藤原定子|絶望の人生。24歳で死去した一条天皇の妻【光る君へ】
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- čas přidán 29. 02. 2024
- 藤原道隆と高階貴子の間に生まれた藤原定子。
986年に祖父・藤原兼家の策略で花山天皇が出家し一条天皇が即位すると、
父や兄弟たちは次々と昇進、定子も一条天皇に入内することになりました。
機知に富み、漢文の素養を持ち合わせていた定子に一条天皇は心を奪われます。
また定子は自らに仕えていた清少納言の機知を度々試し、周囲は文学サロンのようになりました。
しかし、父・藤原道隆が死去し、兄弟の藤原伊周、藤原隆家が重大事件を起こしたことで凋落。
その事件は藤原道長に利用されてしまったのでした。
ショックを受けた藤原定子を自ら髪を切り落として出家・・・
一条天皇に愛された悲劇のヒロイン、藤原定子の壮絶な転落人生を振り返ります!
#大河ドラマ #光る君へ #紫式部
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「光る君へ」がより一層分かりやすくなりました🙏🥰
光る君を見ていて 定子の存在はとても魅力的で気になっていたので これを読んで 清少納言等登場人物の今後が楽しみです❤❤❤
「陛下」という言葉が違和感…
「帝」や「お上」のほうがしっくりくる
この時代,陛下と言う敬称はまだのはず.
大河ドラマをリアルタイム解説してくれた様で、凄く分かりやすかったです!
ありがとう御座います!
彰子は、自分の生んだ皇子より定子の生んだ敦康親王を世継ぎにするべきだと父親の道長に諫言していたらしい。
定子の頭の良さ、聡明だった事が分かりました。短い一生でしたが、跡継ぎを残していることが偉いです。
道長の策略で「一条天皇」の皇太子になれなかったので「跡継ぎ」ではないと思います
清少納言が内心モヤモヤしてたときに「真っ白な紙を見ると長生きします」と言ったのを定子さまが覚えていらして紙を下賜されたのですよね。しかも宿下がり先にまで持って行って。このお二人の強い心の絆を思うと清少納言が羨ましいです。
定子皇后の小説を書かれた円地文子さんもおっしゃっておられますが一条天皇に愛されたそのご生涯は短くとも決して不幸ではなかったと思います
小説の事知らなかったんで有り難うございます。読んでみたくなりました。
高畑充希さんが最近より綺麗にお淑やかになられたのは定子役になったせいかも
とてもわかりやすい解説でよかったです。高畑充希がよく合ってますね。
藤壺のモデルというより、桐壺のモデルと言われた方がしっくりきます🤔(個人的な意見です)
モデルは複合的だったように思います。定子のサロンの女主人としての完璧さは藤壺宮のイメージと重なります。
定子の死後、定子の遺児達の世話をした定子の妹が一条天皇の寵愛を受け、しかし子を身ごもったまま亡くなってしまいますが、彼女は定子に妹達の中でもっとも似ていたとされ
一条天皇もその面影を重ねたと思われます。
桐壺帝は、桐壺更衣亡き後、先帝の皇女、藤壺宮を女御に迎えますが、その決め手は桐壺更衣に彼女が瓜二つだったということ。
このエピソード一つとっても、桐壺更衣や藤壺宮の存在が、定子によって生み出されたように思えてなりません。
勉強になりました🤗わかりやすくて、ありがとうございます🙏
庭の草刈りの話、定子の人柄が解って泣ける。
でも彰子も素晴らしい女性なんよ。
よくわかりました。ありがとうございます。定子は素晴らしい方、そして清少納言が枕草子にかいteくrたおかげで、定子のサロンのハイレベルな様子も伝わったことが慰めです
光る君へを観てるが登場人物多すぎて?でしたが、この動画はとてもわかり易く楽しくみれました。他の動画も観ますね😊
ありがとうございます。
動画作りの大変励みになります☺️
今後ともよろしくお願いします🙇
大河「光る君へ」でも、定子役に高畑充希を持ってきているあたり、ストーリー的には脇なのに、
主役級の女優をもってきているところに、いかに定子という存在がこの時代を語る上で大きい
