【驚愕】オフコース脱退と解散の真相!小田和正と鈴木康博の雪解け!【懐かし芸能ワイドショー】
Vložit
- čas přidán 23. 12. 2022
- 89年に惜しまれつつ解散しています。オフコースが解散に
至った原因、結成当初からの主要メンバー、
鈴木康博さんの脱退について、真相に迫ってみました!
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VOICEVOX;冥鳴ひまり - Zábava
オフコースは僕の20代のバイブルでした。小田さん鈴木さん二人がいてオフコースです。鈴木さんが辞めた時に僕のオフコースは終わりました。
康さんの曲も良かったのですが、小田さんの曲も声も良すぎた。でも康さんのコーラスがあってこそのオフコースだと思う。
もうコーラス入れるには声が劣化し過ぎて出ないかと
当時に無理に高いキーを出していたのもそうですが年齢的にもと言いたいとこですが30年ぐらい前から高いのが出なくなってましたね
違うだろ!愛を止めないでが先にヒットしてから、有名になり、その後に出したさよならが大ヒットしたんだ。眠れぬ夜はさほど売れてはいないはず。康広さん自信作品のロンドを小田さんが、これからのオフコースには合わないと非難されて、以降のシングルは小田さんがボーカル、康広さんはコーラス、ギター担当になった。アルバムでは、康広さんの曲はかなり収録されてるぞ!勿論コンサートでも康広さんの曲はかなり披露してる。
@@user-pm2oo3fn1o 「眠れぬ夜」はオフコースではなく西城秀樹がカバーして有名になった曲という印象がありますね。いい曲ですが、オフコースとして売れた曲ではなかったと思います。
康広→康博が正しい。
ロンドはテレビ主題歌として、テーマの母親への思いを歌ったもの。アルバムはもちろん、ライブでもほとんどやらなかったはず。
これはオフコースではなくやっさんがソロでやるべきでした。
40年来のオフコースファンです。再結成はもう望まないけど、せめて小田さん、ヤスさんの対談が実現してほしい😢
ヤスさんの「もう花はいらない」「雨よ激しく」が、いかに名曲かということが、五十を過ぎてからしみじみわかるようになりました。「いくつもの星の下で」の間奏は、今聞いても泣きそうになります。
私は鈴木さんの「いくつもの星の下で」が大好きでした、あと「水曜日の午後」「汐の香り」「夜は二人で」
ソロを聞くと分かると思うけど小田さんは曲も声もいいけどずっとそれだけだと飽きたり胃もたれするんだよ。二人が交互に来るくらいが一番心地よく聞ける。
小田信者(特に女性)は、小田氏の唄だけで良いと思うだろうが、自分も鈴木氏とミックスで聴きたい派です。
私は女性ですが、鈴木信者(笑)です。私の理想だったオフコースのボーカルは、
鈴木4 小田3 松尾2 清水1
の割合での入った アルバムが有れば それが理想 です🎵
鈴木信者とはいえ要するに、みんな好き❤
二人の頃のオフコースが良かった❤
脱退に至った詳しい経緯として、
コンペで「こういうのをやりたい」と提案しても「それはオフコースらしくないから」と受け入れられなかったとかもあるみたいです。
そういう物事の積み重ねで「自分の土俵をちゃんと作らないと」という心境に至ったんだと思います。
ちなみに、動画で「脱退後、オフコースの曲を封印した」とありますが、封印はしてません。
ソロデビュー直後からライブでも歌ってるし、オフコース楽曲のセルフカバーアルバムは2枚出してます。
小田さんとはラジオ以前に、ローカル番組にゲストで出た時に手紙を送られたり、冠婚葬祭で顔を合わせたりしています。
オフコース脱退後疎遠にはなりましたが、世間で言われるような不仲ではないと思います。
変な言い方かもしれませんが、脱退の経緯が「オフコース=小田」(本人談)というヤッカミ
イルカさんの旦那さんの告別式で、小田さんと鈴木さんが再会をして何か会話してたのを
イルカさんが遺族側の席から
目撃されたそうです
当時の日曜朝のラジオの生番組で話されてました。距離があったからか内容までは分からなかったそうですが。
その話は初耳です。再結成とかではなくて、純粋にわだかまりを捨てて「再会」出来ていたなら
こんな良いことはないです、ファンの一人として。
“眠れぬ夜”“秋の気配”~知る人ぞ知る→“愛を止めないで”~ヒット→“風に吹かれて”~小ヒット→”さよなら”~大ヒット・・の順ね。
