幻の「本州アイヌ語」を復元する [Emishi/Honshu Ainu Language]

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  • čas přidán 29. 08. 2024
  • 失われたエミシの言語の世界をのぞいてみましょう
    参考 千島アイヌ語 • 幻の「千島アイヌ語」を復元する [Kuril...
    参考 アイヌ祖語 • 1000年前のアイヌ語を再現する (Pre-...
    参考 隼人語 • 【日本語の歴史】アイヌ語だけではない日本先住...
    追記メモ アイヌ語で「貝」は sey だが、伊豆大島方言で「カメノテ」を「セイ」と呼ぶらしい。非常に古い借用かもしれない。

Komentáře • 545

  • @Ezziokia1112
    @Ezziokia1112 Před 3 lety +213

    1:03あたりで本州で話されてた未知の言語、知りたいですよねって、スンッて休止入るのマジで知りたいんだなって思えてすき。

    • @user-vk4jl8fu6w
      @user-vk4jl8fu6w Před rokem

      オホーツク漂白民の言語を拾いう集めてアイヌ語を創作するな!もともとアイヌは存在しなかっつた。なぜ?オホーツク乞食が日本縄文人少女を強姦して誕生したから。その時期は?モンゴル軍に追われた鎌倉時代13世紀。オホーツク民は統一した言語はなかった。なぜなら、混合民族で多種類の北方民族言語が使われ、統一されて否かっつた。鎌倉時代はモンゴルなどの北方民族に厳しい監視があり、とても本州で暮らせるじょうきょうではなかっつた。鎌倉幕府はモンゴルの使者が属国になれと手紙をもって偉そうに将軍に会いに来た.
      EUの大半国を打ち破っつたモンゴルの使者に日本の外務省は小便をチビリ驚愕した。しかし、鎌倉幕府武家の棟梁である。ビビる外務大臣に、即、モンゴルの使いの首を切れ!と決断した。今のアホ政治家にはできない。このような時代に、オホーツク乞食が鎌倉や京都に住めるはずがない。即座に、首をはねられる。本州アイヌ語があるはずがない、うそつきはアイヌの始まり、韓国人の始まり。

    • @user-vk4jl8fu6w
      @user-vk4jl8fu6w Před rokem +1

      北海道以外の考古学遺跡にアイノ文化遺跡、アイノDNA人骨遺跡が皆無。本州の文献で多くの種族名があるがすべて縄文人部族である。縄文人弥生人のDNA調査で最近の成果は、縄文人と弥生人の区別ができない。すなわち、縄文人と弥生人は遺伝子学的に同一民族であった。人骨の外観、形状や、遺跡文化「土器」の違いから縄文人、弥生人と区分したアホな先駆者が居たことになった。 アイヌが日本先住民と捏造されている。しかし、遺伝子学的に、帰化人の子孫でない限り、日本人のほとんどは縄文人遺伝子を引き継ぎ保有している。沖縄人も日本縄文人遺伝子を保有している。アイノを除き、沖縄人を含む日本人は日本先住民族である。

  • @thubir
    @thubir Před 2 lety +335

    大学の講義ビデオが、間違えて一般公開になってしまっているのかと思うほどのクオリティ。

    • @FullMetalTrilobite
      @FullMetalTrilobite Před 2 lety +52

      大学レベルでなくて、大学院レベルかもw

    • @user-vk4jl8fu6w
      @user-vk4jl8fu6w Před rokem

      オホーツク漂白民の言語を拾いう集めてアイヌ語を創作するな!もともとアイヌは存在しなかっつた。なぜ?オホーツク乞食が日本縄文人少女を強姦して誕生したから。その時期は?モンゴル軍に追われた鎌倉時代13世紀。オホーツク民は統一した言語はなかった。なぜなら、混合民族で多種類の北方民族言語が使われ、統一されて否かっつた。鎌倉時代はモンゴルなどの北方民族に厳しい監視があり、とても本州で暮らせるじょうきょうではなかっつた。鎌倉幕府はモンゴルの使者が属国になれと手紙をもって偉そうに将軍に会いに来た.
      EUの大半国を打ち破っつたモンゴルの使者に日本の外務省は小便をチビリ驚愕した。しかし、鎌倉幕府武家の棟梁である。ビビる外務大臣に、即、モンゴルの使いの首を切れ!と決断した。今のアホ政治家にはできない。このような時代に、オホーツク乞食が鎌倉や京都に住めるはずがない。即座に、首をはねられる。本州アイヌ語があるはずがない、うそつきはアイヌの始まり、韓国人の始まり。

    • @dio3869
      @dio3869 Před rokem +15

      ロシア下院「アイヌ民族はロシアの先住民族」←結局これどうなるんやろうね

    • @Tantatatantan
      @Tantatatantan Před rokem +1

      @@dio3869 ロシアでも日本でも、アイヌ民族が民族自決やナショナリズムに基づいたアイデンティティをもっていないので大した脅威じゃないと思いまーす
      こういう口上は抗争地に在住する住民を動かすために用いられるものなので

    • @user-wr4xw9ef5r
      @user-wr4xw9ef5r Před rokem +2

      @@dio3869 アイヌは政治の道具ではない

  • @user-ky5vh5rz5e
    @user-ky5vh5rz5e Před 3 lety +256

    本職の研究者でもやってないような分野にまで手を出せるってこの人一体何者なんですかねえ

    • @tesres2169
      @tesres2169 Před 3 lety +67

      むしろ本職がやってる分野で勝負したら本職に叩かれまくるかも

    • @og4429
      @og4429 Před 3 lety +67

      @@tesres2169 本職が利権で腐っとるからな

    • @akira_travel1
      @akira_travel1 Před 3 lety +7

      授業の内容の転載説

    • @user-md3gg7oi5v
      @user-md3gg7oi5v Před 2 lety +28

      @@og4429 政治利用ありきで道民としては悲しい…知りたいのに

    • @og4429
      @og4429 Před 2 lety +22

      @@user-md3gg7oi5v ですよねえ。僕はちなみに平家の末裔なんですが、もしも現在の平家研究が利権で腐ってたらどうなってたかと想像するとしんどいです。

  • @user-yd6yi2pw4g
    @user-yd6yi2pw4g Před 3 lety +496

    あなた医者だったり言語学者だったり着ぐるみ着てたり一体何者なんだ

  • @user-xl8fn9fb1m
    @user-xl8fn9fb1m Před 3 lety +223

    こういった動画が大好きなのでこれからも頑張ってほしい

    • @user-vk4jl8fu6w
      @user-vk4jl8fu6w Před rokem

      オホーツク漂白民の言語を拾いう集めてアイヌ語を創作するな!もともとアイヌは存在しなかっつた。なぜ?オホーツク乞食が日本縄文人少女を強姦して誕生したから。その時期は?モンゴル軍に追われた鎌倉時代13世紀。オホーツク民は統一した言語はなかった。なぜなら、混合民族で多種類の北方民族言語が使われ、統一されて否かっつた。鎌倉時代はモンゴルなどの北方民族に厳しい監視があり、とても本州で暮らせるじょうきょうではなかっつた。鎌倉幕府はモンゴルの使者が属国になれと手紙をもって偉そうに将軍に会いに来た.
      EUの大半国を打ち破っつたモンゴルの使者に日本の外務省は小便をチビリ驚愕した。しかし、鎌倉幕府武家の棟梁である。ビビる外務大臣に、即、モンゴルの使いの首を切れ!と決断した。今のアホ政治家にはできない。このような時代に、オホーツク乞食が鎌倉や京都に住めるはずがない。即座に、首をはねられる。本州アイヌ語があるはずがない、うそつきはアイヌの始まり、韓国人の始まり。

  • @5LOVESUPREME5
    @5LOVESUPREME5 Před 3 lety +130

    学者の人と関わる機会がないから、研究の進め方なんかを知る機会があるのは本当に嬉しいし興味深い。ありがとう。

    • @user-vk4jl8fu6w
      @user-vk4jl8fu6w Před rokem

      「北大研究グループ」オホーツク人のDNA解読に成功
      6月18日の北海道新聞朝刊に興味深い記事が掲載された。5~13世紀にオホーツク海沿岸などで独自の文化を発展させたオホーツク人の遺伝子を解読することに北大の研究グループが成功。オホーツク人のルーツには諸説あるが、現在の民族ではサハリンなどに暮らすニブヒやアムール川下流のウリチと遺伝的に最も近いことがわかったというもの。また、アイヌ民族との共通性も判明、同グループはアイヌ民族の成り立ちについて「続縄文人・擦紋人と、オホーツク人の両者がかかわったと考えられる」と推測している。謎に包まれたオホーツク文化が解明されることでオホーツク地域の魅力がさらに深まりそうだ。(以下北海道新聞から紹介します)
      どのようにこの遺伝子がもたらされたのかが疑問だったが、アイヌ民族とオホーツク人との遺伝的共通性が判明したことで、増田准教授は
      「オホーツク人と、同時代の続縄文人ないし擦文人が通婚関係(侵入オホーツク乞食に強姦された日本縄文人少女がアイノコ、アイノ、アイヌを産んだ)にあり、オホーツク人の遺伝子がそこから受け継がれたのでは」
      と推測している。
      同大学院の加藤博文准教授(考古学)は「オホーツク人は、最後は消えたという表現がなされてきたが、アイヌ民族の形成にかかわった集団もいたことが示された。アイヌ民族の形成の多様さ(不特定多数の浮浪漂白民)を遺伝子から指摘する研究成果だ」とみている。

    • @user-vk4jl8fu6w
      @user-vk4jl8fu6w Před rokem

      オホーツク漂白民の言語を拾いう集めてアイヌ語を創作するな!もともとアイヌは存在しなかっつた。なぜ?オホーツク乞食が日本縄文人少女を強姦して誕生したから。その時期は?モンゴル軍に追われた鎌倉時代13世紀。オホーツク民は統一した言語はなかった。なぜなら、混合民族で多種類の北方民族言語が使われ、統一されて否かっつた。鎌倉時代はモンゴルなどの北方民族に厳しい監視があり、とても本州で暮らせるじょうきょうではなかっつた。鎌倉幕府はモンゴルの使者が属国になれと手紙をもって偉そうに将軍に会いに来た.
      EUの大半国を打ち破っつたモンゴルの使者に日本の外務省は小便をチビリ驚愕した。しかし、鎌倉幕府武家の棟梁である。ビビる外務大臣に、即、モンゴルの使いの首を切れ!と決断した。今のアホ政治家にはできない。このような時代に、オホーツク乞食が鎌倉や京都に住めるはずがない。即座に、首をはねられる。本州アイヌ語があるはずがない、うそつきはアイヌの始まり、韓国人の始まり。

    • @user-vk4jl8fu6w
      @user-vk4jl8fu6w Před rokem

      北海道以外の考古学遺跡にアイノ文化遺跡、アイノDNA人骨遺跡が皆無。本州の文献で多くの種族名があるがすべて縄文人部族である。縄文人弥生人のDNA調査で最近の成果は、縄文人と弥生人の区別ができない。すなわち、縄文人と弥生人は遺伝子学的に同一民族であった。人骨の外観、形状や、遺跡文化「土器」の違いから縄文人、弥生人と区分したアホな先駆者が居たことになった。 アイヌが日本先住民と捏造されている。しかし、遺伝子学的に、帰化人の子孫でない限り、日本人のほとんどは縄文人遺伝子を引き継ぎ保有している。沖縄人も日本縄文人遺伝子を保有している。アイノを除き、沖縄人を含む日本人は日本先住民族である。

