Komentáře •

  • @abbtk14
    @abbtk14 Před 2 lety +22

    大坂の銀遣いで、細かい銀貨もあったのにちぎって計量して使う銀貨の存在はちょっと不思議なものでした。しかし取引単位が非常に細かく、そうした支払いに必要だった…という説明は納得です。解説されていますが、こうした取引にほんの少しでも課税できていれば幕府は大きく変わったかもしれませんね…。

  • @fi9194
    @fi9194 Před 2 lety +58

    アントワープにあった胡椒取引所がアムステルダムに移って穀物、コーヒー、香辛料を先物取引の対象としたのが世界初という説もありますね。一方で、堂島では現物と先物のコメ市場が併存し、先物市場では現物の引き渡しを前提としない差金決済まで行っていた。ここまで本格的な先物取引市場は世界を見ても堂島が初めてだ、という話もあります。

    • @siosyosyo
      @siosyosyo Před 2 lety +7

      アントワープ証券取引所1531年建設、ロンドン王立取引所、1567年設立、チューリップ球根のバルブ・バブルの頂点が1637年、それ以前にも先物取引があったとのこと。堂島米会所は、1730年から。それ以前にも、手形決済など、各所に見られただろうから、どうなんでしょう?

    • @BTCJPY
      @BTCJPY Před 2 lety +3

      @@siosyosyo 面白い話ですね。アントワープは現物を取引所に持ち込まない方式での取引だったのでしょうか?証文(信用状)を持ち込めばOKなら堂島と同じです。オランダのチューリップ市場では現物を提示して取引していたので球根一個で高値がついてしまうなんてシュールな光景になったそうです。

    • @siosyosyo
      @siosyosyo Před 2 lety +1

      @@BTCJPY 未収穫の球根の取引(先物)があったように、読んだ記憶があります。

    • @user-zp2hk8xf5g
      @user-zp2hk8xf5g Před 2 lety +1

      @@BTCJPY 品質がある程度抽象化、標準化できる商品でないと先物取引が難しい。

    • @user-wc4jd3ry8x
      @user-wc4jd3ry8x Před 4 měsíci

      @@BTCJPY
      私の把握してる範囲で
      認識に誤りがなければ
      アントワープは
      値決めに競売が行われた事例もありましたが
      実質的には相対での限年制の現物先渡し取引で
      今日的な先物取引ほどの
      厳格な規格も清算機構が存在しないので
      受け渡しが契約期日に行われ
      反対売買した場合でも
      当初の契約相手と反対売買相手の
      双方に対して受け渡しの必要がありました
      また、規制法が段階的に施行されたものの
      取引所というか調停・仲介する酒場に強制力はないので
      相手に逃げられるリスクがありました

  • @KatsuBEARBOYNagata
    @KatsuBEARBOYNagata Před 2 lety +13

    酒田照る照る 堂島曇る 江戸の蔵前雨が降る

  • @VTRPRINCE
    @VTRPRINCE Před 2 lety +18

    大阪府民としてこれ程胸を張れる、誇らしい事はないです。
    これからも為になる動画作成頑張って下さい。
    楽しみにしております。

  • @snack-gon
    @snack-gon Před 2 lety +26

    上方落語に堂島の米市場の話が出てくるネタがあるんですが、この動画を見て理解が深まりました。今回のように、江戸時代の江戸以外の話も、どんどん解説して欲しいです。

  • @riruhi
    @riruhi Před 2 lety +23

    この大坂の相場を全国各地に伝えるために「旗振り通信」なんてものも発達したんだよね。
    広島まで27分、江戸まで1時間40分で情報が伝えられたそうな(By Wikipedia)。
    明治時代の様子だけど、NHKのタイムスクープハンターでやってましたね。
    あれも面白かった。

