【小林秀雄 講演】 信じることと知ること

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  • čas přidán 3. 12. 2020
  • 昭和五十一年三月六日
    第一回現代演劇協会土曜講座
    於・三百人劇場

Komentáře • 70

  • @user-bb2rz8xq4u
    @user-bb2rz8xq4u Před 3 lety +93

    20数年前、カセットで購入し(すぐに廃盤)繰り返し擦り切れるまで聴き込んだ講演。
    ようつべで手軽に聞ける時代。若い人に感じて欲しい。

    • @user-pz9xf9kb8d
      @user-pz9xf9kb8d Před 2 lety +15

      僕もカセットで同じように感動で震えながら聴きました。

    • @user-yx2kv4wg9z
      @user-yx2kv4wg9z Před rokem +16

      今年の秋に20歳を迎える者です。今は学校へ行っておりませんが、高校生の頃から小林秀雄の本や公演は好んで読み聴きして参りました。「信ずることと知ること」が、今回の題ですが、現代は「信ずる」という所で実に多くの人がつまづいてしまう、そうなりやすい時代だと感じます。私は画をやっておりますが、芸術の根本は美を信ずる心に存在します。神、自然を信ずる心を元とします。然しながら残念な事に、同朋、先生、テレビや雑誌で見かける人の多くが、今回の話で例えるならお化けは信じない、だとか、お化けは信じるが、宇宙人は信じないだとか、宇宙人は信じるが、妖怪は信じないだとか、それはもう色々ですが、彼らは一環として矛盾して居るのです。信ずるという事に於いての矛盾です。そんな矛盾を心に抱えて、この国の美を心から信ずる事など出来るはずがないと、私は思うのです。心から信ずる事が出来ないと言う事は、即ち「知る」と言う事が出来ぬ、という事になるのでは無いでしょうか。柳田さんは自らの体験をもってこの国の古くからの伝承を信じた。だからそこで、この国の人々の信仰という生きた姿を知ったのです。やはり私には「信ずる」と言う事が、人間にとってあまりに重要な要素に思えてならないのです。
      公演の中にもありましたが、「僕はどうして、人々がお化けの話を信じるのは昔は当たり前だったが、今こんなにも減ってしまったのか、その理由が分からない」と言うような一文がありました。私はこの理由について、もっともっと深く、考える必要があるように感じるのです。そこには何か特別に切実な問題があると思います。私は周りに小林秀雄をよく読む人が居ない事もあり、誰かにこんな事を話した事は無いのですが、これは私1人の杞憂では無いはずです。彼の公演をよくお聴きになる皆さんは、現代という特殊な時代に生き、彼の書籍、公演なんかを聞いて、やはりこのように思ったりする事もあるのでしょうか。

    • @TK-ln4we
      @TK-ln4we Před rokem +7

      今年、18歳になる者です。
      小林秀雄さんの文章を拙いながら幾つか評論したこともあります。小林さんは兎に角思考の息が長いお方だと、まず感じる事が出来ます。ベルクソンの哲学は、モオツァルトや周知の通り、無常という事にも、その痕跡が見られます。ぼくの考えは、現代人は何者かでありたいと言う了見だけが先走っているように思います。それ故イデオロギー崇拝などという分析も、よく見受けられ、半ばその通りである事もまた事実だと思います。柳田国男の感受性は確かに天性のものかも知れない。しかし、誤解してはならないことは、柳田国男の感受性は、本人の一回性のものであると言う事。また他人に感受性がないと言う事では無いということ。それぞれが、自身の感受性、クオリアに誠実に本質から目を背ける事がない事が大切だと思います。
      しかし、ただ感覚だけで本質々々と言っても、それが何なのかは分からないのが人の常だと思います。そして、その解した畢竟もまた同じでは無いでしょうか。
      西洋の知性が神に主体があり、神に近づくことだとすると、ソクラテスの洞窟の例えの光源もまた、一種の壁であると言えます。
      そうすると、神話や感受性の畢竟がどうであれ、その人の見る世界がそうだという事、他には何もありません。現代人、「ぼくも現代人ですが、笑。」は、完璧な文脈、それ自体が思い違いだと思いますが、それを求め過ぎているのだと改めて思います。人の見る世界を貶すことが文明人だとするのなら、それは結構な思い違いだと思います。
      小林さんの講演はたまに聴きたくなる。
      いつの間にか、長文になってしまいました。

