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幹弥教に入信しているので毎日幸せです!
わたしもです❤
毎日ありがたい話きけて嬉しいです
ミキガミ様
なんか心が安らぎます...🥰
そう言うこと言う奴らが宗教入るんだよ😂
ディズニーに全く魅力を感じない自分から見ると、あれも一種の宗教だなと思います。ディズニー好きな人って、凄く幸せそう。
タイに旅行に行ったとき、日本よりもずっと色んな種類の人たちがいて、貧富の差も目に見えてあったけど、決まった時間にみんな手を止めてお祈りをしていた。あの時の雰囲気は日本では全く感じられない不思議な雰囲気だった。どこか考え方が違っても、信じてる宗教が同じって言うことはぜんぜん違う層にいても繋がりがあるってことなんだなぁ。
日本の君が代と同じ。
これだけは言える。憎しみばかりで感謝しない人より神でもなんでもいいから日々感謝している人のほうが人類にとって有益
うちの父は「将来娘がカルトに入らないように」と、プロテスタントのミッションスクールに入れてくれました。大人になった今は、とても感謝してます。
科学者でも信仰心持ってる人はたくさんいるし、現代の科学文明はキリスト教圏から生まれてきたことを忘れてか知らずか、「宗教信じる奴は頭が悪い」みたいな短絡的思考になるのはどうかなぁと常々思ってます。
これはそうだね。今の暦(グレゴリオ暦)なんて思いっきり教皇の名前ついてて考えたのはイエズス会とかの学院の数学者だったわけだし、現代数学の大発明、微分で使う「無限小」も思いっきりキリスト教傘下の学院の人が無限という神に迫る思考だったわけで。「宗教を信じる人のなかに頭が悪い人がいる」「信じてない人の中にも頭が悪い人がいる」これだけのことだと思う。
わかる。じゃあ日曜日休むなよってわけで。あと西暦と和暦も使うなと。
宗教を信仰してる人を「頭が悪い?」って考えちゃう人は「頭が良い」とは言えないんじゃないかな。
母が仏教系のよくわからない信仰宗教の信者をやってますが、幼い頃から行きたくもないセミナーに連れ回され、家庭では肉魚を禁止されて育ちました(中学生頃からこっそり外で食べていましたが…)。母から自立した今はもうなんとも思わないし勝手にやってろと思いますが、選択権の無い子供を巻き込むのはやめてほしかったです。
信仰は自由意志が原則ですから、意志が整っていない幼児期に強制するのは全くよろしくないですね。
今までは宗教なんて迷信だしクソ喰らえって思ってましたが、うつ病になって精神疾患になってから宗教の教えで心が軽くなるのを実感しました。後進国など、生きるのに必死な地域では神にすがらないと精神を正常に保てないんだろうなと思いました。信仰するのは好きにしたらいいと思いますが、他人に押し付けるのはまた話が別ですね。
悩んでると寄ってくるのがカルトだったり、曲解してる人
筋トレしろよ
@@user-NoP11201 墓はただの石です。そんなことする必要はありません。我々のご先祖様はビックバンです。
SNSの揶揄を自分の鏡にしてディスられてるのを真に受けて自○とかするなら何でもいいから都合のいい神様を信じた方がよいです
幹也をBGMにするとテスト勉強がどの方法よりも集中して進められることが分かりました。これからよろしくお願いします
ジャニーズやホスト、アイドルの追っかけとかSNSのインフルエンサー、youtuber、TVやマスコミを信じる人も信者だと思いますけどね。あと信者と書いて「儲かる」とはよく言ったもので‥‥。
そういった人たちを信仰するよりこの世には存在しない絶対的な神様を信仰する方がいいよね
国語の先生の友達が、マイナー?な宗教にハマってから冗談抜きで人生が楽になって心が穏やかになったらしいから、心の拠り所としてはありなんだなって思いました。ちなみに小学校はキリスト教の学校でしたが、小5くらいまでマジで神様が地球作ったと思ってました。
私自身、特定の宗教を信仰しているわけではありませんが、生きるのがすごく辛くて死にたかった時、仏教の「四諦八正道」の考え方を知り、人生は苦しいものなんだと受け入れることができて少し気が楽になりました。
受け入れて楽になる真実だと思います
人生は苦しいものではない。
諦観、非常に大切ですよね。現代の日本では、八正道をはじめとしたさまざまな教義をわかりやすく解説してくれる本や文章がたくさんあって、恵まれていると思います。私が一番好きなのは、仏典スッタニパーダの「犀の角のように、ただ一人歩め」の節です。
自然科学をよく理解していても、心の支えとして上手に宗教と付き合うことはできると思います。生死に向き合うことが多いので、自然科学を学んでいる医師で宗教を大切にしている方も多いです。
昔カナダに遊びに行った時に野性のリスを駆除してるバンクーバー生まれのドイツ系カナダ人女性を見て、思わず「How miserable!(うわ、酷いな!)」って言ったら、「日本人はクジラ食べるからもっと酷いでしょ!」って言われたので、「クジラは食べ物だからね。牛や豚と一緒だよ。」って答えたら「牛は食べても良いと聖書に書いてあるでしょ」って言い返されたので、「聖書なんかいい加減なもんだから」と口を滑らせたらもう大変wあなたは触れてはいけない事を言ったって怒り捲って、終いには「日本人は南京で虐殺した」とか「アイヌ人を全滅させた」とかめちゃくちゃ言われました。宗教って怖いよねw
なんでその人はリスを駆除する理由を説明しなかったのでしょうか
@@user-jd5eu1fe4e バンクーバーはリスが多くて近所でも普通に駆除していて、駆除するのが当たり前だったからだと思う。日本で言えばネズミみたいな扱い。でも、日本人の感覚としては「かわいそう(;;)」ってなる。お互い、感覚の違いだよね。
なるほどーファンタジーを盾にされると断絶を感じますねw
宗教はアヘンだ とはマルクスの言葉で、良い意味(鎮痛剤)でも悪い意味(依存性)でも使ってるけど、上手く表現してると思う。
共産主義もアヘンだと思うけどね
今日名古屋地裁に行ったらリコール不正署名の裁判やってたんですが、あの事件についての幹弥先生の意見が聞きたいです
幹弥先生こんにちは 美容医学的にスーツとステハゲはどっちがイケメンですか?回答お待ちしておりヤース
日々、人の生き死にに関わっている医療関係者の宗教観や死生観には説得力がありますね。
自分が新たな宗教の祖であることに気づかない漢
こころの灯し火ですよね。人間は大昔から過酷な環境を生き抜いてきたので、「信じること」そのものに救われてきたんだと思います。どんな時代でも、気を抜くとすぐに自分を見失うのが人間ですからね。
先生はダイハツの不正問題についてどう思いますか?
中途半端に物理を勉強していた時は宗教をまったく信じられなかったけど、物理をちゃんと勉強したらとちょっと宗教を信じられるようになった。科学っていう宗教をただ信じてただけなんだって思った。
科学哲学を知ってから所詮人間では森羅万象など永遠に解明できないという確信に至った
ある意味資本主義も宗教ですもんね😂
科学って宗教と正反対やで
@@soma7941マックスウェーバーですね。
@@soma7941 科学と宗教は、世界を理解するための2つの異なる方法であり、それぞれが独自の焦点と方法を持っている。科学は自然界に関係し、経験的証拠、観察、科学的方法に依存している。 科学は自然界に関するもので、経験的証拠、観察、科学的方法に依拠している。科学はオープンで発展的、客観的であり、検証可能な仮説と証拠に基づいて自然現象を説明することを目的としている。 一方、宗教は精神的なものや超自然的なものに関係している。 信仰や個人的な信念に依存し、多くの場合、神聖な存在や実体を崇拝する。 宗教的知識はしばしば絶対的なものとみなされ、一般的に聖典や教えに基づいており、それらは主観的に解釈される。
交通事故で生死を彷徨った知人が亡くなった祖母に会ったらしく、まだこっちに来るのは早いよって言われて戻ったらしい。まあ天国地獄の存在は未知だけど、科学じゃわからないことはたくさんあることは確か。
アメリカのアーミッシュの暮らしを見ると、ああいうのも良いかなと思う。
人間自由過ぎて縛りが無いと恐怖心を抱くみたいですね。
1番大好きなCZcamsrです
思考停止と依存は楽だからな、宗教はお手軽にそれを満たせる
そういう風にしか宗教を否定と捉えることだけの人が多すぎ
科学教を信じてるのを思考停止だと気付いてないのは笑うよね。
@@BrainPowerd-yh3ok スレ主は宗教の有益なところを指摘している。宗教を否定していない。
@@user-co6lk6nu9e 科学教という言葉は存在しない
@@RS-303 scientismの意訳にすぎないのので、日本語としての有無を論じること自体がナンセンス。科学至上主義、科学万能主義、科学崇拝、なんでもいい。そういう頭の悪いつっこみはやめた方がいいよ。
知能傾向の調査を引用するのがさすが。支配ツールだったりで多数派だったら生き易いし、答えが示されていたら自己肯定感も得やすそう。誰かに考えてもらう事を委ねたら信者だろうなあと。
宗教は一種のセラピスト、心の拠り所があって精神安定剤みたいな
私の宗教は幹也です
無信仰だったけど、心の拠り所としてミキヤ教に入信する決意ができました。
僕は元イスラム教徒。10代20代前半真面目に信じてたけど、幸福だったかと聞かれると、全くそうでもなかったです。なぜかというと、自分人生を真剣に責任取ることが出来なかったからです。「全部神様が決めたことです」「あなたには何も出来ない、神様に任せるしかない」みたいな無意味な教えがあったからです。もちろん、頑張らないといけないという教えもありますが、それはある程度頑張って、失敗したらそれは神様が望む通りだから、それ以上頑張っても無駄だ!みたいなニュアンス
お父さんが外国人ですか?
