これまさかとは思うけど……存在と時間の後編が出なかったことをオマージュして、この解説シリーズの後編を出していないとかないよな……?
これが書かれた時コメ数が25くらいしかなくて、同じことを何か月も前に言ってる人がいるのに、そっちはいいねが5つしかついてなくて、こっちは88もついてる上にコメまでついてる。人々がいかにコメツリーを開いてまで他人の話を聞こうとしていないかが分かる。
「存在は概念である。
むしろ、存在こそ概念である。」
昔ある先生にこのように言われて納得しました。
例え話が面白くて、理解が進み本当にありがたいです。
続き、楽しみにしています!
めっちゃわかりやすいまとめですね!ありがとうございます!!
ハイデガーは挑戦したことあるのですが多用される「現存在」の定義を確認せず読んでいたので理解できなかったです。この動画で存在と時間のコンセプトみたいなものを確認できたことが嬉しく後編も楽しみにしています!
ありがとうございます!
次待ってます!
無茶苦茶おもしろい。岩波文庫の存在と時間を購入したので、ロシュフコーさんの解説動画と一緒に読み進めていきたいと思います。
他の動画も見させて頂きます。ありがとうございます。
あら、17分11秒で完結すると思ったら、この動画は前半部分なのですね。。
まってますー
とってもわかりやすいです! ありがとうございます!
めっちゃくちゃ続きが楽しみ
最高すぎる
最近、視聴し始めました。面白いです。今後ともよろしくお願いします。
わかりやっす
本気で勉強していないとここまで砕いた説明はできない。脱帽です。
以前「存在と時間」をとりあえず読み終えましたが、何度も途中でもうやめたいと思いました。
さっぱり内容が理解できませんでした。
大きな森をさ迷っているようでした。
森全体は勿論木一本さえも理解できず、結局森から生還できませんでした。
ロシュフーコーさんこんにちは
ウン十年前箴言を読んで以来です
楽しみにしています
私の時代は哲学科の学生は自己紹介をする際、「人的存在中○○的様態」という形式の○○の中に姓名を入れました。例えば私はFrancescoと申しますので「人的存在中Francesco的様態ですが、Call me just Frankie」とか自己紹介します。今の哲学科の学生もそうかしら?
nagasakireo先生から社会学の動画でオススメいただいたのでチャンネル登録しました。
Advaita Vedanta の入り口まで来て、その周辺をうろうろしているのがハイデッガーという印象を私は受けました。存在=ある=純粋意識=awareness=ほんとうの私=アートマン。
ノンデュアリティーはハイデッガーを超えています。
存在と時間が上巻のみで終わったのは、時間の部分を言語化してしまうと、個人が手にするはずだった「体験」についても言及してしまうことになるからそれはまずいということですね。
勉強になります。ありがとう!
因みに、「1889年」は「ビッグイヤー」で、歴史上面白い偉人がたくさん生まれています。いま思いつくだけで言っても、この「ハイデッガー」がこの年に生まれただけでなく、こちらの動画の先生が言及されているヴィトゲンシュタインもこの1889年に生まれていたはずです。他に、、、チャップリンもそうだし、ヒットラーもそうだし、ネルーもそうですね。
ハイデガーは師匠のフッサールの現象学を方法論として用いています。 しかしハイデガーは結構フッサールを批判しています。 フッサールの現象学では、分析の根拠となるのは、現象学的な還元を施した後のわたしの純粋な自我であり、 これはすべての学の根拠となる「超越論的な自我」です。 自我・自己を根拠としている点では、「我思う、ゆえに我あり」のデカルトと似ていますね。 しかしハイデガーはそういう根拠となる自我・自己に対し、懐疑的でした。 自己って何だかよくわからないじゃないですか。 ハイデガーはこれとは違い、世界のうちでの日常的に生きる現存在のあり方を分析することにしました。 それがフッサールとハイデガーの大きな違いです。
哲学とは、何か? そして、ある歴史上の人が、どう言う哲学を呈示したか? 私は、それに、一番目を向けています。そして自分は、どう思い、どう考えるかに、留めています。
わかりやすすぎてスライドが欲しい
ハイデガー哲学は結局は未完に終わってしまうが、それは存在の意味を解き明かすことは不可能であることを示唆してるのかもしれない。だがその不可能性こそが哲学の魅力でなのであろう。
ハイデガー続編早く見たいゾ〜!
