戦艦大和という時代 激動の軌跡 / 歴史解説 / 日本海軍の象徴・戦艦大和の戦いをカラー化古写真で徹底解説 / battleship yamato 大和型戦艦

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  • čas přidán 12. 09. 2024

Komentáře • 57

  • @user-rq4gk1kn7z
    @user-rq4gk1kn7z  Před 5 měsíci +5

    失礼いたしました。3:38頃の説明で扶桑は35.6cm連装砲10門としていますが、正しくは12門のため訂正します。

  • @user-pj4to7xb7x
    @user-pj4to7xb7x Před 5 měsíci +5

    これからは戦闘機の時代だと知らしめた日本が巨砲大鑑主義を捨てきれず負けたのはひにくなものだ。しかし大和は本当に日本の象徴であり、あの当時あれほどの戦艦を造った我が母国を尊敬するし大和は本当に美しい、戦争には負けたが大和の技術は生きている。

    • @user-rq4gk1kn7z
      @user-rq4gk1kn7z  Před 5 měsíci +1

      戦艦から航空機に主戦力が移行する最後の段階で誕生したのが大和だったんですね!戦後の造船大国として再興する日本に残したものは多かったと思います。それだけでも、大和の誕生は意味があったように感じます。

  • @user-jy7mz8pc2x
    @user-jy7mz8pc2x Před 5 měsíci +3

    山本五十六大将は大和級戦艦の建造より航空母艦を欲していました。アメリカ海軍も日米開戦前から航空母艦の重要性を注視していました。大和級戦艦よりも翔鶴級航空母艦をもっと増強できたら戦局も変わったと思います。防御力以外の航続力や速力、搭載機数に優れた翔鶴型。

    • @user-rq4gk1kn7z
      @user-rq4gk1kn7z  Před 4 měsíci +2

      そうですね、翔鶴型の活躍は日本軍艦艇の中でも傑出しています!ミッドウェー海戦以降の機動部隊を支えた功績は大きいですね!大和、武蔵より翔鶴型三番、四番艦が出来ていたら流れは少し変わったかもしれませんね。

  • @user-tu5rq8rz3s
    @user-tu5rq8rz3s Před 4 měsíci +3

    日本は航空機主体の時代にも関わらず大和を建造したのが間違いだったと中学の歴史の授業で学んだけど、実際は戦いの主役が戦艦から航空機に変わった直後に就役した とツッコミを入れたかった

    • @user-rq4gk1kn7z
      @user-rq4gk1kn7z  Před 4 měsíci +2

      私も小学生の頃、日本が拘り続けた末に大和型を作り続けたと思っていました。でも実際には完成と同時に時代の戦い方が変わったので仕方ないと思いました。もちろん時代の先を読んで建造を止めることもできたのかもしれませんが、新しい技術が登場した時、古いものを切るのは簡単なことでは無いと思います。大和もあと数年早く登場していたら活躍の場も変わったかもしれません。

  • @中村健一-o6v
    @中村健一-o6v Před 3 měsíci +2

    大和も武蔵もたまたま戦う場がなかっただけでもし相手のアメリカの艦隊群と会っていたら自慢の46センチ砲が火を吹いて片っ端からアメリカ群の戦艦や空母を撃沈して大戦果を挙げているはずですね。また味方の戦闘機が空を守っていてくれたら大和も武蔵も沈まずに活躍出来ていたと思いますね。アメリカも大和級に対抗できるアイオワ級のような新型戦艦を作っていたのだから決して飛行機の時代になっていたとは言えないと思います。飛行機には飛行機、船には船で戦っていたらもっと違った結果になっていたはずです。できれば大和を特攻作戦なんかに使わずにそのまま保存して残しておいてくれたら今でも本物の大和を見れたのに本当に残念ですね。もう二度と戦争をやってはダメです。平和が一番です。

