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【大波乱!】世界が震えたF1界のとんでもない番狂わせレース4選
Vložit
- čas přidán 5. 09. 2022
- 今日はF1史に残る「番狂わせレース」を紹介します!
あの時の感動をもう一度!
#F1#フォーミュラー
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90年の日本グランプリの記事で外国人記者が
「不思議だね、今日は日本人が初めて表彰台に上がった歴史的なレースだ、だけどなぜスズキより
ナカジマのほうが声援が大きいんだ?」
当時はそういうことだったんだろうなぁ
私が最初から最後までハラハラさせたレースは、1998年ベルギーGP天気は雨、オープニングラップでオールージュ手前で多重クラッシュして赤旗中断、再スタートでハッキネンがリタイア、ウォータースクリーンで視界が見えにくく、トップ独走のシューマッハが周回遅れのクルザードに接触でその後ピットで乱闘寸前、トップに立ったのはジョーダンのヒル、そのままチェッカー、ヒルは96年鈴鹿以来の勝利、ジョーダン初優勝のレースでした👏
F1 1983年ロングビーチのレースで、ジョン・ワトソンが22位スタートから優勝したことがあります。
番狂わせというとやっぱり去年のハンガリー、エステバン・オコンの優勝ですかねぇ
1周目から多重クラッシュがあって、赤旗中断の後のハミルトン一台のグリッドスタート、アロンソvsハミルトンのベテラン対決、オコンの初優勝と本当にいろんなドラマがありましたね
あとちょっと関係ないですけどガスリーがモンツァで優勝した時に一位を争っていたサインツが奇しくもベッテルが優勝した時に争っていたハミルトンと同じマクラーレンっていうのも運命的な何かを感じてしまいますね!
亜久里さんゴール直前にピットクルーが急遽テープで作った
「EASY」のサインボードの意味が分からなかった話が面白い
97ハンガリーも苦戦続きだったヒル大暴れで優勝目前だった。
トロロッソ初優勝は、旧ミナルディを知るジジイとしては非常に感慨深かったです。
アルファタウリも、ミナルディの頃のように年に1回か2回、表彰台一歩手前とかに行って欲しい(ギリギリ表彰台に上がれないのもロマン)。
ポールトゥウィンで、雨以外は何のラッキーもなかったのが実力の勝利。すばらしかったです
下位チームが上位チームを食うじゃないけれど、2005年の鈴鹿で、後方17位から最終ラップの1コーナーでトップに立ったライコネンは痺れましたねぇ。
フィジケラの件は、レース終了判定時点でフィジケラがトップだったとするマーシャルの目撃証言が決め手だったらしい。認められて良かったよ。
趣旨とは外れるけど、モレノはいいチームでもっと走ってるところを見たかったなあ。
アンドレア・モーダでもモナコで決勝走れちゃうんだもの、テクニックは天下一品!
鈴木亜久里のデビューは、正確には1988年の日本GPでラルース・カルメル(コスワース)から、フル参戦デビューが1989年にザクスピード(ヤマハ)から。
レース終盤。ピットサインに、ポジションやタイムを表示せず、EASY AGURIと手作りのピットサインをスタッフが出していた。
1990年の日本GPは序盤でマクラーレンとフェラーリが全滅という大波乱でしたね。
亜久里の善戦もですが、モレノの2位は値千金でした。優勝したピケに抱きかかえられて泣きじゃくるモレノを見て、ウルウルしてしまいましたよ。
モレノは苦労人w CARTに行っても苦労人w
ブラジル人🇧🇷ですもんね。
個人的に凄いと思うのは2020サヒール。
急遽メルセデスから参戦したラッセルが実力を見せつけ終わりと思いきや、一周目に最下位になったはずのチェコが優勝。F1史上最も遅い優勝に泣くチェコとは裏腹に、初ポイントなのに笑えないラッセルが何とも切ない。この活躍がレッドブルの目に留まり、絶体絶命に思われたキャリアを続行。そしてこの漢こそが、翌年の最終ラップの奇跡に欠かせない存在になるのだが…それはまだ先のお話
