内灘町に長く住むのは無理?
地震があったらまた同じ事に。
内灘町の状況は、甚大な被害の出ている地区とほとんど被害のない地区があり、
被害の出ている地区は埋め立て地や低地(河北潟の干拓地)のそばです。
長らく石川県に住んでいる人でも、どの部分までが干拓地かは知らずに(調べずに)引っ越したりすると、「たまたま地盤が悪かった」のように感じられるでしょうが、実はたまたまではなく必然的なことと私個人は考えております。
能登でも家の地盤を直して、被害が少なかった知人の家もありました。
日本は地震が起きる国です。
教育や家庭・地域などで災害について教えてもらっていても、もっと実践的に住居の地質には注意を払うべきと思います。
意味のない?地震予知や対策に資金を使うのではなく、復興に金を使うべき。常に後手後手の結果論を述べるのなら、事後の補償を厚くするのも行政の役割だと感じる。
図〇低の辺り粟崎、鶴ケ丘も被害が大きかったとネットで出てる。
被害が大きいと聞きつけた場所しか足運ばれなかっただけでは?
被害を早期に漏れなく把握できる仕組みが有ればと
咳払いと咳がちょいちょい入ってきてかなり良くないな
OFFにするなりできなかったのか
液状化対策は大変ですよ。
家を買う時には用心が必要。
上っ言うな!
北やろ!
液状化対策というよりそもそもそんな土地に住まないように指導するのが先じゃね?そんなな土地を売った不動産屋の責任はどうなのよ。
誰も住んでいなかった場所の土地を売ったわけじゃ無いからな。
例えば今回の内灘町は歴史資料に初めて地名が出るのは927年。この時点ですでに現在の内灘町のあたりには大きな集落が形成されていたことが明らかになってる。
その後、江戸時代には加賀藩の所領になり漁村として発展していき、戦前には遠洋漁業が盛んになり近代化を果たす。
戦後は遠洋漁業は衰退するが金沢に近いことでベッドタウンとして発展していく。
日本は山地が多く人が住める場所がもともと限られているから、現代に残っている街というのはほとんどが歴史を辿ると1000年近く前から集落が形成されて人が生活してきた土地。液状化のリスクがありますと言われたところで、先祖代々その土地に住んできた人がいて、その土地には100年、1000年の歴史があるから移住する人は僅か。人のいない辺境の土地を売ったわけではなく、長い歴史のある街の土地を売買することに制限なんてかけられるわけがない。
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お調べいただきありがとうございます。
内灘は昭和に河北潟を干拓して農地や土地を獲得しました。
昭和以降の干拓した地域や、河北潟周辺が液状化で被害を受けました。
また、河北潟から砂丘へ上がる崖は、地震の半年ほど前に、既に大雨の土砂災害で道路が流れてしまった部分も修繕ができず、仮の道路のままでした。
もしもし
65年(高2)の頃習った話
世界地震学会で某国の若手地震学者が❢quick sando❢(飛び跳ねる砂)理論を展開すると。
権威有る老練の学者達は冷笑し認めなかった。
その中に日本の学者複数名参加していた。
習った数年後に新潟地震が有り、
新潟市でクイックサンド現象が起こり、理論が証明された。
馬鹿にしていた日本の学者達は面子を保つ為。
❣液状化現象❢と名づけ
自分達の功績として
此の動画の様に自慢解説させている現実。
説明図最初から家が斜めに建ってて全然説明になってない。テレビ局は何にも理解しないで説明してるだけ。
能登は野となれ 山となれ‥ヤマモリタイカレー
能登はろしあに売却した方がいいよ‥ヤマモリタイカレー
南側の〇低の辺り、粟崎や鶴ケ丘でも被害有ったとネットで書かれてる
被害が大きいと聞きつけた場所にしか調査されて無かっただけでは?