@@geng4295 自分自身が外国人です笑笑
@@hasen_judi 基本ムスリム人って、世界が全部イスラムのルールだと思ってる人多いですよね
宗教は人間が考えたものとして、科学を勉強すればするほど謎が深まって神の存在をより信じるようになりました。宇宙の成り立ちとかアミノ酸からなぜ意思を持った生物ができたのかとか、根源に至るまで続くんだろうな。
難しく考えすぎだと思う。
こんなすごいもん作れるのは神しかおらんわ!!今日も神の作った世界の一部を解き明かすぜ!!と、中世の学者とかも思いながら日々研究してたんやろなあ。
初コメです よろしくお願いします信仰が幸福というのは、昔の話だと思っていました今は民間レベルで文明が発達してるし、政治も宗教も、むしろ社会悪だとすら思っていましたちょうど、そんな気分になってるときに、サムネのタイトルに惹かれました色々教えてくださいよろしくお願いします
宗教だけでなく、心地よいものにハマり幸福度があがるなら続けていたほうがいいですよね。ただ、それを他人が否定したり、当人が押し付けたりするからこじれるのですよね。
宗教で幸せになる人がいたいることは良いことと思います。ただ、癌撲滅祈願30万円とか、高額な仏壇を買わせたり、霊能者、因縁とか言って新興宗教団体は解体すべきと思います!
宗教でも偉くなればなるほど、純粋と離れるというか、人間のどす黒い部分が出てくるイメージがある。少年・少女へ手を出したりとか...
カトリックなんかが顕著ですよね。カトリックは司祭やシスターは結婚しちゃいけませんし…対してプロテスタントの牧師は結婚できますから、少年少女への性的な悪戯等はものすごく低いです。やはり、性に抑圧的な考えがある宗教だと必然的にそうなってしまうのかもしれませんね。
死に対する恐怖だろうな信仰があれば天国や輪廻転生などで解決される
死に対する恐怖など全く無いがな。死ぬ瞬間はコンピューターがシャットダウンされるイメージしかない。
@@RS-303???貴方を中心に世界が回ってるわけじゃないけど…
@@Ko_ji_k0j1 俺を中心に地球は回っていないね。誰がそんなデタラメを言ったんだ?お前か?
@@Ko_ji_k0j1 お前の来年は良い年にしてやる
キリスト教の信者の人が書いた本読んだ時、独特の考え方で面白かったです。日本人の神様に対する考えとずいぶん違う印象を持ちました。宗教は人によっては生きる上で有用だと思います。
幹也先生は💪筋肉教💪の信徒ですよね!
自分は、意識は無限に続いちゃうのかもって考えてます。現在という視点に立ち、少し前の出来事を見ているからです。後ろ向きになって歩いているような感じです。
信じる者は救われるっていうやつですね
足しか救われない定期
いつも楽しく拝見しています😊いきなり私見を記して恐縮ですが、信仰と宗教は別物で、信仰は純粋なものだけれど宗教は商売かなあ…と感じています。私自身は、幹弥先生と同じく特段の宗教は信じておらず、死んだら無に還ると思っています。けれども、人智を超えた“何か”があると感じることも偶にあります。世界中の多くの人が宗教に頼る理由。それは「幸福度が増すから」という理由は勿論のこと、「畏れを知る必要があるから」という部分もあるのでは…と個人的には考えます。人間は万能ではない、お金も科学も万能ではない・・・そう自らを戒めることで、人智の及ばぬ「神の目」を意識することで、悪の道に堕ちることを防いでいるのかな…と。
私もそう思います昔から日本人は自然をお祀りして、山だったり磐座だったり、自然界に宿ってる八百万の神々を信仰してますよね神や仏像や人を拝むのへ海外から入ってきたものかな
ステハゲ教に入ってるので幸せです!
「信じる者しか救わないセコい神様拝むよりは〜」の歌詞好き。
信じてる奴も救わないけどな😊
普段は、神社⛩️参拝。クリスマスシーズンは、クリスチャン。悩みがあれば、お釈迦様の教えを聞いたり。日本人は、時々に取り入れてる賢い!いいとこ取りが一番です。
でも時間と言うものがどうやって誕生したかは永遠に分からないと思うけど。やっぱ神とかそんな領域のものとしか考えられないけど。
とても面白い考察でした。死ぬほど辛い事があると宗教を信仰していることで逃げ道がある人が羨ましく思える事がありますし、逃げ道として逃げた人、逃げて帰ってきた人など色々知っております。が、私は宗教依存は出来ません。しかし私が尊敬しているマザーテレサ。あれほどの人でもキリストを信仰していた事実。本心は違ったんじゃないだろうか?とずーっと疑念を抱いております。
@@user-NoP11201 そんな事は常識ですから勿論知っております。其の上で彼女のその後の困難につぐ困難な人生を鑑みたときに自然と疑問に思ってしまうだけです。
@@user-NoP11201マザー・テレサが神のお告げに基づく救いの人生を志し、その目標を達成したという主張は、間違い。 マザー・テレサは、その人道的活動と貧しい人々への献身で広く知られているが、彼女の私的な手紙からは、疑いや神に見捨てられたという感覚に特徴づけられる複雑な精神的な旅路がうかがえる。半世紀近くにわたり、マザー・テレサは、しばしば「魂の闇夜」と呼ばれる、精神的に乾き、神の不在を感じる時期を経験した。このような精神的な苦悩にもかかわらず、マザー・テレサは仕事を続け、貧しい人々や病人への奉仕に生涯を捧げた。彼女の使命への献身は、個人的な精神的危機によって弱まることはなかった。 救いのゴールについては、キリスト教神学における救いはしばしば神からの贈り物として理解され、善行によって獲得できるものではない。マザー・テレサの人道的努力は称賛に値するが、多くのキリスト教の教義によれば、それは救いを保証するものではない。マザー・テレサは確かに信仰に触発された奉仕の生涯を送ったが、彼女の個人的な霊的な旅路は、疑いや神の不在感によって特徴づけられていた。 彼女の救いの追求は、彼女の信仰と同様に複雑であり、神のお告げに基づく成就した願望として単純化することはできない。
私たちが紙で作られた諭吉に価値があると思ってるのと同じで、すでに生活に溶け込んでいてある意味洗脳状態だから信じてると思う
我々が紙幣に価値があると思いこんでいるのではなく、日本銀行が紙幣に価値を与えたのです。よって紙幣に価値があるのは事実です。
そうですね国家や会社という概念も「主権国家体制」や「資本主義」という宗教的信仰がなければ成立しないと思います。
@@user-nr4jb4qo5v 国家や企業という概念は、「主権国家体制」や「資本主義」といった宗教的信念なしには存在し得ないという主張は、完全に間違いだ。第一に、国家や主権国家という概念は、中央権力によって統治される特定の領土とその住民を示す政治的構成概念である。 この概念は本来、宗教的信念体系を必要としない。 多くの国家が宗教的信念の影響を受けている一方で、宗教を国家の問題から切り離した世俗的な国家も存在する。第二に、企業はビジネスを行うために作られた法的実体である。 企業は無生物であり、信念を持つことも、宗教的実践を行うこともない。創業者や指導者の宗教的信条に影響される企業もあるかもしれないが、それが企業存在の前提条件ではない。「 主権国家体制」と「資本主義」は宗教的信念ではなく、それぞれ政治体制と経済体制である。 主権国家体制とは、定義された領土境界線内に政治権力を組織することを指し、資本主義とは、資本の私的所有と利潤追求のための生産を特徴とする経済体制である。 宗教は国家や企業に影響を与えることはあっても、それらの存在に必要な条件ではない。
死後の世界は確実に「無」なんでしょうけど、天国での安らかな暮らしとか生まれ変わりとかを期待してしまいます😂これはしんでみないとわかりませんね。
死んでみないと分からないのに無は確実なのは何でだよw
@@GO-xv9yw 最後の一文が余計でしたね😂輪廻転生説をどこか期待してるのです。
人類の幸せを考えるミキヤさん
愛のままに わがままに 僕は君だけを傷つけない
あなたは私のほんの一部しか知らない
その人が実際に幸福になるかどうかではなく幸福感を与えるのが宗教だと思ってる。
人間が宗教をつくるのであって、宗教が人間をつくるのではない。
仏教徒なんで仏像を見ると興奮します。
光明真言を100回唱えると興奮します
私は、リンと木魚の音で興奮タイプです😂
先生、悠仁さまのトンボ論文について意見を聞かせてください。宜しくお願いします。
本物の宗教は人間が生きる上での行動規範としてのバックボーンになる。悪い事をした宗教とちやんとしている宗教をごちゃ混ぜにしてはいけませんよね。本物の宗教は、人間が成長するものですね。
「良く生きる」ための哲学的賢智を何で得るか、多くは相伝であり聖典は伝え易く守りやすく充実感・達成感・幸福感も得やすい。悪いことではないが教えの解釈の違いで流派が分かれるとどれが正しいかもはやわからないので特定の宗教・会派に入信することは難しく思います。後は良いとこ取り、「物を粗末にすると現世で祟られる」「嘘をつくと来世は地獄」「五蘊皆空・自ら悩みを作って自ら悩むのは阿呆らしい」この程度を叡智としています。
考えることを止めるのが良いんだろうねバランスが大事だろうけど
お医者さんが生死について科学的に話してくれるのはありがたい。
これだから、日本では自己啓発本が売れるのですよね。
人生の中で出会う不条理なものを神という存在に明け渡せる
そのカーテン動くの気になるわー笑
死んだら無になることが立証されてない限りもし死後の世界があって地獄行ったら困るからよい行いするようにしてる
因果の道理は三世を貫く
