【485系の幕回し】特急いなほの終着・新潟駅でトレインマーク変換 いろんな列車名がゾロゾロ
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- čas přidán 23. 08. 2024
- 1989年7月撮影 青森始発の特急「いなほ10号」が新潟駅に到着、ヘッドマークの
変換をするところです。
1989年の時点で、特急「いなほ」の車両は8往復中7往復が青森運転所の担当でした。
(1往復だけ秋田。他に臨時1往復が新潟の車両)
青森発着は1往復だけですが、その1往復で車両基地への出入りをしていたわけです。
盛岡-青森・函館間の「はつかり」と共通運用。函館発着の「はつかり」はATC編成の
限定運用ですが、運用数3に対して6編成が装備していたので「いなほ」にも常に
1~2編成、ATC編成が使われている状況でした。
「いなほ10号」は新潟到着後、「いなほ11号」酒田行きになります。
列車名は変わりませんが、側面の行先表示を「いなほ・新潟」から「いなほ・酒田」へ
変えるための作業。
[出てくるヘッドマーク]
・「白鳥」 大阪-青森間の特急。1985年3月改正までは青森車の担当。
1982年11月、急行「しらゆき」を格上げしてしばらく2往復体制でした。
(そちらの運転区間は福井-青森。1985年3月改正で系統分割、「北越」「いなほ」
などに編入され、再び大阪-青森間の1往復に。)
・「あいづ」 上野-会津若松間の特急。1989年の時点でも運転されていましたが、
秋田車の担当(上野直通「つばさ」と共通運用)。
・「鳥海」 1982年11月、上越新幹線の開業で、上野直通だった「いなほ」が
新潟発着に改められましたが、“大宮暫定開業”のため乗換え2回の負担が生じる
ことから、1往復だけ上野直通を存続。新「いなほ」と区別するため「鳥海」と
いう列車名になりました。
もともと同改正までは上野-羽越本線経由-秋田間の夜行急行(寝台座席混成)の
列車名で、そちらは寝台特急に格上げ、「出羽」という列車名に。
1982年11月~1985年3月までの運転区間は上野-羽越本線経由-青森。
車両も「白鳥」3・2号と共通で青森の担当。
1985年3月、上越新幹線の上野開業に伴ない臨時列車になりました。
運転区間も上野-秋田間に短縮、秋田車7両編成。運転される日も
次第に減り、1988年3月の改正後はGWも夏休み期間も登場せず消滅。
その後、山形新幹線の工事本格化により寝台特急「あけぼの」が迂回運転
されることになり、1往復が陸羽東線経由・1往復が羽越本線経由となりました。
その羽越本線経由が「鳥海」として列車名復活。
昼間の電車特急だった時の絵入りマークがそのまま使用されました。
・「むつ」 秋田-青森間の急行「むつ」を格上げ、1985年3月登場。
3往復が格上げされましたが、2往復分は特急「たざわ」が盛岡-秋田-青森と、
大回り直通運転する運行形態がとられ、秋田-青森間の「むつ」として運転されたのは
朝の下りと夕方以降の上り1往復だけ。
しかしこの時間帯は前後に寝台特急が運転され、秋田以北は立席または指定席の料金で
乗車できたことから需要的にそれで十分だったとみられ、1986年11月改正で消滅。
車両は青森の担当で6両編成。
・「つばさ」 奥羽本線の特急。
東北新幹線上野開業後は福島-山形・新庄・横手・秋田間の運転が多くなりましたが、
上野直通の1往復も山形新幹線開業まで運転されていました。
それらの車両は秋田の担当。ただ、急行「こまくさ」格上げによる山形-青森間の
「つばさ」が1往復あり、1985年3月~1986年10月まで青森車が担当していました。
「いなほ」「むつ」「はつかり」と共通運用。
・「普通」 1988年3月から、青森-蟹田間の一部列車に485系を使用。
そのほか「団体」「臨時」「試運転」「回送」
--
…以上です。共通運用である「はつかり」のヘッドマークは「いなほ・新潟」から
「いなほ・酒田」までの間には入っていないようです。
1985年8月8日(木曜日)に青森駅構内で特急むつ号の写真を撮影しました。
他にL特急たざわ号と寝台特急日本海号。
三戸駅から寝台特急ゆうづる号(立席特急券)に乗って行きました。
当時の体験談ありがとうございます。
私は1985~86年にかけて、秋田・青森方面には(北海道旅行の行き帰りを含め)
3回出かけましたが、日程の都合や乗りたい路線・列車の優先順位もあって
結局特急「むつ」には乗れずじまいでした。
※うちのchに「はつかり15号」青森到着の音声コンテンツを置いてますが、