ヘーゲル終わったら製作おねがいちまちゅ〜!
下巻を書かなかったのは、語り得ないと気がついたんだろうが、そんな事を言い始めたら、何一つ語れない。
「語りたかった」、、、ただそれだけでいいんだよ。誰もが自分が好きなことしかするべきじゃない。早く気がつくべきなんだ。
完璧主義だと何一つ形にできないけど、自身で納得行ってないものを世に出して後悔したくないのならそれは書きたくない・好きじゃないって事だし、自身で完璧だと思った事を書けても少なくとも誰かにケチつけられるし、暫くして自分自身があれは間違いで黒歴史と恥じる事もある。俺も人生で一番好きな専門分野があるが(こんなに難しいものではないけど)何も形にできてないのは形にしたり語る事が好きじゃないのかも。でもそこを好きにならないと専門的能力を何にも役立てられないジレンマ。
@@meroppa1 というかおそらく、何かしらの超えられない壁があるんでしょうね。
超えられないということは、おそらく今のところ公に答えがなく前例がないということだろうから、壁を超えることの重要度が備わっているということでしょうね。
超えた時には語りたくて仕方なくなるかも。
とても面白く聞かせて頂きました。
できましたら、BGMをもう少し小さくしていただきたかったです。内容に集中しにくくなりまして…
正法眼蔵の解説を期待します
認識はAからisを通ってBに行くまでに絶対時間かかるしとかかな。。
突然のひろゆきの登場に吹いてしまったw
昔読んだ。
私は文学が好きなので、19世紀~20世紀文学に至る過程でハイデッガーは読んだ。
ラプラスの悪魔が存在しない理由は、原始の崩壊もあるが、それはともかくとして。
この世の全てをデータに収めようとすると、自分の存在分のデータハードを含めなければならず、そのデータをハードに入れようとすると、また新しいハードができてしまうみたいなものと、数学の無矛盾ではないことの証明とかを思い出した
存在とは、実感(リアル)を感じることである。形而下?=生きて、存在を続けていること。死んだ時点で、実存が変化をもたらすこと?
呼吸心臓血管等は自然界の力だ。人間は死を自覚出来ないので意識が時間と存在の主人公で学習する事で神を超える。
現象学は例えば、キリスト教ではイエスキリストは人間か神かと問うときに使うと利用価値があると思う。ハイデガー、ビトゲンシュタインもナチスドイツ、ヒットラの存在なくしてあり得ないかもしれない。存在と時間の三部作は後半になるほど平凡な内容になったように思いました。〈半年かけて全部読み精根尽きた。一回しか読んだだけでです〉大したこと言えませんが、ビトゲンシュタインの生き方は男らしいので共感してます。
いきなりの「バルティン・ハイテガー」に噴飯
鼻呼吸できてるか心配
ハイデッガーは現代哲学の第一人者と言われるらしいが「存在と時間」は中古本屋で見つけて物理学の解説書かと思って買い読んだ事があるが何を言ってるのか理解 出来なかった。主観と客観 客観的である事で他人と共有 出来る、人の目に映った事は幻像か実像かの判断に問題あるかも?。そもそも何故 目と耳があると映像が見え声が聞こえるのだ?全く解ってないし心の仕組みは尚更 不明だ、だから精神疾患 治療薬は無く副作用代償に症状 抑える薬だけで麻薬を含む薬が少なくない。
この本はマジでヤバいけど何を言ってるのか?が良くわからないwww哲学書で初めて読んだ本がこれだったwwwこれじゃ絶対に理解できないが、慣れていない奴が四苦八苦して時間をかけて読んだ経験がこれほどまでに恐ろしいものなのか?と今は感じています
ハイデガーが当時世界に深い影響を与えた事自体は確かなのでしょうが
現代においては最早こういう純粋に思索のみで哲学を作る正統派の哲学者って
殆ど注目されずに「ちょっと博識なポエマー」くらいにしか評価されてない気がするけど
もしそれが事実だとしたら原因はなんだろう
そもそも科学が進みすぎて哲学の需要が低下してるのに、哲学教育がされないから理解されないんだろうね
インフルエンサーの人生哲学みたいなのには飛びつくから皆実は求めてはいるんだろうけど
全くの門外漢に言わせてもらうと、そもそもエポケーという行為自体が主観の最たるものに思えてしょうがないのですが...
