Komentáře •

  • @user-nn6kx9km9c
    @user-nn6kx9km9c Před měsícem +2

    ドラマでは、道長が早期から、彰子の後宮が知的なものであることをアピールするために、まひろに物語を描いて欲しいと頼むのではないか?と思います。清少納言の枕草子が既に貴族達に読み継がれていた事に対して、世間の関心を彰子側に向けたかったからではないかと思います。紫式部が日記で清少納言のことを手厳しく批判していますが、それは式部の本意ではなく、道長の為に政治的な目的でやっていたのかと思いました。

  • @nagino_matasaburo
    @nagino_matasaburo Před 29 dny +4

    まひろが石山寺で藤原寧子の「自身の悲しみを救うために書くのだ」と言う言葉からインスパイアを受けるシーンがありましたが、「源氏物語」のような超大作となると一筋縄ではありませんよね。
    紙がたいへん貴重で高価だったあの時代、それを多量に提供できたのは道長しかいないでしょう。その貴重品を託そうと思ったのは、かなり以前から紫式部の文才や筆力を道長が知っていたから、となりそうな気がします。
    大河ドラマの設定のように、身分は違えど幼なじみ、だったなんてこともホントのことなのかもしれないですね🤔

  • @user-hj9tu4jn7u
    @user-hj9tu4jn7u Před 29 dny +2

    神代はしんたいではありません。かみよと読みます。