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歴史の教科書を開いて今日はどこにタイムスリップしようかな?ってワクワクする。歴史が苦手な人からしたらわかって貰えないかもしれないけど(笑)
卑弥呼=日巫女=日の巫女
筋トレしながら見てます😂
卑弥呼は個人名でなく役職名だというのはその通りだと思う魏の役人にあんたらの王はなんという?と聞かれ、使者は日の巫女だと答えたんだろう
個人的には、祀られていた御神体の名称だったのでは?ともおもっている。
今こうして自分達が生きているより前の歴史を研究して学んだりして楽しんでるけど、100年後や1000年後の未来人も今自分たちが生きている平成、令和時代を研究して解明できていない謎を解き明かそうと必死になっていると思うと凄くロマンを感じる。
大谷翔平は実在しなかったとか言ってるのかな、、。
古文書としてボーボボ発掘されて欲しいww
大谷翔平は、コロナ禍に苦しむ日本国民の希望として、聖徳太子同様、神格化され誕生した架空の人物であることが近年の研究では通説である
だとすると1度今の俺たちは滅亡した上でのことになるな!
昔と違ってインターネットが普及しちゃってるからなぁ。憶測でしか語られないとか言うのはあまりなさそう。
小学生の頃、塾の先生に本能寺の変が起きた年の語呂を1582(イチゴパンツ)で刷り込まれたの未だに忘れられない
わかる😂
わぁ2時間も...編集お疲れ様です🙇🏻♀️🍵こーゆー動画でも歴史学べるから最近見てます✊🏻🥹受験生だから頑張ろう!
トンデモで歴史は学べないぞ。
絵、亜さあ、さ浅、しあさ、さ、!
息抜きはいいけど受験には使えんぞw
いつもありがとうございます体調にはお気をつけてください
信長協奏曲といい信長のシェフといい信長関係のゲームや漫画って大抵おもろいんだよな
勉強になるなあ、日本史の授業がこんな話しだと、面白いのに。
コレは歴史ではありませんよ
歴史ミステリーを見て楽しめるには、基礎となる歴史の知識を学んでいる必要がある。教育って大事。
義経はいわるる悲劇のヒーロー的な感じで、生きてればって思う人は当時多かったんだろうねそれを大陸の覇者に重ねたってのは興味深いです
大陸側に藤原の家紋も残ってるので、チンギス・ハーン説が持ち上がってる。ただ、性格が違うと言うことだから、裏方、戦法の指南役にでも成ってた可能性もある。
面白すぎる。こういう歴史の動画大好き
なんなら明智光秀生存説もあるからなぁ、、、歴史はいつ覆るか分からない、だからこそ面白い‼︎
先週新宿のピンサロで見た気が
芭蕉には大商人のパトロンも多かったから、単純に各地の商人や有力者のネットワークを理想していたと考えるのが自然ではあるけど、それにしても体力と健脚ぶりが異常だからそっちがナゾなんですわね
自分は最終的に生き残った人が最強だと思います。これまでの歴史を考えても、過去を変える力もあると思えてならないので…
総集編ありがてえ、、!勉強しながら見れる
歴史の勉強してたら混ざってエグいことなってそう
見るな見るなw
謙信は短期間に兄を何人も謀反や病死で亡くしているし女性でも身体が丈夫で武芸に秀でていたなら女性であることを隠して跡継ぎとして擁立されたとしても不思議ではない。同時代に「女城主・井伊直虎」もいるし。戦だってゲームみたいに大将自ら前線で太刀を振るうわけでもないし、謙信は生涯、一人の正室も側室も実子も持っていないのも事実なわけで。更に江戸時代に入り、女性当主がお上に禁じられると謙信だけ死後に肖像画が大袈裟な髭面に描き変えられているのも当時の米澤藩上杉家が謙信は男性だったと主張したかった動機があったのだろうと思わせる。
聖徳太子の場合、実在していたのはしていて、多才な側面があったが、そのあまりにも多才すぎる側面故に、逆に疑わしく思われるようになっていったのが、いつしか勝手に実在しないって主張をし始める人間が出てきたのが本当の所、みたいな事もありそう。人間っていつの時代も自分にとっては有り得ない不可能と判断したら、異質な存在を否定したがる弱い存在だからなぁ、その異質さが怖かったんじゃないか?文献にも残すことを憚られる位に...。案外、そんな理由でいないことにされてたりしてな。
現代にいきる大谷翔平や藤井聡太も、後世では存在しなかったなんて言われていたりして
@@kimagureharu第三次世界大戦が起きて映像記録が消し飛んだら、存在しなかった…とされるかもしれませんね。
日本や世界の歴史を聞くと、タイムマシンに乗ってその時代に行って自分の目で確かめてみたくなる
爆笑問題の二人はデビューしてすぐの頃にラジオの番組で平将門の首塚を殴り蹴りに行く企画を実行したんだよな恐ろしい二人だ
義経伝説は推理小説家の高木彬光が書いた神津恭介シリーズの「成吉思汗の秘密」で源義経の愛妾であった静御前の詠んだ有名な句として、鎌倉幕府の歴史書である吾妻鑑に記録されている「しづやしづしづのをだまき繰り返し昔を今になすよしもがな」この「なすよしもがな(今があの頃であったら良かったのに)」を漢字に置き換えると「成吉思汗」となるこれは偶然なのだろうか?というオチが絶妙に出来過ぎで大好き
将門は日本史では朝廷に楯突いた悪者みたいな描かれ方をされることが多いけど、当時の関東の人たちからは非常に信頼されていて、将門に関東を治めてほしいと思っていた人も多かったとのこと。そう考えると、将門は殺された後ですら残された関東の人たちを思って怨霊となった心優しい人物であったのかもしれませんね。
お祈りしたら願い叶えてくれたりするかな
少なくとも関東、特に栃木茨城では英雄ですよね。
関係無いですけと帝都物語を思い出しました😅
いつか大谷翔平もこんな成績人間が取れるわけないと伝説になるのかも……
存在しなかった説が出てくるパターンですね
将棋の全タイトル獲得した藤井聡太君や人間離れした戦闘能力を持たされた吉田沙保里選手とかもな
逆です。こういった天才とか言われる存在が出ると、人間の深層心理が書き換えられて、意識が進化します。特に日本人には大きく作用します。多くの人が大谷は特別だと思いますが、一部俺にも出来る、日本人にも出来るという意識の改革です。大谷の存在はそれを上回る人物が出現する足掛かりでしかありません。
証拠があるから多分ない
まあ、精々大谷2人説ぐらいでは?w
1:11:07 1794年が1974年になってて48年前の話になってます。勉強になる動画ありがとうございます。
これみて気付いたわ48年前と考えてみて何か草生えた
www
卑弥呼は緋巫女(天照大神の巫女)って説が個人的に一番納得してる
hっっっk😢k😢っk😢😢😢😢😢😢k😢😢😢jk😢😢😢😢っk😢😢k😢😊いい
@@user-ei4nm4rm4e落ち着けや
そもそも、魏志倭人伝の記述を何で日本人は皆そんなに真に受けてるんだ?卑弥呼なんて名付け方からして倭人への蔑視丸出しで古事記や日本書紀よりもずっといいかげんに書いてるとしか思えないんだが。
歴史は謎が多いからこそ、どうだったのだろう?と思いを馳せるのが楽しいよね
個人的に気になった東洲斎写楽についての妄想を消えた理由は・本当はグループで解散した・売れて調子に乗って梅毒あたりにかかって死んだ・独特な画風に別な浮世絵師かコンプレックス刺激された歌舞伎役者に殺されたこのあたりかな
坂本龍馬暗殺説は、本当のターゲットは中岡慎太郎だった説もあるよね。当時は中岡慎太郎の方が知名度も高かったし、切り傷の数が龍馬の比ではないくらい多かったらしいし。でも、そうなると犯人が入り口で『才谷梅太郎はいるか?』って確認するのもおかしいし、本当に謎だらけでいくら考察してもキリがない。
むしろ、誰か一人がターゲットではなく、「竜馬、中岡、才谷」を「メンツが揃ったとことで、まとめて殺す」というのが目的(指令)だったなら?