まあ、天国に行けると思う方に賭けて生きた方がコスパいいよな。少なくとも現世では良い事あるし、あの世があれば天国に行けるし。無だとしても減るもんじゃないしな。てか無なら後悔も感じない。
例えば、キリスト教では、救いは善行によって得られるものではなく、イエス・キリストへの信仰によって与えられる神からの贈り物と考えられている。聖書の教えでは、誰も自分の努力で救いを得ることはできず、救われるのは神の恵みだけである。善行は奨励されるものではあるが、神の愛と恵みに対する応答と見なされ、救いを得るための手段ではない。さらに、善行を行う動機は、罰を恐れるのではなく、純粋な思いやり、愛、世界に積極的に貢献したいという願望に由来するのが理想的である。多くの宗教や哲学の伝統は、個人的な利益や罰を避けるためではなく、それ自身のために善を行うことの本質的な価値を強調している。地獄への恐怖が善行をする動機になる人もいるかもしれないが、多くの宗教的・哲学的伝統は、救いは善行によって得られるものではなく、善行は罰への恐怖ではなく、愛と慈悲によって動機づけられるべきだと教えている。
@@RS-303 一方的にキリスト教を例にとってコメしている時点で頭悪そう
無神論者「死んだら無やろ!w」死んだ後エンマ大王「こんにちは」無神論者「あばばばば」
かっちゃん教から派生したみきや教は素晴らしいです
何でもいいけど 不健康でないもの等に依存して 損でない生き方を自由にしたい❗❗
幹也先生はやっぱり頭がいい𝑁𝑖𝑐𝑒🤟🏻(*ᐛ*)ᒃ✨めっちゃ好きです
頭良いかどうかでいうと、物理学の不確定性原理とかで量子雲の確立の収束とかと認識の関係だとか、宇宙のシュミレーション仮説だとかで勉強していくと神や意識の存在を無視出来なくなったりって考える学者も多いよね。アインシュタイン以後の100年も続く論争、鉄板ネタだけど最新のSF小説でも未だに題材になってるし。
あと、特定の宗教を信じることと、神を信じることは別に考えないといけない。神って言っても人間みたいに意識がある神も入れば、物理法則そのものみたいに形の無いエネルギーを神と呼んでる人もいるだろうし。と言うようなことを書いてたら、オナラが出て実まで出て大惨事になったわ。やっぱ怒れる神はおるわ。
先生、世界最強の宗教 お金教に完全にハマってしまった僕らの多くが幸せになれないのはなぜでしょうか?
多くの人は幸せです。
神仏が実際に存在しているかどうかは大した問題では無くて、キリスト教や仏教の伝統的宗教を信仰することによって人間は間違いなく真理に近づくことができることが重要である。人間は五感によって環境を認識している側面があるが、そこから得られる幸福というものは終わりがあるものであって、しかもその後には悲しみがやってくる。たとえば、性交渉(触覚)や食事(味覚)や旅行(視覚)のあとには、その後の仕事等のことを考えると悲しみがやってくる。幸福と悲しみが交互にループするわけだから幸福を求めているのか悲しみを求めているのかわからなくなる。だから、結局のところ、五感によって認識する世界(官能的世界)で幸福を求めても永遠に継続するものは得られない。これに対し思想の世界(超官能的世界)で得られる真理は人間の性質を高めることができるて、ここから得られる幸福は永遠のものである。悲しみがやってくることも無い。超官能的世界の中心にあるのが宗教と哲学であって、この2つには境界線はほぼ無い。ただことなるのは伝統的宗教には歴史があって参加人数がめちゃくちゃ多いことであって、哲学は先哲の意見は踏襲するものの歴史は浅く、参加人数も少ない。
それはいいとして筋トレしろよ
せめて論駁しろよ@@RS-303
@@user-ir9ve1rl8x キリスト教や仏教のような伝統的な宗教を信じることで、人間は真理に近づくことができ、そこから得られる幸福は永遠であるという主張は、さまざまな視点や研究結果に基づいて支持も反論もできる。このことは、伝統的な宗教への信仰が人間性を高め、永続的な幸福をもたらすという主張には真実味があることを示唆している。 しかし、宗教への参加に関連する幸福は、宗教的コミュニティーの中で育まれることの多い社会的つながりや支援ネットワークによるところが大きい。 例えば、人々が自由、経済的安全、政府への信頼、社会的セーフティーネットを持つ社会では、宗教は幸福にとってあまり有益ではない。さらに、伝統的な宗教には長い歴史があり、多くの信者がいるが、他の哲学的探究よりも真理に近いものを提供しているとは限らない。 結論として、伝統的な宗教は確かに多くの人々に幸福と意味の源泉を提供することはできるが、それが普遍的あるいは決定的に人間を真理に近づけたり、永遠の幸福をもたらすと主張するのは単純化しすぎている。 宗教、真理、幸福の関係は複雑であり、個人や社会の要因によって大きく変わる可能性がある。
@@user-ir9ve1rl8x もっと簡単に言うと、社会が安定し成熟していれば宗教など不必要、余計なものなのだよ。
@@user-ir9ve1rl8x 反駁せよ
アルテミス計画が実行されて、月の裏側の人工物が発覚したら世界は変わるかな?
宗教研究家・高須幹弥
新興信教に入ってる人、勧誘活動で友人を無くしても幸せなのかなー
仏教は単なる信仰ではなく、深遠な哲学としても理解されます。その中心には、苦しみとその原因、そしてそれに対処する智慧があります。真の幸福は、物事への執着から解放されることにあるのです。例えば、富裕な人であっても、資産や生活の喪失への不安は執着から生じるものです。未来は不確かであり、何かを失う可能性を理解することが重要です。この現世は永遠に続くものではなく、生まれ、老い、死ぬという自然の摂理に従っています。美や幸福もまた、一時的なものであることを認識することが肝要です。しかし、これに執着しすぎることは、苦しみの原因となります。釈迦仏は、物質的な所有や欲望に縛られず、必要最低限のものしか持たない生活を提唱しました。釈迦仏の教えは難解なものかもしれませんが、上座部の修行では、寄付やお金に対する執着を捨てる訓練が行われています。釈迦仏の教えに従えば、期待や執着、欲望から解放されることで、真の幸福が得られるとされています。この教えは、単なる信仰だけでなく、人生の哲学としても深く考えさせられるものです。
筋トレをやれば、期待や執着、欲望 から解放されることで、真の幸福が得られるとされています。この教えは、単なる筋肥大だけでなく、人生の哲学としても深く考えさせられるものです。
@@RS-303 何か集中できるものがあれば、自然とそうなるかもしれませんね。真理を追究することが何よりの幸福だと。お釈迦様もそうなのでしょう
@@Dodo-ze 筋トレを行うことにより脳が常人より器質的に発達する。これが真の幸福感を得るための基礎となる。
@@RS-303 それはあなたの感想ですよね。根拠を言ってください
@@Dodo-ze 事実です。
宗教は日本人は自由ですが発展途上国などはとんでもない貧困に悩まされ藁をも掴む気持ちで神を崇めて暮らしているのを見ます😢その為なのか解りませんが苦しい生活にも耐えている😢日本は宗教に依存を強いられてる訳では無いが辛くなると意外に簡単に自殺してしまう者が多いのは何故なのでしょうか😢
俗に不安遺伝子というものが日本人にはあるからです。
高須克弥先生がトリエンナーレの裁判に負けて250万円を支払う判決が出て息子幹弥先生としてはどう思いますか?他人のことだけでなく、忖度なしに身内のことについても語って下さい。
仏教は一部の方便を除けば諸法無我という霊魂否定からはいる訳だから科学とりわけ物理や数学の分野との相性がいい。養老孟司とか岡田斗司夫の動画なんかはわりと面白い。近代科学も結局のところ一神教的な構造があるわけだから仏教が究極的な無神論。
仏教は無神論ではない。なぜなら、キリスト教のような有神論的な宗教に対する反動として生じることの多い、現代西洋の無神論の理解には当てはまらないからだ。 仏教は創造神への崇拝を中心とするものではないが、神々の存在を否定するものでもない。 仏教の宇宙観では、神々は存在するが、形と欲望の領域内にある有限の存在と見なされる。 神々は究極の精神的な目標とは考えられておらず、むしろ仏教は個人の悟りと、苦悩と再生のサイクルから解脱した状態である涅槃の追求を重視している。 仏陀やさまざまな神々は、仏教の伝説やテキストで重要な役割を果たしており、一部の仏教徒は文化的な神々への祈りを修行に取り入れている。 そのため、仏教は神を崇拝するのではなく、心の本質と精神の解脱に焦点を当てる非神論的な宗教であり、いかなる神も信じないことを特徴とする無神論とは区別される。
@@user-NoP11201 いるのがいないのがわからないから中道ということです
「仏教が究極的な無神論」ってのは全くこの通りで、ブッダは「神」なんてもんには一切言及していない。ただただ自分の心の変化をもとに心持を述べるだけ。四門出遊とか四苦八苦とか中道とか。で、のちの竜樹が書いた「般若心経」なんて「ないないないない、なーんにもないよ!生まれるも死ぬもないし、増えるも減るもないし色も思いもなーーーーんもないよ!」としか言ってない。イスラム教やキリスト教とは全然違うアプローチの思考方法で、宗教っていうより哲学って気がするんだよね。後にいろんな神様が引っ付いてきて宗教っぽくなるんだけど。
勉強すればするほど無神論者になりました😂わかります。もう、神は信じれなくなりました。知る前には戻れません。99%論理で生きるものですが、今が1番幸せです。
宗教を真面目に信仰していれば戦争に巻き込まれるのは幸せなんですか?
