの解釈がすっと入ってきました。

    • @谷泰智
      @谷泰智  Před 3 lety

      そう言っていただけて光栄です! ちゃんと中身がありながら、その中身をあくまで前置きとしながら最後の真言に「幸あれ」という善を託しているのが般若心経の懐の深いところだと思います。どうか日常の暮らしにお役立て下さい。

  • @anatokudahatsukosawaiketok8777

    地球の最果てからありがとうございます。muchísimas Gracias por su enseñanza

    • @谷泰智
      @谷泰智  Před 2 lety

      そちらが最果てならこちらも最果てですね、有難うございます。

  • @user-ur9rn9hd9t
    @user-ur9rn9hd9t Před rokem +1

    今、高知県いの市に、います。
    看板拝見しました!
    素晴らしい説法有難うございます!

    • @谷泰智
      @谷泰智  Před rokem

      ローソンの前の看板ですね!
      とても嬉しいです。
      有難うございます。😊🙏🏻

  • @ek2023
    @ek2023 Před 4 lety +2

    初めてコメントします。ある方に般若心経を勧められて、解説サイトを探したところ貴殿の動画を見つけました。初心の私には大変わかりやすく、一気に見させていただきました。「心意識」の教えを通し、空を理屈だけで虚無に陥らないように、利他の実践につなげていければと思います。また、早速笑い飯さんの著書を購入しました。さらに学んでいきたいと思います。謹拝

    • @谷泰智
      @谷泰智  Před 4 lety

      EK様、コメントへの返信が大変遅くなってしまい失礼致しました。ご丁寧にご視聴下さり、誠に有難うございました。
      当時、この動画をアップした数か月に高知県仏教青年会主催の講演会に笑い飯哲夫さんをお招きする運びになっておりましたので、動画内で強くプッシュさせていただいた次第でした。御著書もさっそく購入して下さったようで恐縮です。
      「心意識」のトピックは唯識学のエッセンスを借用したつもりでおります。詳しくは、本家本元の薬師寺の元貫主様が書かれた御本が参考になるかと思われます。僕も大変参考にさせていただきました。
      www.amazon.co.jp/%E5%94%AF%E8%AD%98%E5%88%9D%E6%AD%A9%E2%80%95%E5%BF%83%E3%82%92%E8%A6%8B%E3%81%A4%E3%82%81%E3%82%8B%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%81%AE%E6%99%BA%E6%81%B5-%E6%9D%BE%E4%B9%85%E4%BF%9D-%E7%A7%80%E8%83%A4/dp/4790211037

  • @tactical0820
    @tactical0820 Před 4 lety +1

    香川県丸亀市からお邪魔しました山下です。お忙しい中、いきなりの訪問にも関わらず暖かくお迎えいただき妻ともども感謝、感謝です。ようやくスタートラインに立てたばかりの自分達ですが精進して参りたいと思います。この素晴らしい説法(動画)がもっと沢山の方々の目に触れ、耳に聴こえ、心に収まる事を切に願います。あとファンの1人として、催促ではないのですが最新作も楽しみにお待ちしております(笑)ありがとうございました。

    • @谷泰智
      @谷泰智  Před 4 lety +1

      動画をご覧になってわざわざ立ち寄って下さったのは山下さんが初めてでしたので、本当に嬉しかったです。そして自分もちょうど帰ってきたところでタイミングも合い、本当に良き仏縁に恵まれました。
      お陰様で情報発信のモチベーションがグッと上がりました。
      これからもいろんな寺社仏閣を楽しく巡られて、いろんな宝物を御心のお持ち帰り下さい。^_^
      お二人の益々のご多幸お祈りしております。

  • @siberut76
    @siberut76 Před 6 měsíci +1

    たいへん個性的で味わい深い ご解説です。修験道の お坊さんなんですね。
    (ある変わったお寺に泊まらせて頂いた折、明日にでも おひとりで 長い山籠りに入られるという修験道の若い方と食事をとりながらお話したことがありますが、実にいい眼をしておられたことを思い出します。もちろんそうお伝えしました…) 。
     でも、失礼ですが、いろいろな例えが浅く表面的、という感をぬぐえません。
    お若いため、とも思われます。これから、さまざまな[体験]をされて、身体的・具体的に[体得、会得]することも多かろうと思います。そうすれば、もっと深く重い お話ができるような気がいたします、楽しみです・・・