それはそうと、"over"以降の小田さんの作品には、鈴木さんへの想いが滲み出ている気がします。
特に“気を付けて”とか、今でも涙なしには聴けない。
眠れぬ夜って西城秀樹のおかげですよね。
「さよなら」大ヒットで君が「イエス?NO!」ヒットして一気に旧作も売れてoverへだったかと。
やっさんが脱退した後出した「愛をよろしく」の歌詞が脱退したことを謳ってる気がして安部恭弘さんにそのことと「小田さんの「君が噓をついたは」やっさんへのメッセージソング?」って聞いたら「そんなわけないよ~」って笑われた。
@@user-gf1kr3vz2x OverとかILOVEYOUの両者の歌詞がお互いの思いそのものでしょう。
鈴木さんのハモりが無くなったオフコースは・・・
雪解け、いいですね。二人の時代のオフコースが好きでした。
あれ、俺が本で読んだのは、当時のプロデューサーは
「メンバー1人をメインにして売り出していく方針は以前から決まってて、たまたま最初が小田和正だっただけ。小田で売れたら次のメンバーに変える予定だった」
と書いてましたけどね。
それに、アルバムに小田の曲が増えた理由も鈴木が後に
「単純に僕が曲を書けなくなってしまっただけ」
松尾一彦も
「鈴木さんの穴を僕らの力では埋められなかった。小田さんに負担をかけてしまった」
って話してましたけどね。
最後はまた二人でワインの匂いのアルバムを唄ってもらいたい😊
オフコースの強さは1つの曲に対して全メンバーが力を注いでアレンジして築き上げた化学反応があるということ!
ラジオでのYassさんのメッセージに対する小田さんのコメントで多くの人が勘違いをしているようですが。
「感動しちゃって」っと涙に詰まると思っているところは、(この動画でもありましたが)感動しちゃっては阿部アナウンサーの言葉で涙ぐんでいたのも阿部さんです。
小田さんのコメントを聴きながら阿部アナウンサーが涙に詰まっていただろう所に小田さんが「なんでお前が....」っと突っ込んだところに阿部さんが「感動しちゃって」と声を詰まらせたというのが事の顛末です。
どうでもいいと言われそうですが、まあそんなわけです。
時系列が合っていないエピソードが多数あるし正しくない解釈もある。すこしひとりよがりな動画ですな。
@@user-on8hg2zz5p さん
そうですね。
こうした動画作成の為の情報のつまみ食いでしょうからそんなもんですね。
小田さんはライブでよく泣いた印象から来てたのかもしれない。
言葉にできない、僕等の時代、僕等がいたもヤスさんへのメッセージですよね。
正直、オフコースを聴き始めた20代前半頃は鈴木康博さんの曲飛ばしてました。『オフコースとは、なんか違うんだよな〜』とか思いながら。40過ぎた辺りから鈴木康博さんの曲の良さに気付いたんです。全盛期のオフコース世代からしたら少し大人過ぎたのかな?ただ、これだけは言える。オフコースと同じ時代を生きれた事、人生の宝物です。
小田さん=優しい愛の歌、やっさん=激しい愛の歌
小田さん=共感しやすい素直な歌詞、やっさん=よく噛まないと難しい歌詞。
小田さん=ヒットさせるぞ!これでどうだ!
鈴木さん=俺はこう思う!
そうだろ?
小田さんとヤスさんのことなんて私達外野があーだこーだ言うものでもない。二人にしかわからないこともあるしそっとしておいてほしい。もう40年も前の話…。どちらかが優位とかではなく小田さんとヤスさんのユニゾンが光ってこそのオフコースが好きです。小田さんにないものをヤスさんが持っていて、ヤスさんにないものを小田さんは持っていた。
そんな風に思いふける水曜日の午後。
全く同感です‼️
お互いに無いものを持っていて、それぞれの魅力が輝いていたオフコースが好きでした。
そもそもわだかまりがあること前提で、和解だの雪解けだの言っている意味がわかりませんね。
ましてや「今のままは良くない❗️」とか言っている自称大ファンは、彼らをリスペクトしているのか理解に苦しみます。
ファン心理は自由ですが、色々残念です。
そのとおり😤
いまだに再結成を望むコメントがあるが、ファン歴40年の自分に言わせれば、全くのナンセンス🙏
自分も同じ思いです!全てのアルバムをはじめから聴き続けるのみです…オフコースの世界は完全無欠にして既に完結していますから☆オフコースよ永遠なれ!