  • @akirarf1591
    @akirarf1591 Před 3 lety +33

    半分秋田半分宮城の者です。バッケもヤチも身近な言葉なのでただただ驚くばかりです。いつも興味深い動画をありがとうございます。

    • @yoshihirotamura2912
      @yoshihirotamura2912 Před 2 lety +8

      岩手県出身です。自分の田舎でも“バッケ”・“ヤチ”、どっちも当たり前に言ってました。

  • @pop-jl6vx
    @pop-jl6vx Před 3 lety +117

    話は分かるが理解が追い付かないw
    論拠を示し、説明をしたうえで見解を発表するという質の高い内容が無料でとは大変ありがたい。

    • @user-vk4jl8fu6w
      @user-vk4jl8fu6w Před rokem

      北海道以外の考古学遺跡にアイノ文化遺跡、アイノDNA人骨遺跡が皆無。本州の文献で多くの種族名があるがすべて縄文人部族である。縄文人弥生人のDNA調査で最近の成果は、縄文人と弥生人の区別ができない。すなわち、縄文人と弥生人は遺伝子学的に同一民族であった。人骨の外観、形状や、遺跡文化「土器」の違いから縄文人、弥生人と区分したアホな先駆者が居たことになった。 アイヌが日本先住民と捏造されている。しかし、遺伝子学的に、帰化人の子孫でない限り、日本人のほとんどは縄文人遺伝子を引き継ぎ保有している。沖縄人も日本縄文人遺伝子を保有している。アイノを除き、沖縄人を含む日本人は日本先住民族である。

  • @whereveryouknow
    @whereveryouknow Před 3 lety +54

    あなたのような人が歴史を守っていくんだなと感じた、頑張ってください

    • @user-vk4jl8fu6w
      @user-vk4jl8fu6w Před rokem

      「北大研究グループ」オホーツク人のDNA解読に成功
      6月18日の北海道新聞朝刊に興味深い記事が掲載された。5~13世紀にオホーツク海沿岸などで独自の文化を発展させたオホーツク人の遺伝子を解読することに北大の研究グループが成功。オホーツク人のルーツには諸説あるが、現在の民族ではサハリンなどに暮らすニブヒやアムール川下流のウリチと遺伝的に最も近いことがわかったというもの。また、アイヌ民族との共通性も判明、同グループはアイヌ民族の成り立ちについて「続縄文人・擦紋人と、オホーツク人の両者がかかわったと考えられる」と推測している。謎に包まれたオホーツク文化が解明されることでオホーツク地域の魅力がさらに深まりそうだ。(以下北海道新聞から紹介します)
      どのようにこの遺伝子がもたらされたのかが疑問だったが、アイヌ民族とオホーツク人との遺伝的共通性が判明したことで、増田准教授は
      「オホーツク人と、同時代の続縄文人ないし擦文人が通婚関係(侵入オホーツク乞食に強姦された日本縄文人少女がアイノコ、アイノ、アイヌを産んだ)にあり、オホーツク人の遺伝子がそこから受け継がれたのでは」
      と推測している。
      同大学院の加藤博文准教授(考古学)は「オホーツク人は、最後は消えたという表現がなされてきたが、アイヌ民族の形成にかかわった集団もいたことが示された。アイヌ民族の形成の多様さ(不特定多数の浮浪漂白民)を遺伝子から指摘する研究成果だ」とみている。

  • @un.otarie.pensant
    @un.otarie.pensant Před 3 lety +109

    大学の講義より楽しいです。
    言語取っていますがここまで良質な授業に出会えていないので興味深く拝見しております

    • @user-vk4jl8fu6w
      @user-vk4jl8fu6w Před rokem +1

      「北大研究グループ」オホーツク人のDNA解読に成功
      6月18日の北海道新聞朝刊に興味深い記事が掲載された。5~13世紀にオホーツク海沿岸などで独自の文化を発展させたオホーツク人の遺伝子を解読することに北大の研究グループが成功。オホーツク人のルーツには諸説あるが、現在の民族ではサハリンなどに暮らすニブヒやアムール川下流のウリチと遺伝的に最も近いことがわかったというもの。また、アイヌ民族との共通性も判明、同グループはアイヌ民族の成り立ちについて「続縄文人・擦紋人と、オホーツク人の両者がかかわったと考えられる」と推測している。謎に包まれたオホーツク文化が解明されることでオホーツク地域の魅力がさらに深まりそうだ。(以下北海道新聞から紹介します)
      どのようにこの遺伝子がもたらされたのかが疑問だったが、アイヌ民族とオホーツク人との遺伝的共通性が判明したことで、増田准教授は
      「オホーツク人と、同時代の続縄文人ないし擦文人が通婚関係(侵入オホーツク乞食に強姦された日本縄文人少女がアイノコ、アイノ、アイヌを産んだ)にあり、オホーツク人の遺伝子がそこから受け継がれたのでは」
      と推測している。
      同大学院の加藤博文准教授(考古学)は「オホーツク人は、最後は消えたという表現がなされてきたが、アイヌ民族の形成にかかわった集団もいたことが示された。アイヌ民族の形成の多様さ(不特定多数の浮浪漂白民)を遺伝子から指摘する研究成果だ」とみている。

    • @user-vk4jl8fu6w
      @user-vk4jl8fu6w Před rokem

      オホーツク漂白民の言語を拾いう集めてアイヌ語を創作するな!もともとアイヌは存在しなかっつた。なぜ?オホーツク乞食が日本縄文人少女を強姦して誕生したから。その時期は?モンゴル軍に追われた鎌倉時代13世紀。オホーツク民は統一した言語はなかった。なぜなら、混合民族で多種類の北方民族言語が使われ、統一されて否かっつた。鎌倉時代はモンゴルなどの北方民族に厳しい監視があり、とても本州で暮らせるじょうきょうではなかっつた。鎌倉幕府はモンゴルの使者が属国になれと手紙をもって偉そうに将軍に会いに来た.
      EUの大半国を打ち破っつたモンゴルの使者に日本の外務省は小便をチビリ驚愕した。しかし、鎌倉幕府武家の棟梁である。ビビる外務大臣に、即、モンゴルの使いの首を切れ!と決断した。今のアホ政治家にはできない。このような時代に、オホーツク乞食が鎌倉や京都に住めるはずがない。即座に、首をはねられる。本州アイヌ語があるはずがない、うそつきはアイヌの始まり、韓国人の始まり。

  • @user-rs5fe8og7g
    @user-rs5fe8og7g Před 3 lety +89

    ずっと聞いてたら「わからない」までアイヌ語の地名にきこえてきた

    • @shinkakky637
      @shinkakky637 Před 3 lety +28

      北海道 輪空内町
      町名の「輪空内」はアイヌ語の「ワッカラナイ」を語源とし、その意味は「言葉の通じぬ人の居る地」と言われています。また、一説には本州から移住した和人が集落を作ったためとも言われていますが、語感が標準語の「ワカラナイ」と類似しているために派生した俗説とも言われています。
      ・・・道民の皆さんすみません。ただの思い付きです

    • @user-oh5oq9mc1o
      @user-oh5oq9mc1o Před 2 lety +5

      稚内(ワッカナイ)とかありますからね

  • @nulla1237
    @nulla1237 Před rokem +12

    実家の近くに意味不明なカタカナ地名がいくつかあるのですがアイヌ語で解釈したらきちんとした意味になったのでびっくりしました。
    実家は愛知県東部なので思ったよりも当時の大都市である関西地方に近いですね。

    • @abc123ooww
      @abc123ooww Před 11 měsíci

      豊橋か新城あたりですか!?

    • @ネコは天の愛
      @ネコは天の愛 Před 6 měsíci +3

      昭和一桁生まれの母親とアイヌやマタギの話をした時、愛知県にも似たような人々が住んでいたと聞いたことがありましたね。それはもしかしたらサンカの方々だったのかもしれませんが…
      不思議なのはアイヌにしろサンカにしろ日本の至る所に彼らと縄文の繋がりを感じる場所と
      そして現代日本人の血と記憶の中にだって欠片の様に残されているのに、
      土地の所有に拘る者達には"彼らは鎌倉時代にやってきた特権を欲しがる大陸系侵略民族の末裔"と
      まるで国を二分せんと策略する分子の如く扱われるようになってしまっている事です。

  • @traintrainhashitteyuku
    @traintrainhashitteyuku Před 2 lety +31

    こんなに良質な研究結果を発表してくれるとは、感謝です

    • @user-vk4jl8fu6w
      @user-vk4jl8fu6w Před rokem

      「北大研究グループ」オホーツク人のDNA解読に成功
      6月18日の北海道新聞朝刊に興味深い記事が掲載された。5~13世紀にオホーツク海沿岸などで独自の文化を発展させたオホーツク人の遺伝子を解読することに北大の研究グループが成功。オホーツク人のルーツには諸説あるが、現在の民族ではサハリンなどに暮らすニブヒやアムール川下流のウリチと遺伝的に最も近いことがわかったというもの。また、アイヌ民族との共通性も判明、同グループはアイヌ民族の成り立ちについて「続縄文人・擦紋人と、オホーツク人の両者がかかわったと考えられる」と推測している。謎に包まれたオホーツク文化が解明されることでオホーツク地域の魅力がさらに深まりそうだ。(以下北海道新聞から紹介します)
      どのようにこの遺伝子がもたらされたのかが疑問だったが、アイヌ民族とオホーツク人との遺伝的共通性が判明したことで、増田准教授は
      「オホーツク人と、同時代の続縄文人ないし擦文人が通婚関係(侵入オホーツク乞食に強姦された日本縄文人少女がアイノコ、アイノ、アイヌを産んだ)にあり、オホーツク人の遺伝子がそこから受け継がれたのでは」
      と推測している。
      同大学院の加藤博文准教授(考古学)は「オホーツク人は、最後は消えたという表現がなされてきたが、アイヌ民族の形成にかかわった集団もいたことが示された。アイヌ民族の形成の多様さ(不特定多数の浮浪漂白民)を遺伝子から指摘する研究成果だ」とみている。

    • @user-vk4jl8fu6w
      @user-vk4jl8fu6w Před rokem

      北海道以外の考古学遺跡にアイノ文化遺跡、アイノDNA人骨遺跡が皆無。本州の文献で多くの種族名があるがすべて縄文人部族である。縄文人弥生人のDNA調査で最近の成果は、縄文人と弥生人の区別ができない。すなわち、縄文人と弥生人は遺伝子学的に同一民族であった。人骨の外観、形状や、遺跡文化「土器」の違いから縄文人、弥生人と区分したアホな先駆者が居たことになった。 アイヌが日本先住民と捏造されている。しかし、遺伝子学的に、帰化人の子孫でない限り、日本人のほとんどは縄文人遺伝子を引き継ぎ保有している。沖縄人も日本縄文人遺伝子を保有している。アイノを除き、沖縄人を含む日本人は日本先住民族である。

  • @reicul
    @reicul Před 3 lety +67

    谷を「や」って讀むのは確かにずっと不思議に思っていましたけど、まさかのアイヌ語由来説は衝撃でした!

