法話:面倒なことが豊かさに

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  • čas přidán 10. 09. 2024
  • 神戸市長田区の六間道商店街の一角に、多世代型介護付きシェアハウス「はっぴーの家ろっけん」があります。ここの代表である首藤義敬さんとのご縁から、昨年はっぴーの家の入居者の方の葬儀の導師を勤めさせていただき、そしてこの秋から、はっぴーの家の教育事業の一環としてはじまった死生観を皆で学ぶプロジェクトに参加させていただいています。
    まず、はっぴーの家がどのような場所なのかを簡単にご紹介させていただきます。六階建ての建物に居室は四十、要支援から要介護の高齢者、認知症の方が入居されています。そして最大の特徴は、一階のロビースペースが、地域に開放されており、職種や年齢、国籍などが異なる人々が日々出入りしていることです。
    なんとその数は一週間で二百名以上に上ります。学校帰りの小学生たちが、テレビゲームをしたり、近所の子育て中のお母さんが、入居者の方に子どもを預けたりすることも。お母さんは、その時間で買い物をしたり、自分の時間を過ごしたりしてリフレッシュしているのだそうです。
    首藤さんご自身も家族ではっぴーの家に住んでおられるのですが、首藤さんは、はっぴーの家を最高の子育ての場にしたいと考えておられ、その為に、「日常の登場人物を増やすこと」が大切だとおっしゃいます。様々な方と触れ合うことによって、いろいろな学びを得ることができると考えたそうです。
    実際に、首藤さんの娘さんは、小学二年生にして、近所のお母さんが預けた赤ちゃんのお世話をしているうちに、オムツ代えや、ミルクをあげるという保育能力を身につけ、そして、言葉を使ってコミュニケーションがとれない、認知症の入居者の方の、食事介助までできるようになったのだそうです。
    首藤さん曰く、ご高齢の方の食事介助は高度な技術がいるそうで、首藤さんが娘さんに「何でそんなに上手にできるの?」と聞くと、娘さんは「赤ちゃんと一緒やん」と答えたそうです。このお話からも、日常生活の場が、生きていく学びの場となっているのだなぁと感じました。
    首藤さんは、もともと新長田の下町育ちで、人々の交流が多い長屋文化が暮らしやすいと感じていたそうです。しかし、阪神淡路大震災によって、町は焼け野原になり、復興によって町の外観はどんどん綺麗になっていくのに対し、昔のような人と人との繋がりは希薄になり、長屋の文化が失われてしまったと言います。その文化をはっぴーの家で再現されているように感じました。首藤さんのはっぴーの家のコンセプトの一つに「遠くの親戚より近くの他人」というものがあります。
    「昔は大家族で良かったよね」という言葉は良く耳にしますが、今は核家族化が進み、「個」の時代とまで言われています。そこで、家族でなくても、近くの他人とのコミュニティが豊かであれば、幸せに生きることができるのではないか。そのような思いがこのコンセプトに込められています。お寺も地域の中でそのような役割を担うことができたらどんなに素晴らしいだろうと思います。
    しかし、様々な人たちが関わるということは、良いことばかりではありません。はっぴーの家では、毎日トラブル続き、何も問題が起こらない日はないというくらい様々なことが起こるそうです。そのような中で生まれた首藤さんの考え方が「違和感は三つ以上重なるとどうでも良くなる」だそうです。私は、この考え方に、性急に分かりやすい解決や答えを求めない首藤さんの力の真髄があると思います。
    走り回る子ども、暴れるおじいちゃん、おばあちゃん、踊っている外国人、その人たちが、よくわからないけど、一緒にいる。「お互いを理解しあわなくても、一緒にいられる。どのような状況でも、許容される環境をつくる。」という首藤さんの思いがそこにはあります。そう、はっぴーの家には、前提として、誰もが「そこにいて良い」という価値を認められているのです。
    ただ存在していることをまず肯定してもらえる場所は、本当の意味で安心感を得ることができます。お寺も少し近いところがあります。お寺にお参りに来られる方は、様々な理由や目的があって来られています。お願いごとの祈願、亡き人の供養、日々の感謝の祈り、散歩、ぼーっとしたい人。お寺では、その人の肩書きや立場や、経歴など一切関係なく、そして気にする必要もなく、存在することができます。仏様という大きな存在に見守られながら、それぞれがそれぞれの時間を過ごすことができる。だから安心できる場所なのかもしれません。
    私が今回はっぴーの家のお話を皆さんにご紹介したかったのは、私自身がはっぴーの家と出会って、人生の豊かさについて考えさせられたからです。
    私たちは、ひょっとして、便利さや快適さを得るために、豊かさを犠牲にしてきたのではないか。その最たるものが「人付き合い」ではないか、と感じたのです。私たちが得た、極力他者とかかわりを持たない生活様式には、煩わしさはありません。しかし、同時に、「人付き合い」が与えてくれていたはずの、新しい気づきや学び、喜びなどもなくしてしまってはいないでしょうか。そこに残るのは、面倒はないけれど、空虚な生活のような気がしてなりません。
    「面倒のないところに感動はない」
    これは中学の時の恩師の言葉です。人生の大切なことは、だいたい面倒なことが多いのだと思います。仏教の追善供養も、初七日からはじまり三十三回忌まで、すごく手間と時間がかかりますよね。でもその手間と時間こそが大切なのだと思うのです。手間と時間をかけることによって、故人を見送ったという実感が得られるからです。効率化が進む社会で、お寺こそ手間と時間、面倒なところを大切にしなければいけないと感じています。
    【毎月、須磨寺にて法話をさせて頂いております】
    毎月18日の10時からの護摩祈祷と写経会、20日と21日は11時半から奥の院にて、そして、21日は14時から護摩祈祷をさせて頂き、法話をさせて頂いております。
    【須磨寺オフィシャルサイト】
    www.sumadera.or.jp
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    ■楽曲提供:小馬崎達也
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