    • @user-is9gx8ij5k
      @user-is9gx8ij5k Před 2 měsíci +1

      タイムスクープ懐かしいですねー
      闘茶やら甲州金、あとは山伏にホラ貝吹きをさせたりっていう話や加賀の献上氷とか、数え上げたらキリがないですね

  • @user-cd5dz5cn7l
    @user-cd5dz5cn7l Před 2 lety +20

    旧態然とした幕藩体制から明治維新を経てあっという間に近代化した日本。それが可能だったのは、西洋に劣らぬ市場や相場といった経済の概念が、すでに確立されていたから。明治の急速な近代化が成功した理由の一端を分かりやすく理解できる素晴らしい動画です。

    • @user-xl9qs3no3f
      @user-xl9qs3no3f Před rokem

      先物取引は日本の商人の知恵。
      世界最先端の商取引を発明した。現代ならノーベル経済学賞ものですよ。

  • @mocchi2643
    @mocchi2643 Před 2 lety +27

    大坂での米取引が米切手によって行われていたので、藩の金策の一手段として現米の裏付けがない「空米切手(くうまいきって)」が発行される事があった。久留米藩はこれでしくじって2回も奉行所に訴えられている。

    • @asakazefuji
      @asakazefuji Před 2 lety +6

      信用貨幣をやろうとしたという意味で、荻原重秀にも通じるところはありそう

  • @宴は終わったが
    @宴は終わったが Před 2 lety +36

    動画ありがとうございます。
    堂島の先物はどう考えても流通側、つまり商人側が完全に仕切っていた感がありますね。
    シカゴの先物の場合は農民の保険といった要素も強く、不当な値段で買いたたかれないための農民側の要請の要素もありました。

  • @air5042
    @air5042 Před 2 lety +9

    現代でも株や債券投資をする人であれば当たり前に使われている事が、この時代で既に形となっていますね。改めて驚きました。

  • @user-vp8pq2pp7p
    @user-vp8pq2pp7p Před 2 lety +6

    住まいや職場など縁のある場所ばかりで楽しい。あそこにそんなもんが?とか。
    地理と歴史が一致した時は楽しさ爆上がり❤

  • @user-gk8yk2xe4v
    @user-gk8yk2xe4v Před 2 lety +5

    動画ありがとうございます🙇とても、ためになりますね👍レイマリの解説も分かりやすいですね😊後、江戸漫遊記の続きも楽しみにしています😊ゆっくりの守の殿様が可愛いらしい😊

  • @user-bm1sf6wi1t
    @user-bm1sf6wi1t Před 2 lety +18

    何気に日本は金融経済の取引では世界でもかなり進んでいたんですよね。
    ただ、一方でリスクヘッジの取り方が存在しなかったため乱高下もあったのも事実。
    実際、先物市場は金融経済の重要なツールだけどいまだに規制が激しい。

    • @user-wc4jd3ry8x
      @user-wc4jd3ry8x Před 2 lety +4

      リスクヘッジに関しては
      当時は「つめかえし」と呼ばれ実施されていました
      他にもオプション取引に似た「おっぱ取引」なども北陸方面の繊維業者の間で行われていましたので
      乱高下があったとことリスクヘッジの有無は
      個人的には直接的には関係ないと思っています
      (現に今も乱高下や現物ー先物間、先物の現物間の金利やリース料等から考えうる以上の価格差の拡大縮小は程度の差はあれ発生しています)
      規制が厳しい は 
      おそらく国内商品先物に対してかかっているとおもいますが
      (違うなら以下は全くの見当はずれになります すみません)
      1998年以降2011年までの法令変更と
      対応のための取引員企業の行動が
      悪循環を起こしたせいかと思います
      今となっては
      ゴムと金を除いて機能していないので
      奇特な人が業界再編に資金と人員と時間を惜しみなく割かないと
      国内市場再建はできないと悲観しています