バラク・アバ・シャレヴ著の 「100 Years of Noble Prizes」 (ノーベル賞の100年)によれば、1901年から2000年までのノーベル賞受賞者を調べたところ、受賞者の64.5%が宗派はさまざまたがキリスト教を自分の宗教として選択すると回答した(423人)。全体で見ると、ノーベル平和賞ではクリスチャンが78.3%、化学賞では72.5%、物理学賞では65.3%、医学賞では62%、経済学賞では4%、文学賞では49.5%であった。
経済学賞の 4% がキリスト教徒に授与されたという主張は誤り。別の情報源では、経済学賞の 54% がキリスト教徒またはキリスト教的背景を持つ個人に授与されたと述べている。 文学賞の 49.5% がキリスト教徒に授与されたというこのと真偽は不明。それらの統計はキリスト教とノーベル賞受賞者の相関関係を示しているが、因果関係を示唆するものではない。 これらの受賞者の功績は科学的研究に基づいており、宗教的信念に直接基づいているわけではない。 彼らの信仰は彼らの個人的な見方や動機に影響を与えたかもしれないが、彼らの科学的貢献は経験的証拠と科学的手法に基づいている。
あたしはyes!幹ストの信者です
宗教信じるほうが幸福度が上がると言い切るのは間違い。
布団ちゃんとステハゲについてお願いします
宗教なんて〇〇でしょって言うのは恥ずかしいから気を付けたいと思う。
あくまで個人的見解でこれが絶対的正解だとは思わないけど、先生も触れているとおり、宗教が生まれる理由は大きく3つあると思う。1つに、死への恐怖に対する防衛本能。死後について希望や安心感を持つことで今を生きる強さに繋がると思う。周りが同じストーリーを共有していれば増幅効果が強まるのでは。また、戦争に駆り出されて犬死にしたり飢饉で餓死するのが当たり前だった時代には、強烈な防衛本能が働くと思う。2つ目に、今生きている人生に規律をもたらし、コミュニティとの調和を図りたいから。自分も周囲も共通のストーリーを信じルールを守ることで、無駄な争いごとを避けられるのでは。例えば結婚や離婚とか。法律と戒律の境界が曖昧な時代には、為政者に権力の確保と維持のために宗教のその性質を利用されたのでは。3つ目に、生命や宇宙の仕組みに対する哲学的探究心。今ほど科学が確立していない時代では、当時の第一線の学者たちが知的好奇心から色々な理論を構築していったのだろうし、今ほど書籍やネットや教育が普及していない時代では、一部の学者や為政者たちの主張を本当に正しいと信じ込む大衆が今よりも多かったのだろうと思う。日本人の生活に染み付いている神道も掘り下げれば聖書のような神話と史実の組み合わせのようなストーリーのもとに成り立っているし、少なくとも戦前のもっと貧しくて戦争が当たり前だった日本人はあまり世界と変わらなかったのでは。宗教離れの一因に科学の発展があるとは思うけど、一方で戦争で大敗した当時の日本人たちが何かに熱狂することの危うさを痛感し、またアメリカ占領時代の政策と教育思想の継承が相まって、現代の日本人には宗教と距離を置く習性がある人が多いのでは。多くの人が歴史的にみて安心安全だと暗黙の了解を持てる宗教が無くなった社会の真空状態に、失業とか病気とか家族の不幸といったショックが起きると、危うい宗教に流れやすくなるのだとも思う。先生の言うとおり、他人に迷惑をかけない限りは個人の思想信条の自由だけど。
宗教を信じる方が幸福度は上がるは結果としてそうかもしれませんが、なぜ日本人以外が宗教を信じるのかが今ひとつ理解出来なかったです。幸福度を上げたいから宗教を信じているわけではないはずです。
一定の合理性があるからですよ。残念ながら幹弥さんは典型的な科学万能主義者です。
@@user-co6lk6nu9e 今となっては非合理的なものでしかない。更に筋トレにも座を奪われている。
@@RS-303 「無から有」についての議論や「種の起源」の内容を知った上でそう思ってるのかい?
@@user-co6lk6nu9e 思っているのではない、事実だ。
人々を支配するために宗教は存在する
うちは浄土真宗で、お葬式のたびに南無阿弥陀と唱えたら阿弥陀様が死者を浄土に迎えてくれると言われていて、小さい頃からなので結構信じており、死に対してだいぶ気楽です。
興味深いとらえ方ですね。私は科学化学医学どれも万能にはほど遠い気がします。例えば、心はどこにあるんでしょうか?良心悪心はなぜあるのでしょうか?だから大前提として、私たちは何も知らないのではないでしょうか。わたしの意見です。
広い宇宙のちっぽけな生命体の一つである人間が、科学で全て解明できると考えるのも傲慢だと思いますけどね…嘘だとかそういうことではなく、人間としてどう生きるのかという哲学が宗教だと思います。哲学なので優劣はあって、正しい哲学を選びとらないといけませんがね…(金巻き上げる系は論外)
宇宙空間が3次元的に広大だから人間はちっぽけな存在でしょうもないものだという考えから改めた方が良い。
@@RS-303 コメントありがとうございます。勉強になります。ますば自分の考えを改められるよう努力します!
@@tommy-ts6bo お前は今日から宇宙と同等の存在となった。おめでとうございます。
宗教にのめり込むのはどうでしょう?
心霊CZcamsrとかが、曰く付きの家に行き、2階からスタスタと歩く音とか聞こえたりしてますが、あれが霊で無かったら何なんですかね?霊が居ないと言い張る方は一度、そういう曰く付きの家や廃墟で1年間暮らして欲しいです。
無宗教ですが、宗教全般に学び始めています。宗教信の無さが今の日本の堕落の原因だと思っています。
幹弥って仏経だよね。釈尊さんを尊敬してるって書いてたね。
医学会で価値を創造し、科学の力で人々を幸福にし、医学・経済・法律・恋愛・ビジネス・人間関係などこの世のありとあらゆる絶対的真理に精通する俺らの尊師幹弥
本人だけが幸せでも周りが迷惑なのはどうなんだろう??友人や家族などを無理やり勧誘して入信させるのも遊びに誘い、目的地を偽り宗教団体の家に友人を連れて行く人居たけど、やってることネズミ講だし、友達失ってた
宗教観の少ない日本人の寿命は世界一。信仰している人の寿命が平均して長いって何処のデーター?
まぁ何かに酔ってないとやってられませんよね。
輪廻転生を信じる人ほど、命を粗末にすると思う。
信仰のは自由だと思うけど、必要ないのに人を変えて何度も何度も勧誘に来るもんだから正直イメージは悪いです。信仰者同士で仲良くやってくれとは思う。
ミキヤ教です
幹弥教に入信しているので毎日幸せです!
