What is mean for that circle that alwys get of the operator of that tren... I'm so amazed for thse video that why I click thse when I saw my it pop on my whole.. Godbless u keepsafe alwys ingat watched u here from saudi ofw DH godbless u keepsafe alwys muaaah
のんびりした良い時代だったな
なんでこんなにギスギスした時代になったんだろうか
みんな心に余裕がなくなってる気がする
本当に嫌な世の中になりましたね。キハ58系急行型気動車は最近のJRの車両と違い車内に温もりを感じます。あれだけの両数を誇った車両が全廃されて寂しいです。特にヨーロピアンスタイルのキロ28系は素敵ですね。👍
20年前ぐらいなのかな? 揚足になっちゃうが、あのころというのはバブルが崩壊してギスギスピークだった時代なのよ(- - お金はあるけど、それを得るために過当競争で日本の黒歴史時代でもあったんだよ。
でも今の東京で暮らしている人から見ればゆっくりした光景だよねぇ。俺は岡山で暮らしていたから目の前をキロハ28をはさんだ編成が走ってたよ。仕事さえあれば田舎は良いよ。
ギスギスした時代なんて考えてるからギスギスするの。砂丘廃止直前なんてバブル崩壊で特に都市部は絶望感しか無かった時代。更にバブル期は都市部では地上げ屋が横行し土地が高騰し、普通のサラリーマンがマイホーム持つには「通勤に最低2時間」とか言われてた時代。
砂丘が走っていた地域はよく知ってるけど時代では無い、深い田舎でノンビリしてるだけ。それは今もそう。
ほんまですね…。何に向かって急ぐんでしょうかね…。ほとんどの人が同じ事を思ってるに違いない…💧
今は今でいい時代だとは思うけどね
最後、線路内を客?が走って持っていくなんて、今では考えられないぐらい自由だ…。
当時は、これでもやって良い事と悪い事の判断は、出来てたんでしょうね。
今は、その判断が出来ないから規制されないとやりすぎる。
自由でも、個々が判断してやっていた時代が懐かしい。
最後の那岐の受取失敗の場面、普段は車掌も鉄を嫌っていても、この時は感謝しているだろう。
大雨・台風や降雪時に失敗したら大変だ。
走りながら、人間の手で輪っかを引っかけたりもぎ取ったり・・・
そんな大昔でもないのに、こんなに原始的でアナログな作業が毎日当たり前に行われていたんですね。
この車両はとっくに無くなってしまったし、最近は「急行」という名前すら消滅してしまって・・・。
ほんの20年前、このころに戻って、もう一度心から鉄道旅行を楽しんで見たいなぁ。
夏GIRL さん 当時の鉄道ジャーナルに急行砂丘のレポが掲載されており、タブレットを受け止める時の通過速度は30km/h〜35km/hだったそうです。
砂丘号、岡山行くのに何度か乗りましたが、当時はこんなことしてるのを知りませんでした。見ておけばよかったなあ。貴重な映像をありがとうございます
8:12 落ちたタブレットを拾って運転士に渡しに行く優しいお兄さん
たぶん1:20に映ってるでかい三脚で撮影してる人ですよね。
@@user-ky4gz4dj3g ほんとだ! よく気づきましたね😯
@@user-gi7gy7zf8r
駅は違えども、服装と髪型が一緒のような?って思ったんです。
@@user-ky4gz4dj3g
素晴らしい!
1:17 列車の接近で、安全なところに退避する鉄ヲタ
この頃の鉄はみんなモラルが高いと感じる
金音ニトロ さん 今は「素人の鉄ヲタ」が増えましたね。
弁当と怪我は、自分持ちという感覚があったからでないかな!