    • @user-yx2kv4wg9z
      @user-yx2kv4wg9z Před rokem +4

      @@TK-ln4we
      「何者かでありたい了見」ですか。
      仰りたいこと、分かる気が致します。確かに、現代という時代は人間が生物として自然に生きる、という事が難しい時代です。いま迄長い間この国の土に根ざしてきた人々の心が、土着の精神を離れ現代急激に質を変えています。ここ100年余りにおける知識、技術等は大昔に比べて、効率という面においては、科学の力によって遥かに利便化されてきました。膨大な知識が氾濫した社会ですから、情報に圧迫され人々は自我を重んじるようになります。ネットやテレビなどを通して、常に不特定多数の赤の他人の動向が視界に入る中で、他者に対し自分が何者であるかという潜在的な意識が、常に付きまとうのです。イデオロギー崇拝の傾向というのも、少なからずそこに起因するものだと思います。
      現代では、小林秀雄も想像つかぬ「科学的進歩」により、新たな科学技術は日に日に生み出されております。知識や技術、理念等を説く人々は、昔に比べて圧倒的に増えた事でしょう。然しながら、彼のように人の本質を、経験的事実に基づく人の「心」を説く人がどれ程少なくなったか。。これが一つの答えかもしれません。
      感受性の話ですが、中々デリケートで難しい性質の話ですね。感性は本当に人それぞれですから。
      でも答えが無いと、決めてしまうこともないと思います。どれだけ多くの人々が、それぞれに固有の感性を持っていたとしても、世界には真実が存在している事は確かだと思います。人が居ようが、居まいが、世界の誕生は、人よりずっとはやいのですから。太古の昔から、有名な書籍に名を連ねる聖人達でさえ、実に多くの人々が、同じものに心を動かされ、同じものを、信じたりもするのです。柳田さんの信じた民俗学も、彼が感じた真実に基づくものでしょう。それを小林秀雄の慧眼がはっきりと捉えた。そして訴えているのです。「誠に人間として、信ずることは大切である」と。生物としての人間にとって世界が目の前に拓けているとして、まず感ずるのです。五感でも、直感でもいいから。そして感じた事が確かに真実であると、信じるのです。そして確かにこのような真実があるなと、信じられた時に、人は初めてものを「知る」のでしょう。これが柳田さんの民俗学だったのでしょう。感性はその人限りのものでもあります。だからこの方法は受け継がれなかった。少なくとも私は小林秀雄の言葉を今の段階ではその様に受け取っております。
      彼の言葉に注意深く耳を傾ける者にとって、問題は根深いのでしょう。
      「こんなことがあった。このように感じた。だからこの真実を信じる。」
      現代ではこんなに単純で真っ直ぐな心が保てないのですね。根拠や証拠が無ければ、自分の経験を素直に感じて信じられなくなっている気が致します。

    • @user-st1jd5zg7d
      @user-st1jd5zg7d Před rokem +5

      俺はな…ちゃんと今でも夜中にトイレに行くのが怖いぞ。理由を聞いて笑うな?おばけがいる可能性があるんだよ!!
      しかしな、その冷たい怖い雰囲気を少し変えてくれたのは水木しげるさんなんだ。とにかくね、思っている以上に世間には面白くて楽しい奴が沢山いる。 数えきれないよ。面白くて楽しいったって
      そら人間達限定で言ってるわけじゃあないもん。

  • @user-ot3zf5cf3m
    @user-ot3zf5cf3m Před 8 měsíci +9

    新潮社のカセット、CDによる同名の講演は九州の学生等に対するもので、感動もので、繰り返しこれまで聴いてきました。こちらの講演はまた少し味わいが異なり、大変貴重な音声起こしであり、深謝します。