総集編はありがたい…寝ながらきこ
受験には関係ないけど、息抜きとして見てます!short見るよりは良い👀親に怒られるからね😂いろんな意味で役に立っています♪
松尾芭蕉の通行手形ですが、地元の名主に申請すれば手に入るものですやけに大層なものであるイメージは、かつて「江戸時代の移動の不自由」が強調され過ぎたことからくる誤解です今からすればもちろん不自由ではありますが、そんなに大層なものであれば、庶民の伊勢参りが流行ったりしません資金ですが、基本的に各地の門人や俳諧師のもとで会を開いて添削をし、謝礼をもらって次のところに行きます俳諧師に限らず、これが芸事の師匠の生計を立てかたの一つでしたこれをもっと狭い範囲でやっている人もいました
ルイス・フロイスが書いた記録によると、上杉景勝は彼の叔母の後を継いで上杉家の当主になったと書かれているとか
38:24 こんなに謎があるから荒木飛呂彦先生土方歳三説が浮上するんだよな。
土方歳三「実は現代まで生きて漫画家になっちゃいました」荒木飛呂彦先生「昔は土方歳三でした」
@@jackohwantan9838 「近藤君のさらし首の絵、アレ実は僕が描いたんですよww」
上杉謙信は、残ってる手紙やらがヒステリー起こしてるのとか、切れ方が女性的って感じなんだろうな。
宿題のネタになりました。ありがとうございます
あ、そうか!!今の人たちってこういう、面白くって、興味を引く動画が「教材」なんだ!! 羨ましいww逆に、こういう動画を授業で見せれば、生徒たちの 苦手意識 も無くなりそう。むしろ、強い興味と理解につながる、と思う。
義経チンギス・ハーン説は判官びいきのロマンですな。
斎藤さんは、完全にエージェント。
おもしろすぎて眠れない笑
チンギスハーン=源義経説に似た「逃亡仮説」はかなり昔からあって、江戸時代にはもう既に義経が蝦夷地(今の北海道)に行ってアイヌの中で尊敬されてたとかいう絵があるそうで(当然チンギスハーンの話なんてこれっぽっちも出てこない)。ただ、チンギスハーンと義経では馬の扱いからして全く異なる(当時の武士の記録などからわかる)ため悲劇の人物がそのまま他のとこで生きてた系都市伝説の域を出ないと「真っ当な」学者は判断しています。この手の伝説の一つとしては蝦夷島に渡ってその地を征服し「オキクルミ大王」と仰がれた後には神としてまつられた(続本朝通鑑など)なんて話もありますし、別の伝説では青森県東津軽郡三遠(みんまや)村には「ここから義経が蝦夷地に渡った」という話まであります。上で上げた話のように蝦夷地に渡ってからアイヌと暮らした話が出た時代より後(江戸後期以降)になって、日本の大陸進出が進むと「何故か」チンギスハーン=義経説がどんどん出てくるようになるので、この仮説は恐らく日本が大陸進出するための「正当性」を強化したいがためのプロパガンダみたいなものじゃないかと考えられています。チンギスハーン(当時のモンゴル人)の馬の扱い方全員騎乗して、馬を乗り換えながら(当然交換用の空荷の馬も大量に連れて行く)一日に70~80kmを移動する。短弓・長槍を利用(軽騎兵なので重い鎧は付けない)、馬は血や乳まで利用する。馬は資産・財産扱い、死ぬと土に埋める前に「使えるものは再利用(肉とか皮とか)」する。あくまで「モノ」扱い。モンゴルの馬は「モウコウマ」という馬で現在では野生の頭数はかなり少なくなっていますが、日本在来種とは見た目などは異なります(You Tubeならモウコウマの走っている動画あるかも、「モンゴル(2007年の映画)」っていうまんまな名前の映画にも出てきたし)。源義経(というか当時の鎌倉武士)鎧の重量は30㎏(大鎧が主体だから)馬に歩兵を伴い、時速4kmで一日に7~8時間移動。馬だけで移動しても時速は9kmで10分程度しか持続しなかった(馬の体格の問題もありますが持久力が違う)長弓を使用して戦った(この戦法は元寇の時と大体同じ)当時の武士は馬を大切にしており(資産以上の存在、相棒のようなもの)年忌供養を行う者もいました。馬の扱いだけで見てもこれだけ違いますのでチンギスハーン義経同一説は信憑性に欠けるんです。文字を持たなかった古代の騎馬民族と違って、モンゴル人の記録って結構残っていてこれは元(騎馬民族が作ったし)なんかもそうですが「近隣諸国」が「文字を持つ」文化圏だったのでそれらの文化圏の人々からみたモンゴル人の記録が割とあるんですよね。記録が少なければ「いくらでも話を盛る」ってのが出来るんですが・・・その・・・ね?
天海=明智光秀説は個人的にはかなり有力であると思ってはいるんですよね!でも気になるのは伊賀越えなんだよな!もしかしたら家康がカムフラージュで襲われました的なポジションを装って光秀を匿っていたのかな〜難しいですが、自分が生きてる間に真実が明かされればいいなー泉親衡の件は北条方の古のマッチポンプだったのかな笑
最近の研究で、光秀と天海の残した文書の筆跡を鑑定した所、「2人の筆跡は合致しない」との結果が出ています。また天海の寿命からして、光秀同一人物説には無理があるかと。
チンギス・ハンと源義経は、共に大弓を使っていたという話もありますね。大陸では、障害物が少ないため、連射の可能な小振りの弓が使われていたが、日本では一撃必殺とも言える大弓が使われていた。これは、元寇の時にその力を示したことで知られてますが、大陸で大弓を使用した人物はかなり少なく、その一人がチンギス・ハンだと言われていることも、義経同一人物説に拍車をかけていると思われる。
>大弓を使っていたという話 その話は初めて聞いたのですが、出典となる文献はわかりますか?
