【毛利元就】乞食若様と呼ばれたどん底から中国地方を制覇するまで上り詰めた天才。知恵と策略で上り詰めた比類なき智将【ゆっくり解説】
Vložit
- čas přidán 8. 04. 2024
- 知略と戦略で、どんな戦力さもひっくり返してしまうシゴデキ武将。
上司にしたい武将の上位に必ずランクインしてますよね。
コンプライアンスなんてみじんも無かった時代に、現代にも通ずる倫理観を持っている元就は、中国地方のみならず全国にファンも多いのではないでしょうか?
ワタシも個人的にとても好きな武将なので、今回紹介できてうれしいです!
●オススメ動画
「可児才蔵」
• 【(笹)可児才蔵】戦国最強で破天荒!戦場で無...
「前田慶次」
• 【前田慶次】天下の傾奇者の人生がヤバイwww...
「黒田官兵衛」
• 【黒田官兵衛】天才すぎて信長や秀吉から恐れら...
「水野勝成」
• 【水野勝成】←ルールと説教が大嫌いな自由奔放...
「松永久秀」
• 【松永久秀】戦国屈指の極悪人はノッブを3度も...
「本多忠勝」
• 【本多忠勝】徳川専用モビルスーツホンダム。7...
「島津義弘」
• 【島津義弘】島津が誇る最強バーサーカー、鬼島...
「立花宗茂」
• 【立花宗茂】西国無双と呼ばれたチート武将←ニ...
「小田氏治」
• 【小田氏治】何度やられても復活する戦国の不死...
#ゆっくり歴史解説 #ゆっくり解説 #毛利元就 #戦国時代
#戦国武将 - Zábava
もしこの人が居なければ今の広島の立ち位置は無いし、更に言うと明治政府を作った長州の藩祖だから歴史上めちゃくちゃ重要なんよね実は
武田信玄とかの方が勝率高いみたいな話があるが、あれは引き分けも勝ちとして計算しているからあんな勝率になるだけ
引き分けを除いたガチ勝率なら、220戦以上しても85%越えの勝率を維持している毛利元就がダントツでトップという
まさに戦国時代最強の武将
敵対したら最悪だが組織のトップとしてはメチャクチャ有能だわな
コメントありがとうございます!
元就と敵対してしまったら最後、仲間の言葉が全く信じられなくなるわけですもんね。
組織が根底から瓦解してしまいます😓
毛利家は大江氏の流れだから一応知略を助けるインテリジェンスはあったとは言えるかね。どこかで家伝として闘戦経も所蔵してたとは聞いたことがあるけど…
先祖に、源義家に兵法を教えた大江匡房、頼朝を支えた大江広元、楠木正成に軍学を教えた大江(毛利)時親がいるから、何らかの兵法が伝わってたんでしょうね。
三本の矢の逸話は後世の創作だが
ただ、元就の手紙には「兄弟三人が力を合わせれば張良の兵法書1巻くらいの効果はあるけぇのぅ」(毛利家文書406)という記述があるので
これがモデルになったと言われております
三本の矢の話は、毛利元就の長男が親より先に亡くなっているので、完全に後世の創作です。出典は失念しましたが、確か中国の古典に三本の矢の話があったように思います。
この話は元々イソップ物語が原典と言われており、イソップ物語では矢ではなく小枝の束だったようで、それが中央アジアで五本の矢になり、中国に伝わって三本の矢になったらしい。なにぶん、記憶があいまいで申し訳ない。
同じ話がローマ帝国の紋章では枝と斧の束(?)になり、アメリカ合衆国の紋章では鷲が十三本の矢を握っている図柄になったといいます。
広島県の者ですが毛利元就は吉川元春 小早川隆景 毛利隆元など優秀な子供と共に中国統一を目指していました。尼子家の家臣が毛利元就は尼子経久にそっくりと言ってたそうです。尼子経久と毛利元就で一部で二大謀聖と聞きました
自分が聞いた話ではそれに宇喜多直家で三大謀聖と言われてました
もしかしたら経久の行動(家督の介入)が無ければ毛利家は尼子家を毛嫌いしなかったと思うんだよなぁ、詮久(晴久)と義兄弟ではあったけども祖父によって弟や家臣を粛清するハメになってるしそれを根に持ってたんだろうしな
経久は老齢だったが詮久と組み続けてれば大内家との戦も尼子方優位だったと思うわ、それこそ抑えを毛利高橋吉川武田安芸国衆にさせて尼子家は備前備中美作播磨を抑えて安定させたら大内家も手を焼くだろうし岩見も落とせてただろうし大内の敵は尼子だけじゃなく大友や竜造寺もとい少弐家もいるし挟撃されたら大友家終わってた可能性もあるのよねw
たらればだけども謀略を仕掛けまくった結果の帰結と考えたら空しいねw
戦国の習いやな。応仁の乱以降全日本骨肉争いこそが治安を乱したから、唆すのは造作もない事だろう。だから武田信繁は賞賛されるそんな時代。
@@user-bz1us6hr8b 中国地方、謀聖、知略に長けた人物多すぎ問題
元就は謀略ばっかり語られますが戦争もメチャクチャ強いですよね
何度も劣勢を覆して勝利してます
生まれがハードモードだよな。尼子と大内、安芸武田って大大名に囲まれてるし。元就の好物は真鯛の塩焼きだったとか。タンパク質は大切。毛利家だと吉川元春と穂井田元清が良いな。穂井田元清は四本目の矢って言ってもいい逸材
すごく分かりやすい。
コメントありがとうございます!
