日本史【室町時代】南北朝時代 守護大名の支配「早わかり歴史授業29」
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- čas přidán 6. 08. 2020
- 中学、高校の歴史まとめ。鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇による天皇親政で治めていたが、次第に世の中が乱れていく。そして後醍醐天皇の政治に不満をもった武士たちが挙兵し、日本が南北に分かれてしまった。日本史上唯一、天皇が同時期に二人いるという非常事態に!
この時代から徐々に守護や地頭たちが力をつけ、これらが後の戦国時代に繋がっていく。
動画内容
1、室町時代を感じられる寺院 京都「等持院」の紹介
2、後醍醐天皇による天皇親政のおさらい
3、南北朝の争乱おさらい
4、日本史の大きな転換点 南北朝時代 天皇が二人、元号は二つ
5、守護が力を増し守護大名に
6、地頭の在地武士化と守護大名の支配
7、在地武士になれなかった地頭たちが新たな土地を求めて全国へ移動
8、地頭の紹介例)本多忠勝の先祖「本多氏」
9、戦国時代のはじまりについて
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#日本史 #教育 #授業 - Zábava
南北朝時代に私のご先祖様も、近畿地方から関東にやってきてる記録があります。その時に武士から僧侶になったようですが。
守護大名がどうやって出来てきたのかが良く分かりました。
そりゃあ、土地(金)と人を握ったら強くなりますわね。
京都では等持院殿ですが関東(鎌倉)では長寿院殿で、建長寺のはす向かいに在る長寿寺が尊氏の菩提寺です。尊氏のお墓が在ります。
京都の造園家さんが手掛けた美しい庭園も在ります。
等持院の将軍たちの木造って、幕末の頃攘夷の者たちに首切らたよね。
足利尊氏は鎌倉殿で直義と義詮は三条殿と言われるので京都三条坊門に幕府を置いた1348年に高師直に吉野が壊滅し南賊は紀伊山地を転々
1363年に山名家と大内家が幕府に帰順してから本州四国は天下静謐になった1361~1372に君臨した懐良親王は九州第三勢力を目指していた
ので事実上戦闘不能な南賊の後村上帝と義詮は晩年には和平交渉をしていたが後村上帝が崩御して南賊は滅亡する1368年に義満が将軍就任
鎌倉時代と違って華やかな文化が開いた室町時代。
宋から手に入れた貨幣の力でしょう。
過去のどの権力者も驚くような富を手にしたのが足利将軍。
室町は力があるものが正義の時代と思うのは私だけかな。
荘園領主にて高名な人物はいないのでしょうか。
ここからすぐ南に、京都府立医大の教養課程があるんだよね。立命館だけ有名だけどさ、ふふふ。
このねーちゃん笑
おもろいのー
ありがとうございます😀誉め言葉ですよね?☺️
勿論ですよ笑
今後もいっぱいおきばりやす
ありがとうございます。感謝です!
日本人の多くは南北朝と言うのは関東と関西の戦いだと思っている日本人が多いと思います。