【ゆっくり解説】なぜ北条氏は「征夷大将軍」にならなかったのか?
Vložit
- čas přidán 18. 06. 2024
- 【ゆっくり解説】なぜ北条氏は「征夷大将軍」にならなかったのか?
--------
▼一気見した方はこちら
日本史ランキング10選
• 【総編集】眠れなくなるほど面白い日本史ランキ...
戦国時代の謎9選①
• 【総集編】眠れなくなるほど面白い戦国時代の謎...
戦国時代の謎10選②
• 【総集編】眠れなくなるほど面白い戦国時代の謎...
戦国・江戸の文化8選
• 【総集編】眠れなくなるほど面白い戦国・江戸の...
江戸時代の謎10選①
• 【総集編】学校では教えてくれない江戸時代の謎...
江戸時代の謎8選②
• 【総集編】眠れなくなるほど面白い江戸時代の謎...
--------
このチャンネルでは「日本史」をテーマに配信しています。
ぜひチャンネル登録して動画を待っていただけると嬉しいです!
▼チャンネル登録
/ @yukkuri-j-history
#日本史 #ゆっくり解説
北条氏も一人の権力者が決めているわけじゃなく執権連署など複数人の合議制でしかも交代制だからな。権力が集中しないのでは将軍にはなれない。
結局、鎌倉幕府は当初の「頼朝とその仲間たち」という枠から脱皮できなかった。源氏三代が滅びた以降は「頼朝の意志を継いだ北条氏とその仲間たち」という形で存続はしたけれども、仲間たち(御家人)以外の本所一円地住人の取り込みは弘安新制の失敗でご破算になり、それどころか御内人や幕府の役職についた一部特権的支配層のみが栄え、一般御家人にとって命懸けで守らなければならない組織で無くなっていったのが、鎌倉幕府滅亡の原因でしょうね。
確かに疑問でした。
😮勉強になりました!
ありがとうございます♪
源氏でも平氏でもない地方豪族に乗っ取られるなんて頼朝はやらかしまくったよね
これは当時の幕府が根本的な部分で「摂関家や皇室の作った荘園制の中で機能していたから」でしょうね。
守護の仕事を見てみると、「大番役の督促」「犯罪者の捜索」。
地頭は「年貢の徴収」です。
つまり領民や土地はまだ完全に武士のものになっていません。
(そもそも私有財産という考え方すら曖昧)
これは現代社会で例えてみると、大企業の警備職員と会計職員を、鎌倉幕府が派遣あるいは請負管理していたというニュアンスに近い。
そういう仕組みの中で生きていたからこそ、名義的な取締役は公家、もしくは皇族にしていたとも言えます。
上将軍は尊良親王が名乗りました
信長も秀吉もなろうと思えばなれたと思います。
ただ北条家は力の根拠が頼朝が作った幕府だから、それに代わるほど力の根拠がない北条家が征夷大将軍になるのは難しかったと思う。
室町幕府もたとえば細川氏が乗っ取ったりしなかったのも、足利将軍を傀儡にした方が都合が良かったのと、乗っ取っても誰も言うことを聞かなかったからだろう。
頼朝が築いた幕府を カミさんの実家が謀略で簒奪した地位(権力)だから無理でしょう
やっぱ執権の権力を強くしなければよかったかも。
お前が将軍??😂て笑われて終わり
京都の公家社会からしてみれば北条家なんて田舎の土豪みたいなもん。
藤原氏が天皇になるようなものだよね。
さすがに反対論がわくのではw
小田原北条氏と関係あってほしかった。ちょっと寂しい。
後北条氏と伊豆の北条氏に関連が全くないわけじゃなくて、一応北条氏の中先代(時行)の子孫である横井氏繋がりではあるみたいですね。