    • @谷泰智
      @谷泰智  Před 6 měsíci +1

      ご感想有難うございます。
      仰る通り、まだまだ半端な道半ばであります。 精進して参ります。

    • @siberut76
      @siberut76 Před 6 měsíci +1

      おたがい[未熟者]でよいのだと思います。わたしは、もうすぐ74才になる者ですが、まだまだです。【生死一如】で精進してまいりましょう。生かされている限りは持続あるのみです☺🙏・・・@@谷泰智

  • @snapiony
    @snapiony Před 4 lety +2

    とても好きな解釈でした。ありがとうございます。

    • @谷泰智
      @谷泰智  Před 4 lety +1

      こちらこそ有難うございます!

    • @snapiony
      @snapiony Před 4 lety +1

      @@谷泰智 さん。早速のご返信ありがとうございます。般若心経の解釈をするのがすきで、ちょうど私も同じような解釈でブログに書いたところでした。ensound.blog.fc2.com/blog-entry-754.html

    • @谷泰智
      @谷泰智  Před 4 lety

      是非、詳しく拝読させていただきます!
      また、感想をレスさせてもらいますね。

  • @mik874
    @mik874 Před 5 lety +6

    わかりやすかったです!ありがとうございます😊

    • @谷泰智
      @谷泰智  Před 5 lety

      活用していただけたら幸いです。😊🙏

  • @猫-v2g
    @猫-v2g Před 4 lety +2

    自分用 5:30

  • @26c62626yamashita
    @26c62626yamashita Před 4 lety +2

    むずかしい内容ですが 覚えたいです。

    • @谷泰智
      @谷泰智  Před 4 lety +1

      有難うございます。ご自身の生活の中で活かして下されれば幸いです。

  • @SoarHigh420
    @SoarHigh420 Před 3 lety

    般若心経動画のコメント欄
    ほとんどベッチーのコピー付け焼き刃が生えてて
    対応めんどくさそうと毎回思う 笑
    でも物質主義ゴリゴリの人たちでも
    仏教に1ミリでも興味もてるようになったりもしてるので
    いいのかなぁ。
    いきなり空を味わったらギャー!ってなるとおもうけどなぁ 笑
    ギャーって! ギャーて! ぼーじーそわかー 般若心経。

  • @user-yt8dz4bh5m
    @user-yt8dz4bh5m Před 5 lety +3

    なんで悟りを得たあ羅漢の舎利子に向かってまだ修行中の身の観自在菩薩が説法してるんですか…?

    • @谷泰智
      @谷泰智  Před 5 lety +1

      歌いたい難病でも コメント有難うございます。そもそも般若心経は大乗経典に分類されるもので、原始経典以上にその成立に於いては多分に作為的な側面があると言うことを先ずはご理解下さい。
      大乗経典に登場する有名な菩薩である観音、文殊、普賢、弥勒等はそれぞれがそれ自体の崇拝を集めた仏像信仰(菩薩信仰)に由来して法華経や華厳経等の多くの大乗経典が作られています。(一説には西暦0年頃)
      仰る通り、阿羅漢の舎利弗に向かって未だに悟りに至っていない菩薩の位の観音菩薩が教えを説くとする形式は、十界というステージを想定する観点からは確かに不自然に見えますが、大乗経典の多くに舎利弗が聞き手として低く置かれるという形式が登場します。(阿弥陀経や維摩経)
      苫米地英人さんなんかはこの辺を敢えて確信犯的に話のネタにしてるようですが、般若心経の主語は誰なのかについてはサラッとスルーしていただくのがベターかなと率直に思います。
      ついでに言うと大乗経典の多くは、序文・正宗分・流通分・の三部構成になっていて般若心経もこの形式を採る『大本』という形式があります。
      良く知られている玄奘訳は『小本』にあたり正宗分だけになっていますので、敢えて般若心経の主語が曖昧にされています。
      詳しくはリンク先を参照していただければと思います。
      repository.tku.ac.jp/dspace/bitstream/11150/7945/1/jinbun136-09.pdf

