【江戸時代】184 賄賂政治?革新的?田沼意次ってどんな人?【日本史】
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• 【江戸時代】185 松平定信と寛政の改革【日本史】
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• 【江戸時代】183 徳川吉宗と享保の改革【日本史】
〇目次
00:00 概要
00:27 徳川家重と大岡忠光
01:34 徳川家治
02:17 田沼意次
03:07 賄賂の横行
04:39 側用人と老中
05:12 重商主義
06:33 株仲間の積極的公認
07:14 蝦夷地開発計画
08:27 貿易振興
09:26 反田沼
10:13 田沼意知
11:19 おわりに
○参考書籍・サイト
大石慎三郎著『江戸時代』中公新書,1999
amzn.to/3GH4y8F
深谷克己著『日本の歴史6 江戸時代』岩波ジュニア新書,2007
amzn.to/3GtyLYz
奈良本辰也著『日本の歴史17 町人の実力』中公新書,2005
amzn.to/3wRpvsR
北島正元著『日本の歴史18 幕藩制の苦悶』中公新書,2006
amzn.to/3wRnX3h
藤田覚著『日本近世の歴史4 田沼時代』吉川弘文館,2012
amzn.to/3wTjnBu
横山伊徳著『日本近世の歴史5 開国前夜の世界』吉川弘文館,2013
amzn.to/3lRYhgM
五味文彦・鳥海靖編『もう一度読む山川日本史』山川出版社,2009
amzn.to/3lNFvHj
詳説日本史図録編集委員会『詳説日本史図録』[第8版],山川出版,2020
amzn.to/3GsbMx0
全国歴史教育研究協議会『日本史用語集 A・B共用』,2014
amzn.to/3lTNliG
国立国会図書館デジタルコレクション
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#日本史 #教育 #授業
田沼意次は生まれる時代が早すぎた感ある 幕末とか明治に生まれていたらたぶん偉人になってた
現代に近い発想を持って行っても、過去で通用するとは限らないって、まるでネット小説の逆をゆく展開ですな。
授業で田沼はものすごいイケメンだったと教わったからまた見にきた
すごく中立的でいいわ〜
田沼意次と徳川宗春が成功した世界線を見てみたい
よしながふみさんの大奥を読むと
この時代の田沼意次の奮闘と苦悩がよく分かります
工藤平助は仙台藩の医者ですよね。ちゃんと仙台藩のあたりに文字を配置しててよく動画作られてるわ
文字に現れない正確な情報を与えてるし、動画主は深く細かいところまで理解してる
テスト期間お世話になってます🙏🏻💭
7/4~期末試験なのでそろそろ勉強開始します!!
またよろしくお願いします🥹😆
江戸幕府の行った株仲間も、平安時代にあった座と似てる感じですね
販路や生産の独占を認める代わりにその元締めから上納させるシステム
徴税って実はとても難しくて、農民の年貢は田畠の広さで決まるけど、
町人や商人は間口の広さやで決めるくらいしかないので、結果江戸時代は武家を凌ぐ豪商ができたらしいです
いわゆる累進課税が難しい時代だったので、昔はそういった株仲間的なものを公認してみたいですね。
平賀源内も田沼意次のバックアップがあって活躍できた。
松平武元は1779年まで老中首座の地位にあったから、前半は田沼だけの政策というわけでは無いのと全国的に一揆が頻発したのにそれを止められなかったのも痛かった。
田沼時代から今のロシアの専横が…
田沼意次がいたからこそ北海道は日本の領土になったし、田沼意次も日本を守った英雄なんだよな。
今はゲーム等の影響があってか、史実とドラマの境目が無茶苦茶になってます。資料がない時代等は商業的に理解はできます。見る側がしっかりとしてないと間違えます。その間違いを見つけるのも歴史の面白さだと思いますが、あまりにも小説・ドラマを信じ過ぎていた自分が恥ずかしくなる時があります。古文書を読み、現地を歩くのは大切ですね~。丸竹さんに期待しています。
ここが江戸幕府の本当の大切な曲がり角だったように思いますね。私が小中学生の頃は田沼時代は賄賂が、、となってたけど、次の松平定信期の改革を見ると、復古と揺り戻しばかり。建武の新政とは言わないけど、結局、回帰政策をしてもダメなんですよね。
