ハーバーマス『コミュニケーション的行為の理論』【近代はまだ完成していない】

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  • čas přidán 29. 06. 2024
  • ◇目次
    00:00 ご挨拶
    00:16 ユルゲン・ハーバーマスとは?
    09:50 『コミュニケーション的行為の理論』とは?
    14:36 ハーバーマスの問題点?
    ◇参考文献
    ユルゲン・ハーバーマス『コミュニケイション的行為の理論』(未来社)
    ユルゲン・ハーバーマス『事実性と妥当性』(未来社)
    ユルゲン・ハーバーマス『討議倫理』(法政大学出版局)
    ユルゲン・ハーバーマス『近代 未完のプロジェクト』(岩波書店)
    ユルゲン・ハーバーマス『近代の哲学的ディスクルス』(岩波書店)
    ユルゲン・ハーバーマス他『批判理論と社会システム理論』(木鐸社)
    アドルノ/ポパー他『社会科学の論理、ドイツ社会学における実証主義論争』(河出書房新社)
    村上隆夫他『ハーバーマス』(清水書院)
    中岡成文『増補ハーバーマス』(筑摩書房)
    ◇音楽
    フカガワ「月夜の灯り」dova-s.jp/bgm/play16116.html
    KK「イマジナリーライン」dova-s.jp/bgm/play14299.html
    すもち「おもちゃのダンス」dova-s.jp/bgm/play12459.html
    秦暁「知られざる偉人の物語」dova-s.jp/bgm/play14306.html
    Music from Uppbeat (free for Creators!): uppbeat.io/t/hemlock/every-he... License code: 9DWWIOMVFQO5ZGHJ
    Music from Uppbeat (free for Creators!): uppbeat.io/t/albert-behar/la-... License code: L9E1RW8BPRISBXEZ
    蒲鉾さちこ「哀愁と憂いの春に」dova-s.jp/bgm/play14441.html
    Music from Uppbeat (free for Creators!): uppbeat.io/t/northwestern/hom... License code: QYQJ4LWTYUWVBZMT
    ◇効果音
    効果音ラボ soundeffect-lab.info/
    On-Jin ~音人~ on-jin.com/
    OtoLogic otologic.jp
    無料効果音で遊ぼう! taira-komori.jpn.org/
    DOVA-SYNDROME dova-s.jp/
    効果音工房umipla.com/
    ポケットサウンド - ‪@pocketse‬
    Sound Effects .mp3 sounds-mp3.com/
    タダノオトtadanote.tokyo/
    ◇画像・動画素材
    フレームの無料イラスト集 azukichi.net/frame_high-resol...
    個人商用法人利用可。版権フリー。加工自由。「ふりぃ素材 ほっこり茶屋」&「夢夢色TOWN」 / mumuyakko
    illust AC www.ac-illust.com/
    silhouette AC www.silhouette-ac.com/
    photo AC www.photo-ac.com/
    video AC video-ac.com/
    SILHOUETTE DESIGN kage-design.com/
    じゃぱくりっぷ japaclip.com/
    エガコ egaco.online
    いらすとや www.irasutoya.com
    LITTLE DREAM a-littledream.com/
    Shutterstock www.shutterstock.com/ja/
    BOOTH booth.pm/ja
    パブリックドメインQ publicdomainq.net/
    ピクトアーツ pictarts.com/
    freepik jp.freepik.com/
    GADGET STOCK simpc.jp/free/
    Free Photo free-photo.net/
    mowsvideo • 時計動画素材
    pngtree ja.pngtree.com/
    Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%...
    #ハーバーマス #コミュニケーション的行為の理論 #哲学 #弁証法
  • Zábava

Komentáře • 11

  • @thuglifekay
    @thuglifekay Před měsícem

    こんにちは。ハーバーマス、懐かしい名前です。高かったんですよこの本が。学生にこんな本買わせるんじゃねーよと思ってました。オレンジ色の三冊セット。わはは。私にはピンとこないハーバーマスです。
    その昔(35年以上前?)、辻村公一先生が講義で、「まぁ私は民主主義というものを我慢しているわけですね。歯を食いしばって我慢しておるわけです。」と話されていて、「へぇ、そうなのか」と思った記憶があります。「歯を食いしばって」というのが妙に印象的でした。しかし今は少しその気持ちがわかるというか。別の方が書いてましたけれども、世の中賢い人ばかりじゃないので理論とか言われましても感があります。本音を言えば「政治は賢い人たちでなんとかしてくれ」と思いますが、昨今の日本を見ていますと電波系の政治家しかいない感じで、まことに途方にくれるほかありません。結局民主主義に耐え続けるよりほかに選択肢はなさそうですしねぇ。技術は進歩しても人間は進歩しないので、堂々めぐりを続けるばかり、という気もしています。
    それにしてもキツネさんの「まとめ能力」には恐れ入ります。

