石原莞爾〜天才と呼ばれた男〜
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- čas přidán 25. 07. 2024
- 今回の歴史じっくり紀行は、
『石原莞爾〜天才と呼ばれた男〜』ついて紹介していこうと思います。
【目次】
0:00 オープニング
0:38 誕生
1:14 結婚は二度
1:45 生い立ち
3:28 恩賜の軍刀
4:30 満州事変までの石原
5:07 満州事変
5:35 満州・満蒙・関東軍とは
6:20 柳条湖事件
8:25 満州国建国を宣言
9:35 満州国に対する石原の考え
11:00 石原の思想
11:16 東亜連盟
11:48 日蓮主義
12:53 二・二六事件への対応
13:52 東条英機との確執
15:31 東京裁判
16:59 晩年
17:23 その他のエピソード
17:52 兵舎の生活を改善
18:14 気を利かせろ
18:39 ウサギの飼育
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脚本・監修:歴史じっくり紀行
#歴史解説
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/ @rekishi-jikkuri - Zábava
父は石原さんの部下でした!戦後、母を連れて山形に石原さんにお会いしに行きました。妊娠中の母に子供が生まれたら"新"と名前をつけなさい。これからは、新しい時代が来るよ。と言われたそうです!兄は新兄さんと言います🙏🙏🙏
😂凄い素晴らしい👍
今にも通用する
変態 石原莞爾さまと
の繋がり羨ましい❤😊
@@user-fe7wi1vt8b変態😂って所がたまらんです😃✨
この方が当時、総理になっていれば、と、
@@user-fe7wi1vt8b違うよ
満州事変はこの男が主導したいろんな問題があるから😂🎉
正直あまり好きではないが、「ペリーを連れてこい」と言ったところは尊敬する。アメリカのご都合主義は今も昔も許し難い。
この人といい、ドイツのマンシュタインといい、見た目からして頭が良さそうなんだよな。
祖母が山形の人間だったんだが、終戦間際に温泉地で療養中だった石原莞爾の演説を聞いたことがあるらしい。日本はこの戦争に負ける、とか言いたい放題だったらしいけど、憲兵は止めもせず、むしろ聞き入って拍手喝采だったらしい。カリスマ性含めてとんでもない人だと思います。
基本有罪確定の裁判で真っ向から食い下がったのすごい
長生きして欲しかったな
長生きして戦後の日本の復興の力になって欲しかった
逸話はたくさんありますが、基本的には人を大事にする人だったんでしょうね。
結果論を、言っても仕方ないが、やはり、石原さんは、正しかったんじないのかなとおもいます。今日のC国を見ている限り.....
満州事変での石原の行動は外道であろうが、彼の理想は理解できる。
日本将員TOP3に入る名将ですね
投稿お疲れ様です😊
天才だわこの人は
石原莞爾や大川周明が通っていた山形県鶴岡市の高等学校(当時は旧制中学校)が、中高一貫校として再編されるようだ。
致道館高校だね…名称がカッコイイ👍
有り難う御座います。
素晴らしい方を知る事が出来ました、
東條さんに石原さんを使いこなす力量があれば陸軍はもっと違う形になっていたはず😣。
全くその通りです‼
石原は東条を東条上等兵を呼んで馬鹿にしていて二人はまったく合いませんでした。
東條は開戦時に首相やっていた事などあり絞首刑にされたが、226で勝ち残った統制派の序列の巡り合わせで陸軍の頭にいただけで、なにも強い信念があった訳ではない。処刑にも値しなかった人だと思う。処刑に最も値したのは日中戦争に勢いつけて日独伊三国同盟を締結し日米関係ややこしくなると痔瘻が酷いからと逃げ出してGHQが収監しに来る直前に服毒自殺した近衛文麿。
