皇后・女御・更衣、そして中宮 天皇の妻の呼び名について

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  • čas přidán 9. 04. 2024
  • #大河ドラマ #平安時代 #解説
    【訂正】律令制の天皇の妻のひとつである「后(きさき)」の漢字は「妃」が正しかったので、訂正いたします。ご指摘いただきありがとうございました💖
    ※概要
    ドラマでは道隆が定子を強引に中宮にすると言っていましたが、そもそも中宮とは何なのか? 女御や更衣とは、どうちがうのか? について解説しています。
    2024年、NHK大河ドラマ「光る君へ」解説動画です。
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Komentáře • 155

  • @user-nn6kx9km9c
    @user-nn6kx9km9c Před 2 měsíci +31

    円融天皇の妻二人が同時に皇后と皇太后になってるのがそもそもおかしい。

  • @user-ol6uy8sh1l
    @user-ol6uy8sh1l Před 2 měsíci +26

    ドラマでも定子さんを中宮にするところで、何かごちゃごちゃ
    揉めてたのはこのことだったんですね。
    本当によく理解できました。
    この難しいことをスラスラ説明できるきりゅうさんはAIも叶いません。頭が下がります。

  • @user-zv5gs2in2o
    @user-zv5gs2in2o Před 2 měsíci +32

    こんなにややこしい内容を楽しく伝えてくれるこのチャンネルに感謝❤
    理解したうえで、もう一度ドラマ見直そう〜🤗

  • @user-rp3cp6rl7m
    @user-rp3cp6rl7m Před 2 měsíci +41

    きりゅうさんの、一度もかまずに説明くださったのが、流石です✨

    • @user-erikochan
      @user-erikochan Před 2 měsíci +2

      未婚の内親王や上皇のきさきを皇后にする時代が、このあと100年後くらいにくるんじゃなかったっけ?
      めちゃくちゃの始まりはここにあったのか。

  • @user-bt3qj3qx9o
    @user-bt3qj3qx9o Před 2 měsíci +25

    またまた かちこくなりました〜。いや〜 ホント きりゅうさんの説明素晴らしい。

  • @user-sh2ej5nr3q
    @user-sh2ej5nr3q Před 2 měsíci +36

    自らのアイディアを弟に悪用される道隆兄様…(;´・ω・)、おまけに息子は後に流罪に…(-_-;)。伏線というには余りに壮絶なブーメラン発言でしたなぁ (^^;

  • @donam8315
    @donam8315 Před 2 měsíci +8

    ややこしい所をしっかり説明していただきありがとうございます
    よ~く解りましたが
    他人には説明できません🤣👍️

  • @junshibuya261
    @junshibuya261 Před 2 měsíci +19

    今日の講義は勉強になったなー。 ドラマの内容がスッキリ。

  • @UMECHAN37
    @UMECHAN37 Před 2 měsíci +13

    いやぁーよくわかりました‼️👌
    つか、聞きたいことを遠慮会釈なく聞いて下さるラットさんとくーさんのお陰です!
    …にしても、本当にAI並のきりゅう先生の立て板に水の如くのスピードに「脳内整理」が追い付かず、時々一時停止しながら、やっとの思いでついていってます‪𐤔

  • @user-id5ne5bb5l
    @user-id5ne5bb5l Před 2 měsíci +5

    きりゅうさんの解説はいつも分かりやすく面白いです。ありがとうございました。

  • @user-tn9wl1iz4w
    @user-tn9wl1iz4w Před 2 měsíci +3

    皆さま今日もありがとうございます🎉

  • @user-xu9iz6hk2k
    @user-xu9iz6hk2k Před 2 měsíci +8

    当時の皇后、中宮の名称のややこしさがやっと理解できました、ありがとうございます✨これで今後の道長の一方的な政治的謀略、定子の悲劇にのぞめます😢
    きりゅうさんがAIで話し始めたら、絶対にイヤですよ〜😱本物のく〜さん、ラットちゃんとずっと出ていてほしいです🥺

  • @user-it2lz9ru8l
    @user-it2lz9ru8l Před 2 měsíci +12

    とてもためになります。私はあさきゆめみしや天上の虹などの漫画で育ったので…あとこのよをばの小説も読みました。大河の道長さんとはちと違いますがこれも新たな発見で楽しんでます。これからもよろしくお願いします。

  • @gackt643
    @gackt643 Před 2 měsíci +7

    Xでのきょうの予告を楽しみにしていました。ありがとうございました。あの3色団子は私も大好きです!♥ \( ͡ᵔ ͜ʖ ͡ᵔ )/ ♥

  • @miiwancosoba
    @miiwancosoba Před 2 měsíci +13

    「ウルトラC」だったんか~😳

  • @user-sk9sl2tt6l
    @user-sk9sl2tt6l Před 2 měsíci +4

    本当にくーさんが仰るとおり!こんなにややこしい話を説明しきったきりゅうさん、改めてすごいです!
    そして、奥さんの人数をくーさんが
    「もはや学校」とか
    「ライブかな?」
    っていうリアクションが笑えました

  • @user-hj5es7cu5w
    @user-hj5es7cu5w Před 2 měsíci +8

    ウルトラCがツボにハマりました(笑)

  • @umiushi11
    @umiushi11 Před 2 měsíci +11

    よくわかった。グットボタン ポチっとな

  • @user-oi1ln7gd5t
    @user-oi1ln7gd5t Před 2 měsíci +7

    この光る君へを見始めて いろいろ勉強するようになって初めて「中宮定子」はあくまでも「中宮定子」で決して「皇后定子」とは呼ばない理由がわかりました
    道隆はキレイなところを歩きすぎて 物事の裏を知らなかったから 権力の座にさえつけば 何をやっても許されると人の気持ちを疑うこともなかったのでしょうね