  • @yamamotoyamada6360
    @yamamotoyamada6360 Před 2 lety +8

    堂島米市場っていうと大体著名人が有り金溶かしてるイメージ

  • @user-yakisoban
    @user-yakisoban Před 2 lety +4

    江戸では金、上方では銀で為替があり、西廻り航路東廻り航路で海上輸送交通網があり江戸大坂では街に張り巡らされた水路によって物資の大量輸送が確保され、旧道は参勤交代で道が整備され関所や渡り船もせっちされ陸上交通の安全度が上がり、各藩は藩札という独自通貨を金銀との為替で維持していたり、調べれば調べるほど江戸時代の先進性にビックリする。古くは古都京都や一乗谷でも見られるように上下水道が整備されていたり信長が重要視した琵琶湖上流通ルートなどもあって、明治維新というがインフラはしっかりしてるから応用次第だった

  • @user-km9jy7oi3b
    @user-km9jy7oi3b Před 2 lety +13

    小さい頃父さんの書斎にあった本たちに書いてあって知ったの懐かしい

    • @user-ko3sj1gz9m
      @user-ko3sj1gz9m Před 2 lety +1

      小さい頃から「先物取引」を理解していたなんて……凄いです🎵(笑)

  • @holyrosecross
    @holyrosecross Před 2 lety +8

    江戸時代の日本の経済の先進性は明治維新の近代化に充分に貢献したと思います。
    酒田五法は今の為替や株取引で色褪せない。
    日本がいわゆる経済大国のいっかくを占める国なのはこういう事が出来ていたから、それにも関わらずこの種の金融取り引きには現代でも否定的意見の人も少なくない。
    と言うか資本主義に否定的な思想も近代に入ってきた為もあるのかもしれないけど。
    昨今の国際情勢の急変で為替や株の乱高下はつとに意識されやすい時期、日本の置かれている環境にも繋がる、興味深い内容の動画でした。
    数多くある歴史動画チャンネルの中でも、こんな深い部分まで掘り下げてくれるチャンネルは他に見当たりませんね。
    脱帽です。

  • @user-ik3ec5xg3b
    @user-ik3ec5xg3b Před 2 lety +10

    米相場というと、庄内藩なのに
    ガソリン価格が、三十年前の倍になってる恐ろしさ

  • @iexander
    @iexander Před 2 lety +7

    先物取引なんて、いかにもアメリカ人が考えそうな仕組みだわ。
    と思ってたら元祖が日本だったのを知った時はたまげたな。

  • @momopopo.
    @momopopo. Před 2 lety +10

    今も続く大阪と東京の文化の差(=違い)を米でも学べた気がしました。

  • @user-tx5ge2nw7t
    @user-tx5ge2nw7t Před 2 lety +8

    めずらしい大阪が舞台とはこれは大塩平八郎の乱の前ぶれかも?

  • @user-rz1oi2br6o
    @user-rz1oi2br6o Před 2 lety +3

    待ってました!

  • @brilliantfirst211
    @brilliantfirst211 Před 2 lety +10

    素晴らしい解説!
    学校の投資教育で使えるくらいの動画です。

  • @user-vr8xf4bk2h
    @user-vr8xf4bk2h Před 2 lety +4

    大阪の商人は本当に頭がいいですね...

  • @yoshirinn7777
    @yoshirinn7777 Před 2 lety +14

    日本には投資にネガティブな印象を持っている人多いですが、こうしたシステムを江戸時代に確立していたことを、もっと広く知って欲しいですね。

  • @user-eg7fc9mk9s
    @user-eg7fc9mk9s Před 2 lety +3

    江戸時代の経済は今と何も変わらないんですよね。加えて徳川吉宗の経済対策もかなり勉強になる。
    各藩の大名は収入を増やす為に領土開発をして、米の生産量を増やす。すると、市場に出回る米の量が増えるから希少価値が下がり価格が下がる。そうなると現物で米を貰ってから現金に替える武士の収入は下がる。
    これを吉宗は経済出動して米を幕府の金で買い占めて米価を上げる努力をした。やってる事が今の金融市場とほとんど同じ。