東條さんでは全く無理。東條さんが上司になった時点で無理。すなわち敗戦決定。この人は戦争が下手すぎる。逆に石原さん首相だったら?すくなくともこれほど早くボロボロになって日本が負けることはなかっただろう。
よし。
また近々、中将のお墓にお参りにいこう。
それでもノモンハン事件の教訓から何も学ばなかった負の一面はあります。
又石原独特の思想は日蓮宗の世界観そのもので創価学会初代会長牧口常三郎先生や宮沢賢治との親交もありました。
この人がフェードアウトしなかった世界線も(余り変わらないと思うが)見てみたい気がする
素晴らしい硬骨漢ですね😊😉👍️✨
もし石原が実権をに握っていたら・・・
無駄なことと知りながらも妄想を禁じえない。それくらいの大天才だよね
選択と集中
祖父は、2.26事件を起こした、第二近衛師団第三歩兵連隊に所属してました。
🇯🇵日本国を
純粋に憂いた行動だと
後の、我々は何でも
言えます
日本男児の行動に大和魂に
天晴れ
石原莞爾(山 形)、大川周明(山形)、南雲忠一(山形)、山本五十六(新潟)、斎藤実(岩手)、米内光政(岩手)、今村均(宮城)、山梨勝之進(宮城)、井上成美(宮城)。ついでに菅野直(宮城)。隣接する四県で…感慨深い。
だから帝国陸海軍あるいは大日本帝国は 賊軍が潰したと言われるんですよ
板垣征四郎、東条英機(南部藩に繋がる)・・・・・
佐幕藩の士族でお金がなく帝国大学に進めないから、陸士や海兵に進み、軍人にならざるを得なかったのですよ。
南部藩に繋がるとは?興味あります
岩手で皆が尊敬する方は
宮沢賢治ですよー大谷とか政治家じゃない 山形は?
莞爾さんでは?時代背景考慮すれば逆流に向かった最後の武士かと思います。頭良い更に実行そんな方々が名を残し愛され尊ぶんでしょうか
いつも楽しく見させていただいてます。 維新以降の歴史も面白いです! 時代がまた戦国に戻りますが、武田勝頼がもし真田を頼ったら?を、見たいです
石原閣下の行った事は、やはりただしかった。
虎之助→猫の助 笑ってしまいました😂ユニークな方だったのですね🎉
やはり国力経済力知力学力体力大事ですね。富国強兵ですね。
大東亜が無ければ・・・
今の世の中を先生が見たらなんと言うか?是非お話を聞いてみたいです。天才的立場で、、。
東北と言えば他のコメントのご指摘にある通り、明治維新下では幕府について敗北した諸藩の
武士のくすぶった情念と優れた時代状況への洞察力が醸成された中であまたの優秀な人材が生まれたのかもしれませんね
石原さんが決して満州を属国化しようとしたわけではなかった事がよくわかりました
ありがとうございます
満州建国で陸軍が独自の資金源を得てしまい、さらにコントロールできなくなった。
特に、阿片の売却益は・・・
なら満鉄の理事長だった一途な甘粕正彦氏との接点ははいかほどでしたか?
👍
山形出身と言えば上杉鷹山の影響もあるのでは?
石原が総理大臣になってたなら歴史はどう変わってたんだろうか?
山本五十六などに勝手な事をさせなかっただろうな
戦後、「俺が総理だったなら戦争には勝利しなかったが、負けることは無かった・・」と言ってましたね~
@@user-wl9vg8qf5p 多分その予想は当たっていた。ちょうど日露戦争のように、痛み分けで和平。それが日本にとって最善だっただろう。
日本は戦争に勝たなくても、中国から撤退しても、ABCD包囲網を瓦解させて石油やくず鉄など資源が輸入できるようになれば良かったから。
🎉👍👍👍👍
この人は宗教家としても学べます、そうしたところは宮沢賢治とも通じるかと。
宮沢賢治と同じ国柱会の信徒です。面識はなかったようですが?