ものであるかを、窺い知ることができますね🤔
藤原定子は一条天皇からとても寵愛を受けていたし,妃としてプライドもあったでしょうから検非違使の行動が夫・一条天皇の命であったと知った時は,かなりなショックだったと思います。
当時の貴族女性,ましてや妃が自ら髪を切り落とすなんて非常事態ですから。
わかりやすくて、面白かったです。大河を楽しみにしていますのでピッタリの話でした。
皇子を出産後、わずか100日で次の妊娠。現代でも体に負担がかかる。あの時代だったら、もっと危険だ。帝は彼女を閨に呼ぶべきではなかった。
紙芝居みたいで、初めてみたけどずっと見てしまった
すごく分かりやすくて
勉強になりました
日本の歴史に疎い私ですが興味を持ち
楽しく最後まで聴き入りました
作成ありがとうございます
嬉しいお言葉ありがとうございます☺️
今後ともよろしくお願いします🙇♀️
大変興味深かったです。もっと知りたいのですが、これに関する本があればあしえてください。
16:31
もしこれが誤解でなく本当だったとしても、先の帝に女争いで矢をいかけるとか、気でも狂ったんかとしか思えない…
優しいお声で楽しかったです。ありがとうございました。
藤原氏の男の多くは陰険か、このあたりでは変人の印象。
しかし藤原氏の女性で性格良く聡明な人といえばこの人。枕草子からそれは充分伝わってくる。中宮なのに部下にも気を配り度重なる不幸にも気丈に振る舞う姿品格は素晴らしく後世に記録として残したいと清少納言が思ったとしても不思議ではない。
11:47
藤原良房の和歌ですかね?😊
「年経れば 齢は老ひぬ しかはあれど
花をし見れば 物思いもなし」
娘の明子(染殿の后)が若く美しいので、心が癒されるって感じの歌でしたっけ。🥰🌸
女性として、素晴らしい御方であられた定子様。
枕草子の中で、お会い出来ますね!
今まで詳しい歴史を知らなかったのでねよい勉強になりました。
ありがとうございます。
そう言っていただけてとても嬉しいです☺️
今後ともよろしくお願いします🙇♂️
冒頭、天皇の一人称は「余」じゃなくて「朕」だと思ってましたが・・・
NHK大河がまさに今この場面です
興味を持って、確認いたしました
日本史苦手な私にもわかりやすかったです🙇♀️
ありがとうございます!
動画作りの大変励みになります☺️
今後ともよろしくお願いします🙇♀️
定子が源氏物語の藤壺のモデルだなんて、これから放送される大河ドラマ「光る君へ」が楽しみです。配役が私的にはちょっと賢そうですけれども合っている気がしました。
定子は藤壺よりも桐壺の更衣の方ではないかと思います。後ろ盾がないながら帝に愛され、早逝したあたり。
とても、聡明で機転の利いた気立ての良い女性だったらしいけど、伊周、隆家の失敗を聞き、さっさと出家したことが彼女自身の一番の失敗でしたね。
道長の味方(スパイ)と疑われたとしても余りにも長く定子の側を離れすぎた、その後悔が定子なき後 枕草子を書き続ける原動力のひとつになったのかも。あの時定子様のお側にいて差し上げられたなら、、、
御一人の帝に二人の皇后を立てるなんて皇室の歴史としては恥ずべきことだったようですいかに当時の時代が天皇を゙利用した権力闘争の時代だったかを物語っているのではないでしょうか⁇本来皇室とはそのようなものではないはずでしょう⁇天皇は臣民を慈しみ臣民国の平安を祈り臣民は皇室を尊敬し昭和天皇 平成天皇 今上陛下がそうであらせられたように そしてやがて貴族の時代が終わり武士の時代に移っていくのでしょう⁇
枕草子はてっきり、栄華を極めた時に、仕えていた清少納言が書いたと思っていました
最近になって、定子が髪を切ってから、清少納言が仕えていない時、その後復帰してから書いたものだと聞いて、ああ、それなら道長に目障りだったろうなあと思いました
😂
本当に切ないですね。内容が明るく溌剌としているので、却って胸がいっぱいになります。
平安時代が日本文学の最高の時代だと思います。
その中での悲劇の王女の生きざまがよくわかりました。
ありがとうございます!
