新年の一字は「勝」 ダウン症の書家・金澤翔子さんがコロナ禍世界に希望のメッセージ

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  • čas přidán 10. 09. 2024
  • ダウン症の人気書家、金澤翔子さん(35)が揮毫(きごう)する「新年の一字」が「勝」に決まり、翔子さんが力あふれる「勝」の一文字を完成させた。「勝」は、終わりの見えぬ新型コロナウイルス禍で打ちのめされている私たち、そして世界への希望のメッセージだ。
     ■絶望と祈り
     東京都大田区にある実家の応接間で、ライトグレー地に花をあしらった着物と黒の袴(はかま)に身を包んだ翔子さんは、和紙を前に正座。一時、亡き父の御霊に祈りを捧げた後、巨大な筆を手にとり一気に書き上げた。
     昨年、日本と世界では、コロナに8000万人以上が感染し、180万人以上が死亡した。経済はボロボロの状況に追い込まれた。そんな世相を反映して昨年、京都・清水寺で発表された「今年の漢字」は「密」だった。
     一方、翔子さんが「新年の一字」に願いを込めたのは、「勝」だった。コロナ禍を克服した先には、必ず希望があるというメッセージである。
     翔子さんの母、泰子さん(77)は35年前、生まれた娘がダウン症と知ったとき、「絶望した」と明かす。当時は、「将来を憂い、悲嘆に暮れて運命を呪った。祈ることしかできなかった」と振り返った。翔子さんが14歳のとき、父親が急逝、母娘だけになった。それでも書道家の泰子さんは、翔子さんが5歳で始めた書道を毎日欠かさず続けさせた。
     ■愛する人と過ごす時
     翔子さんの書家としての才能を見抜いていた亡夫の願いをかなえようと、翔子さんが20歳のときに開いた初の個展がメディアで大きな話題となり、翔子さんは一躍、人気書家の道を歩むことになった。
     翔子さんの名を冠した美術館が日本各地にでき、伊勢神宮や春日大社、厳島神社のほか東大寺や延暦寺など、主な神社仏閣に作品を奉納。NHK大河ドラマ「平清盛」の題字を揮毫、紺綬褒章を受章した。平成29年9月、上野の森美術館での個展には、8日間で約4万人が来場した。
     そんな翔子さんが「勝」を選んだ3つの理由を、泰子さんが解説してくれた。翔子さんは、コロナを「コロ太郎」と呼び、一番大事な母親の命を奪うかもしれないコロナに「勝つ」ことが大切だと考える。
     もう一つが、五輪で「勝つ」ことだ。コロナ禍で一年延期して今夏開催予定の東京五輪・パラリンピックには、世界の多くの選手たちが参加を望んでいる。その選手たちをぜひ応援したいのだという。
     最後は人生に「勝つ」。どういう意味なのか。翔子さんは、自分が成し遂げた業績を誇ることはない。彼女が幸せだと感じるのは、愛する母、そして地元、久が原の商店街(東京都大田区)の人たちと過ごす楽しい時間なのだ。
     ■敗北から勝利へ
     77歳の泰子さんがいま考えているのが、自分が亡くなった後のこと。翔子さんが一人でも幸せに暮らせるようにすることだ。そのために、泰子さんたちは商店街に2人別々の住居と、書道教室や交流の場をつくる計画を立てている。
     泰子さんは「翔子には好きなように生きてほしい。ダウン症でも、彼らのやり方で愛し、愛され、楽しく社会の中で生きていくことができるということを示してほしい」と笑った。
     コロナ禍で、年120日以上あったイベント出演は激減したが、翔子さんも泰子さんも楽しそうだ。よく眠り、ちゃんと食事をし運動をしているからだという。泰子さんは、コロナで得た「長い休息の時間」に考えてきたことがある。
     それは祈りの力だ。「私の人生は、寝ても覚めても翔子のことを祈ることでした。いつも祈り、いいことが重なった。絶望の淵から救われ、信じられないような成功も与えられた」。絶望の時の祈りは、2人に救いと癒しとを与えた。
     「祈」は、一昨年の「新年の一字」でもあった。
     翔子さんは今年、「勝」を通して、一見、敗北のように見える状況でも勝利は形を変えてやってくることを世界に伝えようとしている。(JAPAN Forward編集部)
    ※ 映像は昨年12月に取材しました。

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