スラム 英映画社制作 1961年
Vložit
- čas přidán 9. 02. 2021
- 作品概要
製作:英映画社
企画:大阪府・大阪市 京都府・京都市 兵庫県・神戸市
1961年 カラー 33分
軒なみに並ぶ古い家に、50年も100年も修繕されず流れ淀んだ生活の重みに堪えかねて傾いた家々。工業の発展とともに工場周辺に乱立させた棟割長屋や安普請の住宅が今では低収人の人だけ取り残されスラム化している。
又いわゆるドヤ街と呼ばれるスラム地区。しかしこれらの地区に住む人たちも本来仕合せを願い、生活と取り組む善意の人たちである。よりよい生活をつかもうと努力している。それらの努力や、又その土地の発展をさまたげるスラム。そのスラムの内部をカメラは移動する。
(引用:映文連データベースより)
監修
建設省
スタッフ
製作:高橋銀三郎
脚本/監督:荒井英郎
撮影:江馬民雄
録音:田中義造
進行:神原照夫
音楽:一柳慧/高橋悠治
亡父は戦前下町で育ち、3・10で焼き出されて都下に移りましたが、戦前並みの生活に戻ったのは東京オリンピックの頃だと言っていたのを思い出しました。
昭和30年代は教科書ではもはや戦後ではないと言われたとか、三丁目の夕日みたいに美化されていますが、実際はそんな一般層に満たない多くの貧困層が、このビデオのように苦しい生活を送っていたことを忘れてはいけないのかもしれません。
ひと昔前の東南アジアの映像を見てるみたいだ
貴重な映像だなぁ
この動画を見て、親に感謝しました。
当たり前だと思っていた生活が、贅沢だったと気づけた。
この動画に映る子供達ももうご年配
もしかしたら懐かしい友人達や御両親の姿を見つけたりしているのだろうか。
そう考えると貴重な映像を残してくれた事が素晴らしいと思う。
まさか60年後にこんな動画がたくさんの人に見られて 良かったと思われるなんて、作ってる側も想像してなかったろうね 映像も100年後 200年後 貴重な資料となる事を改めて知りました
昭和33年生まれの私だが、死んだ親父がよく言っていた。「働けど、働けど我が暮らし楽にならざり。」貧しかったが 昔の日本人は今より本当によく 働いたと思う。でも、夕食 食う時は必ず家族全員で食べてた記憶があり 、貧乏だとか 考えず楽しかった記憶しかない。
同感です
貧しくても家族みな幸せでした✨
私もです。
同じく1958年生まれです。
既に高度経済成長期に生まれましたので、自分自身は分からないのですが何故か懐かしい気がします。
私も、33年生まれです。小、中学時代、ってこんなもんでしたよ、屋根裏には、恩取りさんも二人居たよ!マアゎ、戦争孤児みたいな人だね!今の、人にはわかんないよな?
@@user-pl3pr7ud3p恩取りさんって何ですか?すみません!47年生まれです。
私も同年代。家は隠居さんの離れで便所も水も風呂も共同だった。資本家の家は近所になかったが、ただ近郊農家が羨ましかった。軽トラがある。自転車通学が認められていた。ピアノ教室に通う農家の娘さんもいた。収穫時には彼らだけ早退も認められていた。なにより1人部屋があった。貧しい農家と労働者は団結せよなんて小学生の私はまったく信じていなかった。バブルになって近郊農家の同級生らは外車を乗り回しフランス人の女と結婚した者もいる。名刺はアパート経営。こういうのを語る者が本当に少ない。今もだ。
貧しくても多くを望まない、子供達の笑顔…人間らしくていいなって思う。
嫌とは感じない、いい動画です。頑張って生きてこられた。感動しかない。
つげ義春の作品で出てくる家並みの表現が、これを見てリアルだったんだと初めて知りました。
自分も、こういう所で育った。
差別を感じて惨めな思いもしたけど、産まれる家は選べないから仕方ない。
今は結婚して皆が羨む立地条件の戸建てに住んでるけど、子供の頃住んでいた家が懐かしく戻りたいと思うこともある。
貧乏だけど楽しかったです。
私もそうでした。我が身を見るよう。教室も半数以上はこういう処から来てましたね。ごく当たり前の日常でした。
変に興味深い内容でした。Attractiveナノは、きっと生活のエネルギーが、溢れているから。
わかる。