この頃 因美線に入り浸ってたけど、腕木式信号機の足元にあるバックアップの操作テコをガチャガチャいじった挙げ句「触っちゃダメだったんですか?」とかほざくバカがいて困ったという話を駅員さんから聞いたよ・・・。
国鉄時代の79年から鉄道が好きになり、当時は高校生でしたが、他人の職場にお邪魔してるから、控え目な所で見ようとの考えでした、だから職員さんも、対等な目で見てくれてました。ましてや、高校生の頃だったから、もしかしたら卒業したら就職してくれるかもっていうのがあったから少々の事は甘くみてくれてました。今はマナー以前に社会全体が世知辛いのと規則規則になりすぎてるんです。高校生当時、僕も学校帰りに乗り遅れそうになったから、ディーゼル機関車に終着まで乗せてもらいました。最終的には機関区の人に見つかりましたが怒られなかった。挙げ句にお茶飲んでけって言われたくらいです。今じゃ確実に目くじらです。今の鉄ヲタは自分本意過ぎます。
廃止になる少し前に最後の走行中のタブレット投げが見たくて乗りに行きました。
奮発してグリーン車の乗車したのですが乗車して列車では乗客は自分一人だけでした。場違いな感じがして落ち着かなかったのと普通車はファンなどで結構な乗車があり残念な気持ちだったこともあり、余り楽しんで乗れなかったのを良く覚えています。
当時写真だけで動画は撮らなかったので貴重な映像が観れて良かったです。ありがとうございました。
見当違いの発言かもしれませんが、昔から列車の、雑誌とかネット(ブログ、動画等)の乗車体験記・レビューって普通車ばかりなんですよね。優等座席は邪道、つまらないという考え、感覚があるのかもしれませんね。
8:21 「これ、渡さなあかんて・・」
渡しに行くのなんともいい感じ・・・w
タブレットキャッチャーは失敗する事が多いと聞いたけど・・やはり受け取り失敗は列車が停止するんだ・・・貴重な映像だ
これでもか!と言うくらいの貴重なシーンの連続。そして、最後のシーンは、ファンの素晴らしい対応、イイですね!
ファンとしては、良い光景でした。乗務員さんの「サンキュー」もいいね。
でも厳密にいうと違反らしい。関係者以外がホームから降りて、線路上を列車に沿って走る。今なら書類送検くらいは確実にされてしまいそうです。(80年代アイドルのように。)
まぁタブレット交換自体が名松線とか津軽鉄道くらいになってしまいましたから、物理的に無理ですけど、世知辛い時代になりましたよね。
ご覧頂きありがとうございます。お褒めの言葉恐縮です。次回は廃止直前、1997年の砂丘集を作ってますので、また遊びに来てください。
鉄道の動画で初めて感動しました
最後の場面も勿論ですけど、
カメラ撮影の技術とチームプレー
素晴らしい ありがとうございました
お褒めのお言葉恐縮です。続編もありますので是非ご覧下さいませ。
czcams.com/video/CEkQzqdUtvU/video.html
腕木式信号機だったり、タブレットだったり。俺が生まれた頃はまだまだ現役だったんだなーって。
2000年代に入って一気に自動化の波が進んだよね。
カッコよすぎて涙が出てきた。まだまだ国鉄の残り香が漂っていた頃ですね。
急行列車がまだ残ってた貴重な映像
しかもキハ40とは懐かしい
夏に撮影されたてたんだろうね
セミが鳴いてて、のどかな風景が情緒を出してる
こんな速度だったかなー。
見ていてあ痛ってなりそう。
帰省するときあちこち回りをして
タブレットをやり取りするのも見ていました。
この頃、信楽高原鐵道で衝突事故がありましたがタブレットのやり取りをすればあり得ないと思ったものです。
或いはしていても何らかのトラブルがあったか。
究極のアナログだけどこれ以上の信頼性はないと思っていました。
とても貴重な映像ありがとうございます。
うわっ!