このような人が今の政治家がいないので、日本は不安ですね⁉️まともな政治家を私たちを選ばないと思います⁉️
石原は日中戦争に猛反対だったから彼が当時陸軍中枢にいれば日米戦争を回避できた可能性はある。
だが、一匹狼気質で上司に平気で楯突く石原が日本的組織で出世できず、その理念を実現できなかったのは必然だったと思います。
盧溝橋事件の時の石原莞爾は陸軍参謀本部の中枢にいたよ。
上司の参謀総長は宮様でお飾り、参謀次長は病床だったので、実質的な意思決定を出来る立場にいた。
石原自身が上司に平気で楯突く武藤章や田中新一らの突き上げによって、紛争不拡大を貫徹することが出来なかった。
@@user-sz4gv7en6f それは違います。私が言う中枢とは最終的な意思決定をできる権限を有する高位という意味であって、石原はその地位にはなくその地位にいたのは東条だった。日中戦争賛成派で関東軍参謀長次いで陸軍次官だった「陸軍中枢」の東条によって、石原だけでなく参謀次長で日中戦争反対派の多田駿も左遷されている。
「実質的な意思決定をできる立場にいた」なんて不勉強も甚だしい。
そういう立場にいたなら武藤や田中が何しようが石原の意見が通るはずだろ。
@@takayukitakeshita1344
盧溝橋から始まる拡大不拡大は、内地軍派遣の問題なので参謀本部の管轄です。
当時の東條は関東軍参謀長なので、あたりまえだけど内地の軍に関する権限を持ち合わせていないです。
石原は意思決定する上で、武藤と喧々諤々の議論をしたうえで、最終的には武藤に同意して派兵を決定した。
最終的に満蒙開発で得た利益で、日米最終決戦を意図していたが、経済発展する前に開戦してしまった。
日米の格差を精神で何とかできると甘く見ていた、🐴🦌に負けた😩
よく見たら、賢い面構えしている😂😂
理系だから、大久保利通みたいな、緻密な設計ができなかったと、どこかで読んだ
満州事変起こした時点で戦争は避けられなかった
石原莞爾が海軍にいたら、歴史が変わっていたと思います。
毎年のはかまえり欠かしませぬ
石原の言った通り
関東軍か満州政府がチチハルの油田を発見してたらねぇ
@user-co4uy でその石油使って対中戦争に勝利し全中国を日本の支配下におけたであろうという寓話が成立する。ならば、対米戦争は無かったであろうし特攻隊も原爆も空襲も無かったというお伽話が成立する。
😂奥羽越列藩同盟の徒花
たしかにこの人は軍事の天才だ。ではこの人がトップにいて采配を振るったら大東亜戦争は勝てたのか?というと、それは多分No。それは、もちろんアメリカとは物量や兵員数の差、暗号解読や原爆開発など科学技術の差もあるし、軍隊としての和が保てたか?指揮命令に従えたか?など問題点も考えられるからだ。ただ、少なくとも戦争が下手な東條よりは数段良かったと思う。ひょっとしたら?と期待させるほどの逸材であったことは間違いない。
結果的に太平洋戦争の元を作った人。うまくやれば追認されるという前例を作ってしまった。後付だけど戦略家では無かった。
すくなくとも大東亜戦争の一番の首謀者と言ったらルーズベルトだろう。石原は別に大東亜戦争がやりたかったわけではないと思う。
アメリカ大統領ルーズベルトは、ヨーロッパで負けかけているイギリスを救うため、ドイツと戦争がしたかった。アメリカ政府はイギリスや中華民国に対し多大な支援を行っており、特に多額の戦債をつぎ込んだイギリスが負けることは避けたかったからだ。
しかし、ドイツはアメリカの参戦を許さないよう、準備していた上、ルーズベルトは戦争をしないと公約を掲げて大統領になったため、戦争を仕掛けることができなかった。そこで日独伊三国同盟を結んでいる日本に目を付けた。ABCD包囲網を組んで日本を締め付け、更にハルノートを送って日本から戦争を仕掛けるように仕向けた。