  • @game-yq2rx
    @game-yq2rx Před 2 lety +24

    最近見つけたけどこの人凄いな…どの動画にも興味持てるし内容も聞きやすい

    • @user-vk4jl8fu6w
      @user-vk4jl8fu6w Před rokem +1

      「北大研究グループ」オホーツク人のDNA解読に成功
      6月18日の北海道新聞朝刊に興味深い記事が掲載された。5~13世紀にオホーツク海沿岸などで独自の文化を発展させたオホーツク人の遺伝子を解読することに北大の研究グループが成功。オホーツク人のルーツには諸説あるが、現在の民族ではサハリンなどに暮らすニブヒやアムール川下流のウリチと遺伝的に最も近いことがわかったというもの。また、アイヌ民族との共通性も判明、同グループはアイヌ民族の成り立ちについて「続縄文人・擦紋人と、オホーツク人の両者がかかわったと考えられる」と推測している。謎に包まれたオホーツク文化が解明されることでオホーツク地域の魅力がさらに深まりそうだ。(以下北海道新聞から紹介します)
      どのようにこの遺伝子がもたらされたのかが疑問だったが、アイヌ民族とオホーツク人との遺伝的共通性が判明したことで、増田准教授は
      「オホーツク人と、同時代の続縄文人ないし擦文人が通婚関係(侵入オホーツク乞食に強姦された日本縄文人少女がアイノコ、アイノ、アイヌを産んだ)にあり、オホーツク人の遺伝子がそこから受け継がれたのでは」
      と推測している。
      同大学院の加藤博文准教授(考古学)は「オホーツク人は、最後は消えたという表現がなされてきたが、アイヌ民族の形成にかかわった集団もいたことが示された。アイヌ民族の形成の多様さ(不特定多数の浮浪漂白民)を遺伝子から指摘する研究成果だ」とみている。

    • @user-vk4jl8fu6w
      @user-vk4jl8fu6w Před rokem

      北海道大学総合博物館研究報告 6: 103-108. 2013 年 3 月
      Bulletin of the Hokkaido University Museum. 6: 103-108. March, 2013.
      遺伝的特徴から見たオホーツク人--­大陸と北海道の間の交流
      増 田 隆 一 *(北海道大学)
      Genetic features of the Okhotsk people: Interaction between the continent and Hokkaidoyuichi Masuda* (Hokkaido University)
      オホーツク人における mtDNA の hypervariable region (HVR) I の 438 塩基に着目して,その遺伝情報を解析することに成功した(Sato et al. 2007)。
      その結果,オホーツク人が現在のアムール河下流域集団であるウリチ,ネギダールそして北海道のアイヌに近縁であることを示している。Tajima et al. (2004) は mtDNA 分析の結果に基づき,ニブフからアイヌへの遺伝子流動があったことを推定している。これらのデータを統合すると,オホーツク人により,大陸から縄文期以降の北海道へ遺伝子流動がもたらされたことが示唆される。
      さらにmtDNA に関係しない「 耳あか遺伝子 ABCC11 」の対立遺伝子頻度はオホーツク人と日本縄文人中間値を示した。これはオホーツク人からの遺伝子の流れが北海道縄文系と合流し,現代へと変遷したことを支持している。この結果は,母系遺伝する mtDNA の分析から推定された遺伝子の流れと矛盾しない。
      以上のように,母系遺伝する mtDNA ハプログループと両性遺伝する耳あか遺伝子の分析結果は,共通して,オホーツク人と北海道の縄文系集団との間で遺伝的交流「縄文人女子強姦」があり,現代につながっていることを示唆している。

    • @user-wr4xw9ef5r
      @user-wr4xw9ef5r Před rokem +9

      @@user-vk4jl8fu6w 私はあまり頭がよくなく申し訳ないのですが
      ①オホーツク人とはなんですか?
      ②縄文人とはなんですか?またどうやってDNAを採取したのですか?
      ③「強姦」では無く「合意の上での性交」の可能性は無いのですか?
      そもそも、元のコメントとはあまり関係のないコメントをコピペして貼り付けるのはやめて欲しいです。

  • @user-cm1gp7dv4z
    @user-cm1gp7dv4z Před 3 lety +32

    凄く詳しく説明しているのに分かりやすいから、ずっと聞いてられる...

  • @user-tw3dy7mv4g
    @user-tw3dy7mv4g Před 3 lety +45

    喋って解説してくれる動画好きです

    • @user-tw3dy7mv4g
      @user-tw3dy7mv4g Před rokem +2

      @suminokura-cd7ru 俺は好きって言っただけで面白いなんて一言も言ってないんだが????????????

  • @ignis1690
    @ignis1690 Před 2 lety +16

    突然おすすめに出てきてみたら面白かったです。考古学の学部卒でしたが、言語学なども興味あったので興味深く拝見しました。言葉は変化するものなので、やはり史料を読み解く力と比較対象とするものがニュートラルでないとなかなか難しそうではありましたが、この動画ではそのあたりが非常に明快でしたのでグイグイ見ることが出来ました。

    • @user-vk4jl8fu6w
      @user-vk4jl8fu6w Před rokem +1

      「北大研究グループ」オホーツク人のDNA解読に成功
      6月18日の北海道新聞朝刊に興味深い記事が掲載された。5~13世紀にオホーツク海沿岸などで独自の文化を発展させたオホーツク人の遺伝子を解読することに北大の研究グループが成功。オホーツク人のルーツには諸説あるが、現在の民族ではサハリンなどに暮らすニブヒやアムール川下流のウリチと遺伝的に最も近いことがわかったというもの。また、アイヌ民族との共通性も判明、同グループはアイヌ民族の成り立ちについて「続縄文人・擦紋人と、オホーツク人の両者がかかわったと考えられる」と推測している。謎に包まれたオホーツク文化が解明されることでオホーツク地域の魅力がさらに深まりそうだ。(以下北海道新聞から紹介します)
      どのようにこの遺伝子がもたらされたのかが疑問だったが、アイヌ民族とオホーツク人との遺伝的共通性が判明したことで、増田准教授は
      「オホーツク人と、同時代の続縄文人ないし擦文人が通婚関係(侵入オホーツク乞食に強姦された日本縄文人少女がアイノコ、アイノ、アイヌを産んだ)にあり、オホーツク人の遺伝子がそこから受け継がれたのでは」
      と推測している。
      同大学院の加藤博文准教授(考古学)は「オホーツク人は、最後は消えたという表現がなされてきたが、アイヌ民族の形成にかかわった集団もいたことが示された。アイヌ民族の形成の多様さ(不特定多数の浮浪漂白民)を遺伝子から指摘する研究成果だ」とみている。

    • @user-vk4jl8fu6w
      @user-vk4jl8fu6w Před rokem

      北海道大学総合博物館研究報告 6: 103-108. 2013 年 3 月
      遺伝的特徴から見たオホーツク人--­大陸と北海道の間の交流 増 田 隆 一 *(北海道大学)
      以上は、オホーツク人「民族ではない」に日本縄文人が殺戮され、日本縄文人との間でmtDNA遺伝子交流「強姦」があり、北海道侵略オホーツク人が日本縄文人少女を強姦してアイノコ、アイノ、アイヌが産まれたという遺伝子研究博士論文である。その時期は縄文期以降「鎌倉時代以降」と記述されている。アイヌは鎌倉時代までは地球上には存在しなかった。本州や沖縄のような日本縄文人の末裔ではないアイノコが日本先住民であるはずがない。インカはスペイン兵により滅ぼされインカの少女も強姦されてアイノコを産まされた。これをメスチソと呼ばれている。この金髪碧眼のメスチソがインカの先住民とは認められない。同様に、オホーツク民とのアイノコ、アイノが北海道の日本先住民とは認められない。

      資料
      Bulletin of the Hokkaido University Museum. 6: 103-108. March, 2013. Genetic features of the Okhotsk people: Interaction between the continent and Hokkaido Ryuichi Masuda* (Hokkaido University)
      ・Tajima et al. (2004) は mtDNA 分析の結果に基づき,ニブフからアイヌへの遺伝子流動があったことを推定している。これらのデータを統合すると,ユーラシア大陸北東部に起源をもつオホーツク人により,大陸から縄文期以降の北海道へ遺伝子流動がもたらされたことが示唆される(図 2)。・母系遺伝する mtDNA ハプログループと両性遺伝する耳あか遺伝子の分析結果は,共通して,オホーツク人と北海道の縄文系集団との間で遺伝的交流があり,現代につながっていることを示唆している。
      文献:Adachi, N., Shinoda, K., Umetsu, K., and Matsumura, H. (2009) Mitochondrial DNA analysis of Jomon skeletons from the Funadomari site, Hokkaido, and its implication for the origins of Native American. American Journal of Physical Anthropology 138   255-265.

  • @user-ot3rz7hs9f
    @user-ot3rz7hs9f Před 3 lety +90

    親戚の実家八戸なんだが
    鮫(鮫浦)=湧き水の出る浜
    蕪島=カピュー(うみねこ)の島
    と言う解釈はすごく合ってると思う
    あそこすげえ水うまいんだよ
    しかも蕪島は明らかに
    うみねこ だらけだし
    そこ住んでる親戚は戦前から身長180
    センチ超えばかり排出する
    ゴリマッチョばかりだし

  • @SuperZunai
    @SuperZunai Před rokem +12

    0.75倍速推奨
    とても面白い内容でした。
    野良で講義を聴講している気分になります。

  • @user-yq4eb7fh1k
    @user-yq4eb7fh1k Před 3 lety +22

    参考までに北海道の札幌市に大谷地(おおやち)という地名がありますよ~
    地下鉄東西線【大谷地駅】とか【大谷地バスターミナル】とかもあるので札幌在住の方はほとんどご存じだと思います。札幌の中心部ではないので人口増加で街を広げた際に新しく付けた地名かもしれませんね。

    • @sukekoke6820
      @sukekoke6820 Před 3 lety +9

      その昔白石区・厚別区が白石村(宮城県白石市から渡ってきた人たちの村)だったころ、今の流通センターより北側が厚別川の低湿地帯だったことから「大谷地原野」と名付けられ、その南端だった今の厚別区大谷地がなぜかその時の名前を残しているようです。
      宮城県にも谷地とつく地名がいっぱいあって、当時開拓した人はごく一般的な感覚で開拓先の白石村で地名を名付けたのだと思います。

  • @takmak7046
    @takmak7046 Před 3 lety +37

    宮城出身だけど、確かにふきのとうのことは、ばっけって言ってた。
    追記:
    あと思い出したのがひとつ。湧き出てるような湿地の事をやづって読んでました。おそらく谷池、谷地、谷津あたりを当ててたと思います。

    • @user-fz3bq7rb5w
      @user-fz3bq7rb5w Před 3 lety +6

      岩手の釜石でもばっけと言うよ。

    • @junkgroovejunk
      @junkgroovejunk Před 3 lety +3

      山形県では言わないです。

    • @MS-kt8bj
      @MS-kt8bj Před 3 lety +3

      盛岡出身の祖母もばっけと言っていました。

    • @user-rt3py8wd7z
      @user-rt3py8wd7z Před 3 lety +2

      青森でも言います!

    • @user-md3gg7oi5v
      @user-md3gg7oi5v Před 2 lety +3

      東北にはアイヌの名残が僅かに地名や名詞にあるらしいですね

  • @user-eo6so5mn6j
    @user-eo6so5mn6j Před 3 lety +78

    この分野は「諸説あり」から抜け出すためのブレイクスルーがなかなかに難しいですよね。それだけにロマンがありますが。

  • @kt57
    @kt57 Před 3 lety +53

    谷の「や」読みがアイヌ語由来とは驚いた。たしかに日本語なら「たに」だもんな…こういうの他にもたくさんありそう

    • @gagenization
      @gagenization Před 3 lety +19

      もっと言えば「谷」の音読みは「コク」、古典漢語ではkukのハズなので「たに」という読みも古代朝鮮語や「未知の土着言語」に対する当て字だったのかも…

    • @kt57
      @kt57 Před 3 lety +1

      @昆布 ゼニは訓読みなんですね。確かにセンに似てる。中国から伝わった読みでも訓読みになるんですね。

    • @user-ju4nr2dt2j
      @user-ju4nr2dt2j Před rokem +2

      山形にも「谷地(やち)」「谷柏(やがしわ)」「畑谷(はたや)」なーんて地名があることを思い出しました
      アイヌ語由来と言われる地名が所々にあることを考えると、以外に沢山あるのかもしれませんね

    • @user-ot3rz7hs9f
      @user-ot3rz7hs9f Před rokem +1

      @@gagenization 高句麗人は谷をタンと読んでた
      らしいぞい

  • @nekosunahama7904
    @nekosunahama7904 Před 3 lety +22

    神奈川だけどアイヌ語由来という神社があるので興味深く拝見しました

  • @plum6184
    @plum6184 Před 3 lety +15

    面白いなあ
    資料が少ないのが悔やまれるが前近代にすで言語が失われてしまっていたではどうしようもないよなあ
    そのような中でもこうやって考察する手法があるというのが学びでした

  • @isalikki
    @isalikki Před 3 lety +33

    あいかわらずとんでもない変態(褒め言葉)
    次回作待ってますぅ

  • @nanamisato
    @nanamisato Před 10 měsíci +4

    投稿されてからこんなタイミングでコメントするのあれなんですが、
    私の地域(山形)でふきのとうを ばっけ
    猫を ちゃぺ と言います。 この動画驚きの連続で面白くて仕方ないです。

  • @taturat4889
    @taturat4889 Před 3 lety +10

    ミネルグァさんの解説動画 楽しみにしてるんですよ。
    たまんないんですよ。

  • @ak47ja
    @ak47ja Před 3 lety +50

    私の父の故郷は山形県の酒田市。この辺って結構本州アイヌ語っぽい地名とか結構多いから、私は東京23区で生まれたんだけど高校生頃からエミシの文化になんとなくノスタルジー感じていたんだよね。でも最近知ったんだけどうちのご先祖は元々薩摩隼人だったのが維新戦争後に出羽の国に移住してきたwというオチまでありまして、人の歴史って凄いな~と思います。

    • @og4429
      @og4429 Před 3 lety +7

      エミシとアイヌは違うかも。

  • @user-tgLj3mpgdjm
    @user-tgLj3mpgdjm Před 3 lety +27

    0.75倍速でちょうどいい

  • @user-pf4ip9rm9g
    @user-pf4ip9rm9g Před 10 měsíci +5

    江戸時代に青森にアイヌの集落があって、通訳として北海道に行ったりしてたという話を聞いたことがあります。

  • @user-jb1jf1bj5v
    @user-jb1jf1bj5v Před 3 lety +32

    13:15 じゃあ谷津って苗字は湿地を表す地名から来てるんかな

  • @onobu5641
    @onobu5641 Před 3 lety +41

    10:30
    知里さんは「ちさと」と読むのではなく「ちり」と読むそうです!
    この動画とても興味深く面白かったです!これからも頑張って下さい!!