  • @rira807
    @rira807 Před 2 měsíci +22

    道隆が力わざ使うから、彰子も中宮になるなんて😢

  • @user-uf7ck4xn8n
    @user-uf7ck4xn8n Před 2 měsíci +15

    道長の娘も入内していた、と思ったらそういうことだったんですね!
    強引な策が衰退する引き金になるとは悲しい。
    いつの時代もワンマンな人は反感買うものですね。

    • @user-erikochan
      @user-erikochan Před 2 měsíci

      一帝二后を強行した道長もかなりのワンマン。それが通ったのは、強力なライバルがいなかったから?摂関の地位に固執しなかったから?道長のイエの政所の方が、内裏よりも旨味のある就職口だったから?

    • @user-oz9ne7su8e
      @user-oz9ne7su8e Před 2 měsíci

      道隆も強引ですけど天皇の正妻二人にした道長もかなり強引ですね
      現代人なのでこっちの方が受け付けない
      彰子が幼すぎてしばらく皇子産めないから立場を強化したかったんでしょうけど…
      すぐ皇子産んだら皇太后で良いですからね

  • @hedgehog0625
    @hedgehog0625 Před 2 měsíci +12

    待ってました❗️

  • @kenhisayosi
    @kenhisayosi Před 2 měsíci +3

    今日も分かり易い解説ありがとうございます🤗あんなにも揉めていた理由が良くわかりました。😊
    うちでも今チューリップが咲いてますよ😁

  • @user-bt3qj3qx9o
    @user-bt3qj3qx9o Před 2 měsíci +10

    ファジーか😂😂
    あったね、そんな言葉。

  • @user-pf4ws8vg4z
    @user-pf4ws8vg4z Před 2 měsíci +5

    おもしろかった!

  • @user-ys1bn3gq9t
    @user-ys1bn3gq9t Před 2 měsíci +5

    ウルトラCにファジー、きりゅうさんが言われると、なんか安心する~😂

  • @laughingswordfish3665
    @laughingswordfish3665 Před 2 měsíci +7

    知りたいと思っていた事を分かりやすく、しかも面白く解説していただいてありがたいです。
    チャンネル登録させていただきました。これからも楽しみにしております。

  • @pomelove9502
    @pomelove9502 Před 2 měsíci +5

    本来は皇后と呼ばれるはずなのに中宮へと変わっていく過程がよく分かりました。ありがとうございました😊
    それにしても……しきたりを最も重んじるのが平安時代な印象なのに皇后の呼称は変わるわ、役所に儀式のやり方が残されてないわ(→有職故実が重要に) 面白い時代、いかにも日本的なぁなぁ感もあったんだなーと感じます
    また定子ちゃんを中宮にする発想は、道隆お兄ちゃんの何としてでも問題を解決する政治力が最大限発揮された件だった気がしますね

  • @user-qr3nv7oi7y
    @user-qr3nv7oi7y Před 2 měsíci +8

    皇后=中宮なのは皇太子=東宮の様に皇后のお住まいが中宮だったのかと思ってました。勉強になるわ〜😮ますます面白くなってまいりました!!きりゅうさんありがとうございます😊「宮廷の諍い女」という清朝のドラマで、皇后は母后皇太后に、新帝の生母は聖母皇太后に、というくだりがありました。日本も三皇にこだわらずにそうすれば良かったのに😅

  • @fujinaasan2867
    @fujinaasan2867 Před 2 měsíci +7

    なまみ、なまみ〜!今どきですね~👍

  • @user-qt3kf9pq7x
    @user-qt3kf9pq7x Před 2 měsíci +6

    皆さまのコメントでも~成程、こういう視点もあるよね🤔と、こちらも勉強になりました。それくらいこの後宮制度はややこしい😅道隆兄ちゃんの意外に早い凋落は、一にも二にも父兼家より約二十年短い寿命だったでしょう。同じくらい生きれば栄華が続いた可能性あり❗

  • @user-pm9tv3wm8m
    @user-pm9tv3wm8m Před 2 měsíci +6

    多少歴史に詳しい人でも、定子さんと彰子さんが同格だったことは知っていてもそれぞれの呼び名はゴチャゴチャになっていて曖昧にしか覚えていなかった、という人が多かったのではないでしょうか?ようやく理解できたような気がします。

  • @user-qj3tl3kn8e
    @user-qj3tl3kn8e Před 2 měsíci +16

    大河ドラマは途中わからんちんになると見るのやめてたから、きりゅうさんの解説で、次も見たい!に変わりました。
    NHKはぜひ手数料を三人に払ってあげて欲しいな〜。😊😊😊

  • @user-sm9gd5eu8g
    @user-sm9gd5eu8g Před 2 měsíci +8

    現時点では、皇室も一夫一妻になって、こんなややこしいことはなくなりましたね。ただ、これで男系で子孫を残せって、かなり無理があるなとは思います。日本人のことだから、何かファジー解決方法を考えるのかもしれませんが、それがまたややこしい問題を生み出すとになりそうな気もします。

  • @m813a
    @m813a Před 2 měsíci +2

    家を守るものがワシの跡継ぎみたいたことを言ってましたが、兼家パパからの強引な身内びいきの技がお兄ちゃんにもしっかり踏襲されて、しかもよりあからさまに強引さが増したようですね。😅
    中宮と皇后の説明解りやすかったです。✨