>皆が羨む立地条件の戸建てに住んでるけど
この辺りに想像を絶する差別を受けたのかなと感じ入ってしまう…
承認欲求に飢えているんでしょう
工夫と努力をすれば自力で貧困から富裕層へ行ける資本主義社会に感謝せねば
同時に不成功者達からの妬みも受けますが
こう言う昔のドキュメンタリー好きです。貴重な映像ありがとう御座います。
あっしも好きだわ(゚∀゚)人(゚∀゚)ナカーマ
ウェーイ!(゚∀゚)人(゚∀゚)
どんな環境でも、子供達はどの時代も可愛らしい😊
子供のウンコも?💩
貧乏なりの工夫が沢山あって尊敬する
実際にこの時を過ごした方々が当時のことをコメントで教えてくれるので私の知らない日本について学べることにこの動画のありがたみを感じました。
こんな環境でも布団をきちんとたたみ鉢植えを飾るのが素晴らしい。
現代のゴミ屋敷動画を見た後だと何とも言えない気持ちになる。
貧困でなければきちんとした衛生観念のある草木を愛でる心がある方なんですよね…理由があってここに住んでいるんでしょうが…貧困差は今もあるしどうにかならないのか…
スゴいよなぁ。再現・セット・演技じゃなく実録
人は生まれながら平等ではないのでこういう貧困家庭になったとしても抜け出すために公平な生活環境を与えることが国力の底上げになるのだなと思った。
菅総理「自助、自助、自助」
@@ag7404 👍️
福沢諭吉の「学問ノスゝメ」では、なぜ最初に平等を説いたのでしょうか。個々に学び、個々に底上げを為した「良民」が増えれば、その良民の上に築かれる国はより良くなるだろう、と説いています。冒頭の「初編」8ページだけでもご一読をお奨め致します。
無理だと思います。日本の忌まわしき慣習で、差別は続いていると思います。少なくとも平成16年までは第三者が就職希望者の戸籍謄本を役所で取り寄せることが可能でした。日本の大手企業は、興信所を使って戸籍謄本を調べ上げて、就職希望者(最終面接後の段階)の両親や祖父母のの出自まで調べ上げます。直系の在日コリアン(日韓併合時も含める)、または被差別部落の出自の場合、否応無く落とします。
生まれ持った能力の時点で公平じゃないから無理。平等、公平なんて虫が良すぎる綺麗事野郎!
極めて貴重なカラー映像をネット上で観れる時代に感謝です。
69年生まれの私では 万博開催で再開発が進んだ事もあり
こうした光景を直面しませんでしたが、
大阪市下各所には まだまだ名残は残っていました。
違う視点で見ても 当時の建設作業風景で 半裸に鉢巻き姿で
簡単な足場での作業で 労災事故は極めて多かったと思います。
当時はボートピープルもいましたね。
これも日本の歴史の1つ。この部分に焦点をあてたのは素晴らしい
本当に貴重な映像です。高画質で当時の風景がリアルに伝わってきます。ありがとうございます。
特にスラムから改良住宅への引越しのシーンがリヤカーなのがとても印象的でした。
ここから、発展していったのは、すごい。大人たちは、暗い顔してる人もいるけど、子供たちは、楽しそうだ。住居は、貧しかったけど心は豊かだったと思います。
この時代がこの綺麗な映像で残ってるのは素晴らしい
こんな素晴らしい映像を無料で見られる時代になったんだなと……祖父や祖母はきっとこんな景色を見ていたんだろうなと、しみじみ思います。
だねえ
せやなぁ
映画でどんなに金かけたって、この空気感は出せないね。
役者にしてもそうやね
本物には敵わない
今は政令市のマンションが林立する地域。都市高速通ってる界隈が当時親から絶対行くなと言われた朝鮮部落がこんな雰囲気だった。頭の良い旧制中学からの伝統校のすごく可愛い女子生徒がこんなほったて小屋に住んでるって知った時は軽くショックだった。親からチョン子とは付き合うなって言われた。
Real unko 💩
子供の💩のシーンがインパクトが強すぎて、それ以降の話が頭に入って来ませんでしたが、戦後から16年の月日が流れても、憲法で保障された生活を送れずに、スラムの中で貧しい生活を送りながらも、みんなで慰め、励ましながら強く生きる人々の強さと、戦後の高度成長期における光と闇を知る貴重な動画だと思いました。
悟空が言ってるのがキツいw
ソロキャンプで新聞💩いかが?