@@konamonoyomimon4599 遅くなって、すみません。何かの書籍で見たのか、テレビで見たのか、判然としません。ただ書籍は捨てたりとかしてないので、ちょっとずつ見てる状況です。10年以上前ではないかと思いますので、記憶の整理をしながら、見ていきたいと思います。何で見たのかわかれば、答えやすいのですが。
@@user-wc6kr3so9u なるほど。何故こういうことを聞いたかと言いますと、ただの「大弓」と鎌倉時代の武士が用いていた「和弓」は使い方や手入れ、作りからして別物だからです。わざと読み手に誤解させるような書き方をしている書籍だと「大弓=和弓」みたいな書き方をしますが、モンゴル式の弓を単に大きくしただけの大弓というものもあるからです。当然打ち方や手入れの仕方などもこの「大弓」は遊牧民が使う弓を使い手の体力などに合わせて大きくしただけなので、素材やら使い方からして和弓とは異なります。チンギスハーンが使っていた「大弓」が鎌倉時代の武士の「和弓」と同じ物だというなら素材や使い方に関する文献が「必ず」あるはずですが、こんな有名人についての事なのに歴史書とかには出てこないんですよね。モンゴル式の遊牧民の弓は複合弓で動物の腱などを弓の素材に使いますが、和弓特に鎌倉時代の武士の弓は「三枚打の弓」と呼ばれる植物原料の複合弓です。中心材に竹を両面に張り合わせ籐で巻いて強化した弓です。なのでチンギスハーン=義経説の根拠に「大弓」を出すならチンギスハーンが使っていた「大弓」も和弓と同じ作りで同じような素材で再現されていなければなりませんし、チンギスハーンほどの大物になれば専属の武器職人なども普通にいる(軍隊なら普通にいないとおかしい)ので、彼らに「大弓」を作らせたり手入れさせて居たでしょうから「大弓」に言及した文献などが残るはずですが、それらは無いのです。モンゴル人が文字として書き残さなかったとしても、彼らと付き合いのある異民族の文献にもそんな特殊な「大弓」を使っているエピソードは無いとなるとその話はどこから・・・となります。
@@konamonoyomimon4599 なるほど。弓の種類がそんなにあるということを知らないので、そんな風にしちゃったんでしょうね。当時は、弩(小弓)と弓(大弓)くらいでしか感じてなかったと思いますし。ありがとうございます。
この人たちスゲェ、、、
吉良さん所の西尾の地元ではかなり人格者として描かれてますね。 それに曾祖父は家康の従兄弟に中る人で将軍家の親戚だから処遇が軽いのはそう言った理由だからだと思う
浅野が吉良に斬りかかったのは嫉妬って言われてますね米の生産力だかが吉良のが凄かっただか その秘訣を聞いても教えて貰えなくてキレたとか言われてた気が
@@user-jj6cg9cs4c 西尾では、コレと言った産品がなかったので祭式での礼儀作法を教えることで、お金を得ていましたそれを浅野がお金を払わずに、教えてくれないとキレたのが始まり周囲は、吉良家の苦しい状況をわかっていたのでお金を払っていた赤穂は塩の産地で、とても豊かだったボンボン浅野には、吉良家の状況を読み取るだけの世知がかけていた
本能寺の変における信長の行方に関しては、霊視した方によると、3人の黒い男?が信長を担いで本能寺から運び出しているのが見えたそうです。この時点で信長は死んでおらず、運び出した先で火傷により亡くなったのだとか...あくまで根拠はない話ですが。
信長の部下の黒人が信長の死後首を切断して持ち帰ったとの説も聞いたことあります。
ある霊能者の話では、本能寺で死んだのは影武者で本人はひっそりと暮らして病気で亡くなったって言ってました😓
@@user-rg5rq5jw2l生き延びたのならひっそり暮らすのはおかしいよね、秀吉は部下なんだから、現れて明智討伐した秀吉をよしよしすれば良いだけだもんね
明智光秀は無職だったのを元の主君の娘の嫁ぎ先の信長に雇ってもらって、一番働いて一番褒美貰った人。柴田や前田が謀反したなら残った家臣を纏めるとかできるかも知れないけど、新入りの光秀が謀反しても全部敵になるだろう。黒人の弥助が首を持ち出してデスマスクを作ったなんて話もあるけど、一度光秀に捕えられてるんだよね?
待ってました(*^^*)
西郷隆盛は完成した絵画を見て弟と妻が「似てる」って言ってたと玄孫がテレビ番組で言ってました。
卑弥呼は天照大神で卑弥弓呼は素戔嗚尊に一票
徘徊と俳諧が掛かってるんですね
聖徳太子はいなかった説は日本史の研究者の中ではかなり信憑性が高いとされています。実在した証拠がないというだけのことだそうですが、研究者と一般市民の間の乖離が大きいということ。今は法隆寺が喰っていくためには必須です。
秀吉が戻ってくるの速すぎるんだよな〜。
日本は島国で外国から見た当時の様子みたいな書物も残りにくいから、誰かが焚書なんてしたらもうなにもわからなくなってまうんだよな。それがキツい
チンギス・ハーン義経説はルパン三世で初めて知った仮説でした。
赤穂事件は吉良にお咎めなしだったのは、「喧嘩」じゃなくて一方的な傷害事件だから。刃傷に及んだのは浅野内匠頭はおそらく統合失調症だったからだ。いずれにしても史料面だけでなく、医学的、心理学的側面からももっと研究されても良い。
松尾芭蕉はその同行者の日記があり、かなり話をもっているのが…判明しつつある
??「僕は芭蕉さんが酷い目に会うのを見るのが好きなんです。」
新選組最強はやっぱ永倉、斎藤も推したいけど仁王の如く一対多で仲間を逃がすために敵を引き付け続けた服部武雄が名実とともに一番強いと思う
いつも楽しませてもらってます^^かなり細かい所ですが、55:19 年号が誤表記な気がします。秀吉の話で1952年は。。。
1952年は「朝鮮戦争」という事で、ある意味 かかってはいるんだけどねww
美少年の小姓にお前に姉か妹はおらんのか女好き極まれりで好きです
本能寺の変の最新の研究では、信長から長宗我部への不義理に明智が怒って謀反を起こした説が有力らしいですね
松尾芭蕉は、行っていないところを行ったように書いた。資金と道中の保証は、各宿場の豪商が行った。
謙信は妻を娶らず独身だったのも女説に拍車をかけた。あと、噂程度だけど、軒猿がくノ一だったのもこれがあったという話もある。
空白の4世紀なんかワンピースみたいだなw
社会の先生が卑弥呼の存在を証明できる親魏倭王の金印を学校の運動場とかで見つけたら学校潰れるって言ってたw
聖徳太子の解説でさりげなく山岸凉子絵が入っててクスッとなった
卑弥呼は日巫女か日神子説があるし、義経=チンギスハーン説は両方とも親がはっきりしてるし、秀吉の朝鮮出兵の狙いは欧米からの侵略阻止だという研究があったかと
チンギスハーンの大凡の生年も父親の名前も「元朝秘史」にありますし、義経の生まれた年も「系図纂要」という「大日本野史」を書いた著者が作った系譜集(色んな家系が沢山載ってる本)に載っているのでここは誤魔化しようがないんですよねぇ。記録によればチンギスハーンは義経より後に生まれてますし・・・。
@@konamonoyomimon4599 チンギスハンの方が遅いから、義経がチンギスハンに変わった説になったみたいな事をどっかで聞いたことある…
刀剣乱舞で陸奥守吉行と和泉守兼定が仲がいいのはなんか嬉しいね!