    • @wakamale
      @wakamale Před rokem +5

      銀の雫ふるふる」の知里幸恵(ちりゆきえ)さんの弟さん、ちりましお先生ですね。大学の時、夫人の講義で、よく夫君である知里先生のお話をされてました。

  • @kb456
    @kb456 Před rokem +11

    比較文化専攻してたけど退屈で大学を中退した自分を責めたくなる鬱動画(最上級で褒めてます

  • @user-ng1ix3qr3v
    @user-ng1ix3qr3v Před 3 lety +17

    木更津のキサラとか真理谷のヤツとか房総半島に残る地名がアイヌ由来だとすると面白いですね

  • @HitomiUG
    @HitomiUG Před 2 lety +13

    アイヌ語由来の単語がいくつかあるところで育って、なぜここにアイヌの言葉があるのかわからずのまま生きてきたのですが、本州アイヌ語の存在をこの動画で知れて少し腑に落ちました
    今後の考察も楽しみにしています

    • @user-vk4jl8fu6w
      @user-vk4jl8fu6w Před rokem +1

      本州にアイヌは存在しない。考古学遺跡DNAからの結論。

    • @user-vk4jl8fu6w
      @user-vk4jl8fu6w Před rokem +1

      「北大研究グループ」オホーツク人のDNA解読に成功
      6月18日の北海道新聞朝刊に興味深い記事が掲載された。5~13世紀にオホーツク海沿岸などで独自の文化を発展させたオホーツク人の遺伝子を解読することに北大の研究グループが成功。オホーツク人のルーツには諸説あるが、現在の民族ではサハリンなどに暮らすニブヒやアムール川下流のウリチと遺伝的に最も近いことがわかったというもの。また、アイヌ民族との共通性も判明、同グループはアイヌ民族の成り立ちについて「続縄文人・擦紋人と、オホーツク人の両者がかかわったと考えられる」と推測している。謎に包まれたオホーツク文化が解明されることでオホーツク地域の魅力がさらに深まりそうだ。(以下北海道新聞から紹介します)
      どのようにこの遺伝子がもたらされたのかが疑問だったが、アイヌ民族とオホーツク人との遺伝的共通性が判明したことで、増田准教授は
      「オホーツク人と、同時代の続縄文人ないし擦文人が通婚関係(侵入オホーツク乞食に強姦された日本縄文人少女がアイノコ、アイノ、アイヌを産んだ)にあり、オホーツク人の遺伝子がそこから受け継がれたのでは」
      と推測している。
      同大学院の加藤博文准教授(考古学)は「オホーツク人は、最後は消えたという表現がなされてきたが、アイヌ民族の形成にかかわった集団もいたことが示された。アイヌ民族の形成の多様さ(不特定多数の浮浪漂白民)を遺伝子から指摘する研究成果だ」とみている。

    • @user-vk4jl8fu6w
      @user-vk4jl8fu6w Před rokem

      北海道大学総合博物館研究報告 6: 103-108. 2013 年 3 月
      遺伝的特徴から見たオホーツク人--­大陸と北海道の間の交流 増 田 隆 一 *(北海道大学)
      以上は、オホーツク人「民族ではない」に日本縄文人が殺戮され、日本縄文人との間でmtDNA遺伝子交流「強姦」があり、北海道侵略オホーツク人が日本縄文人少女を強姦してアイノコ、アイノ、アイヌが産まれたという遺伝子研究博士論文である。その時期は縄文期以降「鎌倉時代以降」と記述されている。アイヌは鎌倉時代までは地球上には存在しなかった。本州や沖縄のような日本縄文人の末裔ではないアイノコが日本先住民であるはずがない。インカはスペイン兵により滅ぼされインカの少女も強姦されてアイノコを産まされた。これをメスチソと呼ばれている。この金髪碧眼のメスチソがインカの先住民とは認められない。同様に、オホーツク民とのアイノコ、アイノが北海道の日本先住民とは認められない。

      資料
      Bulletin of the Hokkaido University Museum. 6: 103-108. March, 2013. Genetic features of the Okhotsk people: Interaction between the continent and Hokkaido Ryuichi Masuda* (Hokkaido University)
      ・Tajima et al. (2004) は mtDNA 分析の結果に基づき,ニブフからアイヌへの遺伝子流動があったことを推定している。これらのデータを統合すると,ユーラシア大陸北東部に起源をもつオホーツク人により,大陸から縄文期以降の北海道へ遺伝子流動がもたらされたことが示唆される(図 2)。・母系遺伝する mtDNA ハプログループと両性遺伝する耳あか遺伝子の分析結果は,共通して,オホーツク人と北海道の縄文系集団との間で遺伝的交流があり,現代につながっていることを示唆している。
      文献:Adachi, N., Shinoda, K., Umetsu, K., and Matsumura, H. (2009) Mitochondrial DNA analysis of Jomon skeletons from the Funadomari site, Hokkaido, and its implication for the origins of Native American. American Journal of Physical Anthropology 138   255-265.

  • @inesawaki2765
    @inesawaki2765 Před 3 lety +7

    良いチャンネルに出会えたと、改めて思いました。

  • @user-uy3xd1uq6b
    @user-uy3xd1uq6b Před 2 lety +3

    CZcamsにある動画で1番好きです

  • @hyonosiratori2396
    @hyonosiratori2396 Před 3 lety +50

    「木更津のキサラはアイヌ語に由来する可能性がある」しれっと凄いこと言ってるな、本当かどうかわからないけど面白い!

    • @user-vk4jl8fu6w
      @user-vk4jl8fu6w Před rokem

      北海道以外の考古学遺跡にアイノ文化遺跡、アイノDNA人骨遺跡が皆無。本州の文献で多くの種族名があるがすべて縄文人部族である。縄文人弥生人のDNA調査で最近の成果は、縄文人と弥生人の区別ができない。すなわち、縄文人と弥生人は遺伝子学的に同一民族であった。人骨の外観、形状や、遺跡文化「土器」の違いから縄文人、弥生人と区分したアホな先駆者が居たことになった。 アイヌが日本先住民と捏造されている。しかし、遺伝子学的に、帰化人の子孫でない限り、日本人のほとんどは縄文人遺伝子を引き継ぎ保有している。沖縄人も日本縄文人遺伝子を保有している。アイノを除き、沖縄人を含む日本人は日本先住民族である。

  • @user-ep9lx8kp3z
    @user-ep9lx8kp3z Před 3 lety +10

    今日は嬉しそうですね

  • @rcassiopeia259
    @rcassiopeia259 Před rokem +9

    私の大正生まれの祖父の、そのまた祖父がアイヌ人だと聞いてます。八戸から近隣の集落も含めて全員で南下して関東まで来たそうです。大移動だったと。東北で離脱する人も居てちりじりになったそうです。

    • @user-vk4jl8fu6w
      @user-vk4jl8fu6w Před rokem

      本州、東北にアイヌ遺跡はない。なぜ?アイヌは鎌倉時代以後に北海道に侵入したオホーツク漂白民であるから。鎌倉時代は東北も日本の侍が統治しており、異民族が親友する余地はない。特に、モンゴル軍と戦うために軍事強化していた時代だから、モンゴル人系統の侵入者はすぐに首をはねている。モンゴルの使者がぞっつ国になれとふんぞり返っつてやっつて来たが、即座に首をはねられている。そこで激怒したジンギスカンが九州に大軍を進行させたが日本侍に打ち取られた。そのような時代に北海道以外の本州に大陸系乞食集団が侵入できるはずがない、北海道は日本縄文人であり、言語も日本語が通じ、コメの取れないことから時軸として、放置されていた。そこへ、モンゴル軍に追われたオホーツク乞食が侵入し、日本じょぷ門人を殺戮し、北海道に住み着き、縄文人少女を強姦して、アイノコが生まれ、アイノ、アイヌが誕生した。アイヌという種族、人種は元から存在しない。資料添付。北海道大学総合博物館研究報告 6: 103-108. 2013 年 3 月
      遺伝的特徴から見たオホーツク人--­大陸と北海道の間の交流 増 田 隆 一 *(北海道大学)
      以上は、オホーツク人「民族ではない」に日本縄文人が殺戮され、日本縄文人との間でmtDNA遺伝子交流「強姦」があり、北海道侵略オホーツク人が日本縄文人少女を強姦してアイノコ、アイノ、アイヌが産まれたという遺伝子研究博士論文である。その時期は縄文期以降「鎌倉時代以降」と記述されている。アイヌは鎌倉時代までは地球上には存在しなかった。本州や沖縄のような日本縄文人の末裔ではないアイノコが日本先住民であるはずがない。インカはスペイン兵により滅ぼされインカの少女も強姦されてアイノコを産まされた。これをメスチソと呼ばれている。この金髪碧眼のメスチソがインカの先住民とは認められない。同様に、オホーツク民とのアイノコ、アイノが北海道の日本先住民とは認められない。

      資料
      Bulletin of the Hokkaido University Museum. 6: 103-108. March, 2013. Genetic features of the Okhotsk people: Interaction between the continent and Hokkaido Ryuichi Masuda* (Hokkaido University)
      ・Tajima et al. (2004) は mtDNA 分析の結果に基づき,ニブフからアイヌへの遺伝子流動があったことを推定している。これらのデータを統合すると,ユーラシア大陸北東部に起源をもつオホーツク人により,大陸から縄文期以降の北海道へ遺伝子流動がもたらされたことが示唆される(図 2)。・母系遺伝する mtDNA ハプログループと両性遺伝する耳あか遺伝子の分析結果は,共通して,オホーツク人と北海道の縄文系集団との間で遺伝的交流があり,現代につながっていることを示唆している。
      文献:Adachi, N., Shinoda, K., Umetsu, K., and Matsumura, H. (2009) Mitochondrial DNA analysis of Jomon skeletons from the Funadomari site, Hokkaido, and its implication for the origins of Native American. American Journal of Physical Anthropology 138   255-265.

    • @user-vo3xq7mk6c
      @user-vo3xq7mk6c Před rokem

      徳川時代の奥羽地方は寒冷化と飢饉の影響が大きいからそこで多くの伝承の断絶や史料の散逸が起きてそうですね…

  • @04shuuu13
    @04shuuu13 Před 3 lety +7

    これまじで待ってました、ありがとう

  • @canesvenatici4259
    @canesvenatici4259 Před 3 lety +43

    Although I can't understand most of this video, I deeply appreciate the fact that you posted a video on the Ainu language, which today is sadly very near extinction, especially in Japan in 2021.