色といい柔らかさといい模範的だと思います
栄養状態が良くなかったら、あれほどの物は出てこないでしょう
彼の食生活が健全であろうことを喜ばしく思いますね
印度だと今でも普通に見れますよ。谷崎潤一郎の文章で戦前阪急電車で子供に車内でくそさせて新聞包んで捨てるって記述がありました
臭いをかぐネッコ。
スラムで生きるのに精いっぱいでありながら、鉢植えを育てたり花を飾ったりしているのなんか良いな
人間、苦しみの中でも『楽しみ』を求めるもの。
現代では、こういったものは見ることはないが、当時はそれが心の癒しだったのではないでしょうか。
自分と他人とでは良いと思うものが違う。
素直に出ているものだと思います。
@@shunhira6390 やっぱ人間いくら貧しくても楽しみがないと生きていけないよな
見習おうと思いました。
韓国ソウルの表と裏の顔が有る
BGMってすごいな、子供が遊んでるシーンはほのぼのしてるのに、ドーンて音楽で一気に殺伐とした雰囲気に感じるもんな。
お上主導のスラムはとっとと除去して再開発したが良いよって啓発と正当化の映画ですから暗く描くのは当然かと思う
ここから這い上がった人たちがいるんだろうなぁ と思うと感慨深い
たった60年くらい前まで日本にもこんなスラムがあったんやな。
ここから世界第2位の経済大国(今は3位になっちゃったけど)まで日本を引き上げた先人たちの苦労と頑張りには感謝の念しかない。
そのかわり公害と物価高には悩まされました。
世界第2位の日本は,もう過去のもの。日本人の給料は米国の4割、韓国以下。そのうち内に東南アジアへ仕事を求める時代も近いかな。
この当時、既に日本のGDPは世界3位(西側諸国で)だったけどね。
これが爺さん連中の思う貧困。
エアコン付きの普通の住宅に住んでスマホを持ってる今の貧困層は貧困では無いって事だな。
@@koinuya7756
バカも休み休み言え
@@koinuya7756
だから政治家が現代の低所得で未婚の若年層の貧困の実態を理解すらできんのだよね。
つげ義春の世界が!
リアル映像で‼︎
歴史的価値のあるものすごく貴重な映像
私は1965年生まれ大阪西成区で生まれそだった、うちは商売してたので日銭はあったので食物には不十しなかったが家はぼろぼろやった、有るときテレビを観ていたらマザーテレサが来日来阪の様子が流れてきて、日本最大の同和地区に大阪西成の〇〇地区とやっていた西成の中でも我が家とは反対の端に有る地域で在ったが初めて自分の住んでいる西成にそういう地域が有るんやと知った、小学生ながらテレビで特定した場所を伝えて良いのだろうかと思いもした、でも私自身も親にはその地域には近づいてはいけないと言われていた、同級生達にも貧しい家庭がたくさんあったしお金持ちもいた、でも皆苦しい中頑張って日本を作って来てくれたと思うと、先輩方を尊敬したいと思います。🙏
あいりん地区は同和地区じゃないよ。労働者とかドヤ街があるだけで
同和地区は鶴○橋とかあっちのほう
@@mhp4g あいりん地区とは言ってないよ、地名を出さないほうが良いから。
この動画を見ると自分は贅沢な生活送ってるなぁって思った
この時代に作られた改良住宅も既に建て替えが進んでいるんだよな。
これは、すごい映像だな。
都市のそういう住宅だろうなあという場所は今でも有るが、その時の記録ってのは、意外と映像として見れることは少ない。
そしてなぜか?このぼろぼろの家屋の連なりに引き付けられる。
高度経済成長期には光と影の両方存在してたわけだが、影の部分を扱っているドキュメントはあまりないので参考になる
人間が生きるという意味を改めて考えさせられる映像ですね。スラムで生きる人々の顔に生命力が溢れているように見えるのはなぜなんだろう。
昭和40年代子供の頃車窓からこのような風景を見たような気がする。
めちゃくちゃ貴重な映像。音楽も素敵。
