平安貴族の結婚|今と違いすぎる男女関係!紫式部や藤原道長の結婚生活の実態は?!【光る君へ】
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- čas přidán 3. 03. 2024
- 平安時代の婚姻制度は現代人からは考えられないほど今と異なっています。
結婚は摂関政治と密接に繋がっており、藤原道長は娘を天皇に入内させることで絶大な権力を握っていきました。
一夫多妻制度によって男性は複数の女性と関係を持ち、女性は複雑な心境を抱いたとされます。
こうした文化の一面が、紫式部の源氏物語からも垣間見ることが可能です。
藤原道長にも源倫子や源明子をはじめ複数の妻が存在したとされますが、実際にはどのような結婚生活を過ごしていたのでしょうか?
また、紫式部と浮気夫・藤原為時の関係は果たして順調だったのでしょうか・・・
大河ドラマ「光る君へ」がより一層面白くなること間違いなし!ぜひ平安貴族の結婚生活を一緒に覗いてみましょう!!
#大河ドラマ #光る君へ #紫式部
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どちらにせよ紫式部は男性に寵愛される人ではなくその面では不幸せな生涯だったのではないでしょうか、だから物語の中に溺れるように自分の欲求を満たしていたのではないでしょうか
12:27
内容はとても参考になりますが、途中で入る効果音は変なのでない方がいいと思います。
天元パパと杏寿郎ママが結婚したのは、平安時代かなぁ?
藤原道長と紫式部は遠縁の親戚に当たるとか聞いたことがあります🤔
藤原道長と紫式部の関係はどちらとも判断できないと思います。
男女の愛情関係というより、戦友関係に近かった感じだな。道長は三男坊の身から権力を完全掌握、紫式部は貧乏貴族の娘から宮中の人気を掌握という、ともに成り上がりの大望を抱える身であった。それを実現させる大きな共通武器として「紫式部の文才」があったとも言える。だから道長も、紫式部の創作意欲に水を差すような「強引な求婚」は避けていたのではないか。
素晴らしい歴史の配信に感謝致します。
紫式部はコネで出仕してからその後彰子の教育用に源氏物語を執筆ですよ。逆です。
正妻は、家柄、親の地位や財産が重要視された。