実はホーナー代表とマルコ博士はサクヒールGPよりも前にチェコとコンタクトを取っていたそうです。
どのタイミングかは明確にされてませんがF1ジャーナリストのルイス・バセコンセロス氏曰く
「クリスチャン(ホーナー)とDrヘルムート(マルコ)はアレックス・アルボンのパフォーマンスには満足しておらず、2020シーズンの開幕が遅延している最中で彼(アルボン)の降格を決定し、開幕を待つ間に翌(2021)年からレッドブルのステアリングを握るドライバー探しを始めた最中に発表されたセバスチャン・ベッテルのフェラーリ離脱とアストンマーチンへの移籍は二人(ホーナー、マルコ)にとって予期せぬサプライズだった」
「そして事実上の放出が決定したセルジオ・ペレスにすぐさまコンタクトを取り、契約交渉を始めた」
「キャリア10年を誇るチェコ(ペレス)がチームにもたらす新たな力を欲したレッドブルと再びトップチームで優勝争いを望むチェコ、お互いの理念は一致しており2021シーズンのドライバー契約は早期に決まっていた物と考えられる」
と、発言していましたからね
紹介されている4件以外では90年フランスGPのイヴァン・カペリの2位表彰台ですかねぇ。
決して強いチームではなかったレイトンハウスでノーピット作戦慣行して、レース最終盤までグージェルミンと1・2体制だったのは見てて興奮しました。
最後抜かれた時「プロストてめぇ!!」ってなりましたよw
後はアンドレアモーダで決勝グリッド進出した92年モナコGPのロベルト・モレノも挙げておきます(*´▽`*)
カペリは88年の日本GPも印象に残ってますね。
リタイアしたもののターボ全盛期にNAマシンでプロスト抜いてラップリーダーになるという快挙。
番狂わせというか大逆転劇としてはF1 2005 第18戦日本GPが真っ先に思い浮かびますね
こういう大荒れのレースが、1年に1回くらいあると見てる方は楽しいなとは思う
やってる側の人もいるから、そうなれ!とも言えないんだけどね…
この時代はテレビでF1が観れましたね。
鈴木亜久里が3位になったレースは、当時鈴鹿サーキットで生観戦しました。
指定席でS字のあたりだったのでとてもよく見えました。
鈴木亜久里の初表彰台も嬉しかったし、中嶋悟が6位入賞もとてもうれしかったです。2位になったモレノがスクリーンに映り、嬉し泣きしてたシーンはジーンときました。
とても懐かしくいい思い出です。
モレノはピケの弟子関係で師弟関係で表彰台に登れたのも感動の理由だと思います(^O^)/
父親が持ってたDVDで亜久里が3位に入った時のレース見せてもらったけどその時のオーバーテイクが1コーナーの飛び込みで片輪ダートに落としながら暴れるマシン抑えてぶち抜いていったの痺れたなぁ
08’年イタリアGPは実は番狂わせでもなんでもない
週末の大雨予報を見据えてトロロはイニシャルセットアップ・ギアレシオを木曜日の段階で雨設定にし金曜日のプラクティスを精力的に走り込んだ
土曜日の予選、ベッテル・ボウデー両者Q3進出した時点でトストとエンジニアは勝利を確信したとか…
1999年のヨーロッパGPで、バリッチェロがスチュアートGPで優勝したのが印象的です。
バリッチェロと共に当時ミナルディで4位走行中のルカバドエルがマシントラブルでリタイヤ。泣き崩れる彼にマーシャルが
「また、次があるさ」
バドエル「僕にはもう次は無いんだ。」
この会話を雑誌で知って衝撃を受けました(涙)
たしか、勝ったのは同じスチュワートのハーバートで、バリチェロと1-3フィニッシュだった様な・・
違ったらゴメンなさい
@@user-kn1xt8qk6e 勝ったのはハーバートの方ですね。バリチェロはポールは取ったことはあるけどスチュワートでの優勝はなかったはずです。
そうですね。ハーバートの方ですね。勘違いしてました。
確かに90年鈴鹿GPは日本人初の
表彰台という歴史的快挙だったが
実際に拍手👏の多さ(大きさ)では
6位の中嶋悟であった様に思う🤔
あの暑さ、路面温度の高さで
信頼の無いピレリタイヤと
戦闘力の低いフォードV8エンジンで
6位入賞がどれだけの偉業か?
“タナボタ”表彰台の亜久里と
どちらが称賛されるべきか?