わたしもです❤
毎日ありがたい話きけて嬉しいです
ミキガミ様
なんか心が安らぎます...🥰
そう言うこと言う奴らが宗教入るんだよ😂
ディズニーに全く魅力を感じない自分から見ると、あれも一種の宗教だなと思います。
ディズニー好きな人って、凄く幸せそう。
タイに旅行に行ったとき、日本よりもずっと色んな種類の人たちがいて、貧富の差も目に見えてあったけど、決まった時間にみんな手を止めてお祈りをしていた。あの時の雰囲気は日本では全く感じられない不思議な雰囲気だった。
どこか考え方が違っても、信じてる宗教が同じって言うことはぜんぜん違う層にいても繋がりがあるってことなんだなぁ。
日本の君が代と同じ。
これだけは言える。憎しみばかりで感謝しない人より神でもなんでもいいから日々感謝している人のほうが人類にとって有益
うちの父は「将来娘がカルトに入らないように」と、プロテスタントのミッションスクールに入れてくれました。
大人になった今は、とても感謝してます。
科学者でも信仰心持ってる人はたくさんいるし、現代の科学文明はキリスト教圏から生まれてきたことを忘れてか知らずか、「宗教信じる奴は頭が悪い」みたいな短絡的思考になるのはどうかなぁと常々思ってます。
これはそうだね。今の暦(グレゴリオ暦)なんて思いっきり教皇の名前ついてて考えたのはイエズス会とかの学院の数学者だったわけだし、現代数学の大発明、微分で使う「無限小」も思いっきりキリスト教傘下の学院の人が無限という神に迫る思考だったわけで。
「宗教を信じる人のなかに頭が悪い人がいる」「信じてない人の中にも頭が悪い人がいる」
これだけのことだと思う。
わかる。じゃあ日曜日休むなよってわけで。あと西暦と和暦も使うなと。
宗教を信仰してる人を「頭が悪い?」って考えちゃう人は「頭が良い」とは言えないんじゃないかな。
母が仏教系のよくわからない信仰宗教の信者をやってますが、幼い頃から行きたくもないセミナーに連れ回され、家庭では肉魚を禁止されて育ちました(中学生頃からこっそり外で食べていましたが…)。
母から自立した今はもうなんとも思わないし勝手にやってろと思いますが、選択権の無い子供を巻き込むのはやめてほしかったです。
信仰は自由意志が原則ですから、意志が整っていない幼児期に強制するのは全くよろしくないですね。
今までは宗教なんて迷信だしクソ喰らえって思ってましたが、うつ病になって精神疾患になってから宗教の教えで心が軽くなるのを実感しました。
後進国など、生きるのに必死な地域では神にすがらないと精神を正常に保てないんだろうなと思いました。信仰するのは好きにしたらいいと思いますが、他人に押し付けるのはまた話が別ですね。
悩んでると寄ってくるのがカルトだったり、曲解してる人
筋トレしろよ
@@user-NoP11201
墓はただの石です。そんなことする必要はありません。我々のご先祖様はビックバンです。
SNSの揶揄を自分の鏡にしてディスられてるのを真に受けて自○とかするなら何でもいいから都合のいい神様を信じた方がよいです
幹也をBGMにするとテスト勉強がどの方法よりも集中して進められることが分かりました。これからよろしくお願いします
ジャニーズやホスト、アイドルの追っかけとかSNSのインフルエンサー、youtuber、TVやマスコミを信じる人も信者だと思いますけどね。
あと信者と書いて「儲かる」とはよく言ったもので‥‥。
そういった人たちを信仰するよりこの世には存在しない絶対的な神様を信仰する方がいいよね
国語の先生の友達が、マイナー?な宗教にハマってから冗談抜きで人生が楽になって心が穏やかになったらしいから、心の拠り所としてはありなんだなって思いました。ちなみに小学校はキリスト教の学校でしたが、小5くらいまでマジで神様が地球作ったと思ってました。
私自身、特定の宗教を信仰しているわけではありませんが、生きるのがすごく辛くて死にたかった時、仏教の「四諦八正道」の考え方を知り、人生は苦しいものなんだと受け入れることができて少し気が楽になりました。
受け入れて楽になる
真実だと思います
人生は苦しいものではない。
諦観、非常に大切ですよね。
現代の日本では、八正道をはじめとしたさまざまな教義をわかりやすく解説してくれる本や文章がたくさんあって、恵まれていると思います。
私が一番好きなのは、仏典スッタニパーダの「犀の角のように、ただ一人歩め」の節です。
自然科学をよく理解していても、心の支えとして上手に宗教と付き合うことはできると思います。
生死に向き合うことが多いので、自然科学を学んでいる医師で宗教を大切にしている方も多いです。
昔カナダに遊びに行った時に野性のリスを駆除してるバンクーバー生まれのドイツ系カナダ人女性を見て、思わず「How miserable!(うわ、酷いな!)」って言ったら、「日本人はクジラ食べるからもっと酷いでしょ!」って言われたので、「クジラは食べ物だからね。牛や豚と一緒だよ。」って答えたら「牛は食べても良いと聖書に書いてあるでしょ」って言い返されたので、「聖書なんかいい加減なもんだから」と口を滑らせたらもう大変wあなたは触れてはいけない事を言ったって怒り捲って、終いには「日本人は南京で虐殺した」とか「アイヌ人を全滅させた」とかめちゃくちゃ言われました。宗教って怖いよねw
なんでその人はリスを駆除する理由を説明しなかったのでしょうか
@@user-jd5eu1fe4e バンクーバーはリスが多くて近所でも普通に駆除していて、駆除するのが当たり前だったからだと思う。日本で言えばネズミみたいな扱い。でも、日本人の感覚としては「かわいそう(;;)」ってなる。お互い、感覚の違いだよね。
なるほどー
ファンタジーを盾にされると断絶を感じますねw
宗教はアヘンだ とはマルクスの言葉で、良い意味(鎮痛剤)でも悪い意味(依存性)でも使ってるけど、
上手く表現してると思う。
共産主義もアヘンだと思うけどね
今日名古屋地裁に行ったらリコール不正署名の裁判やってたんですが、あの事件についての幹弥先生の意見が聞きたいです
幹弥先生こんにちは 美容医学的にスーツとステハゲはどっちがイケメンですか?回答お待ちしておりヤース
日々、人の生き死にに関わっている医療関係者の宗教観や死生観には説得力がありますね。
自分が新たな宗教の祖であることに気づかない漢
こころの灯し火ですよね。人間は大昔から過酷な環境を生き抜いてきたので、「信じること」そのものに救われてきたんだと思います。どんな時代でも、気を抜くとすぐに自分を見失うのが人間ですからね。
先生はダイハツの不正問題についてどう思いますか?
中途半端に物理を勉強していた時は宗教をまったく信じられなかったけど、物理をちゃんと勉強したらとちょっと宗教を信じられるようになった。
科学っていう宗教をただ信じてただけなんだって思った。
科学哲学を知ってから所詮人間では森羅万象など永遠に解明できないという確信に至った
ある意味資本主義も宗教ですもんね😂
科学って宗教と正反対やで
@@soma7941マックスウェーバーですね。
@@soma7941
科学と宗教は、世界を理解するための2つの異なる方法であり、それぞれが独自の焦点と方法を持っている。科学は自然界に関係し、経験的証拠、観察、科学的方法に依存している。 科学は自然界に関するもので、経験的証拠、観察、科学的方法に依拠している。科学はオープンで発展的、客観的であり、検証可能な仮説と証拠に基づいて自然現象を説明することを目的としている。 一方、宗教は精神的なものや超自然的なものに関係している。 信仰や個人的な信念に依存し、多くの場合、神聖な存在や実体を崇拝する。 宗教的知識はしばしば絶対的なものとみなされ、一般的に聖典や教えに基づいており、それらは主観的に解釈される。
交通事故で生死を彷徨った知人が亡くなった祖母に会ったらしく、まだこっちに来るのは早いよって言われて戻ったらしい。
まあ天国地獄の存在は未知だけど、科学じゃわからないことはたくさんあることは確か。
アメリカのアーミッシュの暮らしを見ると、ああいうのも良いかなと思う。
人間自由過ぎて縛りが無いと恐怖心を抱くみたいですね。
1番大好きなCZcamsrです
思考停止と依存は楽だからな、宗教はお手軽にそれを満たせる
そういう風にしか宗教を否定と捉えることだけの人が多すぎ
科学教を信じてるのを思考停止だと気付いてないのは笑うよね。
@@BrainPowerd-yh3ok
スレ主は宗教の有益なところを指摘している。宗教を否定していない。
@@user-co6lk6nu9e
科学教という言葉は存在しない
@@RS-303 scientismの意訳にすぎないのので、日本語としての有無を論じること自体がナンセンス。科学至上主義、科学万能主義、科学崇拝、なんでもいい。そういう頭の悪いつっこみはやめた方がいいよ。
知能傾向の調査を引用するのがさすが。
支配ツールだったりで多数派だったら生き易いし、答えが示されていたら自己肯定感も得やすそう。
誰かに考えてもらう事を委ねたら信者だろうなあと。
宗教は一種のセラピスト、心の拠り所があって精神安定剤みたいな
私の宗教は幹也です
無信仰だったけど、心の拠り所としてミキヤ教に入信する決意ができました。
僕は元イスラム教徒。10代20代前半真面目に信じてたけど、幸福だったかと聞かれると、全くそうでもなかったです。
なぜかというと、自分人生を真剣に責任取ることが出来なかったからです。
「全部神様が決めたことです」「あなたには何も出来ない、神様に任せるしかない」みたいな無意味な教えがあったからです。
もちろん、頑張らないといけないという教えもありますが、それはある程度頑張って、失敗したらそれは神様が望む通りだから、それ以上頑張っても無駄だ!みたいなニュアンス
お父さんが外国人ですか?
