大社だけじゃない、名古屋発 ユニークな急行ネットワーク。急行赤倉、のりくら、紀州、平安、きそ、つがいけ、おくみの、うなづき…

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  • čas přidán 25. 05. 2023
  • ※動画中、上諏訪行き 急行伊那路とありますが、’78年の当時は急行 伊那 でした。
    ご指摘ありがとうございました。お詫びして訂正いたします。
    現在でも名古屋駅からいろいろな場所へ列車が出発していますが、
    昭和50年代にはもっと多様な目的地へ列車が走っていました。
    今回はそんな華やかな時代、名古屋駅から各地へ出発する急行の、
    非常に面白い、今では考えられない多種多様なラインナップについて、見ていきたいと思います。
    先回は急行 大社だけのお話でしたが、今回はその他の急行ラインナップについて、見ていきます。
    どれも大社に負けないくらい、非常にユニークな列車ばかりてす。
    行き先も、
    新潟、天王寺、上諏訪、南小谷、珠洲、宇奈月温泉…
    と今では考えられない場所ばかり。
    名古屋発着の、のべ14本を一気に紹介していきます、よろしくお願いします。
    #名古屋駅
    #大社駅
    #急行赤倉
    #急行
    #キハ58
    #昭和50年代
    #のりくら
    #おくみの
    #珠洲駅
    #宇奈月温泉
    #急行平安
    #急行かすが
    #急行紀州
    #急行伊那路
    #上諏訪
    #急行比叡
    #急行きそ
    #急行つがいけ
    #165系
    #集団就職
    #急行しらはま
    #急行あおもり
    #金星51号
    #新潟駅
    #急行大社
    編集
    #vllo
    VOICEVOX:四国めたん

Komentáře • 54

  • @user-nr1wq1xb2j
    @user-nr1wq1xb2j Před 2 měsíci +1

    その昔、「こがね」「しろがね」という列車もありました。名古屋始発名古屋着で。東海道〜高山〜北陸〜東海道で逆パターンも。それぞれに名称が与えられていました。高山、紀勢東は非電化、関西、中央西は電化が大幅に遅れ、ディーゼル急行が幅を効かせていました。とにかく中京圏は新幹線開業後から昭和50年代後半まで、東海道、中央西は「汽車」ダイヤで、「都落ち」した70,80系から、153,165系、初期の113系ばかりで、ダイヤも非等間隔で、117系「東海ライナー」が登場した事でライバル名鉄に一矢報いた感じ。

  • @ststkg14
    @ststkg14 Před rokem +4

    懐かしさを想起していただきありがとうございます。夏には小浜線方面に行く急行エメラルドという海水浴列車が有ったような気がします。特急金星は晩年は電車寝台だったですね。

  • @tetsu0804
    @tetsu0804 Před rokem +11

    国鉄時代の飯田線急行は【伊那】だったと思います。国鉄末期に廃止になり、JR化後に【伊那路】として復活したはずです。

    • @my_note
      @my_note  Před rokem +3

      大変失礼いたしました。概要欄にて訂正させていただきました。ご指摘ありがとうございます。

  • @ti4016
    @ti4016 Před 8 měsíci +1

    急行赤倉は名古屋の親戚から帰るときに信越線新井駅まで乗りました。
    気動車懐かしいです。

  • @gerifunben
    @gerifunben Před 9 měsíci +1

    季節列車だった夜行「つがいけ」は南小谷から普通列車となって糸魚川まで運転されていました。
    蛇足ながら中央東線の名急行「アルプス」には新宿〜糸魚川間を結ぶ便がありました。
    いずれもキハ58形を使用していましたよ。

  • @Oh-iy5bw
    @Oh-iy5bw Před 11 měsíci +1

    昭和時代に乗り鉄やっました。
    名古屋から夜行の、
    中央本線経由『ちくま』で長野まで、
    高山本線経由の『のりくら 9号』で富山まで、
    そして昼間の『赤倉』では新潟まで、乗り通しました。
    当時の『赤倉』は全車非冷房の急行型ディーゼルだったので、盛夏から晩夏は、窓をフルオープンにしていました。
    自然の風が心地良かったな∼。
    素敵な動画の UP、ありがとうございます。🙇