14:52 ガチ過ぎて声出たw
ほんの60年前の日本
貴重な映像を見れて良かった
CZcams万歳🙌🏻
ほとんど 大阪やわ。
1964生まれですが、世代ギリギリでこの光景を目の当たりににした事がある。
敗戦で貧富の差が出来上がってしまったのかなぁ。貧困が差別をつくりワルをつくっていったのだと考えさせる映像です。
大阪ゎ万博を契機にだいぶ変わって行きました
インフラの必要性を感じます✨
こういうのを知ってるか知らないかで、今見てる景色、暮らしの風景への見方も変わってきますね。
なんだろう、誰かの過去の記憶を体験した感じがします。
いつの日か未来の誰かが、今の私達の暮らし、生活の記憶を見てる時がくるんでしょうね。
過去から現在、現在から未来へ。
これが正真正銘のドキュメンタリー映像です🥺
これに近い家に住み大きくなりました。懐かしい 田舎から神戸に来て高架下の家に住む
そこからぬけだし今では 懐かしい思い出です。
でもスラムと言っても壮絶に雑然としている訳でもなくて、工夫してきれいにうまく収納棚などを取り付けて保管していたりしていて、そういう知恵がすごいなぁと思いました。
なんなんだー、この音楽は!😱ビバルデイの、春、でも流したら、見る目変わるよねー
このころのBGMって、現代音楽っぽいのが多くて、不気味というか奇妙というか、なにか不安な気持ちを感じさせられますね😅
ボスMMDerドッピオ,(‥°3°)⁾⁾@KAORIn そうそう、不気味、不安な気持ちにさせられますね
日本人の几帳面さ。ですね。
ドヤ街綺麗だな
ものすごくリアルで歴史を感じさせる映像。集落とは、何かという手がかりを見つけさせてくれた、素晴らしい動画です。
橋の下とか川沿いにズラッとあばら家が並んでる光景は今じゃ考えられないね
鉄筋の団地が建てられたあたりで急激に近代的な映像になって感動した
団地は、この時代この層の人たちにとっては近代の象徴なのかもしれんな
今では築60年以上になるからほとんど取り壊されてるとは思うけど、築50何年くらいなら探せばまだちらほら残ってるんよね
なんというか、本当に過渡期なんだなという感慨が押し寄せてくる映像
音楽は不気味だけど、住んでる人全員が悲壮な昭和枯れすすき状態じゃ無かった筈。
つげ義春や水木しげるの描く街並みがリアルカラーで観れて興奮します。
あと、SIRENシリーズの家みたい
1961年の映像にしては、アヴァンギャルドな音楽
誰だろうと思ったら一柳慧氏
オノ・ヨーコの最初のご主人、納得。
この特徴的な不快な音楽、やはり一柳か 笑
@@KM-ix1so 様
ホントに音楽が不協和音的というか、狙い過ぎがウザいというか、聴く者の身体に悪いというか、です。WW 個人的に。
一方の同じ映画会社が制作した和歌山編は改良住宅で生活が向上して住民の表情もとても明るい雰囲気ですね
オノヨーコさんの「ギャアア~」もこの人の影響なんだなw
いつも貴重な映像をありがとうございます。昔はこの様な町や暮らしは日本中どこでも見られました。
日本の発展の下ごしらえを支えた人々、ありがとうございます。安らかな晩年を切に願います。
同時代の農村も貧しさは似た様な物だろうけど、家屋は密集してないし屎尿は使い道があるしで
衛生面ではもっとマシだったんじゃないか…と、今は亡き祖父母の慎ましい暮らしを偲ぶ。
今でも大阪の鶴見橋商店街から少し路地へ入るとビックリするほど狭い路地があって、当時の名残を少し感じますね。
でも、ここから数十年で隅々まで清潔な国にしてくれた先人達に感謝。
いくら日本が衰退してるとはいえ、さすがにここまでのスラムはないと思う。
かの国の不法占拠した人がつくったスラムでは。
東南海地震の脅威が叫ばれている昨今、このような家の存在は都市機能の危険度が増しますので、バラックが多い住宅地などは耐震性に優れた住宅への再開発が必要ですね。
