前線で武功をあげ出世した山内一豊の見どころ+関ヶ原の戦いで西軍が敗れた原因は北政所だった?(【YouTube限定】「第64回偉人・こぼれ噺 」BS11偉人素顔の履歴書 加来先生のアフタートーク)
Vložit
- čas přidán 12. 03. 2023
- BS11で好評放送中の歴史番組「偉人・素顔の履歴書」
番組収録後に、これから放送する回の見どころなどを番組人事部長で歴史家の加来耕三先生にたっぷりと語っていただく「偉人・素顔の履歴書」のアフタートーク64回目です。
今回は
2023年3月25日(土)夜8時放送、「山内一豊 編」の見どころと、
収録で話しきれなかったエピソードをご紹介。
常に前線で指揮をとりながら武功をあげ出世した山内一豊。
妻・千代の「内助の功」が有名だが、当時の女性の発言力はどこまであった?
豊臣秀吉に仕えていた一豊が山内家の存続のためにとった選択とは…?
『教えて!加来先生』のコーナーでは、
「関ヶ原の戦いでは、西軍が負けたのは小早川や脇坂らの裏切りが原因という事になっているが、それ以前に一番悪いのは、北の政所だったのではないか?」
「いつの時代から民衆や農民は、文字を読めたのか、どうやって学習したのか?」
など、視聴者の皆さまから寄せれた質問に加来先生がお答えします。
■出演
MC:中西悠理(フリーアナウンサー)
解説:加来耕三(歴史家・作家)
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• 「偉人・素顔の履歴書」
■番組情報
全国無料放送BS11「偉人・素顔の履歴書」
📺毎週土曜日 よる8時00分~8時55分放送
【番組公式HP】www.bs11.jp/entertainment/iji...
【BS11 イレブン じゅういっちゃんツイッター】 jyuittyan_bs11?la
<番組詳細>
戦国武将や幕末志士など、日本史にその名を刻む英雄・偉人たちの【偉大な功績】 と 【意外な素顔】 を、現代風に1枚の"履歴書"にまとめ上げます。
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BSが観られないのでYou Tubeで観てます。
毎回ほんとに楽しいです。
加来先生の知識の豊富さと悠理さんの歴史好きなところがとっても良いです!
一豊の事は千代の内助の功や関ヶ原の後に土佐に入った事くらいしか知らなかったけどこうやって話を聞くと興味が湧いてきます
本放送を楽しみにしてます
自分もそれと掛川城主ぐらいになったことぐらいしか知らなかったので為になります
おね様の表し方について、不満をぶっこんでくる、先生が素敵。
淀殿が無官位だったのは知りませんでした。
秀吉のねさんに対する配慮かと思いました。
戦国時代の奥さんは、相撲部屋の女将さんをイメージしました。
山内一豊と言えば大河ドラマの功名が辻の上川隆也さん、昔、テレ朝でやっていた功名が辻の宅麻伸さんが出演していたのを思い出しますね。ちなみに宅麻伸さんも大河ドラマに出演していましたが、奥さんの千代のお父さん役でしたね。
この前の長宗我部元親に続いて、土佐の大名をご紹介頂き、元高知県民としては嬉しいかぎりです。^^
最後まで生き残った武将のほとんどが、家老の意見を聞いた人。自分の意見を貫いた人は討ち死にか滅亡している。極端な話、人間は知力か武力か、両方持ってる人は極めて少ない。知力は妻に委ねたと思う。そして山内 容堂と続くことを思うと、家系の教えなど忠実に受け継がれている。
一豊さんに関して言えば、同郷に堀尾吉晴さんという面倒見の良い先輩がいたことが非常に大きいと思う~
司馬遼太郎さんの小説の影響で一豊さんの方が大河ドラマ化しちゃってますが、どう考えても一豊さんは吉晴さんの二番煎じなんですよね~
秀吉さんが直接信頼していたのは吉晴さんの方で、たぶん、その抱き合わせで一豊さんの出世があった感じじゃないかな~?
関ヶ原合戦後の論功行賞も、山内氏は難治の土佐19万石に対して、堀尾氏は松江24万石ですから大名の格が違いますよね~
堀尾氏は残念ながら直系が絶えてしまいましたが、もし明治まで続いていたならば参考史料も山内氏並に多く残ったでしょうし~
もしかしたら、司馬遼太郎さんも山内一豊さんでなく堀尾吉晴さんを小説にしていたかも?知れませんね~
識字率って、アルファベットしか使うことのない英語圏と、ひらがなカタカナ漢字を駆使する日本では比較するのが難しい。
しかも識字と文意を汲み取る力は、また別物。
中世ヨーロッパも聖書や法律の文言は母国語でなくてラテン語ですからね~
公式文書には漢文を使用していた江戸時代までの日本と少し似てますよね~
国内で文章でやり取りできるレベルでいいんじゃないかなぁ。お触れが読めるとか、巻物が読めるとか。
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え~と、江戸時代まで日本では、公的なお触れは表意式の漢文だったんですよね~
庶民の生活レベルでは表音式の仮名文字だったので、江戸の庶民はお気に入りの歌舞伎役者の名前とか、物語中の固有名詞や名セリフなどは覚えたことはあったでしょう~
今でいう、お気に入りの洋楽や映画をネイティブスピーカーで覚えて満足感を得る感じ~?
