【新田金山城】群馬の「突然変異?城」池も石垣も謎だらけ!城好きの理解を超える日本百名城を紹介
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- čas přidán 23. 08. 2024
- 群馬県太田市にある新田金山城は、はるか東京スカイツリーまでも望むことができるという絶景ポイントとして有名。また「不落の城」とも呼ばれており、試験に落ちない縁起の良い場所として多くの方が訪れています。
戦国時代、この城が攻撃されたのはなんと10回以上。しかも攻め込んできたのは上杉謙信や武田勝頼といった大国の戦国大名たちなので、小さな城ならあっという間に落城してしまったことでしょう。しかし新田金山城はそのすべての攻撃をかわし、一度も落城することなくその歴史を終えました。まさに「不落の城」です。この城の城主は横瀬氏(由良氏)。新田義貞の流れをくむという古くからの領主です。戦国時代の関東は小田原に本拠を置く北条氏が北に勢力を拡げ、それに対抗する越後の上杉謙信が軍勢を送りだすという形で争いが続いていました。横瀬氏はこれら大勢力の間で何とか生き残ろうとうまく立ち回った小さな領主。横瀬氏は新田金山城の城主として長い期間この城を守り抜いたのですね。新田金山城は多くの謎を秘める城でもあります。城内中心部には戦国時代に造られたと言われる奇妙な丸い形をした池が二つもあり、これらの池がなぜこのような形をしているのか、いったい何に使われたのかなどと考えていると夜も寝れなくなるほどです。そして最大の謎とされているのが高く積み上げられた大規模な石垣があること。実は戦国時代の関東地方の城は土塁を用いた「土の城」ばかりで、こんなに石垣が使われた城は他にないのです(唐沢山城をのぞく)。さらに新田金山城の石垣はちょっと変わっていて、垂直に積まれた石の壁のような姿をしています。なんだか城ではなく古代遺跡のような雰囲気もあります。(新田金山城で現在見られる石垣は、発掘調査結果に基づき再現されたものが大半を占めます。)この石垣は、いったい誰がどのようにして積み上げたのでしょうか。
この不思議だらけの新田金山城、実際に現地を訪れて紹介します。
20年近く前に姉の運転で行ったときは、夕方だったこともあり、本丸周辺しか見られませんでした。
石垣がマチュピチュのように見えることと、日の池の水がきれいなのが印象的でした。
今は当時よりも整備が進んでいるようですが、隣市在住なのに山道の運転が怖くて、自力ではなかなか行けません。
また行ってみたいです。
発掘調査前に新田金山城ヘ行った事があります。日ノ池、月ノ池、そして頂上の新田神社も見ました。
休憩所から東京のビル街、スカイツリー、富士山が見えるのがいいです。
かいのすけさんお疲れ様デス群馬県は山城の宝庫ですね謎多き城堀切凄いですね👍
城巡りをしていると群馬が好きになっちゃいました!
太田市出身の大学生です。
日の池から、お昼頃太陽を見ると,幻想的な水鏡を見ることができます。
夜の月の池もいつか見てみたいです!