  • @yamatogawa
    @yamatogawa Před 3 lety +1

    般若心経の根本的な間違いは観音が語るのは良いが語る対象が舎利弗に語るのが
    間違いであるな。舎利弗は仏である仏に菩薩(悟りに向かう修行者)が語るって
    俗にいう釈迦に説法という事である。だから仏教を知らないものが作ったお経では
    無いかと言う説も有力。空の意味ははっきりしてます、無自性と言うことで、自性を否定してる
    言葉です。自性が分かれば空の意味がはっきりと分かります、そんなに難しい意味では
    ありません。それ自身で存在してるものは一切ありませんと言う意味。すべては他者との
    依存関係で存在出来てますよって意味を龍樹さんは言っています。自性論者はそうではない
    そのもの自身で存在してるのだ、永遠にと言うのでそれを批判して永遠に存在するものなどないので空と言ってるわけです。ここが分かりにくい点。存在を否定しるのではない。存在はある。
    だが自性はないと言ってる、だからややこしいんです。存在をさせてるものは永遠であるを
    そうではないと言ってる、存在の否定ととらえると今流行ってる空解釈に向かう。
    存在はある、自性はない。これを空と言い、縁起と言う。

    • @谷泰智
      @谷泰智  Před 3 lety

      コメント有難うございます。
      般若心経に限らず、維摩経や阿弥陀経などでも舎利弗の地位が低く置かれるという事はよくあることですし、また大乗仏教の萌芽とも言える讃仏運動の流れの中で様々な菩薩信仰の勢いも凄まじかったでしょうから、我々が現代から仏教史観を体系化して批判するのは、個人的に憚られるような気もしています。
      空の意味はずばり無自性、正に仰る通りだと思います。
      「諸法因縁生、因縁諸法無自性、無自性故畢竟空、畢竟空故無所得、無所得是名般若波羅蜜」とは現代の日本の諸派でもよく唱えられる文言ですね。

  • @中谷知子
    @中谷知子 Před 4 lety +1

    竹脇無我の無我は般若心経と関連あるかも知れないですね。

    • @中谷知子
      @中谷知子 Před 4 lety +1

      哲学の格言で「無知の知」というのがありますが、そんな感じですか?

    • @谷泰智
      @谷泰智  Před 4 lety

      @@中谷知子 コメント有難うございます。
      竹脇無我さん、子どもの頃見ていた時代劇大岡越前の友人の医者役が僕の印象に残っています。
      「無知の知」、確かソクラテスの格言でしたよね。「自分は知らないということを知っている人の方が、自分は知っていると思っているひとよりも賢い」みたいな内容でしたね。
      僕が申し上げるところは「無=物事の絶対性や確定性それ自体が無い」という趣旨ですので、少し観点が違うかなとも思いますが、「無知の知」もその謙虚さにおいては仏教の実践に通じるものであると思います。

  • @user-vu8ey6rd6j
    @user-vu8ey6rd6j Před 4 lety +1

    「お節介」の「節介」というのは「節操を堅く守って世俗に同調せぬこと」だそうですが、これに「お」が付くと自分では相手のためになると思っているが実は相手にとっては余計なこと、ありがた迷惑なことを意味します。なので御主旨にそぐわない表現になるのではないかと思われます。また、仮にありがた迷惑なことであっても自分では相手のためになると思ってやったこと、それだけを純粋の動機としている…とは言い切れないでしょう。本を出すという行為には必ず利他だけでは済まない動機があってこど成り立つものですから……。

    • @谷泰智
      @谷泰智  Před 4 lety

      ご指摘ありがとうございます。
      自分としては、「お」がついた意味で使用しているのですが、仰る通り、自分からこれを世間に広めたいという動機あってのことでした。
      ただ、へり下った軽いノリで、「お節介焼く」と「訳」をかけたつまらないダジャレに敢えてしています。
      既に世の中に出回ってこのてのタイトルは美辞麗句で、我こそは!って感じのものが多いので、その逆ハリを敢えてしているつもりです。
      でも、それも逆説的に言うと、結局は自分が目立とうとしているだけなのですが(笑)

    • @user-vu8ey6rd6j
      @user-vu8ey6rd6j Před 4 lety +1

      「お節介を焼く」の「焼く」と「訳」とが掛けていること、僧侶の方がダジャレを用いておられること、いずれにつけても小生が老人のためか思いもよりませんでした。ご無礼いたしました。合掌