上杉謙信女説が本当なら生涯独身で子もいなかったのも辻褄が合うな
謙信の身長156cmって、当時としては別にそこまで小柄というわけでもないのではないかな。遺骨の調査ができたなら…
米沢市にある上杉神社(米沢城跡)に謙信公の腹巻が展示してありましたが、本当にそのくらい小さかったですよ。
伊達政宗が159cm(本人の遺骨から)でほぼ当時の平均身長だったことがわかっている徳川家康が155~160cmほど。なので特段上杉謙信が小さいとは言えない。
別に官兵衛がいたから、中国大返しをしたわけではありません。【運が開けた】と言われた時に秀吉は【俺の心を読まれた】と警戒したと言われています。
30年近く前に、本能寺の変=羽柴秀吉実行犯説をテーマに卒論を書いた。その10数年後に『へうげもの』のアレを観たときには心の中で快哉を叫んだね。さらに数年後、『信長を殺した男』で、自説があながち間違ってない事を知って震えた。
芭蕉はご公儀隠密だったのか?水戸のイエローゲートと同じ事を!?
服部は新撰組抜けたから最終的には永倉新八になるのかな?個人的には魁先生推しっす!
平均寿命はあくまでも「平均」で成人すれば伝染病でも無い限り、権力持った人はわりと長寿でしょう。成人できなかった子供がやたら死んでるから平均が引き下がっているだけ。七五三で千歳飴がセットなのもそういう事です。
平安時代なんか1歳未満で死にまくりですからね。1歳になるまでに4~5回(だったかなうろ覚え)お祝いするのはそういう事なのかと思いました。
貧しい市民はそもそも健康状態が違うものね。
松尾芭蕉は御庭番衆てことか。
それが人間のあるべき姿ってもんだよ。(近藤功夫)
最近、九州に墓?が出たかもってニュースあったよ
誰のですか?
@@user-xl5wr3ol2c まだ分かってないみたいなんですが、卑弥呼の墓では?と推測されていますね!
自分用35:26
数学しながら見てたら、気づいたら歴史になってたw
香川県にも、やけにきれいな形の山が孤立してポツポツあるけど。あれも人工物とかだと面白いのにな〜って思いながら見てる。
竹槍でやられた明智さん
新選組に関して、この動画と直接の関係ないけど、自分も霊夢と同じく新選組すきーなんだけど、戦後生まれの親父が新選組=悪って考えが強いのね。新選組がかっこいいってイメージは燃えよ剣以降で、沖田が美少年イメージもここからとか聞いたことある。面白いね。
子母澤寛の小説や映画もあるため、「新撰組かっこいい」イメージは『燃えよ剣』以前からありますきっとお父様は、物語より歴史が好きな方なんでしょうね沖田=美少年は司馬遼太郎以降というのはよく言われますね個人的に「土方=実質的に新撰組を作った、組織作りと戦いの天才」イメージは司馬氏の大発明だと思います
そもそもの「馬小屋で生まれた」厩戸王も怪しいって言われてなかったっけ?イエスキリストの話が後付けされた説
伊藤博文暗殺の話はまるでケネディ暗殺の話みたいですね
首取るのが戦果の証なら本能寺の変で火をつけたのは今考えたらおかしいよな。
そもそも今ほど身分も確実に証明したり写真などもない時代の文献てどの程度信頼に足るのでしょうか?文献もいくらでも改変したり出来ると思いますし。無知ですがずっと疑問でした。
「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」→「牡蠣食べすぎてお腹壊した本当に。」
卑弥呼はそもそも魏の時代の発音がわからん+あて字やから正体もへったくれもないよな
それ。時代背景、が曖昧すぎるのに「卑弥呼」だけ一人歩きしてる。それも「迷走」。ずっと。
有名画家たちの期間限定コラボ企画が東州斎写楽だったのかもな
本能寺に関しては、秀吉と光秀が手を組んでいて、光秀はわざと信長の首を逃したのではないかと思っています。首を上げれないことで他の信長嫌いの諸大名の力を借りることができず、秀吉に打たれたふりをして自分は長く、天海として長く生きた秀吉は、自分の天下統一に邪魔な信長を消してくれて、光秀を打つことで、高らかに信長の後継者として天下統一を目指すことができる。こんなロマンだらけの話を信じています。
秀吉公は冬の日に信長公の草履を懐で暖めていた程忠誠を誓っていたと言われているから黒幕が秀吉説は無さそうな気もする。どっちにしても本能寺の変の真相は歴史の闇に葬られてしまってる訳だ
それに付き合わされて山崎の戦いで戦った家臣と1万3,000人の兵、その家族はめちゃくちゃ可哀想
@@jackohwantan9838でもあの猿、爺さんになってからは畜生塚作ったりするクズだからなぁ…
こわ!😭
だいぶ『だったらええな~』『だったらおもろいな~』が入ってもうとるのは否めんけど、可能性はゼロちゃうしね
そりゃ断定してる内容なんて闇でもなんでもなく定説になるんだからその可能性を面白いって言ってるんでしょ
聖徳太子、朝礼にて部下1〜10「おはようございます。」チャンチャンw
先日、新選組近藤局長のゆかりの地に行ってきましたよ。
西郷隆盛像は上野より鹿児島にある方が似てると云われてますね。聖徳太子は蘇我入鹿である。という説を唱える方もいますね。
聖徳太子のエピソードの盛り方なんかに似てるなぁと思ったら、北朝鮮の金正日だわ
土方さんはまだ生きてて漫画書いてるやん
荒木飛呂彦先生「昔は土方歳三でした」
55:20結構最近じゃん!