    • @my_note
      @my_note  Před 11 měsíci

      良い時代でしたね

  • @MASA_TYM
    @MASA_TYM Před rokem +6

    名古屋発名古屋行きの「しろがね」と「こがね」も忘れないでください。

    • @my_note
      @my_note  Před rokem +1

      循環するんですよね。

    • @MASA_TYM
      @MASA_TYM Před rokem +2

      名古屋~米原~富山~高山~名古屋と循環するものと、この逆周りのものとそれぞれ1日1本ありましたね。

  • @ochi205
    @ochi205 Před rokem +2

    三重県在住で昭和50年代後半は神奈川県で学生時代を過ごしましたが、受験時や帰省時などの利用も含めて動画に紹介されているほぼ全ての列車の全区間を利用したことがあります(「紀州」は名古屋~紀伊勝浦間)。当時の裏ワザを一つ。ここに登場する多くの列車は間合い運用として通勤列車として名古屋に到着しますが、当時は乗客を全て降車させて車内清掃を行うようなことはせず、そのまま引き続き乗車が可能でした。「のりくら1号」は武豊からの普通列車が充当されていたため、多客期に利用する際は、熱田駅から武豊発の普通列車に乗車し、席を確保した覚えがあります(当時は東海道線の金山駅や尾頭橋駅はまだありません)。またここに登場する多くの列車はグリーン車(キロ28orサロ165等)を連結していましたが、普通列車として運用される場合は原則グリーン開放となり、定期券や乗車券のみでグリーン席が利用できました(グリーン開放の場合、枕カバーが取り外してあった記憶があります)。いずれにしてもいい時代でした(笑)。

    • @my_note
      @my_note  Před rokem +1

      名駅到着後、サボを入れ変えて簡単な清掃して、みたいな感じでしたね。

  • @prip707b
    @prip707b Před rokem +4

    中央線全線電化以前の話ですが
    夜行きそ、ちくま、つがいけ、のりくらなど、スキーシーズンには名古屋駅コンコースに列車別待機列が作られ、誘導乗車になるほど混んでましたねぇ(トオイメ)
    できましたら、銀河をはじめ、名古屋駅界隈の夜行急行、普通などの話も!

    • @my_note
      @my_note  Před rokem +3

      ちくまは懐かしい。夜行も取り上げたいです。

  • @user-jq6vc8ud8y
    @user-jq6vc8ud8y Před rokem +1

    懐かしいですね!国鉄時代名古屋、15時位で紀勢線経由天王寺行きの普通列車で大坂に行きタコ焼きを食べて近鉄で帰って来た記憶が有ります。もう50年位前です。懐かしい

    • @my_note
      @my_note  Před rokem

      はやたまか南紀ですね、なつかしいです。

  • @junyuiyui7000
    @junyuiyui7000 Před 9 měsíci +1

    急行平安は途中の桑名四日市亀山から京都への需要を当て込んだのかな?
    今は同じルートで四日市から京都まで高速バスが走ってますね。

  • @user-Toyama_ninimaru
    @user-Toyama_ninimaru Před 11 měsíci +1

    白馬岳登るの便利なんですよー南小谷着

  • @user-rs6qb9oz6i
    @user-rs6qb9oz6i Před rokem +3

    2801D 2802D 急行間合いで美濃太田ー名古屋 越後線ー白新線 新発田間合い普通列車として運行
    太多線10両~12両で営業運転 ホームから外れた部分から乗降は大変でいたね。
    ステップ付き気は58主体列車です。

    • @my_note
      @my_note  Před rokem

      武豊線とかも急行間合いはありましたね。

  • @mad1186
    @mad1186 Před rokem +2

    1971.4.2
    DC赤倉号で名古屋-長野を移動しました。電化は中津川まで。塩尻から逆編成となり、松本-篠ノ井間も非電化でした。近畿圏外への旅行は初めてで興奮気味だったのを覚えてます。

    • @my_note
      @my_note  Před rokem +2

      塩尻は方向転換でしたね。

  • @user-mc4nv6oe9q
    @user-mc4nv6oe9q Před rokem +2

    仕事が終わって夜行のりくらはよく乗った。木曾は寝台付きの客車の頃は乗りました。
    赤倉やちくまは乗れずじまいだった😢かすがは乗ろうと思った事はない😅

  • @YS-ff8rw
    @YS-ff8rw Před rokem +1

    私は都内在住だったためか、名古屋発の急行列車はあまり目を向けていませんでした。それでもタイトルにいろいろと並べられているのを見ると懐かしいですね。都内発にかかわらず、さまざまな急行列車などを始発駅から終着駅まで時刻表でよく追ってみていったものでした。今考えてみると何でこんなルートをと思うような列車が多かったような気がします。
    その他名古屋関連では「むろどう」「北アルプス」などもあったと思います。

  • @user-fk2nr8te5f
    @user-fk2nr8te5f Před rokem +3

    DCの赤倉号、非冷房車が連結されていました。
    G車と普通車指定席は冷房で自由席は非冷房でした。
    指定席が増結されるとどちらになるか運まかせでした。😢