@@geng4295 自分自身が外国人です笑笑
@@hasen_judi 基本ムスリム人って、世界が全部イスラムのルールだと思ってる人多いですよね
宗教は人間が考えたものとして、科学を勉強すればするほど謎が深まって神の存在をより信じるようになりました。
宇宙の成り立ちとかアミノ酸からなぜ意思を持った生物ができたのかとか、根源に至るまで続くんだろうな。
難しく考えすぎだと思う。
こんなすごいもん作れるのは神しかおらんわ!!今日も神の作った世界の一部を解き明かすぜ!!
と、中世の学者とかも思いながら日々研究してたんやろなあ。
初コメです よろしくお願いします
信仰が幸福というのは、昔の話だと思っていました
今は民間レベルで文明が発達してるし、政治も宗教も、むしろ社会悪だとすら思っていました
ちょうど、そんな気分になってるときに、サムネのタイトルに惹かれました
色々教えてください
よろしくお願いします
宗教だけでなく、心地よいものにハマり幸福度があがるなら続けていたほうがいいですよね。ただ、それを他人が否定したり、当人が押し付けたりするからこじれるのですよね。
宗教で幸せになる人がいたいることは良いことと思います。ただ、癌撲滅祈願30万円とか、高額な仏壇を買わせたり、霊能者、因縁とか言って新興宗教団体は解体すべきと思います!
宗教でも偉くなればなるほど、純粋と離れるというか、人間のどす黒い部分が出てくるイメージがある。
少年・少女へ手を出したりとか...
カトリックなんかが顕著ですよね。カトリックは司祭やシスターは結婚しちゃいけませんし…対してプロテスタントの牧師は結婚できますから、少年少女への性的な悪戯等はものすごく低いです。やはり、性に抑圧的な考えがある宗教だと必然的にそうなってしまうのかもしれませんね。
死に対する恐怖だろうな
信仰があれば天国や輪廻転生などで解決される
死に対する恐怖など全く無いがな。死ぬ瞬間はコンピューターがシャットダウンされるイメージしかない。
@@RS-303???
貴方を中心に世界が回ってるわけじゃないけど…
@@Ko_ji_k0j1
俺を中心に地球は回っていないね。誰がそんなデタラメを言ったんだ?お前か?
@@Ko_ji_k0j1
お前の来年は良い年にしてやる
キリスト教の信者の人が書いた本読んだ時、独特の考え方で面白かったです。日本人の神様に対する考えとずいぶん違う印象を持ちました。宗教は人によっては生きる上で有用だと思います。
幹也先生は💪筋肉教💪の信徒ですよね!
自分は、意識は無限に続いちゃうのかもって考えてます。
現在という視点に立ち、少し前の出来事を見ているからです。
後ろ向きになって歩いているような感じです。
信じる者は救われるっていうやつですね
足しか救われない定期
いつも楽しく拝見しています😊
いきなり私見を記して恐縮ですが、
信仰と宗教は別物で、信仰は純粋なものだけれど宗教は商売かなあ…と感じています。
私自身は、幹弥先生と同じく特段の宗教は信じておらず、死んだら無に還ると思っています。
けれども、人智を超えた“何か”があると感じることも偶にあります。
世界中の多くの人が宗教に頼る理由。
それは「幸福度が増すから」という理由は勿論のこと、「畏れを知る必要があるから」という部分もあるのでは…と個人的には考えます。
人間は万能ではない、お金も科学も万能ではない・・・
そう自らを戒めることで、人智の及ばぬ「神の目」を意識することで、悪の道に堕ちることを防いでいるのかな…と。
私もそう思います
昔から日本人は自然をお祀りして、山だったり磐座だったり、自然界に宿ってる八百万の神々を信仰してますよね
神や仏像や人を拝むのへ海外から入ってきたものかな
ステハゲ教に入ってるので幸せです!
「信じる者しか救わないセコい神様拝むよりは〜」の歌詞好き。
信じてる奴も救わないけどな😊
普段は、神社⛩️参拝。クリスマスシーズンは、クリスチャン。悩みがあれば、お釈迦様の教えを聞いたり。日本人は、時々に取り入れてる賢い!いいとこ取りが一番です。
でも時間と言うものがどうやって誕生したかは永遠に分からないと思うけど。やっぱ神とかそんな領域のものとしか考えられないけど。
とても面白い考察でした。
死ぬほど辛い事があると宗教を信仰していることで
逃げ道がある人が羨ましく思える事がありますし、
逃げ道として逃げた人、逃げて帰ってきた人など色々知っております。
が、私は宗教依存は出来ません。
しかし私が尊敬しているマザーテレサ。
あれほどの人でもキリストを信仰していた事実。
本心は違ったんじゃないだろうか?とずーっと疑念を抱いております。
@@user-NoP11201 そんな事は常識ですから勿論知っております。其の上で彼女のその後の困難につぐ困難な人生を鑑みたときに自然と疑問に思ってしまうだけです。
@@user-NoP11201
マザー・テレサが神のお告げに基づく救いの人生を志し、その目標を達成したという主張は、間違い。 マザー・テレサは、その人道的活動と貧しい人々への献身で広く知られているが、彼女の私的な手紙からは、疑いや神に見捨てられたという感覚に特徴づけられる複雑な精神的な旅路がうかがえる。半世紀近くにわたり、マザー・テレサは、しばしば「魂の闇夜」と呼ばれる、精神的に乾き、神の不在を感じる時期を経験した。このような精神的な苦悩にもかかわらず、マザー・テレサは仕事を続け、貧しい人々や病人への奉仕に生涯を捧げた。彼女の使命への献身は、個人的な精神的危機によって弱まることはなかった。 救いのゴールについては、キリスト教神学における救いはしばしば神からの贈り物として理解され、善行によって獲得できるものではない。マザー・テレサの人道的努力は称賛に値するが、多くのキリスト教の教義によれば、それは救いを保証するものではない。
マザー・テレサは確かに信仰に触発された奉仕の生涯を送ったが、彼女の個人的な霊的な旅路は、疑いや神の不在感によって特徴づけられていた。 彼女の救いの追求は、彼女の信仰と同様に複雑であり、神のお告げに基づく成就した願望として単純化することはできない。
私たちが紙で作られた諭吉に価値があると思ってるのと同じで、すでに生活に溶け込んでいてある意味洗脳状態だから信じてると思う
我々が紙幣に価値があると思いこんでいるのではなく、日本銀行が紙幣に価値を与えたのです。よって紙幣に価値があるのは事実です。
そうですね
国家や会社という概念も「主権国家体制」や「資本主義」という宗教的信仰がなければ成立しないと思います。
@@user-nr4jb4qo5v
国家や企業という概念は、「主権国家体制」や「資本主義」といった宗教的信念なしには存在し得ないという主張は、完全に間違いだ。第一に、国家や主権国家という概念は、中央権力によって統治される特定の領土とその住民を示す政治的構成概念である。 この概念は本来、宗教的信念体系を必要としない。 多くの国家が宗教的信念の影響を受けている一方で、宗教を国家の問題から切り離した世俗的な国家も存在する。第二に、企業はビジネスを行うために作られた法的実体である。 企業は無生物であり、信念を持つことも、宗教的実践を行うこともない。創業者や指導者の宗教的信条に影響される企業もあるかもしれないが、それが企業存在の前提条件ではない。「 主権国家体制」と「資本主義」は宗教的信念ではなく、それぞれ政治体制と経済体制である。 主権国家体制とは、定義された領土境界線内に政治権力を組織することを指し、資本主義とは、資本の私的所有と利潤追求のための生産を特徴とする経済体制である。 宗教は国家や企業に影響を与えることはあっても、それらの存在に必要な条件ではない。
