【高遠城】甲斐を守る仁科盛信の戦い 空堀に囲まれた天下第一「高遠桜」の城址公園
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- čas přidán 21. 02. 2021
- 武田勝頼は高遠城で約8年間過ごしました。1567年には、この城で正室との間に嫡男・信勝が誕生します。勝頼の正室は、織田信長の養女遠山氏の娘(龍勝院)ですが、信勝を生んだ後亡くなってしまったようです。
この後武田家に何ごとも起こらなければ、勝頼は高遠の諏訪家として伊那や諏訪地方を治めたのかもしれません。勝頼にとって高遠城での生活は、比較的平穏な日々だったのではないでしょうか。織田徳川軍が伊那方面から攻め上がってきたとき、高遠城は武田領国を守る重要拠点になります。確実に攻撃を受けるこの城の守りを託すのは、父信玄の血を受け継いだ弟盛信しかいないと思ったのかもしれません。
桜の時期によく行ったなあ
周辺を適当に散策(ただ歩いただけ)しましたが、階段降りるとき、眺めが良くて気持ち良いですよね!
そうですね、私も高い場所に城があることを実感できました!
天目山の戦いは切ないです😣
城跡に高校があったのは渋いですね。学生は大手門をくぐると凛として、勉学に身が入ったのかも。景色も良いし。
そうですね、城跡の学校に通ってみたいですね。
我が信州民の誇りよ!
高遠城跡を訪れた際に、壮大な桜に感嘆した思いと仁科盛信の散り際がまるで桜の散り際へと重なった記憶が甦ってきました。とうからず武田家と関係があった家門であり、裾野市にある城跡の城主だった子孫です
私の家紋は左三つ巴、ご先祖様のお墓は、武田菱が刻まれていました。
後に一族が高遠氏に仕え、実父が仁科盛信とも縁がある保科正光が高遠に入城して、晴信の娘見性院から幸松を託される話も(続)諏訪武田の物語と言えるかも知れませんね。
我は信玄の子なり!と言って自刃した!高遠の桜は日本の名所❣️
縄張りが上田城ともにておりますな。小県の真田家も信濃の豪族だけに似ているんでしょうか。
長野県の県歌「信濃の国」に出てくる 仁科の五郎盛信の武田家に対する忠臣見事です。今も高遠の桜になって咲き誇っているようです。
我が家の家紋は武田家に関係ある花菱です。
県歌に歌われるのはスゴいですね😊
こんにちは!私のご先祖様は高遠城の
女家老でした。顔にアザがあった。織田信長
に、攻められて山の上で切腹と聞きました。
詳しく知りたくなりました。
高遠城に行って調べたくなりました。
動画ありがとうございます。
ムネアツです。