秀吉の後継者候補だった豊臣秀次の見どころ+なぜ秀次は山中城を短時間で攻略できたのか?(【YouTube限定】BS11偉人・敗北からの教訓 こぼれ噺 第23回)

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  • čas přidán 22. 10. 2023
  • BS11で放送中の歴史番組「偉人・敗北からの教訓」
    番組収録後に、番組内でご紹介できなかったエピソードなどを歴史作家の伊東潤先生に語っていただく「偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺」第23回目です。
    今回は
    2023年11月4日(土)夜8時放送、「豊臣秀次 編」の見どころと、
    収録で話しきれなかったエピソードをご紹介。
    秀吉の養子になった豊臣秀次。
    ほかの秀吉の後継者候補にはどんな人物がいた?
    本編で伊東先生が注目して欲しいポイントは?
    「偉人・勝利からの教訓」のコーナーでは、偉人の「勝利・成功」にハイライトを当てていきます。
    なぜ、秀次は容易に落ちないと思われていた山中城を短時間で攻略できたのか?
    伊東先生にたっぷりとお話いただきます。
    ■出演
    進行:中西悠理(キャスター)
    解説:伊東潤(歴史作家)
    ▼TikTokでショートムービー公開中!
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    ▼BS11公式「歴史」関連動画をチェック!
    • 歴史「偉人・敗北からの教訓」ほか
    ■番組情報
    全国無料放送BS11「偉人・敗北からの教訓」
    📺毎週土曜日 よる8時00分~8時55分放送
    【番組公式HP】www.bs11.jp/entertainment/iji...
    【BS11 イレブン じゅういっちゃんツイッター】 jyuittyan_bs11?la
    <番組詳細>
    「敗北」「失敗」から、偉人の人物像に迫る!
    毎回、偉人たちがおかした「歴史的な大失敗」から、その背景、要因、影響などを読み解き、
    偉人の人物像を浮き彫りにするとともに、今を生きる私たちの教訓としていく新しい歴史バイオグラフィー。
    【BS11+ 公式Instagram】
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    #豊臣秀次 #豊臣秀吉 #小田原合戦 #安土桃山時代 #平安時代 #戦国時代 #戦国武将 #歴史 #日本史 #偉人 #英雄 #伊東潤 #中西悠理 #こぼれ噺 #BS11
  • Zábava

Komentáře • 23

  • @user-ex5bd3up7q
    @user-ex5bd3up7q Před 9 měsíci +8

    叔父の七光りで関白になっただけの人、というイメージもあったけど、それも実像では無さそうですね。

    • @pontarou01
      @pontarou01 Před 9 měsíci +1

      跡継ぎ候補が何人も居ましたからね。

  • @cancan5892
    @cancan5892 Před 9 měsíci +4

    秀次事件は、明らかに秀頼可愛さに自身の後継ぎとしたい秀吉によるでっち上げだと感じます。
    弟の秀長が存命であれば、事態はここまで悪化せず、秀次との間に入って取りなしができたかもしれません。そうすれば、秀頼が成人するまで秀次を後見役として統治するというスタイルも可能だったのにと思います。

  • @user-nn7nx4fn7f
    @user-nn7nx4fn7f Před 9 měsíci +7

    秀次公は伊達政宗や徳川家康とも関係は悪くなかったという話もあり、更に子沢山だったことから秀次事件が起こらなければ、少なくとも豊臣家の滅亡は無かったはず。。。

  • @user-yn4xn3cp6b
    @user-yn4xn3cp6b Před 9 měsíci

    今回の、成功からの教訓の「何事にも最初が肝心」は、初めてする仕事や業務の配置転換に関して速く仕事を覚える過程で、失敗を恐れずに積極的に行なうことが大切だと思いました。
    また、失敗した場合も、直ぐに原因を究明し対策をたてて再チャレンジすることが必要だと思いました。

  • @user-bq1pp8ub6t
    @user-bq1pp8ub6t Před 9 měsíci

    気になっていた豊臣秀次を取り上げていただきありがとうございます!
    汚名返上の解説を期待しています。

  • @user-ru2wg3ks2s
    @user-ru2wg3ks2s Před 9 měsíci +3

    秀次事件は秀吉にとっても大敗北だったんでしょうね。
    歴史に『たられば』は無いんでしょうが、秀次が無事に豊臣政権を支えていれば歴史はどうなっていたのだろうとの妄想が尽きません。それも歴史の面白いところなんでしょうね。😊

  • @NM-ds3oo
    @NM-ds3oo Před 9 měsíci

    この動画の前振りの効果もあって、秀次という武将の
    人物像がどのような評価を受けているのか楽しみになりました。
    毎回の動画UPをありがとうございます。
    私がはるか昔にドラマの中で見た秀次という人物は、軽くて配慮に欠けた
    横柄な若者という、かなり創作されたものでした。
    正直今まで秀次という武将のことは意識していなかったので楽しみです。