「水曜日の午後」ですか~。
デュオ時代の二人でハモって唄っていた曲(泣)
二人が好きだから笑い合っている姿を見たいだけ。
今更「解散するな」とか言ってる訳じゃ無いし。 もう一度二人の歌を聞きたい。
それが「ささやかな私の願い」→「もう僕には奴は要らない」By鈴木康博
私の中では鈴木さんも声を聞いただけで鈴木さんです。
逃すなチャンスを。
とか〜の夜を超えてとか松尾さんも。
当時、すべてのアルバムを持ち聴いていたが作詞作曲ごとにヴォーカルが違うことに気付いていなかった。今でも心が揺さぶられるのは鈴木さんの楽曲。小田さんの楽曲も素晴らしいがやはり男として心に響いたのは鈴木さんのメロディーと詩。やはりオフコースは小田さんと鈴木さんの絶妙なバランスが男女のファンを虜にしていたのだと思う。…そのことを鈴木さんに気付いてほしかった…。
この二人なら、ビートルズのジョンレノンとポールマッカートニーの様に、共存できたはずだったと思いますね。当時の日本では無理だったのかな。事務所、レコード会社にも責任があった気がしますね。
確かにレコード会社がアーティストを守る姿勢がたりなかったような
「気づいてほしかった」はホントにそう❗️
4人になったオフコースも当時は応援していたが、
今思うとそれはもう
「オフコース」ではなかった...
@@shouheibish様
ホント!!!!!
そのとうりですね。
同感です‼️ すごく‼️
今もそれぞれ輝いていますけど
オフコースとしての長ーい、
一層の輝かしい青写真が リアルに
想像できたはずなのに。。。
言ってはいけないかもだけど、
周りの人々に ぶっ壊された感じかな。。。 大切にされ過ぎて、
それが かえってダメだったって感じがする。。。
やっさんの曲は曲名も一般受けしにくいし転調や歌い方、コーラスが難しかった。
「一億~」「花は~」「水曜日の~」歌の世界観が想像しにくいけど内容は凄く濃い。
当時はかぐや姫の南こうせつと伊勢正三、チューリップの財津と姫野、アリスの谷村と堀内のように複数ボーカルが多かったですからね。 忘れちゃいけないクリスタルキングとスタレビそして狩人(?)
チャゲ&・・あ!そうか なんか違うヨウナ
当時は「日本で一番コーラスが綺麗」って聞いた記憶がありますが。
1番好きなのはsave the love。鈴木さんのロックな感じが脱退後なくなっちゃってオフコースが面白くなくなった気がした。小田さんもいいけどやっぱり鈴木さんあってのオフコースだった。
同じく好きな曲です。
save the loveはライブで最高にかっこよかったなぁ
鈴木さんの作る楽曲も好きだったし歌声も好きだった
脱退した理由もなんとなくわかるような気がした
脱退したあと
鈴木さんのコンサートに行き
彼の歌をじっくりゆっくり 生で聞いたこと忘れられないです
"愛を止めないで"は 1979年1月にリリースしたシングル曲。
1979年12月にリリース、
ヒットしたシングル曲"さよなら"よりも"愛を止めないで"は前のシングル曲です。
小田さんと鈴木さんは今はメール友です😊
小田さんのグループと思われているようですが、鈴木さんの「潮の香り」や「ロンド」などは、本当にいい曲です。
小田さんとはやや作風が異なり、ボサノバ風のメロディーです。
小田さんの楽曲は,内面に向かって深くより深くと掘り進めて行くような印象で、鈴木さんもスタートは同じだが、外に向かって風通し良く広がって行く楽曲の印象がありましたね。端的に言って、月と太陽が絶妙に照らし合いながらグループとしてまとまっていた様に思います☆
同感です。
@@user-rg2sm8kq1r 様
私も 同感します😃
鈴木さんの曲はオフコース時代でも迫力や色気があって大好きでした。小田さんの綺麗で真っ白なイメージとはまた違う良さがありました。脱退された後もずっと応援してます。普通にクイズ番組に出られたりしてますよね✋😊
小田さんも昔に比べて凄く丸くなられた気がします。まだまだ歌っていただきたいです。
歳をとると頑固になるから。
もう皆いい歳なんだから生きてる間に一度でも再結成とまでいかなくても同じステージでやってもらいたい
お互いに声を掛けにくいのかもしれませんね。
初めて二人が出会った電車の車内みたいな状況が必要ですかね。
喜寿か傘寿のお祝いで再結成「YesYesYes」みたいな。
100%あり得ないですね