死後の世界は確実に「無」なんでしょうけど、天国での安らかな暮らしとか生まれ変わりとかを期待してしまいます😂これはしんでみないとわかりませんね。
死んでみないと分からないのに無は確実なのは何でだよw
@@GO-xv9yw 最後の一文が余計でしたね😂
輪廻転生説をどこか期待してるのです。
人類の幸せを考えるミキヤさん
愛のままに わがままに 僕は君だけを傷つけない
あなたは私のほんの一部しか知らない
その人が実際に幸福になるかどうかではなく幸福感を与えるのが宗教だと思ってる。
人間が宗教をつくるのであって、宗教が人間をつくるのではない。
仏教徒なんで仏像を見ると興奮します。
光明真言を100回唱えると興奮します
私は、リンと木魚の音で興奮タイプです😂
先生、悠仁さまのトンボ論文について意見を聞かせてください。
宜しくお願いします。
本物の宗教は人間が生きる上での行動規範としてのバックボーンになる。
悪い事をした宗教とちやんとしている宗教をごちゃ混ぜにしてはいけませんよね。
本物の宗教は、人間が成長するものですね。
「良く生きる」ための哲学的賢智を何で得るか、多くは相伝であり聖典は伝え易く守りやすく充実感・達成感・幸福感も得やすい。悪いことではないが教えの解釈の違いで流派が分かれるとどれが正しいかもはやわからないので特定の宗教・会派に入信することは難しく思います。後は良いとこ取り、「物を粗末にすると現世で祟られる」「嘘をつくと来世は地獄」「五蘊皆空・自ら悩みを作って自ら悩むのは阿呆らしい」この程度を叡智としています。
考えることを止めるのが良いんだろうね
バランスが大事だろうけど
お医者さんが生死について科学的に話してくれるのはありがたい。
これだから、日本では自己啓発本が売れるのですよね。
人生の中で出会う不条理なものを神という存在に明け渡せる
そのカーテン動くの気になるわー笑
死んだら無になることが立証されてない限りもし死後の世界があって地獄行ったら困るからよい行いするようにしてる
因果の道理は三世を貫く
まあ、天国に行けると思う方に
賭けて生きた方がコスパいいよな。
少なくとも現世では良い事あるし、あの世があれば天国に行けるし。無だとしても減るもんじゃないしな。てか無なら後悔も感じない。
例えば、キリスト教では、救いは善行によって得られるものではなく、イエス・キリストへの信仰によって与えられる神からの贈り物と考えられている。聖書の教えでは、誰も自分の努力で救いを得ることはできず、救われるのは神の恵みだけである。善行は奨励されるものではあるが、神の愛と恵みに対する応答と見なされ、救いを得るための手段ではない。さらに、善行を行う動機は、罰を恐れるのではなく、純粋な思いやり、愛、世界に積極的に貢献したいという願望に由来するのが理想的である。多くの宗教や哲学の伝統は、個人的な利益や罰を避けるためではなく、それ自身のために善を行うことの本質的な価値を強調している。
地獄への恐怖が善行をする動機になる人もいるかもしれないが、多くの宗教的・哲学的伝統は、救いは善行によって得られるものではなく、善行は罰への恐怖ではなく、愛と慈悲によって動機づけられるべきだと教えている。
@@RS-303 一方的にキリスト教を例にとってコメしている時点で頭悪そう
無神論者「死んだら無やろ!w」
死んだ後
エンマ大王「こんにちは」
無神論者「あばばばば」
かっちゃん教から派生したみきや教は素晴らしいです
何でもいいけど 不健康でないもの等に依存して 損でない生き方を自由にしたい❗❗
幹也先生はやっぱり頭がいい𝑁𝑖𝑐𝑒🤟🏻(*ᐛ*)ᒃ✨めっちゃ好きです
頭良いかどうかでいうと、物理学の不確定性原理とかで量子雲の確立の収束とかと認識の関係だとか、宇宙のシュミレーション仮説だとかで勉強していくと神や意識の存在を無視出来なくなったりって考える学者も多いよね。
アインシュタイン以後の100年も続く論争、鉄板ネタだけど最新のSF小説でも未だに題材になってるし。
あと、特定の宗教を信じることと、神を信じることは別に考えないといけない。
神って言っても人間みたいに意識がある神も入れば、物理法則そのものみたいに形の無いエネルギーを神と呼んでる人もいるだろうし。
と言うようなことを書いてたら、オナラが出て実まで出て大惨事になったわ。やっぱ怒れる神はおるわ。
先生、世界最強の宗教 お金教に完全にハマってしまった僕らの多くが幸せになれないのはなぜでしょうか?
多くの人は幸せです。
神仏が実際に存在しているかどうかは大した問題では無くて、キリスト教や仏教の伝統的宗教を信仰することによって人間は間違いなく真理に近づくことができることが重要である。人間は五感によって環境を認識している側面があるが、そこから得られる幸福というものは終わりがあるものであって、しかもその後には悲しみがやってくる。たとえば、性交渉(触覚)や食事(味覚)や旅行(視覚)のあとには、その後の仕事等のことを考えると悲しみがやってくる。幸福と悲しみが交互にループするわけだから幸福を求めているのか悲しみを求めているのかわからなくなる。だから、結局のところ、五感によって認識する世界(官能的世界)で幸福を求めても永遠に継続するものは得られない。これに対し思想の世界(超官能的世界)で得られる真理は人間の性質を高めることができるて、ここから得られる幸福は永遠のものである。悲しみがやってくることも無い。超官能的世界の中心にあるのが宗教と哲学であって、この2つには境界線はほぼ無い。ただことなるのは伝統的宗教には歴史があって参加人数がめちゃくちゃ多いことであって、哲学は先哲の意見は踏襲するものの歴史は浅く、参加人数も少ない。
それはいいとして筋トレしろよ
せめて論駁しろよ@@RS-303
@@user-ir9ve1rl8x
キリスト教や仏教のような伝統的な宗教を信じることで、人間は真理に近づくことができ、そこから得られる幸福は永遠であるという主張は、さまざまな視点や研究結果に基づいて支持も反論もできる。このことは、伝統的な宗教への信仰が人間性を高め、永続的な幸福をもたらすという主張には真実味があることを示唆している。 しかし、宗教への参加に関連する幸福は、宗教的コミュニティーの中で育まれることの多い社会的つながりや支援ネットワークによるところが大きい。 例えば、人々が自由、経済的安全、政府への信頼、社会的セーフティーネットを持つ社会では、宗教は幸福にとってあまり有益ではない。さらに、伝統的な宗教には長い歴史があり、多くの信者がいるが、他の哲学的探究よりも真理に近いものを提供しているとは限らない。 結論として、伝統的な宗教は確かに多くの人々に幸福と意味の源泉を提供することはできるが、それが普遍的あるいは決定的に人間を真理に近づけたり、永遠の幸福をもたらすと主張するのは単純化しすぎている。 宗教、真理、幸福の関係は複雑であり、個人や社会の要因によって大きく変わる可能性がある。
@@user-ir9ve1rl8x
もっと簡単に言うと、社会が安定し成熟していれば宗教など不必要、余計なものなのだよ。
@@user-ir9ve1rl8x
反駁せよ
アルテミス計画が実行されて、月の裏側の人工物が発覚したら世界は変わるかな?