  • @user-cj8kl6dd4q
    @user-cj8kl6dd4q Před 2 lety +8

    これだけ金融システムや為替システムが整っているのに、なんで幕府は全国統一紙幣の発行に踏み切らなかったんだろう。
    米切手なんてほぼ通貨と同じじゃん。

    • @jjjj6075
      @jjjj6075 Před 2 lety +7

      これは農地領主から脱皮出来なかった幕府の限界だと思うのです。そして経済から取り残された幕府は開国という僅かなショックで崩壊するほど根幹が弱っていて、簡単に明治新政府に取って変わられたのだと感じます。

  • @obunowagaseha
    @obunowagaseha Před 2 lety +9

    主食が投機の対象になる事で経済が発展する一方で飢饉の一因にもなっていたので難しいところです

  • @user-is9gx8ij5k
    @user-is9gx8ij5k Před 2 lety +3

    堂島でのコメの先物取引って形を変えたり中断と再開を挟みながら去年まで続いてたんだよなー
    ってか魔理沙が先物取引のトレーダーって設定が面白くてワロタ(25:27〜)

    • @user-wc4jd3ry8x
      @user-wc4jd3ry8x Před 2 lety +1

      2023年11月20日まで続いてるよ(その日に上場廃止になるともいう

  • @user-yakisoban
    @user-yakisoban Před 2 lety +4

    酒田商人の本間様の動画が同時期の2年前というのも良い感じだね
    この堂島の先物取引と本間様のローソク足チャートは小学生から教えなきゃいけない歴史だよな

  • @rantaro-fl9yl1pn6c
    @rantaro-fl9yl1pn6c Před 2 lety +2

    18:56 ✕ 米安の諸式高
        〇 米安の諸色高

  • @basilbasilicum
    @basilbasilicum Před 2 lety +3

    先物取引という今でも先端であり場合によってはデンジャラスな金融システムがこの時代に!
    現代に生きる一庶民の消費者としては備蓄した米の品質が気になるところです。(古くなったり、虫がわいたり…当時は味より現物だったんだろうか?)
    それにしても進んだ金融市場が江戸時代に誕生していたのには驚きです。
    うまいこと出来ていたんですね。

  • @keya9735
    @keya9735 Před rokem +1

    この時代から空売りもFXもあったってすごいな。

  • @siosyosyo
    @siosyosyo Před 2 lety +4

    ロンドンの、株取引はどうだったのだろう。ロイドの業務の展開も面白そう。
    アントワープ証券取引所1531年建設、ロンドン王立取引所、1567年設立、チューリップ球根のバルブ・バブルの頂点が1637年、それ以前にも先物取引があったとのこと。堂島米会所は、1730年から。それ以前にも、手形決済など、各所に見られただろうから、どうなんでしょう?

    • @user-wc4jd3ry8x
      @user-wc4jd3ry8x Před rokem

      チューリップバブルのは
      商品の特性のため限年制とでも言えばいいのか
      先渡し取引の亜種みたいなもんのような気がします
      証拠金取引や差金決済があったと言っても
      清算機構の仲立ちがなく
      支払い手段に手形が使われたかもしれませんが
      手形の受け取りや商品の受け渡しを
      契約相手から直接行わなければいけなかったので
      実質、現物先渡し取引で
      今日的な金融市場の競売買や先物取引とは全くの別物と考えてます
      アントワープやアムステルダム、ロンドンがどうだったかは
      把握していませんが
      アントワープは成り立ちから
      延べ取引や先渡し取引の場所の可能性の方が強いと思いますし
      時代が下って
      1848年にCBOTが設立され
      1851年に近代的な先物取引が始まったと言われていますが
      当初そこで行われていたのは先渡し取引で
      清算機構が仲立ちに入った証拠金取引が行われるようになる
      1865年まで現代的な先物取引は欧米には存在していなかったと思われます