  • @user-or3wr1dp6j
    @user-or3wr1dp6j Před 11 měsíci +11

    初めて肉声を聞きました。語り口が志ん生の落語調に通じるところがあるという指摘をある人がしていたことに納得しました。やや甲高い声とリズムに共通要素がありますね。また、柳田国男の特赦の話は凄すぎます。どこかで人情噺と通じる感性を感じます。近代批判の極致かもしれません。この考え方は遠くない将来、再評価の対象になるでしょう。環境問題の本質に繋がる話だと思います。

  • @noirs1812ubertreffen
    @noirs1812ubertreffen Před 3 lety +33

    36:12 狩人の話は、もし矢を放たずに「白い鹿を見た」とのみ認識してその場を去れば、低次元な信仰となるが、
    実際に矢を放ってみて魔性の存在を信仰から確信に変えた…ということですよね。
    これを、単に見間違えで矢を浪費した非科学的な話として片付けてしまうのが現代の癖である…と。
    つまり昔は人間の限界に触れる機会が多かったので、人間が知覚できる分野とできない分野を両方受け入れることができたが、
    最近は科学技術が発達して、後者を拒絶するようになっている…しかもそれは人の人生観に密接につながっている…と読み取りました。
    数十年前の講演のようですが、まさに現代にも通じる、というよりも現代にこそ投げかけられるべき問いのように感じました。ありがとうございます。

  • @gershstation
    @gershstation Před 3 lety +32

    母国語として直接聴き理解できることが何より幸せに感じました。
    貴重な音源をありがとうございました。感謝。

  • @bushima6019
    @bushima6019 Před 11 měsíci +8

    合理の光で照らされた世界にできた説明のつかない、だけど確実にある影の存在を、柳田国男を通して復権させようとする講演ですな。素晴らしいですな。

  • @user-gw9iy5vz7b
    @user-gw9iy5vz7b Před 3 lety +20

    ぞっとするほど真っ赤な夕日をみると、小林秀雄先生の話された山の話が思い出されます。

  • @user-tw3st7px2t
    @user-tw3st7px2t Před 3 lety +41

    柳田国男は言うまでもなく、その作品を読み解く小林秀雄の感性がすごっ!

  • @POMUNQ
    @POMUNQ Před 3 lety +28

    貴重な音源をアップして頂きありがとうございます!

  • @user-gv9gm1te9k
    @user-gv9gm1te9k Před rokem +25

    情報誌の中に小林秀雄の講演の記事を見つけた時は目を疑ったものである。まず本当にこれはあの小林秀雄の講演なのだろうかという疑いがあった。もしかして同姓同名の学者か何かの間違いかもしれない。もしそういう人がいるとしてだが。しかし福田恒存のシェイクスピアに関する講演の後に小林秀雄の登場で、しかも演題「無題」とくれば、これはやはり本物の小林秀雄の可能性が高いと思わざるを得ない。そこで私は出かけることにした。
     会場の三百人劇場ではどこから情報をかぎつけたのか開場一時間前だというのに、既に長蛇の列が続いていた。私が列に並んだころには既に会場の定員をとっくにオーバーしており、それからも続々と入場希望者は駆け付けた。やがて開場になったが、主催者の発表では入場者は六百人に達したそうで、そのほとんどが小林秀雄の講演目当てで集まったのは疑いようもなかった。
     約一時間で福田恒存の講演が終り、真打ち登場という感じで小林秀雄が登壇した。満場の拍手。小林秀雄は演壇の椅子にどっかと腰を下ろした。拍手は鳴り止んだ。一瞬の内に静寂が支配した。コンサートでピアニストが着席し、演奏の開始を待つ一瞬に似た光景。しかしなかなか小林の演奏は始まらなかった。小林秀雄はまず会場をゆっくりと眺め渡した。しばしの時間が経過する。観客は固唾を呑んで小林秀雄を注視している。椅子の座り心地にもようやく慣れ会場のウオッチもすまして得心がいったかに見えた小林は、講演をしにきたのに今初めてきずいたかのように、次の動作に移った。腕時計を外してから話し始めようと考えたようであった。ところがこの腕時計がなかなか外れなかった。何度も外そうとするのだがどうしても外れない。すでに着席してから何分も経過している。会場の観客は、腕時計が外れないと、小林秀雄の講演は始まらないのを直観的に悟ったようであった。そこで誰も一言の不満も口にせず、小林が腕時計を外すのを待ち続けた。
     あれは本当に奇妙な時間だった。六百人もの人間が、一人の腕時計を外すだけの動作に、何の不満も示さずじっと見入っていた。やがて腕時計は無事に外れ、小林秀雄の講演が始まったが、それは言霊が六百人の観客を支配した希有の光景であった。

