【ゆっくり解説】裕福すぎた旗本5選!!!
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- čas přidán 15. 03. 2024
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歴史は何のために学ぶのか。この疑問を持ったことがある方は少なくないでしょう。仕事では直接使うことはほとんどないですよね。
過去を学ぶことで未来に活かせると私は考えています。教養という意味でも社会で必要な知識でしょう。
先人たちはどのような暮らしでなぜそのような文化が形成されたのか。面白いことばかりです。
こういった考えから、このチャンネルでは社会人の方が、ゆっくり楽しく歴史上の偉人のことを学べ、更に、そこから日常でも役立てられるような動画を作っています。
このチャンネルを通して学び、役立てられる人が1人でも多くなるようにチャンネル運営を頑張っていきます。応援してもらえると嬉しいです。
ほぼ毎日17時に動画を配信中 にっぽんぽん 運営 山本陽太
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#ゆっくり #ゆっくり日本史 #ゆっくり解説
1:35 1石=10斗=100升=1000合=180ℓ
「斗」は一斗缶の斗、18ℓ
灯油の18ℓ販売は、この名残り
常陸の本堂家は何と八千石の旗本。徳川家とは全く関係無かったが、本堂家も旗本なんだよね。
蒔田家も一万石だったが、弟二人に千石づつ別けたから旗本だったが、後に功あり二千石加増され幕末に再度一万石に復帰。
豊後森藩の次男水死してから、お家の為に三男に千石、四男に五百石分知して藩主家に跡継ぎ無かった時に養子に入って当主になってる。
板倉しげあきじゃなく"しげまさ"ですね。重昌は島原の乱で天草四郎と戦い討ち取られた事で有名です。
おがわ?おがわって何だ?ってよく見たら御側衆の御側か、一本取られたわ😂
旗本の中には維新後、静岡藩士となった者がいたが、彼等の中には元大身旗本もいて、彼等の中には江戸時代よりも知行が一気に減った為、一家揃って餓死した者もいた。
足利成氏は「なりうじ」ではななく「しげうじ」ですね。その他間違った読みが多いです。
使番(しばん)じゃなく(つかいばん)ね!
甲賀組を預かっていた山岡家は9.000石。
ばんがしら おそばようにん
世読み方重要です、
御三家の順列を逆さまに並べている時点で似非歴史解説動画決定だな。
宇都宮氏庶流の横田氏と横田高松の家の横田氏(旗本の家)を一緒にしている時点でお察し
実際は別々の家で宇都宮氏庶流の横田氏は宇都宮氏改易時(1597年)迄は少なくても宇都宮氏の家臣だったし
横田高松の家は佐々木源氏の庶流の家で、高松が近江から甲斐へ来て武田に使えた
うちのご先祖様は8000石超えの旗本だったようだが、大正時代は非常に貧乏で大変だったそう。現当主の私は非常に庶民的な暮らしぶりです。
数学の話になってしまいますが、
大名が1万石以上ならば、旗本が1万石「以下」ではおかしくなります。
どちらも1万石丁度を含んでしまいますので、
旗本は1万石「未満」ですね。
「以下」の使われ方が当時と現代とで違っているから注意が必要ですね。
歴史文書などに出てくる「以下」は、「~に満たない、~する資格がない」などの意味で使われます。
現代の用法と歴史的な用法を混在させるとややこしいですね。
だいたい理解できるだろ。いちいち細かい事気にするやつは大抵陰キャか性格悪い。
大岡越前は旗本だxたので寺社奉行になるのがたいへんだった
吉良家の子は上杉家の養子になりいまでも続いている 八幡太郎の家来の血筋なんだよね
寺社奉行は旗本でも問題なかったけど、寺社奉行が通常兼任する奏社番が大名のみだから大岡はなれなかった。んで、寺社奉行の控え室は無くて奏社番の控え室には入れなかったから執務室がなかった
家来というか足利一門なんですが…
足利は末の弟 新羅三郎義光の末裔 甲斐源氏
ですか 河内源氏と甲斐源氏の家来はまたがった氏が多いんですよね
大身旗本は参勤交代は無く ではなく江戸定府では。物価が高いので経済的にきつかった模様。交代寄合は在地だったので参勤交代有り。
