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ナポレオンは「真に恐ろしいのは、有能な敵ではなく無能な味方だ」と言った。牟田口廉也にピッタリな言葉だ。作戦の失敗の責任を部下に擦りつけるのは、指揮官が一番やってはいけない事だと思う。
共通ですね
無能な味方ののトップが軍中央。帝国陸軍万歳してるネト民もみかけるけど
約10分という「手軽に視聴できる」時間にも関わらず牟田口という一軍人の生涯、インパール作戦の地形、日英の戦力、作戦推移、結果まで様々な側面に焦点を当て解説をされており、大切な箇所を選択し、一つの動画を作成するという技量の高さに尊敬いたします。また、当時の軍人のエリートコースを歩んで生きてきた「優秀なはずの」牟田口という男が作戦対象地域の川の存在すら満足に認識をせず「四足歩行の動物が川に流される」という誰もが当たり前に把握している事実に気が付くことができないという「思い込みの愚かさと恐ろしさ」をこの動画を通じて改めて知ることができました。良い動画をありがとうございました。
こちらこそご視聴ありがとうございました!他の動画も見てみてくださいね!
仕方がない様々な要因もあったのでしょうが、それらを加味しても無能だと思います。また作戦を後押しした司令部も同罪です。人の命をなんだと思っているのか
戦時中にでは撤退!!といえますかね…
それな
牟田口と辻は、日本人(復員兵)の手で裁いても良いぐらいの愚将でしたよ。
こいつらにとって二等兵は牛や馬と同じですよ敵の陣地を突破するのに5000人死なせれば突破出来るとか普通じゃないんです普通は味方の損害を出来る限り抑えて敵のどれだけの損害を与えて撤退させるかというふうに考えるのですが、こいつらは自分の部下を何千人何万人犠牲にすれば勝てるいわゆるパチンコのアウト迄の右左みたいに人の命をパチンコ玉の様に考えていたのです
人を資源のように捉え大量に消費する。それが愚かな戦争という行為なのです。
思い込みの怖さを感じさせられた。しっかり事実を確認して冷静に判断する大切さ、肝に銘じます。
それが1番大事です
父方の祖父の叔父がインパール作戦で連隊長(最終位・陸軍少将)として参加したそうですが「河が血で染まった」「あれは失敗だった」と祖父に言ってたそうです。戦後は(岩手県の遺族会副会長)戦死した部下の家をまわってお経を上げていたそうです。
エグいです
お経をあげたのは叔父ですか?牟田口ですか?
@@st5599 叔父ですよ
@@TheWashida20 部下の責任にするくらいですからね。神風特攻隊の大西瀧治郎は終戦と同時に若い命を散らした責任をとって自害したのに。
自分の家族の命を無駄にして自分は無事に帰還した部隊長がお経を上げにくるって、遺族はものすごく複雑な思いだろうな。。。もし「あれは失敗だった」なんて言葉を聞いたら気が狂いそう。誰のための罪滅ぼしなのか考えさせられる話でした。ありがとうございます。
家畜が流されてしまって作戦が破算・・・ギャグかなにかか?と思えるほどの愚策だったんですねえ
実際の戦地ではホント笑えないです
NHKでもやってましね。とても評価するに値しない作戦でした。と言っても開戦そのものが間違っていたのでこの人一人を悪者にしてもいけません。現場を知らないエリート官僚、今にも通じていますね。
その見方も正しいと思います
開戦しなきゃ何もしなく奴隷でしたよね
@@user-mk5mj6or6r そんな事はありません。実際、敗戦後も奴隷になっていません。
第二次世界大戦で、日本軍はビルマ国境に近いインドにおける中国への支援のためのイギリスの基地、インパールを攻撃すべく作戦を展開した。インパールには三方面からの攻撃が行われ、アラカン山脈を越えてのルートを担ったのが第31師団烈兵団で、その師団長は山形県庄内町出身の佐藤幸徳中将だった。しかしこの作戦は当初より無謀さが指摘されており、佐藤は作戦前に、第15軍の会議にて補給の困難を主張。第15軍司令部に作戦中の補給量の確約を求めた。同師団は、20日分の食料と重装備の兵器を担い、峻険な山岳地帯を踏破、インパールの前哨基地であるコヒマを攻略したが、航空機と大戦車部隊に援護されたイギリス軍の反撃に遭い、雨季のジャングルでの戦闘が二ヶ月も続いた。しかし作戦開始後、食料、弾薬は補給されず、第15軍司令部は、「これから送るから進撃せよ」などと偽りの電報を送り続けただけだった。この間、傷病兵も2千人を超え、雨のジャングルでの赤痢やマラリヤ等の病気との戦いも極限に達した。佐藤師団長はこのままでは全滅は不可避と判断し、「善戦敢闘60日におよび人間に許されたる最大の忍耐を経てしかも刀折れ矢尽きたり。いずれの日にか再び来たって英霊に託びん。これを見て泣かざるものは人にあらず」と打電し、その責任を一身に負い、食料、弾薬の補給できる地点への撤退を命じた。しかし、雨季のこの撤退行動は悲惨を極め、そのルートは戦後「白骨街道」と呼ばれた。この撤退行動の際に、ビルマ方面軍にも、「でたらめなる命令を与え、兵団がその実行を躊躇したりとて、軍規を楯にこれを責むるがごときは、部下に対して不可能なることを強制せんとする暴虐にすぎず」「作戦において、各上司の統帥が、あたかも鬼畜のごときものなりと思う……各上司の猛省を促さんとする決意なり」「久野村参謀長以下幕僚の能力は、正に士官候補生以下なり。しかも第一線の状況に無知なり」「司令部の最高首脳者の心理状態については、すみやかに医学的断定をくだすべき時機なりと思考す」などと激しい司令部批判の電報を送った。これは、師団長と言う陸軍の要職にある者が上官の命令に従わなかった日本陸軍初の抗命事件であった。この作戦は中止され、佐藤は師団長を解任され、作戦に参加する3師団すべての司令官が更迭される異常な事態になった。もとより佐藤は死刑を覚悟しており、軍法会議で第15軍司令部の作戦指導を糾弾するつもりであったという。引用元 : mitinoku.biz/hist_walk/hist_yamagata/?p=1041
詳しくありがとうございます
引用読ませていただきました。旧帝国陸海軍は当時最大の官僚組織だったとすれば牟田口など軍令部に続く愚将どもはおそらく現在の佐川理財局長のような人物だったんではないでしょうか、悪くて狡くて自己中な、
勉強になりました。現場の優秀な指揮官さすがです。それにしても状況があまりにも惨すぎる、そのような逸話を知るにつけギャンブル依存症のような面持で数多の将兵の御霊をパチンコ玉のように扱った奴らは許せません。
大岡昇平の野火に出てくる様な惨状だったに違いない。上に立つ人間は誰を見ているかが問題です。今の首相も一体誰を見ているのだろう?
野火また読みたいです
日本軍が劣勢になっている状況(特にイギリス軍は航空戦力の投入により補給線を確立してから長期戦が可能になっていたそう)なので『じり貧』になるよりは前線を前に持っていく戦略は理解しますしかし、戦争で日本が一番軽視した『補給』をさらに無視したのは部下の無能とは考えられません補給線を立て直すのも仕事だと思います検証をした番組でもありましたが作戦に反対した将校に参謀らがよってたかって『それでも男か』『大和魂はないのか』などと言ってたらしいので負けるべくして負けた作戦だと思います日本海軍の井上茂美中将が東郷平八郎の名言に一石を投じたように作戦前に黙らせる一言を言ってくれる将校がいたら… と思ってしまいますね(命令に背いて撤退した師団長がいたけど敵の前線まで迫っていた時だったので…)知恵や体力、武器などを使って勝てない時に最後に支えるのは『根性』だと思うのですが 最初から根性をアテにしてる指揮官こそ無能では?と思います(私の前の会社の上司がコレなタイプでした)
最後に支えるのも、知力と体力です。死人は根性では起き上がりませんよ。
牟田口達は5000人ほど殺せばこの作戦は成功するなどの考えを言っていたと聞きました。この殺せばというのは敵兵のことではなく日本兵のことを言っていたらしいので日本兵のことをただの消耗品と思っていたのかと。上であげた作戦がインパール作戦のことかは記憶が定かではありませんがどちらにしろそのような発言をする牟田口は無能でしかないと思います。牟田口を愚将と声を大にして言える平和な時代に生まれたことを幸せに思います。
当時は誰もそうとは言えなかったんですもんね…
インパール作戦の悲劇は牟田口廉也中将の独断専行に依り強行された無謀な作戦と語られていますが、実行不可能な作戦と判りながらも、誰も作戦の中止・暴走を止められ無かった日本の政治、軍事構造自体に一番の問題・欠陥が有った事だと思います。また、現在の日本の政治構造も当時と全く変わっていない事が本当に恐ろしい事かと思われます。(今のコロナ対策も然り。政治家も役人も根本的な対策も取らず、思い付きの場当り的な対応で、血税をバラまくだけ。結局そのツケは未来の子供達に背負わされるのでしょう。)
それが正しい見方のような気はします
・過去の成功体験に固執する・相手の情報に疎い・現場を知らない・精神論このあたりの問題は現代にも通じると思います。自分も反省します。
素晴らしいことだと思います
今日もいい勉強になった。ありがとう!牟田口だけに無駄口を言わずに戦え!と命令したのでしょう。スラムダンク田岡茂一を見習えと言いたいですね✨
田岡茂一 名言「敗因はこの私!!」「綾南の選手たちは最高のプレイを した!!」 だからです。
スラムダンクも読んでみたいです
ここで学ぶべきは牟田口が無能だということではなく、優秀とされた人がいつでもどこでも優秀だとは限らないということ。所謂エリートであり、作戦や計画を成功に導いた実績もある人間でもとんでもない間違った判断をすることがある。エリートだからといって全てを肯定してしまうと大きな事件や事故につながる。
難しいですね
陸大卒なので優秀なのは間違いないのでしょうが現場指揮官というものは参謀の仕事と違い机の上ではなかったということですかね日本に限らず軍隊はいつも 現場のことを知らない指令部のお偉い方はおおいもんです
なんとかなりませんかね
いかに兵士を殺さずに作戦を成功させるのが指揮官なのに……
私も同感です。あの時代の負け戦に転じた日本軍幹部にとって、兵士の命の重さなどは重要ではなく、ただ目的を遂行すれば良いと大半の者が考えていたのではないでしょうか。国のために死んでいくことが、桜の花が散るように美しいという標語のように・・・・。 そして多くの尊い命が失われて行きました。
Kai Ushijima 日本軍はそう多くの車両を保有してなかったので人も大切な資源のうちの一つです。やはり温存するのは大事だと思います
そうなんですか?
