日本人の根底には「八百万の神」の考えがあるからイエスだってアラーだって唯一神ではなくて「八百万の神のうちのひとつの神様」以上の存在にはなれないだろうな。
キリスト教の教えを侵略に悪用するのが当時のイエズス会だし
ホントこの時代のキリスト教の教えに、色んな目線で疑問を持った名前も知らない先人たちは日本を救った。
オウム殺人事件は、
オウム真理教が
偽宗教であることを
決定する
判断基準にはならない
のです。
もし
「神が殺人を命じるような宗教が
偽宗教である」ことの
判断基準の一つである
とするならば、
ユダヤ教も
キリスト教も
イスラム教も、
またその聖典である聖書も
偽宗教である
と判断する
一貫性を持たなければならない
でしょう。
@@user-hr5sq4lf3w
信じるものは救われる
信じないものは救われない
なら信じないものは仲間ではない
よって何をしても自由
という点では一貫してる。不幸だけど。
背信を許せない宗教は、まだ幼い宗教
この話てザビエルが辛かったのは、論破してくる人が知識人とかじゃなくて、ただの農民が論破してきたことなんだよな。
そもそも聖書の内容をきっちり読み込まれるとローマ教会がやってることなど欺瞞だと露呈しちゃうから、誤魔化したいただそれだけのために庶民へ文字の読み書き教えるの渋ってたのが西洋社会だし…
まさに宗教の黎明期、嘲笑と罵倒の雨に打たれる苦しみを当時のイエズス会は味わってたのではないかな。
それでも信仰の炎を生涯にわたり保ち続けたのだから、それでもザビエル立派な宗教家とも思うけど。
@@user-um8li9if3bインドのゴアでは凄い数の旧ユダヤ教徒を異端審問にかけて火炙りにして来た人だけどね。ザビエル。あれは「救ってた」のかしら?
ご先祖さまが天国行けなくて泣いちゃうの相当ピュアでかわいい
@@20spaceshy2 そんなこと言ったとしても当時の日本人に「お前めちゃくちゃハゲとるけど、どんだけきつい洗礼受けてきたんだ?」言われるだけだろ
よく「日本は無宗教」という人がいますが、実際は「日本は多神教」という方が正確なんだと思います。
信仰が薄いんじゃなくて、もはや無自覚レベルに日常に染み込んでるって聞いたことがあります。
「もったいない」って言う何気ない言葉も、実は完全な八百万信仰の発想で、外国にこれに該当する言葉はないそうです。
@@nishis.k.4136 様 食べ残したおかずを捨てる時と、白ご飯を捨てる時とでは、「もったいない感」や「罰当たり感」が大きく違うのが不思議だ。※私だけかな?
外国の人が、日本の神社に行き、「崇める神がキリストであろうと、ムスリムの神だろうと、崇める行為は同じ。なんせ日本には八百万の神がおわしますから」と、参拝を拒まなかったのは有名な話。
とある高貴の方などは、自宅の地下に礼拝堂を作って、キリストに拝んでたって噂すらある。
ザビエルが日本の洗礼受けてるの草
@@KAZWACKY >ザビエル は、イエズス会の発起人イグナティウス・ロヨラの一番の同志であって、部下でさえ無いし、ましてやペーペー神父ではない。そもそもザビエルが日本で洗礼受けるはずもない。信者でないものが神父になれるわけもなく、そもそも信者でさえないとしたら何しに日本に来たよ。デタラメに乗んじゃねー
Q.先祖は天国に行けなかったのですか?
