シャア=アズナブルの20歳で大佐も凄いけど、違う作品には20歳で銀河帝国元帥もいるし。しかも、士官学校卒業でなく幼年学校のみ卒業。
戦争中のことは黙して殆ど語りたがらない母が、母の長兄について、「陸軍大学校に進学して軍のエリートになるはずだったのに、直前で戦争が終わってしまって苦労した可哀想な人」と言っていたことがあります。
それ以上の詳しい話は例によって聴けなかったので、今回、初めて伯父の立ち位置がある程度わかりました。
要は、士族の子弟の常で、陸軍幼年学校から士官学校に進学し、陸軍大学校に進学するコースだったわけですね。
母の生き残った5人の兄弟姉妹の内、次兄以下は戦後の新制で大学に通い、母は中学高校から戦後の新制で共学になった学校に。ただ、母と長兄はかなり年齢が離れているから、長兄は士官学校を卒業したくらいの年齢になっていたのかな、と。
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戦後は、自衛隊すら憲法違反と言われる始末。我が家の両親も、矢内原忠雄氏の無教会主義キリスト教集会に通っていた関係で、安保反対のデモに参加したかったというくらいの反戦派。
ただ、英国のウィリアム皇太子が、結婚式の際にも軍服を礼装として着用し、結婚後もしばらくは、キャサリン妃も通常の士官の妻として生活していたように、戦前の日本では、軍隊の将校、士官は、皇族、華族、士族が多く、軍属とはいえいわば高級官吏の定番のコースだったのですよね。
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母の長兄の場合には、終戦で陸軍大学校には進学できなかったものの、それでも結局官僚にはなっていて、大臣の国会答弁の原稿などを書いていたとか。
ただ、戦前戦中の士官学校で教育を受けた母の長兄と、戦後の新制の大学教育を受けた次兄以下の兄弟姉妹とでは、明らかに雰囲気が全く違う。
「価値観が百八十度転換した」と言われる時代に彼らはどう生きたのだろう? と改めて思ってしまいました。
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そうなのですね。
樋口季一郎中将がユダヤ人に通過ヴィザを発行して救った件で、「杉原千畝さんのような外交官と違って、軍属がそんなことをしても大きな声で言えなかった」という言い方がなされていたので、軍人を軍属と呼ぶのかと思っていました。
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その発言をしたのは、お孫さんの樋口隆一氏だったように思うのですが、彼も我々の同業者だから、おじいさまがあのような方でも、軍人と軍属の違いをよく理解していなかったということなのかな?
樋口季一郎中将は、当然、軍属ではなくて軍人ということですよね。
動画では、陸軍幼年学校、士官学校に入学した時点で軍隊に入隊したことになるという言い方をされていたように思うのですが、これは既に 軍人だということ?
母の長兄も軍人だったということでしょうか。
逓信省監察局の役人だった祖父も、戦時中は出征していたようですが、祖父も軍人だったのかな?
