【歴史解説】ゆっくり大江戸96 伊能忠敬と伊能図~地球の大きさを追い求め大地を量り天を測った男~【江戸時代】
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- čas přidán 28. 11. 2021
- お待たせしました、伊能忠敬第二弾。伊能図編になります
地球の大きさを追い求め、日本中を測量して歩いた男の物語
忠敬の前半生を解説した動画はこちら • 【歴史解説】ゆっくり大江戸95 伊能忠敬~生...
※この動画は東方Projectの二次創作であるゆっくりキャラを用いた解説動画です。またキャラ素材【ゆっくり魔理沙改】の改変素材を個人的に作成、使用していますのでご了承下さい
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3:15 で霊夢が不出世と言っておりますが正しくは「不世出フセイシュツ」(後にも先にもいないと言う意味)です。訂正してお詫びします
おもしろい言い間違いだ
どこかで使わせてもらおう φ(・_・”)メモメモ
10:22 深い造形の深さ という文体もおかしいですね 造詣 ですし それでも大作制作おつかれさまです 感動しました
いまは亡き横田順彌氏の『荒熊雪之丞シリーズ』の主人公は「零細宣伝会社、略してゼロセンに勤める不出世のサラリーマン」て、キャッチコピーでした。
この人こそ紙幣になるべきではないか?
忠敬が測量に要した総距離が、ほぼ地球一周分だったというセリフに鳥肌が立ちました。
本当に素晴らしい動画です!
磁北(方位磁針が指す北)って地球の地磁気の変化で数百年単位で東に偏ったり、西に偏ったりするんですけど(現在は西偏)、驚くことに伊能忠敬が全国を測量した1800年頃は偏角がほぼ0°に近かったため、とても正確な測量が出来たと言われています。測量技術もさることながら、地図の神にも愛された御人でした。
私の最も尊敬する偉人の伊能忠敬を取り上げてくださってありがとうございます。
非常に興味深い動画で終始感服いたしました。
現代と比較してもそん色ない精巧な地図を作製した伊能忠敬は本当に素晴らしい方ですね
チャンネル3周年記念にふさわしい、素敵な動画の作成ありがとうございました!
忠敬が蝦夷地を詳しく測量出来なかったのは、当時幕府による観測隊が蝦夷地を調査していたため
この時はまだ無名の素人に毛が生えた程度に過ぎない(と思われていた)忠敬が、相手に気を使ったということも考えられますね。
なおその観測隊も近藤重蔵、最上徳内、高田屋嘉兵衛といった錚々たるメンバーがおり、
彼ら一行から蝦夷地の話を聞くことが出来たばかりか間宮林蔵を弟子にすることが出来たという。この辺の詳しい話は間宮林蔵の動画を楽しみにしています。
やはり色々な意味で偉人と呼ぶべき人なんだよなぁ…
このチャンネルの3周年のテーマに実に相応しい人物ですな☺️
測量のイメージばかりだったけれど天体観測がメインの人だったとは
密接に関わっていたんですねぇ
隠居前のことを知る機会もなかったのでとても面白かったです
一言でまとめるなら『面白かった❗️』
忠敬シリーズは3回にも及んで時間も長かった分、動画アップまで大変だったことが想像できました。
面白くて3回目の41分もアッという間に終わりました。
次回もとっても楽しみです🎵
当時球体である地球表面を平面で表すという地図投影法についての研究が遅れていたのが惜しまれますが、忠敬は緯度を高精度に決定できていたので緯度線が平行で等間隔になるサンソン図法と同じ図法を用いていたとか。オランダ伝来の知識とは考えられないそうなので、忠敬が独自に編み出したのならそれはそれで大変なものです。
忠敬さんの偉業に改めて感嘆。
以前京都兵庫県境の田結峠を越えた時に地図と現道に誤差が有り、後日調べると伊能図から受け継がれている線だったと判り、ロマンを感じつつ「荷物は自転車のみでもヒーヒー言いながら越えた峠をおじいちゃんが測量しながら越えたのはスゲェ!」と変な感動もしましたw
貴重な内容でした。ありがとうございます。
伊能忠敬は江戸時代最高のオタクだったんだな。そして蝦夷での天体観測の為の測量に行ける技術と熱意、果ては財力とそれを稼ぐ才能で伊能図を作る事ができたと。
こんばんわ。40分ですか、
⭐短く感じましたよ。
⭐本日も素晴らしい動画をありがとうございました。
見応えあり、勉強になりました!