  • @user-wc4jd3ry8x
    @user-wc4jd3ry8x Před 2 lety +1

    この動画の要は
    主観的に
    12:30頃~16:40頃の部分と思うので
    枝葉末節なんですが
    24:55~
    立物米の解説部分
    あくまで個人的な見解ですが
    立物米は指数というよりも
    今で言う所の
    【現金決済先物取引】
    (今の日本だとJPXグループのOSEの金ミニ、白金ミニやTOCOMの原油、LNG、電力のような取引)
    の「取引対象の標準品」に相当するものだと考えます
    ー余談ですが
    商品と現金の交換可能がな先物取引は
    【現物先物取引】というややこしい名称が付いていますー
    ただ・・・
    JPXは立物米の解説として
    方便としてと思うけれど
    ざっくりと
    原資産かつ指数みたいなもの
    とHPに書いてあります
    しかしながら
    立物米は
    三季商の
    季ごとで変わり
    第2季(5月~10月上旬)は毎年必ず加賀産で
    第1(1月~4月)・第3(10月中旬~12月)季は
    その都度
    いわゆる四蔵米の中から
    株仲間の入れ札(投票)で決定した
    1つの産地の米が
    その季の立物米とされるので
    原資産や価格指標ではあっても
    指数といえるのかは
    疑問に感じずにはいられないのです

  • @user-oo3yo7ew3e
    @user-oo3yo7ew3e Před 2 lety +17

    1ドル=360円の固定レートで、兼高かおるさんが世界中を飛び回っていた昭和の頃と比べたら、現在の円安は我慢できるレベルと思う事にしました。これを機に商品の生産拠点が日本国内に戻って来て、日本人の雇用も保証される社会に回帰して欲しいと思います。

  • @user-gm4qi7oo9s
    @user-gm4qi7oo9s Před 2 lety +6

    まあ、今も昔も経済は大切ですからね。

  • @user-ik3ec5xg3b
    @user-ik3ec5xg3b Před 2 lety +6

    河運に関しても調べて欲しいかも
    ここ全部の経済流通に関わるし
    大河ないと発展しないのが

  • @take4591
    @take4591 Před 2 lety +4

    今回もありがとうございました。 江戸時代の金融についても、きちんと学校で教えてほしいですね。

  • @cbakusadango32
    @cbakusadango32 Před 2 lety +2

    先物を使って現物取引のリスクヘッジ(保険をかける)を考案した大阪すごいわ

  • @hammer99kg
    @hammer99kg Před 2 lety +3

    この時代に電信あったら凄い事になってたろうね。
    維新後の近代化が上手かったのも金融知識が得やすかったからかも・・・
    先物取引はギャンブル的なイメージ持ちがちだけど、
    うまいこと使えば生産者保護の保険になるからなぁ

  • @user-iv6mo3jz6e
    @user-iv6mo3jz6e Před 2 lety +4

    冒頭の円安の話ですが、40年ぐらい前は逆に円高だと輸出品が高くなって、外国から日本製品を買ってもらえなくなると騒いでいたように覚えてます💸

    • @user-yv2wg3hd3n
      @user-yv2wg3hd3n Před 2 lety +1

      昔々、1$80円台、一時79円なんて時代でしたか?

  • @user-ry5xt1fq5b
    @user-ry5xt1fq5b Před 2 lety +15

    こういう経済ネタは、ぜひ聞きたかった❗️o(^o^)o

  • @seishun18kinkippu
    @seishun18kinkippu Před 2 lety +4

    差金決済の説明わかりやすいですね(^-^)

  • @user-iw1es7ru9b
    @user-iw1es7ru9b Před 2 lety +9

    必殺仕事人で米相場に右往左往するエピソードを思い出した

    • @user-tx5ge2nw7t
      @user-tx5ge2nw7t Před 2 lety

      中条きよしが首をくくられたシーンですか?