あと江戸時代○○守は名証だけで統治権はありません。番頭は「ばんがしら」です。
津軽 政兕(つがる まさたけ)は、江戸時代前期から中期にかけての旗本。陸奥国弘前藩分家・黒石領(4000石)3代当主。官位は正六位下・釆女正。日本最古の釣り指南書『何羨録』の著者として知られる。
釣り🎣好きとしては☝️こちらの旗本も世に知らせて欲しいです😊
ちなみに奥方は吉良上野さんの姫です^ ^
黒石領は後に加増により黒石藩という弘前藩支藩になりました
実は忠臣蔵で吉良屋敷に駆けつけたのは近くの黒石津軽家ですね、亡くなったとはいえ吉良の娘婿、でも津軽家だとドラマにならないので上杉家のみ・・・本家にいた大石は内蔵助の親戚、忠臣蔵のあと退去しちゃいましたが。
フィクションの旗本退屈男は1200石で大身旗本という設定だったので、1万石手前がいかに大身かということですね。
四公六民は公儀(幕府)の税制で、大名領の税制は別です。
他の方も仰っておられますが、誤読や誤認識が多すぎます。いくらAIのナレーションにしても、きちんとインプットしておけば良いのではないでしょうか。
書院番頭(しょいんばんとう)ではなく、しょいんばんがしら。
御側(おがわ)ではなく、おそば。
交代寄合は参勤交代の義務が合ったよ 30家くらいやけど
享保あたりのどこぞの貧乏旗本の三男坊は身なりも綺麗で上品で体格も良かったから、あれで貧乏なら殆どの旗本は裕福だろう
三男坊は紀州藩。旗本は次男坊と言ってたようだけど…
深溝は「ふこうず」なんだが、これはしょうがない。旧三河は月ヶ谷=わちがや、大給=おぎゅうとか面倒くさい。松平諸氏の拠点が多いから改名は禁じられたのかな。
貧乏旗本の、徳田新之助 ・暴れん坊将軍の徳川吉宗
旗本寄合席の内藤勘解由もいたなぁ
時代劇『大江戸捜査網』の御前様w
「隠密支配」は表に出せない役儀でしょうから、内藤殿、大身なのに無役ですねw
17:05 娘と娘が結婚!? まさかの百合(≧∇≦)
まあそれはおいといて、喜連川藩は5000石で10万石の大名の格を保とうとしたから財政的には初めから破綻した家だったようですね。
鬼平も旗本だね
確か700石だったよね。
ぎりぎり華族の男爵になったとしても互選で選ばれないといけませんね
旗本は大名と違って、若年寄支配であります。従って、横田家が華族になれなかったのは当然至極です。
吉良家の分家が駿河今川家なんだよね
誤読が多すぎる。挙げていたらきりがないくらい。
今は5公5民😊
大名としての義務がないから支出が段違いに少ない。
ただ格が文字通り違って所詮は旗本に過ぎない。
旗本といえば早乙女主永介かな?
旗本退屈男の必殺技、 諸刃流正眼崩しだね
原作では1500石、映画・TV時代劇では3000石。
しょいんばんとうではなく、しょいんばんがしらね
ジャニーワロタ。
ゆっくり霊夢が歴史通だと知らなかった。取り上げてくれ:島津家臣の渋谷氏、出自由来などはWikiでわかる。オレが知りたのは~何よりも~♪(小室等風を許せ)、島津家臣ながら関東に所領を持ち、定期的に、江戸期300年間、領地見回りしていた(とある歴史書)。片田舎なる鹿児島の一家臣が、平成ガングロ以来、ゆっくりの令和文化でも威勢を風靡する、待ちンボ花盛り渋谷の領主だったとは。ロマンを感じてしまう。調べて、お願い~♪
ぶっちゃけ江戸の侍って見栄はったニートだよな…ご先祖様にどつかれそうだけども
@@miyazakiidle4277 いえ、ごもっともかと
実際そういう旗本が多かったようです。
とくに500石から1000石未満は無役でそこそこ豊かに暮らせて、家格からくる縛り(1000石以上だと体面・見栄を保つのにお金をかけるようになる)もないから、無気力無能な人が多かったとか。明治維新後にこういった旗本出身の人が官吏登用試験を受けても、官職名や歴史上の人物名も正確に読めない教養レベルだったそうです。
@@user-tq5un5ul4p なんだかんだ明治になって開国できてよかったんですな
✕やすなかはん
○あんなかはん
いやあの17:10……
娘どうしが結婚って·······(笑)
紀州徳川家第九代当主、株、先物取引、国会議員選挙……。全部好き!