    • @gimmesometruth08
      @gimmesometruth08 Před 3 měsíci

      臨場感たっぷりのおはなし、ありがとうございました😊

  • @user-fm6vd1zw1q
    @user-fm6vd1zw1q Před 11 měsíci +10

    近代日本の最高知性だ。

  • @revialzero
    @revialzero Před 2 lety +9

    尊敬する小林秀雄先生の揚げ足を取るつもり全くないが、この講演がとても好きなので情報の正確性を保つために書かせてもらうと、茨城県の「ヌノカワ」は「布川」と書き「フカワ」と読みます。龍ヶ崎市の南10㎞ちょっと位のところにある利根町の利根川沿いの一角です。
    利根町のサイトに柳田国男が書いた土蔵と祠の写真があります。今はきれいに整理されてしまいお婆さんの魂がまだ宿っているかどうかわからない、そんな佇まいです。

  • @user-de4xk1fo3z
    @user-de4xk1fo3z Před 2 lety +4

    良い話を有難うございます。
    久し振りに、ゆっくりと沈む街を眺めようかな。。

  • @DDD-qx4ct
    @DDD-qx4ct Před 4 měsíci +2

    大学生のうちに聴けて良かった。

  • @user-it4jr9ti7g
    @user-it4jr9ti7g Před 2 lety +19

    全然知らなかった方だけど、試しに聴いてたら聞き入ってしまった。

    • @revialzero
      @revialzero Před 2 lety +10

      小林秀雄の講演CD全10巻を持っているが、聞き始めるともうTVは見たいとも思わない。小林秀雄の講演の方が面白くためになる。

  • @user-yf6ek4qk5l
    @user-yf6ek4qk5l Před 5 měsíci +9

    人文科学(思想)の感受性は、時代の進歩とは無関係👍
    小林秀雄の才能は1代限り😅

    • @kenkentip
      @kenkentip Před 4 měsíci +4

      おっしゃる通りですね。逆に今の時代の荒廃ぶりがここまで酷くなってくると小林秀雄が言っていた事が正しかた。って思います。

    • @user-ki8cq5xv3d
      @user-ki8cq5xv3d Před 4 měsíci

      り​@@kenkentip

  • @user-bg8mu4io4x
    @user-bg8mu4io4x Před 3 lety +21

    このタイトル、いまの人々の響いてほしい。

  • @user-sz3yj7gs4g
    @user-sz3yj7gs4g Před 3 měsíci +2

    ゴッホ論でも見られることですが、小林にとって天才即狂気なんですね。

  • @kinnkojyu
    @kinnkojyu Před 3 lety +8

    貴重な収録ありがとうございました。近代の超克 それを信じた人 それを知ろうした人 日本語という国語に内在している 象徴性について 深く思いをいたしました。

  • @user-qx6gr8on4v
    @user-qx6gr8on4v Před 5 měsíci +2

    志ん生師匠と相通ずる江戸弁の歯切れの良さ❗😊 小林さんに落語の『黄金餅』を語らせかったナ…😉

  • @rikikijitora2260
    @rikikijitora2260 Před 3 lety +5

    柳田国男さんが実際に見た祠と楼石、NHKの番組で放送されていましたね。

  • @miofujita4468
    @miofujita4468 Před 2 lety +14

    大学生です。考えさせられますね…。

  • @user-dq2bk7ky8s
    @user-dq2bk7ky8s Před 3 lety +5

    この話画家の大竹伸朗も取り上げてた。この音源NHKのラジオかなんかで聴いた記憶がある。