    • @dainashikitsune
      @dainashikitsune  Před měsícem

      熟議民主主義の理想について、「よく練られた世論を形成し、これによって政治家をコントロールすること」と説明されることがありますけど、その前提には〈熟議を可能とするための十分な知識〉と〈議論に関与するためのコミュニケーション能力〉があって、結局これが民主主義の構成員となるための一種の資格になってしまいます。ミニ・パブリックスの仕組みがこの問題を解消しているか、といえば些か怪しいなぁというのがキツネの感想です。それでも、この社会を生きる以上はコミュニケーションの要請から目を背けない方がいいという指摘には同意しますし、コミュニケーション的理性は他人を操るためではなく、他者の意見を聞くためにあるのだという観点も大切にしたいと思います。敢えていうと、〈了解しあう〉というハーバーマスの理想よりも、その手前にある〈聞く〉という力に重心を置きたいところです。〈了解〉は、その手続きの過程で、どうしても不均衡な力関係が反映されてしまうから。力の不均衡を是正するのは、必ずしも合意や了解ではなく、議論の余地を認めない〈切り札としての人権〉的な仕組みであったり、様々な抵抗・不服従の権利であったりするのかな、と。『幼年期の終わり』みたいに人間が進化して別次元的存在に成り上がるなら、話は別でしょうが……。
      辻村先生のお話を聞いて、ウィンストン・チャーチルの有名な言葉を思い出しました。耐える仕方にも色々な方法、態度がありそうですね。キツネは歯を食いしばるのはサラサラゴメンなので、自分なりの受けとめ方を模索しています。自分は何をするのか。
      キツネにとって、読書とはコミュニケーション的行為の実践の一つです。そして、生活世界に気儘な獣の足跡を残すことができれば、まあいっか、と思っています。

    • @thuglifekay
      @thuglifekay Před měsícem

      @@dainashikitsune
      おはようございます。
      まずは一切に先立って、文中にアーサーCクラーク出てきたことで感涙のおっさんでございます。一瞬『幼年期の終わり』ってハインラインだったっけ?レベルで記憶失っていますけれども(爆)この一語で一気に中学時代にタイムスリップしてしまいました。私の世代は、本好きなら誰でも「早川文庫の時代」をくぐっている、そういう世代なのかもしれません。SFマガジンなんて雑誌も毎月買ってたなぁ(遠い目)
      さて。コメント冒頭の「熟議民主主義の理想について」から「様々な抵抗・不服従の権利であったりするのかな、と。」に至る文章を拝読しまして、その理路整然としたフローに何やら呼吸困難になる自分がおります。泳げない人が急に深いプールに投げ込まれるみたいな。どこかに浮き輪はないか?と思う間もなくゲボゲボ溺れてゆく的な。
      それに対して「読書とはコミュニケーション的行為の実践の一つです」という文言を読みますと、「お?どういう意味かな?考えてみよう!」と思う、私はそういうタイプです。ロラン・バルトの影響なのか、ついつい「悦楽」としての読書を最優先しがちな自分なので「コミュニケーション的行為」として読書を意識したことは一度もないのですが、言われてみればコミュニケーションなのかな?誰とコミュニケートしてるんでしょう?作者?でも「一緒に」「共に」という感じはありませんよね。
      文学的ジャンル分けや文学史的評価を排除して、ひたすらテクストのみを追いかけ、その書き手の癖を発見しては喜ぶ--(例えば、隙あらばふくよかな中年女性にエプロンをかけさせずにはおれぬ《不自由な書き手》としてのカフカや微粒子好きのフローベールなど)--ような愚鈍な読み方ばかりしているので、それを「コミュニケーション的行為」とはなかなか思えない気もするのですが。
      キツネさんには毎度考えるヒントをいただき感謝です。いつもありがとうございます。

  • @rotometoro
    @rotometoro Před rokem

    大学の授業を理解するための補足的な教材としてとても役に立ちました!素敵な動画をありがとうございます!

    • @dainashikitsune
      @dainashikitsune  Před rokem +1

      コメントありがとうございました。
      お役に立てたようで何よりです!!

