しながわのチカラ 写真家 長野重一

Sdílet
Vložit
  • čas přidán 5. 08. 2019
  • 昭和、そして平成と、半世紀にわたり変わりゆく日本の姿を撮り続け、平成31年1月逝去された写真家長野重一(しげいち)。
    長野さんは少し変わった経歴の写真家です。
    社会派として脚光を浴びながら10数年以上も写真から離れ、映画などの映像世界に身を置きます。
    大林「長野重一さんのカメラは世界的に知られています。人をしっかり見つめる。その見つめるチカラが本当に人間の魅力をひき出すという見事なカメラワークの持ち主です」
    齋藤「ふつう10年も(写真を)発表しなかったら忘れられてしまう。長野さんの名前は他の人と違って何年経っても生き続けている」
    長野さんは「遠い視線」というテーマで、昭和の終わり再び写真の表舞台に戻ってきます。
    長野「バブルの少し前で東京が変わってきている。その視点で東京の街をもう一度見直してみようと始めたのが『遠い視線』です」
    長野さんはライフワークように、品川を始め東京をワイドレンズで見つめ撮り続けてきました。
    今回長野さんの足跡を辿りながら、変貌する街とそこに生きる人に向けた穏やかな眼差しに想いを馳せます。
    平成19年、区政60周年を記念した写真コンクールが開催され、長野さんは審査員として品川の魅力フォトと向き合いました。
    長野「自分が生きている時代を自分の街を通して撮っていくそのための写真は優れたメディアだと思う」
    中学生の頃から写真部に入り本格的に写真を撮り始めていた長野さん。
    長野さんは慶応大学卒業後、昭和22年グラフ雑誌の創刊に携わります。編集担当として写真家について行くレポーター役でした。ある日代役で老人ホームで撮影します。しかし掲載前に雑誌が休刊。この日の目を見なかった写真をコンテストに応募したところ、見事特選に選ばれます。
    これが写真家・長野重一を生むきっかけとなります。
    昭和24年別の雑誌にカメラマンとして参加し、5年間撮影を行う中、長野さんに新たな転機が訪れます。
    長野「説明的に撮るというのが与えられた仕事だった。しかし写真の可能性はもっと色々あり、自分の感情を表現できるという不満があった」
    昭和29年、長野さんは新たな写真表現を求めてフリーランスとなり、ドキュメンタリー写真の世界に踏み込んでいきます。
    彼の作品は客観的な立場で報道する写真ではなく、自らの意志を反映させたものでした。
    経済成長が始まり変わりゆく時代の中で、発表する写真すべてが話題となり、長野さんは売れっ子となっていきます。
    齋藤「長野さんは新進で本当に凄い。ルポルタージュのお手本みたいな感じがあった」
    長野さんは昭和30年代半ば以降、映像世界にも活動範囲を広げていきます。ドキュメンタリー写真が転換期であったこの時代、長野さんは主軸を映像に移します。
    善樹「(映像に移行した理由は)私や弟の学費稼ぎだと思う。映像に興味はあった。父は一匹狼的で頑固なところがあるが、チームに入って仕事をする時、協調性があったと思う」
    長野さんは巨匠監督たちとの作品づくりを通して、映像界でもひとかどの存在となっていきます。
    3本の映画でコンビを組んだ大林監督は、ワイドレンズを駆使した撮影技法について次のように語っています。
    大林「カメラを決して固定しないで細かく動かす。それによりワイドレンズで出る歪みが無く、人間の魅力を引き出す見事なカメラワークの持ち主です」
    昭和の終わり頃、長野さんは写真界で復活します。記憶の中から遠のく街の変貌を、「遠い視線」というテーマで見つめようとする試みでした。
    齋藤「映画やコマーシャルをやっていて、写真に戻った。戻ると作風が変わってくる。「遠い視線」を撮ろうという気持になったのは凄い。長野さんは気持の豊かさを持ち続けていた人だと思う」
    全てモノクロ、ワイドレンズ、横の構図にこだわる、かつてのドキュメンタリー手法とは違う眼差しの作品です。
    善樹「大掛かりの機材はなくて、カメラを持って気軽に出かけ
    て行って、すぐに撮影できるという感じでした。」
    平成19年長野さんの撮影に同行しました。昭和26年より長年住み続けていたここ上大崎。「遠い視線」の写真にもこの街がよく登場します。
    長野「日頃見慣れた街がその日だけ見せる表情が面白い。街を歩いて撮る醍醐味です」
    長野「そこの角が面白い。この建物ができる前の写真ですが、人が行列で歩くのが面白いので何枚も写真を撮っている」
    28ミリワイドレンズというこだわりで、淡々とフィルムに収め続けた長野さん。
    長野「28ミリというカメラのレンズは人間の目に一番近いと思う。できるだけ人が街を見る視線、同じ高さ、同じ角度で街を写す。それが街を歩く写真の一番の楽しみです」
    日々表情を変える街。長野さんがライフワークとして撮り続けた「遠い視線」というテーマ。時代の記憶として次世代に手渡されていきます。
    長野重一さんのお孫さん柊太郎(しゅうたろう)さん。彼は祖父と同じ写真の道を歩み始めています。
    柊太郎「僕は単純に祖父の写真のファン。写真家は色々なイメージがあるが、祖父はけれん味のない外見だが、カメラを構え誰にも気づかれずに撮って普通の姿に戻っていくのが子どもの頃からかっこいいと思っていた。祖父の目線とは違うが、同じように大切にしている気持で東京の街をスナップしていきたい」
    たえず変貌を続ける東京の街とそこに生きる人たちに穏やかな眼差しを注いだ長野さんのスナップショット。それらは今も残るこの暗室でさらに自らの想いを重ねたオリジナルプリント作品として仕上げていました。
    長野「美しく撮ろうとか、面白く撮ろうとか考えないで、自分の心に浮かんだ対象に対する想いを忠実に表現してほい」
    特殊なテクニックを使うことなく、カメラを手に自然体で見つめ歩く中で何が発見できるのか。そこには長野さんの写真家としての視点、こだわりが貫かれています。

Komentáře •