迎え入れた各地の藩は宿舎、食事、手伝い、と大変な出費だったそうです。
40分があっという間でした! 間宮林蔵や伊豆諸島測量の話も聞きたいです‼︎
SI単位系の基礎になってる1mってのは、地球の円周の40,000分の1の1,000分の1ですからね。ちなみに、1分の長さは1ノーチカルマイルとして未だに利用されてますね。
現在は1秒の 299792458 分の1の時間に光が真空中を伝わる長さとして定義されてますね。
測角と測距は今の測量でも使われてますね。
伊能忠敬の存在は当然知っていたものの、彼がたどった人生とその情熱をはじめて詳しく触れることができて感動しました!
彼の偉業を達成に導いた体力・知力を支える思いがあったのですね
ところで私も誤解していたのですが、不出世は不世出(ふせいしゅつ、めったに世に出ない)ですね
昔見た番組では1分の計算をした時に「誰かから」正確ではないと切り捨てられたみたいな事を言われてた記憶がありますけど、その誰かこそ師匠であり正しい指摘だったんですね。
ご苦労様
感動的でした
以前古民家の襖に奇妙な数字が書かれた紙が使われているのが見つかって、それが測量結果を記したメモ紙だったと言うニュースを聞いた気がする。 測量結果を記した紙は古紙として売てしまってほとんど残ってないらしい。
西日本の旧家の出ですが、当家には伊能忠敬ご一行が測量で当地を訪れた際に宿舎接待の任を預かったが、その莫大な費用負担で家が傾くほどだったとの話が先祖代々言い伝えられています。
西日本を測量していた時に書いた家族に宛てた手紙の中で、歯が抜けて残り一本だけになってしまい、大好きな奈良漬けが食べられなくなったと嘆いている。
間宮林蔵も楽しみにしてます♡
測量と言えば、日本帝国陸軍測量部と言う精鋭部隊
この人達も歩測精度が高いとされていて、1日に40km程度は測っている変態部隊ですね
知られてないのはなぜなのかギモンですが
アメリカの占領で陸海の軍は解体され、陸軍測量部の後継組織がうやむやになった事が原因では? ただ権威と規律の軍隊と、真理探究の測量は折り合いが悪く、その証拠に朝鮮戦争の時旧日本軍が作成した朝鮮の地図を持って行ったが、間違いが多く、使い物にならなかったと言います。
「子午線」の長さについては、古代から測定されているが、評価は難しい。
理由は「基準長」自体が曖昧だから。
現在の「SI」で定められた「基準長」は「m」で、
元々は「子午線1/4相当の距離の1/10000000」として1795年にフランスで定義された。
しかし、その「子午線1/4相当の距離」自体が不明なのだから、定義にならない。
そこで現在の「SI単位系」で「m」は、「真空中で光が 1/299792458 秒に進む距離」と定義されている。
その「m」で測った現在の子午線の長さが「40009km」である。
最初の「m」の定義からずれていることが判る。
同様に、全ての「古代の単位(基準長)」は、現在の「SI単位系」に対してずれているわけだ。
また、地球は自転しているので、その遠心力により赤道方向が長い「回転楕円体(潰れた球体、みかん形)」になっている。
その結果、子午線1度分の距離も一定ではなく、赤道では短く、両極では長くなる。
さらに潮汐力により潰れ、月や太陽に面した方向の長さの方が、垂直な方向の長さより少し大きくなる。
最初に子午線長を計算したのはエジプトの「エラトステネス」で、紀元前240年頃に、
地球の半径を「250,000スタディア」と計算した。
ところがこの「スタディア」基準長にはいろいろあり、「アッティカスタディオン (185m) 」だと誤差が16%、
「エジプトスタディオン (157.5m) 」だと誤差が1%になる。
ただし、どちらの「スタディオン」も遺跡の測量などから逆算した値で、基準長自体が怪しい。
また、「エラトステネス」本人は、天測は行なったが、測地は行なっていない(国が公式にやっていたらしい)。
伊能忠敬が出した子午線弧長(の一度相当距離)は「28.2里」となっているが、
これは「110741m」で、現在の子午線長を単純に360で割った長さ「111136m」に比べると0.4%小さい。
これが「28.3里」であれば、「111134m」となり、ほぼ完璧だった。
ただし、「里」という基準長の長さ自体が「≒3927m」で定義されていて、それほど正確ではないことや、
上述したように地球が球体ではなく「子午線弧長の一度相当距離」自体が変わること、
等を考慮すると、当時としては「究極の値」だったと評価できるだろう。
素晴らしい!とても面白かったです。解説というより、ドラマ1本見終わったくらいの満足感!