歴史学者・政治学者のチャールズ・ビアードは、自著の中に、「1941年11月25日、この最後通牒(ハル・ノート)が日本に通達される前日、暫定協定に関する結論がまだ出ていなかったはずの時間に、ルーズベルト大統領とその戦時内閣は平和の展望ではなく、戦争について、戦争をどのようにして始まるかを巡って議論をしていたのだった」と述べている。
日本は、戦争をせざるを得ない状況に追い込まれ、戦争をするか、戦争をあきらめて失業者にあふれる最貧国になるかの選択を迫られていた。
そのあたり、マッカーサー元帥は知っていた。戦後、アメリカの重要な公の場、上院の軍事外交共同委員会でこのように発言している。
「日本には、蚕を除いては、国産の資源はほとんど何もありません。
彼らには、綿が無く、羊毛が無く、石油製品が無く、スズが無く、ゴムが無く、その他にも多くの資源が欠乏しています。それらすべてのものは、アジア海域に存在していたのです。
これらの供給が断たれた場合には、日本では、一千万人から一千二百万人の失業者が生まれるという恐怖感がありました。
したがって、彼らが戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだったのです。」
東條英機も山本五十六も、更に言えば日本人全体がルーズベルトの掌で転がされていただけであり、老獪さにおいては、天地ほどの差があった。
かくて日本は終戦までルーズベルトの書いたシナリオ通りに破滅の道をたどるのである。
1946年5月に占領下の日本を視察したハーバート・フーヴァー(第31代アメリカ大統領)は、東京で連合国軍総司令部のマッカーサーと会談した。その際フーヴァーはマッカーサーに対し、第32代大統領ルーズベルトを指して、太平洋戦争は「対独戦に参戦する口実を欲しがっていた『狂気の男』の願望だった」と指摘した。開戦前の1941年7月に行われた在米日本資産の凍結などの経済制裁については、「対独戦に参戦するため、日本を破滅的な戦争に引きずり込もうとしたものだ」と語った。
ハーバート・フーヴァーは自著『裏切られた自由』において、1946年5月にダグラス・マッカーサーと会談し、「我が国は、この戦いの重要な目的を達成して日本との講和が可能である。(早い時期に講和していれば、その後の)被害はなかったし、原爆投下も不要だったし、ロシアが満州に侵入することもなかった」とマッカーサーに語り、「日本との戦争が、狂人が望んだものだというと、マッカーサーは同意した」と記述しており、マッカーサーもそれに同意して「ルーズベルトは1941年9月には近衛文麿との講和が可能だった」と述べたと、ルーズベルトについて手厳しく批判を重ねている。
戦争しとるのに、天才言う言葉、使ってら、あきませんよ!軍事の天才なんか、存在しませんよ!
いや軍事も人間の社会活動の一つだから必ず天才は存在するんだが…
いや、いるだろ。戦国時代にも黒田官兵衛、竹中半兵衛、毛利元就、上杉謙信など、天才と言っても良かったと思う。明治時代なら秋山真之、兒玉源太郎がいた。少なくともあなたよりは余程天才。
天才とは人が及びもつかない構想を練り、及びもつかない周到さで実行する人。発想+柔軟性+努力+細心の人。
おいおい、1889年じゃなく、明治21(1888)生まれだろ
何はともあれ太平洋戦争ではなく、大東亜共戦争ね。まずそこからね。
天才なんだけど勝手に軍を動かすなど軍事規律違反侵して満州事変やらかしてるんだよなぁ…軍法会議にかけるべきだった
満州軍の司令官ではない石原に軍を動かす権利はありません。そもそも、それは朝鮮軍を勝手に越境させた林銑十郎の事では?