しかしながら、役所の文書を全て読み書きできるか?というと当然無理だったでしょうね~
だからこそ、武士の教育や知識には敬意を持っており、何かわからないことがあると没落牢人であっても相談しにいくような世の中だったろうと思われます~
今でいうと、裁判沙汰にあうと弁護士や行政書士に相談する感じですかね~?
なんだかんだ高知では人気無さげ😅。
でも素直に凄いことしたなと思う。
身分制度は延々と続いてきたのがいびつかもだけど…。
やまうちって言っちゃうと、かまいたち感がいなめない。
私はやまのうちかずとよ、と呼ばれていると思います。
還暦超えてますが、
私達が、初めてこの人物を、習った時は、
やまのうち かずとよ
と、言ってました。いつから変わったんでしょうか?
タイトル、敗れた原因ってのはなにか違うように思う。最初から淀派と政所派の戦い。
山内一豊の事績はほとんどが江戸時代の2次資料やから、あてにならん。
本編かとおもったら、見所ばっかり(>_
東軍にあり功あれど。日本の奥座敷一国をもらった山内家。。。
この距離感が微妙なの。。。
豊臣恩顧家臣
【武断派】
加藤清正
福島正則
黒田長政
池田輝政
浅野幸長
加藤嘉明
細川忠興
藤堂高虎
田中吉政
京極高次
山内一豊
伊達政宗さんから阿波の古狸と呼ばれ、妹さんを離縁されて黒田長政さんと絶交した蜂須賀家政さんもいるよね~
虫の命にも寸分の命
既出通り、「識字率」ってのには罠があって。
欧米の文字てのはアルファベット二十六文字…ほぼ「記号」だ。それと数字さえ覚えりゃ、とりあえず「文字を知ってる」という状態にはなる。
が、文書を読んで理解するとか、公文書や書物の類を読み下して頭に入れられるとかは、また別の位相。欧米の「識字率」てのは、そうした文章力も含めた統計になっていて。
なので、自分の名前が書けて読めるくらいではだめで、西洋の統計では役所の文書とか書籍とかを読んで理解出来ないなら、「識字者」とはみなさない。
一方日本の、特に明治以前だといろは+数字を覚えりゃ、漢字を使わずとも一応は自分の名前くらいは書けるし、ひらがな文なら何とか読める。絵草紙や黄表紙の類は、ひらがな、あるいは漢字+ふりがなが原則だったから、庶民相手の出版はそれで成り立った。
が、公的な文書や高札だのを、読み下して理解できる町人なんてのは、ごく限られていた。漢文調の公的な文体も庶民とは縁遠いものだったし。
出島の南蛮人が「日本では庶民が手紙を出す」と驚いた…なんて話はよく聞くが、ひらがなだけの、それも口語に近い文章ならそりゃ何とか書けたわけで。んでそれは、西洋の基準では「識字者」とはカウントされない。
この辺が、ニッポンスゴい系愛国ポルノ込みでどうもごっちゃになってる感があって。単純比較は出来ない。
最近は新聞どころか漫画も読まない映像情報onlyの日本人も増えてるらしいですよね~
そのウチ韓国みたいに漢字が無くなっちゃうかも?知れませんね~
その分、アルファベット表記が増えるから英語文化の吸収は早くなるみたいですから悪いことばかりでは無いみたいなんですが~
やっぱり自国文化の喪失量はハンパないですよね~
山内一豊は土佐藩に最悪の身分制度を敷いたので私は嫌いです。
読み方はヤマノウチだと思っていましたが
現在はやまうちが正式
もともと一豊さんのご先祖様は源頼朝さんの乳兄弟で、鎌倉の山内庄が姓の由来らしいのですから、関東管領の山内上杉氏と同じように『やまのうち』と呼んでていたようです~
北条氏に疎まれて鎌倉を離れた際に、移り住んだ場所が丹波と備後で一豊さんのご先祖様が移った先は丹波の方~
備後に移った山内氏は戦国時代のゴタゴタを経て毛利氏の長州藩家老として生き残りました、この山内氏は鎌倉期と変わらずに『やまのうち』を名乗っています~
話は戻って丹波の山内氏ですが、こちらも丹波にいる間は『やまのうち』と名乗っていたようですが、一族から尾張へ移るものが出てきまして、それが一豊さんのご先祖様です~
尾張に移ると岩倉織田氏に仕えたようで、名前がわかるのは一豊さんのお祖父さんである久豊さんから、父親の盛豊さんの時には家老格の黒田城代にまで出世してました~
この久豊さん、盛豊さんの頃の山内氏がはじめて『やまうち』と名乗る感じですから、もしかしたら尾張訛りの方言の影響だったのかも?知れません~