    • @谷泰智
      @谷泰智  Před 4 lety +1

      @@user-vu8ey6rd6j とんでもございません! こちらの方こそ軽いノリでタイトルをつけてしまい、その為にお気遣い下さって申し訳ございませんでした。 
      合掌

    • @user-vu8ey6rd6j
      @user-vu8ey6rd6j Před 4 lety +1

      質問ですが、「観自在菩薩・・・一切苦厄」までは「観自在菩薩は完全な智慧を以て深い観想をする時、存在を把握する五つの性質はすべて空であると明らかに見それによって、一切の苦しみから自由になる」という意味とのことでした。ところで、観音様は我々衆生を救ってくださるおかたとして親しまれてきました。その観音様が智慧を完成させる深い修行をなさった結果、五蘊が空だとわかって苦から解放されたというのですが、これってただそういう事実を客観的に伝えているだけなのか、それとも観音様のその修行および結果は我々衆生の救済のためであったのか……そこいらへんがよくわからないのです。観音様は菩薩ですから衆生の救いのために修行しておられたはずです。法蔵菩薩などはまさに我々煩悩に苦しむ人間のために誓願され阿弥陀仏となられました。この観音様の「度一切苦厄」ということも観音様ご自身のことというより、我々衆生の救いのためでないとおかしいのではないでしょうか?だとすればそのような解釈が可能ではありませんか?一般的には般若心経は他力的であるより自力的であるかのように言われており、真宗で般若心経をあげないことにも関係しているのかもしれませんが、他の文言も含めて般若心経の他力救済的解釈は可能でしょうか?

    • @谷泰智
      @谷泰智  Před 4 lety

      匿名 そうですね、先ず、この一般的に親しまれている般若心経は『小本』という形式にあたり、対して『大本』という形式に備わった序文と流通文が省かれています。
      主要な大乗経典の多くの序文はおきまりの如是我聞から始まり、祇園精舎やら霊鷲山やらでブッダが深い瞑想に入られてその訳をある菩薩が他の菩薩に問うてブッダの代りに説明したりするという形式がよくあります。
      「観自在菩薩が深い瞑想に入って般若の知恵を以て一切の苦厄を度した」とは法蔵菩薩の誓願のような修行ではなくて、恐らく、その一瞬の場でそういう境地に観自在菩薩自身が入ったということでしょう。そして、ブッダに成り代わって舎利弗に説いたというのが、あくまで建前となっています。(真言宗では必ず仏説摩訶般若波羅蜜多心経と題されています)
      仰る通り、菩薩は利他の精神で多くの衆生の為に修行をする故に、或いは修行をした故に、その信仰に於いて功徳があるとされますが、それも恐らく後世の建前たと思われます。
      ガンダーラやマトゥラーから出土した菩薩像が、きらびやかな衣装とアクセサリーで装われた当時の名士の姿で表現され、以後日本でもその姿を踏襲して表現されています。
      至極個人的な推測に過ぎませんが、恐らく史実的な意味合いでの菩薩とは、初期大乗の流れを開拓していった知識と財力と志しに溢れた名士達であったのではないでしょうか。
      ブッダを崇拝し且つその精神性を継承しながらも、出家をせずに自らの高位カーストを敢えて利用しながら社会的福祉事業等を実践し、その功績となぜそのような偉業が為し得たのかを後世の人々が考え、その理由の一つとして修行や瞑想や前世譚等が良い意味で創作されたのだと思います。
      すみません、自説が長くなりましたが、以上の点を踏まえて私個人が思うのは、匿名様が言われる「般若心経の他力救済的解釈」は当然可能だと思われます。
      また、動画でも申しているのですが、難解に聞こえる空や無を解いておきながら、結局最後には般若心経のその心とも言える肝要な部分は「ギャーテーギャーテー〜」始まるマントラであるとして短く簡潔に纏めてあるのも、ある意味、称名念仏的アプローチ(完全な他力への一歩手前?)として解釈できると考えています。
      繰り返しますが、あくまで拙僧の持論です。