  • @blueblue0928
    @blueblue0928 Před 2 měsíci +3

    皇后 遵子さんはもう皇后ではないのでは?! 辞めさせられるんじゃないの?とか、勝手に思い込んで観てたので🙄💭 きりゅうさんの解説聴いて…あぁ、位はそのままなんですね!😲😲😲
    難しいところが、とてもスッキリできました😂🎉
    今日も学ばせていただきました🙇✨
    ありがとうございます😊🟣

  • @kuraturbo
    @kuraturbo Před 2 měsíci +11

    本当にややこしすぎて私も前調べたんですが、なんか元々天皇の生母であっても皇后でなければ皇太后になれなかったのに詮子も無理やり皇太后になっちゃったから枠が全部埋まっちゃったというのを見ました。全員が全員で自分勝手で動いて結局ややこしくなっちゃったってことですよねw

  • @07stargazer
    @07stargazer Před 2 měsíci +8

    今日のヒットはウルトラCです。

  • @cancan5892
    @cancan5892 Před 2 měsíci +33

    そもそも天皇が代替わりした時に名称を一つずつ上げていけばいいものを、先々代冷泉天皇時代の皇后までそのままにしているから、面倒になっていますよね。皇后は天皇妃の意味なのだから、遵子が一条天皇時代に皇后と呼ばれることが妙に感じます。天皇の后は生存中はずっと、名称がそのまま続くから、こういう不具合が出てくるわけで、中国や現在の皇室の制度の方が、納得できます。道隆は定子が女御のままであると、他の女御に先に皇太子を産まれてしまうとまずいと考えて、こういう奇策を練ったのでしょう。
    道隆は強引に進めたとしても、あくまで天皇の后は一人を守ったのに、道長はこれを最大限利用して自分の娘を入内させ最高位につけるため、天皇の后を二人にしてしまったわけで、こちらの方があくどいですね。

    • @user-md7zg8ye8f
      @user-md7zg8ye8f Před 2 měsíci

      このコメントを読んでリビアのカダフィ大佐のことを思い出した あそこもカダフィさんは大統領くらいの地位にいるのにずっと大佐と名乗っているから部下たちか大佐以上の階級を名乗れないという事態に陥っている というのを思い出した

  • @kkcombipl
    @kkcombipl Před 2 měsíci +10

    解説内容が完璧すぎて素晴らしい。中宮職や皇后職といった役所名があって、云々まではなんとなく
    わかっていましたが、天皇や皇后の代替わりごとにどういう経緯をたどってややこしくなったのかが
    実に詳細に述べられています。今度から、中宮とか皇后とかなんやねん、って言われたら真っ先に
    この動画を見てもらいます(笑)。

  • @user-eg3os3iu6m
    @user-eg3os3iu6m Před 2 měsíci +115

    今の上皇陛下の奥さんである上皇后陛下は皇太后で良かったのでないかと未だに思っています。

    • @rinnmm2523
      @rinnmm2523 Před 2 měsíci +39

      そうですよね。上皇后とか前例がありません。
      黒光りの君なら、皇后の上とかあり得んと怒っていたでしょうね。

    • @kein4804
      @kein4804 Před 2 měsíci +39

      あの特例法については「上皇」もおかしい。正式名の「太上天皇」を略して「上皇」と呼んでいたのに、「上皇」を正式な呼称としてしまった。
      「太上天皇(上皇)」と「皇太后」で問題なかったのに、不必要な造語に置き換えた。

    • @user-md7zg8ye8f
      @user-md7zg8ye8f Před 2 měsíci +15

      これが前例となって引退した天皇は上皇 そして奥さんが上皇后になるんでしょうね  でもまだ先の上皇陛下が生きていたら・・・ また『前例』をつくるしかない

    • @user-erikochan
      @user-erikochan Před 2 měsíci +1

      「天皇家」の家長としての「上皇」、「皇太后職」がつき、経済的に自立している「皇太后」のイメージを避けたかったのかな?
      平成から令和にかけての退位は、退位後の上皇とその后には政治的な権限はありませんよ、っていいたかったんだね。

    • @kanaharu3585
      @kanaharu3585 Před 2 měsíci +11

      「皇太后」は、「未亡人」を連想させるから良くないという意見があったようです。
      譲位した場合も「皇太后」は存在したので、私も納得はできていません。

  • @peterraccoon2160
    @peterraccoon2160 Před 2 měsíci +5

    役所の名前をお世話する方に合せて名前を変えたら良かったのに、平安時代も融通が効かなかったんですね

  • @user-qz4pf4bi4f
    @user-qz4pf4bi4f Před 2 měsíci +2

    教えていただきありがとうございます😊

    • @kashimashi_rekishi_ch
      @kashimashi_rekishi_ch  Před 2 měsíci +1

      スーパーサンクスいただきました~💖ありがとうございます。

  • @sS000
    @sS000 Před 2 měsíci +16

    道隆はなぜそんなに強引に定子を中宮にしたかったのか?中宮になる前に他の女性が皇子を生めば、その皇子が皇太子になってしまう可能性があるから。中宮が皇子を産めば、長男でなくても皇太子になれるから。ですか。

  • @user-fs1qf7yw3p
    @user-fs1qf7yw3p Před 2 měsíci +2

    道隆が皇后と中宮を別ものとしたのを、首相と総理大臣を例にして人に説明していましたが、「微妙に違う?」と不安でした。
    今回、きりゅうさんが首相と総理大臣を例に挙げられていてほっとしました。
    ありがとうございました。