  • @sasaki9356
    @sasaki9356 Před 3 lety +14

    柳田國男の、炭焼きの子殺しの話は、岡本太郎も取り上げていました。

    • @ame3950
      @ame3950 Před 3 lety +3

      取り上げていた本のタイトルなどわかれば教えて欲しいです。

    • @sasaki9356
      @sasaki9356 Před 3 lety +5

      @@ame3950 返信遅くなりました。「沖縄文化論」ではなかったかと思います。ご参考になればと存じます。

    • @to1853
      @to1853 Před 3 lety +4

      岡本太郎さんは、この話を美しいと表現したんですよね。話より、岡本太郎さんの捉え方に驚きました。太陽の夕日と子供たちの鮮血が、美しいと。三十年以上前の記憶ですが、そう記憶しています。

  • @user-gz2mx3rq7v
    @user-gz2mx3rq7v Před rokem +3

    淮南子をよくよく読んでみると、物化的神道論の論理が展開しています。
     そういう意味では、モノに魂が宿るということもあながち嘘ではないと思います。

    • @user-yx2kv4wg9z
      @user-yx2kv4wg9z Před rokem +3

      淮南子を読んで、物化的神道論?の展開を見たと言うのはよく分かりませんが…。
      大切なのはそれが嘘であるか、本当であるかよりも「ああ確かにこれには魂が宿っているな」と直覚出来る。それを確かに信じられる人の心だと思います。信じる、というのはとても大切な人の心の性質ですよ。例えばこのお話ではお婆さんの石なんかが上がったけれど、木だって土だって何でも良いのです。お寺へ行って、本尊の仏像様を拝んだり、道端のお地蔵様にお供え物をしたりする時、彼らをただの木片や石っころだとは思わない。それは本当にただの木片や石っころでは無いからです。そこら辺の石なんかとは違うのは、彼らが何かの意味や価値を宿しているからです。どこの国でも、そのような信仰は古くから大切にされて来たものなのです。私は魂を信じておりますが、この場合もはや大事なのは「魂がものに宿るか、宿らないか」ではなく、確かに宿った魂を信じられる人の健全な豊かな心でしょうね。その心でもってして人が何千年も生きたからこそ、様々なる文化は今日まで継承されて来たのです。
      長々と長文を失礼致しました。最近のコメントを見つけたのでつい自分の意見なぞ書いてしまいました。貴方の意見を否定したいのでは無い事だけ分かって下さい。

  • @user-jd3io3yh9c
    @user-jd3io3yh9c Před rokem +6

    落語みたい、志ん生の、お話しみたいですね!

  • @stapletonjohn
    @stapletonjohn Před rokem +1

    面白い😊

  • @robatajin
    @robatajin Před rokem +1

    その通り

  • @SuperAiaiaiaiai
    @SuperAiaiaiaiai Před 2 lety +1

    與那覇潤さんが引用してた講演か

  • @user-xo1qy9pr7k
    @user-xo1qy9pr7k Před 3 lety +8

    UFOから出てきた宇宙人が話していたのは日本語だったそうです。きっと小林さんのような話し方であったのでしょう。そう直覚しました。

  • @user-sq7rw5so6h
    @user-sq7rw5so6h Před 3 lety +5

    神秘なる暗示 普遍的概念 山の人生 柳田国男 酔っ払った小林秀雄

  • @user-lr4rd2zy7m
    @user-lr4rd2zy7m Před rokem +1

    この講演のテーマは、日本人の宗教性を物語として語られた点です。そう考えると宗教とは一つの物語と言えます(聖書しかり)。
    物語における絶対者は創造者による。そうすると私たちの為すべきことは、創造者(神)にすべてを委ねることではないでしょうか。