宗教研究家・高須幹弥
新興信教に入ってる人、勧誘活動で友人を無くしても幸せなのかなー
仏教は単なる信仰ではなく、深遠な哲学としても理解されます。その中心には、苦しみとその原因、そしてそれに対処する智慧があります。真の幸福は、物事への執着から解放されることにあるのです。
例えば、富裕な人であっても、資産や生活の喪失への不安は執着から生じるものです。未来は不確かであり、何かを失う可能性を理解することが重要です。この現世は永遠に続くものではなく、生まれ、老い、死ぬという自然の摂理に従っています。
美や幸福もまた、一時的なものであることを認識することが肝要です。しかし、これに執着しすぎることは、苦しみの原因となります。釈迦仏は、物質的な所有や欲望に縛られず、必要最低限のものしか持たない生活を提唱しました。釈迦仏の教えは難解なものかもしれませんが、上座部の修行では、寄付やお金に対する執着を捨てる訓練が行われています。
釈迦仏の教えに従えば、期待や執着、欲望から解放されることで、真の幸福が得られるとされています。この教えは、単なる信仰だけでなく、人生の哲学としても深く考えさせられるものです。
筋トレをやれば、期待や執着、欲望 から解放されることで、真の幸福が得られるとされています。この教えは、単なる筋肥大だけでなく、人生の哲学としても深く考えさせられるものです。
@@RS-303 何か集中できるものがあれば、自然とそうなるかもしれませんね。真理を追究することが何よりの幸福だと。お釈迦様もそうなのでしょう
@@Dodo-ze
筋トレを行うことにより脳が常人より器質的に発達する。これが真の幸福感を得るための基礎となる。
@@RS-303 それはあなたの感想ですよね。根拠を言ってください
@@Dodo-ze
事実です。
宗教は日本人は自由ですが発展途上国などはとんでもない貧困に悩まされ藁をも掴む気持ちで神を崇めて暮らしているのを見ます😢その為なのか解りませんが苦しい生活にも耐えている😢日本は宗教に依存を強いられてる訳では無いが辛くなると意外に簡単に自殺してしまう者が多いのは何故なのでしょうか😢
俗に不安遺伝子というものが日本人にはあるからです。
高須克弥先生がトリエンナーレの裁判に負けて250万円を支払う判決が出て息子幹弥先生としてはどう思いますか?他人のことだけでなく、忖度なしに身内のことについても語って下さい。
仏教は一部の方便を除けば諸法無我という霊魂否定からはいる訳だから科学とりわけ物理や数学の分野との相性がいい。養老孟司とか岡田斗司夫の動画なんかはわりと面白い。近代科学も結局のところ一神教的な構造があるわけだから仏教が究極的な無神論。
仏教は無神論ではない。なぜなら、キリスト教のような有神論的な宗教に対する反動として生じることの多い、現代西洋の無神論の理解には当てはまらないからだ。 仏教は創造神への崇拝を中心とするものではないが、神々の存在を否定するものでもない。 仏教の宇宙観では、神々は存在するが、形と欲望の領域内にある有限の存在と見なされる。 神々は究極の精神的な目標とは考えられておらず、むしろ仏教は個人の悟りと、苦悩と再生のサイクルから解脱した状態である涅槃の追求を重視している。 仏陀やさまざまな神々は、仏教の伝説やテキストで重要な役割を果たしており、一部の仏教徒は文化的な神々への祈りを修行に取り入れている。 そのため、仏教は神を崇拝するのではなく、心の本質と精神の解脱に焦点を当てる非神論的な宗教であり、いかなる神も信じないことを特徴とする無神論とは区別される。
@@user-NoP11201 いるのがいないのがわからないから中道ということです
「仏教が究極的な無神論」ってのは全くこの通りで、ブッダは「神」なんてもんには一切言及していない。ただただ自分の心の変化をもとに心持を述べるだけ。四門出遊とか四苦八苦とか中道とか。で、のちの竜樹が書いた「般若心経」なんて「ないないないない、なーんにもないよ!生まれるも死ぬもないし、増えるも減るもないし色も思いもなーーーーんもないよ!」としか言ってない。
イスラム教やキリスト教とは全然違うアプローチの思考方法で、宗教っていうより哲学って気がするんだよね。
後にいろんな神様が引っ付いてきて宗教っぽくなるんだけど。
勉強すればするほど無神論者になりました😂わかります。もう、神は信じれなくなりました。知る前には戻れません。99%論理で生きるものですが、今が1番幸せです。
宗教を真面目に信仰していれば戦争に巻き込まれるのは幸せなんですか?
バラク・アバ・シャレヴ著の 「100 Years of Noble Prizes」 (ノーベル賞の100年)によれば、1901年から2000年までのノーベル賞受賞者を調べたところ、受賞者の64.5%が宗派はさまざまたがキリスト教を自分の宗教として選択すると回答した(423人)。全体で見ると、ノーベル平和賞ではクリスチャンが78.3%、化学賞では72.5%、物理学賞では65.3%、医学賞では62%、経済学賞では4%、文学賞では49.5%であった。
経済学賞の 4% がキリスト教徒に授与されたという主張は誤り。別の情報源では、経済学賞の 54% がキリスト教徒またはキリスト教的背景を持つ個人に授与されたと述べている。 文学賞の 49.5% がキリスト教徒に授与されたというこのと真偽は不明。
それらの統計はキリスト教とノーベル賞受賞者の相関関係を示しているが、因果関係を示唆するものではない。 これらの受賞者の功績は科学的研究に基づいており、宗教的信念に直接基づいているわけではない。 彼らの信仰は彼らの個人的な見方や動機に影響を与えたかもしれないが、彼らの科学的貢献は経験的証拠と科学的手法に基づいている。
あたしはyes!幹ストの信者です
宗教信じるほうが幸福度が上がると言い切るのは間違い。
布団ちゃんとステハゲについてお願いします
宗教なんて〇〇でしょって言うのは恥ずかしいから気を付けたいと思う。
あくまで個人的見解でこれが絶対的正解だとは思わないけど、先生も触れているとおり、宗教が生まれる理由は大きく3つあると思う。
1つに、死への恐怖に対する防衛本能。死後について希望や安心感を持つことで今を生きる強さに繋がると思う。周りが同じストーリーを共有していれば増幅効果が強まるのでは。また、戦争に駆り出されて犬死にしたり飢饉で餓死するのが当たり前だった時代には、強烈な防衛本能が働くと思う。
2つ目に、今生きている人生に規律をもたらし、コミュニティとの調和を図りたいから。自分も周囲も共通のストーリーを信じルールを守ることで、無駄な争いごとを避けられるのでは。例えば結婚や離婚とか。法律と戒律の境界が曖昧な時代には、為政者に権力の確保と維持のために宗教のその性質を利用されたのでは。
3つ目に、生命や宇宙の仕組みに対する哲学的探究心。今ほど科学が確立していない時代では、当時の第一線の学者たちが知的好奇心から色々な理論を構築していったのだろうし、今ほど書籍やネットや教育が普及していない時代では、一部の学者や為政者たちの主張を本当に正しいと信じ込む大衆が今よりも多かったのだろうと思う。
日本人の生活に染み付いている神道も掘り下げれば聖書のような神話と史実の組み合わせのようなストーリーのもとに成り立っているし、少なくとも戦前のもっと貧しくて戦争が当たり前だった日本人はあまり世界と変わらなかったのでは。宗教離れの一因に科学の発展があるとは思うけど、一方で戦争で大敗した当時の日本人たちが何かに熱狂することの危うさを痛感し、またアメリカ占領時代の政策と教育思想の継承が相まって、現代の日本人には宗教と距離を置く習性がある人が多いのでは。
多くの人が歴史的にみて安心安全だと暗黙の了解を持てる宗教が無くなった社会の真空状態に、失業とか病気とか家族の不幸といったショックが起きると、危うい宗教に流れやすくなるのだとも思う。先生の言うとおり、他人に迷惑をかけない限りは個人の思想信条の自由だけど。
宗教を信じる方が幸福度は上がるは結果としてそうかもしれませんが、なぜ日本人以外が宗教を信じるのかが今ひとつ理解出来なかったです。幸福度を上げたいから宗教を信じているわけではないはずです。
一定の合理性があるからですよ。残念ながら幹弥さんは典型的な科学万能主義者です。
@@user-co6lk6nu9e
今となっては非合理的なものでしかない。更に筋トレにも座を奪われている。
@@RS-303 「無から有」についての議論や「種の起源」の内容を知った上でそう思ってるのかい?
@@user-co6lk6nu9e
思っているのではない、事実だ。
人々を支配するために宗教は存在する
うちは浄土真宗で、お葬式のたびに南無阿弥陀と唱えたら阿弥陀様が死者を浄土に迎えてくれると言われていて、小さい頃からなので結構信じており、死に対してだいぶ気楽です。
興味深いとらえ方ですね。私は科学化学医学どれも万能にはほど遠い気がします。例えば、心はどこにあるんでしょうか?良心悪心はなぜあるのでしょうか?だから大前提として、私たちは何も知らないのではないでしょうか。わたしの意見です。
広い宇宙のちっぽけな生命体の一つである人間が、科学で全て解明できると考えるのも傲慢だと思いますけどね…
嘘だとかそういうことではなく、人間としてどう生きるのかという哲学が宗教だと思います。
哲学なので優劣はあって、正しい哲学を選びとらないといけませんがね…(金巻き上げる系は論外)
宇宙空間が3次元的に広大だから人間はちっぽけな存在でしょうもないものだという考えから改めた方が良い。
@@RS-303 コメントありがとうございます。勉強になります。ますば自分の考えを改められるよう努力します!
@@tommy-ts6bo
お前は今日から宇宙と同等の存在となった。おめでとうございます。
宗教にのめり込むのはどうでしょう?
心霊CZcamsrとかが、曰く付きの家に行き、2階からスタスタと歩く音とか聞こえたりしてますが、あれが霊で無かったら何なんですかね?霊が居ないと言い張る方は一度、そういう曰く付きの家や廃墟で1年間暮らして欲しいです。
無宗教ですが、宗教全般に学び始めています。宗教信の無さが今の日本の堕落の原因だと思っています。
幹弥って仏経だよね。釈尊さんを尊敬してるって書いてたね。
医学会で価値を創造し、科学の力で人々を幸福にし、医学・経済・法律・恋愛・ビジネス・人間関係などこの世のありとあらゆる絶対的真理に精通する俺らの尊師幹弥
本人だけが幸せでも周りが迷惑なのはどうなんだろう??
友人や家族などを無理やり勧誘して入信させるのも
遊びに誘い、目的地を偽り宗教団体の家に友人を連れて行く人居たけど、やってることネズミ講だし、友達失ってた
宗教観の少ない日本人の寿命は世界一。信仰している人の寿命が平均して長いって何処のデーター?
まぁ何かに酔ってないとやってられませんよね。
輪廻転生を信じる人ほど、命を粗末にすると思う。
信仰のは自由だと思うけど、必要ないのに人を変えて何度も何度も勧誘に来るもんだから正直イメージは悪いです。信仰者同士で仲良くやってくれとは思う。
ミキヤ教です