    • @lindsaychien6483
      @lindsaychien6483 Před 2 lety +5

      same here, wish I could though

    • @ericooooo7
      @ericooooo7 Před 2 lety +7

      It's a difficult topic to understand, even for a Japanese😂

    • @kiy2347
      @kiy2347 Před rokem +2

      This video talks about Ainu language spoken in southern area from Hokkaido (northern part of main island of Japan), which completely disappeared today.

  • @kemkem8071
    @kemkem8071 Před 6 měsíci +3

    ご飯に味噌汁をかけて食べる所謂ねこまんまのことを実家ではチャペライスと言っていたの思い出しました。アイヌ由来だったんですね…

  • @user-lz3ny9fk9n
    @user-lz3ny9fk9n Před 2 lety +8

    子供の頃、初めてヒエログリフのことを知った時ぐらい、ワクワクする

  • @erimochu
    @erimochu Před rokem +9

    「長い川」タンネナイ→タンナイ→トンネナイ→トネナイ→トネ川→利根川?って事ですか?

  • @user-wl2pe7cd2e
    @user-wl2pe7cd2e Před 2 lety +7

    大阪の、枚方、枚岡の「ヒラ」は、アイヌ語のピラ(崖)から来てるという説を聞いたことがある。
    北海道の豊平、小平と同じで。
    実際、枚方市駅付近と、枚岡神社付近は、洪積台地と沖積平野の境界部の崖になってるしね。
    沖縄県の平良島も同じく、周囲を海食崖に囲まれてる。
    あと大阪の門真市の「カドマ」や寝屋川市の「ネヤ」も、何か本州アイヌ語っぽい気がする。
    というか、浪速すら、ナイワッカから来たという話を聞いたことがある。
    正に、淀川大和川の河口に位置してるから、ひょっとしたら本当かも?

    • @user-vk4jl8fu6w
      @user-vk4jl8fu6w Před rokem +2

      アイヌは民族ではなくハーフである。鎌倉時代にモンゴルに追われ、北海道に進出したオホーツク乞食が日本縄文人少女を強姦して産ませたハーフである。鎌倉時代に本種に来ればモンゴルと対峙していた鎌倉武士に首をはねられる。本州にアイヌが住める場所はない。「北大研究グループ」オホーツク人のDNA解読に成功
      6月18日の北海道新聞朝刊に興味深い記事が掲載された。5~13世紀にオホーツク海沿岸などで独自の文化を発展させたオホーツク人の遺伝子を解読することに北大の研究グループが成功。オホーツク人のルーツには諸説あるが、現在の民族ではサハリンなどに暮らすニブヒやアムール川下流のウリチと遺伝的に最も近いことがわかったというもの。また、アイヌ民族との共通性も判明、同グループはアイヌ民族の成り立ちについて「続縄文人・擦紋人と、オホーツク人の両者がかかわったと考えられる」と推測している。謎に包まれたオホーツク文化が解明されることでオホーツク地域の魅力がさらに深まりそうだ。(以下北海道新聞から紹介します)
      どのようにこの遺伝子がもたらされたのかが疑問だったが、アイヌ民族とオホーツク人との遺伝的共通性が判明したことで、増田准教授は
      「オホーツク人と、同時代の続縄文人ないし擦文人が通婚関係(侵入オホーツク乞食に強姦された日本縄文人少女がアイノコ、アイノ、アイヌを産んだ)にあり、オホーツク人の遺伝子がそこから受け継がれたのでは」
      と推測している。
      同大学院の加藤博文准教授(考古学)は「オホーツク人は、最後は消えたという表現がなされてきたが、アイヌ民族の形成にかかわった集団もいたことが示された。アイヌ民族の形成の多様さ(不特定多数の浮浪漂白民)を遺伝子から指摘する研究成果だ」とみている。

  • @osaruyamaguchi
    @osaruyamaguchi Před 3 lety +12

    やちで終わる地名で思い出しましたが、札幌市の大谷地ってのもそういう意味だったんですかね?素人質問で申し訳ないんですけど。

  • @shoteocha6557
    @shoteocha6557 Před 3 lety +62

    人名で思い出したけど、アイヌ語研究の草分け金田一京助博士は自身の苗字の金田一はアイヌ語で『山の人』という意味を持つことに気付いていて、自身のルーツがアイヌだったのではないかと思われていたそうです。

    • @user-ot3rz7hs9f
      @user-ot3rz7hs9f Před 3 lety +2

      キムンアイン

    • @RayCrosmy
      @RayCrosmy Před 3 lety +6

      違います。秦氏系の金山師です。
      大阪あたりにもアイヌが住んでいて、アイヌ系の地名が数多く残っているとか、そういう時代錯誤の滅茶苦茶な話と混ざった、ズレた認識の一つです。
      縄文系東夷族が大陸から持ってきた言葉には、奈良とか飛鳥とか大阪とか難波とか京都とか太秦とか、色々ありますが、日本語ではないからアイヌ語だろうと考えるのは間違いです。
      カムイはアイヌ語ではなく、鬼界カルデラの破局噴火で山東半島から遼東半島付近に集団疎開した縄文系東夷族の社家が用いる高天原言葉です。もちろん日本語では神と言います。アイヌは高天原言葉を借用してカムイと言っていただけです。
      なにしろ斎皇家は紀元前の昔から北海道のヒグマを神に見立てて祭祀する神事を伝承しているのですから。それを見て、神威という外来語を採り入れたのです。
      秦人=柵外の人=ペルシャ系て、いわゆるインドヨーロッパ語族がシルクロードの交易で稼ごうと、殷墟のあたりに住む縄文系東夷族に妻問婚して、混血の集落を形成していたんですね。その後西進して秦国を興しています。
      鬼界カルデラの破局噴火で疎開した、天照大神を奉斎する縄文系東夷族の社家に、シルクロードの西から来た素戔嗚=バアルを奉斎する集団が妻問婚して、一族同士の神婚を行ったことは、誓(うけい)として今に伝わります。
      嬴姓の傍流を示す氵を付けた瀛姓を賜った金山師の徐福が、中華圏の統一時に生まれた戦争孤児を率いて、例の不老長寿の薬=辰砂を蓬莱から持って帰ると始皇帝に持ちかけて、大船団を建造して日本列島に里帰りしています。
      ところが、
      徐福は坑儒を目の当たりにして始皇帝の一族の恐ろしさをよく知っていたので、徐福の名を出すなと遺言したのです。
      だから、日本列島での徐福の足跡は表向きよく分からなくなっていますが、厳島神社系列を束ねる皇室神道の指南役“白川伯王家”として明治時代まで残っていました。
      安芸の宮島の厳島神社の神楽がペルシャ系の物語なのは、父系のルーツがあちらだからです。秦の始皇帝の兵馬俑はペルシャ式の軍団編成で、付近からペルシア人の人骨も出てきます。
      徐福=瀛氏の里帰り=帰化によって、本格的に弥生時代に突入した日本列島は瀛州と呼ばれるようになりました。
      金田一氏の一族はアイヌではなく渡来系の金山師です。氏が見出したアイヌ語の多くはアイヌ語ではありません。アイヌ語は日本語よりも新しい歴史の浅い北方系の海洋民族の口語です。古いと考えること自体が間違っています。

    • @shoteocha6557
      @shoteocha6557 Před 3 lety +21

      @@RayCrosmy いや、違うかどうかは知らないけど、金田一博士自身はそう思ってた、っていう話題提供しただけだよ。

    • @user-vw1zn7kd4r
      @user-vw1zn7kd4r Před 2 lety +1

      アイヌは縄文人の直系じゃないんですね。

    • @user-di3zf3lp6w
      @user-di3zf3lp6w Před rokem +4

      @@RayCrosmy この動画みたらアイヌ語自体は新しい言語とは言えないでしょ

  • @user-fr7ws2rz1c
    @user-fr7ws2rz1c Před 10 měsíci +2

    千葉県北部では、周辺から伸びるように幾筋もの細長く刻まれたような谷があり、一段低い低地を形成しています。それら谷のことを白井市周辺では「やつ」と言っています。本土アイヌと関係しているのかな??

  • @kurumatorajirou9982
    @kurumatorajirou9982 Před 3 lety +5

    祖父が青森の鶴田出身
    水のことを、アッコ
    小遣いの事を、マッコ
    と言ってました。
    明治42年生まれです。

  • @siosyosyo
    @siosyosyo Před 2 lety +11

    驫木(とどろき)貝良木(かいらぎ)このような語尾の地名が近くに多い。
    大童子(おおどし<オドジとも>)大戸瀬(おおどせ)、これはごく近くの別漢字で書かれている地名だが発音はほぼ同じ。
    艫作(へなし)、艫の字は船の後部を意味し、トモ、と読む。Japaneseで解釈できない地名がだらけの地域に移住してきて25年、地元の人々はバイリンガルだが、彼らが標準の速度で地元語を話す時、私はヒアリングできない。かなで書こうとすると、該当する字がない言語。

  • @user-yt3bz9jw9w
    @user-yt3bz9jw9w Před 2 lety +4

    おもろすぎます
    久しぶりに脳汁の快楽に溺れてます

  • @st_tec-122
    @st_tec-122 Před rokem +2

    ありがとうございます。感謝

  • @user-kl7yg7mn7s
    @user-kl7yg7mn7s Před 2 lety +17

    この人は本当に尊敬する!

  • @user-ip2ws3dg9d
    @user-ip2ws3dg9d Před 2 lety +4

    よく考えたらアイヌのカムイに対する考え方とかまんま八百万の神だし、日本列島には古くからアニミズムが浸透してたんだなって思った。

  • @user-cy1mn6kc3z
    @user-cy1mn6kc3z Před 3 lety +9

    up主の正体を教えてください。著作があれば読んでみたいです。

  • @zinitou
    @zinitou Před rokem +3

    興味深い。宮城にもトウガッタ温泉、名取(元はニトリ)川などアイヌ地名があります。

  • @poatomato.
    @poatomato. Před 2 lety +4

    北海道札幌市厚別区にある大谷地の「谷地」は単なる湿地ではない可能性ありますね

  • @akiflower5627
    @akiflower5627 Před 3 lety +17

    戦国時代前から安東一族は蝦夷地(渡島半島)に進出しているので安東一族はアイヌとの交易で言葉の接触があったのは容易ですし、南部氏には九戸政実の乱のときに九戸城内にアイヌがいたことが記録されていますし、江戸時代にアイヌと同じ服装や風習を持った人が下北半島などにいて、その人たちの暮らす村を「戎村」として幕府には隠していたことが分かっています。江戸時代の南部家支配地図にも地名が伏せられている空白地があり興味深いです。アイヌが東北地方に移住してきてアイヌ語圏と大和語圏が分かれていた地域もありつつ混在している地域もあったと考えるのが普通かもしれないですね。

    • @og4429
      @og4429 Před 3 lety +2

      @ner sun 平家ですら隠れ里とかあるのにですか?