当時のマニアなら解るはずだよ🤔
1997年のハンガリーGPは、デイモンが駆るアロウズ・ヤマハがあわや優勝か!?と期待したんだけど、番狂わせはならず。
あと1周少なければ、もしくはマシンがもってくれれば、アロウズ悲願の初優勝だったのだけど。
アロウズの!ブリヂストンの!ヤマハの夢を乗せ!デイモン・ヒルが首位を走ります!
あぁぁぁぁ!おかしいぞ!おかしいぞ!!デイモン・ヒル!と鈴木アナが叫んでましたな。
ガチであの時は夢を見ましたわ・・・
鈴木アナ「アーバンテ、サンバイン!」
正確には「3番手は、アーバイン!」と冷静さを欠けた実況だったかと
特にこの年のデイモン・ヒルは前年の1996年にウイリアムズ・ルノーのチームで悲願の
ワールドチャンピオンを獲得したにも関わらず、ウイリアムズを解雇されてしまった後で
したからね。長年、ウイリアムズのテストドライバーとしてマシン開発に貢献し、1994年
アイルトン・セナ亡き後はウイリアムズのエースドライバーとして活躍していた経歴も
あったので、デイモン・ヒルからしてみれば、「俺は中堅チームでも充分、速さを見せれるんだ!!」
・・・と躍起になっていたのかもしれませんね。
亜久里の3位入賞はメインスタンドの表彰台正面で観てました。
いきなりのセナプロリタイヤで微妙な空気だったのですが
亜久里の快走でスタンドがどんどん盛り上がって
終盤の数周はウェーブが起きるわ皆んな日の丸の旗振まくるわ凄かったです。
表彰台に乗った瞬間に物凄い歓声で泣いてる人も沢山いましたよ。
皆を歓喜の笑顔にしてくれた亜久里は凄いです‼️
今回の「番狂わせ」、全て覚えてます!😆✨本当に放送見ながら心が燃えてました!あらゆる状況や環境が「紙一重」で重なりドラマを作る…。こういうドラマがあるから、F1は面白い。モータースポーツは面白いですよ🎵😊 常に「トップチームの、トップドライバーが順当に勝つ」レースは、予定調和で安定してますが、私はこういった「何が起こるか予想がつかない」レースの方が、見ていて面白くワクワクします。特に判官贔屓ではないですが、中堅や下位チームが上位常連のチームを喰う…。最高のカタルシスですね〜♪😁✨
1970年代に、スポットで2回ほど星野一義が実戦で乗っているので亜久里は3人目、かもしれない
初めて実戦を走ったのはマーチからノンタイトルレースに出た高原敬武ですね。76年にはサーティース、77年にはコジマで富士のGPに出走しています。
マーチからオファーがあったのに、帰路に立ち寄ったモナコで
「あ、オレはこんな世界に身を置いてられるような人間じゃない」
と思ってオファーを蹴ったそうです。
まっすぐ帰国してたら日本人初のフルタイムF1ドライバーは高原でした。
去年のハンガリーが印象深い
2000年ドイツGP 雨のバリチェロ、ドライタイヤのまま完走、優勝
2001年スペインGP 最終ラップでハッキネンリタイア、ミハエル逆転優勝
今でもあの感動を覚えています。特に前者のバリチェロは、リタイアしたチームメイトのミハエルを守るかのように(ライバルが優勝するとミハエルとの点差が縮むので)執念の優勝でした。雨の男、守護神という印象を受けました。
最終的にはリタイアで終わってしまったけど、印象的だった番狂せといえば、2007年のヨーロッパGPでのヴィンケルホック
当時最下位チームだったスパイカーで、たった1戦のみの出場ながら、スタート前に唯一雨用タイヤを履いたことで、直後の大雨によりピットインした車や、ドライタイヤで全くグリップしない車を悠々とオーバーテイクしてラップリーダーに立った姿はあまりにもインパクトが強かった
フィジケラさんの優勝は気づいて書き込んでいたらなあ、残念
1年に1回は大波乱の番狂わせが起きる
いつものレースとは違ったドキドキ感があるから好き
番狂わせと言えば、何年か忘れてしまったのですがオーストラリアの雨のアデレードですかね。非力なロータスでラストランだった中嶋悟が雨の中どんどん抜いて行って最後表彰台までは届かなかったですけど、ファステストラップまで刻んで。
子供の頃みてましたけどすごい印象に残ってます。
今度は雨のレースで特集してはどうでしょ?結構面白いと思います。
1989年の話し、
正に水を得た魚でしたね!