  • @叶花奈絵
    @叶花奈絵 Před 4 lety +1

    薬を作る時の真言ならば薬師如来様の真言ではないでしょうか

    • @谷泰智
      @谷泰智  Před 4 lety

      細かいところまでご視聴下さり有難うございます。昔、本宗の管長から不動明王のご真言を唱えながら陀羅尼助を云々、、、という話を聞いたような気がしますが、確かに薬師如来が一番理にかなっていますね。

    • @叶花奈絵
      @叶花奈絵 Před 4 lety +1

      通りすがりのコメにお返事下さりありがとうございました 調べてみたところ不動護摩法で加持されているようですね

    • @谷泰智
      @谷泰智  Před 4 lety

      そうなのですね!お調べいただき有難うございます。勉強になりました。

  • @合谷洋四郎
    @合谷洋四郎 Před 4 lety

    五井昌久氏の解説
    般若心経というのは、簡単に言いますと、ある日、観世音菩薩が深般若波羅蜜多、つまり、お釈迦さまが深い統一に入りました時の悟った言葉が般若波羅の経文になっているのです。深い最高の統一に入って、神と一つの大智慧を獲得し、その境地に入ると、五感に見え、六感に感ずるすべてのものは、皆空であることが分かって、一切の苦しみを解脱したというのです。空というのは分かりやすくいうと、自分の想いが全くなくなってしまうこと、自我、自我欲望、個人という自分がなくなって、大我、大生命、いわゆる大神さまの中に溶け込んでしまった人を空の人というのです。全ての現れに絶対に捉われない境地になることを言うのです。ですから般若心経は、正覚し解脱した時の宇宙観、人間観を説いているのです。
    この経文の中で一番大事な箇所は、やはり一般的に知られている、色不異空(色は空に異ならず)、空不異色(空は色に異ならず)、色即是空(色は即ち空にして)、空即是色(空は即ち是れ色となる)という言葉です。ところが、この言葉の解釈が非常に誤りがちになっていて、いわゆる単純な空観に脱する人が多くなっているのです。色即是空と空即是色を、只単に同じことをひっくり返しに言っているのだと思い込んで、色、即ちものは全て空なのだ、この世に現れている全てのものは空なのだ、無いのだ、という否定の面だけに捉われてしまって、この人間の肉体をはじめ、眼に見、手に触れる全てのものは、自己の肉体消滅と共に、やがて無くなってしまうもの、仮の姿、実在でないもの、というように解釈しているのです。
    しかし、これでは虚無主義とあまり変わりないし、人間の進歩とか前進とかには、まるで役立たぬ思想になってくるのです。どうせ死ねば空に溶け込んでしまうもの、そのまま無になってしまうもの、個性も何も無くなってしまうもの、というのでは人生を暗く淋しいものにしてしまいます。
    現在、五官で見、聞き、触れながら、これはすべて空なのだ、直覚的に思える人は、この世にそう滅多にはいません。一般はどうしても諸行無常的式に、今は有るのだけれども、やがて無くなるのだから、空だといい、無だと言うのだろう、ぐらいの思い方より出来ないと思います。しかし、そんな思い方を一般の人達にさせるようでは、釈尊の高い悟りとはまるで違ったものになってしまいます。色即是空、空即是色と二つ重ねたところに深い意味があるのです。
    現象界に現れているものは色といいます。現象界、肉体界(五官)、幽界(六感)の全てのものをいうのです。そして色は、ものと解釈するわけです。そこで色即是空というのは、現れている五官で見えているものは一遍空にしないと、空と断じ切らないと、本当のものが現れてこない。だから、目に見えるもの、耳に聞こえるもの、鼻にかぐもの、全てこの世に現れているものは空なんだ。そして、空だと断じ切った時、はじめて本当の光輝くものが現れる。五官に感じられ、六感に感じられるものは全て空なんだ、それに捉われてはいけない。あるものではなく、あるように見えていて、空なんだ、と空と断ち切って、それに捉われなくなると、空の奥に神仏の実体があるので、空から本当のものが現れてくる。空から現れてくるものが本当の光であり実体なのだ、そこで、色即是空、空即是色と並べてあるわけです。五官六感に現れている色(ものごと)を空と断ち切って、空になったところから、今度は実体の光即ち色が現れてくる。こういうことで、同じことなら何も二つ並べることはないのです。人間の想いから捉われを離すために説いているわけです。
    色即是空、空即是色も形に現れていることだけを説くから、結局虚無になって、この世は何も無い、肉体もなければ何も無いとなるのです。本当の教えというのは、ないないづくしではなくて、神さまは光輝く大光明であって、大光明波動の分生命が人間であるというのです。しかし、肉体の人間というのは、神の分生命であることを忘れてしまって、幽体(光明と暗黒波動が混合している所)あるいは肉体で作った想いの中で生きているのです。その想いというものは無いのです。無いと言っても想いは現れている。だから無いのではなくて、現れているのであって、実体ではないのです。現れているものは、現れて消えてゆく姿なのです。
    そこで、現れている肉体の方に、あるいは肉体から発生した出来事に捉われないで、捉われたら捉われたでいいから、消えてゆく姿にして祈り心の中に入れてしまいなさい、と説いているのです。そうすると、入れ変わって実体だけは残ってくる。生命の実体だけがそこに残って、いわゆる空即是色になるわけです。色即是空の色は虚無である。形のある現れているものはみんな虚無である。だからそれに捉われてはいけない。虚無と思ったら、そこにまた捉われるわけですよ。でも捉われたら捉われたでいい、消えてゆく姿として平和の祈りの実体の中に入れます。すると、実体の方は神さまそのものだから、入れてしまえば虚無を取っちゃうんだから、空即是色になる。空の中から現れてくるものが本当の人間であり、本当の光である。実体が現れてくるんだと、お釈迦さまは説いているわけです。
    この世の罪や悪や間違った想念所業は、神さまから現れて来ているものではなくて、肉体人間が勝手に作ったものなんです。だからそれは実体の中にない。しかし、無いといっても分からないから、一度現れの世界に座を下して、一応そういうものを認めると同時に、過去世の因縁の消えてゆく姿として、神さまの中に入れてしまいなさい、とすすめているわけです。そして、祈りの中から、神さまと直通して神さまの光だけを間断なくつぎ込んでおくと、間違った肉体人間の想いの方はどんどん消えてしまう。それが本当の色即世空、空即是色なんです。般若心経の真理は、色即是空、空即是色を明らかに説きあかすことにあるのです。