  • @user-fc1ms4vq6m
    @user-fc1ms4vq6m Před rokem

    【目的の共有がなければコミュニケーション(開かれた議論)は取れない】
    人間が自己の利益を無視してエゴを捨て相手の意見を聞き入れ議論し妥当性のある判断のできる生物だという人間認識に無理がある。
    しかし目的/利益の一致があった時、それに向かって議論することは可能であると考える。
    逆に言えば目的の一致があった場合のみその目的に向かって議論が可能になると考える。
    議論しようとしても、目的が違った場合には排除しかない
    例えば開かれた議論をしようとしても、Aの目的が日本の破壊と金儲けで Bの目的が社会の安定であった場合その議論で解決に向かうことはない。 そのAとBの問題解決をするものは正当性妥当性ではなくパワーである。
    目的と目的、利益と利益はぶつかり合い争う。
    その問題解決の折り合いがつけれない場合そこで他共同体を排除することによって自共同体を維持する。その目的=利益の最大単位は国家である。
    議論をするという前提には目的の共有が必要になり、その目的がまあまあ妥当であればまあまあ妥当な議論が成立する。
    妥当性を求めるという目的を共有できれば妥当性のある議論ができるが、
    しかし目的を持つに至る過程は、この相対的で正しさが分からない世界でどの論理を信用/信仰するかという感情的決定に関わる問題であるから目的を変更する議論をすることは難しい、宗教を改宗させるようなものである。
    現在の社会では個人の目的が自己利益の最大化であるため開かれた理想とするような議論は不可能である。
    物事の妥当性より個人の利益の方に価値を置いているからだ。
    現代日本で議論が成り立ったと思っている時ほぼ100%相手の利益と妥当性が一致したに過ぎず、相手は議論する気もなく妥当性、真実を求める気もない。ただの利害の一致である。
    従って議論をするにしてもその前提となる目的を共同体単位で、ある程度一致させなければ議論は成立しない。
    例えば日本社会という国民国家共同体での議論をしたいならば
    現代日本に対しての処方箋は個人の目的が自己利益最大化であるから、
    「貴方にもこんな利益がありますよ、これをしないとこんなに不利益がおこりますよ」と利己主義の面からアプローチをかけ
    国民国家、日本社会を維持するという目的をある程度共有できたところから日本社会の議論が始まる。
    コミュニケーションするにしても、その前提を整えないとできない。
    近代の合理化の過程、脱宗教化の仮定で国民国家共同体の共通する目的意識を相対化させた結果
    議論もできなくなった。

    • @user-fc1ms4vq6m
      @user-fc1ms4vq6m Před rokem

      神を信じなくなって抑制/規律が失われてからの近現代の哲学は一目で分かるほど現実感がない
      この抑制の無くなった自由主義、理想主義で哲学自体が壊滅状態にある。それに引きずられるように社会も壊滅している。
      なんか人間が分かり合えるとかグローバルにコミュニケーションできるなど歴史を見れば限りなく不可能に近い理想主義を、
      現実主義かのように無責任に民衆に押し付けそれによって社会は完全に崩壊している。
      近代の哲学者は特に、現実に入れる、現実と照らし合わせる、など答え合わせを放棄し
      自室にこもり一人で考えるから、独善的で無責任なユートピア思想に陥る。
      日本の大学や学会はほぼ左翼の集団ですからハーバーマスみたいな現実感のない理論を99%の人間がまだ誇らしげに、得意そうに振る舞っている。
      これが現実です。
      そして日本は恐らく議論ができる状態になる前に中国に侵略され主権を奪われますから議論の意味はもうなくなります。基本的に中国人が決めるようになりますから
      現実の実践を伴わない無責任な知識人って役にたたないどころか有害ですよね~笑
      ハーバーマスいわく理論と実践は区別できない、適切な実践に結びつかない理論は無力どころか社会的に有害である。
      この言葉がブーメランのように眉間に刺さっているでしょうね笑
      なかなかギャグセンスがある

    • @dainashikitsune
      @dainashikitsune  Před rokem

      ハーバーマスの〈普遍妥当性〉の議論は「目的の共有がなくとも妥当性要求はなされる」という趣旨でしょうから、個人主義やエスノセントリズムを乗り越えてコミュニケーションの可能性を見出したいという希望があったのでしょうね。
      逆に、この〈普遍妥当性〉という超越論的な発想に懐疑的だったリチャード・ローティは、政治の役割を「共通の目的を持つ人々の間での連帯」と捉え、「人々はどの範囲で共通の目的を持つことができるか」を論じました。このアプローチは、こんこんさんのご指摘に近いかもしれません。ローティが提案する共通の目的とは〈残酷さの回避〉であり、結果としてミニマムなリベラリズムを支持する形となりました。ここで求められるのは、分かりあうことではなく、礼儀正しく無視しあうこと。何が幸福かを探究するのは個人の自由だけど、何とかして残酷さを回避するのは政治の義務だというわけです。もっとも、「なぜ残酷さを回避した方がよいのかと問う人には、いかなる答えも持ち合わせていない」のがローティ。それを嫌がったのがハーバーマスなのでしょう。
      二人とも、アプローチは違えど民主主義のことは強烈に擁護していました。キツネにとっても、譲れないラインはそこにあります。しかし、その内実は常に問題となりますね。

    • @tennisyari1208
      @tennisyari1208 Před rokem

      上記のAとBの例においてこのようなことは起こらないでしょうか?
      Aの目的である日本社会の破壊と金儲けというのは、何らかの人権侵害や搾取などが放置されている現状に不満があり、貧者救済のための金を必要としていることからくるものであった。よってAは、人権が実質的に保証され所得のある程度の保証を確保することを真の目的としていた。
      Bの目的である社会の安定というのは、社会が不安定になることによって統治機能が働きにくくなり、警察や司法といった機能が働かなくなり、財産権などの人権が侵害されることへの恐れからくるものであった。
      AとBが対話をすることにより、相反する目的であると思われてたが、実はどちらも人権が保障されることが大切であるという共通目的があったことに気付く。

  • @akiratoshimori1633
    @akiratoshimori1633 Před 3 měsíci

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