絶妙に表現が引っかかる
ゾルゲの話し
"軍人は馬鹿 勝つ話し しかしない"。
日露戦争以来のイナーシャー付いた国の流れは個人じゃ止められない。石原は大志を持っていたが頭切れすぎて逆に満州事変で勢いをつけてしまった。日華事変勃発時に止めに入ったが、満州事変起こしたお前が言うか?と反発され黙ってしまったのが良い例です。
石原に限らず明治から戦中戦後の流れに興味持たれた方には半藤一利氏の諸作品読まれる事お勧めします。あれらに全てが書かれています。
石原莞爾は戦術を見る目はあったが戦略を見る目はなかった。そしてそれは帝国上層部の政治家や軍人も同じだった。だから他国の国益と折衝をつけることができず、当時の理論においても無益の戦争をする羽目になったのだろう。
日蓮宗の強信君だけあってヒトの云ふことを聞かなそうなツラだよな。本当。
イチローみたいなものかな。天才ナルシに周りは着いて来れない。
すみません
最後の日本陸軍はどくでもない連中ばかりというコメントはどうでしょうか?ちょっと気になります
仰る通り、蘭印攻略軍司令官の今村均中将、硫黄島守備隊の栗林中将、占守島守備隊の池田末男戦車11連隊長、など有能な陸軍軍人もいますよね。特に私は池田末男が魅力的だと感じます。
@@takayukitakeshita1344 さま
私も元戦車兵として池田大佐は大好きで尊敬しています
実は海軍よりも陸軍の方が勝つためにはどうするか考えていたと思います。秋丸機関とかですね。
戦後、陸軍は悪、海軍は良い、という風になってますが、そこがおかしいと思います
同じ法華経の国柱会の信徒に宮沢賢治がいました。
石原は満州を宮沢賢治は創作世界でイーハトーブをそれぞれ作りました。😊
それは余りにも当時の陸軍を知らなさすぎる。私は根本博中将、樋口季一郎中将など、すぐれた軍人だと思う。
例えば台湾や北海道が共産化されなかったのはこれらの人の功績。これらの人がいなかったら世界地図が今とは変わっていたよ。
俺も似たようなものだ!俺の現役時代を思い出す。「君ほど優秀な部下を持ったことはない」「お前はトンデモ無い人間だ、会社に居られるだけでに幸せと思へ」と両方よく言われた。俺は何度も聞き飽きたと思い。俺を使えないお前が無能だからだと思っていた。当然出世もジェットコースタの様に上下を繰り返した。一時は悩み山崎豊子氏の「沈まぬ太陽」等読み慰みにもした。今は遠い昔の思い出だ!退職して石原を知り書も読んだ。結局今は、彼も俺も軽いADHDだったのかも知れないと言うのが俺の結論だ。でも普通人ばかりじゃ何の変化もない!俺たちの様な人間が世の中を変えて来たんだ!だたちょっとの違いだ!それが重要だ!
釘や螺が、0.1ミリでも合わなければ、東京タワーだって造れない〜
しかし人の能力が0.1ミリでも先が読めるのは天才かも知れない!
ただそれは世の中の多くはアホだから、受け入れられず評価も無い、下手すればバッシングの嵐、、だから天才は静かに誰にも理解されず孤独な生き方を強いられるのかも知れない?