あと50年くらい衰退し続けたら元に戻ってしまうかもですね……
アルゼンチンも先進国だったのに、今は多くスラムを抱える国になってしまいましたから
そのうちマンガ喫茶にも三国人が居座り、行政に地代を要求するのだろう。
出自や身分がどうであれ、個々に懐かしい風景があるんだろうと思う。
昭和40年生だけど、水溜りだらけの近所の道路が数日でアスファルトに変わって、信号や歩道橋まで出来て生活が一変した事を思い出した。
バキュームカーとの遭遇が日常だったなw
おおよそ60年前にこんなひどい住宅環境、スラムがあったとは思いもよらなかった。動画で見ることでとても貴重な経験ができた。
アニメ 「あしたのジョー」観ると同じような光景が出てくるよね
改良住宅、この当時の公団は今でもまだまだ沢山残ってるだろ…建て替えがすんできれいになってるところもあるけど
団地の一階になぜか飲食店が入る経緯もわかりやすい。(もとはスラム内で営業してた飲食店だったんだよ…)
改良住宅や1960~1970チックな公団があった場所は昭和の当時は元はたいていはこういうところだったのよ
現状が不満で「日本は貧しくなったぁー」「昭和はよかったー」みたいな奴にこそ、こういう映像を見せてやりたい
敗戦後の貧しかった時代です。どこの都市にもスラムがありました。50年代の日本製品は品質が悪くて箱を開けたら違うものが入ってたということもよくあったみたいですから。
@@mhp4g 大まかですが当時の公団か否かの基準が1Fや敷地内にマーケット的な物があり現在はシャッターが閉まってて寂れてる感がありますよね「剝げかかったナショナル電気の看板等」
実は都心である新宿の明治通り沿いや周辺にも当時の建物が残ってるのはちょっと感動しましたね
今もありそうだけどね。
いかに日本の戦後復旧が異次元的なスピードであったかを理解するための貴重な映像。
すでにスラムの背景を知らない世代へと移り変わっている。
意味不明に昭和レトロと持て囃される今、それぞれに意味があった時代を誰かが伝えていかなくてはならない。
戦争だけでなく、戦争からいかに急速に復興できたかを語る人も高齢を迎えている。
貴重な映像。観れて良かったです。
どんな場所にも生活はある。スラムという嫌煙されがちな場所で生命を営む人々への敬いと、問題を解決したいという真剣さが感じられる良い映像だった
いい歴史素材ですね。
この情報を知ることは、普通の日常ではほぼないわけですが、映像が残っていることで、色々知ることができます。
当時の人々の言葉で語られる情報も貴重なものですし。
こういった貴重な情報こそ、国自体も残すように努力するべきです。
民間に頼りすぎ。 そして残したくないものを排除。
困ったものです。
後半、涙出ました。
慎ましく苦しい生活の中
心荒むことなく生きている生命もある
その姿に私も微力ながら人や社会のお役に立てる人間であるよう頑張ろうと
そう思いました。
屋外で炊事している着物+割烹着+くわえタバコ女性達の姿が、勇ましく格好良く思えてしまった。
女の子がけっこうちゃんとした服を着てるのを見ると安心する
貧しい生活の中でも、女の子にみすぼらしい格好はさせたくないという精一杯の親心だと思いますが。
映画に写ると言うんで親御さん、無理してきれいな服をきせたのかも。
子供服は、お下がりか近所からの貰い物だから案外と不自由はないはず。
昔サイズアウトで着られなくなった服はバザーに出してた。多分その流れ。
カラー映像の効果も相まってかリアルで皆さんが逞しく生きている力が映像越しに凄く伝わってきました!
時折流れるJAZZの曲が凄く心地よい!
今の生活環境に感謝するためにも相応しい映像だ。
先人の方々の涙ぐましい犠牲と努力でこのような歴史の延長上に今の自分が生かされてる事を思い深い感謝と感動を覚えました。ありがとうございます!