始めにインパール作戦に反対した牟田口、彼この作戦がうまく行かないことはわかっていた、しかし、自分の保身のために次に言い出さず。決行された作戦、戦果をあげることだけにめを奪われた大本営、そして、死に物狂いの戦場を尻目に悠々と遊女に入り浸る上級士官たち。戦後、インパールに関わった士官は証拠隠蔽や責任の押し付け合いなど保身争いにヤッケになり、いろんな責任の押し付けに負けたのが牟田口だった。確かに人格に問題があったがイメージだけが一人歩きしよく知らずに批判するのは正しい見方だろかと思います
色々歴史を勉強できますね。ありがとう
それはあなたの学ぶ心があるからです。
@@donttellmearai 返事ありがとうございます😊
物凄くわかりやすいですね!いつもありがとうございます😌これからも応援させていただきます❣️
もし機会がありましたら伊藤博文や大隈重信の動画も出していただけると嬉しいです!可能な範囲でいいので☺️
ありがとうございます!
イチローもぜひやってください!
作戦提案当初、無謀との事で反論する司令長官クラスを2名更迭している。新任として就いた長官(佐藤中将)は、作戦実行中の約束(兵站支援)がちがうと戦線離脱している。佐藤中将は後に命令違反として軍法会議に掛けられ極刑も覚悟していたが、会議で作戦の実態を公にする作戦でいたらしいが、精神的におかしく成ったと処理され、極刑を免れたが事実を暴露する機会を失われている。牟田口さんとしては、終戦当初は若干反省の弁もあったらしいが、後にイギリス側元将校から手紙を受け取り、「我々もギリギリだった」的コメントに注目し、その後インパール作成の肯定かを始めたらしい。知り合いの元自衛隊関係者(定年により退官)から伺いました。その方は祖父は、作戦に参加し白骨になられてるそうです。牟田口・・・ではなく、むだぐち・・というらしい。
すごい!!貴重な情報ありがとうございます!
むーさんは自己の利益の為に社員を扱き使うブラック企業の部長かな(苦笑作戦に助兵衛根性を入れると必ず失敗する。
その呼び方wwww
まさにあなたの言う通りです。
とても教訓深いお話、ありがとうございました。以前、NHKか何かのスペシャルで見た番組を思い出しました。★この動画を見て、終戦時の沖縄県最後の官選知事・島田叡(あきら)とその前任者・泉守紀(しゅき)の物語を思い出しました。前任者・泉のコス狡(ずる)さ、そして島田の高潔さ!!!多くの人たちはこのエピソードを知らないと思うので、ぜひ動画にしてこの二人を紹介してください!!! できれば島田に同行した県警察部長・新井退造(たいぞう)や沖縄駐留の第32軍参謀長・長勇(ちょう・いさむ)、同じく第32軍司令官・牛島満(みつる)との最期のエピソードなども織り交ぜて紹介してくれたら嬉しいです!!!どうぞ宜しくお願いします!!
ありがとうございます!検討しますね
@@donttellmearai :ぜひ、実現してください!!! 終戦時の沖縄最後の官選知事・島田叡(あきら)の物語は、死と迎え合わせの状況を承知の上で沖縄に赴任し、どのようにして沖縄住民の犠牲を少なくするかに苦心した、心優しい本土出身の知事の最期までの男の生き様です!! もっと多くの人たちに、島田叡について知って欲しいです。
牟田口廉也を見てるとピーターの法則がピッタリ当てはまりますね。師団長レベルまでは有能でも戦略を考える参謀や軍司令官の能力がなかったのではないでしょうか。牟田口の上司である寺内寿一も同じです。
我是中国人,非常感谢楼主的解说,让我了解了这段历史。😃👍
時期が不明ですが、ビルマから帰ってきた人の話、川を渡るときに兵隊が流されて、助けてくれーと言っても誰も助けない。助けていては自分が死ぬ。牛を持って牛車で移動した部隊は生き残って、牛の無い部隊は全滅したと言ってました。
悲惨です
「アホな大将敵より怖い」のお手本みたいな人
たしかに
@@donttellmearai 馬鹿な政治家国ほろぶ!
起死回生の作戦を打つこと自体はよいと思いますが、失敗する可能性が高まったときに撤退を選択すべきだったと思います。リスク管理できていないという理由で無能だと思います。
それをさせない雰囲気だったのでは?
インパール作戦での佐藤師団長だけは、過剰な精神主義に囚われない、まともな人間でした。死刑覚悟で自軍の兵を撤退させた。
あきああきあ 仰る通りです。佐藤師団長は英断でしたね。一方の河辺参謀長は牟田口廉也同様来世は水牛か鹿にでも産まれて頂いてコモドドラゴンのエサになってもらいたい。
佐藤師団長の部隊は最も補給が困難な部隊でしたからね…(ジンギスカン作戦をやってたのもこの部隊)あと軍隊において無断で撤退は絶対に許されません。戦線の崩壊を招きより多くの戦死者を出すからです。場合によっては銃殺刑です。だからこそ佐藤師団長はすごいんですけどね、部下のために自分が死ぬことを選んだんですから
牟田口中将は盧溝橋事件の時からヤバイので、日本軍の愚将の代表で申し分ないが、インパール作戦でコヒマを占領した事はインド独立の礎となった。なので、牟田口中将とインパール作戦の将兵は別々に扱う必要がある。特に殿を務めた宮崎少将は、英軍とソ連軍に日本軍随一の野戦司令官と称えられた程。
なるほど
牟田口より自分の判断で撤退し多くの命を救った佐藤司令官を評価すべき牟田口は今のブラック企業の自分の失敗を部下に擦り付け隠蔽するブラック上司そのもの戦後も反省も謝罪もせず部下のせいにしたのは最低
今もいるのいやですね
上官の命令に背いたという理由で佐藤師団長を更迭しましたねそればかりか、軍法会議にかけた時に自分達にとって都合の悪い事を供述されては困るので、牟田口の上部機関の幹部達が、師団長を心神喪失として予備役に編入してしまいました
@@patariro1964 佐藤だけでなく 山内、柳田の当初の師団長全員をクビにしましたから佐藤は張鼓峰事件では連隊長として勇猛果敢であった山内は米陸軍大学を出たアメリカ通の逸材柳田は陸大では軍刀組の逸材牟田口は 15軍司令官になったとき 貴下の三師団長がいずれも優秀なので いたくご満悦だったんですがね
インパール作戦聞いただけで頭痛が‼️
何という
@@donttellmearai 上級の将校殴ったら下士官、兵隊の統率どうなるんですか?
花谷将軍と共に人間は学歴じゃないいい例だと思う。てか盧溝橋事件の連隊長だったのはいれてないですね、次は根本博とかどうです?
調べてみますね
大和魂を牟田口が言うな。大日本帝国軍の上層部は一体何人の日本人を殺したのか。味方の酷い作戦によって無駄死にした。悲しい過ぎる。
牟田口「イギリス軍は弱い」人間は成功体験から必ず失敗する。
必ずではないです
牟田口姓が叩かれる所以・・・・何かの本で読んだことある
思い出して!!
不思議なのは1万人もの多数の兵士が帰っている勝ってもいないのに生きて帰ってくること許されなかったと思う牟田口含め、最後の一人になるまで戦わなかったのか撤退でよかったのでしょうか
NHKスペシャルで、インパール作戦の記録を扱うドキュメンタリーをやっていましたね。そこでしかインパールを学んでいませんが、同ドキュメンタリーでは、一番の問題は、何万という兵士の命よりも上層部の責任回避やエリートの出世を重視する当時の組織構造にあったとしていますね(当時というか、今もそうかもしれないが)。何万という命が失われても作戦が成功すれば、上層部やエリートの手柄になり、失敗しても、誰も責任をとらず、ややもすれば牟田口氏のように、部下を無能と罵る(たぶん、コヒマを放棄した佐藤師団長のことを言っているのだと思いますが。)。牟田口氏も組織構造の一部に過ぎない(だから、マレー作戦で手柄を立てたとかで、名将ということも絶対にあり得ない。)ですが、そのことに気づけず、部下を無能と罵り続けながら一生を終えたと、愚将とか以前に、単に哀れな人間としか言えないです。
確かに、人一人の問題というよりは、構造の問題なきもします
インパール作戦には優秀な軍人が参戦していたそうです。烈師団の名将、宮崎中将、勇敢に戦って玉砕した弓師団の山守大尉については、英印第7師団長が弓師団の作間連隊長に、このときの戦況をかたり、じつに勇敢な隊長であった、と激賞を惜しまなかったそうです。私は体をはって、命をかけて戦っていただいた方たちを忘れることはありません。
ジンギスカン作戦は銃弾だけでは到底成し遂げられない日本軍を短期で大量に壊滅させるという意味で(日本の敵にとって)実に効率的で極めて優秀な作戦だったと言える。牟田口にとってそれは人生の中でも最も成功した作戦だといえるだろう。
皮肉ですね
牟田口は政治的な問題で一回飛ばされてそこから実力で返り咲いたのもあってプライドが高かったのでしょう、インパール作戦は牟田口が考案した物と言われていますが、牟田口が考案する前に一度立案されたことがあります、そして牟田口はそれを徹底的に排した過去もありますインパールは牟田口の失態ではなく牟田口含む陸軍全体の失敗と言って過言では無いでしょう
そうなんですね…お詳しいです教えてくださってありがとうございます
この牟田口司令官は蘆溝橋で中国と戦った時の連隊長で、戦争を始めた自分が戦争を終わらせたい気持ちが強かったらしい。その結果が無茶なインパール作戦。
それでは終わらないと思いますけどね…
二十一号作戦についても触れて頂きたかったです。これを42年に廃案に追い込んだ経緯から牟田口は北インド侵攻作戦における兵站の無理を承知していたということがわかります。それに牟田口の自動車補充の要請をほぼ断った形の南方軍や戦局打開の為に躍起になって作戦指導をする大本営等、牟田口などの一介の中将が頑張った所でどうしようもなかったというのが現実だったのではないかと思います。そして最低でも緬甸方面軍司令の河辺大将か南方軍の総参謀長清水中将、総参謀副長稲田少将あたりが強硬に反対したりしない限り作戦は大本営の意思によって強行されていたのではないかと思う次第です。
浅井解説になってしまいました申し上げございません
いえ、こちらこそ知ったような事を並べて恥ずかしい限りです。非常に簡潔にまとまった良い解説だと思いますし、これから勉強する人にとっては役に立つ動画だと思いますのでこれからも頑張って頂きたいです。
@@donttellmearai 浅井作戦というのも今度解説してほしいです!
