小早川隆景 毛利家を支えた知将 人生のすべてを家のためにささげた男
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- čas přidán 24. 07. 2024
- 今回の歴史じっくり紀行は、『 小早川隆景 毛利家を支えた知将 人生のすべてを家のためにささげた男』について紹介していこうと思います。
~目次~
0:00 オープニング
0:47 小早川隆景 とは
2:47 『三本の矢』の一本
5:22 竹原小早川家、そして本家の当主へ。活躍の拠点は?
7:31 元就を大名にした厳島の戦い
9:13 中国大返し、背中を向けた敵を追わず先を見据えた判断
11:58 秀吉に気に入られ、『五大老』もうひとりの大老に
~関連動画~
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脚本・監修:歴史じっくり紀行
#歴史じっくり紀行
~画像~
K.F. - 投稿者自身による作品, CC 表示 2.5, commons.wikimedia.org/w/index...
By Alvin Lee - Own work, CC BY-SA 4.0, commons.wikimedia.org/w/index... - Zábava
大好きな武将です。官兵衛との逸話が特に好きです。ありがとうございます。
沼田は「ぬまた」ではなく「ぬた」ですね。
「新高山城」は「しんたかやまじょう」ではなく、「にいたかやまじょう」です。
雨上がりの「新高山城」から見る「高山城」は絶景ですよ。
凄まじいスピードで霧が晴れる景色は最高ですよ。
地元でもないとなかなか狙って見れる絶景じゃ無さそうですね
小早川隆景を主人公にした大河ドラマが出来た場合、関連人物は、
毛利元就、毛利隆元、吉川元春、毛利輝元、毛利秀包、大内義隆、陶晴賢、村上武吉、尼子勝久、山中鹿之介、大友宗麟、宇喜多直家、足利義昭、織田信長、豊臣秀吉、黒田官兵衛、徳川家康、安国寺恵瓊…。凄いメンツだ。
直江兼続も、閻魔様の手紙の時、藤吉郎がわざわざ隆景の名前を出したからの〜。
この人の大河ドラマやってほしい。1年もたせるだけのエピソードはある。
ほんとそうですね。
私もそう思っていました。
『毛利元就』では、元就の息子として厳島合戦に出てくる程度で、それも、ニヤニヤとした顔で…その時の役者も悪い👎
『秀吉』で織田信長役をした渡哲也さんみたいな雰囲気を出せる役者さんにして貰いたいです。あくまでも私はそう思っています。
隆景は、叔父として輝元を厳しく教育しつつ、公の場では平身低頭して接していたという。そんな彼の訃報に、黒田如水(官兵衛)は「日本に二人と居ない賢人を失った」とその死を惜しんだそう。
小早川隆景が関ケ原の戦いの時まで生きていれば、その後の歴史は大きく変わったでしょうね。
戦国屈指の賢人ですよね。あと数年彼の寿命が長ければ毛利家は…と残念でなりません。
もう少し生きていれば毛利の弱体化は防げたかなと思う。
異母弟の四男・穂井田元清とほぼ同じタイミングで亡くなってる。
官兵衛と隆景大親友同士
私も大好きな武将です。
黒田官兵衛に、賢人と評された事も有名ですよね。
吉川家は、岩国城主として残りましたね。
管理人さんめっちゃいい!⤴️ excellent❗️⤴️⤴️
大好き💓♥️❤️です。🎵
長年の同盟者だった三村元親に対する仕打ちだけはちょっといただけないかな
小早川家を 捨てて 毛利を守ったのは ちょうど越後の上杉を守る為 直江兼続が家を差し出したのと似ている
隆景の一番の見せ場は碧蹄館の戦いだと思っているので、触れられなかったのは残念。
毛利の両川元就の息子は優秀なのが多い吉川元春と言い隆基元といい
天下の三陪臣の一人だけあって実績抜群の隆景。
彼がの大将でなかったら碧蹄館の戦いの趨勢も厳しかったと思います。
しかし毛利宗家ファーストは結果的に宗家の仇になってしまいましたね(>_
元就の才覚を
1番受け継いだのは
隆景なんじゃないの?
利家と隆景を亡くしたことが
豊臣家には致命的に
なったのかもしれない
元春は武勇に優れ
隆景は知略に優れていたらしいからね
謀略家元就の才能を受け継いでたのは隆景ですね
広島城に関するエピソードが結構好きです(*´艸`*)
地元では、高山城と妻高山城と呼んでいました。
何時の間に、新高山城と呼ばれる様になったんでしょう?
サムネの肖像画、信長に似てる
どっちも鼻が高かったんだろうな
毛利元就というカリスマがいたから機能した。
元就没後は毛利、小早川、吉川、安国寺も暗躍してみなバラバラに動く
3本の矢の教えがあまりにも皮肉。
仲間割れを散々利用して勢力を伸ばしてきたのだから、因果応報としか思えんが。
違うでしょう。 毛利隆元は早死にしなければ 毛利家の歴史は かなり違ったはずです。