貴重な動画を見せていただき感謝します
ありがとうございました
団塊の世代ですが子供の頃はまさにこうでした。否定的な見方もあるでしょうがみんな貧乏でも楽しく暮らしていました。現代が進歩したなんて思わない。その後妙な時代にしたのは私の世代に責任があるのかも。
仕方がないですよ、皆さんだって国を良くしようと思われこそすれ、悪くしてやろうだなんて思ってやってきた訳ではないんですから。団塊Jr.だからかも知れませんが本当にそう思っています☺️お父さんお母さん、私たちのために本当にどうもありがとう。
今も昔も犯罪率も差別感情も凶悪な団塊世代
良い時代なわけねえじゃろうが、自分らが日本を食い潰した白アリと反省せえや
@@user-xb5ly3nf4i 団塊の世代は菅総理から末端の私まで実に多様な考え方の人間がいます。それが団塊世代です。逆に私は「いまどきの若者は」という言葉でフォルダ分けはしません。
今だっていい子たくさんいますよね。
新今宮もだいぶ綺麗にはなったがどことなくこの空気は変わらない
懐かしいね。私の青春時代ですね。何も無かったから皆んな一生懸命働いて生活していたな〜!!。阪神工業地帯でしたから、何処へ行っても汚い長屋ばかりだったと思います。でもテレビを見るのも泥んこになって遊ぶのも楽しかったですよ。
自分が子供の頃、「なんじゃこりゃ?これが人間の住む場所なのか?」とびっくりするような街並みがけっこうあったんだよね。まさにこの映像そのものの。同級生にもこういうところに住んでいる奴がけっこういて。遊びに行ったとき、マジでびびったことを覚えている。ただ、もう自分が中学生になった80年代には完全消滅してたなぁ。きれいな公園や市営住宅になっていたんだけどね。
僕が育つた協和町 1歳足だけですが出てます 懐かしい
トタン屋根の家で生まれ育った身としては、瓦屋根ってだけで高級感感じる…
布団ちゃんと干してるのなんか凄い感心
1960年代生まれの私にとって、とても懐かしい感じがする映像です。メンコ、ゴム飛び、凧揚げ、なつかしい遊び、駄菓子屋でお菓子をかう。。。
あの頃の思い出は便所の悪臭とどぶ溝の臭い
みんなが貧乏だったあの生活が普通だと思ってた
まだ戦後を引きずってた,生きるのに精いっぱいだった
過去の美化やめろ
今のほうが断然素晴らしい時代
こういう中に育った子どもにも後にエリートになった優秀なのがいたんだろうか?
バラックの中に本瓦の立派だったろう家も存在する
@@Gaocon6 さん、ソフトバンクの社長がそうらしい、後、アパの男の社長のほうもかなり似た環境で育ったらしい
@@Gaocon6 様
はい。
日本のエリート層には結構います。
昭和43年東大阪生まれです。祖父母や両親に長屋で一所懸命に育ててもらいました。この時代より5〜6年後ですが、それでもまだまだこんな感じのところがあったような記憶あります。
たまらなく懐かしい。帰りたいです。昭和に。
44年生まれだけど、こんなとこたくさんあったよね
俺んちも長屋に毛が生えたくらいのアパートだった
政令指定都市の「区」なのにどっぽん便所
一軒家のやつらからはウサギ小屋とバカにされてたわw
@@katanafish0627
ちょっと悲しくなりました・・・
私の実家、確かに政令指定都市でもない九州の田舎なんですが
21世紀になってもボットン便所だったので(泣)
今は水洗になってるんですが、工事したのは2012年。
別に山の中って訳でもなく、普通の田舎って位なのですが・・・
昭和44年生まれと、平成2年生まれが共通の便所体験を持っている
というのは色々と驚きです。
その気持ち、すごくわかります。
私は二度とあの時代に帰りたくないです。
帰りたい人と帰りたくない人が一緒のコメント欄にいて何だか感慨深いです
昭和33生まれですが懐かしい。うちは銀行員で鉄筋アパート社宅でしたが、すぐ横の福岡市薬院どぶ川に友達のアッちゃんが船上生活してました。一緒にコマ遊びしてましたが、小学校に上がって疎遠に。風の噂で肺炎で死んだと。他にもボロ小屋にすんでた友人も。道路は未舗装で雨降ると凸凹水溜まり。全部良い想い出。
昔のあの長屋?!みたいな、もう少し現代風だと孤独死とかないんだろうなと思いました。 高齢化独り者、社会で支え合う環境として考えるものがある気がします。
見慣れた風景で懐かしさがある。
すんごい昔の時の話かと思ってみてたけど、自分の母親が生まれた頃と同じくらいでビックリした