インドの密林で餓死、マラリア、赤痢なんて想像するだけで辛くなります…(>_
選挙行きましょうね
マレー作戦での成功体験で、特に手榴弾で負傷しても自分が指揮をとって成功した体験から、根性論で何とかなると思っちゃったんだな。
うーむ
マレーの時はまだイギリス軍も近代化された兵装をしてなかったもうインパール作戦の時は大型戦車やら航空機輸送など機械化・近代化していたにもかかわらず日本軍は日露戦争当時の歩兵銃とショボイ火砲で突撃させたらノモンハン事件の二の舞になるのは当然だった例え補給が完全であったとしても到底勝てないこれに気づかなかった牟田口は兵学校にでも隠居させるべきだった
38式歩兵銃は日露戦争では使用されていません。日露戦争で使用されたのは30年式歩兵銃です。それに38式は世界的に見て劣っているわけではありません。航空機による輸送も、日本軍に包囲された時に補給できるよう、イギリスが研究した成果です。
@@akibanokitune らしいよ。お前ウソついたんか?
陸軍省と参謀本部は別物です。陸軍省は内閣に所属する組織で軍政(主として予算、人事)を担当しており、参謀本部は大本営(天皇直属)に直隷する組織で軍令(主として作戦)を担当していたと認識してます。せっかく勉強になる良い動画を多数作成頂いてますので、「事実」として表現可能なものは事実を語って頂きたいです。インパール作戦については立案・実行当時も兵站に問題あり、と指摘があった作戦ですので「合理性」に反した作戦だったと思います。グダグダと述べさせて貰いましたが、今後も動画アップを楽しみにしてます!
そうなんですね…ご指摘ありがとうございます
確かに牟田口氏だけがでは無かったようにみえます。旧日本陸海軍は第一次大戦以降は体質がかなり役人根性が強まり軍幹部は結果責任が問われないシステムが出来てしまった、故にとかく現場末端に負担を負わす発想を日常化させてしまった。
末端が一番負担というのはどの組織でも同じだと思います
@@donttellmearai 御中しかし当時の旧陸海軍は度を越しています!
日本はこういう国だという事をよく象徴しているんじゃないですか。今の政治家、官僚も変わらないでしょう?
どの辺がでしょうか?
@@donttellmearai 全てにおいて
この方はインパール作戦の時、だいぶ後方から作戦指導してたし、戦況が悪くなったら、1番に逃げ出した記憶があります。
そうなんですね
当時現場におられた方ですか?
その時、私の兵士たちが弱くて負けたのだ。 私は何も悪いことはない。シバルノたちよ!
指揮官としてあたりまえのことでしょう陸軍大学をでたエリートと、寄せ集めの駒では、駒が前に出るのは普通なのですがね。指揮官に前線に出ろと?社長に、おまえも営業に飛び回れと言うようなもの一番に逃げ出してよいのです。低学歴100人いても弾よけにしかならんよ高学歴を弾よけにするなんて戦時下でできるわけない現代の常識で過去の認識を語るのは愚か
そのだいぶ後方にあった司令部で、芸者遊びにうつつを抜かしていたらしいです
長谷川町子(サザエさんの作者)もこの作戦で義兄を亡くしている。町子の姉と結婚して1週間でこの作戦で亡くなったとか。妹が数少ない存命中のインパール作戦の兵士の遺族。本当にこの三姉妹からすれば牟田口が自己弁護していたり、天寿を全うしたことが、どれだけ腸が煮えくり返りそうだったのか、想像を絶すると思う。
初めてこの方の動画を見たのですが。なんか学校の先生のような喋り方でとても良いと思いました。今の時代は勉強でも興味があると思えば。インターネットで調べる事が出来ます。チャンネル登録致しましたd( ̄  ̄)
盧溝橋の話も牟田口のメンタルを理解するには重要ですよね。
その辺は満州事変の動画を見てほしいです!
やはり作戦の指導者として失敗だった。多くの兵士を死なせたということに対して謝罪の姿勢を示すことが大事だったと思います。
インパール作戦なんでやったのか?僕のおじいさんの弟がインパール作戦で戦死してます無念だったろうなぁ( ノД`)シクシク…
私の祖父は学徒出陣してビルマに居ましたが、インパール作戦開始前にカンボジアに転任して命拾いしました。
無念ですよね
チャンドラボース辺りから調べたら背景見えてきますよ?牟田口が立案、南方軍司令官の寺内が黙認、大本営がチャンドラボースのインド独立(大東亜共栄圏)等色々絡んで作戦決行って色々ヤバイんですよ。インパール作戦自体が
某大手広告代理店のようで面白かったです。
どのへんがですか?
やはり戦争で一番難しいのは引き際ですね。
ノモンハン事変で日本軍と戦ったソ連のジューコフ将軍の日本軍評価は、兵士レベルでは極めて勇敢であるが、軍上層部は無能と評価し、本国に報告している。
牟田口廉也さん。知りませんでしたので勉強になりました。取り扱ってくれてありがとうございます!
こちらこそご視聴ありがとうございます
軍人の最後が戦闘で死ぬのではなく餓死とか病死って。。軍人なら軍人らしい最後で終わりたい
軍人らしい最後なんて全く人間らしくないです
部下を何万人も殺して、普通なら責任とって切腹するだろうに。
責任とって切腹して事態は好転するんですかね
本当の敵は、相手国ではなく、自国の司令官ムタグチだったという事実。功名心に支配された上司に部下が壊される、というのはどこでもあること。それにしても、作戦の失敗は部下のせい、と言うあたりは、本当の真性クズ。
難しいもんですね
牟田口は本当はイギリス軍だったかもしれませんね。イギリス軍にとってはありがたい気持ちでしょう。的にしてはある意味有能だったのかしら。だから戦犯にならなかったんだな。部下が無能だと言う責任のなすりつけは最低だな。レンヤが幾ら上官でも殺したかったでしょうね。
言葉遊びですね
もう牟田口食べればよかったんや
人肉は筋張っておいしくないです
つうかこの動画の広告に売国奴の息子がうまそうに炭酸水飲んでる動画入るのは牟田口とかけてるのか?非肉か?
勇敢で思いやりのある者たちは戦いで亡くなり、こんなのが生き残った…その結果が今の日本。今の日本を戦いの中で亡くなった人が見たらどう思うことでしょう。
牟田口の葬儀の時に牟田口の子孫は牟田口は悪くないというパンフレットを参列者に配布したという
それは草
何をどう選択しても最悪な結果しかない戦いに向かって行った牟田口と部下に文句を言えるほど今の人間は立派ではない。ただ、このような無能に終わった作戦を二度としないようにするために勉強することが、現代という甘ったれた時代に生きる自分たちができる唯一のことだと思う。
そもそも戦争が起こらないようにすることでは?
“紙上談兵”、まさにそれですね。
そんな言葉が
インパール作戦は、インド側から、別の評価をされている面もあるので、一概に無謀な無意味な作戦だったとは言えないですが、牟田口に関しては、同じ敵前逃亡で、同列に挙げられる冨永共々、評価はできません。彼を戦争の被害者とするなら、硫黄島で散った栗林忠道や、沖縄戦の牛島満も同列になってしまいます。最後に亡くなってるからではなく、ただただ、無駄に部下を死なせたのと、なんとか防戦をしつづけようとした違いがあります。ただ、当時の生きて虜囚の辱めを受けずとした『戦陣訓』が、無駄な死者を増やしたことは、否定できませんが・・・
食料は敵から奪え!弾がなくても銃剣で戦え!足がやられても口で噛みつけ!それが当たり前と思うなら、最初から家畜なんて連れて行く必要がないんです。銃剣、又は剣だけで戦いに行けばいいんです。その方が行軍速度が落ちない。でも、それだと無理だと分かってるから、ジンギスカン作戦を考えた訳ですよね?なので、ジンギスカン作戦は失敗したが、その失敗を認めたくない、報告したくないから、途中から根性論にすり替えて部下に無茶振りしたってところですかね。己の失敗を多数の部下の死で取り繕おうとしたけど、それすらも失敗したって感じに見えます。日本史上に残る無能というより、日本史上に残るクズって言葉が似合いますね。
ただただ、部下を殺したかったわけではないと思いますけどね。
このチャンネル凄く面白いね。本当に為になるよ。
ほんとですか!嬉しいです!チャンネル登録しておいてくださいね
えーと牟田口さんも戦後、最初は反省していた(あるいはしていたふりか)らしい。それが戦後、インパールの相手指揮官に手紙を出したら「こっちも危なかった。ひとつ間違えばこっちが完敗だった」という返信をもらってからは態度を急変、国会図書館に、その旨(求められてもないのに)録音させた。死後「自分は正しかった」という文書を予め作っておいて葬式出席者に配ったんだよね。有名な話だが、知らない人のために書いておくわ。
牟田口はまさに当時の日本軍の象徴的な人物に感じる「引くに引けなくなってしまった、、戦争の終わらせ方がわからない戦争の終わらせ方が下手すぎる最終的に根性論にはしる」こういう感じの典型的な人間だと思う
戦争の終わらせ方なんて牟田口がどうこう言える状態ではないと思います
私の祖父が戦後一年後ラバウルから帰国しました。祖父はパイロットではなく地上部隊だったと思います。祖父が他界しておりラバウルの戦況等解説があれば祖父の軌跡を少なからず分かると思います。ラバウルは航空隊と水木しげる先生の話はよく聞くのですが地上部隊の講釈があれば大変うれしいです
ドンパチで死んでいった兵士より、餓死や病気で大勢が亡くなったこと。インパール作戦と言う呼び名だけじゃなく日本名でのウ号作戦との説明も入れて欲しかった。
ごめんなさい。
沢山の将兵を死なしておいて、何で自決しなかったんだろう
兵士を駒だと思っていたのでは?