A.①行けなかった
→神無能じゃねぇか
②行った
→なら洗礼いらねぇじゃん
詰んでて(´・ω・`)カワイソス
キリスト教が受け入れられないのは、神様が救済するかしないかを決定してしまう所にあると思う。
仏教は自分の努力しだいで幸福になるか、不幸になるかを決められるから受け入れられたと思う。
その自分の努力すらできない罪びとでも、罪びとならなおさら極楽浄土へ他力で行けるのですよ。そういう何でもありが古来からの日本の宗教観。そもそも「現人神」である天皇が仏にすがって世の安寧や疫病を鎮めるために大仏を造るのよ。更に時代が下れば退位後に「現人神」が仏に仕えて「法皇」になるのよ。そして民話では大仏が神であるお伊勢参りの道中で食い逃げするのよ。
日本に伝来した仏教は確かに「自分の努力しだい」だけど、日本人はそこからさらに「努力もいらない。阿弥陀様に救ってもらう」という『他力本願』を発見したのがすごいと思う。
(「神様が救済するかしないかを決定」というのは予定論といって、「キリスト教の中の解釈の一つ」でしかないです。聖書は「神はすべての人を救済しようとしているが、それを受け入れるか拒否するかは人の自由意志による」と解釈される記述も多いので、予定論を否定する立場も多いですよ)
いや本来は本人の努力次第よ。聖書の言葉=神の言葉を守ればとあるけど、今の人達にはそれが無理だと言っているから。まあキリスト教は聖書内容総無視してるからそれ以前の話だけど。
仏教もキリスト教も大して変わらない。どちらも政治と金に関係している。あと歴史の授業で自分の都合の良い所への抜け道作っているな印象受けた仏教キリスト教。
結婚式のときだけキリストに一生の愛を誓うのほんと不思議
キリスト「いや、その時だけ誓われても、ワシの誕生日の1週間後どうせ除夜の鐘と初詣行くんやろ?んでワシに誓われても、なぁ。プレゼントもろてないし。」
秀吉がキリシタンを追放、迫害した理由の説としては、当時スペインやポルトガルが南米の植民地政策として原住民を奴隷として連れ去ったりする行為を日本でも行っているのを聞いて、怒った秀吉が追放したと聞いたことがある
日本には古来より、「すべての日本人は天皇の『おおみたから』である」という思想があるので、この秀吉の政策は(実際の意図はどこにあれ)人々から支持されたのではないかと思う。
@@user-qw6mz4bt5k 様 高杉晋作が彦島租借を(うやむやにして)断るために交渉の場で古事記の講釈を始めたという話を思い出した。さて、今の北海道知事は何してんのだろうか?
諸事情により再アップです😭
お気軽にコメントしてくださいませ
宣教師=商人が改宗しない日本人を奴隷としてスペインに輸出していたのを秀吉が知って激怒→バテレン追放令→キリスト教禁止の流れがあって広まらなかったんよね
まさに神道の考え方ですね。
万能の神はいないが、八百万の神はいる。
唯一神を信仰する事はなくても、全てのものに対して神が宿ってると考えているから、それぞれ役割があってそれぞれに感謝している。その行き着く先が擬人化やったりするんやろうと思う。
物事が受け入れられているか否かを見極める方法のひとつに、「全体の3%以上に普及しているかどうか」があるそうです。普及率が3%を超えていれば、時が過ぎればさらに普及していくことが期待できます。逆に十分な時間が経過しているのに3%を超えられなければ、「まったく受け入れられていない」とみなせるとか。
キリスト教が我が国に伝来してから400年を超えているのに、キリスト教の信者が日本人の3%を超えたことは一度もありません。上記の理屈が正しいなら、「キリスト教は日本人に受け入れられなかった」ということになります。
わしも家庭訪問系勧誘に同じ質問したら「あなたが信じればご先祖様も救われますよ」と言われたので「じゃあワイも子孫らに託すわ」って言ったら論破できた
知り合いが、小学生のとき、勧誘されて、教会に遊びに行ったが、好奇心が強いので、あれもこれも質問した。子どもだから、何の遠慮もなく、ずけずけと質問をつづけたものだから、「もういい。帰ってくれませんか」と言われたと、言っていました。
「信じる者しか救わないセコイ神様思うよりは、僕と一緒にいる方が~🎵」と歌ったら逃げってたけど(笑)
ちなみに「NHK撃退シール」は、なぜかエ○バの証人にも効果がありますよ。
ピンポン押されるのが嫌な人は、お試しあれ。
宗教勧誘もNHKの委託業者もどっちも暇な時にからかって遊ぶくらいの価値しかないと思ってる。
「今の忙しいから待っててね~」って放置プレイも(笑)
@@user-iz8lu6mj2s さん
それは、アポ無しでピンポンして、ドアを開けて貰って、話を聞いて貰えると思ってる非常識な人に言って欲しいのですが(笑)
まぁ、私は、「信じる者しか救わない」ならそんな神様は、セコいだろうと思う。
「この神様を信じないと不幸になりますよ?」って言うような宗教を、どう思きますか?
私は、めちゃくちゃ胡散臭いと思いますけど。
死後よりも今助けて欲しいよね。
@@user-mp6iu8vu9g その時点で現世捨ててるから宗教って眉唾物なんだよな笑
死後なんて誰も分からんのに、今ある時間を宗教に費やせるわけないやろと
所詮は心が弱い人を支えるだけにしとけばいいものを利益追求に使うから宗教はクソ
高校で歴史の教師をやってますが、映画の沈黙は素晴らしい映画です。西洋文化に憧れを持つ日本国民が何故キリスト教にこぞって改宗しなかったがよくわかる映画です。結局のところ、キリスト教は日本には根付かない
文化だと言うことです。
ナチュラルに傲慢な宣教師たちと純粋なのにキリスト教と全く相入れない思想を持つ泥沼のようなキリシタンたち…大学で宗教と映画について研究してるんですが、私も何度も見返している映画です
何で読んだか忘れたけど「日本だけ改宗したら先祖も救えるってことにしていいですか?先祖救えないと改宗してくれない人達多いんで(涙)」みたいな手紙をザビエルが本国に送ったって聞いたことある。
以前勤めていた施設がキリスト教関連の施設で、月に一度キリスト教会の方々が慰問に来てくれていました。
歌を歌うのは良いのですが、キリストを称える歌(題名は知らない。)があって歌うのですが、歌詞の一部「神に祈れ、感謝せよ」と何度も繰り返しでてきて、「そんなに毎日祈って感謝しないとダメな神様なのか。みみっちいな。」と思った記憶が有ります。
神様を自然に置き換えたら、日本人でも分かるんじゃないかな?