腕信号。
やり取り失敗。
停車して再出発。
素晴らしい。
タブレットの交換風景って、懐かしいですね。
私もかつて、八高線のある駅で貨物列車がタブレット交換シーンを撮影したことがあります。
また、今は亡き知人が駅長として勤務していた駅で、ファンから写真撮影のモデルを頼まれ後日、お礼のメッセージと写真が送られて来たそうです。
その駅は数年後、合理化でOBによる委託駅になってしまいました。
すごい、こんな田舎の駅にまで駅員さんが居るのね。
タブレット閉塞の打ち合わせ腕木信号機の作業と人力でないとできない作業ありますから。
急行色と砂丘色の連結を見ると懐かしいのに新鮮味があるし国鉄形は個性があって魅力がありますね。
ほんと……良き時代だったな。。。
素晴らしい動画ありがとうございます。
タブレット交換懐かしいですね。
CTCの方が便利で合理的なのは疑いないですが芸備線がCTCに移行したとき寂しさも感じました。
動画の最後、まさかのタブレットキャッチャーでの失敗とは。
はじめまして。古き良き急行ですね。タブレットの受け渡しは神業ですね。私は通過授受は見たことがなかったので新鮮です。私がこのタイプの国鉄型?急行に乗ったのは「急行たかやま」くらいです。
なつかしいなー 私は芸備線育ちですがよく見てた 小学校のとき近所の駅にミニ社会見学のとき
駅員さんにあれは何?と質問したおぼえがあります。その時は意味がわからなかった(笑)
しかしアナログですねー こんなこと毎日やってたんですよね。芸備線では受け取り側は
うずまきタイプで、よくキャッチャー使っていたとおもいます キャッチしたときタブレットの
おもりがドアを思い切り叩くので ガラスに格子がついてるんですよね。乗ってるときデッキにたってると
ドーンと結構な音がしてました。 そのあとブオーンと加速するのが かっこよかった
あーもう30年ぐらいたつのか
今となっては、超貴重な映像ばかりです。
自分も美作河井駅へ砂丘号廃止直前に見に行ったことを思い出しました。
ありがとうございます!!
懐かしいですね~、津山駅のホームで吉野館のしいたけ弁当とプラスティック容器のお茶を売ってた時代。
小学・中学の頃、祖父とよく乗ってました・・・
貴重な動画残して頂き有難うございます
お越しいただきありがとうございます。当時の津山駅、山間の小都市の立派な駅という感じで風情がありましたよね。
こんな時代あったんだなぁ
生まれる1年前なのに信じられん
昔、気動車のドアの窓に鉄格子がある理由がわからなかったのですが、こちらの動画を拝見して答えがわかりました。
すんません。解らないので説明お願いします
@@user-mz9bt9my1z 様、列車についているタブレットキャッチャーです。確か反動がすごいらしいので鉄格子がドアガラスの保護の役目をすることです。
この映像は
古き良き日本の鉄道風景と
今では珍しいタブレット閉塞を現代に伝える映像ですね!
急行砂丘は僕が生まれる2年前に
廃止になってしまったので、
この列車に乗ったことがある人が羨ましく思います···
貴重な映像をありがとうございます!
ポンコツマッシュ2 88年頃 インターンシップの為東京へ向かう際、津山岡山ノンストップの砂丘号に乗って行きました。懐かしい思い出です。
ポンコツマッシュ2 88年頃 インターンシップの為東京へ向かう際、津山岡山ノンストップの砂丘号に乗って行きました。懐かしい思い出です。
すごく良い映像ですね。
この時代に行ってみたいです!!
まだ小学生の時
鳥取へ行くのは急行「砂丘」全盛で
トロトロ駅を通過し
峠では車にスイス抜かれて(笑)
岡山駅もまだ昔の駅だった覚えが‼️
それからしばらくして
京都から「スーパーはくと」
岡山からも「スーパーいなば」乗りましたが
速い速い‼️
貴重な映像をありがとうございます。見ていてホッとするし平和だな思います。
タブレット交換が出来た時の示唆呼称カッコいいですね。
やっぱすごいなー。至極単純だけど本当に大切な作業。
1995年8月 急行「砂丘」の旅の映像ですね、上手に撮影されていますよ、kokutetsushokuさん、気に入りました、お見事です。