励みになります!
取り上げて欲しい武将やお気に入りの武将がいれば、是非教えてくださいね!☺
お城巡りをしていますが、月山富田城の地形の堅城さには驚きました🤗謀略でよかったと思います🤭
天下を競望せずって
あの時代に天下意識してたの逆に凄くない
相変わらずめっちゃ分かり易いなぁ
元就、面白いですよね。時代がちょっと違うけど、真田昌幸と謀略戦で戦わせてみたかったなぁww
今回ちょっと出てきましたが、村上水軍は面白いので、今度ぜひ!
真田昌幸は戦で勝つ為の努力工夫をしてる。毛利元就は戦になる前にデマ情報で内部崩壊させ謀略で粛清させてる。特に得意なのが婚姻関係でその家を乗っ取る。吉川、小早川がそれになる。一番えぐいのは実の娘を高橋家に人質に出して高橋家が石見銀山に出兵中に安芸の高橋家の領土を奇襲攻撃して奪ってる。当然実の娘は高橋家から裏切り者として処刑されてる。戦国時代に人質を出して自分の家を守る為にしょうがなく裏切って人質が処刑される事はあるが自分の領土欲求の為に相手を油断させて奇襲するのに実の娘を処刑させるって事例は少ないよ。武田信玄も婚姻を利用して油断させて攻撃するって手法を得意としてたがここまでえぐいやり方を平気でやる毛利元就に会ってみたいって言ってたって逸話が残ってる。毛利元就、武田信玄どちらもやり方がえぐいから好きになれんわ
安芸の一国衆からのし上がった日本中世屈指の化け物
謀略謀略ばっか言われるけど大内傘下時代からある種の誠実さをもって結果を出し続けたことが後の信用を買ってると思うんすよね
コメントありがとうございます!
私もその誠実さが毛利元就の魅力だと思います!
今回動画を作るにあたって調べなおしたのですが、謀反や謀略ばかりの戦国にありながら、倫理観をもった誠実さを感じました!
普通に質実剛健かつ用心深くその上に強い(勝率8割)ですからマジで怪物ですよね。
尼子経久も怪物だが...。
@@55tg 尼子はあの家格秩序がしっかりした中世で穏便に守護職についてたり爆発的にデカくなったりしますからねー
@@matukawatositane 浪人に落ちてからの成り上がりが驚異的。
@@55tg どうも近年では浪人にはなってない感じみたいです
猛虎弁の武将とかやだ笑
家臣の井上氏を簀巻きにして、崖から蹴り落とした話は?🤣🤣
というか、井上一族は皆殺しにされてるから😅
>コンプライアンスなんてみじんも無かった時代に、現代にも通ずる倫理観を持っている元就
基本的にはその通りではあります、味方には優しい。
ただ敵には降伏するなら助命すると言っておいて、後からの騙し討ちは賛成できませんね。そこまでやらないと戦国時代は生き残れない気はしますが。
コメントありがとうございます!!
そこのところ本当に同意です!!
降伏からの騙し討ちが許されると、降伏を認めないのが最適手になってしまいますしね…
なので、近々あげる予定のお方は、個人的にちょっと…ですね😕
毛利元就を敵に回すと嫌な死に方しそうで怖いな・・・
いつもコメントありがとうございます!