存在=今有る
ちゃんと見る前に自分のイメージ書くと存在とは数学では無限に小さな点でそれを表現する事は無限に続くモノで素粒子が量子力学の数学上無限に小さい点でも干渉して存在する調べれば構造が無限に出てくるかも知れない今わかってる範囲で人が記号化したモノで、時間は振動波動回転周期と繰り返すモノが生み出したモノでエネルギーによって違ってくるモノ。
般若心経にあるけど、形は壊れて消えるモノで原子核の壊れる。原子核はボールに例えると電子が地球くらいのスケールで回っていて波動の状態で他を弾いてるから存在している。それで構成された物質が電子のやり取りから接着摩擦で構成される世界が壊れる事からスケール極小の原子核と言う実質の高エネルギー球体が何兆円もかかる電子加速器で衝突してブラックホールやビッグバンをも起こす可能性がある程のエネルギー体がある。
そのエネルギー球体が振動していて世界宇宙に無数にあり突如ブラックホールやビッグバンを起こしえるのに、そんな現象は見た事が無いし、爆弾が爆発するレベルですらない。
素粒子は360度の方向で無くアップダウンの上下しかない様に可能性は逆に微小構造世界で存在していないかもしれない。
ホントの存在は哲学で考えられるのか見てみます。
ヴィトケンシュタイン「ほらやっぱ論理的表現には限界があるやろ?」
存在を定義することは出来る。
『複数の存在者が同意すること』がそれである。
例を挙げる。
1.私はいる、貴方はいる。ゆえに私(貴方)はいる。
2.私は電子マネーはあると思う。僕も電子マネーはあると思う。
1.は実際に触ったり話たり、お互いに認め合ってぶつかれば痛い。
2.は世界のどこにも実在はしない。しかし多くが認めて実際に効果を及ぼす。
両者はどちらも存在していると言える。
逆のケースでは1.の片方が片方を認めなかった(同意しなかった)場合、両者がぶつかれば認めなかった側が認めた方を弾き飛ばす。認めなかった側には一切の影響はない。もし、影響があるならばそれは他方を認めたということである。
2.の同意が認められないケースではどちらか一方、あるいは両方のお金は移動せずお金としての存在も効果も成立しない。
ゆえに「存在には二者以上の存在者の同意が必要である」と言える。
結局「存在と時間」は失敗でハイデッガーは存在を論証することを諦めたんですよね?
「存在と時間」は上巻だけの未完に終わっている。
読まなくていいでしょう。
「存在=物質=質量とは力(フォース= force)である」とアインシュタインが解き明かしましたよね。
カントの物自体というのは、ハイデガーの存在なのだろうか?
下巻が書かれていたとして、以下だったら一寸がっかり。
(結論)「存在の意味が時間である」=(推測結論)「エゴの意味は記憶である」
分野は違うけれど、「現存在」って都市伝説のエアルの語る”Is-Be”みたいな感じが。。。
つまり、存在ってなんですか?