  • @坂本夏子
    @坂本夏子 Před 3 lety +1

    ノイローゼになると、
    六本木の菊池さんに聞きましたよ!!
    気を付けて、下さいね。

  • @msss8036
    @msss8036 Před 3 lety

    上杉隆じゃないんだね。

  • @user-bp2qw3mz1m
    @user-bp2qw3mz1m Před 4 lety +1

    私は…高橋信次先生 長尾弘先生 知花敏彦先生の教えを学んでマス。覚者は世界にも少ない本物の先生デス。長尾弘先生の般若心経解説をユーチューブ動画視聴してみて下さい。高橋信次先生の「心行」長尾弘先生「救霊」は不思議な力とパワー波動が出ており何回も奇蹟体験しました。長尾弘先生は私の先生の先生でありマス。無償の愛を実践されて世界中を癒やしの旅をされておりました。長尾弘先生は良く空から金が降ってきたそうデス。般若心経は意味を理解して日々の生活で実践しないと意味がありません。

    • @谷泰智
      @谷泰智  Před 4 lety +1

      こめんと頂き有難うございます。長尾先生の動画は以前に拝見させていただきました。コメント頂けたお蔭で、前々から僕なりに思うことが一応纏まったので、お時間ある時にお目通し頂けたら幸いです。
      gokokuji.site/never-die-without-asking/

