星宮神社を参拝 郡上市美並町

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  • čas přidán 25. 07. 2024
  • 金弊社 星宮神社 虚空蔵菩薩
    岐阜県郡上市美並町高砂
    00:00 道中
    02:00 駐車場
    02:42 星宮神社
    10:43 水辺
    17:15 遊歩道
    21:54 那比本宮神社に向かう道
    23:20 那比新宮神社に向かう道
    岐阜県風な図なので、正確ではないです
    道中にスルーした場所は動画がありますので、宜しければご覧ください
    神社由緒 瓢ヶ岳と鬼退治伝説
    天暦のはじめ(947年とろ)西の岳に妖鬼が住み
    その姿は牛のようで声も牛に似ていて人々を悩ませていた。
    このことを都の帝に申し上げると藤原高光を妖鬼退治に遣わされた。
    高光は大岳に登り、これを退治して都へ帰った。
    しかし妖鬼の亡魂が山頂に留まり夏に霜を降らせ五穀を枯らすなど
    人々を苦しめたので重ねて都へ申し上げると再び高光を派遣された。
    しかし妖鬼の亡魂は近くでは雉の声を発し遠くではホトトギスの声で鳴き
    あちこちを飛び回るので容易に退治することができなかった。
    高光は虚空蔵菩薩に亡魂退治を祈るとお告げがあり南の岳で待った。
    すると3mほどの大きな鳥が高光めがけて襲い掛かってきたところを
    蕪矢を命中させて射落とすことができた。
    高光は大鳥の首を雁俣の矢でかき切って死骸を焼き
    その場所を骨ヶ原というようになった。
    山は鎮まり福部が岳(禅定が峯ともいう)と名付けられ
    弓を納めた宮を高光の高の字をとって高賀山星宮粥川寺といい
    虚空蔵菩薩をお祀りした。
    矢は滝に納めたので矢納めの滝といいその淵を矢納ヶ淵というようになった。
    そして麓に六社を建て虚空蔵菩薩を祀ったのである。
    近代になって明治12年(1879年)より星宮神社と称し
    昭和47年銀幣社に昭和56年に金幣社に昇格して今日に至っている。
    神社本殿は天暦年中に藤原高光によって創建とされたといわれ
    享保8年(1723年)に再建されたもので300年を経てなお一層荘厳な姿を保っている。
    虚空蔵信仰と修験の里 粥川
    当地域では平安時代のはじめ粥川のオズノ洞に役行者を祀る雄角明神があり(美濃国神名帳)
    その周辺には雄角明神に奉仕する般若院等十二院があった。(星宮神社縁起)
    その後、平安中期から末期にかけて熊野信仰がひろがり阿弥陀如来等が祀られた。
    時を経て鎌倉時代から南北朝時代にかけては自山信仰が広がる中で
    石徹白中居神社の信仰が浸透し虚空蔵菩薩を本地仏として祀るようになった。
    虚空蔵菩薩は、はかり知れない幸福や知恵を与え人々の願いをかなえてくれる菩薩であり
    明星天子として祀るので星営神社と称するようになり、その別当寺が粥川寺であった。
    多くの懸仏が奉納され浄財による仏像の造顕、大般若経の写経等が盛んに行われた。
    こうした信仰の中心となったものが修験集団であり彼等の厳しい修行の中心地が
    粥川寺であり大谷川(粥川)であった。
    信仰が盛んになるにつれ、その周辺地では修験の働きを支える仕組みができ
    中世の粥川は修験の村となった。
    近世のはじめ円空は粥川寺で得度し、ここを本寺として全国へ遊行に出かけている。
    懸仏
    大型の十一面観音菩薩、阿弥陀如来、聖観音菩薩など
    鎌倉時代特有の生命観あふれる懸仏がみられる。
    御正体とは、ご神体の本地仏という意味であり
    ほとんどが鎌倉時代から室町時代にわたって奉納されている。
    特に扇形の懸仏4面は貴重である。
    高賀六社めぐり
    高賀山(1224m)瓢ヶ岳(標高1162m)南岳(標高1087m)と連なる三峰は
    早くから霊山として山岳信仰の対象であった。
    三峰の山麓を取り囲むように、いわゆる高賀六社すなわち那比本宮神社・那比新宮神社・星宮神社・高賀神社・金峰神社・滝神社が営まれてきたが
    各社の縁起では瓢ヶ岳の妖魔を帝の命を受けた藤原高光が虚空蔵菩薩のご加護によって
    退治したことに感謝して山の周囲6カ所に神社を祀ったのが始まりとされている。
    近世になって、この大社を巡拝し虚空蔵菩薩のご加護を祈願する「六社めぐり」が
    盛んに行われるようになり人々の信仰を集めることとなった。
    板取・白谷観音堂は十一面観音菩薩を祀るが行者道を経て高賀神社の氏子と合流して
    高賀山へ登っているので平成22年より「大社一観音めぐり」として巡拝している。
    左鎌奉納と霊験
    星宮神社の本尊である虚空蔵菩薩は計り知れない幸福や知恵を与え
    人々の願いをかなえてくれると信じられている。
    このことから、いろいろな願いをかなえてもらえるよう
    あるいは願いがかなったお礼に左鎌が奉納されるようになった。
    左鎌を奉納するのは祭礼用具の鎌が左のためだと言われている。
    また左利きの人が治ったお礼に左鎌を奉納したことがはじまりと言われる。
    特に「ぜんそく」「眼病」治癒にかかるものが多く
    現在では家内安全・受験合格、交通安全等の祈願並びにお礼として
    東海地方はもとより関東・関西地方からの奉納も多い。
    天然記念物 粥川のうなぎ
    伝承によれば藤原高光が妖鬼退治のため山に分け入り道に迷ったとき
    虚空蔵菩薩の使いと言われるうなぎの道案内で山頂に着くことができた。
    高光はうなぎを失納ヶ淵に放ち神のお使いだから大切にするように命じたという。
    以来、今日に至るまで粥川の人々はうなぎを大切に守り続けている。
    大正12年12月「うなぎ棲息地」として国の天然記念物に指定された。
    うなぎは夜行性で夜間に限って行動するものであるが粥川では
    昼間でも姿を見せることがあり世界的にも大変珍しいことである。
    粥川では現在でもうなぎを大切にし一切食べないという禁忌を守っている
    円空と粥川寺
    円空は寛永9年(1632年)に美並町で木地師の子として生まれたと推定されている。
    寛文3年に開川寺で得度し以来開川寺を本寺として遊行に出掛け
    また戻るという繰り返しであった。
    本町に158体と全国に多くの仏・神像を残し
    元禄8年7月15日、64歳で関市池尻の弥勤寺で入定(石子詰め葬法)と伝えられる。
    円空が星宮を読んだ歌
    “星シ祭る五門龍門玉なれや
     今日より先ハ楽にけり”
    #岐阜県 #郡上市 #美並町 #星宮神社 #高賀六社

Komentáře • 2

  • @user-og3h7cr7g
    @user-og3h7cr7g Před 11 měsíci +2

    トンネル抜けるの5分長いですね〜しかし、その価値は、大きい凄い神社様です
    良く、調べられていますね
    ここは、行かなくては❗と、思いました、ありがとうございます🙇‍♀️

    • @fujioyasa
      @fujioyasa  Před 11 měsíci +1

      長時間のご視聴ありがとうございます😊結構、長いトンネルでした。
      気持ちいい神社でした。
      機会があれば是非、行って下さい。