1982年当時高校生でした。バンドやってる同級生がオフコースの武道館コンサートの後、「オフコースって、あれで解散って言ってるんだけど、小田和正が“このあと俺たちがいなくなっても、ああ、解散したんだなって思ってくれたらそれでいいです”って言ってて、、それって、ないよな~、、!」って俺に放課後言ってきたのを 昨日のことのように思い出します。小田さん、当時はすげースカしてましたからねwwでも今となって小田さんのコメントを聞くと、ああそうだったんだな、って思って共感したりします。やっさんや他のメンバーと一緒にやるってことももうないでしょう。あのときの記憶としてとどめておくべきことでしょう。人間の人生ってそんなもんですよ。(可能性があるとすれば現時点(2024年6月現在)5人ともまだ生きてることだね)
楽しみにしていた昨年のクリスマスの約束も中止になり残念でした、
今後は小田さんと鈴木さん是非同じステージに上がって欲しいな。
それが本当のクリスマスの約束 なんだと思います。2人にしかわからない約束があるのでは、そう思ってしまいます。
一夜限りの再結成は有りだと思うけど、「懐メロみたいなのはあんまり(好きじゃないから)、新しい曲を作って(やる)」とかって、小田さんが言ってたと思う。でも、ファンは、少なくとも私は昔の曲が聴きたいんだよ。だから、再結成は無しでもいいかな。
0:57 「さよなら」よりも「愛を止めないで」が先のヒット曲ですよ。時系列が誤っています。また、10:11 ラジオ番組よりもセルフカバーアルバム「forWard」は前に出されたものですよ。ここも時系列に誤りがあります。よく調べてください。
発売日を調べればわかりますよね。
forwardよりも前にYassさんは「BeSide」というカバーアルバムを発売しておりますし、ソロになってから間もなく「一億の夜をこえて」なども唄っております。
加えて、「ロンド」に至ってはオフコース時代はライブで歌わせてもらえなかったというMCも添えて唄っており、オフコース時代の曲は封印したなんてことは聞いたことがないですね。(苦笑)
勿論、5人のオフコース再結成は常に願っておりますが、ちょっと事実を湾曲しすぎではないでしょうかね。
オフコースで一番好きな曲は、やすさん詞・曲の「invitation」でした
鈴木さんの曲も大好きだけど、シングルに小田さんの曲が使われるのは当然だし仕方がないことだと思う。
鈴木さん本人も言ってたとおり一般大衆受けするのは小田さんの曲だから。
5人のオフコースのステージをもう一度見てみたいです。
"売れる"が永きに渡り続くためには声、"唯一無二の声の存在"は絶対だから!プロデューサーや音楽関係者がそう話しているのを何度も聞きました。個人的にはヤッサンの声も楽曲も大好きです。しかし小田和正のあの強力な声はもうそれだけで説明不要の武器だと感じます。業界内でもやはり小田和正の声は群を抜いて評価が高いのは言うまでもありません。
けど、一時期秋元が作詞に関わってたのはヤスさん的には嫌だったでしょうね。「自分が辞めたらそれ?」な感じで。
その小田さんの良さをいっそう引き立てたのは鈴木さんの楽曲と歌声。小田さんだけなら寂しさと甘ったるい楽曲ばかりに偏り、素晴らしい多くの楽曲が埋もれてしまってたかもしれない。鈴木さんの男の色気が刺激になってこそオフコースが男女に支持されてたと私は思っている。
@@maruhiroya417 これは小田さんも嫌ってましたよ。「なんであんなヤツに詞をかかせるんだ。俺ならもっといい詞を書く!」と。
@@user-nt4es4hz6b
誰の意向だったんでしょうね、奴さんの事だから小田さんにも金銭絡みで色々と文句付けてたんでしょう。
やっさんの、愛の終わる時、でももう花はいらない が大好きです。 出来る事なら、お二人の今の声のハーモニーが聴きたい。
昔の鈴木康博さんの声は高音域を小田さん風に歌うと小田さんが歌っているようにも聞こえ非常に綺麗な声でした 楽曲も都会的で鈴木さんの曲の方が小田さんの楽曲よりファンには嫌われるかも知れませんが 個人的に好きで 鈴木さんの楽曲を小田さん風に聴ける楽しみもあった頃が非常にオフコースの魅力を感じていました 年齢的にもう二度とない関係でしょう 素晴らしいひととき オフコース時代の鈴木康博さんありがとうございました
鈴木さんの曲が嫌われるというのが理解できません。
鈴木さんのどの曲がどう嫌われるのでしょうか?