  • @user-bn6xy5mc2y
    @user-bn6xy5mc2y Před 8 měsíci +2

    この講義は、小林秀雄「本居宣長」を読むための大前提の視座を与えるものだと思っております(29歳・男性)

  • @nm4234
    @nm4234 Před 2 lety

    40:04

  • @user-fl2zv7qg7r
    @user-fl2zv7qg7r Před 10 měsíci +2

    神秘なる暗示

  • @robatajin
    @robatajin Před 6 měsíci +1

    本能かと思います

  • @oyamakouki5428
    @oyamakouki5428 Před 2 měsíci

    😮

  • @nownowswanow
    @nownowswanow Před 3 lety +19

    語りそのものが文学だな。

  • @user-st1jd5zg7d
    @user-st1jd5zg7d Před rokem +2

    この子殺しの山人の創り話しであったら、もし軽蔑の対象でなく哀れな感情を抱かれたほうがまだマシなんだなんて意味での嘘っぱちであったら…とか考えるのは何か話をブチ壊すかな?

  • @ikoihonda
    @ikoihonda Před 3 lety

    asmr

  • @awfaaabwaaa
    @awfaaabwaaa Před měsícem

    妖怪学、民俗学、もっといえば宗教があったからこそ、人間は恐怖の処し方を弁えていたのではないだろうか。
    今の現代人の態度は、白けた、心底なめ腐った態度か、一方で極端に警戒心が強いかの二つしかない。
    恐怖を一旦は受け止めるといった余裕がない。

  • @jiropushkin3563
    @jiropushkin3563 Před 11 měsíci +2

    学生時代日比谷公会堂で広津和夫と小林秀雄の文芸講演を聞いた。浅沼稲次郎が刺殺された場所である。広津はいつものように松川事件の話をするはずだったが数分間何も言わないでマイクの前に立ったままだった。すると両側から係員が駆けつけてきて彼の脇を抱えて連れて行った。過労でほぼ失神していたのだった。退場するとき「失礼」と大声を発した。
    小林秀雄の話はゴルフとスポーツマンシップのつまらない話だった。田宮虎彦あたりから大戦中の戦争協力について問われると、「頭のいい奴は謝罪すればいいんだ。おれは頭が悪いからあやまらない」といった。おいおい、頭のいいのが売り物じゃなかったのかいと思った。丸谷才一によると、日本の古典を理解するということは新古今を理解することだそうである。丸谷は新古今を理解できない小林が「無常という事」なんてエッセイを書く小林をバカにした。その「無常という事」が昭和29年の東大の入試に出た。東大の先生も大したことないんだなと思った。(ニューヨーク発)

  • @12monk25
    @12monk25 Před 8 měsíci +2

    恐れ入りますが、正確にはやなぎださんではなく、やなきたさんでは。

  • @user-wz9xo6ee8o
    @user-wz9xo6ee8o Před rokem

    福沢諭吉みたいなこといつたらあかん。分際を知れ

  • @user-wz9xo6ee8o
    @user-wz9xo6ee8o Před rokem +1

    柳田国夫がわかるのは俺だけ、俺だけ病モーツァルト、ゴッホ、小林ってのはヤバイよ

  • @user-pi8ym3rt4f
    @user-pi8ym3rt4f Před rokem +1

    小林は歴史から引込め。

  • @unakame
    @unakame Před rokem +1

    旨いもの食いすぎてきたんだなぁ~
    初めて聞いてるのに全く新鮮味がない😓
    ほんとにバカになったんだと実感‪w

  • @user-sf1cf3vp3k
    @user-sf1cf3vp3k Před 3 lety +1

    ソフトバンクホークスの柳田(ヤナギタ)悠岐をヤナギダと言う野球評論家が居ます。
    柳田(ヤナギタ)國男をヤナギダと言う文芸評論家が居ました。
    どいつもこいつも、、、