@@rest-affection-inorganic
名俳優や記憶喪失者やデカルトは、
私とは何か?という問いに答えられず、私は何者でもない、敢えていうならば、私とは無であると答えるわけです。確かですか?と聞くと、私が無で在るのは確かだと答える。存在は無で尚在るものですね。
これは輪廻転生という考えに通じてます。
私たちは無である存在だからこそ、無であった生前から、誕生したのであり、死んでも無で在り続け、また誕生すると。
変化しない物は無いので、存在はその時の現象です。
こんにちわ→こんにちは
この前の村上春樹の小説がハイデガーを思い出させた。
顔のない奴の肖像画を描け、みたいな。
哲学者って、日々、内なるひろゆきと戦ってるのかな?
鼻声が気になって内容が入ってこない(泣)
少し思い出したわ
思い出せる内容なんてあったかな?もうアレは概念論過ぎて言語レベルの感覚的なものとしか思っていませんけどね・・・
まあ、知性や知能みたいな機能は人間以外にも見られますが、「存在と時間」レベルでやり取りを互いにしている生物は今のところ人類は人間しか確認できていないよねwwwっての流れがあってのAI爆誕!!!ですよね?
ちょとBGM 大きいすね😥ところで
これって文章の読解力、難解な語句の理解から始めないと頭に入ってこないな~まあ大した脳ミソ持ってないんで、、、あと、翻訳の忠実性も問題かと、、、
何言ってるか難しくて分からないって自分で言ってる癖に翻訳どうこう言って他人の粗を探すな。そもそも日本人が日本語で書いた同レベルの難易度の本だってどうせお前読む気ないだろ。読んでも分からない部分があったら「自分にはよく分からない」とか「書いてある事が正しいかどうか問題だ」とか漠然と非難するんだろ。日本語訳もされた上にこうして動画にもされても理解しようとか受け入れようとかしない、当然ドイツ語なんか読める訳でもない、興味ねえなら興味ねえって言えよ。
ハイデガーの名前も顔も怖いわ 内容も恐ろしいわ
哲学は揚げ足をとるものではないんのよ☺︎b
ダーザイン、ダー、アーザイン
音楽を消すボタンが欲しいです
存在と時間、つまりは生と死と理解しています。
哲学は自然科学、社会科学等の科学の上部に位置していると思います
哲学よりも上が神学、宗教の領域になるでしょう
宗教レベルになると正しいかどうか想像、信仰することしかできません
科学は人間の大脳で理解できるレベルで説明されています
客観は主観の延長やねん。ってコト?
BGMがうるさい。なんでBGMが必要なのか?気が散ってますますわからなくなる。
滑舌どーなってるんや
BGM大きすぎ。途中から全く頭に入ってこなくなった。てかBGM不要では?
早口すぎて、初心者には追いつけませんでした。無念です。
厳密な言葉遣いをしてくださいね。
これではハイデガーが怒る動画です。
ん~、こういう考え方は拙速でよくないんだけどあえて言いたい。
「ハイデッカーを理解することでこの世のわからなかったことや現世の人々が迷っている事象や現象に対して明確な答えを
示せるのか?」
投資家ならばそのように考えて問うでしょう。賢くなった気がするとかそんなチャチな物ではなく迷える人々に道を示すような効果が得られるのか?
さもなくば理解するための時間を捨てるようなものでしょう。
冊サ
詩で示そうとしたって…それって呪文と何が違うんだろ?哲学ってあくまでも論理的に物事を理解する手段じゃないのかな?そもそも万人に共通の認識を促すのが学問のはずで、詩で示すってことは各々によって受け取り方が変わるのが当然だし、学問ですらないよね?哲学って突き詰めると哲学自身を否定する結論にみんな行き着いてるように見えるんだけど違うのかな?ウィトゲンシュタインさんも哲学者は黙れって言って終わってるし。
BGMは、必要ありません。かえつて妨害になっています。評価低下になっています。
ハイデガーが「存在」ということで何を念頭に置いているかを理解するには、いくら『存在と時間』なんて読んでもわかんないと思う。同時代の論理実証主義や分析哲学のアンチテーゼとしてハイデガーを捉えるとスッキリする気がする。つまり、まず現代で一番ホットな哲学である分析哲学から始めるととっつきやすいってこと。