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我が家は、刑事だった父方の祖父が若くして召集されて戦死している関係もあって、戦争のこと、軍関係のことなどは、「お前たちにはもう関係ない」の一点張りで、父も母も、何一つ話そうとはしないのです。
ただ母が、「金属を出せというから、おばあちゃまは貴金属の指輪などもみな出してしまったのよ。あんなの、弾丸になんてなっていない。軍のお偉いさんが、皆、取ってしまったに決まっている」「部下に責任を擦り付けて、軍上層部の責任者は皆、責任逃れして戦後もいい地位についている」と漏らしたことがあったので、相当、嫌な思いをしたのでしょうね。
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そういう軍上層部への批判があったためか、母方の祖父は復員して役人の部下たちの生活再建を援けた後、私財を擲って、故郷金沢の戦災孤児の就学支援をしています。
それを観ていた父や母は、父方の祖父は戦死しているのに、靖国神社には一度も参拝したことはなく、政府要人の公式参拝にも否定的です。
私達には聴かせたくない、闇はたくさんあるようですね。
ここに敬意を払っておこうと思う、果たして意味があるかは分からん。
祖母が一言だけ漏らしたことがある。
自分たちは大変な思いをしたけど、それはやって当然なのだから特に何とも思ってない。
しかし今更形としてこんな表彰をもらっても仕方がないことだと。
意味としてはこんなことを言ってた。
私が大きくなったから、わざと演技をするように言ってたのかもしれないけど。
過去の事実と、それを基に何を齎すかということは、成熟した人間であれば己の責任ということが分かるようになる。
だから私が話題にしているのはその部分だけだ。
闇というのはそれが分からない人々のことだ。
それはあらゆる時間的な計量によらない。
目先の話題を変えたからと言って、害を加える側が非難する側に回るということは醜いことに変わりはない。
ある意味、贅沢な教育だなぁ
平和な時代故なんだろうけどすごい
更新を楽しみにしてました。ありがとうございます、面白かったです。
父方の祖父の叔父(曾祖父の兄)が少年志願兵から士官学校に行ったそうです。太平洋戦争開戦時では中佐で弘前連隊の副司令、北支戦線で負傷して大佐にインパール作戦に連隊長として参加したそうです。最終的には少将になり戦後は遺族会の副会長だったそうな。叔父曰く『よく戦犯にならなかったなぁ』とか
見ようとしたら消えてて驚いたけど今日見れてよかった。
被り物するには良い季節になりましたな
幼年学校の入試問題が割と難しいから、それなりの教育を受けられる人しか受からない、エリートですね
日本の学徒出陣でも、いきなり指揮官にされたらしい
その為に戦犯で裁かれ亡くなった学徒兵も多かったそうです
14:10
生徒1人に教員2人って聞くと学費が超安く感じられるなあ
陸軍士官学校は、いろいろ制度が代わり、予科とか……。
そして、予備士官学校も出現して、実に、紛らわしいですね。
ゆっくりアズナブルがあるのですね
現代とじゃ「陸士」の意味もほぼ真逆になっちゃったな
陸幼、予士、陸士みんな成績優等で通すと、銀時計3つゲットすることになる。陸大の成績優等者のご褒美は軍刀で時計ではないんやね。
会社の社長が大阪陸幼だった。お洒落でスキのないひとだった。
祖父は出世よりも実務で陸軍経理学校から関東軍配置になった。後に転職して満州国軍中佐になった。溥儀の弟に御前講義をして銀時計を拝したらしい。
私と同じ年配だと推察しましたが、企業でも取締役の方もおられましたね。士官学校在籍者であった上司は、満州(中国)にも士官学校同等幹部養成学校があり、軍官学校(発音から)と呼んでいたらしい?です。私と同じように会食の際、いろんな事を聞かれたのでしょう(笑)(笑)。知ってる軍官学校在籍者は戦後、県警察本部に奉職されておられました。
毎回丁寧な時候の挨拶、いいですね
25:50 叩き上げで活躍・昇進した軍人とその弊害の代表格はまさにロンメルだと思う。師団長くらいであるときは勇猛果敢なのだけれど、昇進して軍団長となると軍団指揮官としての「高等教育」を受けていなかったために兵站や補給、局所的優位に固執したりとか…
ロンメル...
「歩兵の攻撃」には、山道をどうやって機関銃と弾薬担いでいったか、道案内や人足、駄獣の徴発などはどうしたか、という記述がなかった記憶があります。そこは部下に丸投げだったかな?得てして作戦名人はロジを軽く見るといいますが、彼は確かに典型。
ただ、ああいう性格じゃなかったら多くの友人たちと同じく、WW1後に陸軍から整理されていたでしょう。
高等教育は、マンシュタイン、グデーリアンらも中途で実務に就いたはずなので、そこはそう大きなハンデではない。
たたき上げの弊害、というより正に致命的となったハンデは、
「高級将官となったとき、国防軍に友人がいなかった」
バイエルンの中産階級から出てきた元帥には、プロイセンの軍人家系出身者、参謀将校グループのように、作戦指導、政治信条などで問題を引き起こしたときにかばってくれる、上官先輩同僚部下たちがいなかった...