1990年の
日本グランプリの
ロベルトモレノの
涙の 2位
表彰台が
印象に残って
います
棚ぼた亜久里 これもレース
苦労人モレノも好きだったな 翌年シューマッハと入れ替わされ逆戻り😭
96年モナコ アレジ幻の2勝目😭
でも番狂わせあった方が楽しい🤣
どちらかと言えば当時の6位までがポイント獲得出来る時代の方が番狂わせの印象が強かった気がする、下位チームが6位入賞だけでも番狂わせのイメージ感があった時代が懐かしい。
信頼性が今(2022)に比べて著しく低かったので上位グループでも頻繁にリタイアしていたから番狂わせも多かったのでしょう。
実際90年ころまでは1レース走りきればOKというエンジンでしたし。年間16戦でエンジン40機とか平気で投入していたらしい。
(レース用2台と当時はTカー(予備車)がトップチームなら2台の経4台が1レースで用意されていた)
大番狂わせと言えば、やっぱ1961年フランスGPでのF1デビューウィンのジャンカルロ・バゲッティじゃなかろうか
セナ・プロ接触の後、マンセルのリタイアに行く前に、ベルガーのコースアウトは入れてほしかったかな。マクラーレンとフェラーリの全滅は予想外だった。
フィジケラの順位が覆らなかったら、2003年はライコネンがワールドチャンピオンだったのか
ポイントは同ポイントですが、優勝回数でミハエルシューマッハがチャンピオンです。
ライコネンがブラジルGP優勝だとしても。
雨は波乱を演出しますよね。自分が現地観戦する時の雨はきついけど、テレビで見る時は「雨降らんかなあ」って無責任に思います(笑)
1999年ヨーロッパGPもなかなかの番狂わせかとw
1996年のモナコGPは路面状況が濡れたり乾いたりしましたパニスがコースに残り優勝しましたリジェのマシンはサバイバルレースで上位になることがありました
確か車両の登録申請が間違いの違反が有ってポイント剥奪の順位は決定と裁定が出たと記憶してるけどちがったのかな?
GEO?スポンサーだったのか!
番狂わせと言えば、99年ヨーロッパGPが自分の中では、最も印象的です。
パニスとフィジケラの初優勝のレースはしっかり覚えてます!若手でもトップチームでもないドライバーの初優勝は嬉しいですよね!
あと個人的には99年のヨーロッパGPも荒れたと思います!優勝はベテランのJハーバートでしたが、今は亡きスチュワートチームの初優勝!
その陰であと一歩で4位か5位での初入賞の可能性が高かった、ミナルディのルカバドエル(フェラーリテストドライバーで有名)のリタイアシーンは悲しかった!
初入賞目前でリタイヤしてしまったバドエル、
ウォールにもたれて泣いてたんですよね。
@@r-amn1620 コースマーシャルが「次頑張れ!」て慰めたら、バドエルが「俺に次は無いんだ!」と返したエピソードもありましたね。
1999年ヨーロッパGPがすごかった
やはり、雨のレースは面白いなw
カペリがポールリカールで起こした番狂わせも中々
’82モナコも大概なレースだったと思う。
ベッテルのイタリアは波乱ではないと思う。
予選も1位、決勝もミスなく走ったし。
これは実力者だと思ってる。
同感です。 将来のチャンピオンとして間違いない実力者だと思いました。
当時は、波乱のレースだったかもしれませんが、
BMW時代にもフリー走行でトップタイムを出したりと、将来を期待させるドライバーでした。
昔のスーパーサブ→モレノ
現代のスーパーサブ→ヒュルケンベルグ
1990年メキシコグランプリ
1982年モナコGPのリカルド・パトレーゼ初優勝をお願いします
1996年のオリビエ・パニス優勝時と比較しても凄い内容だと思います
リクエストありがとうございます🙇♂️
参考にさせていただきます‼️
2012年スペイン、マルドナド
2017年アゼルバイジャン、リカルド
2020年バーレーン、ペレス
この辺りが印象的です。
まじかよって思ったのはアルファタウリの優勝かな
確か1988年?の日本GPで、キャメルロータスホンダのセナと中島悟が二人とも、スタート時のエンジンストールで最後尾から2台がごぼう抜きし、最後はセナが優勝、中嶋悟が6位入賞とすごいごぼう抜きが印象に残ってる。マシン自体は当時最強?のホンダエンジン搭載だから番狂わせではないかも?