多大なるご支援ありがとうございます!
大変励みになります☺️
良い動画をお届けできるよう精進いたします。
今後ともよろしくお願いします🙇♂️
今話題の定子。興味深くわかりやすく楽しかったです。
ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします🙇♂️
清少納言は天パだったらしいですね
「陛下」と言う言葉は当時使われていたのですか?
ドラマや小説では「帝」もしくは「御上」が多いのですが?
お歌もこのような内容ではなく、本文を書いていただいた方が良かったです。
定子の気持ちを想像することができました✨
枕草子を読みたくなりました😊
藤原定子とディアーヌポワチエは愛されて幸せだなと思います。
とても勉強になりました。ありがとうございました
❤人生太く短くされど美しい愛が詰まった人生に紅色の涙が流れます❤
ありがとうございます✨
今夜も定子様お美しいお姿でございました😊🌸
定子様昨夜は悲しそうなお顔がひと晩明けましたがまだ頭から離れず私の心は💧☔
道長の長兄道隆に取って定子は最愛の娘で偉大な父を超えることが出来なったのは無念だった。
辛い結末な定子様ですね。涙が止まりません
当代随一か二のお姫さまで容色優れて夫の強い愛に恵まれながらも、その一生は苦難に満ちて最期は儚いものなのね。夫も早逝だし、健康問題が解決されない限り栄耀栄華は続きません。
まあ父親も、兄も外戚の高階一族も余りにも人望無かったからね。
高階一族は身分があまり高くなかったのが良くなかったのかも知れません
藤原氏で高い位の出なら違ったかなと
江戸時代後期の先祖が分かり天皇の祖先のサイトにて古代からの家系が分かります。男系祖先が藤原兼家、道長、頼通が先祖で、一条天皇、道隆、伊周、隆家が直系先祖で定子、清少納言が傍系先祖です。
動画の道長が潰したに目が止まりました。
先祖の彰子も定子の敦康親王を可愛がり天皇に即位するのを望んでいたのに残念でしたが、救いは敦康親王が頼通と親しくしていて、20歳で亡くなりましたが、残された嫄子女王を頼通が引き取り、のちに後朱雀天皇の中宮になったそうです。
遠い昔も色々あったのでしょうが、先祖達には感謝しか有りません。
余談ですが、隆家の子孫に源頼朝、池禅尼、平頼盛、重盛がおり、頼朝を池禅尼が救ったのも縁だったのかも知れません。動画有難う御座います。😊
「ふじわらのていし」と読みます。
大河の光る君では「定子=さだこ」と呼ばれてるのでそれに合わせてるんですよ
@@user-qk4ic8td9f どこで「ていし」という呼び方を知ったのか、多分教科書あたりで覚えたのでしょう。以来、何の疑問もなくそう呼んで来ました。ここに書き込んだ手前改めて調べてみた答えは「どっちでも良い」でした。現代人は誰も彼女がどのように呼ばれているのか聞いた事は無いのです。音読みにしろ訓読みにしろ便宜的なもので、或いはもっと別の読み方だったかも…と知って、知ったかぶりで書き込んだのが恥ずかしいです。
じゃあ藤原彰子はふじわらのあきこか
@@okazu222
そのように自分で書き込んだ内容にも疑問を持ち、調査をし、誤り(?)を明かし、反省できることは素晴らしいことです。
コメントを消して逃げない姿勢もなおのことです。
見習いたいと思います。
清少納言との出会いがすごすぎますよね😅
伊周を道真の所に連行しようとすると、そうはさせるか!と阻んだ
13:12 一族崩壊の入口
13:59 宥める
16:17 一族の没が確実に!