@@user-fb3oq9jq3d さま
中産階級出身だからこそ、ナチスでは、目玉商品ならぬ目玉将官として活用したかったんでしょう。そこが却って、貴族出身者から余計に白い目で見られかねない。
たしかに、中産階級出身では孤独だったのかもしれないですね。今の連邦軍ではこういう階級問題は解消されているのか、たしかに、複雑かもしれないですね。ナチスの武装親衛隊はよくわかりませんけど、突撃隊や親衛隊など、あまりお上品なイメージはないですね。
あまり、戦後は、名前に『von』を付けない風潮があるのか、そこも気になったりします。
予備役編入後の生活を考えると、貧困層や富裕層以外にはあまりいい進路とはいえなさそうですね
俺が陸軍士官学校を知ったのは、大人になってから、あぶさんで知った。
対戦相手が太平洋だったから、1973年から1976年の間だろう。当時ビデオ係の佐野誠三氏のノンフィクションだった。
進学校の住吉中学から、陸士を目指していた。このやりとりで、難しい学校というのが、よく分かった。
待ってました!
どうも日清・日露の頃のまだ藩校や私塾出の旧武士階級だった司令官達の方が、
いわゆる陸士や陸大出のパワーエリートと比べて優秀な気がしてならない。
勝ち戦と負け戦の差だけなのかもしれないけど。
日中戦争の有名人、西住小次郎は陸軍幼年学校への入学を目指していましたが、視力が弱く不合格になりました。
(結局陸士46期で軍人となりました)
今の政治家と同じ二世・三世が父と同じ道を進み、縁談も軍人の娘。
優秀かも知れないけど、コネや派閥による人事も目に余るものがあった。
また、陸軍の”長州はずし”や近視眼的で仮想敵国の戦力分析もできないとは。
「ゴールデンカムイ」の尾形百之助上等兵が上官のコネで陸軍士官学校へ入ろうとしてたけど、アイツ何歳ごまかす気だったんだろ?
祖父が陸士出で、歩兵大尉・連隊長副官でした。
幼年学校は旧制中学に相当し、授業料が必要でした。軍学校といっても一般の旧制中学と変わらず、軍事科目は最小限に抑え、情操教育に主眼が置かれていたそうです。
たとえば東京の幼年学校だと、音楽室にはグランドピアノが置かれ、東京音楽学校~現在の東京芸術大学音楽学部~の教授から、音楽史とかの講義や、バッハやベートーベンの楽曲習得とかの授業があったそうな。また担任は生徒監と呼ばれ、軍の中でも教員の心得がある者が選抜されていたようです。だから入学時には初顔合わせの前に生徒の生育環境を把握し、性格やら強み弱みの把握に努めたそうな。また生徒の実家地域に災害や空襲などあれば、生徒よりも早く情報を収集し、生徒に「家は大丈夫だったか?親は?」と声を掛けたりしたそうです。
陸士は授業料不要で、現在の防衛大学校の前身。なので偏差値でいうと、入試のボーダーラインは65くらいは必要だったとのこと。受験科目も多かったので、現在でいえば国立の旧帝国大学なみの学力が必要だったと思われます。そして主な内容は、動画でのご説明とおりでした。
なお祖父の実家は商売をしており、頑張れば当時の旧制大学も経済的には進学可能だったそうですが、男1人・女4人の計5人兄弟で「女の子でも最低限の教育は受けるべきである」との考えから、妹4人全員を高等女学校~現在の高校から短大レベル~に進めるため、男の自分はお金のかからない学校に行くとの理由から、陸士を受験したと言っていました。
幼年学校は師範学校・逓信講習所と同じ官費の学校と思いきや、幼年学校は月謝が高かったと知り、私はそれなら旧制の中学へ行ったらとも思いました。当時は海兵・陸軍幼年学校は憧れ、難関教育機関であったらしいですね。私は幼年学校でフランス語もあったと聞き、現在の大学カリキュラムと感じました。お祖父様もエリートでプライドが高かったと思います。かつ軍人・将校ですからね。文面に依れば高等女学校・旧制中学へ進学出来る指定はまず、経済的に余裕、ステイタス高い学校(例 広島県なら広島県立第一及び第二高等女学校、県立第一・二・三中学、有名私立中学・高等女学校等)ならば、学力が伴います。御祖父様の実家は当時のお金持ちのお家だと思います。まして陸士ですから何かと憲兵が調査されますから、しっかりした健全なご家庭だと思います。
