【ゲスト:與那覇潤】歴史学はオワコンか? 文明論は復権する!!
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- čas přidán 14. 06. 2024
- 『翻訳の政治学:近代東アジア世界の形成と日琉関係の変容』(岩波書店、2009年)、
『中国化する日本:日中「文明の衝突」一千年史』(文藝春秋、2011年)などで
気鋭の歴史学者として注目を浴びた與那覇潤氏は、
2018年4月に「歴史学者廃業記:歴史喪失の時代」
(『歴史がおわるまえに』亜紀書房、2019年、に収録)を発表し、
クロノロジカル(年代記的)な歴史観が
現代日本において失効しているのではないか、
という問題提起を行いました。
さらに與那覇氏は、
新型コロナウイルス禍への歴史学者の対応に絶望し、
『歴史なき時代に』(朝日新書、2021年6月)で
「時間軸」を捉える意識を失っていると激しく批判、
2021年8月に刊行された『平成史』(文藝春秋)を最後に
「歴史学者」という肩書を放棄し、
元歴史学者・評論家として活動しています。
しかし私が見るところ、與那覇氏は、
「正しさ」に盲従し、枝葉末節のファクトチェックにのみ終始する
日本のアカデミズムにおける歴史学に愛想を尽かしただけで、
「歴史感覚」の必要性そのものを否定しているわけではありません。
そこで私は與那覇氏に文明論の名著を一緒に読み直すことを提案し、
ふたりで『教養としての文明論』(ビジネス社)を発表しました。
www.business-sha.co.jp/books/...
與那覇氏の言葉を借りれば、
今や歴史学は私たちの生きる現実と切り離され、
オタクの趣味としての「ガンダム学」と大差ない。
そんな現状を打破する上で、
文明論・文明史はどのような有効性を持つのか。
『教養としての文明論』に込めた問題意識について、
大いに語っていただきます。
視聴者の皆様からの批判・異論、大歓迎です。
「いま」の連続を生きるしかないという
「冷笑系」を克服し、
本当の意味で「役に立つ」歴史を共有するために、
ぜひ一緒に議論しましょう。
(文責:呉座勇一)
【楽曲提供: Recto Berso】
オープニング Recto Berso / Vision
• Vision
エンディング Recto Berso / The Mood Will Change (When I Find A Flower On The Road)
• The Mood Will Change (...
38:35 『「反・東大」の思想史』 尾原宏之
1:20:05 渡辺京二さんの『逝きし世の面影』ですね。失礼しました。
與那覇さんのことは存じ上げませんでしたが、共感する部分が多く著書を読んでみたくなりました。
大きな見取り図を歴史学者が示すことは、内輪ではウケが悪いと思いますが社会には必要なように感じます。
一次資料をしらみ潰しに漁る学者、それをその時その時ごとに可能な限り矛盾のないストーリーで纏める学者。
どちらも必要だと思います。その見取り図がある程度共有されたあとの価値判断は学者の手を離れて良いかと。
初めてこのチャンネルの動画を見て、ついでに初回の動画も倍速早回しで視聴し、チャンネル登録しました。春木さんと呉座さんの今後の一層のご活躍に期待します。【追記】ついでながら、テーマ音楽の演奏者「Recto Berso」の名前は、あえてRecto Versoとは変えているということですかね?
ありがとうございます。おっしゃる通り名前の由来は「Recto Verso」とのことです。
www.rectoberso.com/profile.html
@@haru-goza ご返信ありがとうございます。なお、細かいことですが、ラテン語自体では「recto」「verso」は「おもて」「うら」という意味にはなりません。そういう意味で(つまり名詞として)recto、versoを使っているのは近代(或いはむしろ現代?)の写本研究者だ、と言ってよいのではないでしょうか。辞書等で確認してみると良いかもしれません。こういうハンドルネームを使っているもので気になってしまって、細かい話ですみません。
これは神回
オスマン朝研究の鈴木董先生は歴史学者として文明論を扱っていらっしゃいますね 24:17
おめでとうございまろ〜
與那覇さんの話は考えさせられます。NewsPicksの動画も見ました
研究が細分化した今の歴史学は、歴史クラスタと呼ばれるごく僅かなオタクへの局所的な影響力しか無く、社会における一般教養としての価値は低くなったと感じます。
こだわりが強い一方で見えている範囲が狭い自閉気質で陰キャな歴史研究では、ITやAIの急速な発達により、高い応用処理能力やコミュ力を必要とする一般社会から見放されてオワコン化するのも仕方ないかと。
呉座さんが応仁の乱の具体的な知識を抽象化して第一次世界大戦になぞらえたような、専門知を社会化して伝える姿勢を他の歴史研究者も大切にして欲しいと思いました。
レベルの低い話をしている、呉座先生は歴史については超一流の評価を得ているのだから、
歴史の枠を守った方が良い、最近、網野善彦の対談集が岩波文庫から出たが、
その数十年前の議論よりも著しく退歩した内容、悲しくなる、