……で……。
全て「裏目に出て」失踪!(昭和九年)
第十代は福井松平家より養子迎えた!
石高の米の収量を
現金化しなければ
何も出来ません。
そこで
世界初と言われる
先物相場取引所
米会所が重要。
この際、
米の産地により
天地ほども?
一石当たりの値段に差が生じました。
当然、旨いと判定されたら
天国。
不味い、イマイチ等とされたら
最低最悪な事態に。
さらには同じ藩内でも産地によって出来不出来がありましたから大変です。
阿波(徳島)蜂須賀藩を例にすると、
四国の今の徳島県側は約20万石!
オマケにもらった淡路国は6~7万人石。
ところが、四国は総じて土壌が痩せていて不味い米が定評で
20万石もありながら
それに見合う高値は全く望めなかった。
そこで目先を変えて染料の藍の栽培~染料の専売に舵を切った事から大儲けした。
片や、オマケだった淡路国の米が全国にとどろく旨い米ブランドだった。
淡路の6万石と阿波の20万石が同じ価値か淡路米が更に上を行く勢いだったようです?
徳島藩の大坂蔵屋敷の藩士の仕事は
まさに相場師その物で
高値が常に見込める淡路産米を更に何とかして高値に売り抜き!
他方ではクズ米まではいかない
イマイチ以下の三等米を更に買い叩き
それを藩内に流通させた
その利鞘が
藩財政の重要な柱となっていたらしい。
淡路の米は全て
西浦の江井港の集積所に集められて
大坂蔵屋敷に出荷していたという。
この時代、
淡路島の富の八割は江井にあり!
と言われて江井には豪商が軒を連ねていました
藍の重要な産地、集積所の
徳島の脇町と
淡路島
共に
筆頭家老の稲田氏の管轄地だった
その知行は
16000石!
これには
そもそも、
蜂須賀小六と、
稲田某が
五分五分の義兄弟!と言うところからの話
徳島藩に稲田藩が在るようなないような中途半端な状態が立藩以来続いていた
役職とか固有名詞の誤読が酷すぎる
武士は経済合理性より名誉を重んじるから裕福な旗本より大名になりたかったと思います。
漢字の読みがかなり間違ってるんで動画UP前にはチェックと修正をしてクオリティを上げましょう。
柳生十兵衛はどうなるんだろう・・・
8000石の旗本で将軍家剣術指南役だが柳生に引き込もって3000石の弟に丸投げ・・・最低やんw
十兵衛急死後に相続した弟宗冬が加増され、また大名復帰で万々歳。
華族になろうよ
さきてかな?
おがわって何?
喜連川家は旗本ではない
喜連川氏は交代寄合旗本格だが、参勤交代はない、交代寄合旗本は広義の旗本の中に入る
江戸城での扱いは四品(従四位下)格、御所号を名乗ることが許されている(いた)
但し、江戸城内における伺候衣装(実際に着る)は布衣だった
@@gekisatou6204足利家
寄合金❔
小普請金ならわかる
基本的な事を
大名と旗本はそれぞれ徳川将軍家の直臣でどちらも本社の社員ですよ
所領が一万石を超えて戦闘集団(戦闘部隊と輜重部隊)を編成し出陣出来る武家を『大名』
一万石以下で戦闘部隊しか出せない武家を『旗本』と呼びます
『旗本』は単独では出陣出来ない為に参覲交代はありません(参覲交代は江戸城を交代で守備する軍役だから)
大名と旗本は将軍家に直接会い(目見得)主従関係を結ぶので直臣
御家人や各大名家臣は徳川将軍家に直接会う事は出来ず主従関係は大名や将軍家若年寄りと結ぶので陪臣扱いです
参勤交代していた旗本(交代寄合)もいました。
字幕が見にくいわ‼️
旗本横田の先祖は鎌倉殿13人にも出てきた佐々木秀義で源氏ですよ。下野の横田家とは全く別で、完全に間違ってますよ。維新後華族になれなかったものの、麹町に2000坪の自宅、中野に600坪の別荘をもつ金持ちでしたよ。華族になれなかったものの、過去の特権や人脈を生かし、やはり庶民よりは良い生活をしていたようです。
誤読が多すぎる。修正版を配信して欲しい。
3000石以上は維新時に独立させられた。
意味わからん🤔❗