    • @my_note
      @my_note  Před rokem

      扇風機しか見たことなかったです。

  • @user-zu9ee8gq7g
    @user-zu9ee8gq7g Před rokem +2

    これだけバラエティー溢れる列車が運行は分割民営化されたいまでは難しいでしょうね。
    乗り鉄ではないですけど大社の気が遠くなるような経路は一度乗ってみたかったですね。

    • @my_note
      @my_note  Před rokem +1

      乗り通してみたかったですね。

  • @user-dz2tc8yo3k
    @user-dz2tc8yo3k Před rokem +1

    あかくらの話しを義理のお母さんから聞いた事があります。お盆の帰省はリックのお客さんでいっぱい、
    年末帰省はスキー客でいっぱいで夏冬混み苦労したとかでも新潟まで乗り換えなしで帰れると喜んでいました。

    • @my_note
      @my_note  Před rokem

      増結して12両でもいっぱいでした。

  • @user-dl7rp8gs8m
    @user-dl7rp8gs8m Před rokem +1

    おすすめに出てきたので😊視聴しました。急行列車いいですね現在のJRはほぼ皆無ですし私鉄は急行券です無いしね。

    • @my_note
      @my_note  Před rokem +1

      ありがとうございます。

  • @injpn5629
    @injpn5629 Před rokem +1

    かすがは小学校修学旅行で奈良まで利用しました。

    • @my_note
      @my_note  Před rokem

      かすがと平安はやはり修学旅行需要が大きかったのでしょうかね。

  • @inojyou1
    @inojyou1 Před rokem +2

    小学~中学生の頃、金星51号は長崎に行くのによく利用していました.
    当時、夏休みのブルトレはプラチナチケットでしたので仕方なくではありますが・・・
    機関車がEF58-61だったときガッカリしたものです.
    鳥栖で朝6時乗り換えなのに目覚ましもなく起きていたのは今ではあり得ないです.

  • @muzuuruu6005
    @muzuuruu6005 Před rokem +2

    『のりくら』別名「のらりくらり」

  • @okhan
    @okhan Před rokem +3

    夜行のりくらは編成の真ん中に荷物車があるんだよね、新聞を改札口の近くに降ろせるように
    そして富山止まりの車両が神岡線の始発になる超運用
    で時刻表2万キロの第一章のハプニングが起きる

  • @user-xo2xf6eh6g
    @user-xo2xf6eh6g Před rokem +2

    1966年~1968年まで、岐阜(美濃太田)・名古屋~鳥羽をむすんだ急行いすずが存在しました。この列車は、戦前から運行されてきた名古屋~鳥羽の蒸気機関車牽引の快速を気動車化と同時に急行に格上げしたものです。この列車は平行する近鉄特急に対抗するため、近鉄が乗り入れない岐阜まで運行されました。(岐阜~美濃太田は普通列車でした。なぜ美濃太田まで運行されたかというと、この列車を担当したのが美濃太田機関区のキハ58系だったからです。)1967年10月改正の時刻表では、鳥羽方面のいすず1号は岐阜750→鳥羽1100で、いすず2号は名古屋1450→鳥羽1731(名古屋~亀山はかすが2号と併結)で、名古屋方面のいすず1号は鳥羽900→名古屋1132(亀山~名古屋はかすが1号と併結)で、いすず2号は鳥羽1602→美濃太田1954でした。しかし結局近鉄には勝てなかったようで、1968年10月ダイヤ改正で廃止されました。

    • @asakazefuji
      @asakazefuji Před rokem +1

      当時は伊勢線も無いから、亀山経由を強いられたわけで
      勝てる要素が有りませんでした。
      名古屋から鳥羽まで2時間半~3時間とのことですが
      近鉄特急はこの区間、当時から今も大差なく1時間40分とかだったので(今の快速みえは1時間45分とか)、全く勝負になってないです
      (この所要時間では近鉄の急行乗継にも負けるかもしれません)