敵認定されただけでアウトな気もします笑
@@kotonoha-2ch-history すいません、返信気づいてませんでした💦
もし当時の安芸の国衆に転生してしまったら、最初にやる事は元就さんに人質を差し出して臣従する事ですね笑
織田家が信長の代じゃなくて信秀の代で拡大しまくった。みたいな感じか
そう捉えたらえげつねえな
いやこれはな、毛利元就(もりな)は挟まれてると言うけど、尼子経久と大内義興という二大巨頭による薫陶を受けてるのが本当に注目すべき点やで。信長のように土地が良かったとか信玄のように名門だったとか後ろ盾もなく強くはなれんよ。
コメントありがとうございます。
なるほど。二つの大きな勢力のいいとこを学んで優秀な統治者になったということですね!?
勉強になります!
尼子の新宮党成敗は新宮党が抱えていた出雲大社(杵築)利権を奪うため。大社は当時、豊かな西出雲に巨大な荘園を保有しておりこの荘園の直接支配が尼子家の悲願だった。新宮党は大社の利益代弁者として尼子家内で発言力・経済力・武力を保持しているのでこれらの総てを尼子本家が掌握するために成敗をした
この後、西出雲の大社荘園のみならずたたら集団迄尼子本家が直接管理。新宮党事件の後、尼子本家の軍事力は増大し毛利元就を石見銀山をめぐる戦いで一蹴している。新宮党事件が元就の謀略なら敵の軍事力を高めるためにやった事になる
謀神来ましたか
子供達が関ヶ原で辛酸を舐めるも260年後に徳川を倒したのは胸熱
関ヶ原で辛酸を舐めたのは、孫の世代ですね。
渡辺通は家督争いで父の勝が相合元綱側を擁立して元就に殺されており、本来なら元就は親の仇なのですが忠臣を貫きましたね。通の奮闘を受けて元就はその後も渡辺家を重用しています。
一応時系列的には毛利両川体制は月山富田の戦いの後になりますね。月山富田の時は元春も隆景もまだガキンチョなので
コメント・ご指摘ありがとうございます!
動画内時系列前後しておりました🙇
「ガキンチョ」表現いいですね!機会があれば是非使わせてもらいたいです✨
…自身は酒を飲まなかったんですよね、自分には毒、相手には百薬の長と
コメントありがとうございます!
これが諸説あるパターンかと思うのですが、
酒好きな人に対しては「お酒って良いですよね。気分も高まりますし、百薬の長とも言いますもんね。程々に楽しむ分には最高でしょ」
下戸な人に対しては「お酒なんて体に悪いだけですからね。健康に気を使って長生きしましょうね」
みたいな感じで、相手に合わせて気持ちよくさせる一種の処世術的な感じだったのかもしれませんね!
まぁ元就の実兄や実父はては実祖父まで死因が病死や戦死じゃなく酒害で早逝してるからなー
お隣に宇喜多もいて怖い土地だと思う
コメントありがとうございます。
ホントにあの辺りも激戦区だったと思います。
いや、そう言われてみると全国各地が激戦区ですか…
琉球と蝦夷…
毛利元就…戦国時代でも屈指の謀将。謀神が元就、謀聖が経久だったと思います。
若い時は不遇な小大名の嫡男でしたが、五十歳頃に転換期が訪れ中国地方の一大勢力となります。
元就の戦い方は尼子経久によく似ており、戦前の調略といった準備を万全にして一戦を必ず勝つと言うやり方でした。
謀多くが勝ち、謀少なきは負ける。
人間的な魅力…正室を生涯愛し、側室を置かなかった。酒を嗜まなかった。手紙が物凄い長い等。
謀聖と呼ばれた尼子経久も奇特な人物で、持っているものを褒められるとあげてしまう話があります。庭の松の木を褒められて、薪にして配った話しは面白いですよ。
大河ドラマの毛利元就も暇があれば見てください。緒形拳さんが演じる尼子経久が最高ですよ。
元就を聖人ってのはあまりに違和感があるけどな。
身内にはまじで聖人やけん
確か雪合戦の話がありますね。
高齢になった頃に大雪が発生して家臣の大勢が屋敷に引きこもった時に、屋敷の中に大量の雪を運び込ませて自分も参加して雪合戦をしたとか。
上下関係無く楽しく遊んで、汗まみれになって終わった後で「寒いけど、こういう遊びをすれば体も温まり鍛えられるから、屋敷にこもってばかりいるな」と、やんわりと言ったとかいう逸話を聞いたことがある。
コメントありがとうございます。
なんですかそのホッコリエピソードは…!🥺素敵すぎます!
謀略家といえば最上義光、宇喜多直家、毛利元就だけど、1番怖いよねえ
ちなみに信長の野望で1番苦戦する😅
松永久秀じゃないかな。最上は猛将系ですよ。
実際宮尾城は廃城寸前のボロい城だったのを目を付けて改修工事するとわざと情報を漏らして陶軍を誘い出したらしい
マンガや小説のストーリーかと思うぐらい、キレイに引っかかってますよね!