小田さんの歌声は確かに独特で唯一無二であることは間違いありませんが、音域が狭く、低い声は出ません。
そのため、確かにヒット性が高く、メロディは優れていますが、どの曲も同じような印象であることは否定できません。
鈴木さんの音域は低音から高音まで広く、声量も小田さんより優っています。
そのため、小田曲を鈴木さんが歌うことがあっても、鈴木曲を小田さんが歌うことはなかったはずです。
鈴木さんはアレンジの才能も長けており、ギターの実力も素晴らしいものがあります。
@@user-qt7ki8hg2m 何だか誤解があったよいうですが私は鈴木康博さんのファンです 小田さんと鈴木さんは中心にやっていた頃は 鈴木さんの作風の方が特徴が強く様々で鈴木康博さんのファンで 脱退後も鈴木康博さんのシングルもアルバムも買っていました ギターに関しては確か松尾一彦さんにやってもらっていたようです 私は鈴木康博さンファンです
ヤスさんの居場所が無くなったから離れただけでしょう。
あれだけ小田さんの曲ばかりシングルに採用されて、ヤスさんの曲はやっとロンドの1曲だけではね。
オフコースは小田さんとヤスさんの二人の絶妙で美しいハーモニーのグループです。
この二人が離れた時にオフコースは終わったと思っています。
マネージャーが小田中心で売りたかったことに鈴木が反発したようですね。
10:04 ありふれた幸せに背を向け
「ひとりで生きてゆければ」のフレーズですね
実際の歌詞は ありふれた幸せに背を向けてゆく勇気が欲しい
好きな曲です
動画の補足として、
小田さんが何でこの発言をしたかと言うと、
ヤスさんを含め番組が取材した人たち皆に「小田さんの曲で印象深い曲は?」と質問していたからですね。
それでヤスさんが「ひとりで生きていければ」を発表当時の思い出深い共感した曲として挙げていました。
まあしょうがないよね。
鈴木さんもイイ声だよと言うファンはいるけど、小田さんの声は最初の頃は、「ああ、フォークソングっぽいね」って声だったけど、段々と力強さが出てきて、綺麗なだけのか弱い声だけの声ではない深みとハリのある声に変わってきた。ちょっと特別な声だと思う。あれほどの声の持ち主じゃあ、仕方ない。
小田和正と鈴木康弘が同じ舞台に立ったらそれを見ただけで泣いてしまうだろうなみだ😂
「愛を止めないで」は
「さよなら」の前に発売されてますよ?
1981年春の全国ツアーで既に解散の噂が週刊誌で出ていましたね
大阪のコンサートで観客の誰かから「解散すんなよー」と声が掛かってました
ヤスさんの「夜は二人で」が不憫でならない😤
俺のなかでは、こっちがA面🎵
ギター1本での弾き語りのバージョンがYou tubeにアップされてますね。
二人組の才能同士って、親友でありながらも、ライバルが片時も離れずにずっといる訳だから、それは漫才師じゃなくても…自然と色々なすれ違いが起こるんでしょうね…ジョンやポールも最期まで共演はなかったし、ヤスさんもふきのとうの細坪さんと「さよなら&白い冬」歌うんなら、オイオイ、それぞれ小田さんと山木さんを呼んで復活LIVEやってくれよ!と思いましたけどネ笑…アリスとかアルフィーとか海援隊とか3人組のが長く続くのかもですね。あと、今改めて全アルバムを聴き通すと…オフコースの物語はこれ以上はない程に完成されているように思いますね☆
まあみんな、再結成だの共演だの野暮な無理強いはやめよう。
二人がまだお互いのことを想ってくれていた、宝物とまで言ってくれた、
それが分かっただけで俺は満足だ。
自分も少し前までは再共演を望んでました。が、何かしかのインタビューで小田さんとヤスさんが共に「オフコース時代は学校のようで(お互いから)色んなことを学んだ」というのを拝見した時に、今更復学するのもおかしいので、これで良いのかなと思うようになりました。
でも同窓会なら...
(;ω;)
@@yellowbird8396
同窓会なら、1989年2月26日翌日から「これからは、みんながオフコース」になった俺らも参加できるってこと?
@@user-zb3xk4cx6j もちろん、オーディエンスとして参加できますよ‼️
(//ω//)♪
小学生の頃に出会って、大学の頃はヤスさんが横浜から仙台まで通ってセッションした仲、
プロになるのにより積極的だったヤスさんが、小田さんを口説きまくってプロになった。
音楽を通じて育んだ深い関係を、途絶えさせてほしくない。
雪解けのベースは既に出来上がっている。
どんな形でもいいので、1曲だけでもいいので、二人で歌って欲しいと願うのは僕だけだろうか?
「クリスマスの約束」なら、一番適しているようにも思うけど。
残された時間はそれほどないので。
ハモりはできるけど康さんはもう高いのは出ないよ(無理して出していたのが原因なんだろうか?)
30年ぐらい前から劣化してしまったので
@@wayway8498
もちろん、承知してますよ。
それでもこのままでいいとはとても思えないのです。
自分の身に置き換えた時に、このまま永遠の別れが来てしまったら、必ず後悔すると思うからです。
ヤスさんの曲はライヴでのウケがとても良かった
個性の違った天才同士
文系と理系みたいな
再結成の夢は見続けていたいです
実際のお二方は、建築(小田さん)と制御工学(ヤスさん)と、何れも理系だったりします。
@@nihombashihakase 確か東北大学と早稲田大学でしたっけ?