失敗=自決みたいな考えが大失敗する前に修正しようとする考えを無くすんじゃないかなと思うわ
牟田口、どうなんだろうな、、参謀になるって事は努力家で優秀で結果を出していたのは間違いないと思うが、、ジンギスカン作戦で家畜が流された時点で引き返せたら傷は浅かったろうに
じゃあここでやめます!って言えるような状況ではなかったと思います
インパール作戦の目的は、中華民国軍への物資の援助をするルート(援蒋ルート)の遮断です。当時ビルマ防衛すら危うい日本がインド攻略など不可能です。インパールへの攻勢に賛同した南方軍総参謀副長稲田正純中将の言葉「ビルマ方面軍がじっとしていれば今の兵力では手も足も出なくなるであろう。内線作戦の原則どおり所要の方面で局部的な攻勢を取ることは当然であろう。しかし、この攻勢は間違いのない確実な方策によらねばならぬ。上手くいかぬ時は適宜作戦を中止するとか、その他の手段に転じ得るような弾力性のある方策が必要である」
そんなこという人もいたんですね
原爆はだめだけど日本は戦争に負けてよかったよ、もし万が一でも日本が勝ってたらこんな将軍が大量に生まれてたと思うとゾッとする
負けたことで失ったものもでかい
真実は大川先生に聞くしかないですね
大川隆法ですか?
戦争が如何に愚かなことかを教えてくれた名将です。次は辻政信をお願いします。
勉強になります。他のコメントで、ものすごくわかりやすいたらこ唇と言ってしまいすみませんでした。過去の業績を成し遂げた偉人の話はとてもためになります。ぜひ興味がありましたら、ビジネスパーソンもよろしくお願いします。視聴者の幅が広がると思います
謝るくらいなら言わないでください。僕は大丈夫ですけど、傷ついて自殺しちゃうクリエイターとか沢山いるんで、気をつけてくださいね。
@@donttellmearai 謝るくらいなら言わないで vs 言ってしまったから謝る反省したあとに怒られる怒られたあとに、自分の謝り方が軽かったと気づく。誤ってきた人には謝るくらいなら言わないでくださいと言うのが正解ですね
インパール作戦での最大の戦果は、インドの独立という歴史的快挙なのだが、なぜか、日本軍の戦術的失敗ばかり話題になる。ウォーギルドインフォメーションブログラムのなせるわざだねえ。
牟田口廉也という無謀な作戦を指揮した無能な軍人は、同じ日本人として恥ずかしい存在です。丁寧な解説ありがとうございましたm(_ _)m
ってか戦争が終わった後に牟田口に復讐してやると考えて実行にうつした人間が「ただの1人もいなかった」という事に驚く1人も実行しなかったのは結構マジでびっくりするなあ
そんなことよりも一人一人生きるのに必死だったんだと思います。復讐なんて豊かな人がやることです
@@donttellmearai そうかな?ドイツではヒトラー暗殺が何回も試みられたし、ナチスは追放された。日本人は、、、、
戦国時代は優秀な武将居たのに日本は近代に成ると劣化するんかい。
どうなんですかね
責任を取らない、取らせない、敵を作らない利口な組織、和の国日本。現代の会社に続く。失敗したら部下に押し付け。銀行を見よ。
投稿主さんもコメントで牟田口を叩いている人も、もう少し広い視野を持った方が良いと思います。
日本の敗亡に努め、日本軍の除去に努めてください、牟田口廉也将軍ありがとうございます。
動画を拝見させて頂いていくつが質問があります・インパール作戦の立案は牟田口ではないのではないでしょうか?最初に立案された時に牟田口は大反対したのではないのでしょうか?・インパール攻略の目的はインド攻撃の拠点設置ではなく援蒋ルートの遮断、大陸打通作戦の陽動作戦が目的だったのではないのでしょうか?・兵站の説明で自動車による物資補給ができないとおっしゃっていますが、最初牟田口は大本営に自動車中隊や軍馬などの増援を要求していたのではないでしょうか?・その輸送用の増援がほとんど送られてこなかったために、現地で調達可能な牛などを輸送に頼るしかなかったうえでのジンギスカン作戦だったのではないのでしょうか?・インパールへの進路の過酷さで進軍は山とジャングルしかないようなご説明ですが、国境南部には自動車道路が整備されていたのではないのでしょうか?動画を拝見しての疑問点を述べさせていただきました。失礼しました。
まさに「机上の空論」を 実現しようとした ある意味貴重な愚将。
やらないと分からないですもんね
@@donttellmearai 現場をしらずに地図だけをみて「いけんじゃねぇ?」的な感覚。今のブラック企業に相通ずる思考。「現場を知らずに数字で 判断する」・・・頭のいい うぷ主さんこんな人にならないで欲しい。下々の人の気持ち 生活の分かる人になってくださいね。
南方軍参謀の吉川少佐曰く「この作戦が如何に無謀なものか、場所を内地に置き換えて見ると良く理解できる。インパールを岐阜と仮定した場合、コヒマは金沢に該当する。第31師団は軽井沢付近から、浅間山(2542m)、長野、鹿島槍岳(長野の西40km、2890m)、高山を経て金沢へ、第15師団は甲府付近から日本アルプスの一番高いところ(槍ヶ岳3180m・駒ヶ岳2966m)を通って岐阜へ向かうことになる。第33師団は小田原付近から前進する距離に相当する。兵は30kg - 60kgの重装備で日本アルプスを越え、途中山頂で戦闘を交えながら岐阜に向かうものと思えば凡その想像は付く。後方の兵站基地はインドウ(イラワジ河上流)、ウントウ、イェウ(ウントウの南130km)は宇都宮に、作戦を指導する軍司令部の所在地メイミョウは仙台に相当する」なので地図だけ見てもアウトです。
インパール作戦の戦後の戦史編集時にかなりの改竄があり、つじつまが合わないことが多いです。大本営が作戦計画、遂行を行い、失敗した責任を現地司令官である牟田口中将にとらせた可能性もあります。その後の戦史編集時に改竄すれば完全犯罪出来上がりです。特に、師団長の解任は牟田口中将の権限では出来ない事であり、明らかに上層部の命令だったと思います。牟田口中将は作戦にあたり、大規模な兵站部隊を上層部に要求しています。また、二十一号作戦計画時に補給が不可能として猛烈に反対して作戦を中止にいています。芸者遊びの話しも記録や証言は有りません。この時期は牟田口中将自体も前線近くで戦闘指揮をしているのであり得ないと思います。作戦開始前後はイギリス軍を手玉にとっています。制空権は敗走時の話しで、作戦遂行中は拮抗状態にありました。イギリスでも高く評価されている作戦で英軍もギリギリの勝利と言っていまし、作戦開始が1週間早ければ、英軍が白骨街道を作っていたと言われてます。戦後の戦史改竄の為、真相がわからないのが残念です。ただ、1つの私の意見としては牟田口中将は上層部と現場に挟まれ、上層部からは進撃命令。前線からは退却具申、補給要請、そんな中で苦悩しながら指揮していたかもしれません。
なるほどそういうことだったんですね、調べていて?となることが多かったのですっきりしました。ありがとうございました。
@@donttellmearai さんインパール作戦には関してだけではなく、戦後の戦史編集時に関わった方の自分の失敗や周りの方や上官などに気を使って他の人間に責任をなすりつけたりして、責任回避や逃れをしています。海軍でしたら作戦参加艦艇の戦闘詳報が読めればある程度信憑性がある行動記録が取れます。ひょっとしたら、ミッドウェー海戦で有名な南雲忠一司令官もそれに当てはまるかもしれませんね。
日本はなぜ400年前に人は石垣、人は城と言った名将にまなはわなかったのか、またおのれの欲のために戦わなかった謙信公に学ばなかったのは残念です。
途中の手榴弾の被弾の英雄譚が本当に後の周囲の判断の足を引っ張ったなあ、、
人生分からんです
たらればですが、スリランカからいったらどうだったんだろう。
ワカランカ
インパールとビルマを今日覚えました。それぞれ、ネパールとミャンマに名前が似てますね。語源から知りたいですね〜スタンとかも知りたいです
その抑え方すごく良いと思います
牟田口は想像していたとおりサイテーの指揮官ですね。彼に親戚を殺されたとかというのではないですが、あんなバカで無能の男の指揮下で戦わざるを得なかった兵隊さんの無念さを思うと心が痛みます。
そこですよね
陸軍省、参謀本部、教育総監部は同列です。参謀総長と陸軍大臣は同格ですが陸軍大臣のあと参謀総長になる人は居ますが逆は無いはずです。
そうなんですね勉強になりました
現代でいう全世界人口の1%の超富裕層の発想のようですね。もう人ではありませんね。
荒井さん、最近の動画すごくいいよ。今回も勉強させていただきました。あっちゃんの真似なんかせんでいい、あなたには東大卒というあなたの武器がある。今後も学校やメディアで取り上げられない、日本人として知っておくべき情報を荒井さん流の解説力で斬ってください。期待しています。
ごめんなさい。東大卒じゃないんです…生配信のアーカイブ見てください
ぜひ つぶやきシローのモノマネもしてほしいですね
言うてインパール付近の道を制圧するまで良いとこまでいってたんだよな 日本兵すごいわ
我を押しきるのは指揮官として命を預かる者としてはいかん。時代や軍の風潮もあるとはいえ。
歴史から学べることは多いですね
ナポレオンは「真に恐ろしいのは、有能な敵ではなく無能な味方だ」と言った。
牟田口廉也にピッタリな言葉だ。
作戦の失敗の責任を部下に擦りつけるのは、指揮官が一番やってはいけない事だと思う。
共通ですね
無能な味方ののトップが軍中央。帝国陸軍万歳してるネト民もみかけるけど
約10分という「手軽に視聴できる」
時間にも関わらず牟田口という一軍人の生涯、インパール作戦の地形、日英の戦力、作戦推移、結果まで様々な側面に焦点を当て解説をされており、
大切な箇所を選択し、一つの動画を作成するという技量の高さに尊敬いたします。また、当時の軍人のエリートコースを歩んで生きてきた「優秀なはずの」牟田口という男が作戦対象地域の川の存在すら満足に認識をせず「四足歩行の動物が川に流される」という誰もが当たり前に把握している事実に気が付くことができないという「思い込みの愚かさと恐ろしさ」をこの動画を通じて改めて知ることができました。
良い動画をありがとうございました。
こちらこそご視聴ありがとうございました!他の動画も見てみてくださいね!