  • @MrRaiden0000
    @MrRaiden0000 Před 2 lety +3

    これで投資の空売りで儲ける仕組みがよくわかりますね。

  • @nightfriday4829
    @nightfriday4829 Před 2 lety +2

    やっぱいつの時代どこの国でも商人って凄いな

  • @kirin4126
    @kirin4126 Před 2 lety +4

    本来保険のはずの先物が今では投機というバクチの道具になっている現代

    • @jjjj6075
      @jjjj6075 Před 2 lety +2

      実物の売り手と買い手しか市場にいないと相場は上手く機能しないのです。そこに投機家が介入することで相場が一方に偏ることを防止できます。勿論、弊害もあるのですが投機家の存在はメリットの方が大きいと考えられています。

  • @user-in7qx4ly6f
    @user-in7qx4ly6f Před 6 měsíci +1

    恩師に米問屋の流れの家系を聴いてましたが、大正の米騒動追い返した話をちらっと聴きましたっけ…。

  • @Funyasan
    @Funyasan Před 2 lety +1

    投資については、ゆっくり勉強中ナウ

  • @aaaaaaaaa3606
    @aaaaaaaaa3606 Před 2 lety +2

    大名の米切手の下りは信用創造じみてるけど、怪しんだ商人による取り付け騒ぎとか起こらなかったのかな。あるいは引き出しに応じられなさそうな危ない藩の切手はジャンク債みたいな扱いで安くなったりしたとか?

  • @alaindelon2099
    @alaindelon2099 Před 2 lety +4

    江戸幕府の方針はその土地の気質を尊重してる感じがして良い。

  • @user-yv2wg3hd3n
    @user-yv2wg3hd3n Před 2 lety +1

    ドラマ「大阪米会所物語」(うろ覚え?😅)で初めて知りました。

  • @yh6146
    @yh6146 Před 2 lety +6

    29:48 江戸時代は相続税が無いから剣客商売で秋山小兵衛がある金貸しから遺産として1500両の大金を相続した時は全額もらっている。まあ、小兵衛はその金を困っている人に無償で与えて自分のために使わなかったけど。

  • @KOME1990
    @KOME1990 Před 2 lety +4

    日本という国は実は架空のお金を作り出すアイデアを考えるのが得意な国なんです。NHK の「圓の戦争」などを見るとわかりますが、日本は戦争の戦費調達のために円を基軸として通貨を発行して現地の戦費に充てるシステムなどを作りました。ちなみにこのシステムは戦後も応用されて現代のアメリカと日本の経済的な癒着構造も作ったのです。日本がすごい借金をしてるのに日本は経済破綻しないゆえんもこのあたりにあると思います。その現代にまで繋がるシステムの種子が江戸時代に育ちつつあったわけですね。

  • @uwa6971
    @uwa6971 Před 2 lety +1

    いつも使われてるbgmの曲名が気になって夜も眠れません

  • @akaguroi
    @akaguroi Před rokem

    9:00 京阪淀屋橋あたりからサントリー本社ビルあたりに移った感じかな?

  • @nazca091
    @nazca091 Před 2 lety +1

    吉宗の質素倹約令というと直接的な支出を抑える事で財政健全化を図るイメージがあるけど、加熱した経済活動を抑える事でデフレ化を図り幕府が発行してる通貨の価値を高めようって意図の方が強かったのかな
    管理通貨制度の今だったら通貨の裏付けは借金だから、借金の利率である公定レートを上下する事で通貨の価値をコントロールできるけど、江戸時代は米本位制みたいなものだから、通貨の価値を高める=米の値段を高める事になり、贅沢禁止令で米以外の需要を減らして価格を下げる事で米の価値を高めようとしたんだろうか

  • @user-is9gx8ij5k
    @user-is9gx8ij5k Před 2 lety +2

    帳合米取引の手数料(26:06)っていくらしてたんですか?
    あと、魔理沙の最終的な儲けっていくらになりましたか?