  • @yngkz23
    @yngkz23 Před 2 měsíci +6

    上西門院の時代になると皇后や中宮が天皇の妻ではなくなりますね。

  • @tmzwdt
    @tmzwdt Před 2 měsíci +1

    初めてこちらのチャンネル拝見しました!分かりやすく聞きやすいお声で良かったです❤

  • @user-nb8gj5yp4e
    @user-nb8gj5yp4e Před 2 měsíci

    わかり易過ぎて感動しました

  • @user-jj1ix2ic7p
    @user-jj1ix2ic7p Před 2 měsíci +59

    どう考えても円融が悪い... 天皇じゃなくなったんだから皇后も引退にしないとそりゃおかしいわ

    • @user-fs1qf7yw3p
      @user-fs1qf7yw3p Před 2 měsíci +8

      皇后も引退ってのは違うような…?
      いや、引退でもいいけど、だったら別の称号が必要になるから(さすがに皇后にまで上り詰めたお方を無冠にはできないかと)。

    • @mihokomori6501
      @mihokomori6501 Před 2 měsíci +6

      @@user-fs1qf7yw3p それで後に女院制度が生まれたんでしょうかね。

    • @iwaoushjima5928
      @iwaoushjima5928 Před 2 měsíci +5

      三十年くらい前にイギリスも似たような問題で悩まされましたね。
      チャールズさんとダイアナさん離婚に際して、ダイアナさんの王太子妃の称号と役所を残すとかなんとか。
      やんごとない方たちのしきたりは真にめんどくさいです。

  • @akita2904
    @akita2904 Před 2 měsíci +1

    皇后や中宮といった名称は位階や官職みたいなものかしらと疑問に思ってたので今回の動画とても分かりやすかったです。

  • @iwaoushjima5928
    @iwaoushjima5928 Před 2 měsíci +3

    道隆さん、一生懸命理屈をひねり出したんだろうなあ。

  • @user-tj1rt7cq7e
    @user-tj1rt7cq7e Před 2 měsíci +9

    源氏物語の書き出しに、女御、更衣あまたさぶらいけるってありますよね…きりゅうさんの説明でよく理解でしました!韓国ドラマでも天皇の妻をチュンジョンっていってますよね。

  • @saya-rc2rl
    @saya-rc2rl Před 2 měsíci +21

    AIばりの解説、どうもありがとうございます!定子を中宮にした道隆... パパの精神である権力と家の存続を、しっかり継いでますね😅

  • @nogainnopain2869
    @nogainnopain2869 Před 2 měsíci +9

    現天皇の正妻が皇后のはずなのに、先々代の天皇の正妻が皇后なのは何故?

  • @sayokowaffle9107
    @sayokowaffle9107 Před 2 měsíci +7

    この時代天皇は若年で変わる事が多いから大体前の皇后も生きてるし、本来はそのたびに呼び名や立場を刷新しないと、
    皇太后・太皇太后もわらわら増えてきますよね当然w 
    ふと思ったんですが、今の上皇陛下がもし出家(100%ないですが!w)なさると「平成院」とかになるんでしょうか。
    現代に「天皇陛下」と「上皇陛下」がいらっしゃるのが結構感動しています。

    • @kanaharu3585
      @kanaharu3585 Před 2 měsíci +2

      元々、出家しなくても譲位や崩御後の尊称として「〇〇院」と呼ばれることはあったようです。
      上皇陛下も、特措法の内容次第では「〇〇院」と呼ばれていたかもしれませんね。

    • @sayokowaffle9107
      @sayokowaffle9107 Před 2 měsíci +1

      @@kanaharu3585  そうなんですね!教えてくださりありがとうございます。出家上皇→法皇という呼称もカッコいいなあと思いますw(小並感)

  • @wtanabe2208
    @wtanabe2208 Před 2 měsíci +6

    中宮定子についてよくわかりました😊
    いつの世も権力を握った者は何でもありなのですね…😅

  • @tkatsumi1967
    @tkatsumi1967 Před 2 měsíci +2

    く~さん、かわええ~(*^^*)

  • @user-dl7sz7ns5l
    @user-dl7sz7ns5l Před 2 měsíci +7

    皇后を中宮という呼ぶ呼び方は、皇太子を東宮(春宮)と呼ぶのと同じ発想。皇太子一家の世話をする部署は現代でも「東宮職」と呼ぶから、「中宮職」と全く同じ。現在は皇太子が置かれていないので「東宮職」は置かれていないが。
    さすがに皇太子とは別に「東宮」という天皇の後継者を設けることはできないだろうが、まあ皇后と中宮なら何とかなるだろう、という感覚だったと思われる。

  • @tianon9692
    @tianon9692 Před 2 měsíci +23

    ファジーって30年ぶりくらいに聞いた(笑)

  • @savagebear2610
    @savagebear2610 Před 2 měsíci +8

    天皇が次々と変わったら正妻は位がない(皇后・中宮)のがでたんじゃないかって思います。どうでしょう?

  • @dact8776
    @dact8776 Před 2 měsíci +6

    中宮のことがすっと理解できました。くーさんのメンバーシップのところでは、きりゅうさんは歴史の超人だと思いました。
    毎回難易度が高い事柄をわかりやすく解説されていると思うからです。

  • @chiekoasai
    @chiekoasai Před 2 měsíci +13

    最高権力者こそ名目やプロセスを守るべきである理由は、目先のトンチで我田引水してしまうと「長い目で見たらしっぺ返しを食らうから」なのかもしれませんね

  • @ka-ro5ip
    @ka-ro5ip Před 2 měsíci +14

    中宮が二人…
    収入が莫大じゃないと無理な話ですよね😅
    一体、中宮お一人で年間どの位のお金が必要なんでしょう?