17:20 一条の命令が迫る!
17:51 万事休す
19:23 道隆一族没
妊娠出産子育ては母子共に命がけ 現在も簡単な事では無い
出産子育て手当や育児手当は国の予算ではありません。
動画中、清少納言 とは言わない筈ですが、肝心の彼女の名前が今日でも不明のままなので、仕方が無い。
それから、年齢的に 清少納言 は藤原定子 の師匠として、宮中で宮仕えをしたようです。
定子には清少納言がついていました。
だから教養豊かだったので一条天皇から愛されたのです🎉❤
それ以前に才女で内侍のお母さんとその一族にきっちり教育されてたから。
むしろ清少納言と対等かそれ以上。
定子が女房達を教育していた場面も枕草子には出てきます。
「さだこ」? 「ていし」?
藤原道隆の娘定子は、漢文の才、和歌の才は勿論、容姿も心も美しい人だったと思います。そういう女性が、叔父の道長に追い詰められていく様は、辛いし、道長は好きになれません。中の関白家の人達は、明るく、機知に富んで
いて、きょうだい仲も良く、憎めない。やっぱり道長政治家としては、有能だとしても、好きになれない。😢😢😢😢
私もです。定子様が凄く好きなので、未だに道長も彰子も嫌いです。彰子は定子の忘れ形見に気を使って皇位を継がせようと計らったようですが、好きになれない。
今年の大河ドラマは、道長陣営の物語なので全く見る気になれない。
道長に追い詰められた部分もありますが中関白家の没落は正直自業自得でしょう。道隆、伊周が周りの貴族から嫌われた上に長徳の変を起こしてますし。道長が政治家らしく汚い部分はありますが結構一条天皇のわがままを容認してます。当時の道長なら定子を後宮に戻させないことくらいできたでしょうし。
定子も父が死んで2日で無理矢理参内して穢れを内裏に持ち込んで政務を滞らせたり出家してなお一条天皇と関係を持って子を産んだり一条天皇も出家した后に子を産ませたり、環俗させたりとラブロマンスとしては素晴らしいですが、現実的に考えるとかなりやばいことしてますよ。実際かなり貴族の顰蹙買ってますし。
それに定子が出家などしなければ道長に彰子を中宮にさせる隙など与えなかったのです。定子が出家すると祭事を行う皇后がいないので一条天皇も彰子を中宮にすることに同意しました。確かに才女ではあったかもしれませんが直情的で一条天皇の寵愛は得ても周りの貴族からは嫌われたあたり彰子の方が貴族から慕われ、うまくやっていたので彰子のほうが賢いとわたしは思います。個人的に彰子は定子の子を養育し、東宮にしようとして道長に真っ向から抵抗したあたりよほど心が綺麗で正義感が強く優しい女性ではないでしょうか。
私も定子・清少納言派です。定子の聡明さや人柄は、紫式部も認めざるをえなかったようで、彰子に仕えたときに定子・清少納言と同じような関係性を築きたかったけれど、凡庸な彰子にはそれは望めなかったと、大学の講義で聞きました。源氏物語の中で描かれている女性で紫の上のモデルが彰子と言われているが、意志がなく父親のロボットのように操られて嫁いだ女三宮にも彰子の面影を式部は重ねていたのではと言うことだった。ただ中宮となり段々と道長の専横が見えて、元々優しい気質だった彰子は、敦康親王を庇護して道長に反抗したのではというのが、講義の内容だった。
大河ドラマでも、権力の頂点に立つ道長に反旗を翻す彰子に影響を与えたのが式部であるという描き方がされたら、面白いだろうなと思いました。
定子・少納言派であっても、「光る君へ」は十分面白く見られます。道長、式部のイメージアゲの部分があっても、定子・少納言の絆は史実なので変えようがありません。高畑充希さんが聡明で麗しい定子をしっかりと演じてますし、ファーストサマーウイカさんも予想を裏切って闊達で朗らかな清少納言を生き生きと演じてくれています。