インテリにも程がある
@@user-wv1tc3fp6h 小田さんが東北大~早稲田大学院、ヤスさんが東工大ですね。
本当は、言葉にできない ではなく、
心はなれて の曲の方に思い入れや
メッセージ性は強いんじゃないかな。
私もそう思います。心はなれての方が、なんかリアル。。。
@@jun-1226 様
私的には鈴木康博脱退後に出した「愛をよろしく」の歌詞が当時の気持ちなのかなと。
それに対して当初「休養」と言う話から脱退になった事で4人体制になり「愛をよろしく」への
答えが「君が嘘をついた」かな。と思ったんですが・・・(以下他のかたへコメントしてますので略)
@@user-gf1kr3vz2x 様
そうですね。『愛をよろしく』は
まさに当時のヤスさんの心境そのまんまだと感じます。
しかし『当初 休養という話だった』という事だったとは初耳👀 でした。
もし本当にそうであれば、まさに
『君が嘘をついた』 ですね。
@@jun-1226 様
私も何かで読んだ記憶です。
オフコースがやりたかったプログレッシブハードポップが夏の日です。この夏の日は本当に彼らがやりたかったサウンドどったのではないでしょうか。
ヤッさんにはGuitar思いっきり弾きまくってほしかったな!誰も追いつけないくらい!
ヤスさんは最高のギタリストかつヴォーカリスト。他のメンバーも実力者だったけど、ヤスさんがいなくなってからサウンドが薄っぺらく聞こえた。再結成、、、ないか😭
ヤスさんはソングライティングも秀逸だと思います。
オフコースを語ろうとすると、TULIPとの関係を考えてしまいます。私はTULIPファンなので
オフコースも好きです。ここでも紹介されてますが、ライトミュージックコンテスト
(ポプコンの前身)で、東北地区代表のオフコースは2位、1位は赤い鳥でしたが、TULIP
(当時フォーシンガーズ)は散々でした。やがてTULIPとして心の旅のヒットにより、
デビューしていたオフコースより先にコンサート活動を開始するまでになりました。
それ以前から小田さんと財津さんは、どういうきっかけかは知りませんが仲が良く、
中野サンプラザの財津さんの楽屋には、カップを見て、財津は館内の喫茶店から
コーヒーの出前も頼める待遇になったのかと思ったそうです。
余談ですが、サンプラの1階にある喫茶店は1軒しかなく、私もそこに行きました。
オフコースは、さよならのヒットで一躍有名になったような印象かもしれませんが、
ヒット曲こそ無いにせよ、ライブ活動ですでに安定してましたから、そういう売れ方も
当時のテレビ拒否アーティストを代表とする、アルバムとライブ中心の
象徴かもしれません。やがてTULIPはメンバー交代によるブランク期間を迎え、
財津さんは、I need and youというソロアルバムを出しますが、
その応援に小田さんの呼びかけでオフコースが参加しています。
さらにTULIPがツアー中に機材が故障した時に、東京にいた小田さんが自分が使ってる
同じ機材(シーケンシャルサーキット、プロフェット5というシンセ)を空輸したと
いうことも、TULIPのファンクラブ会報にありましたし、いまだに古い
ゴルフ仲間だそうです。
このての動画はガセが多いですが、ここのアップ主さんも動画も、私が知る限り、
鈴木さんとの話も正確ですし、とても懐かしいです。
オフコースは、小田さんと鈴木さんのハモリが素晴らしかった。5人の時が一番良かったと想います。🎉
「さよなら」以降のヒット曲に「愛を止めないで」が入っているのは時系列的におかしいです。
もう一度、ライブが観たい。死ぬ前にもう一度だけ。
見てまうけど、まだこんな事、切り取って拾ってくるやつおるんやね。暇か。
確かにシングルはA面小田和正でB面鈴木康博でした。
当然、印税収入の所得間格差が生まれる。音楽性の違いよりも経済的格差で人間関係も悪くなるのでは?
サイモンとガーファンクルの解散も所得間格差らしい。
小田さんもすでに75歳、時は帰らない、わだかまりはあると思うけど、もう一度の共演はあってもいいのではと切に思います。たった一度の人生だから…
ちなみに、愛を止めないで、は、さよならの前にリリースされてます。
キリンジはオフコースの鈴木康博に影響受けてない?楽曲聴くと初期のオフコースのアレンジを感じるのは僕だけかな?