  • @user-qc4vv9ci3o
    @user-qc4vv9ci3o Před 5 lety

    般若心経の解釈はなかなか正しい解釈をできる人が少ない。それは何故か。このお経は短いにも関わらず、本当の解釈は空になったことがない人には難しい。頭で考えただけでは真の解釈はできない。このお経の核心部分は「色即是空」と「空即是空」にある。この二つの言葉は単にひっくり返して述べているわけではない。色即是空と空即是色の「空」は別ものである。詳しくは下記の宗教家の解説を参照されたし。
    五井昌久氏解説
    ≪ 般若心経というのは、簡単に言いますと、ある日、観世音菩薩が深般若波羅蜜多、つまり、お釈迦さまが深い統一に入りました時の悟った言葉が般若波羅蜜の経文になっているのです。深い最高の統一に入って、神と一つの大智慧を獲得し、その境地に入ると、五感に見え、六感に感ずるすべてのものは、皆空であることが分かって、一切の苦しみを解脱したというのです。空というのは分かりやすくいうと、自分の想いが全くなくなってしまうこと、自我、自我欲望、個人という自分がなくなって、大我、大生命、いわゆる大神さまの中に溶け込んでしまった人を空の人というのです。全ての現れに絶対に捉われない境地になることを言うのです。ですから般若心経は、正覚し解脱した時の宇宙観、人間観を説いているのです。
    この経文の中で一番大事な箇所は、やはり一般的に知られている、色不異空(色は空に異ならず)、空不異色(空は色に異ならず)、色即是空(色は即ち空にして)、空即是色(空は即ち是れ色となる)という言葉です。ところが、この言葉の解釈が非常に誤りがちになっていて、いわゆる単純な空観に脱する人が多くなっているのです。色即是空と空即是色を、只単に同じことをひっくり返しに言っているのだと思い込んで、色、即ちものは全て空なのだ、この世に現れている全てのものは空なのだ、無いのだ、という否定の面だけに捉われてしまって、この人間の肉体をはじめ、眼に見、手に触れる全てのものは、自己の肉体消滅と共に、やがて無くなってしまうもの、仮の姿、実在でないもの、というように解釈しているのです。
    しかし、これでは虚無主義とあまり変わりないし、人間の進歩とか前進とかには、まるで役立たぬ思想になってくるのです。どうせ死ねば空に溶け込んでしまうもの、そのまま無になってしまうもの、個性も何も無くなってしまうもの、というのでは人生を暗く淋しいものにしてしまいます。現在、五官で見、聞き、触れながら、これはすべて空なのだ、直覚的に思える人は、この世にそう滅多にはいません。一般はどうしても諸行無常的式に、今は有るのだけれども、やがて無くなるのだから、空だといい、無だと言うのだろう、ぐらいの思い方より出来ないと思います。しかし、そんな思い方を一般の人達にさせるようでは、釈尊の高い悟りとはまるで違ったものになってしまいます。色即是空、空即是色と二つ重ねたところに深い意味があるのです。
    現象界に現れているものは色といいます。現象界、肉体界(五官)、幽界(六感)の全てのものをいうのです。そして色は、ものと解釈するわけです。そこで色即是空というのは、現れている五官で見えているものは一遍空にしないと、空と断じ切らないと、本当のものが現れてこない。だから、目に見えるもの、耳に聞こえるもの、鼻にかぐもの、全てこの世に現れているものは空なんだ。そして、空だと断じ切った時、はじめて本当の光輝くものが現れる。五官に感じられ、六感に感じられるものは全て空なんだ、それに捉われてはいけない。あるものではなく、あるように見えていて、空なんだ、と空と断ち切って、それに捉われなくなると、空の奥に神仏の実体があるので、空から本当のものが現れてくる。空から現れてくるものが本当の光であり実体なのだ、そこで、色即是空、空即是色と並べてあるわけです。五官六感に現れている色(ものごと)を空と断ち切って、空になったところから、今度は実体の光即ち色が現れてくる。こういうことで、同じことなら何も二つ並べることはないのです。人間の想いから捉われを離すために説いているわけです。
    色即是空、空即是色も形に現れていることだけを説くから、結局虚無になって、この世は何も無い、肉体もなければ何も無いとなるのです。本当の教えというのは、ないないづくしではなくて、神さまは光輝く大光明であって、大光明波動の分生命が人間であるというのです。しかし、肉体の人間というのは、神の分生命であることを忘れてしまって、幽体(光明と暗黒波動が混合している所)あるいは肉体で作った想いの中で生きているのです。その想いというものは無いのです。無いと言っても想いは現れている。だから無いのではなくて、現れているのであって、実体ではないのです。現れているものは、現れて消えてゆく姿なのです。
    そこで、現れている肉体の方に、あるいは肉体から発生した出来事に捉われないで、捉われたら捉われたでいいから、消えてゆく姿にして祈り心の中に入れてしまいなさい、と説いているのです。そうすると、入れ変わって実体だけは残ってくる。生命の実体だけがそこに残って、いわゆる空即是色になるわけです。色即是空の色は虚無である。形のある現れているものはみんな虚無である。だからそれに捉われてはいけない。虚無と思ったら、そこにまた捉われるわけですよ。でも捉われたら捉われたでいい、消えてゆく姿として平和の祈りの実体の中に入れます。すると、実体の方は神さまそのものだから、入れてしまえば虚無を取っちゃうんだから、空即是色になる。空の中から現れてくるものが本当の人間であり、本当の光である。実体が現れてくるんだと、お釈迦さまは説いているわけです。
    この世の罪や悪や間違った想念所業は、神さまから現れて来ているものではなくて、肉体人間が勝手に作ったものなんです。だからそれは実体の中にない。しかし、無いといっても分からないから、一度現れの世界に座を下して、一応そういうものを認めると同時に、過去世の因縁の消えてゆく姿として、神さまの中に入れてしまいなさい、とすすめているわけです。そして、祈りの中から、神さまと直通して神さまの光だけを間断なくつぎ込んでおくと、間違った肉体人間の想いの方はどんどん消えてしまう。それが本当の色即是空、空即是色なんです。般若心経の真理は、色即是空、空即是色を明らかに説きあかすことにあるのです。
    本当の般若心経を分かるためにどうしたらいいのか、というと守護霊、守護神の力を借りて、大般若の智慧、神界の智慧の中に入らないうちは、この中は神の世界だということが分からないのです。そこで祈りが必要になってくるのです。その祈りというものを、お坊さん方は、お願いだと思っている。お祈りというと、家内安全、商売繁盛、どうかご利益がありますように、というのが祈りだと思っている。それはお願い事なのです。本当の祈りというのは、いのちを宣言する、命を宣(の)りだす、いのちをそのままに現すということです。守護霊、守護神に感謝する祈りと、世界人類が平和でありますようにという神さまの大愛、慈悲の想いにまで拡げた祈りが必要になってくるのです。
    守護霊、守護神さんの力を借りて空になると、本心の中から出てくる能力がフルに溢れてくるのです。自分が思いもしないのに、自然に物事が出来てくる。自分が考えもしないのにパッといい智恵が出てくる。自分が書こうと思わないのにスッといいものが書ける。言おうと思わないのに、いい言葉が出てくる。というふうに自然法爾(じねんほうに)にひとりでに、神さまの智恵、自分の本心の能力が出て、色んなことが出来る。それが空即是色なんです。神さまのみ心に入ってますと、今日はあそこに行こうかなと何気なく行くと、必要な人と会ったり、効果があったりと、自然に守護霊、、守護神さんが使って下さって、本心の力をそこに現してくる。それが空の状態と同じになりまして、空即是色の空から生まれてくる、光輝く生き方、自分のためにもなり、相手のためにもなるような生活が自在に、そこから現れてくるのです。それが空即是色で、般若心経の極意なのです。≫