仕方がない様々な要因もあったのでしょうが、それらを加味しても無能だと思います。また作戦を後押しした司令部も同罪です。人の命をなんだと思っているのか
戦時中にでは撤退!!といえますかね…
それな
牟田口と辻は、日本人(復員兵)の手で裁いても良いぐらいの愚将でしたよ。
こいつらにとって二等兵は牛や馬と同じですよ
敵の陣地を突破するのに5000人死なせれば突破出来るとか普通じゃないんです
普通は味方の損害を出来る限り抑えて敵のどれだけの損害を与えて撤退させるかというふうに考えるのですが、こいつらは自分の部下を何千人何万人犠牲にすれば勝てるいわゆるパチンコのアウト迄の右左みたいに人の命をパチンコ玉の様に考えていたのです
人を資源のように捉え大量に消費する。それが愚かな戦争という行為なのです。
思い込みの怖さを感じさせられた。
しっかり事実を確認して冷静に判断する大切さ、肝に銘じます。
それが1番大事です
父方の祖父の叔父がインパール作戦で連隊長(最終位・陸軍少将)として参加したそうですが「河が血で染まった」「あれは失敗だった」と祖父に言ってたそうです。戦後は(岩手県の遺族会副会長)戦死した部下の家をまわってお経を上げていたそうです。
エグいです
お経をあげたのは叔父ですか?
牟田口ですか?
@@st5599 叔父ですよ
@@TheWashida20 部下の責任にするくらいですからね。
神風特攻隊の大西瀧治郎は終戦と同時に若い命を散らした責任をとって自害したのに。
自分の家族の命を無駄にして自分は無事に帰還した部隊長がお経を上げにくるって、遺族はものすごく複雑な思いだろうな。。。
もし「あれは失敗だった」なんて言葉を聞いたら気が狂いそう。
誰のための罪滅ぼしなのか考えさせられる話でした。ありがとうございます。
家畜が流されてしまって作戦が破算・・・ギャグかなにかか?と思えるほどの愚策だったんですねえ
実際の戦地ではホント笑えないです
NHKでもやってましね。とても評価するに値しない作戦でした。と言っても開戦そのものが間違っていたのでこの人一人を悪者にしてもいけません。現場を知らないエリート官僚、今にも通じていますね。
その見方も正しいと思います
開戦しなきゃ
何もしなく奴隷でしたよね
@@user-mk5mj6or6r
そんな事はありません。
実際、敗戦後も奴隷になっていません。
第二次世界大戦で、日本軍はビルマ国境に近いインドにおける中国への支援のためのイギリスの基地、インパールを攻撃すべく作戦を展開した。
インパールには三方面からの攻撃が行われ、アラカン山脈を越えてのルートを担ったのが第31師団烈兵団で、その師団長は山形県庄内町出身の佐藤幸徳中将だった。しかしこの作戦は当初より無謀さが指摘されており、佐藤は作戦前に、第15軍の会議にて補給の困難を主張。第15軍司令部に作戦中の補給量の確約を求めた。
同師団は、20日分の食料と重装備の兵器を担い、峻険な山岳地帯を踏破、インパールの前哨基地であるコヒマを攻略したが、航空機と大戦車部隊に援護されたイギリス軍の反撃に遭い、雨季のジャングルでの戦闘が二ヶ月も続いた。しかし作戦開始後、食料、弾薬は補給されず、第15軍司令部は、「これから送るから進撃せよ」などと偽りの電報を送り続けただけだった。この間、傷病兵も2千人を超え、雨のジャングルでの赤痢やマラリヤ等の病気との戦いも極限に達した。
佐藤師団長はこのままでは全滅は不可避と判断し、「善戦敢闘60日におよび人間に許されたる最大の忍耐を経てしかも刀折れ矢尽きたり。いずれの日にか再び来たって英霊に託びん。これを見て泣かざるものは人にあらず」と打電し、その責任を一身に負い、食料、弾薬の補給できる地点への撤退を命じた。しかし、雨季のこの撤退行動は悲惨を極め、そのルートは戦後「白骨街道」と呼ばれた。
この撤退行動の際に、ビルマ方面軍にも、「でたらめなる命令を与え、兵団がその実行を躊躇したりとて、軍規を楯にこれを責むるがごときは、部下に対して不可能なることを強制せんとする暴虐にすぎず」「作戦において、各上司の統帥が、あたかも鬼畜のごときものなりと思う……各上司の猛省を促さんとする決意なり」「久野村参謀長以下幕僚の能力は、正に士官候補生以下なり。しかも第一線の状況に無知なり」「司令部の最高首脳者の心理状態については、すみやかに医学的断定をくだすべき時機なりと思考す」などと激しい司令部批判の電報を送った。
これは、師団長と言う陸軍の要職にある者が上官の命令に従わなかった日本陸軍初の抗命事件であった。この作戦は中止され、佐藤は師団長を解任され、作戦に参加する3師団すべての司令官が更迭される異常な事態になった。もとより佐藤は死刑を覚悟しており、軍法会議で第15軍司令部の作戦指導を糾弾するつもりであったという。
引用元 : mitinoku.biz/hist_walk/hist_yamagata/?p=1041
詳しくありがとうございます
引用読ませていただきました。旧帝国陸海軍は当時最大の官僚組織だったとすれば牟田口など軍令部に続く愚将どもはおそらく現在の佐川理財局長のような人物だったんではないでしょうか、悪くて狡くて自己中な、
勉強になりました。現場の優秀な指揮官さすがです。それにしても状況があまりにも惨すぎる、そのような逸話を知るにつけギャンブル依存症のような面持で数多の将兵の御霊をパチンコ玉のように扱った奴らは許せません。
大岡昇平の野火に出てくる様な惨状だったに違いない。上に立つ人間は誰を見ているかが問題です。今の首相も一体誰を見ているのだろう?
野火また読みたいです
日本軍が劣勢になっている状況(特にイギリス軍は航空戦力の投入により補給線を確立してから長期戦が可能になっていたそう)なので『じり貧』になるよりは前線を前に持っていく戦略は理解します
しかし、戦争で日本が一番軽視した『補給』をさらに無視したのは部下の無能とは考えられません
補給線を立て直すのも仕事だと思います
検証をした番組でもありましたが作戦に反対した将校に参謀らがよってたかって『それでも男か』『大和魂はないのか』などと言ってたらしいので負けるべくして負けた作戦だと思います
日本海軍の井上茂美中将が東郷平八郎の名言に一石を投じたように作戦前に黙らせる一言を言ってくれる将校がいたら… と思ってしまいますね(命令に背いて撤退した師団長がいたけど敵の前線まで迫っていた時だったので…)
知恵や体力、武器などを使って勝てない時に最後に支えるのは『根性』だと思うのですが 最初から根性をアテにしてる指揮官こそ無能では?と思います(私の前の会社の上司がコレなタイプでした)
最後に支えるのも、知力と体力です。
死人は根性では起き上がりませんよ。
牟田口達は5000人ほど殺せばこの作戦は成功するなどの考えを言っていたと聞きました。
この殺せばというのは敵兵のことではなく日本兵のことを言っていたらしいので日本兵のことをただの消耗品と思っていたのかと。
上であげた作戦がインパール作戦のことかは記憶が定かではありませんがどちらにしろそのような発言をする牟田口は無能でしかないと思います。
牟田口を愚将と声を大にして言える平和な時代に生まれたことを幸せに思います。
当時は誰もそうとは言えなかったんですもんね…
インパール作戦の悲劇は牟田口廉也中将の独断専行に依り強行された無謀な作戦と語られていますが、実行不可能な作戦と判りながらも、誰も作戦の中止・暴走を止められ無かった日本の政治、軍事構造自体に一番の問題・欠陥が有った事だと思います。また、現在の日本の政治構造も当時と全く変わっていない事が本当に恐ろしい事かと思われます。(今のコロナ対策も然り。政治家も役人も根本的な対策も取らず、思い付きの場当り的な対応で、血税をバラまくだけ。結局そのツケは未来の子供達に背負わされるのでしょう。)
それが正しい見方のような気はします
・過去の成功体験に固執する
・相手の情報に疎い
・現場を知らない
・精神論
このあたりの問題は現代にも通じると思います。
自分も反省します。
素晴らしいことだと思います
今日もいい勉強になった。
ありがとう!
牟田口だけに無駄口を言わずに戦え!
と命令したのでしょう。
スラムダンク田岡茂一を見習えと言い
たいですね✨
田岡茂一 名言
「敗因はこの私!!」
「綾南の選手たちは最高のプレイを
した!!」 だからです。
スラムダンクも読んでみたいです
ここで学ぶべきは牟田口が無能だということではなく、優秀とされた人がいつでもどこでも優秀だとは限らないということ。
所謂エリートであり、作戦や計画を成功に導いた実績もある人間でもとんでもない間違った判断をすることがある。
エリートだからといって全てを肯定してしまうと大きな事件や事故につながる。
難しいですね
陸大卒なので優秀なのは間違いないのでしょうが
現場指揮官というものは参謀の仕事と違い机の上ではなかったということですかね
日本に限らず軍隊はいつも 現場のことを知らない指令部のお偉い方はおおいもんです
なんとかなりませんかね
いかに兵士を殺さずに作戦を成功させるのが指揮官なのに……
私も同感です。
あの時代の負け戦に転じた日本軍幹部にとって、兵士の命の重さなどは重要ではなく、ただ目的を遂行すれば良いと大半の者が考えていたのではないでしょうか。国のために死んでいくことが、桜の花が散るように美しいという標語のように・・・・。 そして多くの尊い命が失われて行きました。
Kai Ushijima 日本軍はそう多くの車両を保有してなかったので人も大切な資源のうちの一つです。やはり温存するのは大事だと思います
そうなんですか?
