猛将・長野業正!上野を守り抜いた虎が見せた 誠の武士の道
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- čas přidán 29. 04. 2020
- 猛将・長野業正!上野を守り抜いた虎が見せた 誠の武士の道
について紹介しています。
~目次~
■上野国の国人領主長野業正
■武田信玄を蹴散らした名将
■歌人の子孫ならではの逸話
■真田幸隆を送り出した心意気
■幸隆に授けた策略
脚本・監修:歴史の細道
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~画像~
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~音源~
DOVA-SYNDROME 様
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カキツバタで有名な在原業平の子孫の紹介とは、花が咲くこの時期にピッタリですね♫
群馬県の名将‼️群馬の方は誇って欲しい。
こんな人の器量を見習いたいと思える武将ですね💡
文武を兼ね備え、度量大きく、裏切りや主家を移るのが当たり前の乱世に義を貫き、晩節至りてもそれを汚さず…
人として惚れます✨
立身出世は叶わなくても、こんな人に命を預けられたら、悔いは無さそうです😌
長野業正、とても興味深い、すごい人物ですね。北条・武田・上杉(長尾)の大国に囲まれて、侵攻を退けて上州を守りぬいた手腕は大したもの。真田とのいきさつは業正の器の大きさを物語っていますね。
かっこいい。いい人物を紹介してくれてありがとうございます
滋野一族がお世話になった武将や
好きな武将の一人
将軍から「軍法軍配天下第一」の称号を貰う最強の上泉秀綱が配下にいるからね。
個人的に一番好きな武将は長野業正、高山右近
我が群馬の誇りであり魂であります。上泉信綱公も群馬の誇り。新陰流の祖ですから
信長の野望でやたら強くて知った
昔、群馬に住んでたから見て回れば良かったかな。。
いつもよりOPに気合入ってますな!
長野業政待ってました!ありがとうございます。出来れば上泉伊勢守もお願いします!
業平橋は地名で残ってます😃
他家へ行くとわかってて上手く促す。だけど攻めてくれば戦うぞという気構え良いですね。
大河ドラマ風林火山でも登場してましたね。関東を代表する名将の1人だと思います。
物語の中の長野業正の紹介ならこれでもいいんですけどね
現実の長野業正は山内上杉氏が劣勢になると北条に寝返り(1552年の出来事)、長尾景虎(上杉謙信)が関東に侵攻してきたら北条から長尾に寝返り(1560年)、そして1561年に死去しています
北条の家臣だったので当然その間に北条や武田と戦った事実はありません
長野業正も家を守るために強い方に着く、普通の戦国武将に過ぎません
「忠義に厚い猛将長野業正」は江戸時代の創作です
かなり盛られた話だというのは有名ですよね 世の流れを読んで家を存続させたり、様々な家と婚姻関係を結べた、という時点でそれなりに優秀な人物だと言うのは間違いないとは思うのですが、無類の忠義者で、戦にもめちゃくちゃ強い、というよりかは、頭のキレる智将と言った方が正しいのかも
箕輪城は、いい感じですねェ。ただ最近、周辺部が、異臭がしますよね。
箕輪城下の 明家(空家)に住んでいます 最高です
上泉伊勢守信綱が家臣とかすごいよなあ
去年の夏にチャリで箕輪城行ったけど、坂がきつくて息も絶え絶えだったわ
元フジTV アナウンサーの長野智子さんは長野業正の子孫に当たるそうです。
長野業正は上司にしたい武将の1人です。
武田に対して何度も勝ち、そして武田方に付く真田にも最後まで気配りする
先の自分の未来と真田の未来がわかってたかのように
武田方に付く時も知らないふりしてすべてお見通しな所
これが実話なら真田はどんなに肩の荷が軽くなった事かと思う
最後まで戦も人柄も立派な人物です
長野業政、今でも一族がいらっしゃって、年に一度墓参りをする様です。墓石は箕輪城跡近くの井戸蹟から、発掘調査で出た様です。
武将風雲録ののどかな顔グラがなつかしい
長野業正は有名でしょう。昨日今日、戦国を知った方には無理でしょうが、戦国に興味を持って勉強すれば早いうちに知る武将かと
自分はゲームの信長の野望をプレイしてこの武将を知りましたね。素晴らしい能力の持ち主でした。
関西人からすると、勇名はもちろん言うまでもないのですが、
真田氏の上州北部支配に業正が関わっていた話までは知らないです。
箕輪城にも去年行きましたが、人間性を掘り下げる所まで(そこまで興味が)いってないです。
ここ最近(10年ぐらい)知った者です!とにかく、素晴らしい武将です!武田信玄知ってる!けど長野業正を、知らない!と言う人は、武田信玄を知らない人になってしまうかもですね!
@@user-bx5tm6cd7b それな
この業正と西の九州の立花道雪は特に一般には知られてないが、戦国好きにはたまらない武将ですよね。道雪に関しては信玄がその武名を聞いて書状で面会を求めたという説もあるので、まさに信玄繋がりの名将ですな。
信玄の上を行った偉大な父親の遺言を守り滅亡した息子、業盛。
業盛が父業正の位牌を拝し自刃した持仏堂跡は広い平坦地となっていて、しばらく佇んだ。
周辺には夫人の悲劇を伝える遺跡や伝承もあり、多くの女性たちも過酷な運命をたどったことだろう。
長野業正の配下には上和泉秀綱がいる。これも話一つできる。
ところが、『上和泉秀』を知る人が少ない。
大偉人の子にも関わらず。
上州の黄斑きた!