当時、バンドの顔が必要だと、プロモーターから言われ、まずは小田で行くってことから、小田のバンドみたいな扱いになったとか言われてたけどね。
わしゃ、今朝も車通勤で’恋を抱きしめよう’を聞いとったがのう。
オフコースをはじめは、3人でスタートして2人になり長い間ヒット曲が出ない中、おふたりの中で葛藤があったのではないでしょうか?そして、『愛を止めないで』『さよなら』がやっとヒットしたのはよかったのですが、やはり鈴木さんは正直面白くなかったのではないでしょうか?
レコード会社は小田さんの路線で行こうとなるでしょう。この状況はオフコースにとってはよかったですが、初期の頃から苦労を共にしてきた小田さんと鈴木さんの間に溝が生まれることになったのではないでしょうか?ただ、スリー&ワンに、つまり4人のオフコースになって小田さんは、鈴木さんの存在の大きさを痛感することになったのではないかなぁと思いますが。そしてその後、ひとりの道を歩まれています。それからの音楽への変わらない姿勢は見事です。建築家の道を捨て音楽への変わらない姿勢、気持ち、愛を貫いていらっしゃる生き方に尊敬します。ソロになっても、素晴らしい曲を何曲も作成していらっしゃり、私のそばにはいつも小田和正の曲がいます♪これからも小田和正の曲を聴いていく日々です。
オフコースは人生の大切な思い出。見たことなかったけど初めて小田氏を見て本当にびっくりしました(笑)
当時高校生だったけどえーこんなおじさんがあんな声なのかと(笑)
ボストンチックなアレンジがいろいろ言われたけど歌詞と相まって本当に心に入ってきました
なにかで再結成してほしいですね
曲に出会ったときには解散してたからなぁ
鈴木さんの曲も漢っぽくて好き
小田と鈴木は、何回も別れちゃおう、って事があったんだよ。鈴木が脱退した直後のTBSのラジオ番組で語ってる。
バンドってのは色々な事情があるからね、音楽性の違いやら金の問題やら。脱退や解散、和解して再結成なんて普通です。解散直前は、メンバー同士で喧嘩してたけど。数年たって、あの頃のことは大した事じゃ無かったな、ってまた集まる、なんて普通。
昔の本で明かされてるエピソードだと、小田さんがイルカさんを入れて活動するみたいなことを言い出してヤスさんがキレて解散寸前とかありましたしね。
70年代のコンサートMCでも「解散危機は何度かあった」みたいなことは語られてますね。
ある番組で鈴木さんがオフコースを脱退した理由を述べられてましたよ。
youtubeで見れたけど今は削除されちゃったみたいで見れませんが。
以前私に小田さんとお知り合いの方曰く、「オフコースの再結成はないやろな」と言ってましたけどどうなんでしょうね?
ボゥイとオフコースは再結成ないような気がしますが?
オフコースは続けて欲しい😢
復活しないかな❓
別に世に出さなくても良いから、幼馴染みとして個人的にセッションして欲しい。もし、私がどちらかの立場なら旧友を失った時に後悔しそうだから......
9:58
「ありふれた幸せに背を向けてゆく」
このフレーズそのまんま歌詞にありますね。
アルバムSONG IS LOVEの青春という曲に。
楽曲持ち寄ったから「tiny pretty girl」とかが収録されるなんてことになったんでしょ...
'潮の香り'や'もう花はいらない'は大好きや
ソースがめちゃくちゃですね。
1982年6月30日の武道館コンサートで「言葉にできない」で歌えなくなったのは、出だしのLaLaの途中からです。
よく調べてください😞
ほんとですよね。
こういうところからデマが広まるのかと。
アルバムが出る毎にヤスさんの曲が減っていったのはファンならみんなが感じていたこと。基本ヤスさんの曲は男臭く、小田さんの中性的な声がオフコースの代名詞であったから、ヤスさんも肩身が狭かったと思う。売れればミュージシャンの意見が通りやすいというのが音楽業界だと思っていたから、ヤスさんの曲が減ったのは小田さんの意見が強かったからじゃあないか?と思っていた。ヒット曲は全部小田さんのだからね。
ヒット曲は全部小田さんのだから、に意義あり😮
遥か昔のことになりつつあるから、他の方々のご指摘のように、色々と間違いな点が散見されますな~
美学が理由で再結成しない唯一のバンド
ヤスさん脱退後の4人のオフコースが短命だったのはやっぱり必然だった😩
曲に情緒が感じられなくなり、晩期は完全に迷走してた💦
それでも、4人での最初のアルバム「The Best Year of My Life」は力作だと思います。ただそこで力尽きてしまったのかも・・。仁さんやジローさん辺りがもう少し作詞ができて、オフコース(4人)の中でアルバム制作ができてたなら、もう少し続いたのではないかと思います。
3人時は The(ジ)オフコース です。
私はひねくれてるので、鈴康派。潮の香りとか、好きだなあ。
もしも、もしもクリスマスの約束に、ヤスさんが遊びに来て、二人で「僕の贈りもの」歌ってくれたなら、俺は人目も憚らず、泣いちゃうかな・・・
オフコースのこういう話になるともう時系列も本当に本人が発した言葉かどうかも分からず世間に出てる内容なんかをごちゃ混ぜにして適当な動画作ってるのばかりたな。
この動画も薄らうわづみと憶測や嘘を適当にまとめただけのもの。
アイドル楽曲を聴いてる自分には、すずき康博さん、松尾一彦さんの曲が気にいってますね。
オフコース、再結成絶対あり得ないとおもっていましたが、もしかして…。楽しみにしたけど。。
懐かしいにも程がある、驚愕でもないでしょ、いつかは解散するのが普通です、二人の頃の名曲もいっぱいあるし
緊張が解れる内容は見事です。
ただ、これほどのネタはあんまり無いのがワイドショー系の厳しさではあります。とかゆうてみる
「あいつの曲ばっかり・・」作曲に自信を持ってれば、当時はあるだろうな。
「さよなら」より「愛を止めないで」のほうが先のような?