始めにインパール作戦に反対した牟田口、彼この作戦がうまく行かないことはわかっていた、しかし、自分の保身のために次に言い出さず。決行された作戦、戦果をあげることだけにめを奪われた大本営、そして、死に物狂いの戦場を尻目に悠々と遊女に入り浸る上級士官たち。戦後、インパールに関わった士官は証拠隠蔽や責任の押し付け合いなど保身争いにヤッケになり、いろんな責任の押し付けに負けたのが牟田口だった。確かに人格に問題があったがイメージだけが一人歩きしよく知らずに批判するのは正しい見方だろかと思います
色々歴史を勉強できますね。ありがとう
それはあなたの学ぶ心があるからです。
@@donttellmearai 返事ありがとうございます😊
物凄くわかりやすいですね!いつもありがとうございます😌これからも応援させていただきます❣️
もし機会がありましたら伊藤博文や大隈重信の動画も出していただけると嬉しいです!可能な範囲でいいので☺️
ありがとうございます!
イチローもぜひやってください!
作戦提案当初、無謀との事で反論する司令長官クラスを2名更迭している。新任として就いた長官(佐藤中将)は、作戦実行中の約束(兵站支援)がちがうと戦線離脱している。佐藤中将は後に命令違反として軍法会議に掛けられ極刑も覚悟していたが、会議で作戦の実態を公にする作戦でいたらしいが、精神的におかしく成ったと処理され、極刑を免れたが事実を暴露する機会を失われている。
牟田口さんとしては、終戦当初は若干反省の弁もあったらしいが、後にイギリス側元将校から手紙を受け取り、「我々もギリギリだった」的コメントに注目し、その後インパール作成の肯定かを始めたらしい。
知り合いの元自衛隊関係者(定年により退官)から伺いました。
その方は祖父は、作戦に参加し白骨になられてるそうです。
牟田口・・・ではなく、むだぐち・・というらしい。
すごい!!貴重な情報ありがとうございます!
むーさんは自己の利益の為に社員を扱き使うブラック企業の部長かな(苦笑
作戦に助兵衛根性を入れると必ず失敗する。
その呼び方wwww
まさにあなたの言う通りです。
とても教訓深いお話、ありがとうございました。以前、NHKか何かのスペシャルで見た番組を思い出しました。
★この動画を見て、終戦時の沖縄県最後の官選知事・島田叡(あきら)とその前任者・泉守紀(しゅき)の物語を思い出しました。前任者・泉のコス狡(ずる)さ、そして島田の高潔さ!!!
多くの人たちはこのエピソードを知らないと思うので、ぜひ動画にしてこの二人を紹介してください!!! できれば島田に同行した県警察部長・新井退造(たいぞう)や沖縄駐留の第32軍参謀長・長勇(ちょう・いさむ)、同じく第32軍司令官・牛島満(みつる)との最期のエピソードなども織り交ぜて紹介してくれたら嬉しいです!!!
どうぞ宜しくお願いします!!
ありがとうございます!検討しますね
@@donttellmearai :ぜひ、実現してください!!! 終戦時の沖縄最後の官選知事・島田叡(あきら)の物語は、死と迎え合わせの状況を承知の上で沖縄に赴任し、どのようにして沖縄住民の犠牲を少なくするかに苦心した、心優しい本土出身の知事の最期までの男の生き様です!! もっと多くの人たちに、島田叡について知って欲しいです。
牟田口廉也を見てるとピーターの法則がピッタリ当てはまりますね。師団長レベルまでは有能でも戦略を考える参謀や軍司令官の能力がなかったのではないでしょうか。牟田口の上司である寺内寿一も同じです。
我是中国人,非常感谢楼主的解说,让我了解了这段历史。😃👍
時期が不明ですが、
ビルマから帰ってきた人の話、川を渡るときに
兵隊が流されて、助けてくれーと言っても
誰も助けない。助けていては自分が死ぬ。
牛を持って牛車で移動した部隊は生き残って、
牛の無い部隊は全滅したと言ってました。
悲惨です
「アホな大将敵より怖い」のお手本みたいな人
たしかに
@@donttellmearai 馬鹿な政治家国ほろぶ!
起死回生の作戦を打つこと自体はよいと思いますが、
失敗する可能性が高まったときに撤退を選択すべきだったと思います。
リスク管理できていないという理由で無能だと思います。
それをさせない雰囲気だったのでは?
インパール作戦での佐藤師団長だけは、過剰な精神主義に囚われない、まともな人間でした。死刑覚悟で自軍の兵を撤退させた。
あきああきあ
仰る通りです。
佐藤師団長は英断でしたね。
一方の河辺参謀長は牟田口廉也同様来世は
水牛か鹿にでも産まれて頂いてコモドドラゴンのエサになってもらいたい。
佐藤師団長の部隊は最も補給が困難な部隊でしたからね…(ジンギスカン作戦をやってたのもこの部隊)
あと軍隊において無断で撤退は絶対に許されません。戦線の崩壊を招きより多くの戦死者を出すからです。
場合によっては銃殺刑です。
だからこそ佐藤師団長はすごいんですけどね、部下のために自分が死ぬことを選んだんですから
牟田口中将は盧溝橋事件の時からヤバイので、日本軍の愚将の代表で申し分ないが、インパール作戦でコヒマを占領した事はインド独立の礎となった。なので、牟田口中将とインパール作戦の将兵は別々に扱う必要がある。特に殿を務めた宮崎少将は、英軍とソ連軍に日本軍随一の野戦司令官と称えられた程。
なるほど
牟田口より自分の判断で撤退し多くの命を救った佐藤司令官を評価すべき
牟田口は今のブラック企業の自分の失敗を部下に擦り付け隠蔽するブラック上司そのもの
戦後も反省も謝罪もせず部下のせいにしたのは最低
今もいるのいやですね
上官の命令に背いたという理由で佐藤師団長を更迭しましたね
そればかりか、軍法会議にかけた時に自分達にとって都合の悪い事を供述されては困るので、牟田口の上部機関の幹部達が、師団長を心神喪失として予備役に編入してしまいました
@@patariro1964
佐藤だけでなく 山内、柳田の当初の師団長全員をクビにしましたから
佐藤は張鼓峰事件では連隊長として勇猛果敢であった
山内は米陸軍大学を出たアメリカ通の逸材
柳田は陸大では軍刀組の逸材
牟田口は 15軍司令官になったとき 貴下の三師団長がいずれも優秀なので いたくご満悦だったんですがね
インパール作戦聞いただけで頭痛が‼️
何という
@@donttellmearai 上級の将校殴ったら下士官、兵隊の統率どうなるんですか?
花谷将軍と共に人間は学歴じゃないいい例だと思う。てか盧溝橋事件の連隊長だったのはいれてないですね、次は根本博とかどうです?
調べてみますね
大和魂を牟田口が言うな。
大日本帝国軍の上層部は一体何人の日本人を殺したのか。味方の酷い作戦によって無駄死にした。悲しい過ぎる。
牟田口「イギリス軍は弱い」
人間は成功体験から必ず失敗する。
必ずではないです
牟田口姓が叩かれる所以・・・・何かの本で読んだことある
思い出して!!
不思議なのは1万人もの多数の兵士が帰っている
勝ってもいないのに生きて帰ってくること許されなかったと思う
牟田口含め、最後の一人になるまで戦わなかったのか
撤退でよかったのでしょうか
NHKスペシャルで、インパール作戦の記録を扱うドキュメンタリーをやっていましたね。
そこでしかインパールを学んでいませんが、同ドキュメンタリーでは、一番の問題は、何万という兵士の命よりも上層部の責任回避やエリートの出世を重視する当時の組織構造にあったとしていますね(当時というか、今もそうかもしれないが)。
何万という命が失われても作戦が成功すれば、上層部やエリートの手柄になり、失敗しても、誰も責任をとらず、ややもすれば牟田口氏のように、部下を無能と罵る(たぶん、コヒマを放棄した佐藤師団長のことを言っているのだと思いますが。)。
牟田口氏も組織構造の一部に過ぎない(だから、マレー作戦で手柄を立てたとかで、名将ということも絶対にあり得ない。)ですが、そのことに気づけず、部下を無能と罵り続けながら一生を終えたと、愚将とか以前に、単に哀れな人間としか言えないです。
確かに、人一人の問題というよりは、構造の問題なきもします
インパール作戦には優秀な軍人が参戦していたそうです。烈師団の名将、宮崎中将、勇敢に戦って玉砕した弓師団の山守大尉については、英印第7師団長が弓師団の作間連隊長に、このときの戦況をかたり、じつに勇敢な隊長であった、と激賞を惜しまなかったそうです。私は体をはって、命をかけて戦っていただいた
方たちを忘れることはありません。
ジンギスカン作戦は銃弾だけでは到底成し遂げられない日本軍を短期で大量に壊滅させるという意味で(日本の敵にとって)実に効率的で極めて優秀な作戦だったと言える。
牟田口にとってそれは人生の中でも最も成功した作戦だといえるだろう。
皮肉ですね
牟田口は政治的な問題で一回飛ばされてそこから実力で返り咲いたのもあってプライドが高かったのでしょう、インパール作戦は牟田口が考案した物と言われていますが、牟田口が考案する前に一度立案されたことがあります、そして牟田口はそれを徹底的に排した過去もありますインパールは牟田口の失態ではなく牟田口含む陸軍全体の失敗と言って過言では無いでしょう
そうなんですね…お詳しいです
教えてくださってありがとうございます
この牟田口司令官は蘆溝橋で中国と戦った時の連隊長で、戦争を始めた自分が戦争を終わらせたい気持ちが強かったらしい。その結果が無茶なインパール作戦。
それでは終わらないと思いますけどね…
二十一号作戦についても触れて頂きたかったです。
これを42年に廃案に追い込んだ経緯から牟田口は北インド侵攻作戦における兵站の無理を承知していたということがわかります。
それに牟田口の自動車補充の要請をほぼ断った形の南方軍や戦局打開の為に躍起になって作戦指導をする大本営等、牟田口などの一介の中将が頑張った所でどうしようもなかったというのが現実だったのではないかと思います。
そして最低でも緬甸方面軍司令の河辺大将か南方軍の総参謀長清水中将、総参謀副長稲田少将あたりが強硬に反対したりしない限り作戦は大本営の意思によって強行されていたのではないかと思う次第です。
浅井解説になってしまいました申し上げございません
いえ、こちらこそ知ったような事を並べて恥ずかしい限りです。
非常に簡潔にまとまった良い解説だと思いますし、これから勉強する人にとっては役に立つ動画だと思いますのでこれからも頑張って頂きたいです。
@@donttellmearai 浅井作戦というのも今度解説してほしいです!