1点気になったのが「1分」の読み方で、「いちぶ」ではなく時間と同じ読み方の「いっぷん」になります。多分ゆっくりの仕様だと思いますが。
アメリカで発見。ってところに近代感ある。
やっぱり田沼時代は面白い。
最上徳内解説するまでF5連打しときます。
待ってた
本当の偉人さんだと思っています。子供の頃「衛星もなかったのになんで正確なの?」と不思議でしたね。
ギャグ漫画日和というアニメで 伊能忠敬ネタがあったんだけど、すごくよくできてて大笑いしたです。
とても面白い動画でした。日本人は応用力無いのね……八木アンテナほんと悔やまれます。
ただ一言 偉人!
20年ぐらい前に古本屋で北朝鮮の地図帳を買ったとき、これ、日常生活で使うのは無理じゃないか、と思うほど、詳細な点がわからず、改めて平和と地図の関係を痛感させられました。伊能忠敬も、彼を生んだ社会や周囲にも改めて感謝です。
非常にいい動画内容だった。地図がアメリカ図書館で発見されたとは皮肉だ。如何に日本人の役人どもは学問を大切にしないかの現れだ。伊能忠敬の生涯を動画で知り、学ぶことが出来て感謝する。以後も内容のある動画作成を願いたい。
間宮林蔵楽しみにしてます、nhkの歴史の番組で紹介と遭難してロシアに連れて行かれた···?ゆっくり解説で紹介してたどれくらいの時間差か知りたいな
まぁ藩主達にしてみれば正確に測量される事は財政上、軍事上あまりよろしくない事だったから非協力的なのは仕方なかったと思うな。
にしても、未開の北海道で熊や狼に襲われず良かった。
せっかくの技術が逆輸入で初めて役に立つ。。
本当に痛感しますね。。
伊能忠敬って「まわりがなんといおうとも自分の科学的信念を貫く!お金とか幕府とかかんけーねーっ!」ってところが超カッコイイんですよね!しかもジイサンになってからスタートするところが!
それと、僕も江東区在住でして、富岡八幡宮で伊能さんの銅像を拝むたび、感動と尊敬がこみ上げます!
見ごたえがありました。
「平和でなければ地図は作れない」
学問ができる社会、治安も含めてそのとおりだなぁ。
フィクションではありますが、江戸時代の天測と暦を題材にした冲方丁の『天地明察』は伊能忠敬の天測地量とかもモチーフになってるのかなと思わせる面白い小説なので、このチャンネル好きの人であれば気に入りそう
先日成田空港の東北数キロの付近に伊能と言う部落がありました。ひょっとしたらここが測量の神様「伊能忠敬」の生地かと思うと、若い頃測量の下働きをした自分としては身の震える思いでした。
それと忠敬は2度再婚したそうですが、農村ではつい半世紀前まで再婚は極ありふれた事でした。何より労働力が必要だったからです。
唐朝鮮にこれ程の偉人がいたかと思うと、我々はもっとプライドを持つべきです。
👏👏👏素晴らしい動画でした😉👍👍👍
tera sen ゆっくり大江戸さん、♥感謝~🤗
世の中には不出世の偉人ってのも多いでしょうしね。昔ヤングジャンプで連載してた「栄光なき天才たち」を思い出した
地図3部作の大作でしたね。
国立博物館で桜島が九州と繋がっていない大地図を前回コメントした者です。
いよいよ大地図の海岸線を繋げる段階でどうして繋がらないエピソードは知っていました。
当時作業にあたっていた人達は測量を間違えたのか?とかなり青ざめたらしいですね。
大地図の海岸線が繋がらない理由が暫くは解らず本当に四苦八苦したらしいです。
繋がらない理由はあまりに正確すぎ、なおかつ大きい地図の為、実は地球は球体で在ることを失念していて平面図では繋がらないと気が付いたらしいです。
その後どの様に球面の物を平面に修正したエピソード(自分も知らない為)を期待してたんですが、そこだけ残念でしたね。
北海道の知床半島は今でも陸の孤島(ヒグマも出ますしね)なのに当時はどうやって測量したんでしょうね?