「さよなら」の前が「愛を止めないで」です。
順番違います。 2:45
アルバムは全部持ってるが、気がつけば5人のオフコースしか聴いてなかったw
初期は売れてないよよ、メンバーが抜け小田と鈴木の二人にサポートの松尾、清水、大間
5人体制になったがアルバム「スリー&ツー」のジャケ写でも3人と2人ってやっさんの中に住み訳があった。
アイバニーズのARマニアが一定数いる❗
さよならのギターソロは
ホテルカリフォルニア❗
さよならのギターソロはストラトキャスターだと思います
でも売れてからも脱退までのシングルB面はヤスさん担当だったんだからスタッフや小田さんにヤスさんへの配慮はあったけどね
ただその「B面はヤスさんの枠」的な配慮がプライド的に嫌だったのかもしれないけど
松尾さん派の私としてはどうでも良いけどww小田和正ありきのグループであった事は間違い無い。サザンみたいに、欲を出さず、そのポジションを良しとしていれば、もう少しやれたのかなぁ?
松尾さんの曲は、オフコースでの楽曲も稲垣潤一さんに提供されてる曲も名曲ですね。ヤスさん+A_B_Cでの活動は可能性としてはありそうですが、どうしても小田さんが求められそう。
私も松尾さんの曲が一番好き
正確なものを全部は書けませんが、鈴木さんはWe areの頃には既に脱退を考えていたようです。
それとアルバムの楽曲が小田さんの曲が多くなっていたのは、純粋に選曲の結果です。
小田さんは他のメンバーより創作のスピードが早かったようですし、実際に詩がなかなか出来ない他のメンバーの曲に入って作詞のクレジットに小田さんの名前が入っている曲もあるますから。
解散に繋がってしまった一番大きかった事は、オフコースの売り方としてメンバー一人ずつフォーカスしていく事に事務所で決め、その一人目が小田さんとなり小田さんがメディアに多く出るようになって、オフコース=小田さんとなってしまった事です。
これには小田さんの次は…と考えていた事務所も予想外の結果だったと思います。
小田さんも含めて、あのメンバーだったからこそのクオリティーの高いオフコースが解散してしまったのは本当に残念ですし、二度と出会えないアーティストだと思います。
残念ではありますが、この先も「NEXT」は起きないんでしょうね。
解散後の活動状況を見てると、小田さんはバンドを組んだり(Far East)、中堅や若手のミュージシャンと共演したりというのに対して、ヤスさんは1人でギター1本でライブしたり、気心が知れてる山本潤子さん等の共演だったりと、あまり肩肘張らずにやっていきたいのかと。
ホントは”言葉にできない”のフェードアウトの最後の方でボソッと言っている”WE ARE OVER THANK YOU”の通り、最後のアルバムはTHANK YOUと言うタイトルにするはずだったと聞いた事が有るが…
この道をゆけば
セカンドアルバムですが、別れの情景1,2以外は必要ないと思います。
似たようなケースで、オフコースと同時代に活動してたチューリップは、姫野さん等が脱退(オールウェイズ結成)した後、短期間で活動終了しました。(※但しチューリップの場合、後に財津さんや姫野さん等で同窓会的な再結成がされてます)
しかし、吉田さんは頑なに「だが断る」
ガチの音楽性の違いによる脱退
😢
全てが憶測の域を出ない