田沼時代を享保、寛政、天保の改革と並んで、宝暦明和の改革と呼んでもいいと感じるけど、そうならないんだよね。。天候とあまりにも実体経済に即した改革だったんだろうか?寛政期に「白河の清き水にも住み慣れて もとの濁りの田沼恋しき」となるけど、庶民も勝手だよなと小学生の頃に思ったものです。
おお、ちょうど丸竹さんのチャンネルで田沼意次取り扱っていないかなと調べたら揚げたてホヤホヤだったわ
剣客商売では
父親としての
意次も描かれていますよ
意次の不運は
息子の意知を
失ったこと
意知が存命なら
定信は吉宗の孫の1人としてしか
見られなかったかも
私も剣客商売ファンなので比較的田沼意次には好意的です。(笑)
田沼の悪評を流したのは松平定信である。田沼は死後、借金しか残していなかった。幕府の財政を立て直す事しか考えていなかった。
田沼の重商主義が継承されていればその後の江戸幕府も違うものになっていた。
江戸時代最初の転換点だった武断政治から文治政治への転換は成功したけど、重商主義への転換に失敗して江戸幕府の寿命が縮まった。
幕府滅亡の原因を外圧と断ずることは簡単だが、田沼の政策を否定したことで内政が行き詰まってしまったことも事実。
田沼の賄賂政治は批判されましたが田沼の政策が否定はされませんでしたよ。松平定信は田沼意次の政策をことごとく覆したと言われがちですが、近年ではむしろ寛政の改革には田沼時代の経済政策をほぼ継承しているとされています。
幕府が改革において講じた経済政策は、株仲間や冥加金、南鐐二朱判、公金貸付など、実は田沼政権のそれを継承したものが多かったのです。
また田沼の蝦夷開発は否定されたとよく言われますが、田沼の蝦夷開発は”いったん停止”されただけで否定はされませんでした。実際には寛政の改革当時の定信を含め幕閣の間において蝦夷開発構想はむしろ肯定的に支持されており、江戸近代史を専門とする藤田覚教授によれば蝦夷開発の構想は田沼失脚後も勘定所を中心に老中を含む幕府のかなりの部分にまで支持されて浸透していたと述べられています。実際、寛政11年には幕府直轄にしての開発が開始されました。
9:03 なんですけど、いりこって魚じゃなくてナマコを干したものだと思います
待ってました!
株仲間って政府は儲かるけど株仲間が独占して価格決めたら庶民はたまったもんじゃないよね
独占でも、売れる値段でしか販売できない。株”仲間”だから、同じ業界の商人がたくさんいて、実際は独占ではないし寡占的。
自分の地元では今でも田沼街道というのもあり、極悪人という他の地域とは違う評価がありますね。
新井白石よりはマシ
あーこの方一年前に知りたかったなあ😢
国主大名が家格を上げるために買官運動を行って田沼意次に賄賂を渡していたのもありますね。
映画の「殿、利息でござる」で羽生結弦さんが演じていた伊達重村も買官運動で多額の賄賂を送っていたようです。
1:13 ここは「家重は〜(中略)〜幼い頃から仕えていた側用人の大岡忠光」ではなく、「家重は〜(中略)〜そこで、8代吉宗の時代に廃止されていた側用人の職を復活させ、その職に家重に幼い頃から仕えていた大岡忠光が任命された」が正しいと思います。
工藤平助に対する田沼の反応とその後の幕府の政治を比較すると彼の凄さがよく分かると思う。
また、工藤平助の考えを引き継いだ林子平や高野長英などに対する幕府の対応を見ると、これ以降の幕府がいかに愚かで保守的だったかが理解できる。
当時やそれ以降の平凡な日本人には理解できない抜群の経済センスを持った合理主義者。
彼の登場によって日本の近代化が進んだが、彼の失脚により近代化がずいぶん遅れてしまった。
田沼意次公は最終的には鎖国を止めて外洋に進出、交易で国を富ませようと考えていたらしいね。
株仲間の公認は、市場の寡占・独占に繋がり市場の流動性が阻害される危険性もある。国は基本的に経済市場に介入すべきではない。
しかし、明治になって日本の経済を急速に押し上げが財閥だったのも事実。
清濁併せ飲む人じゃないと大きなことってできないね
田沼意次の父親は吉宗が紀州藩主時代は吉宗の側近だった人物ですね。
吉宗が将軍になった際に彼は幕臣になりました。
田沼自体は、静岡・御前崎に領地がありましたね!
