浪曲『南部坂雪の別れ』初代 春日井 梅鴬 小山觀翁撰集
Vložit
- čas přidán 12. 09. 2024
- 五代目 一龍斎貞丈につづいて
今週も、忠臣蔵にしました。
歌う浪曲(なにやぶし)
というジャンルを、
天性の明るさで完成させた、
春日井 梅鴬(かすがい ばいおう)の
最高傑作と思われるものです。
九段会館1974年10月5日収録。
そして同年10月22日になくなりました。
*********************
初代 春日井 梅鴬
(1905年2月20日 - 1974年10月22日)は浪曲師。
本名は安藤 金作。
千葉県鶴舞の生まれ、
14歳のときに旅廻り専門の浪曲師の春日井梅吉に入門。
師匠の勧めで上京し新内の7代目富士松加賀太夫の支配人の紹介で春日井梅鴬の名で高座に上がる。
1933年の東海林太郎のヒット曲「赤城の子守唄」を秩父重剛が浪曲に脚色し梅鴬が演じて一躍スターダムに。
その後もレコード「天野屋利兵衛」
「南部坂雪の別れ」
「越後獅子祭り」
「残菊物語」などがヒットし得意ネタとなる。
美声とリズミカルな「梅鴬節」が特徴。
日本浪曲協会会長を務めた。
実の娘が2代目梅鴬を襲名した。
他の弟子には春日井梅光(日本浪曲協会元副会長)、藤田元春等がいる。
南部坂、実話ではないと知ってはいますが、梅鶯節で聴くと、涙が止まりません。
梅鶯先生のお宅がいまの浪曲協会の建物だとききましたが、40人くらいの会ができる大広間といい個人邸としては特殊なつくりです。大広間入って左側にびっしりとCDがならんで先人の浪曲を聴きながら今の浪曲師が稽古しているようです。火曜日に「通う火曜亭」という若手の会をやっていますが梅鶯節を継ぐような人がでてきてほしいですね。
ano
あの梅鶯節を誰か着いて欲しいですね あの心から絞り出す声味わいのある節廻し。
梅鶯師の名調子ほんま好きやわ。