1988年のセナはマルボロマクラーレンホンダ
1988年の中嶋さんは6位入賞ではなく7位完走です。またセナ中嶋両者とも最後尾までは至っていません。
1988年はターボエンジンは燃料搭載量が150Lに規制されており、ホンダは少しでも実質的な量を増やそうと比重の重いトルエンをさらに冷却して使用してた。難点としてエンストしやすかったとか。
1986年メキシコは番狂わせですか?
ベネトン/ベルガー初優勝
波乱の96年モナコはマクラーレンのクルサードが自分のヘルメットが曇るからと、なんとシューマッハのヘルメットを借りて走ってます。
モデラーからはマクラーレンに乗るシューマッハ(ヘルメットだけ)として有名です(笑)
そんなに仲の良い2人なのに97年のベルギーでは周回遅れのクルサードとの事故後にブチギレたシューマッハがマクラーレンのピットに怒鳴り込む…なんて醜態を演じてます(笑)
ハーバートが勝った99年ヨーロッパGPが紹介されていない・・・あれこそ大サバイバルレースだったけど。
タラレバだし一部のレースって話ではないですが、2009年までスーパーアグリが生き残っていたら…それこそシーズン通して大番狂わせだったでしょうね😑
モナコが3台レースに数えられているのは、伝統もあるけどコースの性質上コースアウト即リタイヤと言うテクニックと度胸が試されるサーキットだからです
鈴木亜久里選手の3位のラストラップでサインボードにはEASYというテープで作った即席のラップがあり、それを見て意味が判らなかったと言う逸話も入れて欲しかったです
個人的には
1997第11戦 ハンガリーGP デーモン・ヒルの評価を一変させた伝説のレース 生放送で見てたので大興奮でした
1991 第5戦 カナダGP 最終ラップでマンセルストップ
2005 第9戦 アメリカGP 6台だけの出走
3台✕
3大○
大番狂わせと言えば、記憶がちと曖昧ですが何時ぞやの日本GPでほぼ最後尾だったライコネンが優勝したのもですね
その時に最後抜かれたのがフィジケラでしたっけ
ライコネンはデビュー時から話題たっぷりな一番好きなドライバーなので、ライコネンだけで取り上げて貰えると嬉しいです
その前に最後尾スタートから2位になったことありませんでしたっけ?その記憶があるせいか余り驚きはありませんでした!
セナ、プロスト、マンセル、ピケ
彼らが走っていた頃が一番面白いF1だった。彼らのような天才で個性溢れるドライバーは今後出てこないと思います。
ジャンアレジのガス欠事件を解説してください。万死に値します
リクエストありがとうございます!いくつか、似たようなエピソードをまとめて解説してみようと思います!
マンセルのカナダGPも。
確か無線ボタンとエンジンのキルスイッチを間違って押したっていう。
本人は「無線壊れてた」とか言い訳してたけどピットからは最後は手で合図までしてたのにスルーされたとか。
ベッテルわけえ
角田はポンコツチームがガスリー優先にしているから期待してもガスリーを角田の前でフィニッシュさせるからミナルディ以下の戦略もないチームだよ。マルコお爺ちゃんに救ってもらうように期待します。
でもレッドブルに行ってもチームメイトがリタイアしない限り優勝はできないし、少なくとも2028年が終わるまではチャンピオンになることはできないけどね
@@liketrulli7668 それだからガスリーは昇格する事はないのですよ。角田はサポートも出来る速いドライバーである。ガスリーなんか我が道行けば良い(嫌いだから興味はない)
いちこめ!!!
一コメありがとうございました🙇♂️
鈴木亜久里は速いというイメージがない
3位表彰台っていっても上位陣がコケただけ
まさに棚ぼた
それ以降表彰台に上がる事はなかったし「まぐれ」以外の何物でもない
1990年のウイリアムズはFW13Bの開発がストップしていて
シーズン後半戦は低迷していた
今と違ってマシンもよく壊れる時代だったし、まぐれという言葉だけで片付けるのは少し違う
6位までしか入賞できず、シートをかけてバトルも多くクラッシュなどもよくあったし、このレースは鈴木さんがタフなレースをした結果だと思います
棚ぼた表彰台なのは事実。
日本人は勝てない速くないそんな印象しかない。