田沼意次かわいそうやな
今も昔もこの国では、国を富ますためにドラスティックな改革をする者は大衆から忌み嫌われる運命なのだなぁと嘆息しました。
そりゃ国が富んだって大衆が富むとは限らないし
私は田沼興次の末裔 公家の家系 曽祖父の誇り
田沼意次は古い時代劇で典型的な悪役として描かれていた人物、あれはあれで娯楽として楽しかったけど随分悪いイメージだったんだろうな。
まぁ当時としては斬新且つ革新的な思考回路は周りから白い目で向けられてしまうのも無理はない
もう少し後の時代に生まれていれば英雄になれたに違いない
「徳川御三家プラス譜代衆」対「成り上がり者」という構図ですが、豊臣秀吉以来の「偉大な成り上がり者」であることは間違いありません。ところで、田沼意次は、家治の後継者である家基を暗殺したと言われていますが、どうなのでしょうか。
家治は自分の父と祖父を見て自分は何もしないのがいいと思ったようです。
なので政治は田沼意次に任せることになりました。
田沼意次が老中に 1772年
非難あれど(17) 何とか(7)負担(2) 減らさねば
結局、意次は豊かな商人から徴税して幕府の疲弊を補ったのではないのですか?私は吉宗の頃から何故、商人に課税しないのかと不思議に思っていたので、意次がそれをやったと聞いて拍手喝采の思いがしましたが、、、、
その後孫が藩を存続し、明治まで残ったのが救い
田沼主殿頭意次は権勢を誇っていたため、兎角、老中首座であったとか
勝手掛老中であったとか、時代劇などで縷々、指摘されるが
史実では田沼は、老中首座でも勝手掛老中でもなかったことは押さえておくべきでしょう。
名前くらいは知ってる、ってレベルの無情報から聞いた感じだと、名参謀とは行かないまでも、割りかし良い政治してたように感じますね。
株仲間の話にしても、公共工事の入札みたいな感じがしますし、賄賂が無ければ、合理的な仕組みになり得たのかな?と思います。
今は賄賂嫌いますからね。その割に横行してて盗人猛々しい政治家が跋扈してますが。
👍👍👍
田沼意次の出世のきっかけは
郡上一揆を解決したこと。
その教訓から田沼の領地では
年貢が軽かったようです。
私腹を肥やすタイプなら
そうはしなかったかと。
株仲間→株式会社
亀山社中をカンパニーの始まりと言うけど、大間違いでした。
賄賂の横行の業会という漢字「業界」の間違いではないでしょうか?
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袖の下田沼意次!!マンガでは、良い面もあるが大体は袖の下で金持ち大名!!昔は田沼意次、今は二階さん!!っう事やな。二階氏も他国のスパイ政治家から袖の下を貰って日本の国会に推薦して入閣させてるからね。田沼意次と遜色無しやわ。漫画の剣客商売に出てる田沼意次は良い老中の役をしてるが、実際は袖の下政治をしてた。
日本は、清盛の時に既に貿易が営まれていたんだよね。室町は貿易による利益で金満だったようだ。だから応仁の乱以降戦国時代も長い間続けられたようだ。戦国時代も各豪族がここに貿易をしていたようだ。半島を目指したのかと思うと全く違っていた。日本人は貧乏な半島を嫌っていたようだ。主にフィリピン貿易。タイ・インドとも貿易があったようだ。中には海賊もいた。日本人は恐れられていたようだ。中国ともあったようだが、主に中国人は通訳で、フィリピンが中心で、スペイン・ポルトガル・オランダと貿易していたようだ。秀吉もフィリピンとそこを植民地にしたスペインと貿易をした。日本を統一してからは豊臣幕府のみが貿易権を握るようになった。貿易の拠点とするために台湾に秀吉に従うよう文を出すも、当時台湾には統治者がいなくて、そのまま占領したようだ。家康も貿易に積極的だったようだ。貿易品は鉄砲・刀・船のようで、日本の技術力と生産力のすごさが証明される。日本は改革と言うと緊縮を良しとしたがるが、パイを広げなくてはGDPが上がらないことが理解されない。意次は悪い人ではなかったが、生産に疎かったことで、消費の成長に合わない政策が身を滅ぼした感がある。江戸は凄い時期で、明治は江戸末期の小栗上野介が作ったと言っても過言でないようだ。鎖国を強調する社会の教科書って何だろうね。戦国時代に既にアメリカに行ける船を持っていた、それも国産で。技術はスペインのものとしても自前で建造でき、できもよかったようだ。それを考えると、意次の改革は必要なかったから殺されたんだろう。