    • @user-erikochan
      @user-erikochan Před 2 měsíci +1

      中宮職に荘園をつけて経営させ、そのアガリで中宮にかかる費用をまかなう。そしてこの中宮職は一般人の勤め口でもあった、という理解でいますが、きりゅう先生、これで合ってます?

  • @user-sh6fe9qj6q
    @user-sh6fe9qj6q Před 2 měsíci +10

    もう‥こんがらがりました😱💦中宮は皇后の世話をする人と言われるまでの前半🌀🌀💦 きりゅうさん、待ってー😫💦って感じでした。そしたら又道隆が〜‥難しい回でした‥私だけでしょうか😅ありがとうございました🙏❣️

  • @user-mv6cm3yt2z
    @user-mv6cm3yt2z Před 2 měsíci +10

    この時代の天皇はなんとも、、、うらやまけしからん😤

    • @iwaoushjima5928
      @iwaoushjima5928 Před 2 měsíci

      花山法皇「まあ、落ち着いて。」

  • @kyoko7343
    @kyoko7343 Před 2 měsíci +7

    源氏物語の藤壺の宮。
    藤壺女御と称される事があるけど、原文では”女御”と言う記述がありません。
    彼女は后腹の内親王だから、おそらくは(律令制の)后の待遇を受けたのでしょう。

  • @user-cp4zq4iy7m
    @user-cp4zq4iy7m Před 2 měsíci +17

    円融天皇の正妻が皇后のままということは、
    花山天皇の正妻さんも、空きが無いから皇后にはなれなかったっていうことなんでしょうか?

    • @user-vz8gr7ou3x
      @user-vz8gr7ou3x Před 2 měsíci +1

      花山天皇はいわゆる「正妻」が定まらない状態だったのではないでしょうか。女御が複数と一部愛人にしていた女官(と一部一般貴族女性)がいただけです。よしこさんが男子を産んでいれば間違いなく正妃、皇后にしたでしょうね。と、思うのですが…やはりこの件が引っかかっていたのでしょうか。道隆のように強引にやり切るパワーも、後ろ盾が弱くて難しかったのか。
      花山天皇は乳母関係を除くとなぜか斉信の妹ばかり大事にしてますよね
      なぜに…斉信

    • @user-cp4zq4iy7m
      @user-cp4zq4iy7m Před 2 měsíci

      @@user-vz8gr7ou3x さん
      なるほどです。
      ありがとうございます♥️

  • @kk-uc4wt
    @kk-uc4wt Před 2 měsíci +22

    1度皇后になると死ぬまでそのままなんですね!
    天皇の母が皇太后になるのは分かりますが、
    皇后は夫である天皇と共に退位すれば、
    こんなややこしいことにはならないのでは…

  • @user-rs1hp2xy7i
    @user-rs1hp2xy7i Před 2 měsíci +4

    道隆のこの横紙破りのやり方は、後々道長に利用されて中関白家は足元を掬われるわけですから、ある意味因果応報と言えるのでしょうか。
    まさに「次の星も長くは続かない」のですね。

  • @yossy78
    @yossy78 Před 2 měsíci

    ウルトラCのカラクリえあかりました😯が、定子は嫁いだ時女御だったんですね。

  • @もちょりんこ
    @もちょりんこ Před 2 měsíci +2

    中宮と皇后の両立案、なんかこう…道隆さんの奥さんが入れ知恵してそうな気がしないでもないですが。
    ドラマを見てる感じでは。
    出来る女房だったってことは、そこのとこの役職とか詳しそうですし。

  • @user-om8ck6xi5h
    @user-om8ck6xi5h Před 2 měsíci +3

    なんだかわかったようなわからんような? 呼び名はともかく定子ちゃんと一条天皇が幸せであれば良いのです😊

    • @kashimashi_rekishi_ch
      @kashimashi_rekishi_ch  Před 2 měsíci +3

      それが一番大事w

    • @user-om8ck6xi5h
      @user-om8ck6xi5h Před 2 měsíci

      きりゅうさん、ありがとうございます🎉。あんなにいたいけな二人には、悲しい涙は似合わないです

  • @sS000
    @sS000 Před 2 měsíci +2

    「太皇太后、皇太后、皇后」のような表をドラマの中でも表示して欲しい。

  • @sara_sara-yi5zy
    @sara_sara-yi5zy Před 2 měsíci +5

    すっごくわかりやすく面白かったです!
    関係ないですが、昔のお歯黒や、まろ眉はなんのためにやっていたのか、当時の人達は変だと思わなかったのか気になります!