自分の信じる神がみみっちいと言われるのは、純粋に悲しい。
私は自分のルーツが知りたくて、日本の素朴な地域信仰について勉強しました。稲荷や山の神、田の神、水神、龍神、恵比寿さん、秋葉さん、八幡さん、山王さん、日吉さん、大山さん、金毘羅さん。対象は何でもいいです。道端の道祖神やお地蔵さんでも構わないです。そこには真剣に明日の恵みと幸せを願う気持ちが籠もっています。
我々、クリスチャンも同じです。自分や自分の大切な人が、どうか幸せでいて欲しい。だから毎日祈り、感謝します。キリスト教は現世利益を求める宗教ではありませんが、根本は同じなんです。私たちの神は自ら生贄になるくらい愛に溢れているから、どうか助けてください、日々の家族や友人、大切な相手と過ごせる幸せが続くよう守ってくださいと祈るんです。
まともな教会の活動は、あまり目立ちません。キリスト教に縁のない人にとっては、統一教会のようなカルトと普通の教会が同じに見えているのかも分かりません。実際はもちろん違いますが。
これは、1人のクリスチャンとしてのお願いです。私たちや私たちの信仰を馬鹿にする前に、その向こうにはあなたと同じ血の通った人間がいることを思い出してください。どうか、お願いします。
長文、失礼いたしました。
ここまで読んでいただけた貴方に、心より感謝申し上げます。
@@isababori5391
日本の神道がまさにそれで、神様って自然に根付くものって考えが根底になる。
だけどキリスト教は、自然と真逆の特定個人が信仰の対象だから、置き換えるのが不自然になるじゃないかな。
論破と表現されておられますが(確かに結果的にそうなんですが)、論争する気は無くてただ、当時の日本人としての素朴な疑問をぶつけただけなのではないかと思っています。貧しくて学問教育が受けられなくても、地頭が良かったので本質的な所に気が付いて、それを無邪気にぶつけただけだと私は想像しています。本当の意味で賢い人が多かったのでしょうね。
欧州ではそういう素朴な疑問がルネサンス・宗教改革・人文主義まで出てこなかった。そういう欧州の方が異常で、教会権力の恐ろしさ。ちなみに11世紀の超新星爆発も昼間でさえ明るく見えて世界各地の文明で記録されているのに欧州では聖なる天上界は不変という教義のため見えないふり(見えるやつは競技に逆らう悪魔の手先)。素朴な人間の感覚が許されない世界史的にも異常な世界だった
@@vladimirgeorge
欧州も皇族からして姻戚関係が濃いので、単一思想に染まる危険性は大きい。
ひょっとして「血は水よりも濃い(血は海を渡れない)」のは生物学的な弊害?あるいは安全弁?
車がお釈迦になるとかパソコンがお陀仏になるとかフツーに喋ってるがモノにも魂が宿ってる概念好きだな。
ぶっちゃけ人間とモノを分けて考えること自体が変だと思う。
日本人の心の根本には『八百万の神』と言う考え方があるから唯一の神って概念な成立はしないと思う
西洋人にとっての宗教は教育であり学校
日本人にとっての宗教は生活であり家族
根本的に違うのだ。
キリスト教やイスラム教の様に明確に「教え」として行動を具体的に指し示そうとする宗教と比べて、
神道は基本的に何かを教えられるわけではないけど、だからこそ個人個人の内にある善性に基づいて行動し、ひいてはそれが集団、社会性に繋がるという所
神様に対しての姿勢が頭を垂れて教えを請うか、道を隣り合いながら歩むかとお互い根っこから異質だからそのままだと上手く馴染まないんですよね。
科学も今や宗教とか言われているし今の日本の授業も洗脳はあると思う。進化論とか一説に過ぎないのにそれがさも事実だという授業内容になっている(他教科も遅れていると感じる部分ある)。日本は昔から天皇は神だとか授業で洗脳してくる文化あるから日本は日本で問題ある。
知り合いの外国人の牧師さんが一時帰国する時、飛行機の中で読んで下さいと、新渡戸稲造の「武士道」(原文が英語)を貸したら、日本人の宗教観が分かるような気がするからもう少し貸して欲しいと言われ、半年以上借りられたことがある。
イタリアントマトが御徒町にできた時、宮部みゆき先生は
「ああ、御徒町もイタトマが似合うおしゃれな街になっちゃうのかぁ・・・」
と思ったそうだが、暫くして御徒町を訪れた先生が目にしたのは、イタトマ化したオシャレな御徒町ではなく『御徒町化した下町のオバちゃんが集うイタトマ』だったそうで。
日本の持つこの妙な同化力を見ると、様々な状況があったとはいえキリシタンが変質していったのもむべなるかな、と思いますね。