謙信女性説はいろいろ妄想が楽しいので押したい説の一つだわ信長の屏風はもちろんだが直江兼続の愛の兜も意味変わってくるからおもしろい
「こなくそ!」は広島でも聞きますから、伊予と決めつけるのはどうなんでしょね。
源義経=チンギス・ハン説の欠点の一つに、二人の容姿が違い過ぎるというのもありますね。義経は小柄で線の細い美男子。チンギス・ハンは大男で厳つい容貌だったと伝えられていますし。
そりゃあ日出る国を名乗られたらそこの主に蔑称つけるよねぇ〜天照様の巫女で日巫女かもしれないのにねぇ
歴史の教科書を開いて今日はどこにタイムスリップしようかな?ってワクワクする。歴史が苦手な人からしたらわかって貰えないかもしれないけど(笑)
卑弥呼=日巫女=日の巫女
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卑弥呼は個人名でなく役職名だというのはその通りだと思う
魏の役人にあんたらの王はなんという?と聞かれ、使者は日の巫女だと答えたんだろう
個人的には、祀られていた御神体の名称だったのでは?ともおもっている。
今こうして自分達が生きているより前の歴史を研究して学んだりして楽しんでるけど、
100年後や1000年後の未来人も今自分たちが生きている平成、令和時代を研究して解明できていない謎を解き明かそうと必死になっていると思うと凄くロマンを感じる。
大谷翔平は実在しなかったとか言ってるのかな、、。
古文書としてボーボボ発掘されて欲しいww
大谷翔平は、コロナ禍に苦しむ日本国民の希望として、聖徳太子同様、神格化され誕生した架空の人物であることが近年の研究では通説である
だとすると1度今の俺たちは滅亡した上でのことになるな!
昔と違ってインターネットが普及しちゃってるからなぁ。
憶測でしか語られないとか言うのはあまりなさそう。
小学生の頃、塾の先生に本能寺の変が起きた年の語呂を1582(イチゴパンツ)で刷り込まれたの未だに忘れられない
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わぁ2時間も...編集お疲れ様です🙇🏻♀️🍵
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絵、亜さあ、さ浅、しあさ、さ、!
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いつもありがとうございます
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信長協奏曲といい信長のシェフといい信長関係のゲームや漫画って大抵おもろいんだよな
勉強になるなあ、日本史の授業がこんな話しだと、面白いのに。
コレは歴史ではありませんよ
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義経はいわるる悲劇のヒーロー的な感じで、生きてればって思う人は当時多かったんだろうね
それを大陸の覇者に重ねたってのは興味深いです
大陸側に藤原の家紋も残ってるので、チンギス・ハーン説が持ち上がってる。
ただ、性格が違うと言うことだから、
裏方、戦法の指南役にでも成ってた可能性もある。
面白すぎる。こういう歴史の動画大好き
なんなら明智光秀生存説もあるからなぁ、、、歴史はいつ覆るか分からない、だからこそ面白い‼︎
先週新宿のピンサロで見た気が
芭蕉には大商人のパトロンも多かったから、単純に各地の商人や有力者のネットワークを理想していたと考えるのが自然ではあるけど、それにしても体力と健脚ぶりが異常だからそっちがナゾなんですわね
自分は最終的に生き残った人が最強だと思います。
これまでの歴史を考えても、過去を変える力もあると思えてならないので…
総集編ありがてえ、、!勉強しながら見れる
歴史の勉強してたら混ざってエグいことなってそう
見るな見るなw
謙信は短期間に兄を何人も謀反や病死で亡くしているし女性でも身体が丈夫で武芸に秀でていたなら
女性であることを隠して跡継ぎとして擁立されたとしても不思議ではない。同時代に「女城主・井伊直虎」もいるし。
戦だってゲームみたいに大将自ら前線で太刀を振るうわけでもないし、謙信は生涯、一人の正室も側室も実子も
持っていないのも事実なわけで。更に江戸時代に入り、女性当主がお上に禁じられると謙信だけ死後に肖像画が大袈裟な髭面に
描き変えられているのも当時の米澤藩上杉家が謙信は男性だったと主張したかった動機があったのだろうと思わせる。
聖徳太子の場合、実在していたのはしていて、多才な側面があったが、そのあまりにも多才すぎる側面故に、逆に疑わしく思われるようになっていったのが、いつしか勝手に実在しないって主張をし始める人間が出てきたのが本当の所、みたいな事もありそう。
人間っていつの時代も自分にとっては有り得ない不可能と判断したら、異質な存在を否定したがる弱い存在だからなぁ、その異質さが怖かったんじゃないか?文献にも残すことを憚られる位に...。
案外、そんな理由でいないことにされてたりしてな。
現代にいきる大谷翔平や藤井聡太も、後世では存在しなかったなんて言われていたりして
@@kimagureharu第三次世界大戦が起きて映像記録が消し飛んだら、存在しなかった…とされるかもしれませんね。
日本や世界の歴史を聞くと、タイムマシンに乗ってその時代に行って自分の目で確かめてみたくなる
爆笑問題の二人はデビューしてすぐの頃にラジオの番組で平将門の首塚を殴り蹴りに行く企画を実行したんだよな
恐ろしい二人だ
義経伝説は推理小説家の高木彬光が書いた神津恭介シリーズの「成吉思汗の秘密」で
源義経の愛妾であった静御前の詠んだ有名な句として、鎌倉幕府の歴史書である吾妻鑑に記録されている
「しづやしづしづのをだまき繰り返し昔を今になすよしもがな」
この「なすよしもがな(今があの頃であったら良かったのに)」を漢字に置き換えると「成吉思汗」となる
これは偶然なのだろうか?というオチが絶妙に出来過ぎで大好き
将門は日本史では朝廷に楯突いた悪者みたいな描かれ方をされることが多いけど、当時の関東の人たちからは非常に信頼されていて、将門に関東を治めてほしいと思っていた人も多かったとのこと。そう考えると、将門は殺された後ですら残された関東の人たちを思って怨霊となった心優しい人物であったのかもしれませんね。
お祈りしたら願い叶えてくれたりするかな
少なくとも関東、特に栃木茨城では英雄ですよね。
関係無いですけと帝都物語を思い出しました😅
いつか大谷翔平もこんな成績人間が取れるわけないと伝説になるのかも……
存在しなかった説が出てくるパターンですね
将棋の全タイトル獲得した藤井聡太君や人間離れした戦闘能力を持たされた吉田沙保里選手とかもな
逆です。
こういった天才とか言われる存在が出ると、人間の深層心理が書き換えられて、意識が進化します。
特に日本人には大きく作用します。
多くの人が大谷は特別だと思いますが、一部俺にも出来る、日本人にも出来るという意識の改革です。
大谷の存在はそれを上回る人物が出現する足掛かりでしかありません。
証拠があるから多分ない
まあ、精々大谷2人説ぐらいでは?w
1:11:07 1794年が1974年になってて48年前の話になってます。
勉強になる動画ありがとうございます。
これみて気付いたわ
48年前と考えてみて何か草生えた
www
卑弥呼は緋巫女(天照大神の巫女)って説が個人的に一番納得してる
hっっっk😢k😢っk😢😢😢😢😢😢k😢😢😢jk😢😢😢😢っk😢😢k😢😊いい
@@user-ei4nm4rm4e落ち着けや
そもそも、魏志倭人伝の記述を何で日本人は皆そんなに真に受けてるんだ?