    • @kashimashi_rekishi_ch
      @kashimashi_rekishi_ch  Před 2 měsíci +5

      バブル期の肩パットやワンレンボディコンが、いまは変に感じるのと同じですねw 当時は、それが美しいと思われていたのです。(お歯黒は虫歯予防の意味もありましたがw)

  • @sekkie3503
    @sekkie3503 Před 2 měsíci +1

    昭和天皇が現上皇がお生まれになるまで、4人の内親王のご誕生が続いた時に、宮内省から、中宮を立てるよう強く要請されたという。その中宮の意味を第二夫人くらいに思っていたので、なんで昭和天皇が頑なに要請を拒まれたのか分からなかったのですが、今回のご説明でわかったような気がします。

  • @user-qt3kf9pq7x
    @user-qt3kf9pq7x Před 2 měsíci +2

    待望の「天皇の妻」解説~絶好のタイミングで出していただきました❗やはり少し前までは早すぎて、ドラマの展開上まさに今がベストですね。頭にも入りやすかったです😃(太皇太后+皇太后+皇后)=中宮の意味が⇒皇后=中宮に変わっていった変遷もよく分かりました。「皇太子と東宮」・「総理と首相」の例えも理解を助けてくれます。そしてどちらも現在に至るまで分離されていない❗分離できるはずもない❗しかし、皇后と中宮は・・・
    そして醍醐天皇・后の穏子さんのファジーな対応に加えて⇒後の詮子さんが女御止まりだったのに、懐仁親王が一条天皇に即位した結果で皇后を通り越して、現天皇生母ということで皇太后になっちゃった・・・頼忠娘の遵子さんが円融天皇の(中宮→皇后)と立后したけど、結局皇子は為せなかった。でも円融が天皇を退いても(上皇)→遵子の皇后位は、お二人が存命な内はそのままなのかぁ・・・この辺りもファジーな感じ❓いや、冷泉帝も退位後~この頃ご存命のようですし、そのお相手も存命だから皆、動かないわけかぁ❓・・・
    そこで道隆は(近臣のアドバイスもあっただろうが)皇后と中宮の分離策を取ったのでしょうが、将来~定子に先んじて他の女御等に皇子が生まれても、定子が中宮になっていれば定子が産む皇子の皇位継承権は揺るがないと確信して断行したと考えれば、道隆の気持ち(≒焦り)も分からないでもありません。新摂政(関白?)たる道隆の娘が、いわゆる「天皇の正妻」に成れないとは何事か❗の思いもあったかもしれないと想像致しました😅でも私の理解度はまだ85%くらいか❓自信がありません💦💦

    • @kashimashi_rekishi_ch
      @kashimashi_rekishi_ch  Před 2 měsíci +2

      パーフェクト💖

    • @user-qt3kf9pq7x
      @user-qt3kf9pq7x Před 2 měsíci +3

      良かったぁ❗きりゅうサン、ありがとう☺しかし仮に、天皇位の譲位ナシ&終身制や幼帝はダメ&立太子も無い奈良以前のままでは、皇位継承は大変でしたでしょうね・・・

  • @user-me7vr2yi9e
    @user-me7vr2yi9e Před 2 měsíci +13

    三条天皇の時も道長が二人正妻の原因作りましたね。ややこしくする道長😅

  • @m.sakurai9519
    @m.sakurai9519 Před 2 měsíci +2

    おかしいですよね。円融さんは院になったんだから、皇后も皇太后にならないと。皇后は次の皇太子を生む役目だから、そこは大事な位置。
    とにかく中関白家はやることなすこと裏目に出ていく、不思議な、まぁ、まわりの意見を聞かないとこうなる見本のような話ですね。

  • @virgoshaka5601
    @virgoshaka5601 Před 2 měsíci

    この前例が無いので~…のヤリトリのところ、チャングムのラストで、チャングムを気に入った王様が、チャングムに前例の無い高い地位を与えようとしたシーンを思い出しました😅
    最初があるから、前例って生まれるんですもんね😅

  • @user-vp2cm8kr1e
    @user-vp2cm8kr1e Před 2 měsíci +10

    なるほど、よく分かりました。で、ウルトラCの必殺技が後々に、中の関白家の没落を招く要因になって行くと。こういう人智の遠く及ばん処が歴史の妙味やなあ。

  • @SarahDivaR
    @SarahDivaR Před 2 měsíci +3

    うーん 円融天皇の厄介な立后のせいで仕方なくできた仕組みだったんですね。
    当時の人達は覚えることが多くて大変そう…

  • @maimai_1234
    @maimai_1234 Před 2 měsíci

    大河を見ていて、???の部分でしたので動画にしていただけて嬉しいです!

  • @user-ms4zf4im4v
    @user-ms4zf4im4v Před 2 měsíci

    きりゅう先生がXで紹介して下さった三色団子🍡美味しそうでした。もっとお安い感じの同じお団子の色を変えただけみたいなのも好きですが(笑)
    ものすごい荒業で、皇后二人みたいになってしまって、あの手この手で考えるなぁ~と
    チューリップ綺麗です🌷春なのに~風邪引いてます😷花粉症かしら❓ヤダァ~( ;∀;)

  • @kanaharu3585
    @kanaharu3585 Před 2 měsíci

    亡くなった後で「皇后」や「皇太后」の位を贈られるパターンもありますね。
    平安以前だと「皇太夫人」や「皇太妃」もあったり、「女性皇族以外は皇后になれない」という決まりがあったりと、更にややこしい…
    江戸時代くらいになると、中宮や皇后を立てることも少なくなって、天皇の母親が女御や典侍のままだったりもありました。
    ちなみに、最後に中宮に叙されたのは昭憲皇太后で、これ以降は「天皇の嫡妻=皇后」が固定になりましたね。