それだけ人の心と情報の操作に長けていたのだと思うと、元就の凄さが際立ちますね!
厳島の戦いはまず厳島の重要性を見落として居るのでこんな珍説になる。厳島の対岸一帯は現在より平地が少なく安芸に軍事侵攻しようとするとこの地点で必ず一列か二列縦隊になってしまう。厳島から船で横腹を衝くと少数でも進軍を止める事が出来る。突破を許しても補給隊を狙えば安芸に侵攻した軍は干上がってしまうし、何より人員・兵糧を大量輸送できる海上輸送が妨害される
厳島の確保は最優先課題と言っても良く大内(陶)軍がここを落とすために全力を挙げるのは当然。問題は陶晴賢が大内の分国筑前統治に失敗し大内家中で陶に対する不信が渦巻いて士気が低かった。どうしても厳島には陶本人が前線に出ないとまともに戦えない
つまり元就が先行して宮島の確保に成功した時点で勝負あり。ここで負けても大内4カ国は内乱祭りになっていたので元就が戦死しなかったら陶は最終的に毛利領から撤退しただろう
ワシの隆元~。
尼子経久イラストが緒形拳さんぼいの良き
コメントありがとうございます!
気付きませんでしたが、そう言われるとそうにしか見えなくなってしまいました笑
よしたか「隆房のバカ、だからやめろと言うたに……」
毛利、島津、長曽我部辺りがホントに組んだら日本は東日本と西日本で2つの国が出来てたよな。
外国との貿易が有利で富も莫大。
コメントありがとうございます。
それは本当にありそうですよね!
長期的にみたら、かなり栄えてそうです。
幕末には実際に組んで明治維新を成し遂げてますね。
薩長同盟、その仲を取り持ったのが長曾我部遺臣の子孫たち。
新作お疲れ様です。どうしても「おじいちゃん」のイメージがありますよね。もし生まれてくる時代が違ったら? みたいな妄想は尽きないですなぁ。
コメントありがとうございます!
生まれてくる時代が違ったらというのは、色々考えてしまいますよね!
あの武将とこの武将は仲良くなっていたかも?とか、あの武将がもう少し長生きしていたらこうなっていたんじゃないか?みたいな。
空想が止まりません🤔
謀聖尼子経久に憧れてたというのはマジ?
尼子経久には散々家を乱されたので恨みは沢山あったと思います。
詳しく元就解説してくれてるチャンネルあるから気になるなら調べてみるといいかもね
未だと第二次銀山城の戦いまで出てるし
というか元就的には大内家に多大な恩があったからなぁとだから同じかそれ以上に大内家からもらっときながら裏切ったことを殊更許せなかったんだろうなと
というか義隆の領地経営放置説って大分前から否定されてるけどね、最近の研究だとむしろ立て直しに尽力してたというな
最近だと陶が裏切った理由は後奈良天皇が山口に遷都しようと考えていた。
義隆もやる気でいたが陶が反対して反乱を起こしたという説もあって、、、
コメント・コメントへの返信ありがとうございます!
歴史の奥深いところでもあると思うのですが、新しく発見された資料や後世の研究で人物像が一変してしまいますよね。
お二人に教えて頂いた情報もインプットしておきます✍!
大内晴持は土佐一条氏からの養子、溺死の説はいいね。
義隆は足利義輝(生前は従四位)より上の従二位だったしね
@@user-dg5kx3gd5p 情勢からしてそれができるかは甚だ疑問だけどね?あることない事吹聴されて梯子外されるがオチだと思う。安芸の国の支配と言っても実質支配してるの守護代の隆兼だし
@@user-dg5kx3gd5pそんなことできない状況に毛利元就は追い込まれています。既に毛利元就に計画を話した時点で大内九カ国の領国全域に陶や内藤らが息を掛けています。そんな中で毛利元就ができませんなんて言えるはずありません。
次のノブヤボでは、毛利元就の特技は「借刀刹人」にするといいですね。
大河と全然違うけど、こっちの方がリアルかも。
毛利元就ばっか注目されるけど最大のライバル尼子晴久はあんま注目されてないよね
成長した後の晴久は元就を何度も撃退していたし
武田氏?竹田氏?
元就が長生きていたら信長も生きていたか分からん。うちの先祖達は色々な血が流れてる。尼子経久の血や熊谷家の血や織田家や徳川家や浅井家など繋がりすぎてその分業も背負いすぎて本当に現在最悪だよ。
長生きはしてるやろ。