    • @user-vk4jl8fu6w
      @user-vk4jl8fu6w Před rokem

      本州にアイヌ遺跡がない。本州にアイヌがいたというのは嘘である。アイヌは鎌倉時代にもんごるにおわれ、鎌倉時代の北海道に侵略してきた。それ以前はすべて日本縄文人が北海道、沖縄、朝鮮半島に住んでいた。朝鮮半島の日本縄文人遺跡は韓国が伏せている。朝鮮半島の百済、任那は最後の日本縄文人の住む日本国でアッた。日本の前方後円墳十数基も朝鮮半島に残され、日本の土器、黒曜石などがしゅつどする。しかし、韓国ではなかったことにされている。
      「北大研究グループ」オホーツク人のDNA解読に成功
      6月18日の北海道新聞朝刊に興味深い記事が掲載された。5~13世紀にオホーツク海沿岸などで独自の文化を発展させたオホーツク人の遺伝子を解読することに北大の研究グループが成功。オホーツク人のルーツには諸説あるが、現在の民族ではサハリンなどに暮らすニブヒやアムール川下流のウリチと遺伝的に最も近いことがわかったというもの。また、アイヌ民族との共通性も判明、同グループはアイヌ民族の成り立ちについて「続縄文人・擦紋人と、オホーツク人の両者がかかわったと考えられる」と推測している。謎に包まれたオホーツク文化が解明されることでオホーツク地域の魅力がさらに深まりそうだ。(以下北海道新聞から紹介します)
      どのようにこの遺伝子がもたらされたのかが疑問だったが、アイヌ民族とオホーツク人との遺伝的共通性が判明したことで、増田准教授は
      「オホーツク人と、同時代の続縄文人ないし擦文人が通婚関係(侵入オホーツク乞食に強姦された日本縄文人少女がアイノコ、アイノ、アイヌを産んだ)にあり、オホーツク人の遺伝子がそこから受け継がれたのでは」
      と推測している。
      同大学院の加藤博文准教授(考古学)は「オホーツク人は、最後は消えたという表現がなされてきたが、アイヌ民族の形成にかかわった集団もいたことが示された。アイヌ民族の形成の多様さ(不特定多数の浮浪漂白民)を遺伝子から指摘する研究成果だ」とみている。

    • @user-vk4jl8fu6w
      @user-vk4jl8fu6w Před rokem

      鎌倉時代にアイヌが本州に侵入すれば、モンゴル軍と戦う日本の武士集団が黙っつては居ない。

    • @user-vk4jl8fu6w
      @user-vk4jl8fu6w Před rokem

      アイヌという民族は存在しない。アイヌとはオホーツク乞食集団が北海道に侵入し、日本縄文人の子孫である擦文人少女を強姦して産ませたアイノコ、アイノ、あいぬ、である。ハーフは民族ではない。遺伝子研究で確定。
      「北大研究グループ」オホーツク人のDNA解読に成功
      6月18日の北海道新聞朝刊に興味深い記事が掲載された。5~13世紀にオホーツク海沿岸などで独自の文化を発展させたオホーツク人の遺伝子を解読することに北大の研究グループが成功。オホーツク人のルーツには諸説あるが、現在の民族ではサハリンなどに暮らすニブヒやアムール川下流のウリチと遺伝的に最も近いことがわかったというもの。また、アイヌ民族との共通性も判明、同グループはアイヌ民族の成り立ちについて「続縄文人・擦紋人と、オホーツク人の両者がかかわったと考えられる」と推測している。謎に包まれたオホーツク文化が解明されることでオホーツク地域の魅力がさらに深まりそうだ。(以下北海道新聞から紹介します)
      どのようにこの遺伝子がもたらされたのかが疑問だったが、アイヌ民族とオホーツク人との遺伝的共通性が判明したことで、増田准教授は
      「オホーツク人と、同時代の続縄文人ないし擦文人が通婚関係(侵入オホーツク乞食に強姦された日本縄文人少女がアイノコ、アイノ、アイヌを産んだ)にあり、オホーツク人の遺伝子がそこから受け継がれたのでは」
      と推測している。
      同大学院の加藤博文准教授(考古学)は「オホーツク人は、最後は消えたという表現がなされてきたが、アイヌ民族の形成にかかわった集団もいたことが示された。アイヌ民族の形成の多様さ(不特定多数の浮浪漂白民)を遺伝子から指摘する研究成果だ」とみている。

  • @mitzlancer-xi4mo
    @mitzlancer-xi4mo Před 7 měsíci +2

    この方一般の研究家でしょうか。新しい発見は狭い研究室の机の上でなく市井から自由な発想で生まれる、そんな時代に変わろうとしているのかも知れません。

  • @user-he8zy6xd8d
    @user-he8zy6xd8d Před 3 lety +27

    항상 감탄하고 갑니다. ニブフ語、ウィルタ語もおねがいします

  • @emmaakane6043
    @emmaakane6043 Před 3 lety +38

    言葉の借用をお互いしていることを理解して論じるということを60年前の学者には発音ともども思いつかなかったろうな。もっとアイヌの起源を知りたくなる。

    • @user-vk4jl8fu6w
      @user-vk4jl8fu6w Před rokem +5

      アイヌの起源資料送風。北海道大学総合博物館研究報告 6: 103-108. 2013 年 3 月
      Bulletin of the Hokkaido University Museum. 6: 103-108. March, 2013.
      遺伝的特徴から見たオホーツク人--­大陸と北海道の間の交流
      増 田 隆 一 *(北海道大学)
      Genetic features of the Okhotsk people: Interaction between the continent and HokkaidoRyuichi Masuda* (Hokkaido University)
      オホーツク人における mtDNA の hypervariable region (HVR) I の 438 塩基に着目して,その遺伝情報を解析することに成功した(Sato et al. 2007)。
      その結果,オホーツク人が現在のアムール河下流域集団であるウリチ,ネギダールそして北海道のアイヌに近縁であることを示している。Tajima et al. (2004) は mtDNA 分析の結果に基づき,ニブフからアイヌへの遺伝子流動があったことを推定している。これらのデータを統合すると,オホーツク人により,大陸から縄文期以降の北海道へ遺伝子流動がもたらされたことが示唆される。
      さらにmtDNA に関係しない「 耳あか遺伝子 ABCC11 」の対立遺伝子頻度はオホーツク人と日本縄文人中間値を示した。これはオホーツク人からの遺伝子の流れが北海道縄文系と合流し,現代へと変遷したことを支持している。この結果は,母系遺伝する mtDNA の分析から推定された遺伝子の流れと矛盾しない。
      以上のように,母系遺伝する mtDNA ハプログループと両性遺伝する耳あか遺伝子の分析結果は,共通して,オホーツク人と北海道の縄文系集団との間で遺伝的交流「縄文人女子強姦」があり,現代につながっていることを示唆している。

    • @emmaakane6043
      @emmaakane6043 Před rokem +5

      @@user-vk4jl8fu6w ありがとう
      言葉借用のこととこの資料を読んでみて言語も当人達もアイヌ先住民がそこにはるか昔から脈々と存在したというより屈強な?オホーツク人と縄文人の交わった子孫がそこに住んで文化も閉ざすわけでもなく適度に周りから吸収してたと

    • @user-vk4jl8fu6w
      @user-vk4jl8fu6w Před rokem +1

      北海道以外の考古学遺跡にアイノ文化遺跡、アイノDNA人骨遺跡が皆無。本州の文献で多くの種族名があるがすべて縄文人部族である。縄文人弥生人のDNA調査で最近の成果は、縄文人と弥生人の区別ができない。すなわち、縄文人と弥生人は遺伝子学的に同一民族であった。人骨の外観、形状や、遺跡文化「土器」の違いから縄文人、弥生人と区分したアホな先駆者が居たことになった。 アイヌが日本先住民と捏造されている。しかし、遺伝子学的に、帰化人の子孫でない限り、日本人のほとんどは縄文人遺伝子を引き継ぎ保有している。沖縄人も日本縄文人遺伝子を保有している。アイノを除き、沖縄人を含む日本人は日本先住民族である。

    • @emmaakane6043
      @emmaakane6043 Před rokem

      @@user-vk4jl8fu6w >先駆者
      えぇ嬉しいような悲しいような事実
      北海道の友達は義務教育でアイノの知識叩き込まれたみたいです
      話が真実とだいぶ違うとは思うけど酷い扱いを受けてきた民族らしい云々

    • @nitro2525k
      @nitro2525k Před rokem

      金田一京助氏が磯部誠一さんのアイヌ語地名解について、「式を考えず、直ちに、答えを出す」と言うやり方は間違っていると言われたのは頗る当を得た言で、・・・
      「みんなアイヌ語にしたらいいでしょう」
      今と同じ状況が明治41年前後と大正7年にも起きていた。歴史は繰り返す。
      アイヌ民族研究家 吉田 巌(1882年- 1963年)愛郷春秋より

  • @user-wk4ly3ti6m
    @user-wk4ly3ti6m Před 3 lety +11

    あー…
    津軽民だけど死んだばーちゃんが初代猫にちゃぺって名前つけてた
    馴染みなくてチャッピーにしたけど

    • @keroagunso
      @keroagunso Před 3 lety

      男おいどんと言う漫画でペットの猫に「ネコ」と名前を付けていたのを思い出しました。

    • @no-qb6jy
      @no-qb6jy Před 3 lety +1

      @ner sun さま 今でも東北弁には少しアイヌ語の単語が混ざっているそうです。それから東北の人が子供の頃によその家に行って、お風呂に入るから服を脱いだおねえさんがアイヌの守り紐をつけていたのを確かに見たそうです。70年代の本で読んだかな?

  • @SuperHentaiShichowshar
    @SuperHentaiShichowshar Před 2 lety +9

    色々自分の仮説がまとまった後に、古代オリエント語や近い語族の言語を並べて考えてみて欲しい。
    完全な復元や意味の解釈も出来るかもしれない。

  • @lemon_bomber
    @lemon_bomber Před 2 lety +4

    高校の日本史の先生が長野県の一部の地名がアイヌ語由来ではないかと言っていました。「諏訪」「佐久」「伊那」など。どうなんでしょう…?

  • @Guppytashi
    @Guppytashi Před 2 lety +6

    インドネシア語で街のことをコタ、kotaと言います。
    また、バリのクタ、kutaも同じ意味だと言ってました。
    これも関係あるかもしれませんね。

    • @Daphnis_et_Chloe
      @Daphnis_et_Chloe Před 9 měsíci +2

      結構日本の渡来人以前の古代語ってポリネシア諸語とも共通点があるんですよね。

  • @verdemesa2904
    @verdemesa2904 Před 3 lety +13

    こういう研究もネットがない時代なら目にする事さえなかったと思う。

  • @halu7947
    @halu7947 Před 3 lety +3

    うちのおじいさんが大学生のときに、金田一先生の助手をしていて、アイヌ語の研究をしていました。がんばってください。

  • @joseph_anet
    @joseph_anet Před 2 lety +4

    興味深く見ました。
     ちなみに、私は弘前藩の下級藩士の子孫にして、アマチュア郷土史研究家の端くれのつもりです(^^;)/
     郷土史を研究していて、津軽の地には異文化の人々を支配するノウハウがあったよーです。
     その一端が、アイヌ人の和人化です。
     和人には稲作が大切ですが、アイヌ人には漁労や狩猟採取が生活の基盤だっと思います。
     そのため、津軽では伝統的にアイヌ人に農耕をさせ、今の北海道側のアイヌ人との交流を禁じたらしいです。
     津軽の地に住むなら、津軽の流儀に従えと言うわけです。
     このやり方が、平安時代から連綿と江戸時代まで続いたよーです。
     このやり方が最も功を奏したのは、キリシタンの弾圧でした。
     キリシタンとして津軽に逃げて来た人の信仰は認めるが、津軽で生まれた子どもは、キリシタンとしての信仰を伝承させるわけには行かない。
     と言うわけです。
     いまでも、弘前と言わず、津軽地方では、名字の種類が多いのは、鎌倉時代の『津軽大乱』と、江戸時代初めの流入者が原因だと思っています。
     岩木川の河口付近の十三湖に近い集落に関西弁に近い言葉を話す人たちがいたらしいのですが、明治維新以降、消息が分からないらしいです。
     この人たちの出自も、興味があります。
     さうさう、昔、年配の女性はネコを『チャペ』って、言っていました。
     また、靴を『ケリ』って、言っていました。
     私の旧友で、ネイティブな津軽弁話者は、長靴を『ナガケリ』って、言っていました。

  • @kuropattsunbob
    @kuropattsunbob Před 2 lety +20

    面白すぎた
    ネタ系も面白いけどこういう真面目系もまた見たいです

  • @sinh74at
    @sinh74at Před rokem +3

    新潟北部で「ナイ」のつく地名出身ですが、幼少期に祖母から叱られるときに「いがすま」と言われたことを思い出しました。これもアイヌ語だったのかも。

  • @nkagemi4526
    @nkagemi4526 Před 6 měsíci +3

    私の祖母が猫のことチャペって言ってたなぁ
    山形県だけど・・・

  • @user-fi1ue9tx9s
    @user-fi1ue9tx9s Před 3 lety +13

    東北に生まれ育った者なので本州アイヌ語にはとても興味がありましたがなにせ文献や研究がないのでこの動画を見れて嬉しいです
    素人の意見ですが、東北に点在するカタカナ地名(タイマグラ、岩手県宮古市川井)なども本州アイヌ語がもとだったりするのでしょうか?