かつての急行砂丘号は、岡山から津山線.因美線を通り鳥取まで営業した急行、砂丘カラーに変わりヘッドマークをふりかざしましたけど、平成9年の11月28日を持って特急いなばに変わり津山線を通る急行が廃止しました。特急いなば号は岡山から上郡まで山陽本線を走り上郡でスイッチバックで智頭急行.因美線を通り鳥取まで営業が始まりました。その後はスーパーいなば号に変わり187系気動車で営業、智頭急行線を通る特急車両はHOT7000系とJR西日本187系になりました
タブレットの「タマ取り」って度々、失敗していたらしいですよ。失敗しないまでも、二の腕を痛めたりとか。腕木信号器にホーム上の転轍小屋、懐かしいですね~。
函館山線で、C62が急行ニセコの時も落とした事があるらしいですね😭。🚂🚈🚊怪我♿🏥をした機関士も、いたようですね。機材で取るより腕で取る方が多いですね。🚂🚈🚊🚝基調な、動画ありがとうございます。
わたくし無くなる寸前に「テレビ朝日」の全国ニュースで授受シーンと腕木式信号機見ました。その際はタブレットキャッチャー使用していた。ただよくよく見れば「瀬戸内海放送」あたりのローカルニュースの使い回しっぽかったのでこれらの局で動画公開あるかもしれませんが。
素晴らしい!タブレット授受の場面場面が圧巻です。🤩
急行砂丘懐かしい名前ですね😃
腕木信号機にタブレット交換〜
良き時代でしたね。
高校時代津山線で通学してましたが、目の前を通過しているのを見たことがあります。
一人駅員で行き違えさせるときは名人芸でしたね、ポイントの切り替え、タブレットのようなものの上下線での交換を走ってしていましたね。
キハ58の国鉄色と、JR色の組み合わせは実に芸術品だった。この時代に行ってみたい。
こういう超アナログ好き
すべてが人の手による作業
味わい深いなあ
自分の旧家がローカル線の駅でした。駅舎と自宅が一体となったものです。各駅しか停車しないのでキハ58の急行が通過する際は必ずタブレット交換をしていたことを思い出します。と同時にキハ58の「急行」という標識を見るにつけ、ボディの形やその迫力で通過する姿に勇ましさを感じたものです。
それとJRという白いロゴを国鉄色に重ねるのはやめて欲しいと常に思います(笑)
貴重な画像をありがとうございます😊
この頃は岡山〜津山〜鳥取の「急行砂丘」が5往復走っており、事実上の「L急行」でした。智頭急行開業直前で、それに合わせて機器を入れるため、旧態依然が残っていた、とも言えるでしょうか。
因美線は智頭急行開業に合わせて交換駅をいくつか廃止していますし、それに合わせたという印象は強くありますね。
もっとも智頭急行経由の「いなば」に「砂丘」が置き換えられたのは智頭急行開通の2年でしたが。CTC化は更に2年遅れて99年。
思えば遠くに来たもんだ
懐かしさに涙溢れて
全て郡家駅に見えた
通過授受は迫力がありますね!
国鉄青函局管内の急行(えさし・まつまえ)はキャッチャーは付いていたけど腕で引っ掛けて居ましたね。
エンジン音が非力な感じがするね、今のディーゼルは吹け上がりが良くて滑らかな音。どちらもいいね。
タブレットに腕木式信号機・・・昔の鉄道風景ですね。僕の地元一宮市を走ってる名鉄尾西線は今は自動信号で自動通票?ですが昔は信号は自動でしたがタブレットににたスタフ閉塞でした。ピストン運転のため
電車に詳しくない僕はつい携帯の方を連想してしまった
タブレットキャッチャー使っている列車と、手受けの列車が有ったけど、乗務員さんの判断だったのかな。
動画の中でも有ったように、タブレットキャッチャー使うと失敗することが有ったから、手受けの方が多かったのだろうか?
いずれにしろ、良い時代だった。
例え、ローカル急行だとしても、沢山の職員が協力して、優等列車の運行を守っていることが良く分かった。
だから、人件費が掛かるんだろうけど。(涙)
乗務員の所属鉄道部による違いです。
急行砂丘は鳥取鉄道部と津山鉄道部の運転士が担当していました。
鳥取鉄道部は腕で、津山鉄道部はタブレットキャッチャーで受け取っていました。
@@helmholm100
返信ありがとうございます。
所属鉄道部による違い、とのことですが、それは何故違ったのでしょうね?