知り合いが、もろにその方面の研究者だったので、ちょっと聞きかじっていますし、彼らが翻訳した当時の宣教師たちの文書も読んだことがあります。当時の宣教師たちは、儀式ということでは、真言宗をライバル視したようです。儀式の荘重さとかが、ローマカトリックに似ていたからです。他方、一方庶民レベルでは(当時の一向一揆の盛んなことを思い出せば当然なんですが)浄土真宗の信者が大変多く、彼らは「聞法」とか言ってお寺で、いろいろ論義問答を聞いており、合理的だと思わないかぎり納得してくれなかった。そんな習慣はヨーロッパにはまるで無く、神父が一方的に教えるだけではどうにもならず、宣教師たちは非常に困惑したと、述べています。まあ、その頃、ヨーロッパの識字率なんて、日本よりずっと劣っていましたし、浄土真宗の議論なんてものは、明治時代になってさえ、福沢諭吉が、「西洋にはディベートなんてものがあるが、日本でも浄土真宗のお寺へ行ってみなさい。それは日本でもやられている」みたいなことを、言っています。おまけに、当時の日本は戦国末期でヨーロッパ全体より多くの火縄銃を持っていたと言われています。これでは、ザビエルがあきらめて、チャイナへ方向転換したのも、納得です。
動画楽しかったです^ - ^
キリスト教は許されることが頭にあって、仏教は誰にもばれなくても今世の行いが来世に影響する気がするという、全く異なる考えがあるなと思ってました。ということでふんわり仏教よりの日本人でクリスマスも楽しんでいこうと思います。
仏教が凄いというよりも、神仏習合のプロセスがとてつもなく智慧だったのだと思う。
あそこで宇宙観と宗教原理の同居または融合が始まり、そのことによって日本人にとっての宗教は、心身を捧げ許しを得るためのものではなく、心身(または意識と認識)を繋ぐ鏡になった。
道標は与えられるものではなく自らの内に見出すもの、教えられるものではなく発見するものだという生態が文明に刷り込まれていった。
これが詭弁としてのカルトに抵抗する最強のファイアウォールになった。
うちの祖父母の家、墓は寺にあるし仏間に神棚と仏壇があって、庭に小さい鳥居と祠(祖父の手作り)があるんだけどクリスマスにはツリーを飾る。
当時の熱心なキリスト教徒たちはこうなるとは思いも寄らなかっただろうな( ̄▽ ̄;)
だいたい東洋系の宗教ですら明治になるまで「神仏習合」なんですから。そもそも「現人神」である天皇が仏にすがって世の安寧や疫病を鎮めるために大仏を造るのよ。更に時代が下れば退位後に「現人神」が仏に仕えて「法皇」になるのよ。そして民話では大仏が神であるお伊勢参りの道中で食い逃げするのよ。
一口に仏教と言っても宗派によって色々だからね。
弘法大師が開祖の真言宗はキリスト教の影響を受けてるよ。
お大師さんが31歳で中国へ留学した時に景教(キリスト教)も学ばれたから。
「神は無慈悲だし、無能じゃないか!」というのは、1000年前、ガリア人やノルマン人への布教の時には出てこなかった
「そうだね、先祖は地獄に堕ちるだろう」といった瞬間、殴りかかってきたような民族
中世という間、いかにキリスト教の僧侶にとって駘蕩とした世界に生きてきたか、それとの違いをまざまざと見せつけられただろうな
昔のご先祖様方は、好奇心旺盛で頭が良いのが分かるエピソードですね
最近、キリスト教を学ぶ機会があったんですけど、御先祖さまが私と似たような疑問をぶつけているのが、ちょっと親近感。そう思っちゃいますよね。万能の神なら罪を犯さない人間を最初から作ればいいのに。
誰か書いてたらすいませんが。
「自分の先祖も非キリストで地獄に落ちてるんなら、自分もキリスト教ならない。一緒に地獄行って暮らします。」っていうのがありましたね確か。
宣教師白旗だったそうですが。
「あんなに優しかったおじじ様が地獄で苦しんでいるのに、自分だけぬけぬけと天国なんぞに行けるか!」っていう感覚だったのでしょうかね。
@@ordinaryjapanesemeals8714 おじじ様、極楽か月か山か海か天か天界か天人界か霊界かその他いろいろどこかかはわかりませんがその子孫を見てほっこりしているでしょうね。
キリスト教でも、プロテスタント・カトリックを筆頭に、○○会・○○派が沢山あり、教義や捉え方が微妙に違ったりするんですよね。
先ずザビエルがこの質問をされたかどうかは不明です。
キリスト教信者しか救わない、最期の時に信じるだけでも救いがある可能性もある、熱心に祈りを捧げれば救いがもたらされるかもしれない、キリストが死と復活で人類の原罪を背負ったので過去を遡って許された。
など様々です。
高名な人達は、きちんと体系化された回答を用意していたり、あらゆる問題でも救いの道を教えているので、よっぽどの強硬派以外は、簡単に排他主義で切り捨てたりしませんよ。