@@user-qg8fi4jl6k 外国語の授業でいえば、当時は「ドイツ語・フランス語・中国語・朝鮮語・ロシア語」の中から選択し、英語はなかったそうです。他の旧制中学や旧制高校なら英語だったので、その点は異色だったとか。それで実際はドイツ語を選択する者が最も多かったそうです。祖父もドイツ語を選択し、終生、かなり堪能でした。英語に関しては「まぁ、荒井注レベルだわ、アッハッハッハ」とのことw
また、学力的には高いものの、授業内容があまりに軍事一辺倒に偏っていたため、日米関係が悪化しはじめた頃から、陸軍省教育局では「もっと一般常識を学ばせたほうがいいのでは?」という意見が出始めたそうです。その一例として、陸軍大学校の学生を東京帝国大学法学部に1年間「留学」させる仕組みを打診したそうですが、成立する前に太平洋戦争が始まってしまい、結局は破談となったとか。
中学出身では主流になれなかったのに硫黄島最高司令官にまで上り詰めるとか栗林中将はどんだけ運が強かったんだよ……。
幼年学校って学費無料だと思っていたが、幼年学校はしっかりと学費徴収してて、旧制中学校よりも高いというのことをどこかに書いてあった。傷痍軍人家族や戦死者遺族の子弟には学費無償化とかの恩典はなかったのかなと思う。しかし旧陸軍は士官学校卒業生以外の下士官兵士から、抜擢で将校採用はなかったみたいやね。外国ではたまに、下士官兵士からの抜擢将校が優れた司令官として名前を残すことがあるみたいやけど。海軍はなぜか幼年学校を設置しなかった。陸海軍以外では学費無料の学校は師範学校くらいしかしらない。
この動画シリーズで陸軍教導団も取り上げて欲しい。
森鴎外のチートもすごかったよな
よびやく?予備役 (よびえき) ですね。
マリサ アズナブル
旧制中学出身者は、その後、陸大の課程を経ていても大本営や参謀本部の参謀に任命しないのが不文律だったそうです。
自分の母校は旧制中学時代に軍学校に多く進学者出してたけど名簿見てると結構陸幼に中途転出してる人多いんですよね
学歴不問とはいえほとんどの合格者は中学進学できるだけの財力がある家の人が大半だったのではないかと推察
祖父は陸軍省勤務の職業軍人でした。戦後は公職追放ですから民間企業に就職、一介のサラリーマンで終わってます。
この祖父の軍歴がわかりません。士官学校卒なのはまちがえないのですけど、陸幼から陸士に入ったエリートだったのか?旧制中学から入ったDコロさんだったのか?陸大までいったのか?どうすれば調べられるでしょうか?知っている方教えてください。日本陸軍は基本差別しません。陸幼・陸士ともに親の職業に関係なく成績優秀なら入学できました。ただ無試験で入る皇族や華族出身者はもちろん、当時の富裕層の子息もかなりの確率で在籍したのはたしかです。
ところが幼年学校にも序列があり東京幼年学校出身者でなければ参謀本部作戦課には行けなかったのだとか。
母方の祖母の一番上の兄が陸軍航空隊の飛行教官やってたって聞いたけどこういう狭き門を通ったのかとしみじみ・・・
結局事故で亡くなったと聞いたけどそりゃこんな超難関通った人なら地元で市民葬されるわ
饅頭3才以上… 饅頭でも入れるのか… と、空耳w
21歳の大尉はどなたですか。ググッたけどわかりませんでした。
次は陸大か海大来るかな。
今も昔も、失敗したら(陸大、CGS「指揮幕僚課程」不合格)二佐(中佐)止まり〜失敗したら二佐(中佐)止まり〜は変わんない。※中隊長(一尉「大尉」)に言ったらボロクソに怒られた。