    • @user-rq4gk1kn7z
      @user-rq4gk1kn7z  Před 3 měsíci

      そうですね。出撃しながらも会敵しなかったり、温存しすぎたりと、機会に恵まれなかったところがありますが、もしアメリカ艦隊と海戦に至ったら凄まじい砲撃戦を見せつけていたことでしょう!
      あとは、せめて大和上空には護衛戦闘機が一定数飛んでいて欲しかったですね。飛行機は飛行機、戦艦は戦艦で役割分担して戦えば勝負になったと思います。ただ、大和を残して敗戦とはいかなかったでしょうから、やはり悲劇の歴史は変わらないように感じました。戦争は人も物も、全て不幸にしますね、、、。

  • @riuUC
    @riuUC Před 5 měsíci +3

    大和は46cm主砲9門、15.5cm副砲6門、12.1cm連装高角砲24門、25mm3連装機銃155門保有する、世界最大の長射程と最強の防御力を保有していたが、46cm主砲を6門(撤去主砲部に円状に10cm高角砲5基10門増設、前方戦闘に6門参加)に減らし、15.5cm副砲6門はそのまま、10cm連装高角砲34門(10門増加)、35mm3連装機銃179門(24門増加)に出来ていたら、あと20分は戦えていただろう。戦闘機に対し、遠距離と近距離のみならず、中距離からも常に先制迎撃出来ていれば歴史は少しは確実に変わっていたはず。

    • @user-rq4gk1kn7z
      @user-rq4gk1kn7z  Před 4 měsíci +2

      対空兵装を強化して挑んだ海戦でも苦戦が続いたのでさらなる増強も必要でしたね、、、もちろん目測射撃で困難な部分もありますが、機銃の数とシールドが不足していたのは残念です、、、!

  • @user-qw9ve6gy5s
    @user-qw9ve6gy5s Před 5 měsíci +4

    歳をとった影響だが、涙腺が弱くてな…日本の弩級戦艦は扶桑、長門…
    超弩級戦艦は大和、武蔵だったな…
    また大和を見られるかな、せめて次期戦闘艦に掛けるか。

    • @user-rq4gk1kn7z
      @user-rq4gk1kn7z  Před 5 měsíci +1

      大和、武蔵は旧国名としてだけではなく特別な意味を持つ名前ですよね。この名前に相応しい軍艦が作られる時、それはどのような軍艦なのか色々考えてしまいそうです、、、!

    • @user-lx5rz2ml5u
      @user-lx5rz2ml5u Před 4 měsíci

      しかし日本人でさえ国民らも知らない極秘に浸水式もなく、そっと海に出され大和は東南アジアにそっと待機して海戦に忙しい日本海軍は海にひそむ二艦を大和ホテルなど武蔵旅館とか、皮肉を叩き不満だかけでした。艦長ら幹部は豪華なレストランのイタリア料理やフランス料理にワインを朝に昼に晩飯🌃🍴も豪華です、隊員は日常のどんぶり飯ですがアイスクリームやサイダー飲めました。シブヤン海海戦でアメリカの片方に魚雷何発も船首と船尾や中央に撃ち込まれバランス崩し沈黙しました。不沈艦で定評の戦艦でアメリカも研究したと思います。アメリカはやる前に相手を研究する所です。沖縄特攻に行く大和も猛烈な戦闘機から攻撃で同じ戦法で沈黙させられて乗組員千人は生き残る者と大和と共に沈む者に分かれる、航空支援もないものは、格好の的だったでしょうね。図体もでかいし機敏な航行は出来ない戦艦、武器は起動力ないと鉄の固まりに過ぎない