長野業正が普通の戦国武将なら、配下にいる剣聖、上泉秀綱は見限って武田方に付いている。
しかし最後まで忠義を貫いて戦った。それは、長野業正が命を懸けるに相応しい主だから。
業正は、生まれた場所や地位によっては天下を取っていたと思う。近郷の国人たちが惹きつけられる人間力・武人の魅力があったのだろう。箕輪城を訪ねたことがあったが、息子業盛最後の地が広い空間になっていた。遺言とはいえ、その後の業盛の妻の運命などを考えると哀れで仕方なかった。
長野家については文献が少なく、今に伝わるのはほぼ江戸時代の軍記(創作)話らしいけど
真相はいかに
義に生きた人はカッコいい
普通に考えてほしいわ。武田北条に挟まれて独立を維持できるわけないじゃん。山内上杉が追われたのちは一旦北条についたと考えるほうが妥当です。この長野業正は創作。
@s l それがドラマって言ってるんですけど言っても無駄でしょうね。
何故かわからないけど、これは史実的には大半が誤りですよという指摘がコメント欄の下の方に固まっているなぁ
武田信玄に「業正が居る限り上州に手は出せぬ」
と言わせた男ですね
武田信玄を何度も撃退凄い。でも風林火山も見る人が見れば「またゴルゴムの仕業かっ」ってバレちゃうんだろうね
江戸時代の半ばに書かれた『関八州古戦録』という軍記物でしか活躍が確認できない人ですね。当時の資料には名前すら記されておらず、川中島の合戦と同時期に武田軍が上野へ侵攻していたというのも現実的ではないため、近年は信玄を撃退したというのも創作なのではと疑問視されていますね。まあ、後世のイメージが形作った佐々木小次郎みたいな存在なんじゃないでしょうか。
普通に考えりゃ分かりそうなものなのにね。なんで業正は生き永らえ、息子は滅ぼされたか。武田・北条のどちらかに従属したからに決まってる。
凄いね、この人。家臣は安心して戦えただろう。
よし、次の大河は業正で!
戦国三大爺
豊後の爺
沼田の爺
長野の爺
史実はちょっと違うみたいですけどね
何故信長の野望シリーズは全て通して信玄よりも智謀も統率も低いのか疑問しかわからない
息子の長野業盛も名将なのに
ユキムラチャンネルで知った。
個人的に結構武田信玄の本やマンガなどを読みましたが長野業正のなの字も出てきません。しかも信玄の生涯戦績は、専門家によると72戦50勝2敗20引き分けであり、2敗は信玄が若い頃村上義清に二度破れただけであったそうです。もし長野業正に6度も負けていたら敗戦数も8敗になってるはずでさすがにそれはあり得ないと思います。やはり長野業正という男は、江戸時代の創作の可能性が高いと思います。なにせ長野業正に関する確かな文献は全くないんですから。
有能な武将だったのに主君の上杉憲政が無能だったのが不運
どんなに優秀な人物でも主君の器量で運命が決まってしまう
長野業正??彼について書かれたものはないようですね。どうやら業正の話は創作みたいですね。ホントにこんな人がいたら凄いと思うけど。
最近は本当の業政(正もあやしい)の事がわかってきましたね。だいぶ話が盛られてますよね、、
まあまあ、盛られた話でも、そういう説もあるんだぁ、ロマンな話だなぁ位に思っておけばいいんですよ
素直に武田信玄の家来になれば家が滅ぶこともなかったろうに
これといった展望もなく抵抗を続けたのは志賀城攻めで武田の悪名が広まったかららしい。
信玄に抗ったからこそ後世に名を残したんだよ
ただ息子の代で滅びたのは残念です
いやいや、信長の野望でも能力値デラ高いっすよ❗
有名な猛将です❗
器が大きい人物
通説の方ですね
当然弱い武将とは思わないですが、
評価の大半である武田を6回退けた点については、
当時武田の主戦場は川中島周辺の北信濃で、
6回の戦もあくまでその北信濃攻略の傍で実施されたもの、
且つ信玄が総大将で率いた軍でもないようなので、
高らかに信玄より強いとは言えないのかなと。
業正の死のタイミングが重なったものの、
信玄にゆっくり絡め取られたのが実情なのかなと。
単純な戦績で武将の強さを評価してはいけない、いい例ですね。
(攻勢側の勝利と守勢側の勝利に大きな差があるという意味でも)
そもそも業正の功績の大半が、江戸期に成立した関八州古戦録からの引用ですもんね。
一次資料が少なすぎるし、名将には違いないとは思いますが判断が難しい人物ですな。
業正の多くの戦争譚は「関東古戦録」という18世紀江戸中期の軍記物によるもので、歴史学的には?がついています。
この動画もそれそのままですね、「低評価」とさせて頂きました。
残念!逸話のほとんどが江戸時代の創作です。UP大変なのは分かりますがホラばかりだとNAKATAと同じになってしまいますよ。楽しないでしっかり検証を!
上州の狼 長野業正