    • @user-xo2xf6eh6g
      @user-xo2xf6eh6g Před rokem +1

      @@asakazefuji 戦前の時点で名古屋~鳥羽方面の所要時間は、近鉄の急行に30分近くも負けていました。しかし湊町方面の惨状に比べたらまだましだったため(こちらは1時間以上負けており、勝負になっていなかったです。しかも近鉄はこの区間の急行を終日30分間隔で運行していました。)、戦後でも設定されたのだと思います。しかし近鉄名古屋線が急速に輸送改善が進む中で、国鉄は他の幹線の輸送改善や新幹線建設で忙しく、これに全く対応できませんでした。(参宮線は戦時中に単線化されたため、むしろ悪化していました。)一応参宮線の改良(複線区間の復活や交換設備の増強など)も計画されましたが、国鉄が赤字に転落してしまったため立ち消えになってしまいました。そのため気動車化と同時に岐阜まで乗り入れることで何とか近鉄に対抗しようとしますが、この程度では近鉄との圧倒的な差を覆すことはできず、ヨンサントオで廃止されました。(個人的には、1960年代後半が関西本線の凋落が決定的になった時期だと思っています。1967年→特急あすか廃止。1968年→急行いすず、急行大和の急行紀伊への統合に伴う和歌山市・湊町乗り入れ廃止、急行かすがが1往復を残して湊町~奈良の急行運転廃止。)

    • @asakazefuji
      @asakazefuji Před rokem +1

      @@user-xo2xf6eh6g
      名古屋線については、1942年の江戸橋~大神宮前間伊勢線廃止から1959年の改軌まで、名古屋~宇治山田の移動でも中川での乗換が必要だったのも作用したかもしれませんねえ。修学旅行等では乗換不要な参宮線が好まれたというのもあったようです。
      (それ故に1956年の六軒事故のような悲劇も起こっている)。
      湊町ほかミナミからは全く国鉄に優位性がなかった一方で、大阪(梅田)・京都からの草津線ルートは近鉄にはない直通需要があったようで、戦後も参宮快速が設定されていたとまた記憶しています。
      こちらも急行化され、「いすず」より長く1986年までは急行「志摩」として残っていたと記憶する所。

  • @user-uw1og1rp9u
    @user-uw1og1rp9u Před 11 měsíci +1

    南小谷行きの急行つがいけは大糸線のスキー場と後立山の登山者にはよかったと思います。南小谷までは電化されていたので南小谷まで運行していたのでしょう。南小谷糸魚川間はJR西日本で在来線も第3セクターになっているので新幹線か越後トキメキ鉄道かあいの風とやま鉄道を使うしかないのが現状かと思います。

  • @asaichban9842
    @asaichban9842 Před rokem +1

    名古屋というか愛知県は 繊維産業が盛んで 長野・新潟・北陸・山陰・九州などからの就職が多かった
    東京・大阪より穴場的存在 わりと好条件だったとか(夜学にちゃんと通わせてくれるとか 上下関係が緩かったとか)

    • @schimitch3277
      @schimitch3277 Před 8 měsíci

      トヨタの原点が紡織だってことを考えても、興味深いですね。

  • @user-dt4vi4pn5c
    @user-dt4vi4pn5c Před rokem +2

    昔、「周遊券」と言う切符があり、急行列車は急行券がなしで乗車出来ましたから、名古屋発の急行列車は重宝しました。
    名古屋~米原経由の金沢行の「兼六」や名古屋~博多までの急行「玄海」も存在していました。

  • @pururu12
    @pururu12 Před rokem +1

    1978年紀勢線電化に伴い天王寺発名古屋行き特急くろしおは廃止になりましたが、急行紀州なんてあったんですね?

    • @my_note
      @my_note  Před rokem +1

      78年10月改正時点では紀州号も紀伊勝浦までとなったようです。

  • @user-md6tw5hb6d
    @user-md6tw5hb6d Před 8 měsíci +1

    珠洲行「のりくら」は折返しで能登半島のカオス急行w「能登路」の一翼を担ってたな(かつての大阪直通「ゆのくに」の後釜になって、帰省後、大阪に戻る時はそれに乗ったな)

  • @user-se1db4rw5s
    @user-se1db4rw5s Před rokem +3

    数年に1回で良いから、
    復活してくれないかな?
    (;^_^A
    勿論、全車指定席でえェから!(^^)

  • @user-pt4gs1zg1c
    @user-pt4gs1zg1c Před rokem +2

    新潟駅の駅舎、旧駅舎ですね。もう取り壊されて今は新駅舎になっています。新駅舎を出してほしかった。

    • @my_note
      @my_note  Před rokem +1

      失礼いたしました。新潟といえばこの駅舎のイメージが…

    • @Oh-iy5bw
      @Oh-iy5bw Před 11 měsíci +1

      沼垂生まれ、昭和の時代の乗り鉄としては、この新潟駅を紹介してくれる方が、ありがたいです。😉👍

  • @mkrsknkarkw
    @mkrsknkarkw Před 10 měsíci

    効率だけじゃ推し量れない何かを理解しろ
    歯車⚙️は遊びという無駄が存在するから
    回るんだよ
    コスパ厨の作ったネット知識ひけらかし動画(草)