    • @user-rq4gk1kn7z
      @user-rq4gk1kn7z  Před 4 měsíci +1

      組織の構造に無理のあったまま戦争に突入したわけですね。

  • @noroi_amano
    @noroi_amano Před 5 měsíci +9

    扶桑は35.6cm連装砲六基十二門ですよ。
    あと、武蔵はもう改造でどうにか出来るレベルにないくらい出来上がっていたのでそのまま戦艦として建造されましたが、
    日本だけが大艦巨砲主義を捨て切れたわけではなく、アメリカもフランスも武蔵より後に戦艦を建造、就役させていますよ。
    そして日本もできる限り空母は増産していましたが、「効率」と言うモノの考え方の欠如により空母があっても飛行機もパイロットも足りないという本末転倒な事象から、大戦末期の改装空母、航空戦艦、正規空母は輸送作戦や囮にしか使われないという悲劇を生んでいます。

    • @user-rq4gk1kn7z
      @user-rq4gk1kn7z  Před 5 měsíci

      ご指摘いただきましてありがとうございます。
      貴殿ご指摘のとおり、扶桑は35.6cm連装砲6基12門です。
      戦艦ニューヨークの情報をそのまま流用してしまいました。こちらは注釈にて訂正するようにいたします。コメント大変助かります!
      また、日本が大艦巨砲、アメリカが空母航空戦力主体という点も後にアメリカが戦艦を建造している点から、絶対的にそうではないという話がありますね。建造だけでなく、運用面の「効率」も考慮が必要でしたね、、、!

  • @user-nb4nn7wu4m
    @user-nb4nn7wu4m Před měsícem +1

    大和の代わりに航空母艦一隻に護衛の巡洋艦と駆逐艦を2隻づつ作った方が良かったと感じました。40キロ先を撃てても到達まで数十秒かかるしその間、風でブレるし敵艦は動くから当たらない、見えないから偵察機はが必要だが米軍が制空権あって撃墜されたら使えないから全く当たらない。結局対艦攻撃では1〜15キロの日露戦争時同様の目視可能距離まで接近して打つ必要がある。そうすると反動の小さな砲をバランスよく備えた砲が命中率が良くて、対地攻撃以外は使えず、対地攻撃の場面は無かったから存在意義は無かったと思いました

    • @user-rq4gk1kn7z
      @user-rq4gk1kn7z  Před měsícem

      大和が不沈艦にして最大限能力を発揮できる前提として、味方制空権下で艦隊決戦を挑むというものでしたから、大前提なしに運用してしまったのは失敗でしたね。大和の資材でどれだけ戦力を増やせたかは未知数ですが、空母と護衛艦ならば活躍の場は多かった様に思います。

  • @jasonsmith1143
    @jasonsmith1143 Před 3 měsíci +1

    i see the name Yamato.. i will watch. love Yamato
    thank you for the video

    • @user-rq4gk1kn7z
      @user-rq4gk1kn7z  Před 3 měsíci

      ご視聴いただきありがとうございます。私も大和がとても好きです。

  • @user-qd5vj8zm4j
    @user-qd5vj8zm4j Před 5 měsíci +3

    大和の坊の岬沖海戦の話を聞くと胸が締め付けられますよ、乗組員3332名 の内276名しか助かりませんでしたよ、どんな思いで伊藤整一さんは長官室の扉を閉められたのでしょうねあと有賀幸作(あるがこうさく)艦長もどんな思いで羅針盤を掴んで大和と共に最後を迎えられたのでしょうね、息子さん(四日市市製油所勤務)の枕元に立たれたのに奥様の元に現れないので奥様は激怒されたそうですよ。
    少尉任官の兵隊さんだけではなく一銭五厘の赤紙の兵隊さんも亡くなられておりますご冥福をお祈りします。

    • @user-rq4gk1kn7z
      @user-rq4gk1kn7z  Před 5 měsíci +2

      そうですね、大和沈没時を知る最後の乗組員の方も数年前に亡くなられたと聞きます。これから先、歴史は正しく後世に語り継いでいかなければいけませんよね。

    • @user-qd5vj8zm4j
      @user-qd5vj8zm4j Před 5 měsíci +2

      @@user-rq4gk1kn7z 様へ
      学徒動員で大和に乗艦され生き延びた方は有賀幸作(あるがこうさく)艦長が戦闘指揮所の羅針盤にロープで身体を縛ったと著書に書かれましたが身近にいた方(その方も大和の生き残り)によると羅針盤に手を置き大和と共に沈み坊の岬沖の海で戦死されたと言われましたよ。