@@betty5111 紫式部が定子・清少納言のような関係を望んだけど凡庸な彰子ではそれは無理だったと言うのは違うと思います。紫式部日記は道長の功績を讃えるために道長に指示されて書かれたと言われていますので全て信じていませんが紫式部はそのなかで中宮を大変素晴らしい方と称しており、
「つらいことも多いなかで心をなぐさめるには、こういう方(彰子)を探してでも仕えるべき」
「普段の沈んだ気持ちを忘れてしまうのは不思議だ」
彰子に仕えることで、暗い気持ちから救われていた紫式部の様子が伺えます。
また、彰子も自分のお気に入りのキャラクターである紫の上からとって紫式部と呼んでいたあたり定子・清少納言に負けず良い関係であったと言えます。
教養に関しても紫式部に指導され、後に貴族たちや頼通から頼りにされる国母に相応しい人物となったのですからかなり才覚のある女性だと言えると思います。ですので彰子が凡庸で紫式部と密な関係ではなかったというのは違うと思います。
歴史の解釈や好みそれぞれですので決して定子、清少納言を貶める意図はありません。
娘である彰子からもとことん拒絶されてるやり口でしたからね
彰子も彰子で、入内して間もない、多分お手もついてない年頃から、一条帝にその聡明さを愛でられるような女性でした
清少納言の読み方がすごく気になります💦清は名字で少納言が名前と考えると清で一息つき少納言と続けて欲しかった😁
清は父親の清原からきていますが、少納言は名前ではありません。たとえ名前であっても、一呼吸置く必要はないと考えます。
京都の鳥野辺のお墓に行ったことを思い出しました
人気のない道を歩き お参りし 静かに時を過ごしました
鳥辺野ですね
清少納言の言い方が違うのでは?
気になって話が入ってこない……
「忽然(こつぜん)とした」? →「毅然(きぜん)とした」の意味でしょうか・・・
「経ち切る」ではなく 、「断ち切る😂」ではないですか?
歴史上関白の順位が決まっているので、安心て見えるが、道長と紫式部の関係は違和感が...。
さだこなの?ていしだとずっと思っていました。
どちらでもいいらしいですが、個人的には「ていし 」の方がしっくりきます。
陛下という敬称は明治以降かと。おかみ、と呼んでいたと思います
清少納言の謎衣装が気になり過ぎます。。😅
もしかしたら道長による暗殺だったかもしれませんね゙ あの強引なやり方をみたらそう思われても仕方ないですよね そうでなかったとしても
@@user-qk4ic8td9f 本来皇室はこのような権力闘争の場ではないはずでしょう⁇天皇は臣民を゙慈しみ臣民は天皇を崇拝しいつの間にこんなふうになったんでしょうね⁇
本来皇室はこのような権力闘争の場ではないはずでしょう??いつからこんな事になったんでしょうね⁇
神代の昔からです。
今やってる漫画でやっとどの人が認知できたわ……
テイシ様だけど
別に道長がやったわけではなくてお上が若すぎて操られてただけでは……ナンテおもったりする
よくまとまっているとは思いますが、江戸時代みたいな畳や障子が出て来たり、「余」だの「陛下」だのの言葉遣いのせいで集中できない箇所もありました。細かい部分に配慮していただけると動画がもっとよくなると思います。偉そうな言い方ですみません。それにしても高畑充希ちゃんは何やっても上手いなぁ。
御簾の中で1人で歌を詠んでるとかなんかシュールだな
それと嘘とか言いががりつけて掛け合いとかサッパリ分からん
平安も良いけど、やはり戦国時代の武将の話がいっぱい聞きたいのでお願い致します🥺
天皇の一人称は「余」ではなく「朕」ては?
みちながの回し者の仕業