インドの密林で餓死、マラリア、赤痢なんて想像するだけで辛くなります…(>_
選挙行きましょうね
マレー作戦での成功体験で、
特に手榴弾で負傷しても自分が指揮をとって成功した体験から、
根性論で何とかなると思っちゃったんだな。
うーむ
マレーの時はまだイギリス軍も近代化された兵装をしてなかった
もうインパール作戦の時は大型戦車やら航空機輸送など機械化・近代化していたにもかかわらず日本軍は日露戦争当時の歩兵銃とショボイ火砲で突撃させたらノモンハン事件の二の舞になるのは当然だった
例え補給が完全であったとしても到底勝てない
これに気づかなかった牟田口は兵学校にでも隠居させるべきだった
38式歩兵銃は日露戦争では使用されていません。日露戦争で使用されたのは30年式歩兵銃です。それに38式は世界的に見て劣っているわけではありません。
航空機による輸送も、日本軍に包囲された時に補給できるよう、イギリスが研究した成果です。
@@akibanokitune
らしいよ。お前ウソついたんか?
陸軍省と参謀本部は別物です。
陸軍省は内閣に所属する組織で軍政(主として予算、人事)を担当しており、
参謀本部は大本営(天皇直属)に直隷する組織で軍令(主として作戦)を担当していたと認識してます。
せっかく勉強になる良い動画を多数作成頂いてますので、「事実」として表現可能なものは事実を語って頂きたいです。
インパール作戦については立案・実行当時も兵站に問題あり、と指摘があった作戦ですので「合理性」に反した作戦だったと思います。
グダグダと述べさせて貰いましたが、今後も動画アップを楽しみにしてます!
そうなんですね…ご指摘ありがとうございます
確かに牟田口氏だけがでは無かったようにみえます。旧日本陸海軍は第一次大戦以降は体質がかなり役人根性が強まり軍幹部は結果責任が問われないシステムが出来てしまった、故にとかく現場末端に負担を負わす発想を日常化させてしまった。
末端が一番負担というのはどの組織でも同じだと思います
@@donttellmearai 御中
しかし当時の旧陸海軍は度を越しています!
日本はこういう国だという事をよく象徴しているんじゃないですか。
今の政治家、官僚も変わらないでしょう?
どの辺がでしょうか?
@@donttellmearai 全てにおいて
この方はインパール作戦の時、だいぶ後方から作戦指導してたし、戦況が悪くなったら、1番に逃げ出した記憶があります。
そうなんですね
当時現場におられた方ですか?
その時、私の兵士たちが弱くて負けたのだ。 私は何も悪いことはない。シバルノたちよ!
指揮官としてあたりまえのことでしょう
陸軍大学をでたエリートと、寄せ集めの駒では、駒が前に出るのは普通なのですがね。
指揮官に前線に出ろと?
社長に、おまえも営業に飛び回れと言うようなもの
一番に逃げ出してよいのです。
低学歴100人いても弾よけにしかならんよ
高学歴を弾よけにするなんて戦時下でできるわけない
現代の常識で過去の認識を語るのは愚か
そのだいぶ後方にあった司令部で、芸者遊びにうつつを抜かしていたらしいです
長谷川町子(サザエさんの作者)もこの作戦で義兄を亡くしている。町子の姉と結婚して1週間でこの作戦で亡くなったとか。
妹が数少ない存命中のインパール作戦の兵士の遺族。
本当にこの三姉妹からすれば牟田口が自己弁護していたり、天寿を全うしたことが、どれだけ腸が煮えくり返りそうだったのか、想像を絶すると思う。
初めてこの方の動画を見たのですが。なんか学校の先生のような喋り方でとても良いと思いました。
今の時代は勉強でも興味があると思えば。インターネットで調べる事が出来ます。
チャンネル登録致しましたd( ̄  ̄)
ありがとうございます!
盧溝橋の話も牟田口のメンタルを理解するには重要ですよね。
その辺は満州事変の動画を見てほしいです!
やはり作戦の指導者として失敗だった。多くの兵士を死なせたということに対して謝罪の姿勢を示すことが大事だったと思います。
インパール作戦なんでやったのか?
僕のおじいさんの弟がインパール作戦で戦死してます
無念だったろうなぁ( ノД`)シクシク…
私の祖父は学徒出陣してビルマに居ましたが、インパール作戦開始前にカンボジアに転任して命拾いしました。
無念ですよね
チャンドラボース辺りから調べたら背景見えてきますよ?
牟田口が立案、南方軍司令官の寺内が黙認、大本営がチャンドラボースのインド独立(大東亜共栄圏)等色々絡んで作戦決行って色々ヤバイんですよ。インパール作戦自体が
某大手広告代理店のようで面白かったです。
どのへんがですか?
やはり戦争で一番難しいのは引き際ですね。
ノモンハン事変で日本軍と戦ったソ連のジューコフ将軍の日本軍評価は、兵士レベルでは極めて勇敢であるが、軍上層部は無能と評価し、本国に報告している。
そうなんですね
牟田口廉也さん。知りませんでしたので勉強になりました。
取り扱ってくれてありがとうございます!
こちらこそご視聴ありがとうございます
軍人の最後が戦闘で死ぬのではなく餓死とか病死って。。
軍人なら軍人らしい最後で終わりたい
軍人らしい最後なんて全く人間らしくないです
部下を何万人も殺して、普通なら責任とって切腹するだろうに。
責任とって切腹して事態は好転するんですかね
本当の敵は、相手国ではなく、自国の司令官ムタグチだったという事実。
功名心に支配された上司に部下が壊される、というのはどこでもあること。
それにしても、作戦の失敗は部下のせい、と言うあたりは、本当の真性クズ。
難しいもんですね
牟田口は本当はイギリス軍だったかもしれませんね。イギリス軍にとってはありがたい気持ちでしょう。的にしてはある意味有能だったのかしら。だから戦犯にならなかったんだな。部下が無能だと言う責任のなすりつけは最低だな。レンヤが幾ら上官でも殺したかったでしょうね。
言葉遊びですね
もう牟田口食べればよかったんや
人肉は筋張っておいしくないです
つうかこの動画の広告に売国奴の息子がうまそうに炭酸水飲んでる動画入るのは牟田口とかけてるのか?非肉か?
勇敢で思いやりのある者たちは戦いで亡くなり、こんなのが生き残った…
その結果が今の日本。
今の日本を戦いの中で亡くなった人が見たらどう思うことでしょう。
牟田口の葬儀の時に牟田口の子孫は牟田口は悪くないというパンフレットを参列者に配布したという
それは草
何をどう選択しても最悪な結果しかない戦いに向かって行った牟田口と部下に文句を言えるほど今の人間は立派ではない。ただ、このような無能に終わった作戦を二度としないようにするために勉強することが、現代という甘ったれた時代に生きる自分たちができる唯一のことだと思う。
そもそも戦争が起こらないようにすることでは?
“紙上談兵”、まさにそれですね。
そんな言葉が
インパール作戦は、インド側から、別の評価をされている面もあるので、一概に無謀な無意味な作戦だったとは言えないですが、牟田口に関しては、同じ敵前逃亡で、同列に挙げられる冨永共々、評価はできません。
彼を戦争の被害者とするなら、硫黄島で散った栗林忠道や、沖縄戦の牛島満も同列になってしまいます。
最後に亡くなってるからではなく、ただただ、無駄に部下を死なせたのと、なんとか防戦をしつづけようとした違いがあります。
ただ、当時の生きて虜囚の辱めを受けずとした『戦陣訓』が、無駄な死者を増やしたことは、否定できませんが・・・
なるほど
食料は敵から奪え!
弾がなくても銃剣で戦え!
足がやられても口で噛みつけ!
それが当たり前と思うなら、最初から家畜なんて連れて行く必要がないんです。
銃剣、又は剣だけで戦いに行けばいいんです。
その方が行軍速度が落ちない。
でも、それだと無理だと分かってるから、ジンギスカン作戦を考えた訳ですよね?
なので、ジンギスカン作戦は失敗したが、その失敗を認めたくない、報告したくないから、途中から根性論にすり替えて部下に無茶振りしたってところですかね。
己の失敗を多数の部下の死で取り繕おうとしたけど、それすらも失敗したって感じに見えます。
日本史上に残る無能というより、日本史上に残るクズって言葉が似合いますね。
ただただ、部下を殺したかったわけではないと思いますけどね。
このチャンネル凄く面白いね。
本当に為になるよ。
ほんとですか!嬉しいです!
チャンネル登録しておいてくださいね
えーと牟田口さんも戦後、最初は反省していた(あるいはしていたふりか)らしい。それが戦後、インパールの相手指揮官に手紙を出したら
「こっちも危なかった。ひとつ間違えばこっちが完敗だった」という返信をもらってからは態度を急変、国会図書館に、その旨(求められてもないのに)
録音させた。死後「自分は正しかった」という文書を予め作っておいて葬式出席者に配ったんだよね。有名な話だが、知らない人のために書いておくわ。
ありがとうございます!