    • @user-rq4gk1kn7z
      @user-rq4gk1kn7z  Před 4 měsíci +2

      艦長の最後の覚悟を見せるエピソードですね。3000名近い乗組員を率いる艦長や長官の心中は私たちには到底感じ取れない思いが巡っていたでしょうね。

    • @user-qd5vj8zm4j
      @user-qd5vj8zm4j Před 4 měsíci +1

      @@user-rq4gk1kn7z様へ
      一億総特攻の魁となってくれと草鹿参謀から言われた時から艦長と長官は覚悟決められたのですね。
      有賀艦長の前任者の森下信衛前艦長は戦後農業をしながら愛知県常滑で静かに暮されましたよ。

    • @user-rq4gk1kn7z
      @user-rq4gk1kn7z  Před 4 měsíci +2

      戦争はその人の人生を大きく帰るものですね。軍から農業へ、そのお話は初めて聞きました!!

  • @user-yg9jj4sp1l
    @user-yg9jj4sp1l Před 5 měsíci +5

    日本海軍は戦ったアングロサクソン人との戦い山本五十六海軍大将のアメリカと戦う無謀さの誇りが命とりになった自衛戦争だった英霊に敬礼

    • @user-rq4gk1kn7z
      @user-rq4gk1kn7z  Před 5 měsíci +1

      そうですね、戦争を通して色々考えさせられるばかりです、、、!

  • @BB-sm3dc
    @BB-sm3dc Před 3 měsíci +1

    武蔵は他艦の被害を抑えるため被害担当艦として明るい色で銀鼠色っぽい塗装で、まるで死に装束のようだった説がありますが、
    動画 22:24 のある「黒くするなど目立った外観に塗り替えられていた」としています。 どちらが本当なのでしょう?
    目立つ目的であれば明るい色の方が濃厚な気もします。

    • @user-rq4gk1kn7z
      @user-rq4gk1kn7z  Před 3 měsíci +2

      黒に近い銀鼠色、が正しい表現でしたね。そのため貴殿の言うように目立つ明るい色だったようです。実際には出撃前に掃除をしなくなって甲板が黒くなっていたようです。

  • @user-ij9oy3uc2m
    @user-ij9oy3uc2m Před 3 měsíci +1

    アメリカの無限に等しい国力を把握していた山本五十六が生きていれば、総力戦とか本土決戦とか無駄に兵隊さんの命を損なうことも大勢の民間人の犠牲もなかったのかな

    • @user-rq4gk1kn7z
      @user-rq4gk1kn7z  Před 3 měsíci +1

      それはあったかもしれませんね。そもそも日本が長期戦を強いられる事は好ましく無い状況であり、結局のところ近代戦争は一度の局地戦勝利よりも継戦能力の高い側に有利になるのがはっきりしたと思います。軍人や政治家の意地だけで続ける戦争は更によくないことですね。

  • @user-qd5vj8zm4j
    @user-qd5vj8zm4j Před 5 měsíci +1

    このミッドウェイの戦いで最後まで奮闘された山口多聞さんと加来止男艦長のお二人には頭が下がります、特に山口多聞さんの仲人を山本五十六連合艦隊長官がされましたよ、その長官も翌年の四月十八日に戦死されましたね、また南雲忠一さんも地上戦で戦死されましたよ。