自分は信者でも何でもなく、ただ宗教観の違いや歴史的事実が好きなだけなので、情報を鵜呑みにせず、色々調べてみると面白いと思います。
「論破癖」なんて、日本では最近の傾向でしょう。むしろ西欧文化圏のものだと思いますね。
それに昨今言われる「論破」は、全然論破になっていなかったりするんですよね。ただ相手が返答に困れば何でも「論破した」と言っているような。
確かにそうね。実際、その頃の日本人がザビエルに「自分の方が正しい! キリスト教から改宗して神道信じろ!!」と迫ったとは思えないのよね。
あなたはキリスト信じるのね。でも私は八百万の神の方が良いわってなっただけで。
最近の論破流行りは、まぁ若い人には相手をやり込めると、スカッとしてカッコいいように見えるのかもしれないけど、禍根が残るんじゃないかなぁ?ってちょっと心配だわ。みんな違って良いんじゃなかったのかしら~って。
この世の終わりかと思うくらいのものすごい腹痛と下痢になったりした時、「なんか悪いことしたのかなぁ…神様仏様!!!」ってトイレで拝むもんなぁ🥺たしかに、無自覚かもしれない
神様仏様って言ってる時点で唯一神なんていないし神と仏が同列なのかなぁって程度のふんわりした感覚なんだよなぁ国民全員。唯一神と同列に別の誰かを扱うなんて他国じゃあり得ないと思うし
こうした問題はゲルマン人相手にも発生していて、そんときは「先祖は地獄じゃなくて煉獄にいるから子孫の信心で先祖も救われる」って整理したんじゃなかったっけ。「ゲルマン人 煉獄」でググると出てくる話だから有名だと思う。
意外と純朴な百姓の方が真理をズバッと言い当てる。逆に知識階級の武士なんてドップリハマってしまった人もいるのが考えさせられる。
常に死が見える形で存在するかどうかの違いじゃないかな
戦場にいて明らかな武器を目の当たりにするか、病気やら飢饉やらふわっとしたものしか基本ないか(それは貴族であってもあるが)は精神状態上全然違う
はっきりとした危険を常に感じる方がすがりたくなるのは普通の事だと思う
日本の神って直接助けたりしないし
神様見てるからいい子にしなさいって
いう考えで争い少ないからいいよね
本とか漫画貸すの自分の好きな物広めれた感じして嬉しくない?
て話を友達にしたら、
分かる〜多分ザビエルもそんな気持ちやったんやな
て言われたのほんとに面白くてずっと記憶に残っとる
そもそも日本人の多くは「神仏は人間のために居る」「人間は神仏に救われるのが当たり前」という価値観だから、「人間に対して絶対的な主権を持つ創造主」が理解出来ない。
日本に入ると何でも「日本的なもの」になってしまう
日本教とでも言うのだろうか
よくわからないものに全てを預けることはしないってことだな
大事な考え方だと思う
かつてB’zさんも、信じるものしか救わない神様はセコいと歌っている。あぁなるほどと(笑)
◆
キリスト教の教え : 聖書の中にいっぱい
日本の神道の教え : お天道さんが見てる
かように
神道ってすごくシンプルなんだと思う。
( ̄▽ ̄)
日本の仏教界って滅茶苦茶仲が悪くて信者の奪い合いで説法を滅茶苦茶やりまくってるから市民が宗教に詳しく矛盾とか平気で突いてくるからやりにくかったんよ。
鎌倉末期の太平記の時点で既に寺同士で戦争してる描写ありますからね。ザビエルが来日した戦国時代の寺の抗争はそりゃあもう激しかったでしょう。
また人心の荒廃に比例して戦乱に苦しむ民草を救済しようと、民間に混じりながら布教に尽力した僧侶の話もありますね(踊念仏など)。
昔から僧侶が民と交わりながら布教してきたって歴史は、間違いなく仏教の教義の普及につながり、人々の論理的思考力を育んできた事でしょう。
聖書の中身って一部内容があやふやな個所があったりする。それでも、元々キリスト教文化が浸透している地域の人達なら信じてくれただろうけど、キリスト教に馴染みが薄い人たちでしかも思考力がある人達にあやふやな話をして「神を信じなかったら地獄に落ちます」とやっても納得してもらえないって。
某大学の先生が、おもしろいことを言っていました。宗教学の授業で、登場人物名をすべてA、B、Cに置き換えて分からなくして、創世記の物語を説明したとき、それを聞かされた学生たちの感想は、「ひとでなしばかりが登場する物語ですね」、「こんなひどい人たちばかりが、でてくるって、どうなっているんですか」みたいなものばかりだった、と。
当時の日本人にイエズス会の下心を見透かされていたのですね
jesuitと単語の頭を小文字にして一般的形容詞にすると「狡猾な」という意味がある。要するにイエズス会はそういう所業を行い(コメ主の言う)下心だったということで、それを見すかしたのは日本人だけではない。そもそもイエズス会のボス格のローマ教会も、ルターらプロテスタントに議論で負けるくらい教義が杜撰だったというのもあって何だかなあと思う