そんな主君に合わせて姓の名乗りも変化させる?ご先祖様の性格を受け継いだ一豊さんが、小山評定でハンパない奉公魂を他に先駆けて披露し、関ヶ原合戦後に土佐一国を得る大大名へと見事な出世を成し遂げるワケですね~
ヤマノウチが正解です。
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大河ドラマではヤマノウチ。
やまのうちかずとよ
小山評定や大政奉還とか山内家って出しゃばりなのか面従腹背なのか…
大正以降も金満家番付表に名を残した大名系の金満家御三家は、前田氏、鍋島氏、そして山内氏だったらしいっす~
日本の識字率99%で欧米は100%、ホントかよ。
山内一豊の山内を「やまうち」と読むと、違和感を感じます。そんなふうに感じる私が心の狭い人間かも知れませんが、感じてしまうんです。加来先生は「やまのうち」と呼んでいました。そこにも打ち合わせ不足ではないでしょうかと、思ってしまいました。
思い込み.やまうち読みが現在は常識
@@masatonk9152 そうですか。知らなかったです。
一豊さんの家系の土佐山内氏は『やまうち』ですが、本家筋である備後や丹波の山内氏は『やまのうち』だそうです~
由来は鎌倉の山内庄からなので関東管領の山内上杉氏などと同じように、もともとは『やまのうち』だった名が尾張に移って『やまうち』へと変化した感じだと思われます~
@@user-jm2ze4ub9s 様
すごいです。有難うございました。
また一つ賢くなりました。
高校の同級生に『やまうち』と『やまのうち』がいました。(笑)
@@Youonlylive2
呼び方普通に間違えそう~笑
ちなみに賢(かしこ)いという字はもともと日本では畏い恐いという漢字を使っていたようで、占いや神事を執り行う人たちをそう言って文字通り畏れ敬っていたようです~
今の日本でも残っている?のがお酒の呼び方で、清酒を聖(せい)と呼ぶのに対して濁酒を賢(けん)と呼ぶのは、神事をおそれと呼んだ当時のお酒ということからくるらしいとか~
お酒を作ることが神事だったからこその呼び方の由来っすよね~
天下の北政所こと高台院さんは実際のところ、そんなに徳川家康さんと親密な関係だったワケでは無いそうですよね~
関ヶ原合戦の時に豊臣の武断派大名たちは大して深く考えることなく家康さんに与力していた感じだったので~
大坂の陣を経て豊臣が滅亡すると、天下分け目だった関ヶ原で豊臣を裏切った不忠者という汚名を受けるのが嫌で、後から勝手に高台院さんを旗頭に祭り上げたんじゃないか?と思います~
もし、高台院さんが関ヶ原合戦の際に全面的に徳川家康さんをバックアップしていたならば、天下人になった家康さんも高台院さんの意向を無下にすることなど出来ないハズなのに~
その後、高台院さんの兄である木下家定さんの跡目問題で、家康さんは高台院さんの意向を無視して強引にお家取り潰しにしてますからね~
もし、秀吉さんと二人三脚で豊臣氏を築き上げた高台院さん自身が天下分け目の関ヶ原で家康さんを全面的にバックアップするとなれば~
空手形が当たり前の戦国の世で外交文書なしに口約束で動くなんて、高台院さんからすれば非常に不自然な行動ですし~
関ヶ原で一番の功名を上げた小早川秀秋さんは、木下氏から豊臣、小早川へと養子縁組した可愛い甥御さんですから~
そういった関係の深い豊臣武断派の大名たちの将来を守るために、高台院さんがはじめから徳川方に同心していたという事実を後付けしちゃった感じじゃないのかな?と思うんですが~
実際は、どうだったんでしょうね~
長文アイタタタ
誰かに相手にされたいんやろ
山内一豊のお陰で先祖が没落しました。
一番たくさん他家を没落させた人は~?
天下人家康さん~🎊
長宗我部さん?
秀吉の備中高松城攻めで先祖が没落しました😢
かわいそうだね
なるほどぉ〜・・・
ってことはァ〜
昭恵殿?
昭恵君?
どっちが正しいんだろ?
ヨメもいろいろやで。ええ嫁をもらえよ。
土佐の民を不幸にした山内さんか
中西悠理は降板させて別の人にMC変えた方がいいよ。勉強不足だしMC向いてないよ
識字率、そうして計測するの???