    • @user-yt8dz4bh5m
      @user-yt8dz4bh5m Před 5 lety

      なんだこの人、
      知ったかぶりでもぜんぜん分かってない。

    • @user-qc4vv9ci3o
      @user-qc4vv9ci3o Před 5 lety

      @@user-yt8dz4bh5m いや、この五井昌久という方は本当に般若心経が分かっている。なぜかというと仏と一つになっているから。完全に自我を無くしているからです。この方が神我一体になっていることは合気道の開祖の植芝先生が証明されています。どちらの方もお互いに相手が神人であることを認めています。片方は武道の道で、片方は宗教の道でね。

  • @akirabpara
    @akirabpara Před 5 lety +2

    いい話ですが、前置きが長すぎます、本文だけで十分です。

    • @谷泰智
      @谷泰智  Před 5 lety +2

      ご視聴ありがとうございます。 コメント参考にさせていただきます。

  • @user-fq1wf3rq9q
    @user-fq1wf3rq9q Před 4 lety

    四苦八苦 今死んだ人に なんて言葉を掛けます?

  • @user-fq1wf3rq9q
    @user-fq1wf3rq9q Před 4 lety

    で、一生解説で、解説者での仕事は楽すぎる。
    もう少し飯の食い方考えたら😆😆
    では 自分の考えは?