    • @maymeg6777
      @maymeg6777 Před 3 lety +8

      タイマグラはおそらくアイヌ語で解釈できます。宮城県に達居森(たっこもり)、岩手県に達古袋(たっこたい=丘-森)があるようにタイ=森を示します。

    • @yoshin8179
      @yoshin8179 Před 3 lety +3

      @@maymeg6777 青森県にも田子町(たっこまち)という地名があります。

    • @user-vk4jl8fu6w
      @user-vk4jl8fu6w Před rokem

      「北大研究グループ」オホーツク人のDNA解読に成功
      6月18日の北海道新聞朝刊に興味深い記事が掲載された。5~13世紀にオホーツク海沿岸などで独自の文化を発展させたオホーツク人の遺伝子を解読することに北大の研究グループが成功。オホーツク人のルーツには諸説あるが、現在の民族ではサハリンなどに暮らすニブヒやアムール川下流のウリチと遺伝的に最も近いことがわかったというもの。また、アイヌ民族との共通性も判明、同グループはアイヌ民族の成り立ちについて「続縄文人・擦紋人と、オホーツク人の両者がかかわったと考えられる」と推測している。謎に包まれたオホーツク文化が解明されることでオホーツク地域の魅力がさらに深まりそうだ。(以下北海道新聞から紹介します)
      どのようにこの遺伝子がもたらされたのかが疑問だったが、アイヌ民族とオホーツク人との遺伝的共通性が判明したことで、増田准教授は
      「オホーツク人と、同時代の続縄文人ないし擦文人が通婚関係(侵入オホーツク乞食に強姦された日本縄文人少女がアイノコ、アイノ、アイヌを産んだ)にあり、オホーツク人の遺伝子がそこから受け継がれたのでは」
      と推測している。
      同大学院の加藤博文准教授(考古学)は「オホーツク人は、最後は消えたという表現がなされてきたが、アイヌ民族の形成にかかわった集団もいたことが示された。アイヌ民族の形成の多様さ(不特定多数の浮浪漂白民)を遺伝子から指摘する研究成果だ」とみている。

  • @hatarameke
    @hatarameke Před 3 lety +24

    梅原猛さんは古代アイヌ語と古代日本語が非常によく似ていて日本語の源流はアイヌ語ではないかと言っていましたが亡くなってしまいました。東京にも日暮里や世田谷(桜の丘)等アイヌ語由来の地名があります。木更津もそうとは知りませんでしたが研究する価値はあると思います。昔は関東のことを「むさ」と言ったらしいですがこれもアイヌ語由来だそうです。そのむさが京都に近い方が「むさかみ」と言いこれが相模の語源だそうです。京都から遠い方が「むさしも」これが武蔵の語源だそうです。関東もアイヌ語だらけみたいですね。

    • @og4429
      @og4429 Před 3 lety +6

      アイヌ由来っぽいのと武士言葉っぽいのと渾然一体となった日本語ワンダーランドですわ

    • @yo2trader539
      @yo2trader539 Před 3 lety +7

      アイヌ語じゃなくて、縄文語ちゃう?

    • @og4429
      @og4429 Před 3 lety

      @@yo2trader539 文字を持たない先住民族はアイヌだけじゃないですしね。

    • @yo2trader539
      @yo2trader539 Před 3 lety +5

      @@og4429 アイヌは北海道・樺太・千島在住の縄文系が南下したオホーツク人と数百年間接触して産まれた言葉・文化だからね。関東にアイヌ語というのは理論的・歴史的にあり得ないです。

    • @og4429
      @og4429 Před 3 lety +4

      @@yo2trader539 ん?ってなると阿弖流為とかは何の人なの?あれ茨城県ですよね。

  • @kage2372
    @kage2372 Před 3 lety +5

    13:53 表を見ると、西日本にも谷を「や」と読む地域が点在してるけど、これってアイヌ語族の人々が西日本にも少数ながら住んでいたって事かな?

    • @Bloomerschwater
      @Bloomerschwater Před 3 lety +10

      改名や合併なんかで比較的新しくできた地名の可能性もある

  • @user-xr7mpzwc3j
    @user-xr7mpzwc3j Před 2 lety +2

    登山がてら岩手県のタイマグラを夜歩いてみた。
    タイマグラはアイヌ語で「森の奥へと続く道」との事。文字通り森の奥へと続く道でしたな。

  • @tanaka_and_takahashi
    @tanaka_and_takahashi Před 3 měsíci +1

    6:40
    陸前高田…も、ぼやっと読むと読めるよね。
    10:52
    秋田いたころ、現在換算で80から100ぐらいの人は、頭のことを「ガッケ」言う人いたな…
    14:13
    まじかよ…現在換算で80から100ぐらいの人で猫を「チャペ」言う人いたよ…

  • @ポニャ豆腐好き
    @ポニャ豆腐好き Před 2 lety +7

    津軽で同化政策を推進した乳井貢の一族の者としてはこの動画はすごく感慨深い

    • @maymeg6777
      @maymeg6777 Před 2 lety +2

      ちなみに、乳井の由来は弘前市の地名で、ni-o-i (木が群生する所)って興味深いですね。北海道にも荷負(におい)という地名があるそうです。

    • @ポニャ豆腐好き
      @ポニャ豆腐好き Před 2 lety +2

      @@maymeg6777
      その乳井には3つ城跡があり、その1つの乳井茶臼館ってのがアイヌの「チャシ」に音も構造も似てるんで、何か関係あるのかなーと思ったりもしてます

  • @user-px6yr2to1i
    @user-px6yr2to1i Před 3 lety +11

    西日本と東日本で同じ漢字使ってるのに読み方違う地名があったり、どう考えても当て字と思える東日本の地名があったり、言語は奥深いなぁ〜

  • @ka1jp
    @ka1jp Před 2 lety +3

    新潟県胎内市の山奥にコモド沢があり、
    コモド橋が架けられてます。
    近くの登山道の頂上地点をアゲマイノカッチと言います。
    更に付近に胎内マタギが作ったと言われる祠があるので、
    アイヌ語なのでしょうか。

  • @kawaranosuzuki
    @kawaranosuzuki Před 2 lety +2

    土地の「小字名」(こあざめい)にはアイヌ語と思われる名前がありますね。
    宮城県でもけっこうあるとおもいます。役場にある「字切図」(あざきりず)と字一覧・・漢字で書いてあるけれど発音のカナが振ってある一覧表があるので、田舎の役場にお願いして、それらを集めれば結構拾えるのでではないでしょうか。区画整理や、津波の災害復旧などで結構古い地名が失われてますが、それ以前の資料を早めに集める必要がありそうです。

  • @user-ci4yf5kp1p
    @user-ci4yf5kp1p Před 2 lety +2

    マタギの住んでいた地域は、鉱山発見以降大阪との交易がありマタギ以外は古い日本語と相当の混在を感じます。(〜してたもれ。など)
    古い記憶で失礼しますが、秋田のもう死んでしまいましたが鈴木さん(むしろみんな鈴木さんと佐藤さんと中村さん)のお宅の爺さんもマタギ言葉は仕事用の専門用語と認識しており普段は土地の方言を話していました。
    ホント資料少なくてヤキモキするので応援してます。いつか本など紙ベースでの研究まとめお待ちしてます…
    山々で隔たっている上埴輪も各所で驚くほど形状が異なっていたりと本州でも別の言語があっても全然不思議ではないなと常々思っていた節はあるのですが、まとめている書籍が圧倒的に少ないので趣味であれ知識をまとめていただけるのありがたいです。

  • @HidetakaIno
    @HidetakaIno Před rokem +1

    すげえ。。すごすぎる。参加したい。。

  • @keeytan2008
    @keeytan2008 Před 3 lety +6

    マタギでは、長老を「エカシ」と言いますが、これもアイヌ語ですよね。

  • @user-jx7pq1vp1t
    @user-jx7pq1vp1t Před rokem

    大変面白いです!

  • @Itugonyouki
    @Itugonyouki Před 3 lety +16

    ・アイヌ=北海道縄文人と北海道オホーツク文化のあいのこ。
    ・エミシ=稲作を受け入れた本州縄文人。
    ・本州アイヌ=少なくとも近世のものについては北海道から渡ってきたと推測。
    個人的にはアイヌとエミシは民族的には別物、ただし言語的には近似したグループだと考えてる。
    まず前提として「アイヌ語の祖」となった言葉を話す集団が最低でも古代日本列島の東半分には存在した。
    本州においてその大部分は稲作文化を受け入れて変質していったが、北海道では縄文文化が続きオホーツク文化人と接触するこになる。これがアイヌ。
    本州に残って稲作を受け入れた集団は「エミシ」と呼ばれる様になり、時代と共に和人に飲み込まれていった。
    遺伝子を見れば東北人はアイヌと同じく縄文人の特徴を有している。また地名や方言といった言語文化も古代の残滓と言えるだろう。北奥羽方言は「エミシ語訛りのやまと言葉」。
    ただ動画で紹介された近世の「本州アイヌ」は北海道からの「逆輸入」の可能性があると思う。
    中世に記録された道南の「渡党」が和人入植者とアイヌの混血でかなり和人に近い集団ぽいことも考慮しておきたい。

    • @okinawalekio310
      @okinawalekio310 Před rokem

      @ニンニク太郎 貴方の古代東北、関東で話されていた言語の分析、説明大変勉強になりました。北海道のアイヌ人は先住民族では無いとの批判が多く主張されていいますが、貴方の解析、分析を拝見して疑問が解けた気持ちです。ありがとうございます。

  • @3peace249
    @3peace249 Před rokem +2

    こんなもん無料公開してええのんか?
    日本版ポーネグリフやんか😊
    ロマンですね〜❤

  • @black48698928
    @black48698928 Před 3 lety +3

    確かに千葉には谷津干潟ってあるなあ。これも本州アイヌ語由来の言葉なのだろうか。

  • @Katsumi_Yakuman
    @Katsumi_Yakuman Před 3 lety +32

    後ろに「ナイ」が付く本州の地名でもアイヌ語由来ではない地名もある

    鍋失(なべうしない)(静岡県)
    自分もアイヌ語由来と考えていたが違う模様
    一方で秋田県の「鵜養」(うやしない)はアイヌ語説と日本語説両方あってややこしい(鵜を飼っていたからという説がある)
    秋田県に「雪橋」と書いて「わしばし」と読ませる橋があるが、この動画を見て納得した

    • @og4429
      @og4429 Před 3 lety +5

      秋田に移住したが、秋田の人は何にでも「っこ」をつけるのは何由来なんやろな
      いぶりがっこの「っこ」とかさ

    • @zansetsu4575
      @zansetsu4575 Před 2 lety +3

      @@og4429 いぶりがっこは燻したがっこであって「~っこ」とは違いますよ

    • @og4429
      @og4429 Před 2 lety +6

      @@zansetsu4575 がっこの「っこ」は本当に「っこ」ではないのか?