@@vladimirgeorge その Jesuit または jesuit という単語が気になってちょっと調べてみると、研究社『新英和中辞典』で「2. [しばしば j~] 陰険な人; 策謀家.」、ALC(アルク)『英辞郎』で「2.〈軽蔑的〉詭弁家◆通例、jesuitと表記。」、無料オンライン辞典 Wiktionary で 2. (obsolete) A crafty person; an intriguer. =「2. (廃語) 狡猾な人; 策略家。」とある。ところが牛津大学出版局(OUP: Oxford University Press)では、母語話者用無料オンライン辞書(Lexico)も非母語話者用無料オンライン辞書(Oxford Learner's Dictionaries)も宗教タブーへの忖度で第二定義をカットしてしまっている(ダメだこりゃ)。もちろんさすがに『牛津英語辞典』(OED: Oxford English Dictionary)は、2. transferred. A dissembling person; a prevaricator. Also figurative. depreciative. =「2. (意味の転移で) ごまかす人、言い逃れをする人。(また比喩的に) 人を見下すような。」という定義を漏らさず載せている。そして米国のメリアム=ウェブスター(Merriam-Webster)は、2: one given to intrigue or equivocation =「策略や曖昧な言葉に溺れる者」としている。
入り乱れてる宗教観があっても祭りや遊びや行事としてならめちゃくちゃ馴染むから、
今度から祭りとセットで宗教来ればいいんじゃないか?
というかそんな状態で2年も頑張ったザビエルさん凄い熱心な人だな…
ザビエルさんの熱心さそのものは好かれていますよね。当時キリスト教に入った日本人も多分ザビエルさんの熱心さにほだされた人が主じゃないかと思います。
この動画のザビエルと当時の日本人のやりとりを聞くと「神道は究極の宗教。信者が信者である自覚がない」みたいな言葉を思い出しました。そして、中世ヨーロッパの人たちは、どうカトリックの話に納得したのか(納得して行った過程)も気になりますねw
元植民地の人がキリスト教信じてるのが信じられん。
そいつらに奴隷同然にされてるのに...
馬鹿だから植民地にされて馬鹿なままキリスト教信じ続けてるのだ。
と自分の中で結論つけてます。
@@user-nr6sn8js5n 様 元植民地かどうかは別にして、とある半島の国では元々まともな宗教がなかったのでキリスト教が普及した。しかし、教皇様から「魂から生まれ変われ」って言われている。おバカは当たっているかもしれませんね。
当時のスペインやらオランダは、まず冒険家の船乗りが新しい国や島を見つけて、次いで商人が行って珍しい物をばら撒いて関心を引く。次いで宣教師が宗教を広げて、最後は軍隊が侵攻虐殺し植民地にする。だっけ?
日本は八百万も神様が存在してるから、単推しじゃなく箱推しが多いんだろ。頑張れば一般人でもなれますし。
災害が頻発するせいで自然を畏れ敬うようになってて万物信仰が染み付いてるから先祖の件とか抜きにしてもキリスト教の思想は根本的に合わないし母国との食生活の違いや観察されまくるストレスも凄かっただろうしな…ザビエルが2年で心折れるのも無理はない。
むしろ2年も保ったこと、本部に対して一応の対応策を提言できているところがフランシスコ・ザビエルの優秀さを如実に示している。
並の宣教師だったら1ヶ月かそこらで逃げ出している。
どこの誰かもわからない人間(神?)よりも、実際に存在する土地とご先祖様を敬う方が先だと思うの
昔、小学校の校長先生から、卒業のお祝いに「日本人とユダヤ人」という本をいただきました。いまだに何故小学校を卒業したばかりの子どもにこの様な本を贈ったのかわかりません。前置きが長くなりましたが、外国の神父が日本の信者は日本教キリスト派だと言ったとの記載があり(曖昧な記憶ですが)、なるほどと納得したのを思い出しました。外国から見たらおかしい人々かもしれませんが、そんな日本人が好きです(^-^)/
とあるキリスト教のラジオで
「SNSは悪魔のツール」
って言った話をして
終わったら
「様々なSNSでご意見お待ちしております」
って
もうその時点でねぇ
色んな話してるけど矛盾がハンパないのよ
おら、ぱらいそさ行くだ!