しかし天才はアホのレベルには降りてこない😏
宗派を表沙汰にするでない…
東條よりは何倍も有能だけど、
宇垣内閣を潰した大罪は万死に値するわ。
今、岸田さんや安倍さんの禍根を残した人物に極似ている
日蓮かぁぁ
天才なら戦争に勝てただろうに
1人の天才が戦局を変えれるわけないでしょ、それが出来るなら逆に1人の無能が戦局を変えることも出来るようになるよ
@@Burborn7なら天才ではない
悪知恵の塊だった石原完爾って、人命は二の次
石原は変に過大評価されすきだよ
悪手うったのは間違いない
7:20 満州事変時は軍部大臣現役武官制は廃止されているので、この解説は誤り。
閣内不一致による内閣瓦解を避けただけ。
そして、全く解説していないが石原莞爾こそが、この悪名高き軍部大臣現役武官制を復活させた張本人で、石原自身が国際協調を重視する宇垣一成の組閣阻止にこの制度を使っている。
満州事変も含めて石原莞爾が日本に及ぼした影響は、害の方が大きく天才とか名将とかいう評価は理解不能。
@@user-sz4gv7en6f 宇垣内閣を流産させるべく石原が暗躍したのは事実ですが、軍部大臣現役武官制を復活させたってのは新説ですね。復活させた目的は皇道派排除なので、石原も賛成していたと思いますが、恐らくすべての統制派の人間が賛成していたでしょう。
@@oioiok00
確かに復活は陸軍省起案なので当時参謀本部にいた石原が復活させたというのは違いますね。ただ、皇道派を復権させないという本来の目的から外れた利用を始めて、陸軍の意向に沿わない内閣は誕生させないという前例を作ったのは間違いないし、それによって日本を悪い方向に導いたのは確かだと思います。
@@user-sz4gv7en6f あの広大な満洲を短期間で占領できる芸当は少なくとも戦術的には名将と言って差し支えないと考えます(半藤氏も石原を名将と評しています)。あと一個人としては天才と言えるほどの能力を持っていたと思います(組織人としてはダメですが)。
石原が宇垣内閣を流産させた理由は違います。皇道派復権阻止のためでなく、軍部が主導的立場に立てなくなると危惧したためです。
天才?
下剋上で事変を起こしたのに
なんの処罰も受けず戦争の発端を作った罪人でしょうが?
上司の命令もなしの下剋上を許した軍部が悪い・・・
あと何をしたかは知りません・・・
ろくでもないのは陸軍ではなく海軍
全くその通り。そのくせエリート意識だけは強くて困ります。
こいつのせいで陸軍が暴走し始めたってのもあるから何とも言えない
そうだと思う😂
侵略の天才だ。プーチンにも教えたい。
言えると思う
日本のエーリッヒ·フォン·マンシュタイン
陸軍は怖そう
トルーマン大統領は、高校卒業で、大統領。
単なる自惚れ屋
お前さ、日蓮宗だったのだよね。思想家にも色々あるね
天才と馬鹿は紙一重という。石原は天才ではなく馬鹿だったのではないか、満州のその後を見れば明らか。
学校の写生の授業で、自分の「イチモツ」写生した変態将軍。
20世紀の戦争なのに言ってることが紀元前の中国の春秋の武将みたいだね、そりゃあ戦勝国は眼が点になるわw
最後の一言は、不要
日本陸軍程優秀な軍隊は、皆無
きっぱり
其の流れを、汲む陸上自衛隊自衛官は、今も、能登半島地震の被災地にて、災害派遣で、酷使為れています
因みに、自分は、陸上自衛隊元自衛官
爆笑
石原完爾(いしはらかんじ)
読み方間違いが、目立つ
(怒)
以上
私は石原莞爾が第一の戦犯だと思っている。彼が彼の地にいなければ満州事変も日中戦争もおきなかった‼️
自作自演をするような人は、欺くことを良しとしてるわけだから、それは自業自得になるってことを案じているようなものである。
どうでもいい話だ。噓でも
凡才ですよ、、、故に陸軍をクビになりましたね。
いいえ。逆に天才タイプだったから天才殺しの東條上等兵に左遷された
武藤あたりに遣り込められる、、、 凡才です。 @@DaitoaTeikoku-Ball
石原の書いたものを読んでいると、自身ばかりでなく、日本人を誇大評価している辺りが鼻についてしまう。
そういう観点では、「日本凄い」を発信しているユーチューバーとたいした違いは感じないのだが。
石原に乗っかりたがる方々のメンタルも、似たようなものなのだろう。
石原の一番ダメなところは、まさにユーチューバーじみた世界感覚だと思う。
陸軍刑法により銃殺されなければならぬ輩。持ち上げる気が知れん。
敗戦の東條くんより
過大評価されている一人
石原は公明党と創価学会そのもうです!
帝国陸軍は凄いと思うよ。牟田口のおっさんだけは正当化する気にはならないが、無骨さを持った人ってのはああいう面があるよね。部下にはなりたくない。