それぞれの鉄道部での、何らかのメリット、デメリットが違っていたのではないか?と思いますが…。
例えば、タブレットキャッチャーを使うと失敗することが有る、というデメリットが有った。
片や、手受けをすると乗務員が怪我をすることが有る、というデメリットが有った。など…。
それらを、それぞれの鉄道部が別々の優先順位を考えた結果、別々の対応を取ることになった。とか…。
自分の勝手な想像ですが…。
想像ですが、所属人員の余裕度の違いかと。
津山より鳥取の方が人員配置に余裕があり(要は人が多い)、
急行に一人余分に乗務できた、と。
津山は、余裕がないために、運転士が一人でタブレット管理もしていた、
ということかと思います。
What is mean for that circle that alwys get of the operator of that tren... I'm so amazed for thse video that why I click thse when I saw my it pop on my whole.. Godbless u keepsafe alwys ingat watched u here from saudi ofw DH godbless u keepsafe alwys muaaah
7:00
通過授受の瞬間も良いけど、
通標を受け取り終え、一気にエンジンをふかせて加速していくところが堪らない
鉄道衰退が急激に始まったころですね
その要因は、トラックやバス、自動車の性能向上、高速道路の拡充、一般道の高規格化
山陽~山陰横断線で最も需要があるのが、伯備線ですよね。
タブレット閉塞も今や、風前の灯火・・・
1:23
後ろの方の三脚の兄ちゃん、失敗の時に走って渡しに行った人と同じ?
きよみのおっと 、服装と眼鏡から見て同一人物だと思う。
たしかにそっくり!
その後この方は因美線の運転士になった妄想をされたそうです。
「あれ、あの眼鏡!」って思った!
アインシュタインの顎の人に似てるからわかった。
タブレット、取ったり付けたり危ないし、大変やな。
タブレット交換って難しそうですね
なくなりましたねー。地元なんでよくしってます。一時期津山線だけ電化の話がでてましたがおじゃんなったな。
全く電車は好きじゃないけどなぜかクセになります
貴重な資料。当時のファッションセンスも含めて…(小声
急行列車か、
近頃ではめっきり見なくなりましたな…。
関西本線にもかすが号がありましたが それが唯一JRで運行してた急行列車でしたね。
特急に統合されたことが、要因です。ところで、山陰本線では、山陰2県は電化されましたか?
@@user-uv7wp6rk1s 電化したと思われますね、Wikipediaで調べたら直ぐ分かるんじゃないかと…
原始的な方法が一番確実ですね。
ピンクカブ
それでも気をつけないとなりませんな
大正時代に
三沢「古間木」⇔下田
の様な事故もありますから
色んな意味で神技👍
この頃は携帯電話を持っている人はほとんどいなかったと思いますし、パソコンのない家も多かったと思います。テレビはブラウン管、ビデオはもちろんフィルム。この動画もフィルムに収録したものでしょう。かつてはこの動画のような光景が「当たり前」なので、別に何とも思わず、後で振り返ってみると、いろいろ感じるということだと思います。私は、別にこの頃が良くて今が良くないとは思いません。というより今の方がいいと思います。ネット環境があるし、小型で高画質、大容量なビデオカメラもあるし。今思うと夢のような時代、と思うことはありますが、それは同時に、常に残り枚数を気にしないといけないフィルムのカメラや、収録時間が短いビデオカメラの時代だったとも思います。
某通表系のホームページ思い出した
神戸の震災の7ケ月後か・・・・
昔の転てつ器の転換レバーってこんな感じで表に剥き出しであったけど今もそんな駅ってあるんやろうか?
We do the same thing in Taiwan ~
But the speed probably around 95km/hr
What is this about? I had never seen it
@@Ryuhei64 Signalling block system, but it's replace by CTC nowdays.
czcams.com/video/0ksdIVbMr9c/video.html
いいですね〜
夏のローカルな風景とディーゼルの音…古きよき時代が蘇ります。
ディーゼルの匂いまで感じられそうですね。
素朴な疑問ですがタブレットの受け渡しに失敗する事もあるんですかね?取り損なった場合どうなるんだろ?
トラキチマーちゃん 電車を停止させて、乗務員が走って取りに行きます🏃
動画の最後をご覧ください。
ファンが拾ってフルダッシュで届けてくれます。
落とした後は本当は指令に言ったり抑止してから線路に降りたりするはずが…ゆるい時代だねぇ
乗ってみたい。
사진 찍으라고 한템포 늦춰 주는 기관사님 센스 ~~😊😊
봐 주셔서 감사합니다. 다시 한번 옛날 여행을 하고 싶습니다. 한국의 열차에도 타고 싶습니다.
……う~ん、色んな意味で良き時代でしたね。
美作加茂の車内放送が良い味してます!!
タブレットは、何の為に取ったりしているのですか?