  • @cancan5892
    @cancan5892 Před 2 měsíci +5

    道隆の早急で強引、急激な変革、自分の思い通りに政治を動かすやり方は、多くの公卿の不満を呼ぶ。父兼家とは似て非なる処し方は、あまりにも拙い。道長は兼家に見込まれ、都度々政治の運び方、皆をうまく懐柔する術を観察していたので、兄のやり方の不味さを悟っていたと思う。道長はこの兄を反面教師にし、後の政を取り仕切り全盛期を迎えるのだろう。道綱や行成、実資など味方を作りつつ、徐々に進めながら。
    赤い月は、不吉や大災害の前兆と古来から言われていた。科学的知識のない世では、恐怖の対象だったろう。だから、赤い月、兼家の死、血、明子の流産と連想させる。しかし、現在ではスピリチュアルな意味として、1:変容と再生、2:新たな始まり、3:エネルギー、パワーを表す。1:月食は、過去の状況から解放され新しい可能性を受け入れる時期を示唆、2:新たなチャンス、始まりの象徴、古いものが去り、新しいものが生まれる可能性が開ける、3:個人の勇気や情熱をもたらし行動に移す力を与える、と考えられるそうだ。これを踏まえて推論すれば、兼家という大御所が去り、新たな子供達の時代が訪れ、自分達の目指す政を司って行く、初め道隆、道兼、そして最終的に道長が栄華を極めるということを表現しているのかもしれない。

  • @TheTradboy
    @TheTradboy Před 2 měsíci +1

    ロボットと言えば、「戦国VASARA」の本多忠勝⁉️😅💦ゆえに『きりゅうジャイアントロボ』⁉️😱💦

  • @mihokomori6501
    @mihokomori6501 Před 2 měsíci +2

    きりゅうさんは人間ではない…?!もしや…神ですか?!ww
    AIきりゅうがもしできたとしても、きりゅうさんなら、あっさりそれを凌駕しそうです。
    熱意のこもった解説ありがとうございます。
    皇太后も中宮に含まれていたなんて初耳でした。てっきり昔から大宮と呼ばれているのだと思っていました。
    最近ですが、昭和天皇即位後は貞明皇后は大宮御所で暮らしていらっしゃったようでしたので。
    皇后→中宮、皇太子→東宮(春宮)、とのことですが、西宮や北宮や南宮はあった(いた?)のでしょうか?
    あと中国の後宮では、皇后の下は貴妃、淑妃、徳妃、賢妃の4妃と聞いた気がするのですが、モデルケースとは違うみたいですね。時代が違うのでしょうか?

  • @user-xf7fx4xm8h
    @user-xf7fx4xm8h Před 13 dny

    クイズに「職の御曹司」とは何かという問題が出て来ました。私はこれを「しょくのおんぞうし」と読んでしまいました。「しきのみぞうし」と読むんですね。
    全然わかりませんでした。
    現代での「御曹司」は「おんぞうし」で、資産家や地位の高い親を持った息子という風に解釈して呼んでいますよね。
    まさか中宮職の曹司。中宮のしき(職)の事務所(曹司)だとは・・・

  • @user-eh9dq5zb7t
    @user-eh9dq5zb7t Před 2 měsíci +1

    お上 手習いが終わったらケンタッキーにしましょう。
     御膳が近いのでポカリにしましょう。
     数年前まで麒麟をお慕いしておりましたが今は道長様です。

  • @user-bb8rn6wk1h
    @user-bb8rn6wk1h Před 2 měsíci +2

    よろしければ、平安時代の離婚について教えてください(もう動画出てたらすみません)。
    大河ドラマで、ききょうが「夫を捨てる。息子も夫におっつけるつもり」と言っていたり、道兼の妻が「お暇いただきます。好きな殿御が出来たので」と出ていく場面がありました。
    一方、朝ドラ「虎に翼」では、昭和初期の女性が、暴力夫と離婚したくても、なかなか離婚できなかったり、「婚姻中、妻の財産は夫が管理する」という法律があったりして、「平安時代の方が女性の権利が守られてるんじゃないか」と感じました。平安時代は離婚でもめたりしなかったのでしょうか。
    為時パパの妾なつめは、前の夫と離縁し、経済的に苦しそうな描写がありました。あくまで実家の経済力がものをいうのでしょうか。

  • @user-cb6ju2wv9k
    @user-cb6ju2wv9k Před 2 měsíci

    凄いなぁ…きりゅうさん

  • @user-ti9ih6oe8h
    @user-ti9ih6oe8h Před 2 měsíci +2

    権力者、高級貴族の娘さんは、入内するのがステイタスですが、この時代の天皇の娘は、どんな人生を歩んでいたのでしょうか?教えて頂けたら、嬉しいです。

    • @yukizakura116
      @yukizakura116 Před 2 měsíci

      わたしのちょこっとだけの知識ですが、位が高い故に、結婚相手が力を持ってしまうことを怖れて、独身の方が多かったと、どこかで見ました😅

  • @uuusapy
    @uuusapy Před 2 měsíci +6

    動画アップ待ってました💖
    質問なのですが🙋‍♀️
    ドラマで、兼家は「関白」なのに道隆が「摂政」だったのは何故ですか?
    天皇が未成年のときは摂政、成人したら関白と呼び名が変わると習ったので、どうして😮????となりました!
    教えてください~!

    • @kashimashi_rekishi_ch
      @kashimashi_rekishi_ch  Před 2 měsíci +6

      金曜日の動画ではなしまーす!

    • @user-wk3ry2pu8m
      @user-wk3ry2pu8m Před 2 měsíci +6

      私もそこ疑
      問で調べました。
      990年に一条天皇が11歳で元服したので兼家が摂政から関白に…体調悪くてすぐ辞めて道隆に関白を譲る。道隆はしばらく関白をしていたが(約1ヶ月)やはりまだ11歳の天皇が政治力がないため関白から摂政になる。993年には天皇は14歳 その時にまた関白になり(病気になる995年まで)

    • @user-wk3ry2pu8m
      @user-wk3ry2pu8m Před 2 měsíci +4

      間違っていたらごめんなさい。金曜日の配信ではっきりわかると思います😂

    • @uuusapy
      @uuusapy Před 2 měsíci +1

      @@kashimashi_rekishi_chわーい!楽しみにしてます😊

  • @user-lc2fy7wd1h
    @user-lc2fy7wd1h Před 2 měsíci

    ファジーって久しぶりに聞いたよ〜(笑)

  • @user-ri2tl1xz1m
    @user-ri2tl1xz1m Před 2 měsíci +4

    東福門院和子の涙で、中宮が復活したと読んだような記憶があります。自分が中学生だったのでうろ覚えです。和子様の時は秀忠が中宮復活させたのですか?