「足るを知る」とはどういう事かを教えてくれる良い資料です。同時に日本の最も基礎の部分を造り支えてこられた先代の方々に敬意を。
こんな環境でも、子供たちはなぜか楽しそう。
音楽作為的すぎる。映像すばらしい。ナレーションも含め再編集したら全然違うものになりそう。でも、こういう仕上がりになっているのも製作された時代の背景が映し出されているという点も含め、素晴らしい作品ですね。
でも解体の効果音は昭和ゴジラ
一柳慧と高橋悠治だから、時代を感じる。
現代音楽ってBGMとしてはこういうシュールを超えた奇怪な動画かホラーにしか合わない説
今から60年前の低所得世帯のリアル。生々しい現状。そんなスラムをやっと出て、憧れの「改良住宅」=団地に住むようになったけど、60年後、今度はその団地で孤立死なる問題が起こっている。昔も今も、潜在的に解決されずに残っている深刻な問題を、このドキュメンタリーはものの見事にあぶり出している。
努力して大きな屋敷を建てても、核家族化の影響で子どもたちが家を出てしまい、家の中で孤独死(お金はあってもケガ・病気の時に通報とか応急処置さえしてくれる人がいない)ということも普通にあるから人の住む環境ってまだまだ闇が深いですね。
自家用車や家電製品が、まだまだ金持ちの贅沢品だった時代。というのがよくわかる動画です。
戦争で
都市のほとんどの面積 地方都市も空襲を受けて 庶民はなんの保証もなく戦後国債もないに等しい事になり銀行も突然システムが変わり それでもここまでに出来る私たち
これからも頑張れそうですね☺️
わらべの唄と笑い声に 救われました
貴重な映像ありがとうございました✨
あしたのジョーの世界だ。実際の映像を観ると本当にこんな感じだったのかと驚く。
俺が子供の頃、この映像の名残りがほんの少しだけ街には残ってましたね。
しかし男の子のウンコの素晴らしい太さと質感よ。ひねり出し具合もソフトクリーム並みの滑らかさですね。猫が臭いに来るのもまた素晴らしい。
そうですね
60年も前とはいえこんなスラムがあったんだもんなぁ
今残ってるバラックとは比べ物にならんね
未来にまたやってくる風景
割烹着のおばちゃん達の姿、懐かしいな。
貴重な動画だわ
子供の頃は
『あいつ団地のやつだろ』
とか親からは
『団地の子とは遊ぶな』
とか言われてたなー
差別はいかん、いかんのだが心の奥底にある根底的な意識ってなかなか変えられない
人間の弱さか
団地と言っても部落に見られる改良住宅団地の事で、団地の1階に商店が並ぶのがその典型です。 元々スラム街で商店をされてた人が店ごと移転する為でした。
うちの近くに、雇用促進住宅があり、色がピンクだから、ピンクアパートと言われていて、バカばっかりいる。と言われてました。
@@TERANG1965
1階が商店だと、住むのに便利そうですね。バンコクの庶民向けの団地みたい。これで団地内の道路に、屋台があれば最高です。
この時代、ウチの両親が高校生&中学生やったと思うと感慨深くなった。
映像に映る、おっちゃんやおばちゃん達は戦禍を見て体験してきて、この後凄まじい勢いで国が変わって行く様を直に感じて行くってのを思うとホンマに凄いわ。
自分が所有してるスーパーカブが1961年式。
なんとも感慨深い
60年代は日本全国どこもこんな感じの日本家屋でした。
暗かったけど心地良かったです。
日本全国は言い過ぎw こういう都市スラムは特別だよ。
嫌悪感は無く、懐かしい感覚ですね。1961年京都生まれ。
全国にあったスラムについて、大学で調べたなあ。
映像で見るとマシに見えるが、異臭が漂い衛生環境も劣悪、夜は酔っぱらいの暴力事件、性的事件も普通の街と比べたら当然件数は高いので、夜は外に出ないのが基本。
テレビと新聞は華やかな経済成長ばかりをクローズアップして一般層は「スラムなんて無いもの」として扱っていた。
しっかりと光が当たり、救済がはじまるのはバブルに差し掛かり、土地の活用に注目が集まり、スラムが一般層から『明らかに邪魔』になってから。
ここ迄ではないですが、60年前の私たちも同じような環境下に暮らしてました。贅沢と豊かさを求め人情を忘れた世の中、これからの日本はどうなるんでしょうかね。
悲しいです。
この時代の新今宮、萩之茶屋界隈は大分土地区画整理がされ、ドヤも今はバックパッカー相手のホテルが出来るほど発展している中でも桜ノ宮のすぐ横を流れる大川沿いに最近までスラム街があったが今は立ち入り規制が掛かっておりやがて姿を消すと思います。