    • @user-vk4jl8fu6w
      @user-vk4jl8fu6w Před rokem

      北海道以外の考古学遺跡にアイノ文化遺跡、アイノDNA人骨遺跡が皆無。本州の文献で多くの種族名があるがすべて縄文人部族である。縄文人弥生人のDNA調査で最近の成果は、縄文人と弥生人の区別ができない。すなわち、縄文人と弥生人は遺伝子学的に同一民族であった。人骨の外観、形状や、遺跡文化「土器」の違いから縄文人、弥生人と区分したアホな先駆者が居たことになった。 アイヌが日本先住民と捏造されている。しかし、遺伝子学的に、帰化人の子孫でない限り、日本人のほとんどは縄文人遺伝子を引き継ぎ保有している。沖縄人も日本縄文人遺伝子を保有している。アイノを除き、沖縄人を含む日本人は日本先住民族である。

  • @user-wv4bv2yh2s
    @user-wv4bv2yh2s Před 3 lety +6

    アイヌ、琉球だとか日本の民族はほんとロマンだ
    面白かった。

    • @asa01053
      @asa01053 Před 4 měsíci

      沖縄とアイヌは同じですよ!

  • @kasram0121vn
    @kasram0121vn Před 3 lety +11

    比較言語学専門でやってる人のレビューを見たい

    • @user-vk4jl8fu6w
      @user-vk4jl8fu6w Před rokem

      「北大研究グループ」オホーツク人のDNA解読に成功
      6月18日の北海道新聞朝刊に興味深い記事が掲載された。5~13世紀にオホーツク海沿岸などで独自の文化を発展させたオホーツク人の遺伝子を解読することに北大の研究グループが成功。オホーツク人のルーツには諸説あるが、現在の民族ではサハリンなどに暮らすニブヒやアムール川下流のウリチと遺伝的に最も近いことがわかったというもの。また、アイヌ民族との共通性も判明、同グループはアイヌ民族の成り立ちについて「続縄文人・擦紋人と、オホーツク人の両者がかかわったと考えられる」と推測している。謎に包まれたオホーツク文化が解明されることでオホーツク地域の魅力がさらに深まりそうだ。(以下北海道新聞から紹介します)
      どのようにこの遺伝子がもたらされたのかが疑問だったが、アイヌ民族とオホーツク人との遺伝的共通性が判明したことで、増田准教授は
      「オホーツク人と、同時代の続縄文人ないし擦文人が通婚関係(侵入オホーツク乞食に強姦された日本縄文人少女がアイノコ、アイノ、アイヌを産んだ)にあり、オホーツク人の遺伝子がそこから受け継がれたのでは」
      と推測している。
      同大学院の加藤博文准教授(考古学)は「オホーツク人は、最後は消えたという表現がなされてきたが、アイヌ民族の形成にかかわった集団もいたことが示された。アイヌ民族の形成の多様さ(不特定多数の浮浪漂白民)を遺伝子から指摘する研究成果だ」とみている。

    • @kasram0121vn
      @kasram0121vn Před rokem +1

      @@user-vk4jl8fu6w オホーツク人との混血は考古学的証拠からもすでに示唆されていますね。

  • @katskats4636
    @katskats4636 Před 2 lety +1

    一次資料がたくさん出てきて見ごたえがあった。ほとんど考古学のような状況での研究に頭が下がる。そもそも関心も研究も資料も少ない分野なので、昭和期の「情熱に満ちた」思い込みによるアマチュア研究が二次資料となっているあたりも大変そう。
    11:19 「全然違う」というのはどうだろうか。音の移り変わりは言語間固有のものだから本州アイヌ語と上代東国語の関係のことを私は全く何も主張できないが、世界的に見れば、hが脱落することはよくあるし、bとpはよく交替する。また、資料が新聞記事なので、一般向けに敢えて根拠を示さずに書いた可能性もある。
    19:12 「r > n」 という変化は世界的にはあまりないが(語末の末子音なら有り得る)、「l > n」 ならしばしば見られる。(現代の標準の)日本語の r は[dl]と書くべきだとすら思うほど独特な音だから、「r > d」の変化は納得しやすい。しかし、直接「r > n」ですか? もしかして「r > ?? > n」?

  • @treasurezone850
    @treasurezone850 Před 2 lety +2

    蝦夷が続縄文文化だとして、アイヌ民族とも近いとして、東北にはアイヌ語源の地名が残ったわけですが、和人(弥生人)と入れ替わったのは、いつくらいからか関心があります。阿倍比羅夫の進出以降、秋田城等の当時の文献から北陸や北関東から入植者を導入した記録もあるようですが、このように住民入れ替わりがあったのでしょうか。

  • @iikebukuro
    @iikebukuro Před rokem +2

    山形ではフキノトウはバンケでしたね

  • @gtofuji
    @gtofuji Před 3 lety +15

    「言葉の借用」というのは、万国共通の「礼儀」であり、同時に「防衛本能」でもある。
    私は仕事の関係でしばらくアメリカに住んでいたことがあるんだが、
    その時、「なぜ日本人は英語を話せないのか」と、「なぜ日本人は英語を話せるのか」について理解した。
    上の文章はそのままだと矛盾しているので、条件を追加すると、
    「日本に住んでいる日本人」は英語を話せないが、「アメリカに住んでいる日本人」は英語を話せる。
    「当たり前」のことのように感じるかもしれないが、他の国では英語を話せる人間は自国でもアメリカでも話せるし、
    話せない人間は自国でもアメリカでも話せない。
    なぜ日本人だけこのような特殊な現象が起きるのか。
    多くの学者は、「日本語と英語の構造が大きく違っているから」と説明するが、私の考えは全く違う。
    日本は地理的に「自給自足できる島国」なので、そこに住んでいる日本人は自然と「閉鎖的」になる。
    それが一番安全で効率のいい生き方だからだ。
    閉鎖的な人間とは、つまり攻撃本能が弱く防衛本能が強い人間のこと。
    一般的に、「日本はムラ社会だ」とか「日本人は恥ずかしがり屋だ」とか言うが、
    全て「自給自足できる島国に暮らしている」ことが原因。
    それに対して、世界の90%以上の地域は、「大陸の一部」か「自給自足できない島国」。
    このように特殊な地域に暮らしている日本人は、日本で英語をしゃべることを非常に「恥ずかしく」感じる。
    「恥ずかしい」というのは「個人的、主観的な感情」と考えるかもしれないが、
    実は日本の地理や文化に根ざした「客観的な特徴」であり、根源的には「防衛本能」につながっている。
    なぜなら、「言語」というのは民族を規定する一つの基準であり、
    日本で英語を話すというのは、「私はあなたたちの仲間ではありません」と「宣言」するに等しいからだ。
    閉鎖的で防衛本能の強い日本人とって、これはあり得ないことで、
    だから日本人はいくら英語を勉強しても日本では英語を話せない。
    ところが、いざアメリカに住んでみると状況は180度反転する。
    アメリカで英語を話さないというのは、「私はあなたたちの仲間ではありません」ということを意味するわけで、
    これもあり得ないことだから、日本人は必死になって英語をしゃべろうとする。
    そして、少なくとも数十年前の日本の学校教育は世界最高水準なので、
    アメリカに住んでいる他の外国人よりは正確な英語を話せるし、
    教育のないアメリカ人より正確な場合も多い。
    実際、私もアメリカに行ったその日から英語をしゃべっている自分に驚いた。
    発音がヒドイのは言語的に離れているせいでどうしようもないが、
    私は技術者なので仕事に必要な概念が伝わればそれ以上は要らない。
    実際、アメリカで仕事をしている日本人の発音がヒドイのは、
    「意味が伝われば、発音なんかどうでもいい」ことの現れでもある。
    これに対して他の国の人間は、ここまで強い防衛本能を持たない。
    その結果、言語は「能力やツール」の一種に過ぎず、「(民族的な)宣言」としての働きが弱いので、
    本国にいても英語を普通に使えるわけだ。
    このような日本(アイヌ等を含む広義の日本人)の地理的特徴を踏まえると、
    相手の言語を話すとか、言葉を借用するという現象は、他の地域以上に頻繁に強く発生したはず。
    そして、それが日本語の複雑さや方言の多様さの原因にもなっている。
    普通一つの民族が使う言語(や文字)は一種類だ。
    そして、一番簡単な言語や文字だけが残り、他は廃れる。
    例えば、ハングルが一般化した韓国や北朝鮮において、漢字は既に廃れた文字だと言っていい。
    また、漢字を使っている中国も、あと数十年もすれば「簡体字」だけになってしまい、
    古い漢字を読めるのはごく一部の専門家だけになるだろう。
    また、エジプトの象形文字はギリシア等の周辺国家に伝わったが、
    結局残ったのはエジプト数字をベースにしたアルファベットだけだった。
    しかし日本では、「平仮名」が発明されて1000年以上経っても古い漢字が普通に使われている。
    その理由は、「漢字を使っている人とも、平仮名を使っている人とも仲よくしたい」という強い「防衛本能」であり、
    当然その中にはアイヌを含む多くの人々の言葉や文化が反映されている、と考えるべきだろう。

  • @user-yb3pb8lo2t
    @user-yb3pb8lo2t Před 3 lety +19

    私は素人ですが,この人は普通に学者として
    仕事に出来そうなぐらいレベルが高い気がする。

    • @kskj5672
      @kskj5672 Před 3 lety +12

      この人は過去の本人の発言などから一般人ということになっていますが、私は今でもこの方の正体は若手研究者だと信じています。

    • @tsuiki1205
      @tsuiki1205 Před 3 lety +15

      @@kskj5672
      研究者ならわざわざ自分の飯の種をyoutubeで無料公開したりしない。
      論文の解説とかならまだしも。

    • @kskj5672
      @kskj5672 Před 3 lety +12

      @@tsuiki1205 教授と喧嘩したとか、何か事情があるのかもしれませんよ

    • @ame1234567
      @ame1234567 Před 3 lety +4

      動画でアマチュアの研究者に言及されており、自身は違うと解釈しました。

  • @SouneDaijin
    @SouneDaijin Před 2 lety +3

    「へ~そうなんだ」と認識が新たになることばかりです。アイヌ語は現代の日本語にも、いろいろ影響を与えているんですね。

  • @user-xt8dc4hl6o
    @user-xt8dc4hl6o Před 2 lety +2

    茨城県水戸市に「木葉下(あぼっけ)」という地名がありますが、本州アイヌ語と関係があるという説はありますか?

    • @user-vk4jl8fu6w
      @user-vk4jl8fu6w Před rokem

      本州にアイヌは存在しない。アイヌは民族ではない。モンゴル軍に追われたオホーツク難民が北海道縄文人を殺戮強姦してアイヌが誕生した。鎌倉時代のモンゴルと対峙していた本州にアイヌが来れば、当然打ち首。本州にアイヌが住める余地はない。
      「北大研究グループ」オホーツク人のDNA解読に成功
      6月18日の北海道新聞朝刊に興味深い記事が掲載された。5~13世紀にオホーツク海沿岸などで独自の文化を発展させたオホーツク人の遺伝子を解読することに北大の研究グループが成功。オホーツク人のルーツには諸説あるが、現在の民族ではサハリンなどに暮らすニブヒやアムール川下流のウリチと遺伝的に最も近いことがわかったというもの。また、アイヌ民族との共通性も判明、同グループはアイヌ民族の成り立ちについて「続縄文人・擦紋人と、オホーツク人の両者がかかわったと考えられる」と推測している。謎に包まれたオホーツク文化が解明されることでオホーツク地域の魅力がさらに深まりそうだ。(以下北海道新聞から紹介します)
      どのようにこの遺伝子がもたらされたのかが疑問だったが、アイヌ民族とオホーツク人との遺伝的共通性が判明したことで、増田准教授は
      「オホーツク人と、同時代の続縄文人ないし擦文人が通婚関係(侵入オホーツク乞食に強姦された日本縄文人少女がアイノコ、アイノ、アイヌを産んだ)にあり、オホーツク人の遺伝子がそこから受け継がれたのでは」
      と推測している。
      同大学院の加藤博文准教授(考古学)は「オホーツク人は、最後は消えたという表現がなされてきたが、アイヌ民族の形成にかかわった集団もいたことが示された。アイヌ民族の形成の多様さ(不特定多数の浮浪漂白民)を遺伝子から指摘する研究成果だ」とみている。