  • @user-gs9ui3ic5f
    @user-gs9ui3ic5f Před 9 měsíci

    結構有能な人だったのかな
    よく知らなかったので、本編たのしみです

  • @user-gh5ri8th5o
    @user-gh5ri8th5o Před 9 měsíci +21

    秀次は無実だと思いますよ。謀反なんて微塵も頭にはなかったでしょう。秀吉も罰するなら秀次だけにしておけばよかったのに。

    • @user-rd6ne7wq3p
      @user-rd6ne7wq3p Před 9 měsíci +13

      側室たちも殺したのは悪手でしたね。最上なんかは相当怒ったと思います。関ヶ原のとき、もし最上が西軍について伊達を攻めていたら、上杉は関東に進出して徳川の背後を突けました。

  • @user-th8bi9ib8s
    @user-th8bi9ib8s Před 9 měsíci +4

    人の境遇とは不思議なものですね。
    天下人の継承で関白にまでなって妾もたくさん。子もたくさん。。。
    秀吉にしてみれば自分は苦労して天下を獲ったのに・・・。って横目で思ってたでしょうね。
    でも。秀頼の誕生で・・・。
    これが。天国から地獄ってやつでしょ。

  • @kozukaiyakan2900
    @kozukaiyakan2900 Před 2 měsíci

    後継者の秀次の家臣団ができてきて秀吉の家臣団との軋轢もあったのでは?
    豊臣家としては秀頼は生まれない方が存続する可能性が高かったように思います。
    関ケ原後に普通の大名になっていれば存続することもできたのだろうけど

  • @user-ik7mi6un4k
    @user-ik7mi6un4k Před 9 měsíci +3

    おそらく双方(当人)のボタンの掛け違いだと思うんだよね。
    ちゃんと面と向かって話し合えば解決できたかもしれない話が、間にいろんな人や思惑が入った事で生まれた悲劇だと思う。
    秀吉も秀次の事を邪険にしていた様子もなかったみたいだし。

    • @user-rd6ne7wq3p
      @user-rd6ne7wq3p Před 9 měsíci +2

      いったんは収まっても茶々がちゃちゃ入れていずれ抹殺されたか、家康に利用されて信雄みたいな存在になったと思います。

  • @kurita1201
    @kurita1201 Před 9 měsíci

    秀次と三成の関係は実際どうだったんですかね?

  • @Hanamaru1192
    @Hanamaru1192 Před 5 měsíci +1

    秀次事件って秀吉によるクーデターでしょ。この場における正義は間違いなく現関白の秀次サイドだし

  • @user-eg6hf1lj5d
    @user-eg6hf1lj5d Před 8 měsíci +1

    最初が肝心。小田原で勝っても最初の印象はねぇ・・・。でも秀頼かわいさに排除しちゃうよね。自分が死んだ後はいくら約束してようがわからないのを身にしみてる秀吉。

  • @katsumi-na1198
    @katsumi-na1198 Před 8 měsíci +1

    一族の層が薄いから一族を重役に登用したのにその一族を殺すって耄碌しすぎだろ秀吉

  • @pontarou01
    @pontarou01 Před 9 měsíci +1

    秀次はイケメンだったから、秀吉妬まれてたって話も。

  • @user-xn7on9eh7e
    @user-xn7on9eh7e Před 9 měsíci +1

    もみあげ長い。

  • @etsuotakahashi4559
    @etsuotakahashi4559 Před 9 měsíci +3

    晩年の秀吉と秀次は同じ行動気質です。光秀+信長です。優れた才能を持っていた
    秀次に後を任せなかったのが秀吉の最大の失敗です。
    光秀型下剋上の気質の人は自身の身の危険には異常なまでの反応を示します。
    光秀は信長を見誤り、自身がやられると過剰反応本能寺へと暴発します。
    隆盛は薩摩に暗殺者が入ったことが発火点になり、暴発します。
    秀吉も秀次も過剰反応したのです。対抗処置のとれない秀次は自ら命を落とします。
    下剋上的行動と見られた信康の例でも、過剰反応が自らの命を落とす道へとなりま
    した。
    後を継いでいたらどうなったか。同じ行動気質の将軍徳川家光を見れば推測ができ
    ます。天下を平定した後なら下剋上の気質は収まります。
    島原の乱を収め、経済政策にも手腕を発揮し、徳川の体制強化の総まとめを成し遂げ
    ました。
    秀吉は残念なことをしてしまいましたが、これが豊臣の運命なのでしょう。
    自身の身の危険に過剰反応する二人の行動気質が悲劇を生みました。