牟田口はまさに当時の日本軍の象徴的な人物に感じる
「引くに引けなくなってしまった、、
戦争の終わらせ方がわからない
戦争の終わらせ方が下手すぎる
最終的に根性論にはしる」
こういう感じの典型的な人間だと思う
戦争の終わらせ方なんて牟田口がどうこう言える状態ではないと思います
私の祖父が戦後一年後ラバウルから帰国しました。祖父はパイロットではなく地上部隊だったと思います。祖父が他界しておりラバウルの戦況等解説があれば祖父の軌跡を少なからず分かると思います。ラバウルは航空隊と水木しげる先生の話はよく聞くのですが地上部隊の講釈があれば大変うれしいです
ドンパチで死んでいった兵士より、餓死や病気で大勢が亡くなったこと。
インパール作戦と言う呼び名だけじゃなく日本名でのウ号作戦との説明も入れて欲しかった。
ごめんなさい。
沢山の将兵を死なしておいて、何で自決しなかったんだろう
兵士を駒だと思っていたのでは?
失敗=自決みたいな考えが
大失敗する前に修正しようとする考えを無くすんじゃないかなと思うわ
牟田口、どうなんだろうな、、
参謀になるって事は努力家で優秀で結果を出していたのは間違いないと思うが、、
ジンギスカン作戦で家畜が流された時点で引き返せたら傷は浅かったろうに
じゃあここでやめます!って言えるような状況ではなかったと思います
インパール作戦の目的は、中華民国軍への物資の援助をするルート(援蒋ルート)の遮断です。当時ビルマ防衛すら危うい日本がインド攻略など不可能です。
インパールへの攻勢に賛同した
南方軍総参謀副長稲田正純中将の言葉
「ビルマ方面軍がじっとしていれば今の兵力では手も足も出なくなるであろう。内線作戦の原則どおり所要の方面で局部的な攻勢を取ることは当然であろう。しかし、この攻勢は間違いのない確実な方策によらねばならぬ。上手くいかぬ時は適宜作戦を中止するとか、その他の手段に転じ得るような弾力性のある方策が必要である」
そんなこという人もいたんですね
原爆はだめだけど日本は戦争に負けてよかったよ、もし万が一でも日本が勝ってたらこんな将軍が大量に生まれてたと思うとゾッとする
負けたことで失ったものもでかい
真実は大川先生に聞くしかないですね
大川隆法ですか?
戦争が如何に愚かなことかを教えてくれた名将です。次は辻政信をお願いします。
勉強になります。
他のコメントで、ものすごくわかりやすいたらこ唇と言ってしまいすみませんでした。
過去の業績を成し遂げた偉人の話はとてもためになります。
ぜひ興味がありましたら、ビジネスパーソンもよろしくお願いします。
視聴者の幅が広がると思います
謝るくらいなら言わないでください。僕は大丈夫ですけど、傷ついて自殺しちゃうクリエイターとか沢山いるんで、気をつけてくださいね。
@@donttellmearai 謝るくらいなら言わないで vs 言ってしまったから謝る
反省したあとに怒られる
怒られたあとに、自分の謝り方が軽かったと気づく。
誤ってきた人には
謝るくらいなら言わないでくださいと言うのが正解ですね
インパール作戦での最大の戦果は、インドの独立という歴史的快挙なのだが、なぜか、日本軍の戦術的失敗ばかり話題になる。ウォーギルドインフォメーションブログラムのなせるわざだねえ。
牟田口廉也という無謀な作戦を指揮した無能な軍人は、同じ日本人として恥ずかしい存在です。丁寧な解説ありがとうございましたm(_ _)m
ってか戦争が終わった後に
牟田口に復讐してやる
と考えて実行にうつした人間が「ただの1人もいなかった」という事に驚く
1人も実行しなかったのは結構マジでびっくりするなあ
そんなことよりも一人一人生きるのに必死だったんだと思います。復讐なんて豊かな人がやることです
@@donttellmearai そうかな?ドイツではヒトラー暗殺が何回も試みられたし、ナチスは追放された。日本人は、、、、
戦国時代は優秀な武将居たのに日本は近代に成ると劣化するんかい。
どうなんですかね
責任を取らない、取らせない、敵を作らない利口な組織、和の国日本。
現代の会社に続く。
失敗したら部下に押し付け。
銀行を見よ。
それな
投稿主さんもコメントで牟田口を叩いている人も、もう少し広い視野を持った方が良いと思います。
日本の敗亡に努め、日本軍の除去に努めてください、牟田口廉也将軍ありがとうございます。
動画を拝見させて頂いていくつが質問があります
・インパール作戦の立案は牟田口ではないのではないでしょうか?最初に立案された時に牟田口は大反対したのではないのでしょうか?
・インパール攻略の目的はインド攻撃の拠点設置ではなく援蒋ルートの遮断、大陸打通作戦の陽動作戦が目的だったのではないのでしょうか?
・兵站の説明で自動車による物資補給ができないとおっしゃっていますが、最初牟田口は大本営に自動車中隊や軍馬などの増援を要求していたのではないでしょうか?
・その輸送用の増援がほとんど送られてこなかったために、現地で調達可能な牛などを輸送に頼るしかなかったうえでのジンギスカン作戦だったのではないのでしょうか?
・インパールへの進路の過酷さで進軍は山とジャングルしかないようなご説明ですが、国境南部には自動車道路が整備されていたのではないのでしょうか?
動画を拝見しての疑問点を述べさせていただきました。失礼しました。
まさに「机上の空論」を 実現しようとした ある意味貴重な愚将。
やらないと分からないですもんね
@@donttellmearai 現場をしらずに地図だけをみて「いけんじゃねぇ?」的な感覚。
今のブラック企業に相通ずる思考。
「現場を知らずに数字で 判断する」・・・
頭のいい うぷ主さん
こんな人にならないで欲しい。
下々の人の気持ち 生活の分かる人になってくださいね。
南方軍参謀の吉川少佐曰く
「この作戦が如何に無謀なものか、場所を内地に置き換えて見ると良く理解できる。インパールを岐阜と仮定した場合、コヒマは金沢に該当する。第31師団は軽井沢付近から、浅間山(2542m)、長野、鹿島槍岳(長野の西40km、2890m)、高山を経て金沢へ、第15師団は甲府付近から日本アルプスの一番高いところ(槍ヶ岳3180m・駒ヶ岳2966m)を通って岐阜へ向かうことになる。第33師団は小田原付近から前進する距離に相当する。兵は30kg - 60kgの重装備で日本アルプスを越え、途中山頂で戦闘を交えながら岐阜に向かうものと思えば凡その想像は付く。後方の兵站基地はインドウ(イラワジ河上流)、ウントウ、イェウ(ウントウの南130km)は宇都宮に、作戦を指導する軍司令部の所在地メイミョウは仙台に相当する」
なので地図だけ見てもアウトです。
インパール作戦の戦後の戦史編集時にかなりの改竄があり、つじつまが合わないことが多いです。大本営が作戦計画、遂行を行い、失敗した責任を現地司令官である牟田口中将にとらせた可能性もあります。その後の戦史編集時に改竄すれば完全犯罪出来上がりです。
特に、師団長の解任は牟田口中将の権限では出来ない事であり、明らかに上層部の命令だったと思います。
牟田口中将は作戦にあたり、大規模な兵站部隊を上層部に要求しています。また、二十一号作戦計画時に補給が不可能として猛烈に反対して作戦を中止にいています。
芸者遊びの話しも記録や証言は有りません。この時期は牟田口中将自体も前線近くで戦闘指揮をしているのであり得ないと思います。
作戦開始前後はイギリス軍を手玉にとっています。
制空権は敗走時の話しで、作戦遂行中は拮抗状態にありました。
イギリスでも高く評価されている作戦で英軍もギリギリの勝利と言っていまし、作戦開始が1週間早ければ、英軍が白骨街道を作っていたと言われてます。
戦後の戦史改竄の為、真相がわからないのが残念です。
ただ、1つの私の意見としては牟田口中将は上層部と現場に挟まれ、上層部からは進撃命令。前線からは退却具申、補給要請、そんな中で苦悩しながら指揮していたかもしれません。
なるほどそういうことだったんですね、調べていて?となることが多かったのですっきりしました。ありがとうございました。
@@donttellmearai さん
インパール作戦には関してだけではなく、戦後の戦史編集時に関わった方の自分の失敗や周りの方や上官などに気を使って他の人間に責任をなすりつけたりして、責任回避や逃れをしています。海軍でしたら作戦参加艦艇の戦闘詳報が読めればある程度信憑性がある行動記録が取れます。ひょっとしたら、ミッドウェー海戦で有名な南雲忠一司令官もそれに当てはまるかもしれませんね。
日本はなぜ400年前に人は石垣、人は城と言った名将にまなはわなかったのか、またおのれの欲のために戦わなかった謙信公に学ばなかったのは残念です。
途中の手榴弾の被弾の英雄譚が本当に後の周囲の判断の足を引っ張ったなあ、、
人生分からんです
たらればですが、スリランカからいったらどうだったんだろう。
ワカランカ
インパールとビルマを今日覚えました。
それぞれ、ネパールとミャンマに名前が似てますね。
語源から知りたいですね
〜スタンとかも知りたいです
その抑え方すごく良いと思います
牟田口は想像していたとおりサイテーの指揮官ですね。彼に親戚を殺されたとかというのではないですが、あんな
バカで無能の男の指揮下で戦わざるを得なかった兵隊さんの無念さを思うと心が痛みます。
そこですよね
陸軍省、参謀本部、教育総監部は同列です。
参謀総長と陸軍大臣は同格ですが陸軍大臣のあと参謀総長になる人は居ますが逆は無いはずです。
そうなんですね勉強になりました
現代でいう全世界人口の1%の超富裕層の発想のようですね。
もう人ではありませんね。
荒井さん、最近の動画すごくいいよ。今回も勉強させていただきました。あっちゃんの真似なんかせんでいい、
あなたには東大卒というあなたの武器がある。今後も学校やメディアで取り上げられない、日本人として知っておくべき情報を荒井さん流の解説力で斬ってください。期待しています。
ごめんなさい。東大卒じゃないんです…生配信のアーカイブ見てください
ぜひ つぶやきシローのモノマネもしてほしいですね
言うてインパール付近の道を制圧するまで良いとこまでいってたんだよな
日本兵すごいわ
我を押しきるのは指揮官として命を預かる者としてはいかん。時代や軍の風潮もあるとはいえ。
歴史から学べることは多いですね