個人的には、古代から、宗教儀式的理由で使われていた証拠が見つかれば嬉しいです。
あと、太田を訪れる際は,駅前の美術館・図書館も、金山ガイドセンターも、太田市中央図書館(時々、歴史的展示を無料で行っています。)も月曜日が定休日です。
UPありがとうございます。
本当に不思議な城ですね。
秀吉が石垣山城を築くまで、おそらく関東唯一の石垣城だったのでしょう。
山上の池は不思議ですね。周囲の地形を存じませんが「独立峰の山上でもそれより高い山が隣接してあり、両者が同じ岩盤である場合、岩盤の岩同士のわずかな隙間(割れ目)を地下水が登ってくることがある」そうです。それにしても200m以上もの山上にあるのは不思議ですし、かといって雨水の溜池にしては水質が良い(月池に魚が泳いでいましたね)ようにも見えました。ぜひ謎の究明をお願いしますw
コメントありがとうございます。 山でも地下水が上ってくることがあるんですね!金山城の池の水源が雨水以外にあるのかも!と思うと安心します。
金魚がいたので水質はキレイなもの。とても参考になりました
私も関東は支城は赤土に依存が殆どだと思ってました。
山城で水の確保は最重要だったでしょう。
丸い池の近くに井戸がある...私的予想ですが、洗い場や炊事場など。
雨水が貯まる構造で、染みて(ろ過されて)横の井戸に湧き出る?とか。
流石にあの石垣の角度は^^;
ただ石垣の上は壁で覆われてて、鉄砲や矢を打ち込まれて大損害な訳ですから
兵力が十分なら、ガチでも負けない別兵力で囲い
主力は目的に向かう方が賢明だったかもですね。(石が豊富だったから投石も怖そう)
コメントありがとうございます。
あんな高い場所の池だから、雨水が頼りだったのですかね、沸いていたらすごいです。
かいのすけさんご苦労様でした。本当に不思議な山城です。駐車場からテクニカル防御ゾーンへの尾根沿いの仕掛けは山城好きにはたまらない黄金ルートですね。2017年6月に訪問したのですがガイダンス施設は休館日で同じ思いをしました。遠い先でもよいですからいつか紹介して下さい。日/月池は??です。
ガイダンス施設行けてないの同じですね!どうやら大手ルート(山の下から月の池の前に出る?)も調査されているらしくそこが整備されたらチャンスかも。今度は月曜以外にしますね。
@@kainosuke-rekishi よろしく。
綺麗になってますね。昔は石が風化してボロボロだったようですね。
子供頃行ったけど、あんな大きな石垣なかったな。
やっぱり大規模に復元されたんですね。以前の様子も見てみたかったです。
神社建設前、障子堀とか見たかったですね。
不思議ゾーンのい石垣は安土城で見た家臣の屋敷跡のように見えました。
私もそうです!どのような建物があったのでしょうか‥
池に関しては、緊急時の飲み水と祭祀に使われてていた可能性があると思いました。
そうですね、丸い形にも意味があるのだと思います。
箕輪城でかいのすけさんらしき人を見かけたことあります
そうなんですね!よかったら声をかけてください
@@kainosuke-rekishi 手当たり次第声かけして事案に😅
太田在住で50年以上前からよく遊びに行きました。 私はてっきり土塁でできた山城だと思っていたのですが。あんな切り立った石垣なんて一つも見たことありません。せいぜい土塁をフォ語するのに石を使った程度だと思います。池は直径がせいぜい1.5mくらいで現状なんて全く想像ができません。修復ではなく観光用のそして土建屋を潤わせる創作だと思ってます。 麓のガイダンス施設では私の知る限り補修?の記録は展示されてません。 ここで取れる石は石目に沿って手で割れるほど弱い石なのでとても石垣には使えなかと。
こんな城が関東にあったんですね。再現された石垣は、元の石垣と見比べると、やややり過ぎ感は感じましたが、石垣があったことは事実でしょうから、復元とは難しいですね。。
東京埼玉当たりのすでに名前しか残っていない陣屋や城跡、館跡などをサイクリングで見て回ってますが、こうした形の残っている城は格別ですね。
サイクリングだと登り坂や下り坂がわかって地形を楽しむこともできるんでしょうね!
@@kainosuke-rekishi ご指摘の通りです。高低差はかなりはっきり分かります。上り坂は攻め手の苦労が伝わってきますw
私の想像では丸い池は体を洗う為、井戸は飲み水なのでは?
私にはわかりませんがきっとそのように使い方が決まっていたように思えます。
金山城の現存する野面積みの石垣を見ると、動画にあるような打込接ぎや切込接ぎの再現された石垣はやり過ぎな感じがしますね。
もっとも節理の岩を横に割って断面を手前に見えるように積めば、隙間の無い精巧な打込接ぎ風の石垣が当時でも出来るのでしょうが。