のマニアック件で登録してしまいました^^
面白い〜!
「無慈悲に先祖全てが灰燼に帰すことを覚悟しなければならない」、「偉大なる教祖イエスキリスト様」ってことですね。
なぜ所詮は教祖の教え如きを大事に信じるのか。
彼は神ではなくて神の通訳やろ。人やろ?間違いもするやろ?もしかしたら聞き間違いしてるかもやのに…
もしかしたら神様は「俺そんなこと言ってないで〜」って困ってるかもな。
『沈黙』という隠れキリシタンを題材にした映画で役人が「踏み絵にちょっと足かけるだけでキリシタンじゃないってことにしとくから、やってくれよ!」とキリシタンを説得しようとしてるシーン思い出したな。
日本人は、お正月は神社に行って、結婚式は教会で挙げて、葬式はお寺で行います。知らない人間から見れば「無節操」ととられがちですが、逆に言えば「信仰の神髄を極めている」とも言えます。本当に大事なものは「形」ではなく「真心」です。「感謝と共に送り出したい」という気持ちがあれば葬式は、静かに祈っても、踊って笑顔で送り出してもそれは正しいのです。
本当のものはどんなに時代が変わっても変わるものではありません。レベルが低くなればなるほど、「神様の形がなければ誰に祈っていいのかわからない」→じゃあわかりやすい偶像。「決まりがなければ正しいことがわからない」→じゃあ細かい決まり。となりやすいと思います。 神社の本尊は鏡「己の真心に問い続けなさい」 まさに最高峰の宗教感だと思います。
色んな霊媒体質の人や霊媒師の意見をまとめると
1:日本語圏の霊は日本語しか通用しない、英語圏の霊は英語しか通用しない
2:呪文やお祓い方法は生前の生活環境や宗教観が大きく影響を与える
例えば日本人の仏教信仰の霊に十字架や聖書を見せてもほとんど効果がない
そんな理由で弱体化するのかよwって話ありますよねw
節分の鬼なんて豆で大人しくなるのならば鬼は外などと言わずに隷属化して家事仕事させても良さげだしw
誤った解釈をしている人が多いけれど、世の中そんなに都合よくできてはいない。
キリスト教、仏教といった古くからの土台があってそれに帰依する必要がある。
要するに霊界には霊界のルールがあってそこから逸脱するようなことは基本できない。
我々は、神々と良き友人、良き仲間でありたいのだ。
神の従者や奴隷になりたい訳ではない。
面白かった。色々考えさせられた。
キリストの神さまってアダムとイブが犯した罪の責任を子々孫々まで罪を負わせる
連座制採用してるって事だよね 旧約聖書で神が行なった行動とキリストが新約聖書で主張してる事ってかなり乖離があるような気するのだけど
アダムが罪を犯したために失われた完全な命を取り戻すためには同等の完全な命をもって買い取る必要があります。それを成し遂げたのが神の子イエス。(ローマ5章12節)乖離していません。矛盾はありません。
織田信長と言う神と魔王を兼務した人が居たからだよ
生活習慣に馴染みすぎてて宗教的行事や言葉だとはあんまり意識しないようになっただけだよなぁとは思ってる。いただきます・ごちそうさまを宗教用語だからと忌避する人はめずらしいだろうし
10:01なんか、精魂尽き果てたんやな~ってのが伝わるわ~。
半永久的に疑問を投げかけ続ける、『一休さん』のどちて坊やみたいな状態に遭遇したのだとしたら、精神的限界が来てもおかしくはない。
@@acetatara4707 頭ごなしに怒って黙らせて蓋をする祖母ではなく、辞典を買ってくれてそれで解決の方法を当人に学ぶ姿勢を教えてくれる、良いおばあさまですね。
以前、イスラム教徒とキリスト教徒を前に「日本には神様がいっぱいいる!私も神様なの。」と無邪気に言ったら絶句してた。w
今時なら、「唯一絶対の神」などという言葉を、人前で言うのは、他人さまの宗教をディすることで、ハラスメントですよ、とでも、言うべきでしょうね。
別にキリスト教を論破したわけでもないし
「なんで先祖を救わない」なんてのはゲルマン人でも言ってたことだ
キリスト教は普通に戦国時代の布教では広まっていたし
だから秀吉は禁教を宣言した
日本人が優れてるからキリスト教は広まってないんだと思いたいんだろうが違うわ
昔知り合いの牧師様に動画で言われていた『ご先祖様は救われないのですか?』って聞いてみたら