  • @masa-ly2ny
    @masa-ly2ny Před 7 měsíci +1

    商売
    ▪日本國の経済史か…興味が湧きます。
    ▪必ず、日本國に…大阪の堂島に米相場を復活を臨みます…

  • @sakuoli
    @sakuoli Před 2 lety

    今の信用通貨制度だと、通貨の取引価格は各国の中央銀行の操作する実質金利の二国間の差からくる資本移動決まってしまうので、必ずしもその国の経済力そのものとリンクする訳ではない実質金利差と資本移動が通貨価値というのはなかなか理解しにくいものがあるでしょうね…。まさに江戸時代の米相場と同じく実際の米の需給の影響のみではない投機的動きによるものですから

  • @tyama1224
    @tyama1224 Před rokem +1

    アダム・スミスの国富論には、当時のヨーロッパの銅価格は、江戸時代の日本の銅相場によって決まるって出てくるよ。これも当時大阪で取引された大坂の銅相場のことだったらしい。日本の鎖国時代に日本の銅相場がヨーロッパにどう関係してたのかは謎なんだけど。国富論もそれ以上のことは書かれてないので。

  • @user-tl3yo3nw7w
    @user-tl3yo3nw7w Před 2 lety +4

    米本位制で成り立ってた江戸時代

  • @kurabow
    @kurabow Před 2 lety +1

    なるほど、俺の頭脳では給料でちまちま生活するのが一番だということが分かった泣

  • @user-of8fq3lq2k
    @user-of8fq3lq2k Před 11 měsíci +2

    日本はもともと実は貯金ばかりの民族ではなかった
    金融はむしろ長けていた

  • @user-vt9jj1yy9g
    @user-vt9jj1yy9g Před 2 lety +1

    淀屋橋ってそういうことやったのか

  • @user-pj7kb6nz2n
    @user-pj7kb6nz2n Před 2 lety +1

    とても面白かったです
    この時代の人たちが、現代の市場を見てどう思うか、訊いてみたい気がします
    何百年も経っているのにちっとも進歩していないと呆れるでしょうか?
    それとも、おれたちは同じことをずっと前からやっていたよと自慢するかな?

    • @user-wc4jd3ry8x
      @user-wc4jd3ry8x Před 2 lety

      日本の商品先物が2004年の法改正で国内全盛期から一気に瀕死になったのを見て
      あいかわらずお上のやることは
      って草葉の陰であきれ返ってると思う

  • @merdekaataumati1949
    @merdekaataumati1949 Před 2 lety +6

    なんだか、先物市場の投機的側面ばかり強調されていて、残念な動画でした。
    先物市場の本来の存在意義は、リスクをコストに変えることにあるのに、そのことにほとんど触れられていない点が残念でした。
    変動の激しい米相場だからこそ、大名も米問屋も、リスク回避の手段として先物市場を利用したのです。

  • @user-qq1kn2fv5t
    @user-qq1kn2fv5t Před 2 lety +3

    「公認はしてないけど口は出す」って幕府の政策の殆どそうなんじゃ‥
    江戸時代の文化や経済の側面で見たら幕府は悪役でしかないのがな‥

  • @elrd1032
    @elrd1032 Před 2 lety +1

    大証ヘラクレスの先祖()

  • @shibamofumofu4983
    @shibamofumofu4983 Před 2 lety +1

    現在の先物取引と同じ取引方法ですね。
    違いと言ったら時間外取引で世界中が相手になっているところくらいでしょうか。

  • @user-vo5sp7ec3f
    @user-vo5sp7ec3f Před 2 lety +1

    米相場とビットコインを比較して説明するのもいいかも

  • @MM-sj2yu
    @MM-sj2yu Před rokem

    大阪に市場ができた理由 9:19

  • @mitsubishi777
    @mitsubishi777 Před 3 měsíci +1

    現在、円安ユーロ高、円安ドル高です。もし、円安(自国通貨安)がインフレの原因だとしたら、G7で日本が最もインフレに苦しんでるはずです。しかし、「貧しくなる英国、G7で最大の生活水準落ち込みか-MLIV調査」によれば、インフレによる実質賃金の下落率が日本はG7内でカナダに次いで低い。つまり日本の物価高騰は、円安が主たる原因ではなく、世界規模のコストプッシュ型インフレのせいだと思います。