    • @user-rq4gk1kn7z
      @user-rq4gk1kn7z  Před 5 měsíci

      あの戦争で様々な物語が生まれましたよね。皆、未来がどうなるかもわからず、ただ任務を全うされたのだと思います。

  • @ranze-edo
    @ranze-edo Před 5 měsíci +4

    大艦巨砲でやるにしても、航空主兵でやるにしても、大和級を隠したのがそもそもの大間違い。ちゃんと公開していれば、米英は軍備増強の方針に迷いに迷ったはず。ついでに外板を木造化した、おとりダミー大和級も作り浮かべるべきでした。
    だいたいね、開戦に間に合わなかったのは致命的ミス。真珠湾で浮沈の大和級が間に合い、長門級も引き連れていれば、あの腰抜け迷い子な愚将南雲も、もう少し強気で指揮出来たはず。まぁ真珠湾攻撃なんて、とんでもない戦略ミスと思いますけど、やるならばあそこで徹底的に、真っ先に空母を叩いておけば。
    空母はひ弱だ!戦艦造ろ!と、誤った方向に建艦競争に誘導出来たものを。おまけに日本には大和級が4~5隻もあるだと?と、なれば大成功。あとは伝統通りの巨艦砲戦プラスの、米英よりはるかにはるかに強い航空攻撃で。ってのは本筋から外れますね。
    もとい、でもやっぱり大和型は日本海軍の合理の美で、誇るべき美しさと思うと共に、日ノ本を守るために散ってくださった数多の誉れの桜に、心からの感謝と尊敬を申し上げます。

    • @user-rq4gk1kn7z
      @user-rq4gk1kn7z  Před 4 měsíci +1

      大和を活かす兵法ありがとうございます!隠すことで裏目に出たことを思えば、全面的に出してダミーと掛け合わせて抑止力として使うのは効果がありそうです!
      新しいifの世界ですね!

  • @user-ij8fi8ei2m
    @user-ij8fi8ei2m Před 4 měsíci +2

    中学の時の先生が偉そうなこと言っていて、我慢できなくて…(-""-;)
    「日本が負けたのは大鑑巨砲主義だった」「大和や武蔵は無駄だったのだ」
    「帝国海軍は昔の所に戻りたかった」「だけど負けたんだよ」「戦艦ではなく、飛行機がこれからだって道を示したんだよ」って言われたときに「お前行ってこい」って思いました。
    分かってたのに行ってくれた人の気持ちというか、言葉悪いですけど、学校の先生が偉そうなこと言うな…‼️って思っちゃいました…(-""-;)

    • @user-rq4gk1kn7z
      @user-rq4gk1kn7z  Před 4 měsíci +1

      歴史は結果だけを点で見てはいけないと言いますよね。その背景や他の場所の要因も影響を与えることがあるので、線で見る目を養わなければいけないと思いました!

  • @user-qx8tr7vw3p
    @user-qx8tr7vw3p Před 4 měsíci +1

    軍艦武蔵も、やって下さいって

    • @user-rq4gk1kn7z
      @user-rq4gk1kn7z  Před 4 měsíci +1

      はい、戦艦武蔵という時代、として動画作りたいと思います。お時間いただきます。

  • @鼻毛-d4w
    @鼻毛-d4w Před 5 měsíci +1

    大和は対艦戦闘なら無類の強さを誇るけど対空能力が低く相手が頑丈な米軍機では対空戦闘は相当キツいですね

    • @user-rq4gk1kn7z
      @user-rq4gk1kn7z  Před 5 měsíci

      目測射撃で秒速200mの航空機を撃墜するのは困難だったでしょうね、、、。訓練に上限はないと言いますが、こればかりは練度を高めても限界がありそうです、、、!

  • @user-do4yq2zz8n
    @user-do4yq2zz8n Před měsícem +1

    とにかく速度が遅い。
    平賀譲、福田啓二のコンビが最悪。
    山本開蔵、藤本喜久雄のコンビで建造されていたならもっと違う戦艦が誕生したかもしれません。
    何故なら大戦末期の雲竜型は藤本喜久雄の蒼龍の焼き直しです。
    15.5㎝は大和型の最大の弱点ですね。

    • @user-rq4gk1kn7z
      @user-rq4gk1kn7z  Před měsícem

      副砲は弱点とも言われましたね。速力ももう少しあったらどんな艦隊行動をとっていたのだろうか!