『そう言われています。だからこそ私達は祈るのですよ。洗礼を受けなかったご先祖様達が救われるよう、ご先祖様の分まで神に請い願うのです。疑念を挟まず、神の救いを信じて祈りを捧げる、そこから信仰は始まるのですよ』と答えられてなるほどなぁと思いました。
俺やったら面倒臭いからやめとくわってなるわ笑
それこそ、そこまでしないと救われないなら要らないです。自分で切り拓いて出来なければ自分の責任で死んでいきますってなる。祈ってる時間が勿体無い。
その国の国民が良く考える国民かどうか調べるには、宣教師で判断出来る。日本に来る宣教師はかなり賢い。
日本の成り立ちが異常だって言われる所以の一つに、大陸人が日本列島にきたときには既に高度で土着的な宗教が発達していたとかって説があるよな。
今の日本人にもこういう頭のキレがあればなぁ…
嘆く必要は無いのでは。CZcamsのコメント欄もそうだし、Twitterを見ていても、人の考えに対してツッコミを入れる人は山ほど居る。大丈夫。日本人のキレは今も生きている。
@@user-ml6qf3rf2w 今の年配の政治家は洗脳教育をがっつり受けた世代だから無理じゃね?
そして、若い世代の賢い人は、日本の政治家なんか目指さない。
まあ、そうやって一人一人考えていないと生きていけなかった世の中であったというのも忘れてはならない日本の歴史だけどな。
日々を繋ぐことが大変だったからこそ日本人の次の世代に繋げようという意思が他の国の人々より強かったのかなと思います。
(再コメントです。)
「哲学が良く出来て弁証法に優れた人」それを「詭弁が得意なウソつき」とも言うw
自分は訳あって小学校高学年ぐらいまで教会の日曜学校に行ってたんだけど、旧約聖書の話を聞きながら「自分に従う者しか救わず従わない者は皆殺し。そんな神クソじゃ」ぐらいに思ってたからなぁ。
某大学の先生が、おもしろいことを言っていました。宗教学の授業で、登場人物名をすべてA、B、Cに置き換えて分からなくして、創世記の物語を説明したとき、それを聞かされた学生たちの感想は、「ひとでなしばかりが登場する物語ですね」、「こんなひどい人たちばかりが、でてくるって、どうなっているんですか」みたいなものばかりだった、と。
また、明治時代にキリスト教徒になった内村鑑三が、初めてアメリカへ行ったとき、そのいわゆるキリスト教国が、全然理想の国じゃなくて、異教徒の日本より嘘、盗み、暴力、売春などが圧倒的に多いので、衝撃を受けたってのもありましたね。
有名なノアの方舟なんて地上にいる堕落した人々を神が洪水で一掃する、だけど正しい道を歩むノアと家族だけは助けるという無慈悲な話。一方でキリスト教では「罪を償えば赦す」とかしているわけで、子供のころこれを聞いた時に「ノアの方舟では罪を償う機会も与えなかったの? 超理不尽じゃん」と思った記憶がある。
@@user-ll7hq8dr1l ノアは人々に「俺らと方舟乗れや死ぬぞ」って言ってたけど誰も受け入れなかったワケであって神は人々に機会を与えはしたけどね聖書くんによると
日本人の心大和魂そうやすやすと変えられない。
@@user-fm2no4we6k 文化は取り入れているけれども、信仰や心の拠り所は日本人独自のものを持ったままな気がする。
(西洋にかぶれたひとも居ますが…)
日本はそれでいいんだよ
それこそ我らの誇り
信じる者しか救わないセコい神 拝むより
愛のままに我儘に僕は君だけを傷つけない
布教の勧誘に来た人には
「今は神様には頼らず人としての修行中の身なので、いつかその時期がきたらこちらから連絡します。」
と言ってお引き取り頂いてる。
腹痛い時が人生一神に祈る瞬間
「勝負は運否天賦、どっちが斬られても恨みっこなしってことで」昭和残侠伝、唐獅子牡丹の花田秀次郎の名セリフです。
人生は運否天賦。
ご先祖様たちが素朴で純粋なのかわいい
もっと素朴で純粋な人たちは隠れキリシタンになったとさ
@@user-lh2vp5zk3h
素朴で純粋と言うか言われたことを考えずに信じてしまうだけな気が…
@1分以内に登録しないと呪われます あぁ1分間に合わなかった。。。
@@user-lh2vp5zk3h 上手いこと言ったつもりなら臭すぎる
@@user-lh2vp5zk3h もっと素朴で純粋…「無知な馬鹿」をよく言い過ぎでは