定年を終えた私達年代は、若い20代の頃に陸幼・陸士・海兵に在籍(就学中に終戦)された方が古い上司におられ私は、業務は別に(笑)飲み会時に戦中の話を聞きました。結論から共通事項は身体検査(内部疾患、視力、性病等、軍人として体力を含む)→学科試験(学力試験、陸幼は学歴制限なかったものの、出題が高等小学校・旧制1年程度なので中学一年・二年生が殆どであったらしい。例として、呉一中・二中・広島一中・二中、山口中学・豊浦中~萩中…の方を知っている。一部の人は陸軍士官学校(旧 中学から受験)より、幼年学校合格が難解であったと言われた)。幼年出身者は我々にフランス語について言われ、柳井中学から海兵に進まれた方は共に仕事をさせて頂いたが、柳井中で二番であったと「やや自慢(笑)」謂れ戦後は、大阪大学へ進まれた。バイザウエイ、予科練(海軍飛行豫科練習生甲・乙・乙特とあったが、この練習生もかなり、難しかったようであったと上司から言われた。海兵・陸幼・陸士は現在の大学の学力のみと違い、体力・適正(面接試験)・その他(敢えてこの項では省略する)の総合能力であったと強く言われていた。当然、戦後は中央・地方官庁、優良企業、有名偏差値高い大学へ入学~現在の百歳前後以上の方です。~因みに少尉は高等官は正八位である。~~思い出しました。上司には官費の師範学校、逓信講習所などの出身者もおられ~尽きません。現在の塾・塾でのガリ勉強・学力アップで受験とは趣きが全然、違うとの印象。その私も定年を終えたお爺さんになった。
彼らは内に秘めるプライドをお持ちでした。一方、日本の下士官が優勝であったとのホローもありました。
アメリカには陸軍幼年学校があるし(トランプはNYの幼年学校出ている) ROTCという制度もある
米幼年学校からウェストポイントへ行った人と 一般高校からウェストポイント行った人と ROTCで将校になった人とでは 差があるんでしょうか?
24:05
軍事衛星ってどんな教育を施してたんだろ
アメリカの士官学校も、ハーバードやスタンフォードより人気あるみたいですね
陸士は殴る蹴るの文化が無いのが海兵との違いを分けた
皮肉というか哀しいかな。
戦争に勝つための人財育成が、国を滅ぼす原因となったことは。
He can't attack me and ask me what he sees. I answer him. He takes this away and introduces himself as the killer. Kind of like that. But what would all this mean as a whole. That behind some great tragedy there is someone who judges.
今の陸軍幼年学校って高等工科学校、防衛大学校は士官学校予科、幹部候補生学校が士官学校本科、教育訓練本部が陸軍大学校ってことでいいのかな
軍の構成要素としてはそうなのかもしれませんが、社会的役割としては、恐らく全く異なりますよね。
戦前の士官学校や陸軍大学校は、軍属の高級官僚になるためのコースで、士族の子弟が多かったわけでしょう? 皇族や華族は軍に入隊しても、通っていたのは学習院だったのかもしれませんが。
今の日本の自衛隊は、シビリアンコントロールを徹底するために政府や官僚とは一応切り離されているから、制服組トップでも、高級官僚という感じではないものね。
たいい、だいい、たいさ、だいさも違うポイント
私は2009年に彼らにそんなことはしないように言いました。🤔
彼は私を攻撃したり、何を見ているのか尋ねたりすることはできません。私は彼に答えます。彼はこれを奪い取り、自分を殺人者だと名乗ります。そういう感じですね。しかし、これは全体として何を意味するのでしょうか。大きな悲劇の裏には裁く人がいるということ。
ええ、ゆっくりの特性なのはわかってるんですが、「ホヘー」とか「まんじゅう三歳」とか…
😅
昨日公開したものの一部音楽の不具合を修正しての再アップになります。ご迷惑をおかけして申し訳ございません
それで見れなかったのか
ありがとうございます
24:03
スミマセン、些細な事ですが。😅
測図、馬術、に続いて
軍事衛星と出て一瞬戸惑いましたが、
軍事衛生ですね。😅