⚪⚪年前に急行砂丘号に乗ったことがありますけど…岡山~津山間の津山線の区間でしたからタブレット交換はなかったのか😅
かっこよすぎて鼻血でそう(*´﹃`*)
音楽
このエモさがたまらない
未だキハ40が主力な点は嬉しいですね。
子供と乗りました!その子供も残念医学の道に、娘が鉄道に、
関係ないのですが、5:18のところ、ちびまる子ちゃんの曲がかかっていません?
駅近くのグラウンドで、盆踊りかなにかの準備をしていたと記憶しています。
最後のあんな事あるんやなって言ってたから珍しかったのかな?
素手で取るの痛くないんですか?
貴重な動画ですね。ありがとうございます。
せっかく貴重な動画なので題名に【タブレット】っていれたらより多くの人に見てもらえるかもしれないです。個人的な意見ですが。。。
8:20~タブレットを拾って渡すヲタ、もの凄くうれしそう。😊😁😊👍
子供の頃
妹と兄弟で
鳥取の田舎に行くとき
まだ急行「砂丘」だった
妹が
「兄ちゃん、隣走るトラックのほうが早くない?」
それくらい遅かったです(笑)
岡山~鳥取は
今では「スーパーいなば」か
智頭急行を130キロでかっ飛ばしてますが
山の向こうの田んぼだらけの町には
戦争を生き残ったじいちゃんばあちゃんが暮らしていて
そこには昭和が残っていましたね
JR の急行って乗ったことないなあ
921にタブレット拾った兄ちゃんいた!
タブレットと言っても100人中100人が電子機器を思いつくだろうな
Gr NO02
時代だね
Gr NO02
俺はラムネみたいなお菓子
凄い!タブレット第全集ですね。それにしても、人件費がかかりすぎですね。ローカル線なのに。
かっけぇ...
腕木式信号とタブレット。実は単線区間じゃこれが一番安全確実だったりするのかな❓️
受取失敗したら、非常停止だからね
最後の、若いときの所ジョージ似の撮り鉄GJ!
善意の行動ではあるけど、本来なら部外者が触ってはいけないものなんじゃないかな。
今と違っておおらかな時代だから許されたことで。
この輪っかはなんですか??
シロートなのでわかりません。
どなたか教えて頂けると幸いです🙇
自分も素人なのでちゃんとしたことは言えませんが、確か通行証とかそんな感じだったと思います…
ごめんなさい
サンライズ当番 タブレットという物です。
単線の場合、一区間に一列車しか入ってはいけないので、その区間を走るための通行証みたいなものです。
まだ信号技術が未発達の時代に使われていた物ですね
輪っかはタブレットキャリアと言うやつです。輪っかの根本にケースがついていて、その中にタブレットと言われる丸い板が入っています。丸い板には穴が空いていて、穴の形が区間ごとに違います。A駅とB駅の間には列車が1本しか入れない。この間には丸い穴のタブレットを持った列車だけが通れる…などと取り決めします。列車はB駅につくと丸い穴の形タブレットを返却して、次の区間用のタブレットを受け取らないと次の区間には入れない…という連続で、ある区間内には列車が必ず1本しか入れないルールを確立します。これがタブレット閉塞というものです。
機関助士または運転助士はタブレットを受け取ると必ずケースを開けて穴の形とかを確認して「〇〇区間、通票マル!」とか指差呼称確認をしなくてはなりません。中身を間違えたり、動画のように受け取り損じたりしたら、停止が必要です。動く資格を失います。
タブレット自体はCDとかより少し大きい程度の木の板なので受け渡しがしやすいようにケースに入れてキャリアごと取り扱います。
動画もそうですが車両側にタブレットキャッチャーという受け取り装置がついてますが、あいつ失敗多いです。雪がついてたりするとほぼアウト。なので機関助士は腕で取る人が多いです。動画の最初の方で掴むようにして取ってるのがありますが良くなくて、ケガするし失敗も多い。肘に引っ掛けるように取るのがいいみたいです。
この線区だと速度出ていませんが、昔は本線筋の急行なんかがもっと速度出して通過しながらタブレット授受やってましたね。ロマンもあれば危険も多い時代でした。
じじいの戯言ですが…
肉だんご
実際
過去には
腕無くした人も居た様ですね
Ini adalah salah satu tipe krd di Jepang sebelum punah