卑弥呼なんて名付け方からして倭人への蔑視丸出しで
古事記や日本書紀よりもずっといいかげんに書いてるとしか思えないんだが。
歴史は謎が多いからこそ、どうだったのだろう?と思いを馳せるのが楽しいよね
個人的に気になった東洲斎写楽についての妄想を
消えた理由は
・本当はグループで解散した
・売れて調子に乗って梅毒あたりにかかって死んだ
・独特な画風に別な浮世絵師かコンプレックス刺激された歌舞伎役者に殺された
このあたりかな
坂本龍馬暗殺説は、本当のターゲットは中岡慎太郎だった説もあるよね。
当時は中岡慎太郎の方が知名度も高かったし、切り傷の数が龍馬の比ではないくらい多かったらしいし。
でも、そうなると犯人が入り口で『才谷梅太郎はいるか?』って確認するのもおかしいし、本当に謎だらけでいくら考察してもキリがない。
むしろ、誰か一人がターゲットではなく、「竜馬、中岡、才谷」を「メンツが揃ったとことで、まとめて殺す」というのが目的(指令)だったなら?
総集編はありがたい…寝ながらきこ
受験には関係ないけど、息抜きとして見てます!
short見るよりは良い👀
親に怒られるからね😂
いろんな意味で役に立っています♪
松尾芭蕉の通行手形ですが、地元の名主に申請すれば手に入るものです
やけに大層なものであるイメージは、かつて「江戸時代の移動の不自由」が強調され過ぎたことからくる誤解です
今からすればもちろん不自由ではありますが、そんなに大層なものであれば、庶民の伊勢参りが流行ったりしません
資金ですが、基本的に各地の門人や俳諧師のもとで会を開いて添削をし、謝礼をもらって次のところに行きます
俳諧師に限らず、これが芸事の師匠の生計を立てかたの一つでした
これをもっと狭い範囲でやっている人もいました
ルイス・フロイスが書いた記録によると、上杉景勝は彼の叔母の後を継いで上杉家の当主になったと書かれているとか
38:24 こんなに謎があるから荒木飛呂彦先生土方歳三説が浮上するんだよな。
土方歳三「実は現代まで生きて漫画家になっちゃいました」
荒木飛呂彦先生「昔は土方歳三でした」
@@jackohwantan9838 「近藤君のさらし首の絵、アレ実は僕が描いたんですよww」
上杉謙信は、残ってる手紙やらがヒステリー起こしてるのとか、切れ方が女性的って感じなんだろうな。
宿題のネタになりました。ありがとうございます
あ、そうか!!
今の人たちってこういう、面白くって、興味を引く動画が「教材」なんだ!! 羨ましいww
逆に、こういう動画を授業で見せれば、生徒たちの 苦手意識 も無くなりそう。
むしろ、強い興味と理解につながる、と思う。
義経チンギス・ハーン説は判官びいきのロマンですな。
斎藤さんは、完全にエージェント。
おもしろすぎて眠れない笑
チンギスハーン=源義経説に似た「逃亡仮説」はかなり昔からあって、江戸時代にはもう既に義経が蝦夷地(今の北海道)に行ってアイヌの中で
尊敬されてたとかいう絵があるそうで(当然チンギスハーンの話なんてこれっぽっちも出てこない)。
ただ、チンギスハーンと義経では馬の扱いからして全く異なる(当時の武士の記録などからわかる)ため悲劇の人物がそのまま他のとこで生きてた系
都市伝説の域を出ないと「真っ当な」学者は判断しています。
この手の伝説の一つとしては蝦夷島に渡ってその地を征服し「オキクルミ大王」と仰がれた後には神としてまつられた(続本朝通鑑など)なんて話も
ありますし、別の伝説では青森県東津軽郡三遠(みんまや)村には「ここから義経が蝦夷地に渡った」という話まであります。
上で上げた話のように蝦夷地に渡ってからアイヌと暮らした話が出た時代より後(江戸後期以降)になって、日本の大陸進出が進むと「何故か」
チンギスハーン=義経説がどんどん出てくるようになるので、この仮説は恐らく日本が大陸進出するための「正当性」を強化したいがためのプロパ
ガンダみたいなものじゃないかと考えられています。
チンギスハーン(当時のモンゴル人)の馬の扱い方
全員騎乗して、馬を乗り換えながら(当然交換用の空荷の馬も大量に連れて行く)一日に70~80kmを移動する。
短弓・長槍を利用(軽騎兵なので重い鎧は付けない)、馬は血や乳まで利用する。
馬は資産・財産扱い、死ぬと土に埋める前に「使えるものは再利用(肉とか皮とか)」する。あくまで「モノ」扱い。
モンゴルの馬は「モウコウマ」という馬で現在では野生の頭数はかなり少なくなっていますが、日本在来種とは見た目などは
異なります(You Tubeならモウコウマの走っている動画あるかも、「モンゴル(2007年の映画)」っていうまんまな名前の映画にも出てきたし)。
源義経(というか当時の鎌倉武士)
鎧の重量は30㎏(大鎧が主体だから)馬に歩兵を伴い、時速4kmで一日に7~8時間移動。
馬だけで移動しても時速は9kmで10分程度しか持続しなかった(馬の体格の問題もありますが持久力が違う)
長弓を使用して戦った(この戦法は元寇の時と大体同じ)
当時の武士は馬を大切にしており(資産以上の存在、相棒のようなもの)年忌供養を行う者もいました。
馬の扱いだけで見てもこれだけ違いますのでチンギスハーン義経同一説は信憑性に欠けるんです。
文字を持たなかった古代の騎馬民族と違って、モンゴル人の記録って結構残っていてこれは元(騎馬民族が作ったし)なんかもそうですが「近隣諸国」が
「文字を持つ」文化圏だったのでそれらの文化圏の人々からみたモンゴル人の記録が割とあるんですよね。
記録が少なければ「いくらでも話を盛る」ってのが出来るんですが・・・その・・・ね?
天海=明智光秀説は個人的にはかなり有力であると思ってはいるんですよね!
でも気になるのは伊賀越えなんだよな!もしかしたら家康がカムフラージュで襲われました的なポジションを装って光秀を匿っていたのかな〜
難しいですが、自分が生きてる間に真実が明かされればいいなー
泉親衡の件は北条方の古のマッチポンプだったのかな笑
最近の研究で、光秀と天海の残した文書の筆跡を鑑定した所、「2人の筆跡は合致しない」との
結果が出ています。
また天海の寿命からして、光秀同一人物説には無理があるかと。
チンギス・ハンと源義経は、共に大弓を使っていたという話もありますね。
大陸では、障害物が少ないため、連射の可能な小振りの弓が使われていたが、日本では一撃必殺とも言える大弓が使われていた。
これは、元寇の時にその力を示したことで知られてますが、大陸で大弓を使用した人物はかなり少なく、その一人がチンギス・ハンだと言われていることも、義経同一人物説に拍車をかけていると思われる。
>大弓を使っていたという話 その話は初めて聞いたのですが、出典となる文献はわかりますか?