その中で同行した従兄が撮った24系ゆうづるや25型日本海の静止画写真も
使用しております。
この頃は、今と全然違い、青森運転所の485系(盛アオ)だけででなく、北陸方面からやってくる「金サワ」や「京ムコ」の485系・489系も見られ、実に多彩な顔ぶれでした。国鉄時代の広域運用がまだ色濃く残っている良い時代だったと思います。
この頃の「いなほ」には秋田車(秋アキ)も1往復使われてましたね。
上沼垂車のグレードアップ期間中は、通常の全検要検より工期が延びるから
予備編成確保目的で勝田車1編成を借り入れていましたし。
あと「かがやき」増発~6両化絡みの転属・組替えで、金沢車7両グループの中に
全般検査表記が「鹿児島車所」となっている車両が入ってたこともありました。
(国鉄終盤から青森→鹿児島→福知山→金沢と転属、福知山時代は増結用だった
期間が長く、休車で検査時期が延びた結果と思われます)
国鉄形特急電車の愛称幕や行先表示幕も昔は当たり前のようにあったのに今のJR形特急電車ではLED に代わり改めて車輌の世代交代と時代の流れを感じますね。
次に運用に入る列車の列車名・行き先に切替えるだけだから、セットされているもの全てが
出るわけではないけど(実際この変換で「はつかり」は出てない)、運用範囲の広さを示す
ものとか、数年前に引退してしまった列車名も残っているのが次々出てくるのが
興味深かったですね。
LEDも、ひとつの列車に対して複数の表示が交互に出てくるとか、電動幕にはない面白さも
あるにはありますが。
白鳥のコマが3つに入っていることが面白いです。
福井ー青森の白鳥かあったので、それと関係あると思います。
視聴ありがとうございます。
側面の幕は撮ってない(細かく観察してない)ので断定できませんが
「白鳥 福井」または「青森 白鳥 福井」という表示もあった可能性は
高いですね
むつは短命でした。
鉄道にあまり詳しくないのですが、気になったので。なんで同じ幕が複数あるんですか?
車体側面(乗降扉の横)に行先表示幕があるのでそれとの連動の絡みかと。
そちらもバリエーション多かったから、撮っておけばよかったと後悔。
※車両基地で中間車の一部を組替え・増結するなどして表示の食い違いが
出た場合、どう修正してたのかは謎のまま。
なるほど。行先表示とも連動していたんですね。ありがとうございます!
やまばと期待しちゃいました…
ごめんなさい、(このビデオを撮った頃)一部の編成には「ひばり」と
「やまばと」が入っているのを見たのだけれど…。
まだ特急白鳥が健在だった頃、当方も新潟駅にて新カヌ(当時)485系のヘッドマーク回転を見たことがあります。
はつかりやこまくさが入っており、驚きました記憶。
いなほで青森・秋田に着いた後、間合いで使うことを想定? ……などと妄想しましたり(笑)。
白鳥・雷鳥の廃止後ヘッドマーク・側面幕共に内容が整理されましたが、回転時は空白が続いて面白みは無くなりましたね。
1992年、臨時いなほ(上沼垂9両編成)に乗車したとき、ホームで写真撮ってたら
(ビデオカメラは充電が間に合わず持ち出し断念)1号車クハ481-1502の愛称幕に
「はくたか」のマークが入っていました。
上野直通時代の、水色基調マーク。青森→上沼垂へと転属し、金沢も向日町も
在籍経験がない車両なので驚きました。
別動画にあるように、青森→向日町→上沼垂と転属したクハ481-260は「いなほ」
のマークすら外されて白無地で臨時いなほの運用に入っていたのに…。
幕を回してる状態でしたが全体が表示されるタイミングで撮影しておきました。
※そのうちスライドショーで使おうと思いつつ、まだ保留したままです。
「ひばり」が有ればもっと面白かった。
視聴・コメントありがとうございます。…そうなんです。この当時も、編成に
よっては「ひばり」「やまばと」のマークが入っているのを確認していたの
ですが、いざ撮ろうとするとなかなか思い通りには…。
czcams.com/video/tNKEHgEh00M/video.html
こちらは「ひばり」のマークが入っていたのにほぼ撮影失敗した動画です。
秋田電車区のサボか……。今は電光掲示板のヘッドマークのため、歴史を感じる。
視聴・コメントありがとうございます、
この編成は青森運転所の所属ですが、ご覧のとおり秋田担当の列車の
マークも入っていました。(このビデオを撮った頃は青森と秋田、
相互の転配属もよくあったので、それも関係していると思います)
今は電光式のヘッドマークか、ヘッドマーク自体がない特急が多いですね。
行先表示も電光式が増えて…側面の幕回しも撮っておけばよかった。