    • @Yuki-qc6ge
      @Yuki-qc6ge Před 2 měsíci +4

      中宮の座が長らく空いていた。と書いてありましたよね?家光の代に中宮に冊封されたのかな?
      しかも和子中宮が入内前に親王様お産まれになってました

    • @TakeTaka-eu6pw
      @TakeTaka-eu6pw Před 2 měsíci +4

      中宮が置かれたのは確か後醍醐天皇までで(調べたら西園寺禧子)それから200年以上も天皇に正妃(中宮、中宮がいなければ女御)が置かれることはなくなりました。この間次の天皇を生んだのは身の回りの世話をする典侍などが多かったようです。正妃が復活したのは安土桃山時代の後陽成天皇女御(中宮ではない)の近衛前子。そしてやっと中宮が復活したのは次の後水尾天皇の徳川和子ということのようです。将軍の娘なのでさすがに女御というわけにはいかなかったのでしょう。

    • @user-ri2tl1xz1m
      @user-ri2tl1xz1m Před 2 měsíci +2

      Take TakaさんYukiちゃんねるさん 教えていただきありがとうございます。中宮 ・女御 様は平安の貴族に力があった時代だから存在できた階級なのでしょうか。

  • @user-il3vj4ef8k
    @user-il3vj4ef8k Před 2 měsíci

    うぽつです。狐憑きの様で
    何回聞いても、よく分かりません。
    でも、もし当時の宮中で
    良く見聞きする話だったのでしたら
    安倍晴明さんの存在、頷けます。

  • @RedRose-md8je
    @RedRose-md8je Před 2 měsíci

    源氏物語で、冷泉帝の梅壺女御は秋好中宮になりましたが、源氏物語では中宮が最高位で書かれてたので、私の中では皇后より中宮が上の認識でした。

  • @irrrrrrrrrrrrrrrrrru
    @irrrrrrrrrrrrrrrrrru Před 2 měsíci +1

    天皇の妻ではなくなった段階で、遵子は皇太后(先代の妻)になるはずが、皇太后(天皇の母)は詮子だったから皇后のままだったということかしら? 太皇太后(先先代の妻)は昌子が存命だった。そもそも、詮子は天皇の母だから皇太后になるわけにもいかない(?)。そのため定子は女御のままだったが、皇后と中宮を並び立たせるウルトラCを編み出した、という話しなのかなと理解しました。かなり、ややこしい。。

  • @ae3779
    @ae3779 Před 2 měsíci

    皇后の前例破りは、藤原の曙・光明皇后から。それまで、皇族や、それに準ずる身分の者がなれました。
     宝塚で、奈良時代を扱ったミュージカルがあって、安宿王(あすかのおおきみ)、首皇子(後の聖武天皇)、安宿媛(後の光明皇后)のロマンス絡み、さらに、「皇族でもない、皇子もいない者に、皇后なぞ、以てのほか❗」と、長屋王が異を唱えていたような………のを、うろ覚えですが😅
     とにかく、珍しくて、藤原氏が無理矢理ゴリ押しして、皇后にした例です。
     しかし、皇后のお住いを「中宮」と呼び、そこから転じて皇后の別称となった。皇后のお世話、事務一切を取り仕切る部署を「中宮識」と言うのも、皇后の住まいにちなんでいるようです。
     道隆が、政権をとろうとする頃、三后(太皇太后・皇太后・皇后(中宮も含む))は既に満員で入り込むスキはありません。せいぜいで、女御どまり。
     しかし、元服して成人した天皇の后を女御のままにする訳にはゆかず。そのため、女院となって一后が空いていた事から、整理をし、中宮識と皇后宮識を置き、区別された。とみれはいいのかな❔

  • @chikaaraki8146
    @chikaaraki8146 Před 2 měsíci +1

    質問です。源氏物語の弘徽殿の女御は天皇の実母で女御、藤壺は東宮、次の天皇の母で、中宮。。。
    皇后=中宮の場合、弘徽殿の女御は皇后宮がお世話しているって事で、
    皇后=中宮ではなくなっている、で、いいですか?なんとなく、源氏物語では、愛された藤壺が中宮になったっぽく感じました。両方とも天皇の母で、弘徽殿の女御腹の天皇の方が兄で先に天皇になったのに、中宮の位を持った藤壺は特別のポジションを紫式部は演出したんでしょうか。

    • @kanaharu3585
      @kanaharu3585 Před 2 měsíci

      後ろ盾の強さもあったのかもしれませんね。
      弘徽殿の女御は父親が右大臣で、孫(弘徽殿の女御の皇子、後の朱雀帝)が即位すれば権力が強くなる一方。
      確か、皇后をすっ飛ばして大后(おそらく皇太后の意)になった気がします。
      藤壺は、皇族の生まれるとはいえ後ろ盾になる権力者がいないので、「中宮」という位を与えることで藤壺と皇子(後の冷泉帝)を守ろうとしたのかなと思いました。