@@konamonoyomimon4599 遅くなって、すみません。
何かの書籍で見たのか、テレビで見たのか、判然としません。
ただ書籍は捨てたりとかしてないので、ちょっとずつ見てる状況です。
10年以上前ではないかと思いますので、記憶の整理をしながら、見ていきたいと思います。
何で見たのかわかれば、答えやすいのですが。
@@user-wc6kr3so9u なるほど。
何故こういうことを聞いたかと言いますと、ただの「大弓」と鎌倉時代の武士が用いていた「和弓」は使い方や手入れ、作りからして別物だからです。
わざと読み手に誤解させるような書き方をしている書籍だと「大弓=和弓」みたいな書き方をしますが、モンゴル式の弓を単に大きくしただけの
大弓というものもあるからです。
当然打ち方や手入れの仕方などもこの「大弓」は遊牧民が使う弓を使い手の体力などに合わせて大きくしただけなので、素材やら使い方からして和弓
とは異なります。
チンギスハーンが使っていた「大弓」が鎌倉時代の武士の「和弓」と同じ物だというなら素材や使い方に関する文献が「必ず」あるはずですが、こんな
有名人についての事なのに歴史書とかには出てこないんですよね。
モンゴル式の遊牧民の弓は複合弓で動物の腱などを弓の素材に使いますが、和弓特に鎌倉時代の武士の弓は「三枚打の弓」と呼ばれる植物原料の複合弓
です。中心材に竹を両面に張り合わせ籐で巻いて強化した弓です。
なのでチンギスハーン=義経説の根拠に「大弓」を出すならチンギスハーンが使っていた「大弓」も和弓と同じ作りで同じような素材で再現されていな
ければなりませんし、チンギスハーンほどの大物になれば専属の武器職人なども普通にいる(軍隊なら普通にいないとおかしい)ので、彼らに「大弓」を
作らせたり手入れさせて居たでしょうから「大弓」に言及した文献などが残るはずですが、それらは無いのです。
モンゴル人が文字として書き残さなかったとしても、彼らと付き合いのある異民族の文献にもそんな特殊な「大弓」を使っているエピソードは無いとなると
その話はどこから・・・となります。
@@konamonoyomimon4599 なるほど。弓の種類がそんなにあるということを知らないので、そんな風にしちゃったんでしょうね。
当時は、弩(小弓)と弓(大弓)くらいでしか感じてなかったと思いますし。
ありがとうございます。
この人たちスゲェ、、、
吉良さん所の西尾の地元ではかなり人格者として描かれてますね。
それに曾祖父は家康の従兄弟に中る人で将軍家の親戚だから処遇が軽いのはそう言った理由だからだと思う
浅野が吉良に斬りかかったのは嫉妬って言われてますね
米の生産力だかが吉良のが凄かっただか その秘訣を聞いても教えて貰えなくてキレたとか言われてた気が
@@user-jj6cg9cs4c
西尾では、コレと言った産品がなかったので
祭式での礼儀作法を教えることで、お金を得ていました
それを浅野がお金を払わずに、教えてくれないとキレたのが始まり
周囲は、吉良家の苦しい状況をわかっていたので
お金を払っていた
赤穂は塩の産地で、とても豊かだった
ボンボン浅野には、吉良家の状況を読み取るだけの
世知がかけていた
本能寺の変における信長の行方に関しては、霊視した方によると、3人の黒い男?が信長を担いで本能寺から運び出しているのが見えたそうです。この時点で信長は死んでおらず、運び出した先で火傷により亡くなったのだとか...
あくまで根拠はない話ですが。
信長の部下の黒人が信長の死後首を切断して持ち帰ったとの説も聞いたことあります。
ある霊能者の話では、本能寺で死んだのは影武者で本人はひっそりと暮らして病気で亡くなったって言ってました😓
@@user-rg5rq5jw2l生き延びたのならひっそり暮らすのはおかしいよね、秀吉は部下なんだから、現れて明智討伐した秀吉をよしよしすれば良いだけだもんね
明智光秀は無職だったのを元の主君の娘の嫁ぎ先の信長に雇ってもらって、一番働いて一番褒美貰った人。
柴田や前田が謀反したなら残った家臣を纏めるとかできるかも知れないけど、新入りの光秀が謀反しても全部敵になるだろう。
黒人の弥助が首を持ち出してデスマスクを作ったなんて話もあるけど、一度光秀に捕えられてるんだよね?
待ってました(*^^*)
西郷隆盛は完成した絵画を見て弟と妻が「似てる」って言ってたと玄孫がテレビ番組で言ってました。
卑弥呼は天照大神で卑弥弓呼は素戔嗚尊に一票
徘徊と俳諧が掛かってるんですね
聖徳太子はいなかった説は日本史の研究者の中ではかなり信憑性が高いとされています。実在した証拠がないというだけのことだそうですが、研究者と一般市民の間の乖離が大きいということ。今は法隆寺が喰っていくためには必須です。
秀吉が戻ってくるの速すぎるんだよな〜。
日本は島国で外国から見た当時の様子みたいな書物も残りにくいから、誰かが焚書なんてしたらもうなにもわからなくなってまうんだよな。それがキツい
チンギス・ハーン義経説はルパン三世で初めて知った仮説でした。
赤穂事件は吉良にお咎めなしだったのは、「喧嘩」じゃなくて一方的な傷害事件だから。刃傷に及んだのは浅野内匠頭はおそらく統合失調症だったからだ。
いずれにしても史料面だけでなく、医学的、心理学的側面からももっと研究されても良い。
松尾芭蕉はその同行者の日記があり、かなり話をもっているのが…判明しつつある
??「僕は芭蕉さんが酷い目に会うのを見るのが好きなんです。」
新選組最強はやっぱ永倉、斎藤も推したいけど仁王の如く一対多で仲間を逃がすために敵を引き付け続けた服部武雄が名実とともに一番強いと思う
いつも楽しませてもらってます^^
かなり細かい所ですが、55:19 年号が誤表記な気がします。秀吉の話で1952年は。。。
1952年は「朝鮮戦争」という事で、ある意味 かかってはいるんだけどねww
美少年の小姓にお前に姉か妹はおらんのか女好き極まれりで好きです
本能寺の変の最新の研究では、
信長から長宗我部への不義理に
明智が怒って謀反を起こした説が有力らしいですね
松尾芭蕉は、行っていないところを行ったように書いた。資金と道中の保証は、各宿場の豪商が行った。
謙信は妻を娶らず独身だったのも女説に拍車をかけた。あと、噂程度だけど、軒猿がくノ一だったのもこれがあったという話もある。
空白の4世紀
なんかワンピースみたいだなw
社会の先生が卑弥呼の存在を証明できる親魏倭王の金印を学校の運動場とかで見つけたら学校潰れるって言ってたw
聖徳太子の解説でさりげなく山岸凉子絵が入っててクスッとなった
卑弥呼は日巫女か日神子説があるし、義経=チンギスハーン説は両方とも親がはっきりしてるし、秀吉の朝鮮出兵の狙いは欧米からの侵略阻止だという研究があったかと
チンギスハーンの大凡の生年も父親の名前も「元朝秘史」にありますし、義経の生まれた年も「系図纂要」という「大日本野史」を
書いた著者が作った系譜集(色んな家系が沢山載ってる本)に載っているのでここは誤魔化しようがないんですよねぇ。
記録によればチンギスハーンは義経より後に生まれてますし・・・。
@@konamonoyomimon4599 チンギスハンの方が遅いから、義経がチンギスハンに変わった説になったみたいな事をどっかで聞いたことある…
刀剣乱舞で陸奥守吉行と和泉守兼定が仲がいいのはなんか嬉しいね!