次は樺太が半島か島なのかを探検して間宮海峡を発見した間宮林蔵の物語を期待します。
追記:測量術の難しさは地面は球面であるのに、それを平面の紙に表記しなければならない事です。死後3年「大日本沿海興地図」の完成が遅れた理由は、この現代で言う球面補正の技術が未完成であった、また計算も算盤があるのみ。現在なら中学生でも1時間の数学のテストでできる計算量が、何日もかかったものと思われます。合掌
地図は後付けだったという有名な逸話
シーボルト事件は通説では、帰国に際に台風にあい(シーボルト台風)
発覚したと近年までは言われていた。
伊能忠敬の師匠で有る高橋至時の師の麻田剛立は元は豊後の大名の藩医だったが脱藩して大坂に移り、医師を生業しながら天文学を研究し独自に正確な暦を作ったが、麻田剛立はヨーロッパから中国に伝わった天文学の洋書から漢文で訳された中国の天文学書を購入して西洋天文学を学んだので幕府の天文方より進んで居た。
なぜか泣けてきた。
確か経度を測るために、木星のガリレオ衛星の食を観測したと、NHKのコズミックフロントで見ました。ただ、伊能が使用していた天体望遠鏡では十分な倍率が出なかったようで、10倍程度だったようです。こういうこともあって経度を測るのが難しかったのでしょうけど、それを割り引いても偉業であることは間違いないと思います。
埋立地以外は、正確無比だからすごい!
老後生活にしては濃厚ですよね
12月発売の
歴史人
伊能地図が特集に
測量だけで無く、当時の農民社会の根幹である農業の暦を作る為にも天文学は不可欠だっただろう。望遠鏡始め碌な機材も無かっただろうに天文学学ぼうって思うだけで凄いと思う。
伊能忠敬先生はリスペクトする偉人中の偉人
生家近くに住んでる私には身近に感じます
動画も大作で感動しました
動画にも出てきてた渋川春海、確か大和暦で知られてる初代天文方になった偉人
動画で詳しく教えていただけると幸いです
伊能忠敬って大河ドラマにピッタリじゃねえか
橋爪功氏主演でNHKの2時間ドラマになっているね。
陸路は海運運河に比べて途方もなくお金がかかるからなぁ…あながち酷く言えないというジレンマ
偉人過ぎる人ですわ、ホント。
後日本列島は主に地震でメートル単位東西にズレてる筈なので当時に人工衛星があったなら、よりもう少し正確で在ることが判ったでしょうね
桃鉄で偉人の一人として登場するけど
これならば他の偉人と並ぶのも納得。
さくまあきらさんが凄いのかブレーンがいたのかは解らないけど。
佐原も度々登場したけど物件は残念
優先して買う物件はレンコン畑がある位。
異能忠敬
魔理沙が延享二年(1745)は吉宗が死去した年ではなく、将軍職を家重に譲った年が正解。
吉宗が死去したのはその六年後である。
伊能図で泣くとは😥
間宮海峡として名が残ってる間宮林蔵
勿論歴史にたらればは禁物だし時代もあまりにも違いますが、もし伊能図をマルコポーロに見せてたら世界はどうなったのでしょうか。
吉宗公の薨去(こうきょ 身分の高い人、主に時の将軍、皇族が亡くなることを敬っていう言葉)は、1751年7月に68歳で亡くなりました。
伊能忠敬さん、晩年は歯がほとんど抜けてしまったようです。
年若の先生が先に...。
地図の国外持ち出しは措くとして、幕府収蔵の文書を、市井の人士が閲覧可能になっていたら、幕権の維持に役立ったのでは?
話題が横に滑りますが、『チ。-地球の運動について-』という漫画も暴力でなく、こんなエピソードの積み上げで、地動説にたどりついてほしかった。
何か、板垣公一と似た物があるような
最上徳内は、いずれ「大河ドラマ」になって欲しい。
いつになったら、ジョン万次郎やるんやろ・・・
地動説学者は日本に来たら星にならずに輝けたかもしれない
子午線の夢
本当に凄いなぁ。
幕府も公儀御用に用いなかった理由がよく解らん。
結局の所、武士はその家柄と見栄の張り合いであって能力評価じゃなかったからねぇ
むしろそんな下賤な世界に入れられる様な事が無かったからこそ好き勝手やって天文学の虫で居られたってのが大きい
彼なら ナスカの地上絵は 描ける
吉宗が亡くなったは1751年だよ、大岡忠相も同じ年に
亡くなっています
大岡忠相は徳川吉宗の葬儀を担当していますね
大河にならないかな〜
じゃにでも良いからさ
3:15 不世出じゃないですかね?
コメントありがとうございます。その通りです、ほんとお恥ずかしい。訂正してお詫びします
@@terasen
いえいえ、意味合いが合ってて良かったです。
あっという間の41分、今回も興味深く聴かせて頂きました。
これからも面白い江戸時代の四方山話を楽しみにしています。
昔から不思議なんだけど、海岸って砂浜ばかりじゃないし、岩場、三陸海岸とかはどうして測ったんだろう?
佐原市(当時)の記念館に行ったら、閉館時間だった時がある(笑)。
何でアメリカに伊能図が200枚以上もあるの??
幕末や終戦のドサクサで流出したんでしょう。