  • @heartangel3744
    @heartangel3744 Před 2 lety

    こんばんわ。堂島米取引ときたら次は・・・、
    井原西鶴先生の「日本永代蔵」「世間胸算用」はいかがですか?、
    お金に泣く(?)、お金儲けに右往左往する人が減るかもしれません

  • @suteyone7908
    @suteyone7908 Před rokem

    世界最古は古代メソポタミアでしょう?
    ハンムラビ法典に先物を含めたデリバティブ取引を定めた記述があります。

  • @tyama1224
    @tyama1224 Před rokem

    アダム・スミスの国富論には、当時のヨーロッパの銅価格は、江戸時代の日本の銅相場によって決まるって出てくるよ。これも当時取引されてた大坂の銅相場のことだったらしい。日本の鎖国時代に日本の銅相場がヨーロッパにどう関係してたのかは謎なんだけど。国富論もそれ以上のことは書かれてないので。

    • @user-wc4jd3ry8x
      @user-wc4jd3ry8x Před rokem

      17世紀、日本が推定銅生産量世界1位だったことと
      長崎を通じての貿易で
      貴金属の流出を防止するため
      貴金属の輸出上限を設けて
      それを超えた場合の決済対価のひとつとして
      銅を国内価格よりも割安で大量に輸出していたことが考えられます
      日本の生産量の減少と英領での生産量の増加で
      18世紀の半ば
      順位が入れ替わりましたが
      それでも19世紀までは生産量世界シェア35~40%程度は日本が占めていたと考えられます
      (葉賀七三男先生の1990年の論文、チリのコルテコ社の1975年の資料、 Christopher J.Schmitzの『World Non-ferrous Metal Production and Prices, 1700-1976』などを参考)

  • @user-rj5uz3qj2l
    @user-rj5uz3qj2l Před 2 lety +3

    江戸時代の新潟は米どころでは無かったのでは?

    • @user-by6kk1ps2q
      @user-by6kk1ps2q Před 2 lety +1

      でも、港はデカかったしこの時代は完全に重量のある輸送は水伝い(川、海)なので大きい河口が多い新潟に集まりやすかったのでは?

  • @asakazefuji
    @asakazefuji Před 2 lety +3

    キャンドルスティックチャートとして今や世界にも名がしられる蝋燭足
    意外にも日本が創始なんですよね、創始者については諸説あるようですが
    インベスターZでも見たけど日本の江戸時代は閉鎖社会にいたようにみえて進歩的な側面も有ったという事実が大事ですな

  • @neobasara
    @neobasara Před 2 lety +1

    明治維新で帳合取引禁止にしなければ商品取引市場の在り方について日本は先見的な知見や経験を持てたかも知れない。先物取引が博打というかもしれないけど、損害保険の引き受けも同じこと。不正を取り締まり正しく使えばいいだけのこと。

  • @user-og8kx4ih7c
    @user-og8kx4ih7c Před 2 lety +3

    というか、この堂島米市場のシステムをアメリカが真似したので、元祖大元がこれらしいと聞いた。
    だから現代の先物市場とほぼシステムが同じなんだとか。
    欧州はプットコールが主流だったから別系統なのよね

  • @user-fb3oq9jq3d
    @user-fb3oq9jq3d Před rokem +1

    鎖国体制ならMMTでいけるんだが...

  • @user-xr3bl6mb1b
    @user-xr3bl6mb1b Před 2 lety

    え~ん!円安嫌い!ユーロ高嫌い! 責任者 でてこ~ぃ! (;▽;)シクシク
    うぽつでございます。いつも大変お世話になり誠にありがとうございます。 手前どもは真っ当な 唐物問屋でございます

    • @user-lq2rx6zy3w
      @user-lq2rx6zy3w Před 2 lety

      USドルでも買えば?日本の輸出産業をボロボロにした張本人...だれなんやろなぁ