上杉謙信女説が本当なら生涯独身で子もいなかったのも辻褄が合うな
謙信の身長156cmって、当時としては別にそこまで小柄というわけでもないのではないかな。
遺骨の調査ができたなら…
米沢市にある上杉神社(米沢城跡)に謙信公の腹巻が展示してありましたが、本当にそのくらい小さかったですよ。
伊達政宗が159cm(本人の遺骨から)でほぼ当時の平均身長だったことがわかっている
徳川家康が155~160cmほど。
なので特段上杉謙信が小さいとは言えない。
別に官兵衛がいたから、中国大返しをしたわけではありません。
【運が開けた】と言われた時に秀吉は【俺の心を読まれた】と警戒したと言われています。
30年近く前に、本能寺の変=羽柴秀吉実行犯説をテーマに卒論を書いた。その10数年後に『へうげもの』のアレを観たときには心の中で快哉を叫んだね。
さらに数年後、『信長を殺した男』で、自説があながち間違ってない事を知って震えた。
芭蕉はご公儀隠密だったのか?
水戸のイエローゲートと同じ事を!?
服部は新撰組抜けたから最終的には永倉新八になるのかな?個人的には魁先生推しっす!
平均寿命はあくまでも「平均」で成人すれば伝染病でも無い限り、権力持った人はわりと長寿でしょう。成人できなかった子供がやたら死んでるから平均が引き下がっているだけ。七五三で千歳飴がセットなのもそういう事です。
平安時代なんか1歳未満で死にまくりですからね。
1歳になるまでに4~5回(だったかなうろ覚え)お祝いするのはそういう事なのかと思いました。
貧しい市民はそもそも健康状態が違うものね。
松尾芭蕉は御庭番衆てことか。
それが人間のあるべき姿ってもんだよ。
(近藤功夫)
最近、九州に墓?が出たかもってニュースあったよ
誰のですか?
@@user-xl5wr3ol2c
まだ分かってないみたい
なんですが、卑弥呼の墓では?と
推測されていますね!
自分用
35:26
数学しながら見てたら、気づいたら歴史になってたw
香川県にも、やけにきれいな形の山が孤立してポツポツあるけど。あれも人工物とかだと面白いのにな〜って思いながら見てる。
竹槍でやられた明智さん
新選組に関して、この動画と直接の関係ないけど、自分も霊夢と同じく新選組すきーなんだけど、戦後生まれの親父が新選組=悪って考えが強いのね。
新選組がかっこいいってイメージは燃えよ剣以降で、沖田が美少年イメージもここからとか聞いたことある。面白いね。
子母澤寛の小説や映画もあるため、「新撰組かっこいい」イメージは『燃えよ剣』以前からあります
きっとお父様は、物語より歴史が好きな方なんでしょうね
沖田=美少年は司馬遼太郎以降というのはよく言われますね
個人的に「土方=実質的に新撰組を作った、組織作りと戦いの天才」イメージは司馬氏の大発明だと思います
そもそもの「馬小屋で生まれた」厩戸王も怪しいって言われてなかったっけ?イエスキリストの話が後付けされた説
伊藤博文暗殺の話はまるでケネディ暗殺の話みたいですね
首取るのが戦果の証なら本能寺の変で火をつけたのは今考えたらおかしいよな。
そもそも今ほど身分も確実に証明したり写真などもない時代の文献てどの程度信頼に足るのでしょうか?
文献もいくらでも改変したり出来ると思いますし。無知ですがずっと疑問でした。
「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」→「牡蠣食べすぎてお腹壊した本当に。」
卑弥呼はそもそも魏の時代の発音がわからん+あて字やから正体もへったくれもないよな
それ。
時代背景、が曖昧すぎるのに「卑弥呼」だけ一人歩きしてる。それも「迷走」。ずっと。
有名画家たちの期間限定コラボ企画が東州斎写楽だったのかもな
本能寺に関しては、秀吉と光秀が手を組んでいて、光秀はわざと信長の首を逃したのではないかと思っています。
首を上げれないことで他の信長嫌いの諸大名の力を借りることができず、秀吉に打たれたふりをして自分は長く、天海として長く生きた
秀吉は、自分の天下統一に邪魔な信長を消してくれて、光秀を打つことで、高らかに信長の後継者として天下統一を目指すことができる。
こんなロマンだらけの話を信じています。
秀吉公は冬の日に信長公の草履を懐で暖めていた程忠誠を誓っていたと言われているから黒幕が秀吉説は無さそうな気もする。
どっちにしても本能寺の変の真相は歴史の闇に葬られてしまってる訳だ
それに付き合わされて山崎の戦いで戦った家臣と1万3,000人の兵、その家族はめちゃくちゃ可哀想
@@jackohwantan9838
でもあの猿、爺さんになってからは畜生塚作ったりするクズだからなぁ…
こわ!😭
だいぶ『だったらええな~』『だったらおもろいな~』が入ってもうとるのは否めんけど、可能性はゼロちゃうしね
そりゃ断定してる内容なんて闇でもなんでもなく定説になるんだから
その可能性を面白いって言ってるんでしょ
聖徳太子、朝礼にて
部下1〜10「おはようございます。」チャンチャンw
先日、新選組近藤局長のゆかりの地に行ってきましたよ。
西郷隆盛像は上野より鹿児島にある方が似てると云われてますね。
聖徳太子は蘇我入鹿である。という説を唱える方もいますね。
聖徳太子のエピソードの盛り方なんかに似てるなぁと思ったら、北朝鮮の金正日だわ
土方さんはまだ生きてて漫画書いてるやん
荒木飛呂彦先生「昔は土方歳三でした」
55:20
結構最近じゃん!
謙信女性説はいろいろ妄想が楽しいので押したい説の一つだわ
信長の屏風はもちろんだが直江兼続の愛の兜も意味変わってくるからおもしろい
「こなくそ!」は広島でも聞きますから、伊予と決めつけるのはどうなんでしょね。
源義経=チンギス・ハン説の欠点の一つに、二人の容姿が違い過ぎるというのもありますね。義経は小柄で線の細い美男子。チンギス・ハンは大男で厳つい容貌だったと伝えられていますし。
そりゃあ日出る国を名乗られたらそこの主に蔑称つけるよねぇ〜
天照様の巫女で日巫女かもしれないのにねぇ